66.龍の首元
「まさか、賭試合を行なっているところが……一箇所じゃないなんて!」
亜莉紗は苛立っていた。
ここ香港に来てから数日が経った。だが、足取りを掴もうとすればするほど、ど壺にハマっていくようだった。
龍が行っている地下闘技のビジネス。その拠点は一つの場所ではなかった。各国の捕虜ごとに分かれており、未だお目当ての日本支部が見つかっていない。つまり、わざわざ国を渡った九六部は出鼻を挫かれることとなったのだ。
(龍はラプトルのことは公にはしていないようだし、これじゃあ坊やを見つけるのにも一苦労ね……。ジェリーフィッシュくらいの大物になれば、捕らえたという情報くらいは耳にしていたようだけど)
九六部の聞き込みも中々に成果を見込めずにいた。裏社会に詳しそうな人間に聞けど、皆一様に“関わりたく無い”と口を閉ざしてしまう。協力も期待は出来なかった。
「活動資金は貴様持ちとはいえ、ずっとホテル暮らしで大丈夫なのか?」
当然の疑問。だがそれは亜莉紗とて同じことだった。
「あたしだって嫌よ! 無駄にお金が無くなるのは!」
現金な亜莉紗の剣幕は凄まじかった。
ホテルの一室で、パソコンを開き亜莉紗とビデオ通話をしている。
この作戦会議も、もう六度目になる。現地の人間にそれらしいことを遠回しに聞いても進展はみられない。九六部は有給休暇が終わるのが先か、などと別の心配をしていた。
「とにかく、現在分かってるのは、アメリカ・ロシア・イギリスの三つね」
呼吸を整えた亜莉紗が、現状の把握及び打開策の話し合いを始める。
「国ごとに分かれてるなんて、ほんと面倒……これだけ探してもこの三つしか分かってないところを見るに、狙って日本を見つけるのは難しそうね。それこそ虱潰しに当たるしか無さそう。もうこれは、“直接赴いて”情報を集めた方が良さそうだわ」
「直接……?」
要領を得ない九六部。
「実際に支部の一つに侵入するのよ。大きく掻き乱したり、余計な詮索は必要無いわ。ただ、情報をそこそこ知っていそうな人間を捕まえるの。そいつが日本支部を知っていれば良いけど、知らないと仮定して、龍本人の情報が欲しい」
香港に着いてから、地下闘技の拠点を見つけると同時に、龍の所在も探していた。だが、今は“そちらのビジネス”に注力しているらしく、本業の用心棒としての仕事はしていないということだった。
「彼の居場所さえ特定出来れば、後は監視しているだけで、自ずと答えは見えてくるわ」
一縷の望みにかけて、亜莉紗はアメリカ支部の調査を頼むことにした。
「がはっ……!」
(こんな簡単に潜り込めるとはな……ラプトルの居ない支部への警戒が甘いんじゃないか?)
自分の実力が高いことを計算から抜かしたまま、敵の杜撰さに呆れるモノクローム。
運営には似たようなスーツ姿の人間が多く、中でもその場を取り仕切っていたであろう男を捕まえ、人気の無い部屋で尋問を始める。
「あー、ここと同じ場所が国ごとに分けられているだろ。その日本支部を探してる」
スマートフォンに向かって話しかける。亜莉紗とダニエルが改良を加えた、高精度の翻訳アプリを使って会話を試みたのだ。まさに現代的な方法といえる。
「に、日本のがあるのは知ってるが、場所までは……っ」
とても嘘をついているようには見えない。案外組織の下で忠実に働いている人間というのは、私利私欲の為に蜜を啜っている人間に比べると強情さに欠けているのかもしれない。
身体検査は済ませたし、監視カメラの死角もついている。脛の刃を露出させ、殺意剥き出しなモノクロームに対して、白を切るほうが難しいというもの。
「なら、燃やし屋の龍の居場所は分かるか?」
「!」
男は名前を聞いた途端に、全身を僅かに震えさせる。奴が恐れられている存在という証明に他ならない。
「まさか、渋ってんのか? “知らないのなら”、必要以上のことはしない。だが、“知っているのに隠している”のなら……分かってんだろうな?」
凄むモノクローム。
「……っっ!」
亜莉紗の声が嗜めるように言う。
「いい? モノクローム。力で押さえつけられているであろう人間を、力でどうにかしようとするのは駄目。そんなことをしたら、より強い力が現れたとき、“また流れてしまう”から。……そういう子にはシンプルに、賄賂を渡せばいいのよ」
至極当然のように答える亜莉紗。
「お金なら、マイナスになることは無い。より高い金額で買収する人間が現れたとしても、彼にとって、あなたが“情報を話すことで確実にお金をくれる存在”というプラスの認識になることで、かなり裏切りを防げるわ。どうせ、これっきりの関係だしね」
「……ふん」
言われた通り、亜莉紗から前もって準備していた封筒を渡す。
「え……?」
「人一人の居場所を教えるには、過ぎた額だがな」
「!」
袖の下の中身を確認した男は機嫌を良くしたようで、胸元のポケットからメモ帳を取り出し、書き殴る。がりがりと一頻り書き終えたところでその一枚を破り、モノクロームに手渡した。
「色々書いた! あの人の行動は把握してる。これでチャラだぜっ」
「ち、ちょっと待て。もう一回……」
そう言ってモノクロームがスマホを取り出そうとしたが、男は悠々と部屋を出て行く。
「あ」
亜莉紗とはまた違うが、あちらのペースに呑まれてしまった。
渡されたメモをアプリで読み込むと、かなり細かい情報が入っていた為、男を追わずに、一旦はこのメモを信じ、頼りにすることにした。
明くる日。
九六部はメモに書かれた一つ目の場所である中華料理屋に来ていた。
男のメモ通りであった。内容としては、龍の一日の移動場所が書かれていた。ルーティンとでもいうべきだろうか。何時にはここ、何時にはこの場所、と事細かに書かれていたのだ。
ようやく、お目当ての人物を拝むことが出来た。
店内の端に九六部は座っている。聞き耳を立てているのがバレないように、窓際でパソコンを立てながら仕事をしている風だ。テーブルにはスマホを伏せて置いてある。今度は集音性の高い特殊アプリを使って亜莉紗へと伝えているのだ。
何やら商談らしい。要人らしき人間と話している。護衛の依頼では無いだろう。最近は地下闘技のビジネスに注力しているというデータは取れているし、何よりその要人にはすでに四人の護衛が付いているからだ。
新しい招待客か?
スマホとは別に、パソコンで亜莉紗にチャットで質問する九六部。話している内容からそう見て間違いない、との返答が返ってくる。特段、ラプトルに関してのことは話題に挙がっていないらしい。やはり、“個人で楽しんでいる”のだろうか。はたまた、来た人間へのサプライズかもしれない。どちらにせよ、ここの要件はスルーしてよさそうだ。
続いて、少しこじんまりとした雑居ビル。
いかにもといった装いで、そこはチャイニーズマフィアの男達で溢れ返っている。流石に“戦闘を避けて”ここへは忍び込めないということで、九六部は遠くのビルの屋上から双眼鏡を使ってその様子を観察していた。
(っと。ここは、以前から継続して雇われているところで、必要な時以外は円滑な関係維持の為、食事だけをする場所、か)
確かに、重要な話をしているというよりは、ただ談笑を楽しんでいるように見えた。それで、終わると思っていた。
何やら室内にボロボロで入ってくる男がいた。部下の中でも下っ端らしき男は激しく問答をしている。束の間、一閃の光が視界を瞬かせる。
「!?」
九六部が再度双眼鏡を覗いたときには、男は“黒焦げの焼死体”へと化していた。
「!」
警察か他のマフィアとの抗争。これは推測に過ぎないが、今しがた行われた行為が“示しをつける為”の制裁ということは明白であった。
人を一人殺した。この“モノクロームの目の前で”。
「……奴はラプトルに止められようが殺す。決定事項ではあったがな」
亜莉紗は何も言わずに承諾を意味させた。
雷を放つというのは本当だった。龍は右手から、“人を殺す威力”の電流を放出したのだ。
電気人間に対応する術があるのか。それは“ダニエル・シェーンウッドの両肩に掛かっている”。
午後四時を過ぎた頃。
次は海外進出もしている日本の企業、バーサトゥルコーポレーション。その香港社に来た龍。
こんな公的な企業に来て何の用があるというのか。まあ、疾しいことがあるのは見て取れる。
ここは、外では何をしているかの把握は難しい。期せずして、当初のモノクロームの考え通り、“潜入”をする形となった。変装など、スパイ映画の中にでも入っているようだった。
あくまで“普段出社しているように”中へ入る。
シャツにネクタイ。まさに普通の格好だ。映像の共有も必要な為、ダニエルが造った、超小型高性能カメラを搭載したネクタイピンをつけている。すると社員の一人とぶつかる。
「あっ、申し訳ないっ。悪かった」
「あ、いえ……」
女性社員の一人は持っていた鞄を落とす。雑な性格からか鞄の留め具が外れていたのを九六部は見逃さなかった。
飛び出た中の書類を共に集めるフリをして身を屈め、ぶつかった際に女性の胸元から盗んだ社員証をポケットに入れる。
「ありがとうございますっ」
女性は日本語だった。日本の企業だからか、日本人が居るのはなんら珍しいことでは無いらしい。状況に救われた。頭を下げ、その場を後にする。
龍を見失わないよう尾行する。
「コソコソするのは性に合わないな……」
社員証を使ってID認証を擦り抜ける。
「あなたそんな物盗んで、あの子はどうするの」
通信を通して苦言を呈する亜莉紗。
「ちゃんと返すさ」
「どうやって」
「本人のロッカールームにでもぶち込めばいいだろう」
「……女子のロッカールームよ!?」
まるで何の問題も無いかのように述べる九六部に驚きを隠せない。
「べつに覗きが目的じゃないし、人の居ない時を狙うなら問題無いだろ」
「倫理観どうなってんのよ……(いや、ヒーローとかいう頭のおかしい人種に倫理を求めても無駄か)」
改めて、彈や九六部がいかにネジが外れているかを再認識させられた亜莉紗だった。
そうこうしている内に、どんどんと階を進んでいく。目当ての場所が決まっているようだ。すると、数人の男と歩いていた龍が立ち止まる。
「隠れて!」
亜莉紗の声より速く、九六部は通路の曲がり角に隠れる。
足音がゆっくりと近づいてくる。
「なんとかやり過ごして……!」
同時に、九六部のいる通路の奥から、談笑に耽る社員の集団が現れた。龍が角を曲がる。
「!?」
社員達は奇妙な格好をした男に驚く。
「えっ……? え?」
龍の後ろから高い役職らしき男が現れた。
「龍、どうしたんだい?」
社員達はその男の顔を見るや否や、快活に挨拶する。
「あ、お疲れ様です!」「お疲れ様です!!」
「うんお疲れお疲れ。この人のことは気にしないで」
男はそう言っていかにも部外者であろう龍の肩を持った。
「……」
龍は何事も無かったかのように元の場所へ戻り、歩みを進める。社員達は胸を撫で下ろし、エレベーターを使って下へ降りていった。
(どうにか気づかれずに済んだな……)
人混みに紛れ、近くの部屋に入ることで、九死に一生を得た九六部。
また、尾行を再開するべく角を曲がる。
「誰ですか? 貴方———」
龍と鉢合わせる。
鋭い眼光は、こちらに疑いの目を向けていた。
「す、すみませんっ。今下へ降りるところでして……」
またも後ろから男が出てくる。下手なことは出来ない。目線・鼓動・汗。あらゆる点で動揺がばれる訳にはいかない。
「ん? 君は?」
「……品質保証部の玉置です。この間の子供用菓子の味の差異についての分析結果が出たので、今から製造部と食品開発部に共有に行くところでして」
男は合点がいったように明るく返答する。
「お〜! そうかそうか! うん頑張ってくれ給え。さ、行くぞ。龍よ」
男は些事に時間を割いている余裕なと無いといった風に龍を急かし、連れて行く。
「お疲れ様ですっ」
九六部は深々と頭を下げ、二人を見送る。
「……今日のところは引き返しましょう」亜莉紗が言う。
(その方が良さそうだな)
踵を返し、エレベーターへ向かう。
「貴方!」
扉の前に着いた時、大きな声で呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと振り返る九六部。
「体つきが良いですね。“何かやっているんですか”?」
がっしりとした体格はシャツの上からでも充分に分かる。一介のサラリーマンには見えないのかもしれない。
「て、テコンドーを少々……」
龍は納得がいったように言葉を続ける。
「なるほど……。頑張って下さい」
「は、はいっ。ありがとうございます」
そう言ってすぐにエレベーターへ乗り込んだ。
背中から汗が噴き出る。
「助かった。辻本亜莉紗」
「間一髪だったわね……。次はスムーズに入れるよう、ここの社員としてデータは全て偽造しておくわ。品質保証部の玉置って設定。忘れないでよね」
「ああ。分かってる」
予期せぬ形で退散することとなった。やや警戒が高まっている危険性を踏まえ、龍への尾行は、五日の間を空けることにした。
二人の胸中に焦燥感だけが募っていくばかりであった。