親子が離れる日
出産後、2日間入院し、問題なければ退院だった。
入院中、里美から問題ないから明日退院すると連絡があった。
私は会社に休みもらった。
仕事が終わり家に帰り、梨花、お父さん、お母さんに里美が明日帰ってくると話した。
すると梨花は大喜びだった。ママに会える、赤ちゃんに会えるとはしゃいでいた。
そして紙を持ってきて、明日ママとゆいが帰ってくると鉛筆で書いて部屋中に貼っていた。
私は笑っていたが、ふと小さい時の自分を思い出していた。
あっ、そういえば自分にもこんな時があったなって。
梨花が書いた手紙は家中に貼ってあった。帰ってきたら梨花にはいっぱいママに甘えてもらおうと思った。
次の日病院に迎えに行った。里美も赤ちゃんもとても元気そうだった。
受付で会計していると、検診できていたお母さん達が結生に近づいてきて、「いつ産まれたんですか?かわいい」と声をかけてきた。
みんな次は自分の番なんだろう。待ちきれない様子で里美に話しかけていた。
車に戻り、帰ろとした時、
里美は「私、さっき周りのお母さん達に囲まれてちょっと怖かった。」と言った。
私は「いきなり寄ってきたら、ちょっとびっくりだよな」と笑いながら話した。
しかし、この里美の怖かったは私が思っていたより、深刻だったようだ。私は後々知ったのだが、里美は気づかないうちに人間不信に陥ってしまっていたのだった。あの時の流産がきっかけで対人への恐怖がずっと心に住み着いていたのだった。
帰る途中、赤ちゃんの必要な日雑貨類やおもちゃなどを買った。
家に着き、里美はほっとした様子で実家に入る。
するとわんこ達が喜んでお迎えしていた。吠える度に、結生は手足をびくんびくんと広げていた。
里美はそれをみて少し微笑んでいた。
梨花が一生懸命書いていたメモのメッセージを読んで笑っていた。
「このメッセージ、一生懸命梨花がママと赤ちゃんの為に書いてたんだよ。と私はこの時の様子を話した。
里美は「あの子、嬉しいだろうけど、本当は寂しがりやだからね。産まれてから、私は働いていかないと生活出来なかったから、あの子一人にする事が多くて。今回、パパがいてくれて本当によかった。ありがとうパパ」
里美はそう言うと赤ちゃんにお姉ちゃんの手紙だよって話しかけていた。
私は子供が一人でいる寂しさを自分なりにも経験があった為、梨花が頑張っていたんだなって思った。
里美はソファーに座ると少し疲れと病院での緊張が解けたのか、ほっとして肩をおろす。やはり相当疲れていたんだと感じた。
里美は「いつもより少し早めに梨花を迎えに言ってもいい?あの子も結生に会いたいだろうし」
私は「もちろん」と答えた。
その日はみんなで鯛を食べて、お赤飯を食べた。美味しかった。そして最後に家族写真を撮った。
次の日に出世届けを出した。晴れてこの子は、正式に北沢 結生となった。
今年も無事に終わった。
あとは私の借金を減らすことだった。
2月になり、そろそろ引っ越ししなきゃいけない時期かと私自身焦っていた。
元々は梨花が卒園するまでという話だった。
しかし、意外にもお父さんは一緒に住む事をいつの間にか当たり前になっていた。周囲の近所には娘と息子で二世帯と自慢しているらしい。それをお母さんから聞いた。
なんか照れくさかった。
結局引っ越しも現実厳しかった為、里美にもまだ引っ越さない事を話すと、梨花の小学校もここから通わせようとなった。
日々、梨花の卒園、学校への準備などが、忙しく進んでいた。
ある日ランドセルが家に届いた。誰から見たら、私の母からの名前だった。
私は戸惑ったが中を開けると、きれいなランドセルと手紙が入っていた。
お久しぶりです。ずっと連絡せずごめんなさい。今更ながらですが、結婚と出産、ご入学おめでとうございます。少しながらですが気持ちです。どうかご家族のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。 北沢 文子
中には10万が入っていた。私はどうなっているのか、父に連絡をした。
すると父が今までの事を話し始めた。
私の母が出て行った後、母は姉と兄と私を引き取ろうとしたらしい。
だが、父は私だけは絶対に渡さないといったらしい。
姉も兄も私を父から話すことはあまりにも残酷だと反対されたらしい。
結局、父は母に対して優希に一切連絡も近づいたりもするなと言ったらしい。
姉も父の性格も知っていたから無理に優希を引き取れば、父は何をするかわからないと思ったんだろう。
母は何度か私を遠くから見ていたらしいが声をかけれないでいたらしい。
今は姉と一緒に住んでいる。
母一年前から肺がんになり、あたり体調も良くないらしい。
私が結婚した事や、出産した事はここ最近、父が母に電話で伝えたらしい。
母はとても喜んでくれていたらしいが、もう会っていないから優希は会いたくないかもという事もあり、せめてもという気持ちでランドセルとお祝い金を送ってきたのだった。
私は今更、母に怒りや恨みはもうなかった。
母に対して何も無いと言えば嘘になる。
当時は母を何度も恨んだ事もあったし、先が見えない不安や一人でいる辛さをぶつけたい気持ちがあった。でも、大人になり、そんな気持ちはどこかにいってしまっていた。
ある意味この人生だったからこそ、里美を選んだんだと思うし、出会えたのかもしれない。
私は父に母の連絡先を聞いて電話した。
母は「はい?」と出た。
私は「お母さん?俺、優希。ランドセルとお金ありがとう。大切に使わせてもらうよ。」と感謝の気持ちを伝えた。
母は「良かったね。ごめんね。今まで。」
と言った。
私は「もう昔の話しはやめよう。俺も親になって色々わかったから」と言った。
母は声を詰まらせて泣いている様子だった。
私は母に「今度、妻と子供連れて会いに行くから。だから体大切にして長生きしろよ。」と言った。
母は「ありがとう。待ってるね。優希、頑張ってね」と言ってくれた。
私はそのまま電話を切った。
里美も「今度、パパのお母さんにみんなで挨拶しに行こう」と言ってくれた。
結生が産まれてから、私の失った絆も繋がりつつあった。
小学校も無事入学式が終わり少し落ち着いてきた頃、お父さんとお母さんから予想もしていなかった話があった。
内容は今住んでいるこの家を売却し、伊豆に引っ越すとの事だった。
私は一瞬状況が飲み込めなかった。
事情を聞くと、お父さんお母さんの自営の仕事は今現在ほとんど、収入がなく、銀行から借りながら何度か生計を立てている状況だった。
はっきりと言わなかったがおそらく、私達の生活費では大赤字だったんだろうと思う。
でもそこは向こうのお父さんお母さんは決して私達の事は言わなかった。
結論でいうと、これ以上銀行からは借りれないうえ、生活も厳しくなるというものだった。
だから今の家を売り、伊豆の別荘も売り、車も売り、安い車を買い直し、安い物件を伊豆で探し、伊豆の知り合いの会社を手伝うとの事だった。
お父さんお母さんからの急な話で里美も私もびっくりして、ただ返事をするしかなかった。
お父さん達はもうすでに行く事を決めていた為、行動して準備するのにはそう時間はかからなかった。
お父さん、お母さんは私に借金がある事を知らない。
だから正直家を借りれない状況は知らなかった。私はまた頭が真っ白になってしまった。
その状況で里美は不安そうに私を見つめていた。
色々と毎日考えた。借金は減らせない。もう借金はしたくない。
というよりもう借金したら生活なんてどころじゃなかった。
そうこうしているうちに、お父さん達は伊豆の家を下見しに行ってもう引っ越す準備に取り掛かっていた。里美は唯一の相談相手のお母さんが遠くに行くのが不安で仕方なかった様子だった。
私は今の状況で引っ越せない事を里美のお母さんに相談した。
お母さんは「どうにかしてあげたいんだけど、私達が引っ越す所はとてもじゃないけど、子育てする様な場所じゃないのよね。」という話だった。
つまりは一緒には無理という事を遠ましに言っていた。
残された場所は私の実家しかなかった。絶対にあんな汚い場所には里美達を住まわせられないと思った。しかし、もう行くあてがなかった。
仕方なく父に話した所は、父は「こんな所でいいなら」と言った。
本当にこんなところだよと思った。
里美に私の実家へ行こうと伝えた。里美は笑顔で「うん」と言った。
里美は「パパの実家楽しみ。どんな感じのお部屋なんだろう」と期待している様子だった。
私は里美に「うちは正直、ゴミ屋敷だよ。多分引くと思う。ってか家と思わないほうがいいかも」と言った。
里美は「何それ?」笑っていた。
私が休みの日に、実家の掃除をしに行くことになった。
里美には何度も、耳にタコができるほど、ゴミ屋敷で汚いと伝えていた。里美は「はいはい」と苦笑いしながら聞き流していた。
ましてや産まれたばかりの結生をあんな汚い場所に入れるなんて。そんな事ばかり考えていた。
家に着いた。ゆっくり鍵を開けてドアを開けた。里美には一瞬待ってもらった。私はささっと中を見た。
玄関は汚いうえに、下駄箱のドアが壊れている。カビ臭い。そしてトイレは黄ばみ汚れ、風呂カビ生えていて壊れている。
洗面所の水が流れる所、ひび割れ。今のフローリングは黒ずみ汚い、キッチンほぼ崩壊、父の部屋は換気していなかったのか黒カビの様なものが部屋の至る所に。そして臭い。
私の部屋は既に粗大ゴミで捨てる予定のものが大量に積み上げられており、入れない。姉の部屋は空だが部屋のど真ん中に車のタイヤが謎に山積みされており、そして畳が腐っている。
やばかった。
どこも見せれる状態ではなかった。逆によくこんな所に自分もそうだが、父も住んでるなっと思った。
しばらく、里美の住んでいたアパートや里美の綺麗な実家で暮らしていたせいか、実家がこんな状態だと改めて見ると何とも言えなかった。
里美には「ごめん、入ってもいいんだけど、一つ注意しておくね。とりあえず、今は人が住む場所と思わないでほしい。それと多分里美が生きてきて今まで嗅いだことのない匂いがすると思う。やばいと思ったらすぐ外に避難して。」と言った。
里美は「???」感じになっていたが、「パパ大げさだからなー」と里美は言った。
中に入る。里美は玄関から風呂場や脱衣
所を見てリビングに行く。
すると里美は絶句していた。
明らかに目が点になっており、言葉が出ない様子。
私が「な、言った感じでしょ」と言った。
里美は「うん。あ、いや大丈夫だよ!多分…」とテンションがかなり下がっていた。
里美はほうき一本持ってきていたが、ほうきレベルではなかった。マスクも必要だし、手袋も必要だった。
私はむしろ靴も脱ぐ必要はないレベルだと感じた。
里美はどこから片付けていいのか全く分からなくなっていた。当の私もよく分からない。
私は里美に「親父に片付けるもの聞いてみるね。」と言った。
里美も「うん」と言った。
結局片付けは、素人では無理な事がわかり、父に聞いた。
父は「わかった。とりあえず、業者に頼んで捨てるものを全て捨てて、リフォームする」と。
少し張り切っている様子だった。
結局家のほとんどの物は捨てた。
中には父がまだ使えると言い張った汚いフライパンなども全て容赦なく捨てた。あとは業者が回収した。
その後、リフォーム業者が来た。リフォーム業者は私の実家を見て、どうしたらこんな状態になりますか?と逆驚いていた。
特にキッチンはびっくりしていた。リフォーム業者も言われた予算では正直全ては不可能だった。
予算は120万だった。とりあえず、子供部屋の改修とトイレ、キッチン、壁紙をお願いしていたら、予算が超えるギリギリになっていた。
結局、出来るリフォームというか必要最低限のリフォームをお願いした。
正直、借金している私は何も言えなかった。
中途半端なリフォームに里美はには申し訳ないと思った。
その時、父に対してありがとうという気持ちがあったが後々、父を苦しめる事になるとは想像していなかった。
そして里美にも苦しい日々が待っているとは…
私はリフォームする事で多少気持ちが楽になっていた。
リフォームの工事が始まり、2日で終わった。その間は私と里美達は里美の実家にいた。父はリフォーム中も父の家で生活していた。
リフォームが終わり私達は家の中には入ると、確かに前よりはずっと綺麗になっていた。里美もこれなら生活できそうと少し喜んでいた。キッチンはピンクで、これは父が里美が楽しく料理してもらいたいと思って選んだらしい。
私達はすぐに引越しの準備をした。ただお金もなかったので自分たちの車とレンタカーを借りて私達と父と、里美のご両親に手伝ってもらった。里美のご両親は玄関に入った時、言葉を失っていたが、でも、リフォームしてすごくいいねと里美に言っていた。
私の父は「汚くてすいません。」と何度も謝っていた。
引越しが終わり、外でみんな一緒にご飯を食べた。その日は和食のレストラン。
この日が里美達のご両親が地元にいるのが最後だった。
次の日に私達は里美の実家に行った。すると里美のご両親達は空になった家中をチェックしていた。
里美も私達がいた部屋を見に行った。私は里美の後を追いかけた。
里美は空になった自分の部屋を見て
「ここで育ち、ここで私達、短い間だったけど、楽しく生活してたんだね。ここともさよなら。ありがとう。」
と言葉をこぼした。
私は「…、里美これからまた頑張ろう」と言った。
里美は「私、うまくできるかな」
と不安そうにしていた。
下の階では、梨花が里美のお父さんと大声出して遊んでいた。
里美のお母さんはチェックが済み、伊豆に出発すると言った。
あとはこの家を売れるのを待つと。もうすでに査定してもらっており、あとは売れるのを待つだけらしい。
伊豆に行ったら別荘もすぐ売り、車も売るとの事だった。
その話を黙って聞いていた里美は一気に思い出が蘇り、泣いてしまった。
里美は「私にとってここの家は好きな時もあったし、嫌いな時もあった。でもここでお父さん、お母さんがいたから私頑張れたんだと思う。それに伊豆のお家も私が小さい頃や梨花が産まれた時も遊びに行ってすごく楽しかった。この車で行った事も。お金って大事なんだね。…お母さん、…私もついて行きたいよ。」と言った。
紛れもなく里美の本心だった。
お母さんが「大丈夫よ。私達そんなに遠い所にいるわけじゃないんだし、何かあればそっちにすぐ行くし、遊びにも来なさい。それに優希くん達がついてるんだから。」と声を掛けた。
里美はさっき、ついて行きたいと言ってしまった事を私に謝った。
私は「全然、その気持ちわかるから」と言った。
本当はちょっとショックではあった。
お父さんとお母さんが
「じゃあね。お互いに頑張ろう。優希くんこの度は、私達の勝手な事情で色々とごめんね。里美達の事、宜しくお願いします。」と言った。
私は「はい、わかりました。」と答えた。
そのまま、里美のご両親は車に乗り手を振って見送った。里美はまた泣いていた。里美のお母さんも泣いている様に見えた。
私は借金の事で里美のご両親にも負担を背負わせる結果になったんじゃないと深く反省した。そうなら、今、里美は泣いてるのは私のせいだ。