16.きっかけ
あんな事件からもう一ヶ月も経つのか。
今だに人を殴った感覚が残っている。がむしゃらに振った拳じゃない。しっかりと、相手を倒そうとして振るった拳だ。自分の力は人の役に立つかもしれない。一度は考えたことがあったが、実際に人を助ける? と、朧げだったものが鮮明になった。
昨今よく聞くヒーローという言葉。定義も概念もあやふやだが、人々は受け入れ始めている。あの日助けれたのは十数人程度。多くが手遅れだった。自分もなれるのだろうか。
そういえば、同じ活伸高校の女の子がいたな。見たことない顔だったけど他クラスの子かなあ。
「またもラプトルが! 人質を取り、身代金を要求、立て篭もりをしていた男を見事捕まえました! 警察の包囲に警戒していた犯人は、屋根を伝ってきたラプトルに気づかなかったようです! 窓から入り、流石の手際で犯人を捕まえました!」
報道キャスターは事件現場で取材をし、事の詳細を伝える。
「これだけ見るとラプトルが居ないと、といった感じですが、警察もここ最近の検挙率は目を見張るものがあります。警備を強化し、特殊な訓練も積んでいるようです。両者どちらも勢いは衰えず、といったところですな」
スタジオのキャスターの一言は、人々の共感を得ることとなった。
「はあ〜……かっこいいなあ」
母親が不思議そうにこちらを見る。思わず口に出ていたようだった。
ラプトル様。あれ以降、私は彼に“お熱”なようだ。
朝食を終え、学校に向かう光子。なんだか明るくなったかしら。母はそう思った。事実、光子はラプトルに助けられた日から学校に行くのが苦痛ではなくなっていた。カヲリが差し向けたはずの男達の毒牙にかかった筈の光子は、平然とした顔で次の日も登校した。
面と向かってカヲリにたった一言、「もうやめて。面倒だから」そう言った。
ラプトルのおかげで助かったとカヲリが知ったのはその日の夜だったが、何か強い後ろ盾を得たような光子に、口を出す者はもう居なかった。
相変わらずこれといった友達は出来ないが、学校生活を普通に送れるようにはなっていた。そして、丁度今から一月ほど前には大事件に巻き込まれもした。だが、それもなんとか超常現象のようなもののおかげで助かってしまった。ラプトルといい、案外自分には今、“ツキ”がきてるのかもしれない。そう、光子は思った。
「誠。次の数学のテスト、範囲教えてくんね?」
「今からかよ。遅過ぎだろ」
「うるせー。時間なかったんだよ」
「帰宅部が何言ってんだか」
皆でテストの準備をしている。
「学年ごとにテストの時期が微妙に違うのって、自分らがテストの時は地獄だよな〜。一年も三年も普通授業だし」
誠は勉強をしっかりとしていた為、教科書を開いてはいるが、窓の外を眺めていた。ふと向かいの校舎を見る。
「…………!?」
校舎の窓から見覚えのある女性を見つけた。あれは、あの時の女の子だった。
「……なあ、あっちの校舎って何年だったっけ」
友人にそれとなく訊いてみる。
「ん? 二階が一年で三階が三年だったかな」
あの子は三年。
「年上かあ……」
ぼそりと言葉を漏らす。すると数人の視線を感じる。友達三人が驚いた顔でこちらを見ていた。
「……? はは」苦笑いを返してみる。
「誠も男だったか……よし! どんな女子だ? 俺ら協力するぜ!」
早とちりにもほどがある。いくら宥めても彼らの興奮は収まりそうになかった。
「そういえば、誠がぼーっとしてるのなんていつもの事だけど、最近は少し変わった感じだったもんな」
「そうか〜そういうことか〜」
もう彼らを止めることは出来ないだろう。
「年上と言えど、まずは顔を覚えてもらわなきゃ始まらん!」
一番うるさくてアホな智樹が突然言いだした。
校門で待ち構える四人の男子高校生。
「どれだ? 誠隊員っ。まだ来ないのか?」
誠は必死に彼女の姿を探す。
「え〜と……」
光子が一人で校門に向かってくる。
「あ」
智樹が誠を押し除け視線の先を見る。
「あの先輩か〜! たしかに可愛い。賢太一等空佐っメモの用意はいいか?」
これまたアホな賢太がメモを取る。
「おし! 帰り道のルートを調査いたします!」
「ば、バカっ。やめろよ」
誠が止めるも無意味だった。四人の中で一番頭の良い大聖が、諦めろと言わんばかりの表情を誠に向ける。
つい大きなため息をつく誠。
尾行を続ける一行。光子が家の前まで来ていた。
「あそこか。距離はまあ普通くらいだな。よし、誠……行ってこい!」
「……へ?」
誠を突き飛ばす智樹。
「大聖上院議員。誠警部補の現在の勝率は?」
「役職も呼び方もめちゃくちゃだな。……言うまでもなく、限りなく零に近いだろ」
誠が光子の目の前に現れる。
動揺こそ見た目には全く出さないポーカーフェイスな光子だったが、誠の目には少し身構えているように見えた。
「……誰?」
「あ……あの、俺、二年の美波野誠って言います。じ、実は一ヶ月くらい前にさ、同時多発テロ? があったじゃないですか。俺、たまたま事件現場の近くにいて、あなたを見つけて。俺はなんとか逃げれたけど、同じ高校の人だったから、大丈夫かなって気になって……」
遠くの電柱の影から三人が見守る。
「何話してんだ? 誠のやつ小声でぼそぼそ言いやがって……」
光子は警戒しつつも応えた。
「ふーん……私、大丈夫だから。じゃ」
智樹が遠くから口パクで何かを言っている。
(な・ま・え!!)
「な、名前! ……お名前! 訊いても良いですか?」
「……深鈴光子」
そう言ってそそくさと家に入ってしまった。誠が手を伸ばすも、もう遅かった。
「あちゃー。ありゃ駄目だな」
賢太がメモを閉じた。すると智樹は、「いや、第一印象で積極性は示せた。これでいい」そう得意げに話す。
がっくり肩を落として帰ってくる誠。
「明日からは第二段階に移行するぞ〜!」
そんな誠の気持ちはつゆ知らず、智樹はいつもの調子だった。
「いいか? 今日からはなるだけ先輩を目で追って困っていたらすぐ助けろ。お手伝いでもいい」
「昨日からストーカー紛いのことしかしてないぞ」
「いいんだよ、俺に任せろ」
智樹はいつもこういう男だ。猪突猛進というか、自分の考えは曲げないし自分の思ったことはすぐ他人に伝え、友達にはそれを強要する。でも、不思議と彼の言うことは上手くいくことが多い。誠も自然と従うような形になっていったのはそういった点が大きいかもしれない。
その日から誠は光子の観察を始め、些細なことでも声をかけた。
最初は重そうな書類を運んでいたところだった。典型的すぎる展開とは思ったが、智樹の後押しもあり勇気を出した。
「あの! お持ちしましょうか!」
声が裏返った。もちろん結果は惨敗。光子の冷ややかな視線だけが誠の記憶に残った。
次は、人とぶつかり教科書を落としていたところだった。すかさず拾い、手渡す。
「ど、どうぞ!」
「……ありがと」
これまた充分な結果は得られず。
彼女を観察していると段々とわかってきたことがある。彼女にはおよそ友達と呼べる人が居なかった。
「なあ、いじめられでもしてんのか?」
配慮の無い賢太が言う。誠は少し心配に思った。余計なことだと分かっていながら。
「今日も収穫は特になかったな〜」
「まあ、積み重ねが大事だからよ!」
今日は誠の掃除当番の日だった。放課後、学校に残り三人と別れる。
「ほんとに上手くいくのかよ……」
教室の掃除を終え、帰り支度をする。とぼとぼと帰路に着くと、校門には光子がいた。
「あ、やっと来た」
あわてふためく誠。三人の姿を探すも誰もいない。
「あのさ、私の勘違いならそれでいいんだけど……私のこと好きなの?」
あまりにも直球な質問だった。
「え? あっ、えーっと……」
「何日も付き纏われて、流石になんとなくわかるよ。けど、どうして? とんでもない状況の中見かけただけで?」
至極真っ当な返しだ。正直、誠はわからなくなっていた。
好きになった理由。あの日自分が助けたという自惚れからくる副産物なのか、あんな状況下での吊り橋効果のようなものなのか。それとも、顔なのか。
少し、沈黙をする誠。
「大丈夫?」
光子が問いかける。
「分からない」
「……へ?」
「あの事件以降あなたのことを考えてしまうんです。そしてちゃんとあなたが深鈴光子さんだと教えてもらった日からは余計に……! 一目惚れ、じゃあ駄目ですか……?」
光子が思わず笑う。
「ぷっ、はははっ。何それ、自分でも曖昧なんだ。あんなに積極的だったのに? おかしーっ」
「あ、あれは」
友達の仕業、なんて言えるわけがない。
「そんなに笑わなくても……」
右目から涙を流すほど笑っていた光子がやっと口を開ける。
「でも、ごめんね。私、“好きな人いるから”」
突然の衝撃的な一言。この場に三人が居なかったのが幸運なのか不運なのか。分かりやすくショックを受ける誠にさらに追い討ちをかける。
「私、ラプトルが好きなんだ」
思いもよらない一言が付け加えられた。
今やヒーローと持て囃されている時の人。ヒーロー。自分と重ねていただけに驚いた。
「私、彼に助けられたことがあるんだ。あういうのって実際に自分が関わらないと分かんないでしょ? だからそれまでは特に何とも思ってなかったんだけど、身を挺して私を守ってくれたその日から彼への見方が変わった。あの一ヶ月前の事件だってそう。大勢を相手に一歩も引かず解決に導いたじゃない? 中々出来ることじゃないよ」
「ま、まるでファンみたいだね」
自分も、いや、自分があなたを助けた。そう言いたかったが、少し格好が悪く感じた誠に言葉を口に出すことは出来なかった。
「じゃあ! と、お友達からでも……」
光子はそれなら、と手を差し出した。
アメリカ、ロサンゼルスのとある一室。
部屋の外には千近くの警備。ミリタリージャケットに身を包み、赤髪の坊主頭をした黒人がダーツをしている。
「よっと。……にしてもあんたが日本なんて小せえ国に目を向けるなんて珍しいな」
黒人が投げた矢は見事トリプルに当たる。一周分のトリプルは全て埋まっていた。
「ありゃ、もうなくなっちった」
刺さっていたうちの一本が消え、黒人の手に現れる。
重役であろう緑の水玉模様のスーツを着た男が口を開く。
「“拡張者”だけならばこちらから少し人員を割く程度ですぐに手に入ると思っていた。だが、事は思った以上に大きくなっている。拡張者が未だ捕らえられないのは私の了見が狭かったようだが、他にもちらほらと面白い人間どもが現れている」
「言っとくけど俺は手は貸さねえぞ? まあ、元より日本に興味なんてねえがな」
黒人はダーツをしながら片手間に答えた。
「分かっている。カイアス、お前は金で動くタイプではないからな。だが、ダニエル・シェーンウッドは気になるんじゃないのか?」
カイアスが手を止める。
「……奴は行方知れずだろ? 第一、奴本人の姿を見たことある奴なんていんのか?」
「それが、今は日本にいるということが分かっている。詳しい場所は不明だが」
ダーツを止め男の元へと歩き、机に身を乗り出し座り、面と向かう。
「面倒ごとは勘弁だが、たしかにその情報は欲しいな。どうしてもって時だけ呼びな」
男は笑みを浮かべながら続ける。
「日本にいる由眼家という男の話によると、他にもお前のような人ならざる力を持った者があと二人ほど確認されているらしい」
「へえ。俺の武器庫も、ようやく埃が取れるかな」
カイアスは手元に銃を出現させ、ゆっくりとその全体を見回した。