10.蠢く悪鬼羅刹
「うーん……」
パソコンと睨み合いをしている斉藤。
「どうしたんですかっ! 斉藤さん」
流が意気揚々と話しかける。
「……また、その件について考えてるんですか」
「ああ。ラプトルには悪いことをしたと思ってな」
シングウジインダストリーが一夜にして壊滅した事件。あの場には公表されている人間達の他に、もう一人の人間がいた。
恐らくこの企業を壊滅させた張本人であり、大量殺人者だ。あの様を一目見ればラプトルが人を殺していないというのは馬鹿でもわかる。それはラプトルが手袋をしているから指紋が残っていない、などというような理由ではない。
遺体を回収し身元を洗って分かったことは、現代に残る殺し屋、その中でも伝説的存在であったということ。想像以上の大物に警察も揺れ動いた。
だが、ある筋から聞いた話によると”朱い飛沫”、そう呼ばれるその男は、常識人であり、裏の世界の殺伐とした環境を辛うじて繋ぎ止めていた楔のような存在だったらしい。
そんな人間が死ねば今以上に日本が揺れる可能性がある。故に、彼の死は公表しない運びとなった。
「ラプトルとレッドスプレーなる男は知人だった。先に来てたであろうレッドスプレーをラプトルが止める形で向かったのか、単なる加勢か」
いずれにしろ、シングウジインダストリーが消えたのは警察としても助かった形になった。
「この件を境に少しは犯罪も下火になった……。ラプトルの存在が新たな抑止力にでもなってるのか」
一人で頭を働かせる斉藤。流は呑気に飲み屋の話をしているが斉藤の耳には入っていなかった。
そんな中、一人の刑事が慌てて駆け込んできた。
「またまた頭のおかしいやつの登場だっ」
男は封筒を大きな机の上に叩き置いた。封筒の中から飛び出した写真と書類の数々。
凶悪詐欺グループの死体の写真だった。
「なんだこりゃ!?」
刑事達は一様に驚愕する。写真の中の一枚では死体の上に書き置きのようなものが貼ってあった。
「ヒーロー、モノクローム参上……? はあ?」
またもや大きな悩みの種が増え、溜息の絶えない刑事達。
斉藤が呟く。
「模倣犯が出てきたか……」
流が続ける。
「しかも今回は明確な殺人を行ってます。こればっかりはヒーローなんて呼べませんよ」
斉藤は傍にかかったスーツを取った。
「悪い。ちょっと出るわ」
流が後に続く。
「お、俺も行きます!」
断罪完了。
社会から悪が減っていくのが実感出来る。自らの手を汚し、裁定者となることで悪人を絶てるのならこんなに素晴らしいことはない。
モノクロームは悦に浸っていた。
「マキビシの野郎め、いい仕事をする。頑丈な上にこの軽さ、誰が来ても負ける気はしないな! ラプトルにだって……」
全身アーマーにマント、口元の露出した頭部マスク、血のついた下肢の武装。口角を上げ不適な笑みを浮かべる。
「本当のスターってのは初めは不人気なモンだ。今に支持率は上がり、俺を称える声で埋め尽くされるだろう」
自分の掌を見つめ、ゆっくりと目を見開いた。
「どうも。刑事部捜査一課の斉藤といいます」
「同じく捜査一課、流です」
斉藤と流が警察手帳を広げる。
「現在この辺りで聞き込みをしていまして。最近、宗教団体の勧誘などはありませんでしたか? またチラシの投函などは?」
マンションの一室。住人である主婦が口を開ける。
「ああ、それなら……訪問はありませんけどチラシがあった筈……」
車内でチラシを見つめる斉藤。助手席の流も同じチラシを覗いていた。
「”あなたの人生に意味を与えます。幸せになりましょう”……見たところ普通の胡散臭い宗教にしか見えませんね」
斉藤が首を傾げる。
「確かに、噂に聞いていたほどの危険性はこの紙切れでは伝わらんな。最低限の情報量か」
顔写真も無く、概要と地図・電話番号が載っているのみ。チラシの上にはでかでかと”ぺスティサイド”の文字が書かれていた。
「現地に赴いてみるしかないか」
「命を捧げる場所だの奪う場所だの言われてますからね……これは腕の見せ所ですよ!」
「なんで張り切ってんだ」
斉藤が溜息をつく。
「念の為だ、今日はあと数箇所回って日を改めるぞ」
作業を終え、疲れ切った肉体にサプリや水分で仮の栄養補給をし、一人、鞭を打つようサンドバッグを叩いていた。
故に気づくのに遅れが生じた。階段を降りてくる足音にも気づかない。
扉が開く。彈が即座に後ろを向くと、そこには亜莉紗が立っていた。
「ハ〜イ♪」
「!」
驚いた表情の彈。
「実際のあんたに会うのは初めてだな。亜莉紗」
「実物は画面越しよりもずっと綺麗でしょ?」
「……違いない」
くすっと笑う彈。
レッドの拠点でもあった廃墟の地下室。この空間で一人じゃないのは随分久しぶりだ。
「龍だけでなくそんなのが二人も……! あんたも短期間で大変ね」
鞄からノートパソコンを取り起動する。
「まあ龍と戦って大事ないのは良かったわ」
亜莉紗がパソコンをいじりながら答える。
「“本業”とはいえ毎日しっかり活動してるのね。そのうち体壊すわよ。自分の体のメンテナンスもしっかりね」
「わかってる。栄養管理はちゃんと」
「栄養だけじゃなくて。休養もって彼に教わったでしょ?」
口を閉ざす彈。確かに睡眠時間は削っていたかもしれない。無理をしているつもりはなかった。それは事実だ。何をするにも時間が足りないと、知らぬ間に睡眠の重要性を欠いていたのだ。
「そう……だな」
レッドのことを思い出し、やや表情が陰った彈を見て亜莉紗が話題を切り替えた。
「あ、そうそう、ここに来たのは渡したいものがあるからよ。あたしも忙しいから毎日付き合ってあげることは出来ないけど、今後はできる限りサポートをしようと思ってるわ」
そう言って鞄から小さなケースを取り出した。
「?」
ケースには片耳のイヤホンのようなものが入っていた。
「まあ平たく言えば通信機ね。これでいつでも連絡取れる、坊やの活動時間である夜ならあたしも大体話せると思うし」
イヤホン型の通信機を手に取る彈。
「リアルタイムで情報を調べたり教えてくれるわけか。こいつは役に立ちそうだ」
「当たり前でしょ。その灰色の男と緑色の男についてはまた情報が入り次第伝えるわ」
突然、彈は深々と頭を下げた。
「ちょっ、何してるの!?」
亜莉紗が顔を上げるよう促す。
「ありがとう」
彈が穏やかな表情で続ける。
「返しても返しきれないほどの借りがある。これからも借りを作り続けるだろう。ほんとに感謝してる」
「……ぷっ、あはははははは!」
亜莉紗が涙目で笑う。
「あたしが好きでやってんの。レッドとは考え方が似てたから力を貸してたし、それはあなたも一緒。想いを、やるべき事をちゃんと受け継いだのなら、自分が思う最後までやり切りなさいよっ!」
彈は笑い、亜莉紗も笑った。
知る人ぞ知る、ある会員制のバー。
深夜ながらそこは常に活気に満ちていた。要人、殺し屋、売人、あらゆる人間の溜まり場であった。
「あの壊し屋がラプトルに敗北を喫したってのは本当なのか……?」
「だとすればソードに壊し屋の龍を立て続けに、あのラプトルという小僧はいずれ大きな脅威になるやもしれんぞ」
「すでにここまで名を広げているのだ。警察と手を組んでいたりせぬといいが……」
酒、女、薬の数々。加えて煙草の煙が充満している。
「おい! ワインをもっと持ってこい!」
端のカウンターにいる、両脇に女を侍らせた男が叫んだ。バーテンダーが静かに酒を運ぶ。
「ちっ、味も粗末だが店員の気も効かんな。……貴様は飲まんのか?」
男は後ろの壁にもたれた護衛らしき男に声をかける。右目には特殊なレンズのようなパーツが、腰元には変わった形の一対のトンファーがぶら下がっていた。
「いや、俺は遠慮する」
「ふん、堅物め。まあ、俺の身辺さえ守ってくれれば何でも良いが」
クスリのある空間。当然普通ではない。注射や吸入器、巻いた紙、ビニール袋、大勢が様々な方法で楽しんでいる。
「この前の件だが取締役をヤッてくれて助かったよ。……おい? ……ダメだ。トンでる」
ハイになった呂律の回らない人間も少なくない。
その時、激しく扉が開いた。
店のボディーガードが倒れ込んでくる。ゆっくりとその後ろから男が現れる。上半身裸、下は独特な金属をあしらえたコンバットパンツ、全身には肌が見えなくなるくらいに敷き詰められたタトゥー。赤黒い髪の男だった。
無言で辺りを見渡す。
「なんだあいつ……!? おい! やれ!」
会員達はざわつき、ほぼ全員が自らの警護を差し向けた。
「……いいね」
殴る。蹴る。掴む。放り投げる。およそ格闘技、格闘術などとは呼べない素人の喧嘩殺法。だが男はナイフや銃を装備した護衛の男達を悉く打ちのめしていく。
「なっ……! なんなんだ!」
男は返り血でその身を染めながら笑っていた。
「いい! いいね! やっぱその道の奴らは歯応えが違う!」
そう言いつつも、周りから見れば護衛の男達はまるで相手になっていなかった。
「ははっ! はははっ!」
高笑いで男達を撲殺する。中には顔面がひしゃげている者もいた。
薬で意識が朦朧としている者以外は全員が店内の扉の逆方向へ集まっていた。店のボディーガードも、自らのボディーガードもやられた。そんな中、一人の男が口を開いた。
「おい、片付けろ」
横目で指示を出す。周りが声をかけられた男の方を見る。
「パラサイトキラー……! 由眼家さんの護衛ですか!」
「おお……!!」
パラサイトキラーと呼ばれたその男は壁から離れ、眼前の脅威に立ちはだかる。
「これは骨が折れる相手だな」
「多分……遊んでくれるのはお前が最後か……なら……楽しませてくれよっ!」
男がパラサイトキラーに襲い掛かる。数発の大振りを避け、蹴りをお見舞いする。
「……くっ!」
赤黒い髪の男が怯む。
「他とは違うな。本物だ……!」
またも嬉しそうな顔を見せる。
「目的はわからんが、いつまでもは付き合ってられない。ご退場願う」パラサイトキラーが面倒そうに答える。
赤黒い髪の男の前蹴り。当然のように躱す。続く連撃を今度は全てはたき落としてみせる。
「おお! 奴の攻撃を捌いているぞ……!」
女を侍らせた男は嗤っていた。
(当たり前だ。パラサイトキラーは俺が大金をはたいて雇っている用心棒だぞ。卓越した戦闘能力とその仕事ぶりから数年でこの業界の信頼を勝ち取った。そう易々と敗れる男ではないわ)
パラサイトキラーの圧勝かに見えた勝敗。だが決着は依然つかない。
(こいつ、一体何度立ち上がるつもりだ……!?)
何度ダウンも与えても、顎を狙い脳を揺らせど、男は気絶する様子を見せない。
「はああぁ〜、楽しいな……お前、その武器は使わないのか?」男がトンファーを指さす。
パラサイトキラーは焦っていた。自分の勝利への確信は揺らがない。だがなんだ? この、空気や水を叩いているような感覚は。まるで致命傷を与えられる気がしない。
人間だ。
頭・心臓に弾丸を撃ち込めば死ぬ筈、ナイフを突き刺せば死ぬ筈。現にさっきだって銃やナイフを避けていたではないか。
流血もしている。骨も折れている。
頭では分かっていても第六感のようなものが、今まで積み上げてきた経験が“危険信号”を発していた。
「……やめよう。これ以上の戦いは無益だ」
「あ? 死ぬまでやりあおうぜ」
突然の提案に、自分の身を案じ動揺する要人達。
「お前は戦いを、殺し合いを楽しんでるようだ。それも本気の。俺は今、全力で戦う気は無い。今日は退いてくれ」
男は肩を落とした。
「……はあ、萎えた。確かにお前とは本気でやりあいたい。ただ殺すのは勿体なさすぎる。……帰るわ」
男は怒りというより、とても残念がっているようだった。
嵐のように去っていった男に、店内は皆が呆然としていた。