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際限なき裁きの爪  作者: チビ大熊猫
終編 第5章.越境
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99.靴紐


 二〇二二年二月。

 活伸高校三年二組教室。誠達も卒業を控える時期に差し掛かっていた。

「俺らが卒業って、なんか実感ねえなあ」

 突然そう言ったのは智樹だ。昼休憩。四人で集まり、弁当箱を開けている。窓から差し込む陽の光に智樹の卵焼きが黄色く照り返している。

「誠は先輩と順調だしいいよなあ」

 誠はむっとして返した。光子との関係だけに目を向ければそれで幸せかもしれない。

「あのなあ、俺だって大変だったんだぞ」

 先月はチキンの一件について様々なことを聞かれ大変だった。要所のみを大まかに話したが、今ではそんなこと遠い昔のように興味を失くしている。都合の良いものだ。

 賢太が飛び跳ねるように話題を差し込む。

「俺さ俺さ、まさか大学行けるとは思わなかったー!」

 進学先が決まったことに大喜びのようだった。大聖のみが就職、他三人は進学組だ。大聖は光子と似たような理由だった。一般企業の商社マンになるらしい。現段階で誠達は、関東圏を広く行き来することになるという大変な情報だけを耳にした。

「俺が対策付き合ったんだ、当然だろ」と大聖。

「良かったな」と誠。

 大聖の手に握られている焼きそばパンを智樹が眺めている。誠はその視線に気づいた。

「何、大聖のパンすらも食べようとしてる?」

 軽口を期待したが、それは裏切られた。

「んー……遊んで食べてイチャイチャして生きれたらなー」気のない返事をした後、夢物語への憧憬を漏らす。

 強い不安があるわけではないのだろうが、若者特有といった将来に対する漠然とした悩みがあるのは智樹とて例外ではないようだった。御門悠乃という超人に操られた特異な過去も影響しているのかもしれない。

「そんなの無理だよ」

 誠はリアリスト的無情な返しをする。超人も常人も関係ない。能動的か受動的かすらそうだ。人は波風の全く立たない人生を送ることは出来ない。この一年半、それを嫌という程味わい、目にした。多くの人間は複雑に絡み合い、誰かに支えられ誰かを支えて生きる。その中で誰かを潰してしまわぬように気をつける。故意に潰す輩だっている。建築は一筋縄ではいかず、崩壊の危険性が常に付き纏う。

「それもいいけど、難しいこととも向き合わないといけないし、考えないといけない。だから俺達は学ぶんだろ」

 大聖は既に高校三年生ではなかった。同級生の達観は聞き慣れたものの筈だったが、その強さに三人は敬服した。以前学校が襲われた際、大聖はこの若さにして銃弾を受けるという経験をした。この説得力も頷ける。

「うへえ、先生の言葉は堅苦しくて厳しいですね」智樹がふざけた物言いで大聖に吐いた。

 四人はそれぞれ語らいながら空腹を埋めていく。それは確かに必要で、かけがえのない工程だった。


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 ちりん。鈴の音。彈が快活に挨拶をする。すると音の先には久しぶりに見る顔があった。

「お、ほんとにやってる」

 体格の良い男性が居た。彈は一瞬目を見開いてから、優しげな声を掛ける。

「綺坂さん」

 その後ろにも知り合いの姿。

「武燈さんも」

 習碁が軽く手を挙げる。事情を知る彈からすれば、一見すると凄まじい光景だった。地球を変えうる力、その二つが日中を共にし、こうして小さな店に顔を出した。現実味というものが少しだけ薄れる。

「あら、その方もお知り合い?」カウンターに居る沙世が彈へ訊ねる。

「はい。俺の、友人です」彈は迷いなくそう答えた。

 都心を破壊した超人二人だと教えればひっくり返るだろうな、と彈は思った。あの三人の戦いの余波は、深い傷跡として残ったままだ。道路や建物の復旧・修繕作業は数ヶ月から数年は続くかもしれない。

「どうも」

 情一郎と共ににこやかに会釈をする習碁。こちらは常連だ。沙世も笑顔で応える。

「いい店だな。震条くんが安心して働ける場所ってのも納得」

 パステルカラーの店内。いくつものスイーツが並んでいる。最近はパン類の販売も始め、ベーカリーとしての側面を新たに加えた。

「でしょう? 二人とも、仲が良さそうで」

 彈は率直に言った。情一郎が彈に近寄る。

「武燈くんの職場の『ふにゃふにゃん珈琲』、結構良いんだ。娘の美佐も喜んで喜んで」

 やけに楽しげだ。あれだけ思い詰めていた人とは思えない。一件が収束し、情一郎には様々な変化があった。

 妻である香の病魔に関して、引き続き病院で定期的な治療は行われるが正直なところ余命を長引かせるだけとのことだった。情一郎はそれ以上何かを言いはしなかった。全てが上手くいくなんてことはない。胎田とやはり手を組んだままでいれば、そんな馬鹿げた事がよぎりもしたが、あの男のことだ、何をされるか分かったものじゃない。口八丁で『“病気は”治したよ』などと言いかねないのだから。

 資金源は警察だ。ジンゴメンは解体されず、SATとは異なる徒手専用の特殊制圧実行部隊の一つとして運用が継続されることに決定した。そこに更なる特殊な事態に対応する人員、有事の際に投入する戦力に情一郎は抜擢された。「あなたの力で救える命がある」そんな理由から香は力はそのままに、有効活用してほしいと頼んだ。妻の願いを受けぬ夫は居ない。幸い今は武燈習碁という、同じだけの力を持つ人間が側にいる。娘のような二次被害を生まない為に、さらなるコントロールを身につける練習相手に相応しい。

 情一郎は“縁の下の力持ち”を受け入れた。

「付き合いが長くなりそうだ、この一家とは」習碁はなんだか嬉しそうにそう言った。

「その猫カフェ、世界一安全なお店ですね……」

 この二人がいれば東京は、日本は、ひいては世界すら安全で。平和というものを夢見れるかもしれない。そんな浅はかな希望すら抱いてしまう。強大な二者の結託にも近い親交はそう彈に夢想させた。

「お二人とも。いらっしゃいませ」

 明るい太陽のような声。円環がキッチンから表へ顔を出す。習碁は挨拶を返した。

 エデンプレイスタワーでの一戦を終え、初めて来店した時は中々に空気が悪かったものだった。習碁は浮かない顔をしていた。

 彈を傷つけ、自身が化け物であることを知られた。二つの後ろめたさ。そしてこの力の経緯を知られたことも後に聞いた。両親の血液が含まれた肉体。その恐ろしい奇跡が面影を知覚させる。習碁は元より、もうここに姿を現す気はなかった。しかし彈が彼を連行した。どこまでも勝手なヒーローだ、習碁はそう頭を悩ませた。

 待ち受けていたのは円環の変わらない笑顔だった。驚嘆した。彈が「ほら言ったでしょ」と自慢げにしていたのが鼻についたが、形容し難い申し訳なさが杞憂に終わり、心配や不安が徒労に終わったことが信じられなかった。

 それから彼女と話した。「お墓参りいらなくなりそう」などと冗談を混えて言っていた。習碁は長きに渡って貫いた自身の沈黙の生活を嗤い、円環に「ありがとう」とだけ告げた。

「ここのおすすめは?」

 情一郎が訊ねた。新発売のパンは豊富な種類が揃っている。

「そうですね……あ。レアチーズケーキですかねっ!」

 円環は彈を一瞥した。


 家に帰ると、真っ先に声を掛けてきたのはダニエルだ。アルバイトの疲れもそのままに、彈はプロテイン片手でダニエルへ耳を傾ける。

「フライトユニットの調子を聞きたいんだけど、全く使う機会が無いよね。まあその方がいいんだろうけど」

 減少傾向にある犯罪は彈の負担を軽くした。特に背中のバックパックを使うような強敵は一人も現れていない。夜間の活動はやや軽微になりつつある。

 技術者としては少し不満げなようだ。こういうところを亜莉紗は“おかしい”とよく表現するのだろう。狂人だとも。ここに住んでる人間は皆、大概だ。

「そうだね。悪さが減るのは何よりだよ」

 彈は長い休暇になるのか、それともマスクを捨てる時が来たのかを見定める必要があった。今までも犯罪の増減は頻繁に見られたからだ。

「ほんと、凶悪犯罪は鳴りを潜めたって雰囲気だな」

 そう溢した彈の元へ亜莉紗がやってくる。白衣のポケットに手を入れ、テーブルを目指しながら口を開く。目当てはそこに置いてある白いマグカップに注がれたココアだ。

「事実関係が詳らかになったことで、チキンと血の鎧の男がラプトルに与したことが周知された。それはつまり、あの最強の二人が“善人”てこと。ざっくり言うとね。そんなの、悪さなんてすれば自分がどうなるか分かったものじゃないでしょ? 少なくとも都内の犯罪は減少するわけよ」

 わりかし納得のいく説明だった。あの二人が普遍的な正義の心を持った者なら、おいそれと悪巧みをする気にはならないだろう。やはり彼らだってヒーローだ。

「道理で」

 きっとラプトルはもう不要なのだ。それは彈にとって何よりも喜ばしいことだった。

 マイナスから始まった陰鬱で暴力的な旅は終わりを迎えるかもしれない。漸く、その刻が来たのだと。

 ダニエルは欲しい部品を買いに行くと言って身支度を済ませた。引きこもりがちだった彼にも、この二年弱で変化が齎されたのだろう。もちろん、アイギャレットの魔の手を恐れる必要が無くなったというのが大きな原因なのは言うまでもないが、シャイな性格の彼も、彈や亜莉紗を通してたくさんの事に見舞われ、たくさんの人と交流した。そんな日々が彼に影響を与えた。

「あれ。ダン、このまま使ってたの? 買い替え時じゃないかい」玄関先のダニエルが言った。

「え?」

 彈は声の方へ向かった。日中使用している、白に蛍光色の差し色が入った有名スポーツメーカーのスニーカー。その靴紐が切れていた。

「あ」

 彈も全く気づかなかった。

「うわ、縁起悪いわね」

 後ろから亜莉紗が顔を出し、煽るように表情を歪めた。


 その様子を、フードを深く被った男が遠巻きから眺めていた。



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