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際限なき裁きの爪  作者: チビ大熊猫
新編 第4章.再起
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95.怪獣対怪獣


 突然の凶行に目を丸くする情一郎。

「なっ!?」

 夥しい鮮血が視界に広がった。

 男の首から勢いよく流れ出る大量の血液。男を中心に体の周りを包み、足元から順に体へと張り付いていく。やがて顔までを覆い尽くしてしまい、不気味な人型の化物が形成された。

 “中にあるべきものを外に纏っている”。

 赤い鎧が月明かりに煌めいていた。怪しげなそれは、部位ごとに様々な色を覗かせる。夢でも見ているのか。情一郎は思った。きっと、超人だと。しかし今までに会った者とは違い、自分と似たタイプのように思えた。

「武燈さん……」

 彈の口から溢れた言葉を拾うように、習碁は首を軽く捻り後ろをちらと見た。

「“これきりだ”。……今日だけ、君と小春円環さん二人に免じて手を貸そう」

 全身の痛みを忘れるほどの劇的な光景。彈の体から緊張が引いていく。

「彈くん。君は寝てるんだ」

 習碁は情一郎に向き直った。

「俺と同じ、人間を辞めた仲間か……でも、スーパーヒーロー“チキン”に勝てるとでも? 連日のニュースで俺の偉業は目にしてる筈だ」

 突然、役者のような話し振りになった。“チキンの声だ”。彈は情一郎が戦闘を避けたがっているように思えた。急に現れた見知らぬ人間に手を上げたくないのだろう。しかし、そんなことで帰るようならここへ来てはいないというのに。

 情一郎は鼻で笑い、自らの慢心を演じた。目を瞑って高らかに逃走を促したつもりで、再び目を開く。合わせた焦点に習碁はいなかった。バイクだけが横になって彈の前に置かれている。

「……っ」

 視界下方。瞳を動かすと、僅か一メートル以内の距離、屈んでいる敵の姿が見えた。

「な」

 習碁のアッパーカットは光の如き速さで情一郎の顎に直撃した。

「ぐっ……!」

 思い切り振り抜く。激しい轟音と共に、情一郎の体は浮き、そのまま三階吹き抜けの天井へと衝突した。勢いは止むことなくビルの中を突き進んでいき、やがて二十階建てのビルの屋上へと貫通した。

 夜の闇の空にチキンの体と血が舞った。

「ぐ……がはっ!!」

(トラックにでも撥ねられたか……!? いや、今の俺なら新幹線に当たっても平気な筈だ)

 視界の端に赤い影が映った。

「空飛ぶ鶏……ってか?」

「!」

 情一郎の防御が間に合うことはなく、習碁の蹴りが顔面を覆った。

 身動きの取れない勢いのまま、斜め横一直線に飛んでいく。マントの靡く音以上に、肉体が風を切る音が聞こえる。建物の外壁に当たることでようやく情一郎の体は止まった。

 エデンプレイスタワーから、実に数百メートルも先のビルへ吹き飛ばされていた。

 瓦礫が頭へと降り注ぐ。

「こんなの、久しぶりだな……」

 頭の中に鐘が鳴り響いている。強い衝撃を受けるのは情一郎が“この力”を手にしてから初めてのことだった。自分だけだと思っていた強靭な肉体。それと対等な存在が自分に向かって牙を剥いている。全力で応じねば。

 遠くからとてつもないスピードで突進してくる敵の姿。その振りかぶった右手に合わせるように、情一郎は拳を躱し、左でカウンターを狙った。

「ん……おらっ!」

 そのまま横方向に吹き飛ばす。習碁は雑居ビルの看板に叩きつけられた。

「がはっ」

 ずるりと地面へ落ちていく。大きな音、そしてその激しい建物の損壊に、街中の人々の視線が集められる。

 倒れた習碁を、壊れた建物の中から見下ろす情一郎。

「お、おい……なんだあれ……」

 スーパーヒーローと対峙する異形。

「チキン……?」「これやばくね?」「ヴィランだ、スーパーヴィランだよ!」「映画かよ」

 好奇の目が向けられる。チキンというヒーロー活躍の現場。しかし類を見ない状況。片方は全身が赤く輝いた謎の存在。いつもの事件や事故とは明らかに異なる状況が、人々の心に恐怖と期待を同居させた。

「あれって……ネット掲示板の都市伝説にある、“赤い宇宙人”じゃね!?」

 一人の男が呟いた。“赤い宇宙人”。“血の鎧の男”こと武燈習碁は、後頭部の飛び出たその奇妙な外見からこのような通り名をネット上でつけられていた。

「……」

 今まで日陰で生きることに努めていた習碁にとって、最悪ともいえる光景だった。

 地面から振動が伝わる。情一郎が降り立った揺れだった。ゆっくりと近づいてくる。

「初めてだ。俺とここまでやり合う奴は。……ラプトルの味方をして俺を止めるか」

「ふっ。ラプトル。彼にとっては常に人々を人質に取られているようなものだろうからな。俺は……ただの気まぐれさ」

 情一郎は強く拳を握り締めた。

「事情も知らねえで!」


 吹き飛ばされた奏屋の下敷きになる形で倒れ込む燦護。

「先輩!」

 ぴん、と伸びた館端の右足の裏は依然こちらを向いている。

「悪い、燦護っ」「いえ……」

 そう広くない室内で、ニ体一。にも拘らず、館端は二人に対して優勢を保っていた。

「館端さんって、こんなに強かったんですね……」

(鑑さんより一枚上手(うわて)……? 下手すると時任さんレベルだぞ……!)

 館端は首元の襟をくい、と伸ばした。

「ほら、どうした? 潜入は失敗か?」

 同じ組織で働いていた同僚。唯一の違いは胎田宗近の側近として暗躍していたという点。信頼を置かれるだけの手際の良さはもちろん、その実力までも兼ね備えていた。

「ふっ!」「はあっ!」

 二人がかりで反撃の隙間なく攻め立てる。しかし五分といったところ。館端も僅かな瞬間に攻撃を挟んでいく。

 三人がともに似た背丈・体格をしていた。故に、大きな弱点を狙うことが難しい。

「くっ! ちょこまかと!」

 奏屋の攻撃を半身で避ければ、燦護の追撃が別軸からやってくる。苦し紛れの館端の後ろ回し蹴りも、奏屋の鼻先を掠めるだけだった。

「……館端。お前、胎田さんのやってること理解して従ってるのか?」

 奏屋は話し始めた。

「奏屋先輩」

「あの人やお前は、チキンを使って何を企んでる? 自分達で事件や事故を演出してヒーローのお膳立てをする。そうして“作り上げた”ヒーローで、一体何を? 犯罪の抑止ならもう充分だ。あれに歯向かう奴なんていやしない」

 奏屋の言葉には説得の意が感じられた。そのことに館端はどうしようもなくおかしくなった。

「……ははっ。そうかもな。俺如きには、胎田さんの野望を説明することなんて出来ない」

 まるで親の言うことにただ従う子供のようだった。

「なんだと? 同じ志だから付き従ってる、そうじゃないのか。まさか全容も知らずに国民を危険に晒してるのか? 正気かお前」

 語気を強める奏屋。燦護もそれに続いた。

「それだけ信頼に足る理由でも?」

 ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す館端。

「単純さ……“あの人は間違わない”」

 その瞳は揺るぎなく、真実を語っていた。


 人々が悲鳴と共に逃げ惑う。

 二人の戦いは、警察やそれ以外のいかなる人間も割って入ることは出来ない。

 一方の攻撃が当たれば、突風と衝撃が辺りに広がる。道路のアスファルトに叩きつけられれば、たちまち地割れの如き亀裂が入る。

 人と呼ぶにはあまりに定義から外れた所業。まるでスクリーンの中の災害。怪獣のようだった。

「うおおおおっ!」

 情一郎の上腕が習碁の首に食い込む。

「らぁ!」

 プロレス的な大雑把な攻撃も、必殺の威力が相手を追い詰める。角に建つコンビニエンスストアを突っ切り、いくつもの物を薙ぎ倒し、対角の道路へと飛び出た。

「ぐっっ」

 土煙の中、両足での踏みつけ。

「!!」

 体を回転させ、回避。情一郎の両足が地面に深い痕を残した。

 即座に立ち上がる習碁。

「ふらふらじゃないか? パワーは俺の方が上みたいだなっ」

 情一郎の右ストレート。習碁は後ろに仰反る形で避ける。情一郎は両腕を振り、連撃で習碁を追い詰めていく。

 習碁は頭を地面すれすれまで下げ、反対に足を高く上げて情一郎の顔に掠めた。

「おっと!」

 その回転の遠心力のまま、二撃目を蹴り当てた。

「ぐっ……!」

 深く脇腹に突き刺さる。

「スピードは、俺の方が僅かに上か?」

 真横へと飛んでいく情一郎。

 互いに五分の戦い。身体能力は互角と言え、僅かに力と速さの違いがある程度だった。

「だああっ!」

 幾つもの建物を貫通し、瓦礫まみれになった情一郎。その山を押しのけて埃のついたマントを後ろに払った。習碁は、焦ることなく観察しながら歩み寄ってきている。

「今! こうしてこれだけの被害が出ているぞ! 大丈夫なのか?」

 大声で煽るように言い放つ情一郎。やけになっているようだ。アドレナリンの過剰分泌が窺える。

「俺だって不本意だ。お前という化物を抑えることに尽力している。けれども、俺以外にこの役目は務まらないだろうからな」

 辺りは殆ど人が居ない。警察は、介入出来ないと判断するや否や、人々の避難・及び交通規制を優先した。人の及ぶ事態では無いからだ。それはマスコミも同様だった。

「ちっ、付き纏われても面倒だ。再起不能にさせてもらう。俺の邪魔は……させない」

 再度、相見える二人。決着がつくか、都心が壊れるか、どちらが早いかなんて誰にも分からない。

 刹那、何か大きな物が二人の間を横切るように飛んできた。それは自動販売機だった。

「!?」

 飛んできた先を確認すると、人が居た。こんな異常事態に危険を顧みず近づいてきたのだ。

 一人。息を荒げている、おそらく自動販売機を投げつけたであろう本人。黒いトレンチコートを着た長髪の女。自動販売機を持ち上げ、投げるなど、尋常ではない。普通の人間が成せることとは思えなかった。しかし超人とも違う。

 その横にはパーカーを着た青年が立っていた。情一郎は少し考えた後、見覚えがあることに気がついた。

「はあ。あんたら、一回一回移動し過ぎ。追いつくのに時間かかっちゃった」

 女がそう言う間、習碁と情一郎は動きを止めたままだった。

「……覚えてますか? 俺、以前あなたに助けられました。一年以上も前になりますけど」

 青年は言った。情一郎は記憶を辿った。自分が力を手に入れ、ひっそりと暮らしていた際、初めて会った超常的な力を持つ人間。大人(おとな)数名に襲われているところに手を貸した。

「あの時の……」

 青年は臆することなく、情一郎に向いている。

「美波野誠。俺の名前です。俺は、物心ついた時から変わった力があって、それに悩まされていました」

 激しい戦闘の余波か、誠の頭上に窓ガラスの破片が落ちる。

「危ないっ」

 習碁が動くより速く、大きなガラス片は空中で動きを止めた。

「!?」

「自由落下しても加速しなければ大した重さじゃない。それに、俺の力なら手が切れたりする心配もありません」

 習碁の頭に一人、思い当たる人物があった。自分同様、ネット上で一時期有名になったことのある超能力者。遠くにある物に触れられる力。たしか彼は“拡張者”と呼ばれていた。

 誠は力の扱いを増していた。細かな動きは出来ないが、“事前にそこに置く”という程度なら、視界の外にも干渉可能になったのだ。

 誰もいない道の傍へとガラスを投げ捨てる。

「どうしてあなたみたいな人が、罪のない人々を巻き込むなんて……」

 誠はまっすぐと情一郎を見つめた。彼が行なっている愚行を止めることが、誠にとっての使命だった。

「あなたの言葉で、俺はこの力とより向き合うことが出来たし、一歩を踏み出す勇気も貰った。……ラプトルにだってそうです。どうか、こんなマネはよしてくださいっ」

 情一郎は苦悩していた。元来正義感の強い性格。物事の良し悪し、善悪の分別はついている方だと自負していた。

 綺坂情一郎が超人的な肉体を手にしたのは今から約一年半前に遡る。工場勤務の情一郎はその日、夜中の点検へ来ていた。多くの化学薬品を取り扱う場所。仕事の疲労は限界まで溜まり、視界の覚束ない中、ついに誤って機械トラブルを起こしてしまう。わけも分からぬまま事故は事故を連鎖させ、ある瞬間、薬品が爆破。四階に相当する位置に居た情一郎は吹き飛ばされ、その先の高電圧設備に衝突。そこで記憶は途絶えている。

 飛散した薬品・爆破による破片や熱・そして感電。様々な要因から、次に彼が目を覚ました時には、今の体になっていた。

 鋼を優に超える肉体。新幹線や飛行機・戦闘機より速く、どんな生物や重機より強い膂力。一日にして、情一郎は神の如き力を得たのだった。

「く……」

 誠の声が俯いた情一郎の頭に響いた。

「ラプトルから事情は聞きました。でも、ご家族が今のあなたを見たら……きっと悲しむ」

「君に何がっ」

 車の音。タイヤが勢いよくアスファルトを駆けるざらついた音色が遠くから聞こえてくる。ドリフト走行にて端から姿を現したのは、一台の大型のバンだった。

 ブレーキをかけ、車体が若干の傾きを見せつつ停車する。すると中からぞろぞろと男女あわせて三名が出てきた。

「そこまで〜。“拡張者”美波野誠。坊やが遅れた理由はこれね……チキン。考えを改めるいい機会よ」

 亜莉紗は、彈から先ほど武燈習碁については聞かされていたものの、予定にない誠とみづきに関して少し驚いていた。

「まだこんなに仲間が居たんだ……てか、震条さん人使い荒いなあ」

 ぼそりとみづきが呟く。

「なんだ? 次から次へと」

 習碁も困惑を隠し切れない。

「とりあえず、ま、ご開帳〜」

 亜莉紗の合図を聞き、ダニエルがドアを横に引いて開ける。鑑は中の人物をゆっくりと誘導する。

「!!」

 情一郎は目を見開いた。

「香、美佐」

 こんなところに居るはずのない二人の家族の姿に大きく動揺する情一郎。

「どういうことだ……!」

「私が! ……無理言って連れてきて貰ったの。大丈夫、今は平気よ」妻の言葉が制止した。

 本来、重病を患い病室を離れることなど到底叶わないであろう自らの妻がこうして目の前に居る。点滴を横につけたまま。

 娘は家政婦に任せていた筈。たまの面会として母親の為の外出程度は許していたとはいえ。二人して知らない人間に連れ出されている。

「坊……ラプトルに中継してもらおうかと思ったけど、あなたのお話をさせてもらったら、本人たっての希望でね」

 無論、彈はそれが出来る状況でもなかった。

「彼女は今落ち着いている。安心してほしい。しっかりと調べた」ダニエルが亜莉紗に続いた。

 香は夫を宥めるような顔つきで言う。

「第一、私のはそんな急に悪化するようなものでもないしねっ。治療だって進行を遅める為のものだし」

 儚げな笑みだった。

「パパ……悪いこと、してるの……?」

 娘の美佐はまだ六歳だった。

「俺は、俺は……」

 亜莉紗達は言葉を挟まず、ただ家族の話し合いを聞く事に徹した。

「あなた。もうやめましょう? 人を騙して、迷惑をかけて。そんなことをしてヒーローになったからって、あたしの為にお金を作ったって、ちっとも嬉しくないわ」

「……」

 香はわざとらしくため息を吐いた。

「辛かった筈よ。あなただもの。……家族を天秤にかける必要は無いわ。“病は気から”。あたし、頑張るし。あなたはあなたの心に従って」

「そんな……俺はお前が……いや、それでも……」

 美佐がとてとて情一郎に近寄る。マスクのせいで顔の半分は隠れているが、父親ということに少しの疑いも無いようだった。情一郎はチキンの正体を二人に黙っていた。

「パパ。私、ケガもう治ったよ? 心配しないで。あと……ヒーロー? のパパかっこいい!」

 情一郎は自らの視界がぼやけていくのを止められはしなかった。

「ああ、ああ……っ……」

 膝から崩れ落ちる。習碁のどんな攻撃にも耐えていた体が、言うことを効かなかった。

「あああああああああ!!」

 情一郎の中で何かが溢れ出た。徐に美佐を抱き寄せる。香も美佐の後を追い、娘と夫を抱き寄せた。

「……俺の出番は終わりか」

 そう言って習碁が踵を返すと、亜莉紗が全員に聞こえるように言い放った。

「まだよ。皆乗って! ……綺坂情一郎さん。道中、力の起源や胎田宗近という男についての説明を」

 バンの扉を鑑が開いた。

「武燈習碁さん。まだ仕事が残ってる」

 習碁はやれやれといった風に軽く笑った。

「さ。ビルに乗り込むわよ」

 亜莉紗は意気揚々と車のキーを差し込んだ。


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