3話 来客は刺客
「あぅぅう!!」
ぐさっ
(…見事な刺し箸だな…。)
箸の使い方が分かっていないジュリアは当然のように漬物に箸を刺した。刺された沢庵の真ん中には綺麗に2つの穴が空いていた。
(まぁ、箸の使い方はその内教えるとして
まずはスプーン類の食器を買ってこよう…。)
見まねで沢庵を口に運びぼりぼりと食べるジュリアは1口、2口と噛む度に笑顔を増やしていった。
それを見た夜叉は同じ沢庵を食べながら笑顔で言った。
「"美味しい"」
「おいひい!!」
「そう、美味しいな。」
美味しい美味しいと言いながらジュリアは沢庵と味噌汁を完食した。しかし最後に残った白米は刺すことが出来なかったらしく茶碗を持ってとうに食べ終わっていた夜叉に向かって言った。
「…う?」
(あぁそうか、白米は無理だよな。)
夜叉はどうしようかと迷った。今から箸の使い方を教えるのはかなり大変だ。特にジュリアのように言葉をあまり理解していない場合は。
そこで夜叉はあることを思いついた。
「貸してみろ。いい物を作ってやろう。」
「???」
*
キッチンでは夜叉があるものを作っていた。
ジュリアは気になって仕方ないようで台の下からぴょんぴょんと飛び跳ねながらなんとか夜叉の作っているものを見ようとしていた。
「ほら、出来たぞ。"おにぎり"だ。」
完成したおにぎりを見せるとジュリアは目を輝かせた。それを受け取るとまるで野山で逃げ回る兎のように家中を飛び跳ねた。
ご飯がおにぎりに変わったことに驚いたのか、おにぎりを貰えて嬉しかったのか夜叉は分からなかった。
「おいぎり!!おにぎり!!」
「あ、こら!ジュリア!
あまりはしゃぎ過ぎるな!!怪我するぞ!」
「おにぎり!!おに……」
どんどんっ
「え……?」
外からノック音が聞こえ夜叉は凍りついた。誰かが来たのだと一瞬で分かったのだ。もしも人間がいることがバレたらジュリアはどうなってしまうだろうかと考え夜叉はぞっとした。
「ジュ…ジュリア。こっちへ…!」
「う?」
こっちこっち、と風呂場の脱衣場の方へと手招きして夜叉はジュリアに言い聞かせた。
「ジュリア、少しの間だけだから
静かにしているんだ。いいな?
良いって言うまで出てきちゃダメだからな。」
しー、と夜叉はハンドサインを送った。
ジュリアはあまり分かってなさそうだったが同じようにしー、と真似をした。
夜叉はちょうど近くにかけてあった乾き終わった羽織をジュリアにかけた後、玄関へと向かった。
「すまない!今出る!」
夜叉は急いで雨戸を開け玄関の外に顔を出した。
そこに居たのは少し変わった背広を纏った男だった。その男の眼は赤く、首の下で結んだポニーテールが蛇になっており、まるでメデューサを彷彿とさせた。
その男の名前はハミルトン・サンチェスといった。
「おはようございます。夜叉さん。」
ハミルトンは赤い垂れ目を細め、にこりと微笑みながら言った。
「あ…あぁ、おはよう。ハミルトン。
…朝だから用事だったら手短に頼む。」
夜叉は心臓がばくばくと音を立てているのが分かった。内心早く引き取ってくれと切実に考えていた。
「実は先日飲みたがっていたあのお酒を友人に
何本か頂いたんです。いつもお世話になってい
ますしよろしければと思いまして。」
「あ…と。そうか、それは嬉しいな。」
後ろを確認したい衝動に襲われていたが夜叉はなんとか耐えた。この男は何かと鋭いのであまり挙動不審だとどうしたのかと疑われてしまう。
(頼む…!早く帰ってくれ……!!)
「そうですか!喜んでもらえて何よりです!
そうだ、重いので中まで運びますよ!」
その言葉に夜叉は全身が粟立った。
「いや、大丈夫だ!
このくらい俺一人で運べるから!!」
「いや重いんですし遠慮しないでくださいよ。」
遠慮するわ!!と夜叉は心の中で叫んだ。
しかし、それを口に出すことも出来ず中々折れないハミルトンに夜叉は負けてしまった。
(大丈夫だ…。ジュリアがいるのは風呂場だ。
そして、こいつが行くのはキッチンまでだ…。)
落ち着け、落ち着け。と夜叉はそっと息を吐いた。ハミルトンは台の下に酒瓶を置いていた。
(早く!そのまま何も気付かず帰ってくれ…!)
頼む頼む、と願う夜叉のことを知る由もないハミルトンは笑顔で言った。
「…あのー。もしかして、今誰か来てますか?」
夜叉は頭を鈍器で殴られたかのような感覚だった。だが、ここで焦ってはいけない。落ち着け、落ち着け自分と言い聞かせていた。
「…どうしてだ?」
いつも通りの顔を必死に作っているがハミルトンはどう思うか分からない。夜叉はその後に聞かれるであろう質問に対する必死に言い訳を考えていた。
「いやぁ、そこの机に箸が2つもあったので…。」
本当に鋭いな!と夜叉は内心突っ込みつつ食器を隠さなかった自分を責めた。
「いや…、えっと、あれは、…そう!昨日のだ…!」
自分で何言っているんだ!!と思った夜叉だが、この混乱した空気の中1番いい回答など思いつかなかった。
「昨日の?!しっかりと洗わないと駄目じゃない
ですか!せめて水に浸しておきましょうよ!」
ハミルトンはまさか貴方が?!とでも言いたげに驚いていた。
(誤解だ…!でも本当のことなんて言えない…!)
言いたい言葉も弁解も沢山あった夜叉だったが近くにいるジュリアのことを思い何とか飲み込んだ。
「…まぁ、今日の所は帰りますね…。
…夜叉さんもきっと疲れているんですよね?
だから、しっかりと休んでください。」
「あ、あぁ。肝に銘じておく…。」
(ふぅ…。よしよし、とりあえず難は逃れたな…。)
安堵の溜息を漏らした夜叉だった。
…しかし、夜叉への災難はここで終わりではなかった。
…へっくしょん!!
(お、おい…まさか……?!)
「今、あっちからくしゃみが
聞こえませんでした…?」
(馬ッッッッ鹿!!!!)
夜叉はハミルトンが風呂場の方を見たので反射的に割り込んでしまった。
「いや!!!何も!!聞こえなかった!!!」
夜叉自身も自分が何を言っているのか分かっていなかった。とりあえずジュリアの存在を隠さなければいけないと必死だったのだ。
そんな夜叉のことをじとりと見ながらハミルトンは言った。
「何か隠してるならば言ってくださいよ!
長年の飲み仲間じゃないですか!!」
「いや、何も!!隠していることなどない!」
じりじりと風呂場の前で攻防を繰り返していたその時だった。
「う?」
「あっ!!」
「…え?」
風呂場の中から出てきたのはジュリアだった。口の隅には米粒がついていたのでおにぎりを食べ終わってしまい出てきてしまったのだろう。
「…貴方は……」
「ジュリア!!ジュリア!!!」
「俺の一族の子だ!!!!
こう見えてもこの子は人見知りなんだ!!
今日のところは帰ってやってくれないか?!!」
夜叉はジュリアを抱きしめるようにして隠したがハミルトンは気に求めず距離を詰めた。
「魔力を感じません……。
まさか!!この子って!!」
「まだ子供だから!!
鬼の子供は魔力が無いんだ!!」
考えるよりも先に言葉を発した夜叉だったがその言葉には無理がある内容が多いとハミルトンは感じていた。
「夜叉さん。人間ですよね?」
「ジュリア、ニンゲン?ニンゲン!にんげん!」
「こら!!!ジュリア!!!!」
もう絶対にバレてしまった……。と絶望していた夜叉だった。しかし、ハミルトンはそんな2人の前に膝をつきジュリアと目線を合わせた。
「初めまして、ジュリアさん。
私は"ハミルトン"と申します。」
「う?はじめ?まし?」
ハミルトンは人間を毛嫌っている様子では無かった。妖達と接する時と大差がなかった。
「ハミルトン…。
お前、人間とか嫌いじゃなかったのか?」
「一部の人間は苦手ですけどね。
この子は初めて会った子ですので
とりあえずは大丈夫ですよ。」
(あれ……?良かったのか……?)
にっこりと微笑むハミルトンを見て夜叉は脱力した。この世界で人間に敵意や悪意を持つ妖は大勢いる。ドワーフ族の先生等は大丈夫だったがハミルトンはそうとは限らなかったので尚更安堵していた。
安心した夜叉はもしかしたらハミルトンなら少しでもこの子の言葉について協力してくれるかもしれないと夜叉は期待した。
「実は昨日あったばかりなんだが、この子は
あまり言葉が分からないそうなんだ…。」
「…身なりは普通ですよね?
歳も10は超えているでしょう?」
ハミルトンは不思議そうに問いかけた。
「その理由が分からないんだ。」
その夜叉の言葉にハミルトンは数秒思考した。
そしてある考えを言った。
「この子がこの世界に来るときに喋り方を
忘れてしまった…とかですかね?」
「この世界に来るときに…か」
(そういえばジュリアは見つけたとき
傷だらけだった。もしかしたら、
それは関係しているのかもしれない…!)
夜叉はそんな記憶喪失のような状態になっているという説にやけに納得しかけていた。
「まぁ、確証は持てませんので…!
ね?ジュリアさん!!」
「う?はみとん?」
そんなこと知る由もないジュリアはハミルトンの蛇と戯れていた。
(それならば、この子の記憶を取り戻してあげた
い…。……そうだ!)
夜叉はとあることを思いつき箪笥の中に閉まっておいた壊れているカメラを取ってきた。
「夜叉さん…?これ、カメラですよね?
壊れているように見えますけど……。」
「この子が持っていたものだ。もしかしたら
この子に関係することが分かるかもしれない。」
ジュリアはカメラを興味津々に見ていた。
そのカメラを渡してみると壊れているのにも関わらずとても喜んで弄り始めた。
「確か、商店街の中にある時計屋さんが
この手の機械に詳しかったと思いますよ。」
「そうか、なら修理に出してみようと思う。」
それがいいですよ、とハミルトンはジュリアの頭を撫でたあとあまり長居しても申し訳ないので、と玄関へと歩いていった。
「きっと妖も人間嫌いばかりではないので
そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ。」
ハミルトンは振り返りジュリアと夜叉を見て言った。
「そうか…帰り、気をつけろよ。」
「はみとんー」
ハミルトンがばいばい、と手を降るとジュリアも同じように手を振った。
「ばいばい、はみとんー」
こうして、夜叉はハミルトンの言う通りカメラを出すことに決めたのだった。
*
ハミルトンの姿が見えなくなった頃、夜叉はあることに気がついた。
(初めて会ったハミルトンの名前は呼んでいたのに
俺の名前を呼んでくれたことは一度もないな…。)
そう、この男はショックを受けていたのだ。
夜叉の中には何とかして自分の名前を覚えてもらいたいと言う気持ちがむくむくと芽生え始めていた。
「ジュリア。」
「う?」
そう思い夜叉は自分の名前を教えることにした。
夜叉は自分のことを指さしながら言った。
「や、しゃ」
「やさぁ」
「やしゃ」
「やしゃ!!」
「そう!!夜叉だ!!」
えらいえらいと頭を撫でながら相変わらず覚えるのは早いな、と喜ぶ夜叉だった。