68.訣別
そして時は、現在へと繋がる———。
「も、モノクローム……!?」
説明がつかない状況が目の前に広がっている。今、亜莉紗と言ったか? 彈は明らかに混乱していた。
「絶縁体仕様の耐電幕とでも言うかな。……“ダニエル・シェーンウッドが手を加えた”。しっかりと機能してよかったぜ」
(! ダニエルの事まで?)
敵対していた筈の人間。それに、ここは香港。
「混乱しているな。そりゃそうか」
モノクロームが彈に向かって“投げる”。掴んだ手の中には、見慣れた通信機が握られていた。
「これは」
急いで耳につけると、大きな声が鼓膜を突いた。
「坊や!! 大丈夫!? 無事!?」
やけに懐かしい声が異国で聞こえる事に、絶大な安心感を覚えた。
「亜莉紗……。大丈夫、無事だよ。そっちは?」
「こっちの心配なんて要らないわよ! ともかく、くたばってなくて良かったわっ。……“あなたを待ってる人が大勢居るの”。それを忘れないで」
待ってる人。自分は必要とされる存在でいれたのだろうか。
「斉藤刑事だって待ってるわ!」
亜莉紗の一言で、彼が手を貸してくれた事が分かる。現に、こうして目の前に、協力を仰いだであろう人間だって居るのだから。
龍は不機嫌そうな顔をしている。戦いに横槍を入れられることは、彼のプライドが許さないのだろう。今までの行動からそれが見て取れる。
「次から次へと……私の邪魔は、万死に値する!!」
怒りと同時に、周囲の照明や電光掲示板が明滅し、火花を散らす。先の電撃に加え、明らかな周囲の通行人への敵意。場が混乱に陥る。
騒然とした現場。
「……立てるか?」
モノクロームの言葉に応じ、立ち上がる彈。
「何故こんなことになっている? 戦っていただろう、あの化け物と。まさか、生きることを諦めたのか?」
真っ当な質問だ。あんなのを前にして、“こんな格好”で戦っていたのだから。
「ふざけるな……! いくらお前が強かろうと、所詮は“人間”、そこまでだ! 丸腰であんな奴に勝てるわけがない! それとも、そんな至極当然な思考回路も機能しない程下がり果てたのか!? お前は! ……堕ちたものだな、ラプトル」
黙って聞いているしかなかった。
突然ここに来たわけではないだろう。亜莉紗と組んでいたというからには調査をしたり、こちらの様子を伺っていたに違いない。そうなれば、恐らく自分が戦っている姿を見ただろう。さぞ滑稽に映ったと推測出来る。
モノクロームが龍に話しかける。龍は全身に帯びた雷を僅かに放電させていた。それは、彼の近くにある照明を割る程だった。
「お前が“燃やし屋の龍”か。お前の体を“そんなの”にしたのは、インプレグネブル・ゴッズなんだってな。ラプトルの情報を手に入れたのも同じ。違うか?」
彈はその組織の名が出てきたことに驚く。
「……あなた何者です? 飄々と質問なぞして。今からあなたはこの雷によって殺されるのですよ?」
一触即発。“触らぬ龍に祟り無し”。手を前に出し、龍を宥めるモノクローム。
「まあまあ、落ち着けよ。俺だってお前をぶっ殺しに来てんだ、逃げたりしねえからよ。あのクソ犯罪組織とも繋がりがあんのかって訊いてんだよ」
怒り、という点ではモノクロームも同じであった。
「だったら何だと言うんです?」
(隠す様子は無い、か)
「そうです。利害の一致ですよ。私の体を昇華させたのも、彼の居場所を教えてくれたのも、彼らのおかげです」
彈は憤りと共に歯軋りをする。
「奴らの持つ“力”は相当なモンだな……」
ふとモノクロームは一つの疑問を浮かべる。
(だが海外が拠点の奴らが、ラプトルの家の場所まで特定していた? 辻本亜莉紗の情報によれば、超人とか言う奴らの捕獲がメインの目的であることが多く、ただの人間であるラプトルにはさしたる興味も無いと言っていたが……アテが外れたか?)
怪訝な表情のモノクロームに、龍はつけ加えるように言い放つ。
「インプレグネブル・ゴッズの力も驚異的ですが、そちらの国も相当の物でしょう? ラプトルやあなたが居る。それに、“インプレグネブル・ゴッズに彼の所在を提供したのも、日本人なのですから”」
彈とモノクロームの二人は、更なる情報に固まる。
日本人。
(俺の家を知ってる人間なんて……)
彈がそう考えていると、モノクロームの口角が上がっていることに気づく。
「そういうことか。本当に。どこまでもアイツは……!!」
“共に居たからこそ分かる”。あの男のやりそうな事だ。事実、超人や要注意人物を“ファイリング”していた。
「その人物と面識がおありなんですね。あなたも中々に、“こちら側”のようだ」
雷を纏う人間に勝つ。
無理難題のようだが、この二人にそんな考えは無かった。
「お前のことは助けるが、俺は俺の信念を曲げるつもりは無い」
端的な言葉。“彼の流儀”についてのことだろう。
「わかってる」
いよいよ龍と対峙する。
猛禽と死神は、空想上の生き物に勝てるのか。
「奴は———潰す」
「殺す」
モノクロームは彈の方を見やる。
「……お前の方が物騒な物言いだな」
「うるさい」
二人の会話を、雷が裂くように突き抜ける。建物の損壊など考慮していない龍は、高い威力の攻撃を次々と繰り出す。その大半を躱す彈。マントで防ぐモノクローム。アドレナリンのせいか、彈の体は“まだ動いた”。
「ラプトルっ! お前、体は?」
「心配無いっ。“電撃を受けるのは、初めてじゃないんでね”」
モノクロームが前へ出る。マントで雷から身を守りながら突き進み、龍の視界を覆ったところで、背後の死角から彈が蹴りを入れる。モノクロームもそれに続く。
連携など初めて。だが自然と体は、最適な動きをしてくれた。龍が後ろへ下がるところを、追撃するべく二人の拳と脚が襲う。
「はあっ!!」
更なる威力の放電。二人は吹き飛ばされる。
「がっ……!!」
「ぐうぅ……!!」
かなりのダメージを負う。武装の無い彈は、意識を失いかけていた。龍は随所の壊れた電子機器などを掴み、“電気を吸収している”。
(くそっ、連撃で消耗したと思ったところを……!!)
モノクロームが近くに寄ってくる。上半身裸の彈の体は、龍の攻撃による雷撃傷の跡が、痛々しく全身に刻まれている。今までの戦いでの傷に加え、目も当てられない姿だった。モノクロームはそんな彈の体に驚きつつも、戦いに集中する。
「ありゃ“充電”を阻止しなきゃ、勝ち目はねえな」
彈は何とか体を起こす。
「お前が今ここに居るのは、亜莉紗に言いくるめられたんだろうが……ありがとう、とだけ言っておく」
無言で言葉を聞き入れる。
「龍がいくら桁外れの力を持っていようと、“体はただの人間だ”。倒せる相手だよ」
全く根拠が無い、というわけではないだろう。考えろ。考えるんだ。
二人の脳内に勝利への算段が駆け巡る。とりあえずは通行人への被害を抑えなければ。
彈はパルクールを巧みに駆使し、路地裏からビルを登って行く。当然ラプトルがお目当てである龍は、その後を追う。
「ったく、あんな芸当出来るかよ……っ!」
モノクロームは建物内の階段から屋上を目指す。
「坊や! 何か考えはあるの!?」
「無い!」
呆れた返答に亜莉紗は頭を悩ませる。
「はあ……あなた今死にかけの重体だってこと分かってる!? 考え無しに飛び込んでも無駄よ!」
「そうだねっ。何とか致命傷は避けてるよっ。でも、それを待ってくれる相手じゃ無さそうだし、戦いながら考えるっ!」
彈は、モノクロームと共になら、龍を打ち負かせる、そう確信していた。
三つ程離れたビルの屋上に到着する。龍もその背後に立つ。
「ふう。逃しませんよ」
強大な敵を前に、ヒーローが逃げる訳もなく。
「ああ。迎え……撃つ……!!」
モノクロームが屋上へ着く。
雷の音だけが聞こえて来ていた状況であったが、それを躱し続けているようだった。
(なるほど、周りへの配慮もそうだが、それ以上に“機動力”を長所とする奴にとって、障害物の少なく、平坦なここを選んだというわけか)
すぐさま彈へ加勢する。首を狙う刃を寸前で避ける龍。
「くっ……!」
二人の猛攻を、少しの電撃を加えながら捌いていく。
ここは龍にとっても不都合な場所であった。ここには“電源”が無い。電柱や電線は低く、塔屋や室外機などは少し遠い。位置取りさえも目の前の男の計算に入っていたというのか。こんなところで、ここまで来てリベンジが果たせないなど、“死んでも死にきれない”。
当の彈はと言うと、かなり危険な状態にあった。
戦いの最中とは言えど、ここは静かになり過ぎた。というのも、雷の音は凄まじいが、先程の会場や繁華街の真ん中では、人の目や声がたくさんあった。故に、環境的な要因でアドレナリンが出ていた部分が大きかったのだ。
今ここに居るのは自分を含めた三人のみ。静かな戦場では、脳内麻薬も切れてくるというもの。
(頼む、早く来てくれ……!!)
モノクロームが彈をカバーするように死力を尽くし、相対している。すると、モノクロームの上がってきた階段の扉が勢いよく開く。
現れたのは、彈の囚われていた地下闘技場に居た龍の部下達だった。富豪の要人達と表の出口から出た後、雷の光と音を頼りに、ここへ駆けつけたのだ。
「龍!! 何がどうなって……!? その男達は!?」
初めて見る異質な格好のモノクロームに戸惑う様子を見せる。
「あ? 何語だありゃ。分かんねえぞ」
「あなたは黙ってて!」
亜莉紗としたことが気づかなかった。
周囲のマスコミや通行人のSNSの情報を、リアルタイムで操作・統制している事に手間取っていたからだった。
「龍! 手を貸します!!」
ぞろぞろと十人程が龍に近づいていく。“激昂状態の彼に”。
絶死の雷が屋上を包む。即座に反応した彈は、モノクロームのところへ行き、モノクロームもそれに応えるようにマントで彈を覆った。
「大丈夫!? 坊や!」
僅か一瞬で、十の焼死体が“出来上がった”。モノクロームの灰色のマントは黒々と焼け焦げている。
かなりの高電撃。恐らく余力の大半を使ったに違いない。龍は攻撃の反動からか、蹌踉めきを見せていた。
(龍が電力を溜めるより速く……!)
彈は前転をしながら、“部下の男の手元から離れた銃”を手に取る。体勢を整えると共に、龍の両足を撃ち抜く。
「ぬぐっ……!?」
龍は両膝を着くことを余儀なくされる。
「すげえ腕前だな」
モノクロームはその一連の光景に唖然としていた。
静寂が訪れる。
「なっ、こんなことが、こんなことがあってたまりますか!!」
龍の雄叫びと同時に、肩にもう一発の銃弾を撃ち込む。
「ぐっ!」
もはや、勝敗は決したようなものだった。銃口を向けながら、彈が詰め寄っていく。
「……」
龍は嘲笑うかのように口を開いた。
「あなたに人は殺せないでしょう? そこがあなたの弱みですよ」
「黙れ」
龍の太腿を撃つ。
「うっ!! ……はあ、はあ。どれだけ私を痛めつけようと、“それは意味を為さない”。私刑人、くくっ。……“あなたのやり方では際限が無い”。いずれまた私はあなたの前に現れ、友人・知人・恋人・家族にまで手をかけるでしょう。我々という存在は、そのくらい厭わないのはご存知の筈だ」
龍の顔を思い切り殴る彈。
「お、前……!!」
瞳に光が走る。
攻撃の“前触れ”。頭に血の昇っていた彈は反応が遅れ、腹部に電撃の籠もった掌底を喰らってしまう。
「ぐはっ!!」
しかし、やはり当の龍自身はほぼ“ガス欠”なようで、大した威力ではなかった。
窮地と呼べる状況下で、彈の“甘さ”につけ入り、抵抗を試みた龍。死神は断罪を決行する。殺意に瞳を塗り潰し、龍に迫るモノクロームを見て、彈は素早く前に立ちはだかる。
「あァ!? まさかこの期に及んで、まだ殺さないだの言うつもりか!?」
苛立ちを隠せないモノクロームと衝突する。
「こっ、殺す以外にやり方が」
「お前の身の周りの大切な人間が、実害を被ってもいいのか!?」
モノクロームの叱咤を耳にし、様々な人の顔が浮かぶ。そして龍が、“小春円環”の写真を持っていたことも。
「……っっ!!」
レッドと交わした約束。人は殺さない。
『人を殺して殺して、無数の屍の上に成り立つ人生など、たかが知れている。殺しは避けるべきだ』
彼は自身の人生に不満を抱いていた。自らと同じような存在が生まれることも。
復讐として、自分の欲の捌け口として、私刑を始めた。そこで最低限、人を殺さないことを誓った。それが、彼が自分に望んだ彼なりの“正義”の形であり、彼への恩返しとなる。
だがそれは、“ここまでされて”、黙っていることを良しとするものなのだろうか。
モノクロームは止まらない。それは彈が一番分かっている。体は言うことを効かず、死神の通過を許した。
「な、んです……? あなた、私をどうしようと言うのです!!」
一歩ずつ近づく足音は、まるで地獄からの手招きのよう。
「お前を殺すんだよ。数々の人間を殺し、罪なき人々を恐怖に陥いれてきたんだ。当然の末路だろ」
脛の武装の振動をオンにし、静かに甲高い駆動音を響かせる。
「ラプトルならまだしも! 何故あなたのような、何処の馬の骨とも分からぬ日本人如きにっ!」
龍は力を使い過ぎた。血を流し過ぎた。彈同様、四肢に力が入らない。
「安心しろ。“俺のやり方”は、一瞬だ」
「私はっ! ここで終わっていいようなにんっ」
「———断罪」
一閃。
横に振り抜かれた脚先は、血の弧を描き、龍の胴と首を分かつ。
彈は倒れた龍の体を見て、哀しげな表情を見せた。
「これは……俺のケジメでもある。マキビシの野郎の遺した“灰汁”を、そのままには出来ねえ。取り除くしかなかったんだ。もちろん、インプレグネブル・ゴッズもな。こいつが生きていれば、お前の周りに害を与える。これで良かったんだよ」
敵の最期を憂う彈。モノクロームにはそれが理解出来なかった。
全てが終わった。後は無事ラプトルを連れ帰るだけ。
ここでの騒動は亜莉紗に任せよう、そう決めた。
「……そういえば、お前と初めて会ったのも、こんな屋上だったな」
モノクロームが言って振り返ると、彈は倒れ気を失っていた。
「ん……?」
「大丈夫? 彈」「ひどい顔してるな」
幼馴染と友人の姿。
夢か現か。
「……久しぶり。ちょっと色々あってさ」
こんなにもはっきりと。懐かしい感覚に、心は落ち着いている。
「お前は無茶ばっかりすんな。気ィ張り詰めてばっか」
「ホント。あたし達の身にもなってよ。……心配するよ」
二人の言葉が全身に沁みる。
「俺、元気でやってるよ?」
精一杯の返答。
やれやれ、と呆れた様子の二人。
「辛気臭い顔は前のまんまだけど、それに加えて……今は“辛そう”。もっとさ、気楽にしなきゃ! あたしらは彈を見守ってるし、彈を好きだよ」
「自分を顧みないことは強さじゃないし、人を頼ることは弱さじゃない。彈。勘違いだけは止めてほしいんだが、俺、お前を恨んだりなんかしてないぜ?」
「勇希、聡……」
激励。それは自分の人生でかけがえの無い存在であった二人の優しさ。
「だけど……“こっちには来ちゃ駄目”。あたし、もう休んでいいと思うな。いつだって一人で不幸を溜め込まなくていいんだよっ。“どんな沼の底に居たって、あたしが引き上げてあげる”!」
涙は出なかった。
枯れてしまったのか。はたまた、元々そんなものは無いのかも。
心は根を張り、進むべき道を定めた。
もう、迷わないと。
「ありがとう……でも……“さよなら”」
手を払い、“二人を掻き消す”。
「改めて俺は俺に確信を持てたよ。……俺はエゴイストだ。最後の砦であるレッドとの約束は守る。けど、悪人はやっぱり、この手で裁く———」
王前はアイギャレットに報告をする。
「何……? ということは、“犬”が動き始めた可能性があるということか……」
眉間に皺を寄せ、独りごちた。
「“事業に悪影響なヒーロー気取りの虫は取り払う”。そのオトシマエをつけるのを邪魔されては困る」
椅子を回し、一面の夜景を前にする。
「予定を繰り上げ、日本へは来月赴くとしよう」
「来月、ですか。思ったより早く母国に帰ることになりますね」
「……プロクルステスの寝台を知っているか? 寝台に合わなければ、伸ばし・切り落とす。私はこれがとても好きでね。……“私という枠にぴたりと当てはまらない人間は不要なのだよ”」