69.愚者を啄む陰の嘴
気がつくと、病院のベッドの上に居た。
「あうっ!!」
目を覚ました彈を見て、愛夏が胸に飛び込む。
「愛夏さん。……長いこと家を開けてごめんなさい。今、戻りました」
亜莉紗はなんとか首の皮一枚を繋げた彈に一安心する。
「とりあえず、おかえりなさい」
「ああ……つっっ!」
意識が戻ると同時に激痛が襲ってくる。全身が焼けるように熱い。あれだけの電撃を食らったのだ。無理もない。
今まで受けたような傷とは別物の痛みだった。
「動かないで! あなた、落雷を受けたようなものなのよ? 皮膚はもちろん、内臓だってボロボロだわ。体温調節も儘ならないでしょうし、当面は療養に努めなさい。もちろん“活動”も禁止。命あってのヒーローでしょ?」
反論の余地も無い程、自分の体が限界に近い状態であることを実感する。致し方が無かった。
「三日程寝てたのよ」
腕に繋がれた点滴を見る。これだけの満身創痍にも関わらず、久しぶりに見る二人の姿に疲れが取れるようだった。
亜莉紗は一息吐き、静かに話し始めた。
「あなたが居なくなってから色々あったのよ。インプレグネブル・ゴッズが勢力を強めたり、ジンゴメンがとうとう存在を公にしたりね」
「!」
三ヶ月弱。その時間は、世界が変化をみせるのに充分な長さだった。
「ラプトルが姿を消したことで、水を得た魚のように、悪人達はその動きを増したわ。インプレグネブル・ゴッズの日本構成員を始めとする、関与していた人間達がこぞって活動を活発化させた。まあ、彼、モノクロームの尽力のおかげで、かなりの犯罪を防げていた面もあるけどね」
モノクローム。
犬猿の存在を、助け舟として手配した采配は見事としか言い様がない。
「よくあいつの協力を得られたな。流石に予想外で驚いた」
「でしょうね。苦労したわ」
安心する場所へ戻ったことによって、多くの知り合いの顔が浮かんだ。
今頃どうしているのだろうか、と。
「あ、忘れてた。えーと……ほいっ」
亜莉紗は唐突にパソコンを開き、少しの操作をした後、画面を彈に見せる。そこには、亜莉紗と同じく心配をかけたであろう仲間の姿が映っていた。
「ダン!! 良かった! 元気そう……ではないケド」
「ダニエル」
自分が不安定だった時に、心身のケアをしてくれていたメカニック。顔を見ただけで、その心労の多さが窺えるようだった。
「心配かけてごめん。迷惑だったよね」
「全然! 僕は、ダンみたいに勇気や強い思いがあるわけじゃないから分からないけど、今はゆっくり休んだ方がいいよ」
ダニエルは争いを好まないし、比較的温厚な性格。それは過去の話から鑑みても分かる。だからこそ、自分の身の上話に同情し、こうして力を貸してくれていることに感謝している。
レッドという存在があったからというのはもちろんのことだが、メリットも大して無いのにリスクを背負い、労力を割いてくれている以上、ここはしっかりと体と心の調子を戻し、元気な姿を見せなければ。
彈はそう強く誓った。
「そういえばっ。ダンの……ラプトルの“新しいコスチューム”が完成したから、完治したら送るよ」
新装備に深謝しつつ、どこまでも世話になってばかりと、彈は憂いた。
「お二人さんそろそろいいかしら?」
「あ、ああ」
二人の会話に入る亜莉紗。
「そうだね。ダンを休ませなきゃ。……ダン、またね」
「うん、また」
ダニエルとの通信を終える。
「繰り返すようだけど、斉藤刑事もあなたを心配してたわ。“友人を失う苦しみは耐え難がたい”って」
「……」
亜莉紗は言葉を聞いた彈の反応を見る。取り乱す様子は無く、落ち着いている。一先ずはもう平気そうだ。
「じゃあ、私達は行くわね。体を休めることに専念して欲しいから、坊やの所在は誰にも言ってないわ。連絡も取らないように」
少しでも隙を見せればすぐにでも知り合いに連絡を取り、もし何かあればヒーローとして飛び出す。そんな彈の行動が予期出来るからこそ、亜莉紗は強く釘を刺した。
「あいあいっ」愛夏も別れを告げる。
「……ばいばい」
動きたくても動けない。そんな体では言いつけを守らざるを得ない。
彈の胸中には、常に洋菓子店の想い人が存在していた。
そして、一ヶ月後。
真夏日。
ジリジリと照りつける太陽の下、その明る過ぎる光景の中で、人々は大きな不安を拭えずにいた。
大きな事件こそ起こっていなかったが、犯罪の増加による過激な武力弾圧としてジンゴメンの評判も下がり、忌避される対象として認識されつつあった。公務員でありながらラプトルと近い存在になり、尚且つその異形の見た目が原因だろう。モノクロームは相も変わらず。
国民の心に寄り添う、善行の使者は未だ姿を見せず、悪意だけが影を落としていた。
男は突然現れた。
「何者だ? お前っ」
警備員の一人が男に触れようとした瞬間、視界は宙を舞う。
「え?」
「寝ていなさい」
警備員の男の顔を踏みつける。堂々と歩みを進める男。続々と警備員が集まってくる。
「はあ。“中のにだけ”用があるんですが……気絶してもらうしかないようですね」
ハイキック。自らの身長よりも高い位置にある警備員の頭部を難無く蹴り当てる。
次々と襲いかかる警備員を、卓越した格闘の技術で打ちのめしていく。
渋谷のビジョンに、切迫した様子で事件の詳細を伝えるキャスターが映る。
「繰り返します! 港区在住の金融会社社長主催のパーティーにて、突如現れたテロリストが会場を占拠しているとの情報が入りました! 中の参加者全員が人質に取られている模様です!」
こうしたニュースはもはや日常と呼ばれるまでになっていたが、この日は違った。
明確な、新しい脅威が出現したのだ。
「またかよ……」「今度はヤバくね?」「ジンゴメンが何とかしてくれるんじゃない?」「あいつら不気味だろ」「犯罪があんまし減ってる気しないんだよな」「警察も大変なんだろ」「モノクロームの方がいっそ信用出来る」「グロいのあたし無理」「あの人達も助かるか正直……」「もう東京も終わりだな」
人々は、希望の二文字を忘れかけていた。
パーティー会場内。
中には十人の機関銃を武装した男達が、人質を見張るように練り歩いている。集団を扇動するは、上下茶色いスーツに身を包み、頭部にはほつれた布で作った不恰好な茶色い目出し帽を被った怪しげな男であった。
「もう私は耐えられません。“彼”が居ないのなら、“誰かが代行せねば”……君達のようなゴミは社会に不必要。悪は罰する」
男は妙なことを口走った。人質でありこのパーティー主催の男が声を上げる。
「何なんだお前は! こんなことして、何が目的だ! 金か!?」
声の元に近寄り、お互いの手が届く位置となる。
「私はラプトルが好きなんです。あの方は勇敢だ。あの方の登場により、社会は“澄み始めた”。だが、今現在ラプトルは不在。犯罪は増加の一途を辿るばかりです。中には、ラプトルが居なければ犯罪は増えなかったと揶揄する人間さえ居ます。———それは違う。元々水面下で飽和していた悪を、あの方は浮き彫りにしただけです。あの方の活躍で、悪の母数は減っている」
まるでラプトルを崇拝しているかのようだった。
「私が何者かと聞きましたね。私は“粘土男”。悪を穿つ正義のヒーローです」
その狂気じみた雰囲気に、男はすぐさま取引に応じる姿勢を見せる。
「も、目的を言え! 金額はいくらだ!?」
ザ・クレイの表情が曇る。
「……お金ではありません。あなた達は脱税をしていますね。かなりの額。資金繰りもお粗末だ。それにドラッグだってやっているでしょう」
唐突に入り込んだ質問をしてくる。
「!? お、お前に何の関係があるっ」
「え? “犯罪ですよ”? 罰する必要がある。安心して下さい、彼らは仲間ですが、あの銃を使うことはありません。皆さんに大人しくしてもらう為に持って見せているだけです」
「なら、何故こんな大々的に事をしでかす?」
奥の紳士風の男性が声を荒げる。
「……我々がちまちまとやっていても仕方がない。ラプトル同様犯罪の抑止力となるには、こちらの存在を知り、“怯えてもらわねばならない”」
「貴様らがやっていることなんて、犯罪中の犯罪だろう!」
溜息を吐くザ・クレイ。
「私達が法を破ったとしても、被害を被るのはあなた達犯罪者。警備員達のような二次被害は極力傷つけないように細心の注意を払っています。だが、あなた達が犯している犯罪は国に迷惑をかけているでしょう。その違いですよ」
身勝手すぎる言い分だが、この場から逃れる方法は無い。武装した仲間は会場を等間隔できっちりと囲っている。
何より、警備員達がザ・クレイ一人に全く敵わなかったのだ。抵抗の余地は無かった。
「これから、ラプトルと同じ方法で、“痛み”で反省して頂きます」
「さて、いよいよお披露目よ〜」
彈、亜莉紗、そして画面の向こうにはダニエルが。
新しい“ラプトル”のコスチュームを身につける為、リビングに集まっていた。テーブルの上には、新装備が並べられている。
「ダニエル、説明よろしくね」
「うん。着る順番で説明していくね」
彈は、がらりと変わったテイストに目を奪われている。
「すごそうだな……」
一番下、下着の上に着る黒色の全身タイツ。胸部には唯一、薄い金属のパーツが施されている。
「それは前着てたTシャツと似たやつで、伸縮性は抜群さ。加えて防弾防刃。それの上から他を着ていく」
タイツの上から上下のコスチュームを纏う。
「上下に分かれたプロテクター。下はもちろん伸縮性も抜群だ。上は前よりしっかりとしたガードの多くなったジャケットだ。素材である特製のカーボンは鋼より硬く、ゴムのような弾性さえ併せ持つ。防弾防刃性能はこれまでと比べ物にならない」
言われるままに着重ねていく彈。モトクロスのプロテクターを洗練したようなデザイン。全身にぴたりとフィットするようだった。それでいて全く動きの邪魔をしない。
「肩や肘、はアーマーみたいで強そうだ。下はスキニーみたいだけど、全然窮屈じゃない」
「当たり前だよ。次はシューズ」
以前は普段履きの運動靴を使っていたが、今回は靴まで用意してくれている。
「それはモノクロームの装備をいじっているときに思いついてね。彼にはマイナスにならない程度に調整したけど、機動力を持ち味とする君には不要だ。高反発シューズ。ダンの跳躍を手助けする」
彈が確かめるとその履き心地の良さに驚嘆する。
(まるで何も履いてないみたいだ……! 軽く床を押しただけでかなりの反発を感じる。でも、グリップもしっかり効く)
どんどんと“完成”に近づいていく。
「そして、マスクだ」
以前まで使っていたマスクもボロボロになっていた。リニューアルするべきとのことだった。テーブルにあるのは、サイズがかなり小さく薄型になっているマスクらしきもの。
「着けてごらん」
彈はマスクを装着する。口に付けると自動で後頭部までロックされる。隠す部分は口元のみ。以前と露出部は変わらない。
だが大きく異なるその形状は、よりシャープで薄型になり、目を引く大きなダクトは無くなっていた。×印の先端が独立して配置されているような四つのライト部分は、吸気の際に発光する。
「機能はそのまま、以前の改良版と思ってくれればいい。あとは、うるさい呼吸音が聞こえないようにした」
「なんだかスタイリッシュだ」
最後にテーブルに大きな装備であろうパーツが残っている。
「最後はそれ。大きく違う点である“フライトユニット”だ。背中に近づけて下のスイッチを入れてくれるかい?」
少し重い。
そのパーツを、指示通り背負うように背中に持ってきてからスイッチを入れる。すると、背中に吸い込まれるように密着する。
「電磁力で、中のタイツの胸部金属プレートとくっつくようにしてある。フライトユニットとは言ったけど、空を飛べるような代物ではないよ。小型のブースターバックパックとでも言うかな。これはダンの機動力を大幅に高めてくれるだろう。使用方法は簡単。マスクと連動してて、マスクに付いた左耳の骨伝導イヤホンみたいなパーツがあるだろう? それで脳波を読み取れる。つまり意識的に噴射が可能だ。方向・威力も自由自在。操作に慣れは必要だろうけどね。大きさが大きさだから噴射し続けたとして連続駆動時間はおよそ一時間ってとこかな」
重さは三〜四キログラムほどだろうか。全く気にはならない。
脳波で操作可能なブースター。自分が香港にいる間に、ここまでのものを作ってくれていたのか。驚きと共に感謝の意でいっぱいになる。
「全身は今まで同様、茶色を基調とするカラーリングに統一。トーンはさらに落として暗めにしてるけどね。差し色にオレンジを入れてある。明るい色があった方がヒロイックだろ?」
ダニエルが、まるで自分の作ったプラモデルを自慢している子供のように見えた。
新たな装いのラプトルが誕生した。
「ラプトルver.2ってとこかな」
「ああ、すごい……。ダニエル、感謝しても仕切れないよ」
「僕が、こうしてモノづくりが出来るのもアリザとダンが居てこそだ。ダンには発明品の被験者としてのデータも貰えるしね」
彈が体を動かし、確認している。傷も完治し、一先ずは活動も再開出来る。安静に安静を重ね、万全を期した。体には今までの傷に加え、消えぬ電撃の跡が残ることとなったが。
新コスチュームの説明が終わり、亜莉紗はテレビのリモコンを手に取る。
「早速今日から行くんでしょ? ニュースで何か事件でも起こってるかしら」
画面の電源をつけると、そこにはリアルタイムの立て籠もり事件が映っていた。
「!」
ニュースの見出しにはこう書いてある。
『ラプトルの仲間? ポストラプトル!? 目的は悪行の制裁か』
報道陣がヘリを飛ばし、上空から映像を届けている。場所はパーティーが行われているビルの宴会場だった。
画面右下には詳細らしき説明が。
『武装した男が十人 主犯はラプトルと同じく武器を持たず』
彈は黙ってその光景を見つめている。
「……モノクロームが坊やの“模倣犯”だとするなら、ザ・クレイは坊やの“狂信者”ってとこね」
彈は意を決したように亜莉紗に訊ねる。
「場所は?」
人を助ける。ではなく、悪を斃す。それが彼の行動理念。だが、今の社会には彼が必要だった。
「よしきた」
ヒーローの再出発は、思ったより早く訪れた。
ザ・クレイは一人ずつ人質を嬲っていく。
その一発一発には容赦が存在しない。歯が折れ、骨が折れても、気の済むまで止めることは無い。
「さあっ、もう法を破り、国に迷惑をかけることはしないと誓いなさい」
「しないっ! しないっ!!」
人の目は嘘をつく際、“泳ぐ”という表現を良く聞く。だが、危機的状況では、誰でも瞳孔は左右に大きく揺れるというもの。
「うーん……信用なりませんねえ」
そう言って右手を高く振り翳したその時。会場の扉が勢いよく開き、見張りの仲間二人が飛び込んでくる。大きな音の後、ゆっくりと歩いてくる影があった。
「警察ですか? 随分と強行手段を……!?」
実に四ヶ月程の時間を空けて、ヒーローは国民の前に姿を現した。
「……俺のファンなんだって? “ありがた迷惑”、だな」