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際限なき裁きの爪  作者: チビ大熊猫
終編 第5章.越境
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100.私怨


 ある裏路地。

 そこでは情報、武器、薬、足の付きかねない機器や金品など様々なものが売られていた。

 人の数は少なく、決して栄えているとは言い難かったが、細々と営みを続けているという実状のあるその一画であった。今宵も売買は成立し、一人のふくよかな男が稼ぎを得たところだ。

「おう。またよろしくな」男は明朗に投げかける。

「あんたもな、ゴローさん」

 客は満足のいく品が手に入ったようで、駆け足で表の通りを目指していった。

 腹の出た中年の男。ゴローと呼ばれるその男は情報屋としてそこそこのベテランであり、他にも幾つかの麻薬を売る事で生計を立てていた。こんな場所に反するふくよかな見た目は、私服を肥やしている公僕を連想させる。

 毎日、当月分の売り上げを数える。小銭は細々(こまごま)していて好みでないという理由から、商品の価格は最低千円以上に決めており、加えて紙幣以外を受け取らない主義だった。こうして札束の感触を反芻するのがゴローの日課でありささやかな楽しみなのだ。

「ほっほ、繁盛繁盛」

 偽札かどうかの分別だけはしっかりとつく。金目の骨董品の鑑定などは専門外だが、これだけはゴローの確たる特技であった。飯と女にのみ消費される金。見た目に対する配慮はない。この裏路地に入り浸る人間は皆、褪せた服に光沢のある肌を年中晒している。

 ゴローがにやつきながら金を数えていると、くしゃみの兆しを感じた。顔を軽く上げる。すんでのところで収まる。直前で瞑っていた目をゆっくり開けると、視界に人の胸が見えた。驚きの声を上げると同時に札束を自らの方へ引き寄せる。金を最優先に行動するのは本能レベルにまでゴローに刷り込まれている。

 反射神経のよいゴローは見覚えのある男ということにすぐに気がついた。フードを被り、真っ赤な貌をした不気味な男だ。

「うおっ!? “犬”じゃねえか! こんなところで何してる」

 裏社会で知らぬ者はいない。裏の裏。表などではない深奥。依頼数は然程多くはない。伝説になりえるテロや大事件を起こしたわけでも、大量殺人を成功させたわけでもない。ただ確実に殺す。依頼の達成度は百パーセント。一度のミスもない傑物。

 顔に付着している赤い塗料。顔の中央、顎先や耳・生え際を除いた部分のみが満遍なく塗られている。恐ろしく歪な日の丸のよう。

 男は一枚の写真を突き出した。

「ん? レッドスプレー……か?」

 写真には棟髪刈りにモッズコートの男が写っている。嘗て名を馳せた伝説の殺し屋だ。

 男は親指を立て、首に向けて横一線に引く。

「殺すのか? って、もう死んでるだろ、そいつ」

 ゴローがそう言うと、男は次に左手に握られたリュックから色褪せたカレンダーを取り出した。やけに小綺麗なリュックが盗品である事は一目瞭然である。

 カレンダーを持つ手の皺や爪の端には乾いた血や油汚れや垢が付いている。ここの人間同様、男がシャワーを浴びるのは週に一度くらいのもの。それも簡単に水で流す程度である。

 ページを捲る。二月。その二十七日を赤で丸く囲っている。それを見たゴローは頭を巡らせた。写真との関連性。その日、何があったか。

「まさか……一回忌か? よく知ってんな」

 半分当てずっぽうの言葉は正解らしかった。男の瞳が物語る。無言のまま続きを促された気がした。再度、先程のジェスチャーの意味を考える。

「仇ってか」

 ゴローはそう言ってからさらに続けた。

「でも、そう思ってるなら間違いだぜ」

 男は首を傾げる。二月二十七日。それがレッドスプレーが死んだと知った日だ。それは間違いなかった。

「レッドスプレー。奴が死んだのは、ラプトルってヒーローが周知されるに至った動画が回った前日の十月三日だ」

「!」

「間違いねえ。お前さんがどこまで情報を持ってるかは知らねえが、大方死亡と聞いて驚き、それどころじゃなかったんだろう。その様子だと誰が殺したかだけが気になり、その原因をどうにかするのが目的ってな風だ。だから情報屋の俺を訪ねたんだろ? こっちの世界で情報が広まったのは確かに二月のその日だがよ、死んだのは別の日だぜ」

 動画。後々出回った一つの映像。男も存在は認知していた。私刑人。そんな異端者の出現。そんな流行りものなどチェックはしない。故に気づかなかった。レッドの訃報とて周り伝てで知ったのだ。

 ゴローは映像を見せた。数あるガラクタの山から使えそうなスマートフォンを一台見繕い操作した。まだ回線の生きている新しめのものだ。裏社会へ潜るよう巧みに操作した。映像を見れば明白だった。死体の傷は全て、レッドの得物である大鋸でつけられたと瞬時に分かった。今日から動き始めても遅かったのだ。それは怒りの上塗りとして充分だった。

 男は映像の中の人間を隈なく見た。そして、ゴローから情報を引き出した。


 東京拘置所。

 スキンヘッドに白い上下のスーツが特徴的だった男。今では灰色の囚人服に身を包んでいる。髪も伸び、その黒い芝生頭に不満げだ。

 獄中にあるソードは退屈な日々に飽き飽きとしていた。以前捕まった際と同じく、エンジンが切れたようにやる気が出ない。いや、それにも増して今は沈んでいるという方が正しいか。刃を持たざる者に負かされた事実が泥となってソードに付き纏う。この独房の中で、刃を持てず人を切る感触の味わえない毎日は苦痛でしかなく、緩やかな地獄に浸かっているに等しかった。

 シミのある冷たい床を見つめる。端には数匹の虫が這っていた。寒々しい空気、少しだけ臭う空間。こんな寂れたところでいつまで正気を保っていられるのか。死刑を待つのも一苦労だ。そう思う。

 足が見えた。檻の外ではない。中にだ。

 ゆっくりと顔を上げていく。仁王立ちの男は無言で佇んでいた。放たれる圧力は沈黙のそれではない。素性の分からぬ、得体の知れない何か。

「! これはこれは、変わったお客さんだ」

 服装こそ似てはいるが明らかな部外者であるその男を見てソードは嗤った。それもその筈、男の足元が目に入った時点で、同時に液体が床へ滴下しているのを見たからだ。まだ新しい。漏れ出る赤い液体は、床にまたしてもシミを形づくるだろう。

 首。そちらは見知った人間のものだった。真宮寺雅隆。仕事で深く関わっていた人物である。男の左手に握られる真宮寺の頭髪。吊られた頭部は瞳がぐるりと上を向き、開いた口から舌が力無く飛び出している。警戒という意識は不在だった。経験上、男の殺意だけはまざまざと感じられる。そもそもこんな場所まで監視や看守の目を潜り抜け、単独で辿り着くなど異常だ。

「あらら……そういうカンジね」

 男は手を放し首を落とした。粘性のある音が小さく聞こえた。真宮寺は転がるでもなく、ただ天井を見上げる形で静止した。断面が露わになる。

「切れ味もそこそこの短い得物で粗雑に切り落とした……切り口がめちゃめちゃだね。それだけ損傷してればそりゃ血の道が出来る筈だ」

 男の片足が動く。

「聞いちゃくれねえかっ!」

 ソードは立ち上がりながら左手を対象の眼球へ向けた。先手を取る。“これ”は危険だ。

 男はソードが上げた左手の下を潜るように背後を取る。ぬるりと躱されたのだ。度を越した速さではなくとも、意識の外を突くものだった。

 脇に左腕を差し込み、左手をソードの右耳下へ持っていき首を絞める。ソードは男の腕に加え、自身の肩と上腕に首を食い込ませる。右手で抵抗を試みたが、即座に男の右腕が上から覆い被さり、肘から上を固定されてしまった。視界に映る、軽く開かれたその手には武器が煌めいていた。

(プッシュダガー……!)

 中指と薬指で挟まれたそれを握り込み、拳の内側を己に向ける。刃先はソードの心臓を捉えた。

 握り込んだプッシュダガーを自らの胸に押し当てるように手前へぶつける。さながらドラミング。ソードの左胸へ深く突き刺さった刃。男はそれを何度も捻る。右に、左に。一つの動作ごとに出血は増していく。自由の奪われた体に否応なく走る激痛。

「くっ……!!」

 吐血。呼吸の幅が狭まる。気道が塞がる。二重苦に身を歪ませながら、男の顔を睨みつける。因果応報。柄にもなくそんな言葉が脳裏に浮かんだ。ある意味で、退屈とは訣別出来た。

「はは、これも有りか」

 ソードは鉄の匂いに塗れ、意識を滲ませていった。

 赤い海に己の全てを委ねた。



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