1.正義とは呼べぬ拳
「現在都内を震撼させている新宿での連続殺人。事態はいつ収束に向かうのでしょうか。依然。予断を許さない状況で———」
「超能力や超常現象というものは実在するんですよ。というのもね、私の友人にも———」
「速報です! 現在〇〇銀行にて強盗犯が立て篭もりを行っているとの情報が入りました!」
スマートフォンのアラームが鳴り響く。ぼやけた視界の中、手探りで音を止める。
朝。変わらぬ日常。今日は朝イチの講義だったな、と目を擦りながらカーテンを開けた。東の光が瞼を刺した。
「次は池袋ー。池袋ー」
満員電車に揺られ、愛好しているロックバンドの曲を聴きながら流れていくビル群や車内の広告を見る。自身に聞かせるかのようなため息。
「今日は寝ないようにしないとなあ」
扉を開け一瞥すると、すでに目ぼしい端の席は埋まっていた。仕方なく後方真ん中の席に座る。
「おはよ! 彈。朝から辛気臭い顔してるねっ」
ノートを開く間もなく声をかけてきたのは幼馴染の勇希だ。朝に弱い彈は勇希の快活さを面倒がった。
「お前今日はバイトじゃなかったか?」
「それは明日! も〜そんなに煙たがらないでよ」
「いや、そんなつもりは」
いつもの二人の様子と言わんばかりに、金髪の青年が勢いよくやって来る。友人の聡だ。
「朝っぱらからおアツいねえ。お二人さん」
彈は否定するが勇希はまんざらでも無さそうだ。
見慣れた風景がそこにはあった。程なくして教授が到着し、講義を始める。
「くそっ、まさか日中に来るとはっ……!」
「セキュリティを掻い潜り、あまつさえこの人数でも奴には敵わないというのか!」
「止めろ!」「殺せ!」
激しい怒号の飛び交う中、数多の死体と血の海の上を悠々と歩く、モッズコートを靡かせた棟髪刈りに長身の男。その肩にはおよそ人の扱える代物ではないであろうサイズの、特殊な形をした丸い鋸を携えていた。
幾人ものスーツを着た男達が襲いかかる。がしかし、次々と肉の塊が積み重なるだけであった。一方、男の身には傷の一つこそ無いにも拘らずその表情は険しく、瞳には悲哀が灯っていた。
「ぐあ……っ!」
最後の一人を斬り伏せ、勢いよく扉を蹴破ると、全ての護衛を投入したであろう生気のない中年の男が拳銃を向け椅子に座っていた。
「”朱い飛沫”、これほどとは……誰に依頼された! そいつより良い値で雇い直してやる!」
何も言わず歩みを進める長身の男。向かう中年は引き金に手をかけながら会話を続ける。
「わ、分かった! プロのあんたに雇い直しなんて野暮だよな! 何だ? 何が欲しい!?」
発砲音と同時に金属音が響く。棟髪刈りの男は銃弾をも容易く弾きながら口を開いた。
「お前は今までの中でも最悪なケースだ。人身売買、恐喝、詐欺、殺人……」
「! 正義面をして、悪人だなんだを裁いてるってのは本当だったのか……き、貴様だって人を殺しているではないか! 善人ぶりおって! 人間は皆悪人だ! むしろ私のような者が社会を回してやっているのだ! 感しゃっ」
中年の首が宙に舞う。
「誰も自分が正義なんて言っちゃいない。ただ裁かれるべき奴はいる。それをやったのがたまたま俺だっただけだ」
男は大きな丸い鋸状の武器を振り、付着した血を払った。
「勇希ちゃ〜ん! お友達も一緒に、軽くカラオケでも行かね?」
「ごめ〜ん聡くん、あたしら三人でご飯いっちゃうからさっ」
「ご飯!? なら俺もっ……ふがふが」
「行くぞ」
彈が強引に聡を引き剥がす。横目をやると勇希が小さく手を振っていた。それに後ろ手で手を振り応える彈。
SNSを開いた画面を見ながら聡が言った。
「銀行強盗捕まったってさ。にしても最近、前にも増して物騒だよなー」
「まあ日本の警察は優秀だから大丈夫だろ」
そう言われると、聡は納得した様子でケータイを収めた。電車内にある化粧品の広告が目に入る。
「はあ、最近女っ気なくてつれーわ」
聡が愚痴をこぼす。彈はいつものことのように軽くあしらう。すると追い討ちが掛かった。
「てかさ、お前実際のとこどーなのよ」
「?」
「勇希ちゃんだよ! ユ・ウ・キちゃん! 付き合ってねーんだろ? どうせお互い好き同士なんだからさっさと付き合っちゃえよ〜あんなショートカット美少女なかなかいないぞ? しかも幼馴染属性もあるときた!」
「あ、あいつはそんなんじゃねえよ! 昔からの腐れ縁だし、第一あいつにだってそんな感情……!?」
辟易の眼差し。煮え切らない様子に飽き飽きの聡。
「はあ〜。お互いこれじゃ思いやられるな」
「? それどういう……」
「ほら駅までもう着いちった。じゃあな! グズグズしてると降り遅、いや、乗り遅れるぞ〜!」
制する間もなく友人は降りていってしまった。
自宅に着き、部屋の灯りをつける。
今日も真面目に講義を受け、聡とのカラオケも楽しんだ。ふと、聡の言葉を思い出す。まさかな。思考を巡らせるも、得意じゃないと放り出し、眠りについた。
「おっはよー!」
相変わらず勇希と似たようなタイプだなこいつは、と彈は思った。
「あれ? 勇希ちゃんまだ来てないの? この科目とってるよな?」
「たしか今日はバイトのヘルプで休みだったはず」
午後の講義が終わりケータイを確認すると、着信が入っていた。
(芦川……? 勇希んとこのお母さんか)
何の用だろう、と掛け直す。すぐに相手は出た。
「もしもし、芦川です。彈くん? よかった! 悪いんだけど勇希今どこにいるか知らない? 昨日から帰ってないのよ」
今日はアルバイトのはずじゃないのか。電話はしたが出勤していない、と母親。はは。彈は理解した。昨日あれから遊んだままサボっているな? と。
「わかりました。俺からも連絡してみます」
勇希の母親との通話を切り、すぐに勇希に架電。しかし何コールしても出る気配はなかった。普段は返信も速く、彼女の性格からして日を跨いだり、ましてや欠勤に連絡を入れないなどありえない。なにかトラブルでも?
不審に思った彈は聡に事情を説明し、大学を後にした。聡はオールくらい大学生なら誰でもあると楽観していたが、なんだか落ち着かない。
大通りに出る。信号がタイミング悪く赤になってしまった。拭いきれない不安のなか、苛立ちが募る。
「……れました」
「繰り返します。先程二名の女子大生、明星ひかりさん(20)、佐々木果穂さん(20)が遺体で発見されました。なお、強姦・殺人を行った犯人及び犯行グループは未だ逃走中、現在、警察が捜索を行っています」
またか。物騒すぎる。こんなにも切迫した状況で聞くと、とても人ごとには思えない。
……“おかしい”。
ニュースの女性二人に見覚えがある。勇希の友達、昨日ご飯に行くと言っていた、一緒にいたあの二人だ。
視界がぼやけた。頭の中が真っ白になった。……勇希は?
気がつくと走り出していた。勇希の職場、地元の飲食店を駆け回った。もちろん、居るはずがなかった。
夜の光り輝く街の中、ビルの屋上に長身の男が佇んでいた。
「場所は街のはずれにある第二倉庫か。随分ボロそうだな」
手持ちの電子端末で依頼の詳細を確認する。
「これが最後の仕事か……ん? 電波障害か?」
何の前触れもなく端末の電源が落ちる。街を見渡すと、ところどころが停電していた。
「ツいてないな……急ぐか」
男は怪訝な表情で踵を返した。
日が落ち、あたりはいつのまにか暗くなっていた。彈は思考を変え人気の無い場所、通行量の少ない場所を重点的に探していた。
いない。いない。
動揺が焦りを生み、焦りが最悪の想定をイメージしてしまう。探し回り、体力も疲弊しきったその頃、ある倉庫に辿り着いた。廃工場のような。人一人いなさそうだ。
足を進めると奥に焚き火のような微かな灯りが見えた。
「くそっくそっ、あいつらこんな怪我ごときで置いて行きやがって……」
声がした。一歩一歩灯りの方へと進んでいく。そして、目に入ったのは足を負傷した男の姿。
———と、無惨な姿で捨て置かれている女の姿。
「! ……な、なんだお前!」
言葉すら声にならなかった。
「サツじゃあねえなあ? ビビらせやがって……おら、さっさと失せろ。殺すぞ」
男は拳大のナイフをきらつかせる。
「あ、後通報もすんなよな」
顔を殴った。
ナイフが腰を掠めたが気にもならなかった。出血を憤怒が覆い隠した。
「ちょっ……まっ……」
殴った。馬乗りになり、ただただ殴った。男の顔の判別が難しくなるほどに殴り続けた。拳の感触は鈍化していった。脳はすでに考えることをやめていた。
長身の男が倉庫にやってくる。鈍く重い音が聞こえる。音のする方へ向かうと想像を超えた惨劇が広がっていた。
「……! おい、やめろ!!」男は得物を投げ捨て、人であったであろうモノを殴り続ける手を制し止めた。右の手首を左手で掴む。
見たところ学生だろうか。充血した眼で涙を流しながら死体を殴り続けていた青年。
男は尋ねる。
「お前、人を殺したのか?」
(こいつはターゲットじゃない。ならなぜ……)
彈は止められた拳を力なくふりほどき、勇希のそばに行く。必死に抵抗した後があった。服は破れ、髪は乱れ、ナイフでの刺し傷や切り傷がいくつもあった。
「勇希……なんでこんな目に……なんでこんな目に遭うんだよ!!」
上擦り、掠れた声が響き渡る。勇希の髪を整え、
「俺、好きだったよ。……君を、愛してた……!」
そう言って強く抱きしめる。
悲痛な叫びも当然届かない。音の無い幼馴染の重い肉体。何も言わずに徐に唇を重ねる。
「こんな奴ら全員殺してやる……」
そう呟いて彈が立ち上がった。
「やめときな。人殺しなんてするもんじゃあねえ。結果的にお前は一人殺してしまった。だがまだ引き返せる。……全員殺してやるなんて言うんじゃない」
背後から声が掛かる。
「……誰だか知らないけどなんでここに来た? 関係者だと捉えていいのか……?」
表情こそ見せないが、背中越しに殺気が伝わってくる。
まずい。
普通じゃない。だいぶ精神をやられている。大方、被害者の恋人か何かだろうが、こんな形で発見されたんだ。無理もない。
「俺は俗に言う……殺し屋だ」
特に驚いた様子はなかった。突飛な発言なのは言うまでもない。
「依頼されてこの犯行グループを殺しに来た。だが少し遅れてしまった……こいつらはマークされてた集団だ。経験も多い。なんらかの方法で電波障害を起こし逃走。そしてちらばったんだろう」
顔の判別こそ難しいが、首から下の状態はそのままだ。
「そいつは被害者に抵抗されて迅速な逃走が出来なくなったんだろう。だから切り捨てられた」
「……ちょっと待て。こいつらの詳細なんてどうでもいい。あんたが仲間じゃないことも一応認めよう。けど矛盾してる。……殺し屋が殺しを止めるのか? 俺は関係無いだろ? なら俺が何をしようが勝手だろ。人を説く資格なんかない」
ゆらりと立ち上がり男を睨む彈。ばつの悪い表情の男が口を開ける。
「……俺は捨て子でな。たまたま拾われた環境がこういう世界だった。少し特殊なんだ。右も左もわからない頃に殺しのノウハウを学んで来た。もちろん、分別のつく年齢になる頃には社会的な善悪の判断もつき、自分が少なくとも“善”ではないことくらいわかっていた。可能な限り悪人のみを殺してきたつもりだ」
反論せんとばかりに口を開こうとする彈。それも遮られた。
「分かってる。生い立ちは理由にならない。全て自分の選択だ、そういう生き方に納得して生きてきた。だがお前はどうだ? 所謂、普通の学生じゃないか。“よくある話だ、気持ちはわかるが前を向いていこう”、なんて言わないが、こちらの世界に足を踏み入れるべきでは無いことくらいはわかるだろ? 人を殺して殺して、無数の屍の上に成り立つ人生など、たかが知れている。殺しは避けるべきだ。……犯行グループも当分表には出てこないだろう。見つけ出すのは不可能だ」
言葉。というより男の発する何かが彈を納得させた。
「……」
「その死体は置いていけ。こっちが処理する。お前に警察の手が及ぶことはないだろう」
「……それでも! それでも俺はこういうことをする奴を、今後一生、許すことは出来ないだろう。俺は身勝手でいい。この街から、この世界から……屑どもを一掃する」
そう言った青年の決意は固く、瞳は強く輝いていた。
暫し熟考する男。彈は勇希を一瞥し、惜しみつつもその場を去ろうとする。
「自警団にでもなるつもりか!」
男が大声で呼び止める。一呼吸。
「俺はその筋では名の知れた殺し屋でな。挙げた功績も多いとされてる。かなりの大物を殺ってきたからな」
要領を得ない様子の彈。
「何の話だ」
「運命かもな……」
小声でそう言い、続ける男。
「今日が最後なんだ、この仕事。簡単に言えば引退するんだ。……せっかくだ。お前に協力してやるよ」
突拍子もない発言に面を食らう彈。
夜風が怪しい男のコートを靡かせていた。