過激な手を使うのはやめてください
長めです。
私の朝は早い。
日が昇る前に起き身支度を整えてお茶を飲みながら本を読む。
朝のピーンと張り詰めた空気の中、本を読むと目が覚める気がするのは、たぶん私だけだと思う。
この早起きは私のワガママなので、私はそれらを全て一人でこなす。
朝から忙しいメイド達は私の身支度に時間を割く必要が無いのだ。
いつもは朝食の準備が終わるまでは放っておいてくれるのだが、その日はいつもとは違った。
いつものように本を読んでいると、部屋の前が騒がしくなった。
流石に本に集中できなくて、ドアを開けようとしたがドアは反対側から押さえつけているらしく開きそうも無い。
仕方なく、ドアに耳を着け外の音を聞いてみた。
「ですから、アルティナお嬢様はまだお休み中でございます」
「少し顔を見るだけだ」
「淑女には身支度に時間がかかります故、今は無理でございます」
メイドが部屋に侵入しようとしている人を止めているのだと解った。
って言うか、こんな非常識な時間に会いに来るなんて何を考えているんだ?
「お引き取りくださいませ」
「メイドの分際で生意気だぞ」
うちのメイドになんて口を聞くんだ。
私はイライラし始めていた。
だって、うちのメイド達は優秀で働き者で私のワガママだって許してくれる優しい人達だ。
私は彼女達を家族だと思っているのに〝メイドの分際で〟なんて言葉許せるわけがない。
どうすればいいか悩んでいるとドアの前でメイドの小さな悲鳴が聞こえた。
そして、ドアノブが動いた。
メイドを押しのけてドアを開けようとしているのだと解った瞬間、私の首元にいたシャルロが大きくなり私が見えないように後ろにかばうと、開いたドアの隙間から顔を出した。
シャルロはグルグルグルと聞いたことないぐらい低い声で唸って見せた。
「うわぁ」
部屋に侵入しようとしていた男は驚いたように叫ぶと走って逃げて行った。
後ろ姿から言って、ダレン・パピリオタ侯爵子息だろう。
隣国の騎士団長の三男は飛竜に驚かされて逃げるのか?
軟弱者である。
シジャル様なら状況も解らず逃げ出したりしない。
ましてや、私の部屋から知らない竜が顔を出したら有無も言わさず戦ってくれると思う。
私がシジャル様に想いを馳せているとシャルロはまた小さくなり、私の頬に頬ずりをしてきた。
「ありがとうシャルロ。凄く頼りになったわ」
「キュ〜」
シャルロの頭を撫でてあげると、シャルロは嬉しそうに鳴いた。
「アルティナお嬢様! お客様をお止めできず申し訳ございませんでした」
「貴女はよくやってくださいました。貴女も恐ろしかったでしょう? 私のためにごめんなさい。怪我などしてない?」
私が彼女を気遣うと、彼女は目を潤ませた。
「私は大丈夫でございます。お気遣いありがとうございます」
私のせいでこんな目にあったと言うのに本当にうちのメイドは良い人だ。
「このことは直ぐにユーエン様に御報告いたします。それと、アルティナお嬢様の部屋に鍵を今日中に設置いたしますのでご安心下さい」
私は安心して頷いた。
朝食の時間、うちの食堂ではなく私の部屋に兄が食事を持ってきてくれ、一緒に朝食を部屋でとることになった。
「災難だったな」
「メイドのリーファとシャルロが護ってくださいました」
「彼女には褒美をやらなくてはな」
「そうですね。何がいいでしょうか?」
「聞いておこう」
兄はスープを一口飲んでから言った。
「司書長に頼んでアルティナの部屋に結界を張ってもらうか?」
いいアイデアだと言わんばかりに兄は言った。
「ご迷惑です」
「だが、アルティナに何かあって後悔するのは司書長だぞ」
そう、言われてしまうと……
「相談してみます」
「その方がいい」
兄は柔らかく笑い、私の頭を撫でてくれた。
その日のうちに私はシジャル様に今朝あったことを相談した。
いつものようにシジャル様の執務室に案内され、促されるままに話すたびにシジャル様の顔色がドンドン青くなっていくのが、凄く申し訳ない。
「つきましては、シジャル様の都合の良い時に私の部屋に結界を張っていただけないでしょうか?」
シジャル様は泣きそうな顔で私の右手を両手で掴んだ。
「勿論です! ユーエン様以外の男が一歩も入れないようにガッチガチの結界を張りましょう」
シジャル様には失礼かもしれないが、心配してくれていることが解って凄く嬉しい。
「それでは、シジャル様も入れないではないですか? シジャル様なら無条件で私の部屋に入っていいのに」
シジャル様は今度は顔を真っ赤に染めた。
「じ、自分も決して安全な男ではないと言いますか……」
「シジャル様にされることなら、私は何でも嬉しいです」
シジャル様は両手で顔を覆うと、ああああああああああああああ! と叫んでいた。
シャルロが警戒してグルグル喉を鳴らし始めて慌ててシャルロの頭を撫でた。
「アルティナ様! そんなことを男に軽々しく言ってはいけません!」
「はい。シジャル様にしか言いません!」
シジャル様はヒュッと息を飲むと口をパクパクさせていた。
そして、深呼吸を何回かすると真っ赤な顔で眉を釣り上げて言った。
「……ち、違います! 自分にも言ったら駄目です」
私は少し口を尖らせた。
「そんな可愛い顔しても駄目ですからね!」
可愛い顔なんてした覚えがない。
「可愛い顔じゃないです。拗ねているんです」
「何ですか? その可愛い主張は!」
シジャル様は少し感覚がズレているのではないだろうか?
「とにかく、結界は今日張りに行きますのでご安心ください」
シジャル様そう言うと私に手を伸ばした。
まさか、抱きしめてくれたりするのだろうか?
少しの期待を込めてシジャル様を見つめると、シジャル様は私の首元にいるシャルロの頭を撫でた。
「良くアルティナ様を護ってくれた。ありがとうなシャルロ」
期待してしまったせいで恥ずかしくて顔が熱くなる。
「? アルティナ様? 顔が赤い様ですが、どうかなさいましたか?」
シジャル様が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
はっきり言って今は顔を見られたくない。
「シジャル様のバカ」
思わず呟けば、シジャル様は困ったように笑った。
「アルティナ様にならバカと言われても嬉しいですね」
私は胸を締め付けられたように苦しくなった。
「シジャル様」
「はい。何でしょう?」
「バカ」
私は熱い頬を両手でおさえた。
「本を探してきます」
そう言って、私はシジャル様の方を見ないようにしてその場を離れた。
「アルティナ様、可愛いすぎ」
立ち去る私の後ろで指まで赤く染まったシジャル様がそんなことを呟いていたことを私は知る由もなかった。
シジャル様から離れ、この前借りて読んでいた『経済的観念から導き出す消費者の心理と欲求』の二巻を見つけ手にとった。
シジャル様の元に戻って本を読むのはかなり恥ずかしいし集中もできないだろうと思い私は普通に図書館の中にある椅子に座り本を読み始めた。
しばらく本に集中していると、左横の席に誰かが座ったのが解った。
シジャル様かと思いチラリと見ればそこには真っ赤な薔薇の花束が見えた。
おおよそ図書館に相応しくない物に顔を上げると、そこには父の連れてきた客人の……名前えっと、エンシオン・何とか公爵の次男たぶん、自信はない。
確実なのはモノクルをつけたお客様だ。
「アルティナ嬢、こんにちは。朝会えなかったのが残念で来てしまいました」
えっ? 何この人気持ち悪い。
嫌悪感を顔に出しては駄目だ。
必然的に無表情になってしまった。
「プレゼントを受け取っていただけますか?」
こんな邪魔な物を今受け取れと?
何だこいつ。
父ともだが、客人とも喋らないと兄と姉達と決めたせいで文句のひとつも言えない。
どうしたものか?
「さあ、どうぞ」
客人が私に薔薇の花束を差し出した。
本当にいらない。
そう思った瞬間、私の首元にいたシャルロが薔薇の花束に顔を突っ込み、花を喰い千切ると、ぺっと床に吐き出した。
何がおきたのか解っていない客人を他所にシャルロはぺっぺっと口の中の花びらを吐き出している。
「シャルロ、大丈夫? アーンして、とってあげるわ」
シャルロはケフケフと咳き込みはじめている。
心配してシャルロの口の中を確認しながら花びらの破片をとってあげた。
「大丈夫?」
「キュイ〜」
元気そうに鳴くシャルロに安心する。
「アルティナ様、どうかしましたか?」
シャルロの騒ぎにシジャル様が気がついてくれたようで、やってきたのが解った。
「あ、すみません。花や飲食物の持ち込みは禁止されていますので、お持ち帰りください」
シジャル様はニコニコと笑顔でそう言った。
「で、では、アルティナ嬢いっしょに」
「アルティナ様、そちらの『経済的観念から導き出す消費者の心理と欲求』は全四巻なのですが、どうしますか? 流石に重いと思うので今日お邪魔させていただく時にお持ちしましょうか?」
客人の話を遮るようにシジャル様はそう言った。
「シジャル様のご迷惑になるのでは?」
「この程度なんともありませんよ。それよりも、ユーエン様にも今日お邪魔させていただくことを話しておいた方がいいでしょうか?」
シジャル様と兄は仲良しすぎではないだろうか?
「お兄様がシジャル様にお願いするように言ったのですから近日中には来るものだと思っているはずです。報告する必要ないと思いますが?」
「ですが、ユーエン様には誠実に向き合っていきたいと思ってますので」
兄とばかり仲良くするのは、私は違うと思う。
それに、兄も兄だ。
リベリー姉様の旦那様ベスタンス様にも、ラフラ姉様の旦那様のパルマ様にも、自分の相談ごとをしたりしないのに、何故かシジャル様には事あるごとに相談していたりする。
何だか凄くモヤモヤする。
「本棚の申請書類を出しに行かなくてはいけないので、ついでにユーエン様に今日お邪魔させていただく旨をお伝えしてきましょう。アルティナ様もご一緒にいかがですか?」
シジャル様はニコニコと笑顔だ。
これは、客人から逃がしてくれようとしているのだろう。
シジャル様をしばらく見つめてから、私はフーっと息を吐き出した。
「私も、お兄様のところへお供します」
「良かった」
シジャル様は私がすっかり忘れていた客人にひとつ会釈をしてから私に手を差し出してくれ、私はそれに手を乗せた。
シジャル様と手を繋いでいる事実に私はフワフワした気分でその場を後にしたのだった。
シジャル様にエスコートされ兄のいる第一王子の執務室にやってきた。
ドアをノックすれば兄がドアを開けてくれた。
「アルティナ? どうかしたのか?」
執務室の中に促され、勧められたソファーに座る。
同じようにソファーの私の横に座るシジャル様。
「実は、アルティナ様に花束を持ってからんでくる男性がいまして」
シジャル様の言葉に、兄は少し考えてからフンっと鼻を鳴らした。
「インシオン・メデュージアだな」
ああ、そんな名前だった。
「アルティナ様が花束を邪魔そうにしていたので止めに入ったのですが、シャルロに先を越されてしまって、情けない限りです」
シジャル様はそう言って頭を掻いた。
「いいえ、シジャル様もちゃんと助けてくださいました。情けないことなんて微塵もありません」
私が胸を張って言えば、自分の机で書類整理をしていた第一王子のディランダル様がクスクスと笑った。
「アルティナさんは声が出るようになってハッキリと物事を言うようになったね」
私は声が出なくても、シジャル様以外には言いたいことを言っているつもりだ。
「何がおかしいのでしょうか?」
「いや、アルティナさんの声が出るようになってから私の婚約者も毎日ニコニコしていてね」
「惚気るおつもりでしたら、クリスタ様の目の前で言って差し上げてくださいませ。ただでさえクリスタ様より砂糖が口から溢れ出しそうなほどの惚気を聞かされるのです。私から言わせていただけるのであれば、二人きりでどうぞ」
私は一気にまくし立ててそう言った。
第一王子は顔を赤くして机に突っ伏した。
それができれば、第一王子と婚約者は苦労をしないのだろう。
「アルティナ、ディランダル様をいじめるな」
「惚気を聞かされる方がいじめです」
兄が呆れたように第一王子を見ている。
「ユーエン、君の妹はオブラートって言葉を知っているのか?」
「知っていますとも、ただオブラートは水分で溶けて無くなりますから、婚約者とイチャイチャして心の潤いのあるディランダル様の前では溶けてなくなってしまったのでしょう」
第一王子は真っ赤な顔で口をパクパクさせている。
「お兄様の方が王子様をいじめてますよ」
「日頃、惚気られているからたまにはいいだろう」
なら、仕方がない。
私はそれ以上いうのを止めた。
「自分も妹のようなクリスタの惚気話は遠慮したいですね」
シジャル様は、アハハっと乾いた笑いを浮かべた。
「話を戻すとしよう、インシオン・メデュージアだが」
「面倒なので、モノクルの人ですね」
「まあ、モノクルの人だが……で、そいつはアルティナが恋愛小説ばかり読んでいる夢見がちな女性だと夢見ている男だし、もう一人のダレン・パトリオタは」
「筋肉の人ですね」
私が説明すると兄はフーっと息を吐き出した。
「脳筋でマナーのなっていない筋肉ダルマなのは事実だ。早朝の淑女の部屋に無許可で侵入しようとした時点で犯罪者だと僕も思うが、仮にも父上の客人だしな」
兄の説明にディランダル様が唖然としている。
「その話もあるので、今日アルティナ様の部屋に結界を張りに行ってもよろしいでしょうか?」
「司書長の結界なら安心だ。助かる」
兄は安心したように表情を緩ませた。
「アルティナさんが今危険な状況だと私の弟達に言ったら何か変わるかな?」
ディランダル様がそう呟いたのが聞こえた。
「ただただ面倒なことになるから止めてくれ」
ディランダル様は兄に睨まれ口をつぐんだ。
「アルティナ様が心穏やかに過ごせるように自分は出来るだけのことをやりますよ」
シジャル様はそう言って穏やかな笑顔を私に向けた。
抱きしめて頭を撫でまわしていいだろうか?
私がうずうずしている中、兄がシジャル様の頭を乱暴に撫でた。
「頼んだぞ司書長」
私がやりたかったやつ!
私はその時、兄を睨むことしかできなかった。
家に帰る時間になり声をかけると、シジャル様は図書館の中庭で昼寝をしていたフェンリルのリルさんを小脇に抱えてやってきた。
「では、行きましょう」
リルさんは私を見ると千切れそうなほど尻尾を振ってみせた。
「番い! 久しぶりっす!」
「はい。お久しぶりですリルさん」
「番いの声! 初めて聞いたっす! 可愛いっす!」
リルさんは瞳を輝かせてシジャル様の脇腹のあたりで手足をばたつかせた。
私はそんなリルさんの頭を撫でてあげた。
「はわわわわ! 番い大好きっす」
可愛い子犬が喋る異様な光景だが、シジャル様は呆れ顔なだけで止めるつもりがないようだ。
「リルさん、今は子犬に擬態されているのですよね?」
「はいっす」
「なら、人前で人の言葉で話しては駄目ですよ」
私がそう言うと、リルさんはしばらく考えた後、ワンっと一つ鳴いて見せた。
「私とシジャル様の前ではいいですが、他の人がいる時はそれでお願いしますね」
私はシジャル様からリルさんを借りると優しく抱きしめた。
フワフワのモフモフで最高だ。
そこに兄がやってきた。
「その犬どうしたんだ?」
「リルさんです」
兄はリルさんの頭を乱暴に撫でた後、リルさんの手を掴み肉球を揉み揉みしながら目をキラキラさせた。
「捨て犬か? うちで飼うか?」
兄は犬好きだ。
今もリルさんを私から奪いとり撫で回している。
「リルさんはシジャル様のお友達です」
兄はシジャル様を見つめた。
「うちで飼っては駄目か?」
「ユーエン様、彼はフェンリルという魔物ですので、飼うのは無理です」
すると、兄はリルさんと目線を合わせ見つめた。
リルさんは居心地悪そうにシジャル様の方を見た。
「こんなに可愛いのに魔物?」
「そうです。実際は馬車のようにでかい狼です」
シジャル様が諦めるように促すが、兄にはむしろ逆効果だと私は思った。
「馬車だと? お前凄いんだな」
そう言って兄はリルさんのお腹を撫で回した。
「ギ、ギャー! 旦那、助けてくだせい! 大事なものがガリガリ削られる〜」
リルさんは兄の手から逃れるとシジャル様の頭にしがみついた。
プルプル震えるリルさんが可愛い。
兄は凄く残念そうにリルさんを見ていた。
「リル、少し我慢したらどうだ?」
「無理っす! オラッチは気高いフェンリルなんすからね!」
シジャル様の頭にしがみつくさまはよほど、気高くは見えない。
「喋るのか〜可愛いな〜」
兄はリルさんを微笑ましげに見つめる。
目を離さない感じが更にリルさんを怯えさせているとは気がついていないようだ。
シジャル様がリルさんを頭から外そうとするが、爪は立てるし離れまいと頭を齧るしでシジャル様は諦めた。
兄のせいで申し訳ない。
仕方がないのでそのままうちの馬車に乗ってもらい、家に帰ることになった。
家に着くと、父が玄関で待っていた。
「アルティナ、お前部屋でドラゴンを飼っているというのは本当か?」
開口一番がそれか?
「父上、アルティナの護衛代わりです。何か問題が?」
「ドラゴンなんて、危ないだろ!」
父の連れてきた客人の方が何十倍も危険だと言ってやりたい。
でも、話をしないと兄姉と約束してしまっている。
「危なくなんてありませんよ。シャルロはアルティナ様が大好きですから、アルティナ様に不埒な真似をしない限り攻撃してきません」
シジャル様の声にその場にいた全員の視線がシジャル様に向いた、
凄く残念なことにシジャル様の頭にはリルさんがしがみついているせいで変である。
「何だこのふざけた男は!」
それは、普通の反応である。
「自分はシジャル・ミルグリットと申します」
「ミルグリット辺境伯の子か」
「はい。ミルグリット辺境伯の次男です」
どうやら父はシジャル様のお父様をご存知なのかもしれない。
「ミルグリットの次男が何故ここに?」
「アルティナ様に本を届けに参りました」
シジャル様は分厚い本を五冊父に見せた。
父は呆れたような顔をした。
「それは、ただアルティナに会いに来る口実ではないか?」
「まあ、そうですね」
シジャル様はにこやかにそう言った。
えっ! 嬉しい。
「父上、彼がアルティナの婚約者の司書長です」
父は目を見開くとシジャル様を指差した。
「こいつが……」
父の言葉に私はムッとしてシジャル様の腕にしがみついた。
「シジャル様、私の部屋に行きましょう」
私は父を無視してシジャル様を引っ張った。
「アルティナ! 」
父がイライラしたように私の名を呼んだため、私はメモを書くと父に手渡した。
『お父様とは会話もしたくありません』
父はそのメモを見ると固まってしまった。
今のうちだ。
私はそのままシジャル様を連れて部屋に向かった。
部屋にたどり着くとシジャル様は手にしていた本を私の部屋のチェストの上に置くと部屋を出て行こうとした。
私は慌ててそれを止め、シジャル様の腕を掴むとベッドに座らせた。
「アルティナ様、流石にここはまずいです!」
挙動不審なシジャル様を見ながら私は部屋の前でオロオロしているメイドに言った。
「お茶の準備をお願いします」
「待ってください! 二人きりにしないでください」
優秀なうちのメイドはシジャル様に解っていると言いたげに頷いてから去って行った。
シジャル様がこの世の終わりみたいな顔をしていた。
流石にその顔はショックだ。
「シジャル様は私と二人きりはお嫌ですか?」
私は泣きそうになりながら、消えそうな声で言った。
「そんなわけないでしょう? 自分は自分が信用できないのです! アルティナ様と二人きりになんてなって理性を保っていられるとでも?」
何故そんなに自信満々なのだろう?
「シジャル様は紳士だから大丈夫です」
シジャル様は頭を抱えてから小さく言った。
「せめて、椅子に座らせて下さい」
私は仕方なくこの部屋に唯一ある椅子にシジャル様に座ってもらい自分はベッドに腰掛けた。
「結界をさっさと張ってしまいましょう」
何故かぐったりとした雰囲気のシジャル様に私は口を尖らせた。
「そんなに私と一緒が嫌ですか?」
「違います。アルティナ様が魅力的だから言ってるんです」
シジャル様に魅力的と言われたのは嬉しいが、二人きりになれないのは寂しい。
「私達はいずれ夫婦になるのに二人きりになれないのですか?」
シジャル様はふわりと私を抱きしめた。
「可愛いすぎる」
耳元で言われた言葉に全身が熱くなる。
「夫婦になんてなったらアルティナ様がびっくりするぐらいイチャイチャする予定ですから、今は許して下さい」
シジャル様はそう言いながら私の頭に小さくキスすると離れて行った。
シジャル様の顔を見れば私と同じように赤くなっている。
しかも、凄く幸せそうに笑ってくれたから、私は更にシジャル様を好きになってしまった気がした。
その後、メイドに淹れてもらったお茶を飲んでからシジャル様は私の部屋に結界を張ってくれた。
女性と兄、それにシジャル様以外は入れない結界だ。
勿論、シャルロとリルさんも入れる。
リルさんはそこでようやくシジャル様の頭から降り、シャルロと追いかけっこをして遊びだした。
私はそれを微笑ましく見ていたが、その間にシジャル様が私のベッドに近づき何やら始めたのが解った。
「念には念を入れてベッドには女性だけしか入れない結界を張りましたので、ご安心を」
「シジャル様は入っても大丈夫です」
「それは駄目です」
シジャル様は頑なである。
「アルティナ様、自分のためにも警戒してください」
「私はシジャル様を信じています」
「自分は自分を信用していません!」
さっきからずっとこんな話をしている。
「お前らは何をやってるんだ?」
そこにやってきたのは兄だった。
「シジャル様が、すぐに帰ろうとするのです!」
「ユーエン様、帰らせて下さい」
兄は呆れたようにため息をついた。
「アルティナ、お前は何をしたんだ?」
「何もしていません」
兄は次にシジャル様に視線を移した。
「司書長は何故そんなに帰りたいんだ?」
「それは、アルティナ様が無防備すぎだとか、いい匂いがするとか刺激が強すぎで……不愉快かと思いますが、ここに長時間いたら理性的でいられなくなりそうで」
兄は遠くを見るとポツリと言った。
「既成事実があれば、嫁にもらってもらうしかなくなるな」
シジャル様が青くなったのが解った。
「司書長、ゆっくりしていくといい」
「ま、待ってください! ユーエン様、駄目です! それは一番駄目なやつです‼︎」
兄はニッコリと笑った。
「僕は司書長を認めているし、ちょっとぐらい何かあっても気にしない。司書長は僕の義理の弟になるわけだしな」
シジャル様は首を横に激しく振った。
「何をおっしゃっているんです? ユーエン様は自分からアルティナ様を護るつもりでいてくれないと困ります!」
兄はシジャル様の肩をポンポンと叩いた。
「〝据え膳食わぬは男の恥〟と言う言葉があるらしいぞ」
シジャル様は泣きそうな顔で兄にしがみつき叫んだ。
「今一番、聞きたくなかった言葉だ」
兄ばかりシジャル様とイチャイチャしてずるい。
私は兄にしがみつくシジャル様にしがみついた。
「くっ無駄に可愛い! ユーエン様助けてください」
「離せ、面倒臭い」
「見捨てないで!」
オロオロしているメイドが廊下に出て行ったのが見えた。
それからしばらくすると、メイド長であるヨギーナが現れた。
「何をなさってるのです坊っちゃま」
ヨギーナは腰に手を当て怒っているように兄に言った。
「お嬢様と婚約者様のお邪魔をしてはいけませんでしょ!」
「僕もそう思っているのだが、司書長が離してくれないのだ!」
すると、ヨギーナは呆れた顔をした。
「坊っちゃまはお嬢様の恋敵にでもなるおつもりですか?」
「止めろ。気持ち悪い」
私はそんな話をしている兄とヨギーナに向かって言った。
「私、そんなことになってもお兄様には負けません」
「アルティナ、話がややこしくなるから黙っていろ」
兄が嫌そうに私を注意してきたので、黙っていることにした。
「とにかく、婚約者様もお夕飯を一緒にできるよう、用意しておりますのでどうぞこちらへ」
メイド長に促され、私達は抱きしめ合うのをようやく止めて食堂に向かった。
食堂にはすでに父と客人二人が座っていて、兄と私はいつもの席に座り、シジャル様は私の横に座ってもらうことにした。
「自分まで夕食にお呼ばれしてしまい申し訳ございません」
シジャル様が父に話しかけるが、父は聞こえなかったかのように無視した。
「シジャル様、お気になさらないでください」
「解っています」
シジャル様はニコニコと笑ってくれた。
本当に穏やかで一緒にいて癒される人である。
私も思わずニコニコしてしまう。
「モニキス公爵、そちらの男性を紹介してほしいのですが」
そんな穏やかな空気に水をさしたのは、インシオン・メデュージアだった。
「自分はこの国の司書長をしていますシジャル・ミルグリットと申します。宜しくお願いします」
インシオンは鼻で笑ったのが解った。
「ただの司書が何故アルティナ嬢と親しくしているのか、甚だ疑問だ」
「アルティナ様は本を読むことがお好きなので、親しくさせていただいています」
インシオンはムッとしたようだった。
そして、今まで黙って食事をしていたダレン・パトリオタも苛立ったように話に入ってきた。
「貴様、アルティナ嬢と親しくしているだと? 高々司書の分際で」
シジャル様は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そう言われましても」
シジャル様を〝ただの〟とか〝高々〟とか言う二人に私のイライラがピークに達し、文句を言おうとした瞬間、シジャル様がテーブルの下の私の手を掴みぎゅっと握ってくれた。
「自分はただの司書ですが、貴方方よりはアルティナ様と親しくさせていただいてます」
シジャル様には珍しく挑戦的な言葉に私は驚いた。
「そうだな、アルティナは他のどんな人間より、司書長と親しいな」
シジャル様の言葉を後押しするように兄が呟いた言葉に反応したのは父だった。
「そうなのか? アルティナ」
私は、当たり前のように頷いた。
客人二人がシジャル様を睨んでいる。
シジャル様を睨むなんて許しがたい。
「司書長はアルティナのピンチの時はいつも駆けつけてくれる人。だから、僕が婚約の話を進めました。父上には文句を言われる筋合いは無いです」
兄の説明に私は深く頷いた。
「だが、インシオン殿は魔法の天才でダレン殿は剣術の達人だ! 二人の方が確実にアルティナを護れるぞ!」
父と客人二人が自信ありげに笑う。
「そうですか? あ、因みに今日アルティナの部屋に、司書長に結界を張ってもらいましたので父上も客人もアルティナの部屋には近づかない方がいいと忠告しておきます」
「アルティナの部屋に? 何故そんなことを?」
父は今朝のことを聞いていないのかそう聞いた。
「アルティナの美しさに血迷って不埒な真似を誰がするか解りませんのでお願いしたまでです」
「実の父親も信じられないのか?」
兄はニコニコ笑った。
「父上は単なる嫌がらせに決まっている」
兄は父から視線をそらすとスープを飲み始めた。
父は助けを求めるように私を見たが、私はあからさまにプイッと父から視線を外した。
「アルティナ」
むしろシジャル様がオロオロしている。
「司書長は気にする必要はない。父上は年に数回しか帰って来ないくせにアルティナを構い過ぎてウザがられているんだ。だから、距離をとれる場所があるのはありがたい」
「そ、そうなのですか?」
私は笑顔で頷いた。
父は私が一番母に似ているせいか、やたらと構いたがる傾向がある。
私からしたら、父は帰ってこなくていい人である。
母が父と何故結婚したのか不思議でならない。
父を止められるのは母しかいないし、早く父をどうにかしてほしいから母には一刻も早く帰ってきてもらいたい。
そんなこんなで今夜の夕食は最悪の夕食になった。
シジャル様をお見送りする時、私は深々と頭を下げて謝った。
「せっかくの食事が険悪ムードで不味くしてしまい申し訳ございません」
「アルティナ様、頭を上げてください。それに、アルティナ様の横で食事が出来るだけで、自分には幸せな食事でしたよ」
そんなわけないのに、シジャル様は優しすぎる。
「私も、シジャル様が手を握ってくださって幸せでした」
私が手を見つめて言うと、シジャル様は照れたように言った。
「ただの、アルティナ様の可愛らしい声を独り占めしたかった自分のワガママですよ」
なにそれ、嬉しすぎる。
顔が熱くなるのがわかる。
「そんなに喜ばせてもなにも出ませんよ!」
「アルティナ様の照れた顔を見れただけで充分です」
思わず顔を手で覆ってしまったのは仕方がないと思う。
「旦那、オラッチの前でイチャイチャするの止めてくれませんかね?」
「リル、黙ってろ。空気になってろ」
シジャル様の低い声にリルさんはキャインと小さく鳴いた。
「リ、リルさん、ごめんなさい。大丈夫です。イチャイチャしてませんから!」
「してたじゃないっすか?」
「幻覚です。忘れてください! と、とにかく、シジャル様を無事にお家に送り届けてくださいね」
リルさんは馬車のように大きな姿に変わると胸を張って見せた。
「お任せくださいっす! 旦那はオラッチが無事に家に送り届けるっす」
私はリルさんの鼻の上を優しく撫でた。
「では、何かありましたら直ぐにシャルロを使いに寄越してください。直ぐに駆けつけますので」
シジャル様はそう言って帰って行った。
シジャル様がいなくなると凄く寂しく感じてしまう。
私はとぼとぼと自分の部屋に戻ろうと歩き出した。
部屋にたどり着くと、部屋の前にインシオン様が私の部屋のドアに魔法をかけているのが解った。
それを近くで父とダレン様と兄が眺めている。
「シジャル様のお見送りをしてきました。リルさんが大きくなっていたのでお兄様もくればよろしかったのでは?」
「いや、行きたいのは山々だったのだがな」
「そんなことより、何をしているのです?」
私が兄に話しかけると、兄は呆れたように言った。
「司書長の結界の完成度が疑わしいとインシオン氏が言い出したのだ。そんなに言うなら司書長の結界を解いた後で、新しく結界を張ればいいと言ったらやる気出してな。やらせている」
「シジャル様の結界を解いた時は私、リベリー姉様の家に家出しますね」
私は兄にだけ聞こえるように呟いた。
「それがいい」
兄も私にしか聞こえないようにそう返してくれた。
まあ、いくらやっても解ける気配がなく私は兄の服の裾を引いた。
「そろそろ部屋に入りたいのですが」
「そうだな、諦めてもらおう」
兄は私を連れてインシオン様の前まで来ると言った。
「アルティナが部屋に入りたいらしいのだが、そろそろ気は済んだだろうか?」
インシオン様はムッとした顔をしてから私に笑顔を向けた。
「アルティナ嬢、この結界は不良品です。こんな結界ではアルティナ嬢が中に入ることすらできません」
この人は何を言っているのだろう?
私は構わず部屋のドアノブを回すと中に入った。
「お兄様、おやすみなさい」
私はそれだけを兄に伝え部屋のドアを閉めたのだった。
その後、部屋の前が騒がしくて気にはなったが部屋から出る気にはならなかった。
後で兄に聞いたが、結界を破ると言い張るインシオン様を私が部屋にいるのにやって危険は無いのかと兄と父が必死に止めていたらしいのだった。
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今回はシジャル様が格好良いんです!
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