47.特訓
彈は三人と共に、亜莉紗がテナントであるビルの空き部屋に来ていた。
物も無く、人目につかず、体を動かすのに適している。
「いいよ」
私服で素顔を晒している彈。今日は昼間、仕事は休み。わざわざラプトルの格好で注目を集める必要は無い。彈が右手を前に出し、挑発するように指先をぱたぱたと動かす。
「いきます」
誠は全力で彈に殴りかかる。もちろん、能力は使わないというルールだ。素人の高校生の大振りなど彈には子供と遊んでいるようなものであった。
「攻撃の動作が大きい。もっとコンパクトにした方がいい」
誠の拳、蹴りを捌きながら指南する彈。
「それこそ、鷸水さんにボクシングを教えてもらうのがいいかも」
彈はそう言って薊瞰の方を見る。
「やだよ、めんどくせえ」
薊瞰は手を払い一蹴する。
「これだもんな」
誠は見様見真似でk-1選手のような動きをする。
「ふっ!」
「うん、意識しないよりは良い。脇を閉めて、そう。足は小刻みに動かして……ジャブは、そんなに固くならずに軽くでいいと思う。なんなら拳も握らなくて良い。はたく、みたいなイメージで。反対に、ストレートやフックとかは当たるインパクトの瞬間にぎゅっと力むイメージで。うん、そうそう。足技も、素人が大振りの蹴りを当てるのは難しいと思うから多用はしなくていい。やっても膝蹴りや脚払いくらいで」
手取り足取り。教えれる範囲は全てを誠に吸収させる。レッドが自分にそうしたように。
彼は戦う技術を身に付けさせても問題ない人間だ、彈はそう考えていた。
「体捌きとかは、おいおい慣れていくしかないね」
彈は誠の相手をしながら会話を続ける。光子と薊瞰はそれを傍で見ていた。光子は左手のキャラメルフラペチーノを口にし、薊瞰を見る。
「今日はなんで来てくれたんですか? 誠くんやラプトル様に突っかからないでいてくれるのはありがたいですけど」
「あ? そりゃ協力するっつったからな。あの女と忍者野郎も割と面白そうだし。それと、ポルターガイスト君は諦めたわけじゃねえぞ? ああやって力つけてくれてるんだ、後々喰った方がオイシイだろ」
光子は苦笑いで頷く。
「あはは、なるほど」
組手の最中、思わず誠が力を使い一瞬離れた彈の顔を殴る。
「あっ!」
彈の口から血が流れる。リーチがほぼ無限というのは、圧倒的な力を誇る、そう身をもって思い知った。
「すっ、すみません!」
「……いいよ。焦らなくて良い、ってのは違うけど、そんなすぐに一朝一夕じゃ技術は身につかないよ。俺が教える立場なら余計にね。敵と対峙するときは、即席でも今持てる力を組み合わせて全力で立ち向かわないといけない。積極的なのは良いことだよ」
そう言って彈は口の血を拭う。
「御門悠乃の操る一般人を、傷つけないように無力化するのには一撃で昏倒させるのが有効って伊勢君のときで分かったけど、無理にする必要は無い。リスキーで危険な行為だからね。美波野君には応戦・護身としての力を身につけて欲しい。あ、一応護身術なら深鈴さんにも教えておいた方がいいかな?」
光子の方を見ると目をキラキラさせこっちを見ていた。
「是非!」
特訓は、日が暮れるまで続いた。
元々芯の強い二人だし、美波野君や深鈴さんは順調にいけばそんなに心配は無さそうだな。特に美波野君は今まで襲われてきたっていう経験が活きてる。鷸水さんも今のところは特に問題は無い。ダニエルも“新装備”を考えてくれているって言ってたし、マキビシや御門悠乃の二人がゆっくりと待ってくれるといいな。まあ、あまり悠長なことも言ってられないと思うけれど。
彈は久々にhavredepaixの店内でゆっくりとしていた。客足が一段落した円環が近寄ってき、空いている彈の前に座る。
「いい天気ですね」
「えっ? ああ、そうですね」
「考え事ですか?」
ここは居心地が良い。つい時間の流れをゆっくりと感じてしまうようだ。
「ボーっとして。また大変そうですね」
すぐ顔に出る癖をなんとかしなければ。
「別に、何でもないですよ。何かと心配かけちゃいますね。……チーズケーキまた美味しくなりました?」
世辞では無い。日を追うごとに味が向上しているようにも思う。やはりここは無二の場所だ。ある意味では、ラプトルではなく震条彈としての時間を満喫できる唯一の時間足りえるかもしれない。
「またまた〜、褒めても何も出ないですよ? サービスとかもするほど余裕無いですから」
「そんなつもりじゃ」
「あはっ、冗談ですよ。ありがとうございます。けど、私のメニューのリピーターなのはありがたいんですが、たまにはお婆ちゃんのメニューも食べて下さいよっ」
「また、今度ね」
彈はhavre de paixに来る頻度が下がっていた。変わらずに高頻度ではあるが、以前は毎日通っていたというのに。
単純に忙しくなったことが理由だが、円環には極力悟られないように振る舞っていた。
「ありがとうございました。送りますね」
そう言って円環は彈と共に店の扉を開け、外に出る。眩しい日差しが彈を照りつける。
「もう春か……大分あったかくなりましたね」
「ですね。……?」
「?」
円環が何かを見ている。視線の先を見る。道路を挟んだ反対側、そこには買い物袋から中身をこぼし落としている男性がいた。
「あんな古典的なドジを踏む人いるんだ……」彈はある意味感心していた。
「あの人、どこかで会ったような……?」
円環の疑問を聞き、再度よく観察する。男性は上下デニムの服を着ていた。
「ん? ……あ! 何ヶ月か前に恐喝に会ったとき、助けてくれた人ですよ!」と円環。
彈はすぐに思い出した。
「あ! そ、うですね……いや、それ以外にも……?」
と、こうしちゃいられない。彈は円環に目をやる。
「あのっ、レジ袋二枚くらい貰っていいですか?」
「やってしまった……」
「大丈夫ですか?」
袋が破けている。何も入れるものが無いからだろう、両手に抱えて持ち運ぼうとしていた。それが、無茶なことは遠くからでも分かった。
「これ、使って下さい」
彈はレジ袋を広げ、一枚を手渡し、もう一枚の中に落ちた中身を入れていく。
「あ、ありがとう。君は、良い人だね」
「いえ」
猫? の缶詰がたくさんある。それ以外にもペット用の餌などが多く見受けられた。レジ袋一枚では心許ない筈だ。
「ん? 君は……」
「以前、強盗まがいのところを助けられました」
「ああ、あの時の……!」
「お店から出たらあんなだったので……つい」
微笑みながら二人で歩いている。池袋駅までの帰路が一緒だったからだ。
「恥ずかしいところを見られたな。おっと」
駅まであと十分くらいだろうか。道の傍に猫が捨てられていた。段ボールも草臥れていて、数日程度ではあるだろうが雨風に晒されていたのが分かる。
男性は足を止めてしゃがみ込み、その猫に目線を合わせる。
「どうした? こんな所で。……捨てられたか」
どこかでこんなような光景を見た覚えがある。猫、背の高く、少し穏やかな雰囲気の男。
「…………!」
“思い出した”。
「猫が好きなんですか?」
彈が問いかける。
「ああ。いや、動物が好きなんだ。ペットショップで働いていてね」
「なるほど。こんな可愛い子猫、好きな人なら見つけた途端撫で回しそうですけどね」
「ははっ、俺、”猫アレルギーなんだ”」
「!」
予感は確信に変わった。道理でなんだか見覚えがある筈だ。
「……“血の鎧の男”……」
場が静まり返ったような雰囲気に包まれた。背中越しでも男が動揺しているのが分かった。
「……何? それ」
彈は同じく子猫に目線を合わせるようにして真横にしゃがみ込む。
「俺……“ラプトルです”」
「…………ええ!?」
あっけなく正体を明かした彈。男は目を見開き、彈の全身を隈なく見る。
「あ、あれほどお互いの正体は詮索しないよう言ったのに」
「! すみません、忘れてました……」
ため息を吐き、男は立ち上がる。
「君、物腰が柔らかくなったね。あの時はもう少しとげとげしてたよ」
自覚は無かった。まだ活動もままならず、余裕が無かったからだろうか。
「ここで拾って駅に行くわけにも行かないし、また戻ってきて近くの動物愛護センターにでも行くかな。……俺は武燈習碁。武燈でいい」
習碁は立ち上がり右手を差し出した。それに彈も応えた。
「彈、震条彈です」
習碁は握ったままの右手を引き、耳元で囁く。
「俺は争いごとは好まない。くれぐれも厄介事には巻き込まないでくれよ?」
そう言って習碁は彈に釘を刺した。