57.賭試合
「聡、こんなとこで何してる? でも、お前が居て心強いよ」
「奴、何話してる?」「さあな」「試合前なのに呑気なモンだ」
会場は歓声で溢れかえっている。さそがし人気な興行であることは明白だ。
次に控えるはいよいよ彈の試合。マッチメイクから何まで龍が取り仕切っていると言う。自分がどうなるかというのは想像出来る。
身を粉にして働いてもらう。奴はそう言っていた。ならば、この闘技場のようなところで嬲られ、半殺しのような状態でこき使われるのが関の山だろう。ラプトルのネームバリューもビジネスに役立つのかも。
手枷・足枷を外され、入口付近に立たされる。
「ヨバレタラ、イケ」
薄暗い”裏”とは違い、会場は眩い光に包まれていた。何かを叫んでいるのが聞こえるが、言語が違えば、歓声でニュアンスを汲み取ることも出来ない。横の男の一人に臀部を蹴られる。自ずと、体は前に出た。
耳を塞ふさぎたくなるような声が会場を震わせる。
眼前に立つは恐らく対戦相手。彈と同じ見窄らしい格好をしている。傷だらけの体にぼろぼろのテーピング。ここでの生活が長いことが見てとれる。
「ジャルイだ。お前強いのか? やけにあの人が買っていたようだが……こっちも仕事、いや仕事以上に“命”が掛かってる。程々にボコらせてもらうぜ」
彼の言葉は分からない。首を回し、拳の関節を鳴らしている。準備万端といった風だ。彈の心の浮わついたまま、開始のゴングは鳴らされた。
「さて、初戦。これまでじっくり待った。与えた一日三食の食事もしっかりと食べていたようですし、体の方も特に不調はないでしょう。……あなたの力を存分に示しなさい」
ジャルイが先手を打ち、思い切り殴りかかる。
プロ格闘家並み、世間一般的に一流といっても差し支えないだろう。しかし、銃弾の雨を掻い潜った経験のある彈にとっては”のろま”という他なかった。
“拳は彈の顔を振り抜いた”。頬の内側が切れ、少量の出血を許す。続けて斜め上方向に蹴り上げるミドルキック。重たい衝撃が彈の内臓に響く。
「ぐっ……」
「おらァッ!」
ジャルイのアッパーが見事に決まり、彈は地面に膝をつく。湧き上がる歓声に応えるようにジャルイは両手を掲げる。ふと、視線の先に龍を見つける。あまり芳しくない表情だ。すぐさま逸らし、彈に向き直す。
「ん゛んっ! あー、まだヤレんだろ?」
(弱い、弱過ぎる。体はそこそこのモンしてるくせによ)
腰を下ろし、彈の目線の高さに合わせる。
「お前得体は知れねえが、各所で相当の恨みを買ってるみたいだな。主に“こっち側”の。日本語は難しいけど、まあ伝えるか……こほんっ、オマエハ“フコウノトリ”。ホンキダセ。え〜、ツジモトアリザ、ダニエルシェーンウッド……サノアイカ」
ジャルイには目を見開き動揺している彈の姿が映った。僅か一瞬の事だった。
指先がぴくりと動く。たったそれだけのこと。
「!」
ジャルイの中の危険信号が最大の警戒を齎す。間合い一人分の間隔を即座に空け、後方に跳ぶ。しかしその獰猛な獣のような気配はすぐに消え、先程までの戦意の欠片も無い男が再びそこに現れた。
「お、驚かせやがって……」
攻撃を再開する。まるで全ての攻撃を受けるサンドバッグのようだった。威力を受け流すでもなく、ただの屍と化している。
ジャルイにも手応えはあった。彈が倒れたままならまだしも、殺してくれと言わんばかりに”立ち上がってくる”からだ。
だが、まるで致命傷を与えられない。龍からは最大限の挑発を命じられていた。その為のキーワードのようなものも教えられた。もちろん、急なことだったので少し拙い部分もあった。
とは言えどもこれは闘争の興行。なんだかんだ最後は盛り上げて勝ってしまえば報酬を貰える筈だ。今回の対戦相手は特別なようだし、今までと桁違いな名声も得られるだろう。
ジャルイは決心した。
「俺の人生の、礎になってもらうぜっ!」
滅多打ち。肉を叩く音が幾度も耳を突き抜ける。鈍い。
額。拳。肘。膝。脛。足底。爪先。全身を無抵抗のまま打たれ続ける。歴戦の耐久力があれど、こうも一方的ではいずれ限界は来る。それに、“今の彼”では。
ジャルイの動きにキレが無くなり、息が上がりきった頃、彈の体は地に伏した。錠を外したことに意味など無かった。まるで全身が硬い鎖に繋がれているかのように、彈は動こうとしなかった。
湧き上がる客に呼応し、右手を高らかと挙げる。彈はボロ雑巾のような体をすぐさま搬送され、会場を後にすることになった。
「なんでだっ! 俺は試合を盛り上げた! あんたアイツに賭けてたのか!? オッズのことは分からんが、成果の程は見せた筈だ!!」
ジャルイの必死の弁明に耳を傾ける程、龍という男は寛大ではない。
「期待外れだ。井戸の蛙よ」
「や、やめろ……やめてくれえええ!!」
落雷にも似た轟音が、男の体を貫いた。
「ふんっ」
踵を返した龍の後ろには、黒々とした焼死体が煙を上げているだけであった。
彈がここに閉じ込められてから、毎日のように試合に駆り出され、見世物として痛めつけられる日々が続いた。次々と敵意を剥き出しにする屈強な男達の攻撃にも、やがて飽きが生じる。周りの人間から収集した情報によれば、今は四月の下旬、大体二十五、六日くらいとのことだ。
彈が悪人を憎み始めてから、実に一年もの期間が経過していた。
(改めて考えれば、もうそんな時が経ってたのか……)
食事や睡眠による回復など、この劣悪な環境では見込める筈もなく。
今までも激しい戦いで全身を傷だらけにしてきた。それは裂傷や打撲など様々。一方で、こちらはただの人間の殴り合い。しかし、ダニエルの装備もなければ抵抗の一つもしない。そうすれば、以前以上に体がひどい状態になるのは歴然だ。このまま衰弱して死ぬのかもしれない。それもいいか。
彈は自らに、生への執着が薄れていっているのを自覚していた。
なんだか、異国の地で社会から隔絶された空間にいるせいか、”ラプトル”の記憶があやふやだ。あの激動の日々が朧げにさえ思える。
「ん、勇希……久しぶりだな。え? 痩せた? そんなことは……。むしろ前より筋肉はついたと思うけど。ん? ”前”……?」
地下牢獄に設置してあるリアルタイムの監視映像を眺める龍。
(あれから十人程は試合をさせたが、未だ反撃の様子は見られないな)
何事も、”反応”が無ければ面白みに欠けるというもの。
「絶命を危惧して一日一試合にとどめていた事が裏目に出ているのか? それとも、奴を奮い立たせるにはもう一つ、“強いトリガー”が必要か……」龍は掌に宿る稲妻を見つめる。
いや、よく考えろ。
抜け殻のようになったラプトル。調べでは原因は度重なる身辺の不幸によるもの。ただ奴を絶望に陥れるだけでは同じこと。これ以上は再起不能になってしまうだけだ。
面と向かい、“焚き付ける”必要がある。
話がある、そう言った龍により牢の外に連れ出された彈。待合室のような所で二人きりになった。戦う気力も見せずにいた彈に警戒の必要は無く、そもそも一流の殺し屋に護衛など不要だ。
顔の前で手を組み、彈を眺めたまま黙っている龍。気味が悪かった。
「そんなに警戒しないで。何も取って喰おうというわけじゃありませんので」
「……よく言う」
布製のマスクの下で奇妙に笑っているのが鮮明に見えるようだ。
「最近の調子はどうです? 一切の抵抗なく、やられているようですがそれと、“同じ人種の仲間”にも心を開いて下さい」
疑いの目を向ける彈。
囚われている身だからといって、見ず知らずの、それもワケアリな臭いしかしない人間を信用しろという方が無理な話だ。
「……何故日本人がこんなに居る。言葉を交わした皆が日本人だった」
「ええ。全員そうですよ。……サクラなんて思わないで下さいよ? 単にここは“日本人専用の収容所”というだけです。ここ同様、監獄を装い、捕らえた人間を”死ぬまで戦わせる”ビジネスは各所で行っています。国ごとにね。もちろん、国際問題に発展する可能性があるので国は容認していません。我々の独断です」
やはりアンダーグラウンドな者達の行いか。もはや苛立ちも湧かなかった。
「ただこのまま死ぬ気ですか? 下等な人間の日本語では伝わらないものもあったでしょう。日本の友人が、仲間が、知り合いが、心配ではないですか? 今頃あちらも心配していますよ。あなたの家を調べ上げたのです。他の所在くらいわけありません。危険にさらしたくなければ戦って下さい。……皆が貴方のように強くはないのですよ?」
口を閉ざしたまま鋭い視線を送る彈。
龍は本気だ。このままでは亜莉紗やダニエル、愛夏に危険が及ぶというのは本当だろう。もしかすると警察や学生の知人にも魔の手が迫りうるかもしれない。だが、今の自分に生きている価値があるのか。甚だ疑問であった。
己の私欲に身を任せて犯罪者や悪人に制裁を加える。自らで選んだ選択。その過程で大切な人を巻き込んでしまっている。
“考え”は変わらなくても、結果として不必要な犠牲を出すという大きな弊害。死人や怪我人。心を壊してしまったであろう者もいる。
それより第一に、”今の自分は正気では無い”。
こうして人と話している最中も、“故人である友人二人の姿が視えているのだから”。
「……わかった。やるだけやってやるよ」
「そうこなくては」
龍の目的は分からない。推測だが、自分と同じ“私情”を挟んでいるように見える。雪辱を果たすことが望みか。
その要望、叶えてやってもいい。