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際限なき裁きの爪  作者: チビ大熊猫
終編 第5章.越境
106/111

101.真紅を夢見て


 拘置所内囚人二名の殺害を受け、迅速なる捜査本部の設置が為された。共に重犯罪を犯した一級の危険人物であり、死刑が確定していた。

「真宮寺雅隆六十八歳。年齢不詳の無戸籍者、通称名ソード推定三十歳。真宮寺は首を切断され、ソードは左胸部の刺殺による失血死。両名ともにニ〇ニ〇年六月二十二日の新宿での大量殺人、十月三日のシングウジインダストリーの一件の実行犯及び関係者。ソードに関しては六月以前の新宿の通り魔、九月二十七日の指定暴力団『鬼鷲会』の壊滅、翌年二月十六日カイアス・エヴォルソンによる刑務所襲撃の混乱に乗じた脱獄及び逃亡、その際の看守や警備員の殺害。その後海を渡り、インプレグネブル・ゴッズと関係を持ち行動。八月八日の海上での一件と……殺人や殺人未遂の傷害だけでもかなりの数がありました。加えて、海外でも余罪があると見て捜査中でした」

 ホワイトボードの前、説明を任されているのは流牽政だ。刑事らの視線が一点に集まる。その眼差しは真剣そのもの。凶悪犯罪が減少して三ヶ月程。その間に年も跨いだ。独房までたった一人で辿り着かれ二名の囚人を殺されたなんて只事ではない。未だ取り除きれていない悪の存在に身を引き締める必要がある。

「男の指紋は残っておらず、人物の特定は不能です。しかしカメラには映像がばっちり残っていました」

 流はホワイトボードの反対側にある、自らの左手にあるモニターを示した。監視カメラの映像が一時停止された状態で映し出される。犯行に及んだ男の全貌が明らかになる。

「姿は見ての通りです。このフードを被った男は単独犯であると思われます。拡大します。随分特徴的なのが分かるかと思います。男は顔を赤いペンキのようなもので塗っています。変装にしてはやけに粗末なものですが、この赤塗りの男は、顔認識を掛けても今現在特定・識別には至っていない状況です」

 まるで幽霊だった。指紋がなく、顔認識に掛からない。独力で拘置所の奥まで侵入し、二名の殺害を実行した。刑事らの頭に嫌な二文字が連想される。

「超人……」

 うち一人が漏らした。皆一様に推し黙る。表情が翳る。そこで静寂に声を響かせたのは斉藤文重だった。

「だとして。壁をすり抜ける? 透明になる? 気配を消す? そんな能力がありゃあ、あんな小汚ねえ格好になってるか? 奴は顔だって隠してる。それに指紋が残ってねえっていうが、画像の“赤塗り”は素手だ。手袋を隠し持ってるなら最初から着けるだろう」

 誰一人として言葉を返す者はいない。その通りだったから。仮に超人でないとして、その方がむしろ恐怖を助長させたくらいだった。

「まあ、この手際で初犯とは流石に考えにくいが……」

 もし“そう”なら厄介だ。幾度も警察の手から逃れてきた大物の可能性がある。もちろんそうでなくとも、今回の一件は看過出来ない。

「しかしこの男は無差別殺人をするような人間ではないらしく、計画的に二人を殺したのみで、他の被害者は一人もいませんでした」流が再び発言する。そして、最後の説明を付け加えた。「街中の監視カメラのデータを収集すべく協力を仰いでいるところです」

 チキンや血の鎧の男への協力要請は最終手段。そもそも直接の戦闘で敵わないという限定した場合以外はさしたる必要性がない。捜査は警察の領分だ。

「何にせよ、こりゃあ事だな」

 斉藤は話を聞きながら手元で弄っていた空の煙草の箱を握り潰した。


 インターホンが鳴る。

 夕暮れ時。彈は愛夏の相手をしていたところだった。今日は仕事も休みで、一通りのトレーニングも終え、積み木やパズル・お絵描きといったものに耽る時間。愛夏に成長はあまり見られない。だが、日々を少しでも楽しく過ごさせる。それが彈に出来る唯一のことだったから。

 廃墟の地下から一軒家の新居に移り、精神衛生上も良くなったと言える。来客だって来やすくなった。それは愛夏だけでなく彈達にも同じ事が言えた。

「ちょっと待っててくださいね」

 彈が小走りで玄関へ向かう。

「やほ」

 徐に開く扉の隙間から顔を飛び出させる円環。

「円環」

 円環の視界、彈の後ろには忍び寄る影があった。こちらを窺っている。

「あうー」

 円環はにこやかに声を掛けた。

「愛夏さんっ」


 五人で食卓を囲む。

 彈の横には円環、向かう亜莉紗の横にはダニエル、テーブルの側面に愛夏が座っていた。口の端からご飯を溢す愛夏にティッシュを当てる亜莉紗。

 こうした時間が続けばいい。湯気を立ち上らせる料理の数々は物理的な温かさ以外にも多幸の副産物を齎す。その恩恵ごと咀嚼する時間は彈の固く結ばれた心を解していく。今まで、二人、三人、四人と暮らしてきた時も大切で幸せな空間であったが、明るく饒舌な円環が加わったことでさらなる活気が食卓に足された。以前は必要最低限とまではいかなくとも、会話はそこまで多くなかった。五人になってからは世間話や無駄話に花を咲かせた。頻繁に訪問する円環を亜莉紗やダニエルは歓迎した。

「亜莉紗さんは最近どうなんです?」

 円環のあどけない表情。話題は恋愛だ。女性の方が僅かに多い空間で、会話の主導権が円環達にあればそうなるのも必然である。

「全然。坊やとダニエルのせいで中々隙間が作れなくてねー。最近は坊やからの負担は減ったけど」

 亜莉紗にはたくさんの迷惑を掛けた。今の自分は何人もの人間に支えられた結果として生きていられている。ラプトル活動のサポートとしての彼女の献身は、感謝してもしきれない。今はなるだけ休んでほしい。犯罪が減り、彈も円環との時間を割けるようになってきた。

 ダニエルとはどういうことだろう。彼のせいで時間が削られているのか。

「ダニエルも?」彈が訊ねる。

「色々な部品の発注とか、情勢や時流に合わせた幅広い最新知識、現状を聞いてくるのよ。あたしは死ぬまで彼にこき使われそう」

 亜莉紗は目を瞑りながら天を仰ぐように言い放つ。

「そんなひどい言い方」

 ダニエルは申し訳なさそうだ。円環は控えめに笑っている。

「でも、何か作る必要があるのか?」

 純粋な質問だった。ラプトルが静かになり、社会は凪のような状態になりつつある。そんな中でダニエルが以前と変わらぬ活動量のようでいる。

「それは」

 ダニエルがそこまで言ったところで、再びインターホンの音が会話の中を貫いてきた。

「今日は客が多いな」

 亜莉紗やダニエルも思い当たる人間はいないようだ。食器を置く。愛夏だけが金属音を断続的に鳴らせていた。

「はい」彈が返事をしてからドアノブを捻る。

「ラプトル。“お出かけ”は少し待ってくれるか」

 扉の前には痩せぎすで煙草臭い両義足の刑事が立っていた。

「斉藤さん」


 午後九時前。場所は亜莉紗のコンピュータルームに移った。円環は斉藤とは一度エデンプレイスタワーへの作戦会議で顔を見た程度であったが、すぐに空気を察知し、愛夏と共に食事を続けている。

 斉藤は封筒から一枚の写真を取り出し、中央のテーブルに置いた。監視カメラから切り取った静止画だ。

「この男の情報が欲しい」

 斉藤はそれだけ言った。三人が写真を覗き込む。画質は荒いが、フードを被った顔の赤い男が確認出来た。不気味極まりない。

 彈は当然知る由もなく、二人の記憶を窺う。裏社会に身を置いてきた彼らの知見は広い。情報屋である亜莉紗は尚更だ。

「僕は見たことないな」ダニエルが言う。

 インプレグネブル・ゴッズに居た際、多くの裏の人間を見た筈。そのダニエルでも思い当たる節はない。反して、亜莉紗の反応は期待をさせるものだった。

「どこかで……」

 顎先に手を当て思考を巡らせる。斉藤がテーブルへ前のめりに手を突いた。

「見覚えがあるか?」

 今は僅かでも情報が欲しかった。この暗殺者を野放しには出来ない。目前の平和にこんな脅威の接近を許せば、警察は今以上に国民を失望させることになる。

「思い出したわ! “犬”よ!」

 亜莉紗が叫ぶ。すっきりした顔だ。今放った言葉は理解に時間を要する。一般的な名詞でしかないそれに説明が欲しい。

「犬?」彈と斉藤の声が重なる。

 亜莉紗は頷いてからすぐにその答えとも言える続きを話し始めた。

「一度だけレッドから聞いたことがあるわ。返り血が由来でレッドスプレーという名のついた彼に憧れて、顔を赤く染めたイカレ野郎がいるってね。狂ったファンて感じなのかしら」

 数年前のビジネスパートナーの声を脳内で再生する。レッドが危険視していた人物。ラプトルにとってのザ・クレイ。

「レッドスプレー……シングウジの件の、ラプトルが師事していた男か」斉藤が訊く。己の中で少しでも引っ掛かりがあるといけない。理路整然に情報を随時更新する。

「ええ」

 殺し屋の真似をする殺し屋。あの奇妙な顔には薄気味の悪い理由があったのだ。

 一殺し屋にちなんで顔を塗った。話から聞くにそれは、“以来ずっと”だ。顔は生物の重要なファクター。まるでそれを常に別のものに変えるような。塗りたくったそれはもはや仮面だ。タトゥーのような感覚ではないだろう。己の顔を持たない。いや、持つ事を放棄した。捨てたのか、欲望が上回ったのか、はたまた執着がないのか。

 何にせよ、歪んでいる。

「どんな標的も必ず見つけ出すことから“犬”と呼ばれている。その手から逃れることは不可能と言われる程よ。逃げ足も速く、誰にも捕まらない。レッド。彼ですらその尻尾を掴むことは出来なかった」

 彈は息を呑んだ。由来に関しては今までと同じ、裏社会らしく名のない者はその行動や特徴で自然と呼ばれ方が定まっていく。彈はレッドの名前が出たことに驚いていたのだ。今になって関連人物とも呼べる人間が現れた。レッドに傾倒していた実力者。雲行きは怪しい。

「鬼出電入、ってことか」

 斉藤はボールペンを走らせていた。使い込まれているメモ帳。色褪せようと、決してその脆さを感じさせない。

「そういえば、アイギャレットがそんな風なことを言っていたかも……」

 ダニエルもぽつりと溢す。今度はあのアイギャレット・シェルシャルルの名前が飛び出した。尋常ではない。彈は写真の男に瞳を誘引される。

「この彼がどうかしたの?」

 亜莉紗がそう聞くと、斉藤は淡々と目を剥く事実を言った。

「真宮寺雅隆、ソードの二人が殺された」

「なっ」

「現場に指紋は無くてな、顔の照合も結果を伴ってない。こいつは単独で各独房まで入り込み、殺害を成功させた最重要危険人物だ」

 絶句した。苦労して逮捕に漕ぎ着けた犯罪者が殺された。モノクロームだって乗り込みはしない。危惧するわけだ。目的も、それを可能にした手腕も、恐ろしいものに相違ない。

「あらま……生まれは分からないけど、彼は幼少で既に指紋を焼いているってのも有名ね」亜莉紗が補足する。

「なるほど」

 斉藤は一通り手を動かしてからメモ帳を閉じた。

「当局はこいつを“赤塗り”と呼称することにした」

 赤塗り。そのままといえばそのままだろう。レッドスプレーと似た紛い物。似せた贋作。

 亜莉紗が述べた先の理由を鑑みればこの二人が殺された理由は容易に分かる。御門悠乃を思い出す。レッドへの想いが牙となって飛びかかってきた。いわば彼の負債。今回の赤塗りも同様のものだとするなら、彈は充分に警戒する必要がある。

「今回は殺人だ。やり口から、テロ行動に及ぶ可能性があるわけではないとみてる。奴が単独犯なのも理由に当たる。したがってジンゴメンは出動しない。これは一課の案件だ」斉藤はヒーローへ警鐘を鳴らす。「情報提供感謝する。ありがとな。それとラプトル、お前は気ィつけろ。奴の動機かもしれないレッドスプレーと密接な関係にあり、且つ厄介な連中から恨みを買いやすいお前が一番危険だからな」

「そう、ですね」彈は尻窄みに返事をした。

 姿が見えず、纏わりつく不安。今までは先に突発的な戦闘から入ったり、事前に全体像を把握した上での戦いが殆どだった。完全に後手に回り、誰かを殺され、その矛先が間違いなく自分に向いているであろう恐怖が先行するのは初めてのことだった。

「もしそんな暗殺に長けている正体不明の男が近づいているなら非常事態だ」

 ダニエルが口を開く。あまり神妙な面持ちはしていない。かといって悠長というわけではなく、考えがあるように見えた。

「長く日の目を浴びなかった僕の秘蔵品の出番かな?」

 想像とは違う言葉が並べられた。彈も思わず訊ねる。インプレグネブル・ゴッズの監視や索敵の憂慮がなくなり、てっきりスローライフを満喫しているものだと思っていたから。

「そんなものあるの」

「創造の楽しさってのは止められないんだ。新しい発明・製作をするのが僕の生き甲斐だからね。それに、設計図だけでいいならごまんとあるよ」

 ラプトルは基本的に素手。五体を用いて戦う。それ以外の臨機応変な戦法はいつも即興的だ。レッドにこっぴどく教えられたからあらゆる用法を身につけただけに過ぎない。彈はそんなことを思った。

「まあ、対策出来るんなら何でもいい」

 そして、より気を引き締めて警邏に努めると誓った。


 二月二十七日。

 場所はとある民家。SNSで空き巣の目撃情報があった。四人の男達が旅行中で家を空けている一軒家内に入っていったというのだ。命知らずな者達だ、俺でなければどうなるか考えもしないのか。帰宅途中にあった彈はそう考えながらも急行した。事は急を要した。

 昼過ぎ。男達のピッキングにより玄関扉が開いている。明かりのない部屋は薄暗い。一歩ずつ慎重に奥へ進む。物音がしない。一足遅かったのか。ここへ来るまでにそれらしき人影は見ていない筈。

 傍の階段を見送り、その下に位置するトイレを抜け、正面の浴室前で曲がる。リビングだ。右手には仕切られたキッチン。一見あまり宅内が漁られた様子が見受けられない。妙だった。

 音、無し。臭い、無し。散乱した家具や調度品、無し。気配、無し。違和感、有り。

 揺れない観葉植物。少し開いた窓。ソファの上に、畳まれていないブランケット。

 ぶつん。暗がりに差し込む光。彈は反射的に視界を誘導される。テレビが点いた。僅か一瞬のことだった。背後から絶大な何かが迫るのを感じた。

 その場に潜り込むような前宙で頭部を下げ避ける。男の足元が視界に入った。そのまま転がり体を反転させて迎撃の体勢を整える。距離を作って警戒を万全にする。敵の全身が収まった。

 ほつれた灰色のパーカーの上に、薄汚れた同色の作業着の上下を着ている。どれも年季の入ったものだ。着替えを頻繁に行なっている様子はない。手先も含め、一般的に不衛生と表現出来る見てくれだ。仕事をしてきた人間の汚れの範疇を超えている。

 フードの中に潜む顔は真っ赤に染められていた。



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