12.殺虫剤
電気を消した部屋で、ライトの灯りだけを点ける。
パソコンの画面と睨み合う斉藤。ネクタイを緩ませ、シャツの袖を折り、リラックスした状態でコーヒーを飲んでいる。
「ラプトルにモノクローム、ぺスティサイド……それに槇瀬ボクシングジムの大量殺害もある。問題は山積みだな」
いくつものウィンドウを開き、各事件の内容を同時に見ていた。
(東京はいつからこんな犯罪地帯になったんだ……それに、ラプトルは相変わらず活動を続けているようだ。変わらず気絶させた犯人達を警察に通報するというスタイルは続いている。掲示板やsnsではラプトルが人殺しをしたなんてデタラメじゃないかと皆が口を揃えている。奴は今、人々の心に色濃く残り、本当のヒーローになりつつある、か)
「目下の問題はモノクローム、こいつだな」
眉間に手を当て、頭を悩ませる。椅子にもたれ、壁に掛かった写真を見た。
「阿軌、結菜……やっぱり馬鹿ってのは治らねえもんなのか?」
写真には家族三人の笑顔が収められていた。
「祖よ。信徒は各支部ごと百人は超えています。いよいよ実行のときですね」
教祖の補佐役であり幹部達の統括を務める獅嶋公亮が弥岳に進言する。獅嶋は小柄な男で、弥岳と並ぶことによってより両者の身長差が際立つ。
「ええ。明日、決行するのが楽しみですよ。我々の力でより良い世界に作りあげるのです」
弥岳は不敵な笑みを浮かべていた。
待ち合わせ場所に向かうため久しぶりに街を歩く彈。
「街中を駆け回っているつもりだったが、昼間となるとまた別だな」
賑わいを見せる商店街。その人混みの中を進む。
向かい側から男子高校生が四人組で歩いてくる。
「マジ今日疲れたわ〜」「それな」「明日持久走だっけ? だる」「誠はもう休むなよ? ……誠?」
「……え? ああ、わかってるって」
楽しそうだ。友達か、良いもんだよな。大学を辞めてから随分経った。あんな”日常”が懐かしくなる。
高校生の中の一人と通行人の男がぶつかる。すると、男は大声を上げた。
「おい! どこ見てんだよ!」
高校生の持っていた缶コーヒーが服に溢れている。
「え……あ、す、すみませんっ」
男は体格が良く、睨みを効かせた。
「あ〜あ、服が汚れちまったよ。どうしてくれんだ? ああ!?」
高校生達はたちまちたじろぐ。
「ど、どうすんだよ……」「誠がぶつかったのか?」
周りの通行人は目もくれない。そんな中、一人の男が目の前に現れた。
「どうしたんですか?」
彈が尋ねる。
「あ? こいつが俺の一張羅をゴミにしやがったんだよ!」
怯える高校生を背に彈が答える。
「あなたからぶつかっていたように見えましたけど」
彈は、男がぼーっとしている男子学生を見つけ進行方向をわざと被せたのを見ていた。
反論をしようとした男。だが、彈の圧の凄まじい眼を見てそそくさと引き返していった。振り返り高校生達に声をかける。
「大丈夫? ああいうイチャモンは気にしない方がいいよ」
高校生達はほっと胸を撫で下ろした。絡まれた青年が頭を下げる。
「あ、ありがとうございました!」
軽く手を降り、彈はその場を離れた。
待ち合わせのファミレスに到着する。待ち人の姿を確認するや否や、席に近づいた。
「お待たせ、聡」
「彈っ。久しぶりだな」
親友との再会に思わず気持ちが高鳴る。
「最近調子はどうだ? バイト頑張ってるか?」
たわいのない話をした。
大学を辞めてから一度も会っていなかった。聡は恐らく勘づいているだろう。俺がラプトルだということを。
それでも、直接聞いてくることはなかった。
新宿での大量殺人事件。引き留めた聡を蔑ろにしたのは俺だ。なんにせよ、あれが決定打になったのは違いない。
聡なりに今は気を遣ってくれているのだろう。
「はー。ここのポテト、相変わらず形もサイズもバラバラだけど、味は最高だな!」
「ああ……変わらないな」
彈はこの時間を精一杯、楽しんだ。
「体つきも変わったな〜。聞いたぞ? ジムで鍛えまくってるって」
……待て。
そんな話は誰にもしていない。そう、“彼女以外には”。
「みづきちゃんから聞いたのか?」
「ああ。明星さんの妹さんだろ? 俺が少し目を離した隙にあんなカワイ子ちゃんと仲良くなりやがって〜」
聡が彈をからかう。
「彼女と知り合いだったのかよ」
「知り合いじゃねえよ。そのくらいの情報は知ってたってことだ。……で、お前が大学を辞めてから色々聞かれてな」
彼女は自分のやり方で姉を殺したグループを探すと言っていた。だが、犯人を探し出すのは恐らく難しいだろう。
「彼女は今は?」
聡が顔を曇らせる。
「お前と一緒で大学に顔を出してない」
「そう、か」
彼女は今、一体何をしているんだろうか。
「今日は楽しかった。やっぱ聡はすごいよ」
「全く、辛気臭い顔すんなよな! ……時間をかけて俺も考えた……“俺は応援してるぜ”」
彈は思わず視界がぼやけそうになった。ぐっとこらえ、口を噛み締める。
「…っっ…ありがとう」
「たまにはちゃんと吐き出せよな。じゃっ!」
こうして、聡と別れた。
凌木市架はぺスティサイド本館の三階窓から外を眺めていた。
胸元からケータイを取り出す。自分がこれから行う事に対して少しの躊躇いを見せる。
ふと気配を感じる。後ろには弥岳が立っていた。
「いよいよ始まりますね」
凌木は踏ん切りのつかないような顔をしている。
「俺は……俺は正しいことをしているんだよな。これで悲しむ人間は多く出る。けど、”次は”誰も泣かない世界が訪れるんだよな……?」
「はい。凌木さんには裏での手回しや、物資調達のパイプ役など様々なことで手を煩わせてしまい、感謝してもしきれません。私達で、より良い世界を作りましょう」
弥岳はその大きな手を凌木の肩に置く。
「……失礼するよ」
凌木は安心したような様子を見せ、その場を離れた。
「自分が利用していたはずの存在に、まんまと心身を掌握され利用されるというのは、一体どんな気持ちなのでしょうか……」
弥岳は恐ろしく歪んだ顔で外を眺め、両手を横に大きく広げ、笑った。
午後十時、池袋駅。
通行量の多いこの駅に突如、それは起こった。
平然を装えば。いかに特異な状況でも、人は気にはなれど受け入れてしまうものだ。
“彼ら”は山手線から電車に揺られやってきた。
ぞろぞろと大人数が降車してくる。統一された全身深緑の格好に注目を浴びる。中でも目を引いたのは二メートル近い身長に大柄な体格、一際変わった格好をしている男。駅のホームを抜けた構内の、より通行量が多いところまで進んだ集団は突然立ち止まる。リーダーらしき男は高々と声を上げた。
「皆さん!! 我々はぺスティサイド! この、汚れた世界の害虫となってしまった貴方達を駆除し、畑を一から耕してみせましょう」
周囲はゲリラ的に始まった演説に足を止める。中にはケータイのカメラを向ける者もいた。
「なんだ? なんだ?」
駅員の1人が弥岳に近づく。「どうされました? 大変申し訳ありませんが、駅構内での広報活動や営利活動はお断りしておりまして……通行の妨げにもなりますので」
弥岳がぐるりと首を駅員の方に向ける。実に奇妙な動きであった。
「……あなた、勇気を出して我々に、いや私に声をかけたのは素晴らしいですね。記念すべき新世界への礎、第一号にして差し上げましょう」
弥岳は駅員の顔を片手で掴み、卵のように握り潰した。いとも簡単に。
静寂の後、池袋駅は悲鳴で溢れかえった。