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あの日全てを失った   作者: 涙山 原点
3/13

卒業と入学

母がいなくなってから、二年が経っていた。私はすでに母が帰って来ないという事を少しずつ受け入れ始めていた。

この二年間は友達にお母さんがいない事をバレない様にいつも仕事、仕事と嘘を言っていた。いなくなったなんて言えなかった。そうしていくうちに、嘘をつく事や、勝手に理由付けしていく事が当たり前になっていた。

でも、この二年間は想像以上に辛かった。ほぼ毎日一人で、月一回父が帰ってきて、大量にカップラーメンと冷凍食品を買って、父はまた単身赴任先に戻る。


父が帰ってきた時だけ好きなおやつ買ってもらいおやつを食べるのが唯一の楽しみだった。でも、誰もいない家で誰とも話す相手がいない家は、想像以上悲しく、急に泣いてしまったり、何度も寂しくて泣いてしまった。

そうしている内に、アニメなど見ていても、感情が抑えられなくなっていた。内容が家族での日常生活だったりすると、羨ましいと感じて、涙してしまう事もあった。布団の中で想像して寂しさを消化していた。

勉強に関しては全然やらず、当時は少し漢字だけ練習していた。でも長続きはしなかった。

もうお母さんの声も会話も記憶から薄れつつあった。

私は精神的に、想像以上に疲れていた。


六年生になると、段々と寂しさより、家庭内を周りに知られたくないという気持ちが強くなり始めた。

付き合う友達もどちらかといえば、あまりすぐに家に帰らない様なタイプの子が多くなった。

毎週土曜日に夜にある友達の家に6人ほど集まる様になった。その中に私もいた。最初は何も分からずその友達と遊んでいた。

その友達は中山くんという子で、父親が長距離トラックのドライバーで母親はパートしている家庭だった。中山くんには兄がおり、私の地元でも相当喧嘩が強いというので有名だったそうだ。私は当時そんな事は知らず、中山くんは小学五年の時に引っ越してきて六年生の時に同じクラスになり席が近かった事から仲良くなった。

そして、遊んでいく内に自然と毎週土曜日は中山くんの家に泊まって遊ぶ仲になっていた。

最初は良かったのだが、隣町から引っ越しという事もあり、前にいた小学校の友達も土曜日くる様になり6人ほどで泊まる様になっていた。中山くんのその前にいた小学校の友達はみな喧嘩っぱやく少し怖い。私はつっぱる性格ではない為、いつも後ろに控えていた。

私は何となく居心地が悪く感じるようになっていた。


もうすぐ小学校の卒業式だ。みんなはあっという間だったと言っていたが、私には長く感じる小学校時代だった。

多分家で一人が多かったからだと思う。当時はまだスマホやインターネットが家庭に普及する前でもあり、情報化社会ではなかった為、こんな風な寂しい小学生は私ぐらいだと思ってしまっていた。




学校では卒業式練習の日々が続いた。

早く小学校を卒業したいと思っていたが、卒業と考えると何だが寂しい気持ちもあった。卒業式の練習では、お世話になった先生方や小学校の思い出について生徒が順々に台詞を読み上げるものだった。私の台詞はよりによって親子遠足の一言だった。親子の思い出など特になかった。台詞だから言えば終わりだと心に言い聞かせた。


3月、卒業式を控えた2日前。父が卒業式出れれば行くと電話で言ってくれた。約束は出来ないが時間があれば顔を出すと言ってくれた。嬉しかった。


私は久しぶりに少し気持ちが高ぶっていた。


卒業式前日、父から連絡があった。

「優希か。お父さんだ。ごめん。明日の卒業式なんだけど、行けなくなった。悪いな。そういうことだがら。明日の卒業式頑張ってな」

私は「いいよ。無理しないで。じゃあね」と言って電話を切った。

少し残念な気分だった。その後、一人で布団に入った。時間が経つともっと残念な気持ちが高くなった。


明日は小学校最後の日。卒業式だ。


卒業式当日、天気は曇りだった。みんなは、いつもと変わらない感じだったが、中学校では別々なってしまう子もいて、卒業しても遊ぼうなって話ていた。私もそんな話をしたと思うがあまり覚えていない。


卒業式が始まって結局、台詞の出番で頭がいっぱいで、自分の親子遠足の部分を無事に言えた事だけしか覚えてない。

卒業証書を受け取り、卒業式は終わった。

泣いている子や、先生方、お母さんやお父さん達。みんなそれぞれの思い出に浸っていた。私は振り返りたくない事の方が多いかも知れない。

教室では卒業アルバムが手渡された。みんな楽しそうに自分が写っている写真を探している。私はほとんど写ってない。写ろうとしなかったのが原因だが改めて卒業アルバムをみると、本当に写っていない。ちょっと寂しいというか、何でかこんな風に過ごしていた自分に少し後悔をした。


担任の先生が最後挨拶をしてくれた。

先生は「みんなの事は忘れない。楽しい思い出をたくさんありがとう。たまにはまた小学校に遊びに来てください」と言っていた。

私にとって、小学校の思い出は小学校二年生の時に止まってしまっていた。それからあまり目立たなく過ごしていた。

何をしてもみんなに合わせる、そんな子だったから。



今日小学校を卒業した。僕、卒業おめでとう。一人で卒業した事を噛み締めた。




小学校卒業し中学校に行く様になった。だがここからが地獄の三年間の始まりだったのはまだ私自身知る由もなかった。



小学校卒業後、中学校の入学が慌ただしく始まっていた。中学校の制服、上履き、体操着、ジャージ、教材、など準備するものがたくさんあった。それらは父と一緒に用意した。

本来であれば希望があるはずなんだろうけど、不安の気持ちの方が強かった。不安の気持ちが何かは上手く言えないけど、また一人で生活することには変わりないから。



入学式当日

私は中学校の制服に身を包み、中学校まで登校する。新一年生は親と来ている子がやはり多かった。

学校に着き、クラスを確認した。私はD組だった。顔を知っている子は何人かいた。知らない子も多くいた。少しして卒業式が始まるので、先生方の指示で体育館に案内された。入学式の事やどんな内容だったかまで、はっきり覚えていないが、こういう式典はやはり苦手という気持ちには変わりなかった。


入学式が終わり教室に戻り、自分達の教室に戻る。出席番号順に座る。

担任の先生は英語担当だった。名前は秋山という。女性だったが歳は多分50歳前ぐらい。

見た目かというか雰囲気で温厚そうな先生だった。

秋山先生が「みなさん、今日無事に入学式が終わり、改めて入学おめでとうございます。一年間みなさんの担任を務めます秋山 圭子と言います。一年間よろしくお願いします。それではみなさんからも出席番号順から前に出て自己紹介をお願い致します。」

そう言われると、自己紹介という事に恥ずかしそうに騒つく。

順番にみんな前に出て自己紹介していた。私の番になり、自己紹介をした。

「私の名前は北沢 優希と言います。中学校では何かやってみたいと思う部活を見つけ頑張りたいと思います。よろしくお願いします。」

と言った。特に面白おかしくもなくそのまま終わった。


そういえば、小学校6年生の時によく遊んでいた中山くんはB組だった。彼とは距離を置いて遊んでいたが、中学校で多分遊ばなくなるだろうとホッとした。

新しい友達を見つけよう。

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