27.矛先
両手が買い物袋で塞がっている。
それに娘と娘を捕らえた男とは距離があった。もう一人は牽制役として包丁を、威嚇しながら前方に突き出している。
「こ、こいつがどうなってもいいのか!」
初めての犯行だろうか。言葉がぎこちない。自分が初めて活動したときの相手もこんな輩だったのを覚えている。
「きゃああっ!!」
近くの主婦が声を上げる。通りに人が少ないとはいえ、一人でも女性の悲鳴が聞こえれば、人というのは集まってくる。
こんな場所で白昼堂々恐喝のようなことをすること自体が間違っているのだ。ほんの数人ではあるが人が増えてきた。
(距離さえ詰めればこんな奴ら、わけないんだが……)
初犯の緊張からか慎重に距離をとられている。ある意味目先の相手に油断が無い。
小春さんに傷一つつけさせるわけにはいかない。
人が集まり注目の的となったことによって余計に錯乱している男達。
「落ち着いて下さい!」
「うるせぇ!」
話は通じなさそうだ。
「分かりました! このままだと両手が塞がってるので一旦袋置きますね?」
彈は目線を外さないようにゆっくりと荷物を地面に置く。妙な素振りを見せないように出来るだけゆっくりと腰のポケットから財布を出す。
「こっちに投げろ……!」
彈が要求に応えようと財布を滑らせようとする。すると、集まった人の中の一人が、後ろから娘を捕らえている男に忍び寄る。あまりにも悠々としたその歩みに男は気づかなかった。
トントンと肩を叩き、驚き振り返った男の鋏を避け、ハイキックを浴びせる。即座に彈はもう一人の包丁を持った男を捩じ伏せた。
観衆から声が上がった。
「あらまあ」
娘が泣きそうな顔で祖母に抱きつく。
「大丈夫ですか? こは……」
「怖かったね。“円環”」
……ん?
もしかして……小春って、名前じゃなかったのか……!?
「ごほんっ」
衝撃の事実に動揺しつつも、彈は冷静さを装う。
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
円環は彈と自分を助けてくれたもう一人の男性に礼を言う。
「お客さん護身術でも習ってるのかい? 随分腕が立つんだね」祖母が訊ねる。
「あはは、少しだけ……」
彈は話を逸らすように、蹴りで円環を助けた男性の元へと向かう。
「ありがとうございました。助かりました」
「そんな、礼なんて。なんてことないよ、“今はまだ日が高い”。こういうことに対処出来る人間は少ないからね」
そう言ってデニムのジャケットを着た男性はそそくさと去ってしまった。
「いやー、このきつい目で睨まれながら踏まれたい」
「唐突に何を言い出すんだお前は」
大聖の意見など聞こえていないかのようにアホ面で女性雑誌を見ている智樹。
「お前がグラビアやエロ本じゃなくて女性誌なんかを読んでるなんてな」
ちっちっ、と人差し指を大聖に向けて振る。誠と賢太も興味深々に視線を向ける。
「じゃ〜ん! 御門悠乃だよ! み・か・ど・ゆ・う・の!」
智樹は雑誌を誠達に向けて大声で紹介する。
「確か……モデル、だったか?」
大聖の問いに自慢げに答える智樹。
「そう! 今や大人気カリスマモデル! モデル業だけでなく、女優業やアパレル・化粧品のブランドを立ち上げたりもしてる。まあ、それを抜きにしても、この美貌とスタイル! たまんねえんだよな〜」
智樹の興奮度も頷けるほど綺麗な人物だった。
「おーい、授業始めるぞ〜」
幸い、学校での襲撃の際、誠の能力をはっきりと見た者は少なかった。それどころではなかったのだ。それに、見たところで理解が追いつくような内容ではなかった為、誠の詳細を知るのは警察と学校のごく一部の教員達、そして智樹達くらいのもの。こうして授業も、至って普通に行われている。
「……ことっ、誠!」
小声で後ろの席の智樹が話しかけてくる。
「なんだよ」
「今度さ、俺この御門悠乃のイベント行くんだよ。……一緒に行かね?」
「はあ?」
唐突な誘いに意図を探ろうとする。
「……なんか企んでるな?」
「いやいや! ……ちょっとな。でもでも! 絶対楽しいって! こんな美人間近で見れるんだぞ!?」
随分と智樹の鼻の下が伸びていた。
「言っておくけど、俺の力で何か考えてるなら無駄だからな」
「今度学食奢るからさ〜」
図星だったらしい。
まあ、変に距離を取られるよりは、と誠は変わらない間柄でいてくれる智樹達に感謝した。
トレーニングルーム。
日本有数レベルの充実した設備が揃っている。もうすでに二時間ほど体を鍛え続けている燦護。
「精が出るな」
技術顧問でありジンゴメンの統括である時任が顔を出した。
「あっ、時任さん! お疲れ様です!」
汗を拭い、燦護の背筋が伸びる。
「畏まらなくていい。自主練か?」
ぽりぽりとばつが悪そうに燦護が話す。
「こうでもしないと自分、ダメダメで……この間も鑑先輩に手も足も出なくて」
「ふっ。まあ、うちだと格闘で一番強いのはあいつだからな」
「時任さんと唯一まともな組手が出来る人ですからね……」
今まではそこまで格闘術が活きる場所というのは、そう多くはなかった。だが、ペスティサイドの一件でがらりと変わった。もちろん殺しは無し。催涙弾や睡眠ガス、テーザー銃も有効とは思えない。となると、“同じ土俵で制圧する他ない”。
ジンゴメンは格闘もしくは精神力が強い人間を集めた。
「あいつは確か空手と古武道の熟練者だったか。でも、お前だって選ばれて配属したんだ。自信を持て、常良」
時任からの激励に燦護はより一層練習に励み、高みを目指すことを決心した。
「ありがとう、ございます……!」
「……そういえば、この間飲みに行ったらしいじゃないか。聞いてないぞ」
「えっ!?」
思いがけない時任の言葉。
「上司を誘うのは常識だろう」
「い、いや〜お忙しいと思いまして……」
(なんでお声かけしてないんだよ……確か幹事は山下さんだったよな?)
燦護は思い当たるメンバーの一人を浮かべる。
「はははっ。冗談だ。あういうのは俺や胎田が居ない方が盛り上がるだろ。楽しめてたなら何よりだ」
「ちょっと脅かさないで下さいよ〜! そういうことなら、面白い話があるんですよ。奏屋先輩が悪酔いしちゃって。あの人、あんな顔と性格してキス魔になるんですよっ」
「そうかそうか」
「しかも、沢渡さんなんてあんな怖い顔しといて泣き上戸になっちゃうしで大変だったんですよ〜。それからそれから……」
なんて真っ直ぐなんだろう。俺には眩し過ぎるくらいだ。命を預ける気概があれど、確実に死に向かう歩みを進めることを、そのまま見ていていいのか。
だが、ジンゴメンが現状、多大な功績を挙げているのも事実。時任は突然、燦護の話を遮る。
「常良。お前は、ラプトルやモノクロームをどう思う?」
「へ?」
真剣な表情だったのはすぐに分かった。
「……俺は、人の役に立つ仕事に就きたくて、人を助けたくて警察を夢見ました。世間のイメージやドラマの影響なんてのも大きかったと思います。……正直、彼らが間違っているのかは分かりません。称賛の声も多いし、助けられてる人も多い。けれど、俺は警察になりました。今の立場上、同調はせずに、彼らを捕まえる必要があります。この法治国家で、真に力を発揮すべきは我々だと思うからです。俺は、俺の信じたものの為に、俺が信じた人達と一緒に、成すべきことを成します……!」
「……そうか。貴重な意見、ありがとう」
時任は踵を返し、トレーニングルームの出入り口に近づく。
「オーバートレーニングだ。もう休め」
「あっ、でももう少しやっていきます」
振り返り睨む時任。
「合理的じゃないと言っている。……無駄な努力はするな」
燦護はタコだらけの手を見る。
「っっ……お、お疲れ様でした!」
去りゆく時任の背中に大声で頭を下げた。
二月十六日。
寒さが落ち着き、冬と春の境目にさしかかっていた。刑務所では見張りの男達がいつもの警備の中あくびをしている。
「ふあ〜……んぐっ!」
隣の男の異変に気づき、もう一人が駆け寄るも同じく倒れる。
「へへっ。おら、あと少し……」
入り口で監視カメラをチェックしているはずの監視員の男。携帯ゲームに夢中になっていた。コンコンと窓を叩く音がする。
「今いいところなんだがっ……ん? なんだお前?」
窓下のスペースから銃口が見えた。気づいた時には監視員の脳天は無惨にも撃ち抜かれていた。
サプレッサー付きのベレッタ。とはいえども音など気にせず、窓を乱射し、中に入る。
「え〜と、どこだどこだ〜?」
書類を乱雑に調べていく。
「お、あった。これかあ。判決は重くなったみたいだな……さて、さっさと捕まえてずらかりますか」
カイアスの瞳にはある女の資料が映っていた。