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際限なき裁きの爪  作者: チビ大熊猫
第3章.墜落
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56.香港


「おーい、震条は?」

 震条のアルバイト先である土木工事の作業現場。先輩である武田が近くの同僚に訊ねる。

「あれ、来てないのか? 遅刻か? 珍しいな」

 武田は辺りをもう一度見渡す。

「心配か? 武田ぁ。まあ若者だしサボりくらいあるだろ」

 同僚の一人が土砂運搬の台車に腰掛けながら言い放つ。

「口数の減ることはあっても、無断欠勤するような奴じゃなかったんだけどなあ」


 またしても頭の中がぐらぐらと暗雲立ち込める雷のように重く鳴り響いていた。ぼやけていた視界が徐々に鮮明さを取り戻していく。

 暗い。冷たい。臭う。彈は何か埃の被った石づくりの床の一室の中にいた。意識がはっきりしていく中で気づいたことがある。

 両手には硬い鉄の錠が。両足にも、満足に脚を広げられないであろう鎖が繋がっていた。全身の衣服も、ほつれたズボンが一着のみ。上半身は裸、靴さえ無い。

 記憶を辿る。

 自宅へ向かう途中、壊し屋の龍に遭遇したことを思い出す。久しぶりに会った奴は奇怪な力を身につけていた。雷人間になった奴の攻撃によって気を失ったのだ。あれからどこかに連れて行かれたのだろう。早い話が拉致だ。その最中で身ぐるみを剥がされたのだ。こうなっては”ラプトル”の影はどこにも無い。ただの”震条彈”という一人のただの男だ。

 食事もまともにしていなかった為、四肢にも力が入らない。ひどい空腹感が襲ってくる。

「……っっ! 殺される、のか。俺は」

 かなり自分を恨んでいるように見えた。大方、無惨な殺され方をするのだろう。

 指先が震えている。

 今まで幾度となく自らの身を危険な目に遭わせてきた。命など顧みずに。

 だが、こうして目の前に逃れられないであろう死が、それも激痛を伴うであろう死があるとなると、人は恐怖するものなのだ。心の強さや我慢強さなどは関係がなかった。つくづく、自分が情けなく感じた。

「……あァ!?」「おらっ!」「ごほっ、ごほっ!」「うぅぅ……」「ひっ」

 耳を澄ませると微かに声が聞こえる。自分以外にも人間がいる。それも一人や二人ではない。

 同じ捕らえられた人だろうか。ここは独房で、たくさんの犯罪者が捕まっている監獄のような場所なのか。

 脚の鎖は両足首に繋がれているだけで、“壁に繋ぎ止められてはいない”。肩幅程の鎖。何とか体を起こし立ち上がる。よろよろと檻の外側、鉄柵の方へ近づく。夜目が効いてきた。彈は、自分は通路の端、最奥の一室にいるのだとわかった。

 目の前に広がる先の見えない通路。右や左には同じ独房が等間隔で何個も連なっている。同じ格好をした見窄らしい男達が各々呻き声を上げていた。皆、食べ物を求めたり、隣の房の者と怒鳴り合いをしたり、ただ絶望に打ちひしがれている者もいる。

 ひどい光景だ。いや、いずれ警察に捕まれば同じ景色を見ていた。それが少し違う場所で早まっただけだ。

 もう俺に、生きる意味も何もないのかもしれない。大切な人達を喪い……失った。

 石や鉄の静かな空間に、男達の啼き声。そこに、異様に響き渡る数人の足音が近づいてくる。足音が聞こえてくると同時に囚人達の声は小さく、その様子は大人しいものになっていった。

 暗闇の中、奥からランタンの灯りがその光を強める。やがて足音の主は彈の目の前で止まった。

「……やあ。お目覚めですか、ラプトル」

 龍は配下を二人程連れ、彈の様子を伺いに来たのだ。

「彈。震条彈だ。もう、ラプトルじゃあない」

 無気力なまま返事をする彈。

「素性など興味はありません。……何ですかその様は」

 呆れている。ほとほと嫌気が差す。

「殺せよ。拷問なりして好きなだけ甚振って殺せ」

「……腹立たしい。あなたにはもちろん苦しんでもらいます。ただ、安直な身体的苦痛を与えるのではつまらない。ここがどこだか分かりますか?」

 龍の口ぶり、東京では無いことは分かった。そもそも気を失ってからどれだけの時間が経ったかも定かではない。日本にわざわざ自分を殺す為にやってくるような男。国外の可能性も浮上する。

「皆目見当もつかないな」

「私の街、———香港(ほんこん)ですよ」

 初めて訪れる異国の地に動揺する様子は見せない彈。

「…………そうか」

 龍は溢れそうになる怒りを殺しながら彈へと語り続ける。

「強がっても無駄ですよ。あなたは”ここの商品として”私が満足するまで最低でも十年は身を粉こにして働いてもらいます。その後で、じっくりと殺して差し上げましょう」

 商品。その言葉がもたらす意味は今はまだ分からない。しかし、自らに過酷な試練が待ち受けていることは想像に難くなかった。

 龍は左手を顔の前に持ってくる。その手にはあの時同様、雷が纏われていた。

纏雷(てんらい)……だとか。最近は昔の名を捩り、燃やし屋の龍、なんて呼ばれたりもしています」

 “あれは”夢なんかでは無かったのだ。

 また厄介な敵が出てきたものだ。もう、私刑人でもない自分には関係の無いことかもしれないが。

 周りの囚人達が雷の光にひどく怯えているのに対し、彈は全く変化が無い。何を言っても、何を見せても無駄なのが分かった。

「ちっ」

 龍は一瞥し、踵を返した。


 今のところは許してあげます。まだ意識が混濁しているのでしょう。

 全力のあなたを倒すことに意味がある。私の強さの証明の為にも、あなたには長い時間をかけて、凌辱とともに再起して頂く必要がある。


 右手の一番近い独房から男が彈に話しかけてくる。

「お、おいっ。あ、あんた何モンだ? あの龍にも臆さずに、あのバチバチを見ても動じなかった。ま、まあとんでもないことしでかしてないと、こんな所にブチ込まれてあんなに警戒されるわけないわな。ひひっ」

 男は痩せこけ、歯は抜け落ち、体には無数の痣やシミが色濃く残っていた。


 この日から一週間。

 最低限の食事以外は、何もしてくる気配の無いまま時間が過ぎていった。


 ここの生活にも慣れてきた。

 ある程度のことが分かってきた。ここはただの刑務所というよりは“不都合な人間”を閉じ込めておく収容所のようなものだ。囚人達は、ただ罪人が捕まったからここにいる、のではなく、龍の依頼の標的になった者がほとんどだという。

 もちろん大半は帰らぬ者となってはいるが、殺す必要の無い、言い換えればまだ利用する余地のある人間などは生かされているという。中国での要人や閣僚、裏の世界の爪弾き者など様々な人間がいた。

 そしてもう一つ、ここが地下であることが分かった。見聞を擦り合わせた推測の域を出ないが、何やら”上”が時折騒がしくなるときがある。

 何が行われているのかは誰も分からないらしい。そもそも、こうやって質問する彈が来るまではお互いに話したりすることは無かったという。既に彈は、最低限の声で届く、左右二人ずつ、計四人の囚人と話すようになっていた。こうして情報を共有出来たのは大きい。

 ランタンの灯り。

 食事の時間に周りの囚人達も浮かれているようだ。一日の唯一の楽しみ。五感も研ぎ澄まされるというもの。

 だが、今回は肝心の甘美な匂いはしてこない。つまり、拷問や何か他の用途に使われるということだ。拷問ならば傷だらけで帰ってくるだけまだマシ。他の用途で連れて行かれた者は帰ってこない。

 この一週間で三人の帰らざる囚人を見た。

 ランタンは彈へと近づき、遂にはその前までやってきた。彈は拷問で連れ去られることすら無かった。故に、今が自分にとって良くない状況なのは分かる。

 男は鍵を取り出し、彈の鉄柵の錠を外し、檻を開ける。

「出ろ」

 彈は無言のまま立ち上がり、指示に従う。周りの囚人達は不安そうな目を向けていた。

 上へ上がっている。

 話通りなら地上へ出られるのだろうか。だが未だ地上に出た気配は無く、重たい空気が蔓延していた。

「……」

「怖いのか? お前のことは詳しくは聞いていないが、若いのに龍さんに目をつけられるなんて何者だ?」

「……? あ、そういえば」

「? あぁ、お前日本人だったな。言葉が通じねえのか。まあいいや、どうせ言語の壁なんて関係ねえよ」

 男の広東語を聞いて初めて気づいた。何故あの囚人達は日本語を喋れていた?

 元要人というだけあって語学に精通しているのか。それとも、“全員が日本人なのか”。

 ゆっくり、ゆっくりと人の歓声が聞こえてくる。少数ではない。とにかく、大勢だ。階段を登る作業は終わり、たくさんの部屋を抜け、通路を突き進む。

「一度ここを見ておけ」

 男が開いた扉の先には眩い光と共に血と汗が充満する空間が広がっていた。

「これは……」

 まるでローマのコロッセオ。円状の会場を舞台に、その周りには高所に観客席が所狭しと用意されている。

 中には同じ囚人と思われる身なりの男達。観客席には金品煌びやかな富裕層と思われる者達。まさに見せ物。興行。貴族の娯楽であった。それが、社会的価値の無くなった者達を命懸けで戦わせる外道の遊びであることは容易に判断できた。

「ラプトル。待っていたよ」

 観客席の合間を縫って龍がこちらに来る。

「これから君もあそこで血塗れになり日夜戦うんだ。勝っても負けても何もないけれど。ただし、使い物にならなくなったら殺す。それがここのルールだ」

 龍は流暢な日本語でそう嘲る。

「……好きなようにしろ」

 彈はそう言って俯いた。

「そうはいきませんよ」

 龍は配下の者にその場を託し、戦う囚人、ここでは”選手”と呼ばれている者達の元へ向かう。配下の男は拙い日本語で彈に指示する。

「スグ、シアイ。ジュンビ。……コイ」


 龍は次の次に試合を控えている選手に声を掛ける。

「お前がジャルイか。体の調子はどうだ?」

 体に無数の傷をつけたツーブロックに強面の男。

「あん? ……! あんたは、ろ、龍。ち、調子はばっちしだ。俺はここじゃあ負け無しだからな」

 龍は意地悪な表情でジャルイに問いかける。

「ならばその傷はなんだ? お前は確かに強い。十二戦負け無しだからな。だが、その実、毎回圧勝というわけではないだろう。いいか? 次当たる相手はおそらく“弱い”。とてもな。だからといって瞬殺はするな。奴に本気を出させろ。奴の闘志を引き出せねば、私がお前を殺す」

 ジャルイは生唾を飲み込む。

「いいな?」

 大きく何度も頷く。

「安心しろ、ある程度の享受はしてやる」


 あれで終わりなどと。徒手格闘では私が最強。譲れない。その為にプライドを捨て、鍛え直した。

 本気の奴をねじ伏せてこそ、リベンジは果たされる。


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