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あの日全てを失った   作者: 涙山 原点
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生まれて初めて二位になった日

夏休みが終わって始業式が始まった。あれからしばらく父は家から仕事に通うこともあったので、洗濯物や家事全般はやってもらい何とか着るものや必要な物は準備出来た。宿題もよくわからないダンボールで作ったビー玉で転がす迷路を作った。その他の宿題は忘れた事にして提出をごまかした。夏休み明けはみんな日に焼けており、色んな所に家族と出かけた話しをしていた。先生も朝の朝礼で、みんなに夏休みはいっぱい出かけたり遊びましたか?と聞いていた。順番にみんなが一人ずつ教卓の前に立ち、夏休みの思い出を話していた。僕はお母さんがいなくなった事が頭にいっぱいになっていた。

そして先生が「優希くん、夏休みの思い出を話して下さい」と声を掛けた。

僕はハッとなり急いで教卓の前に行った。周りを見るとみんなが僕を一点に見つめていた。普段から決して前に出る性格ではなかった為、余計に何を話せばいいかわからなかった。


沈黙が続いた時に先生が「いっぱいあって何話すか迷ってるのかな?」とフォローしてくれたが、それも逆効果だった。結局僕は行ってもいない家族とプール行った事が楽しかったと一言だけ話した。嘘をまたついてしまった。みんなは本当に夏休みが楽しかったんだろうなって感じていた。私も夏休みは決してつまらなかった事はなかった。が、夏休み最後にこんな事になるとは予想もしていなかった。


9月になってからは、日も落ちるのが早くなり、すっかり夏も終わりを迎えていた。もうすぐ誕生日だった。私は10月15日生まれだった。誕生日の前に運動会がある。だから、誕生日は嬉しいけど、嬉しくない。運動会は苦手だった。走るのも苦手だし、みんなに見られるのが嫌だった。運動会が苦手になったのは理由があった。小学校一年生の時、運動会で一生懸命走った際、手の振り方がカマキリみたいに曲がっていたから、みんなにオカマと言われた。それ以来走り方を変えたがトラウマになっていた。当たり障りない様に走ろうって。

そんな事を考えていたら家に着いていた。家に着くと誰も居ない。帰ってくる度に、母がいた部屋を開けるのが癖になっていた。

誰も居ない部屋で独り言の様に「ただいま」と言う。夜ご飯はいつものカップラーメン。毎日食べていたから作り方も慣れてきて、食べるのも早くなっていた。お風呂はシャワーしか浴びなかった。お風呂のお湯をためなかったのはスイッチがわからなかったのが理由だった。


そんな風に日々を過ごしている内に、運動会本番は着実に近づいていた。

私の競技は障害物走と親子借り物競争だった。

とにかく運動会の練習が嫌いだった。運動会自体好きじゃないから尚更だ。

何のために運動会なんてやるんだろう。やりたい人だけやればいいのにと思っていた。そんな事ばかり考えて地面に絵を描いて時間を潰していた。


運動会の事を父には話せないでいた。話せないより、何故か話したくなくなっていた。当時、思い返すときっと勝手に運動会は必ずお母さんが来て、父親が付いてくる、そんな印象だった。そんな事を考えて過ごしていく内に、父が私に「お父さん、また単身赴任しなければならない。新潟に行かないといけなくなった」

大人になった私があの時振り返れば、父は職場に母が出て行った事を言ってなかったんだと思う。

小学三年生の私は父に「お父さん行ったらしばらく帰って来ないの?」と聞いた。

父は「一ヶ月に一回は帰るよ。それに電話もするし、困ったら電話してこい。あとこれからはなるべくお姉ちゃんとお兄ちゃんにも家の事を協力してもらって、優希の面倒見てもらう様にするから」という話だった。うまく言えないけど、あんな父だけど、遠くに行ってしまうのは寂しかった。結局父には運動会の話はできなかった。



運動会があと5日前となった日、姉が帰ってきた。姉は帰ってきて洗濯物の山に文句を言っていた。それに部屋が散らかっている事にも腹を立てていた。姉はおそらく、彼氏や友達の家を転々としてるのか、実家にはあまり帰って来ない。ましてや、自分の事じゃない事で実家の家事などを定期的にやらなければいけない事に納得していない様子だった。私は兄と共同で使っていた部屋、今は私が一人で使っている部屋で勉強する振りをして漫画を書いていた。姉が私を呼んだ。「優希、学校の手紙とかないんだよね?」と聞かれた。私は「ないよ」と答えた。

あったかなかったは正直覚えてない。というよりも手紙を出す様な習慣が無かったので、最近の学校での手紙はどこにあるかわからないくなっていた。連絡帳も持っていなかったので連絡自体伝える事がなかった。

そのあと、姉に「そういえば、今週の土曜に運動会ある」と伝えた。そうすると姉は「お父さんには言ってあるの?運動会の手紙とかは?」と聞かれた。

私は「お父さんには言ってない。手紙もわからない」と伝えた。

姉は「はぁ?あんた何やってんの?そういう事は早く言えよ」と怒られた。

久しぶりに怒られたせいか、親でなく、姉だったからか、私は睨み膨れてしまった。

すると姉は「テメェよ、何怒ってんだよ。お前がわりーんだろうが」と怒鳴られ、右のほっぺを思いっきりつねられた。あまりの痛みに私は姉に「いってーな!ふざけんな!」と怒鳴り部屋に戻った。

姉はその態度に更に怒りが心頭し、部屋に戻った私を引きずり出し、思い切ったビンタを何回も私にした。

姉はビンタをする度に「あんたみたいな分際の為にわざわざ飯作ってやってんだよ!面倒くせぇのに洗濯物とかやってんだよ!少しは感謝しろ!バカが!」と怒鳴られた。

私はただ殴られて、両手で顔を塞ぐしかなかった。私は姉のビンタが終わった瞬間、ほっぺの痛みなのか、姉の本音がキツく過ぎたのか、何だか泣いてごめんなさいと言っていた。そのまま私は部屋に戻って泣きながら布団にもぐった。姉は怒りがすぐに治り、我に返っていた。姉はとっさに言ってしまった言葉に対し何度も私に謝っていた。

私は布団の中から「もういいよ。大丈夫だから」と答えた。姉は明らかに私が泣いているのに気付き、布団をめくり私の方を見た。私のほっぺが以上なほど赤くなっており、私も口の中から鉄の味がしていた。血が出てたんだと思う。姉はやり過ぎた事を謝っていた。私がその度に声をひくひくしながら大丈夫と言っていたので、

姉が泣きながら「優希が一番辛いよね。なのについイライラした気持ちが出たのを優希にあたってしまって、手をあげちゃってごめんね」と姉から謝られた。私はその時、気持ちの何かが崩れた。それはもういいって思った事だった。父も私に辛いよなって言ってた。こんな事を言われる事が嫌だった。私はこれから誰に寂しい気持ちを伝えればいいのか、本当にわからなくなっていた。そう、単純な子供心にはまだ全て理解するなんて到底出来なかっただろうし、消化出来ずにいたんだろうと思う。

もういいや、もういい‥


もうすぐ、運動会だ…



運動会当日がきた。大げさかもしれないけど、当時の私には今日ほど学校に行きたくない日はなかった。登校にはみんな、お母さんと一緒歩いて学校行っている子供が大勢いた。その中を早歩きしながら下を見て歩くしかなかった。会う友達にお母さんの事を聞かれたらどうしようってずっと考えていた。今日ほど一人で学校行く事が恥ずかしく、人から見られたくない日はなかった。学校に付いていつもの様に朝礼が始まった。いつもと違うといえば、体操着に赤白帽子という姿。朝礼中はみんな教室から外を気にしていた。それはお母さんやお父さんが校庭の周りにシートを敷き始め、我が子の応援の準備をしているからだった。クラスのみんなは誰々のお母さんだ、お父さんだとか会話が弾む。細かく言えば、周りのクラスメイトのほとんどが赤白帽子のゴムが新しくなっていたり、新しい体操着、新しい靴、色んな所で運動会仕様になっていた。正直うらやましかった。私の体操着は新しくなくおさがり、運動会前日まで着ていた物を着ていた。帽子も洗ったわけでもなく、ゴムも伸びきっていた。靴もよくわからないメーカーの靴だった。大人になって考えてみればどうって事もないかもしれないけど、子供にはそういった部分がとても気になってしまうんだろう。唯一救いだったのは赤組だった為、汚れは目立たなかった。


開会式が始まり、運動会が始まった。

私の出場種目は障害物競走と借り物競走。

一年生が最初に50メートル、障害物走を順々にやっていった。さすが小学一年生。スタートしてゴールまで時間もかかる。この間私は、気持ちを落ち着かせようと必死だった。だが落ち着かなかった。一年生の競技がなかなか終わらない事に逆に早く終わって自分も早く障害物競走を終えたいと思い始めた。そして二年生の番が来た。今まで競争で流れていた曲は緩やかだったのが、一気に運動会の競争曲らしいのが流れた。何の曲か分からないが若干盛り上がり始めた。

私は心の中で「うわー、どうしよう。」と叫んでいた。どんどん前の列が走る。次の次。次。そして自分の番。手足は震えていてスタートのピストルがパンッと鳴る。しかし、一人がスタート前に飛び出した為、やり直し。もう止めてと思った。スタートのピストルが鳴った瞬間、とにかく前へという気持ちで走った。周りなんてわからなかった。意外にもすんなり障害物をこなしていた。スタートからフラフープを持って走る。次は網をくぐり、跳び箱と越え、ゴール前の縄跳びをジャンプしたら終わり。気づいたら二位だった。嬉しくて思わず笑顔が溢れた。二位は銀色のバッチを胸に付けてくれる。嬉しくて嬉しくて何度も胸に付いている銀色のバッチを眺めた。


きっとお母さんも喜んでくれるかなって思いながらバッチを何度も見つめていた。



午前中の競技が終わった。お昼ご飯の時間、各自みな親の元に駆け寄る。私はみんなに目立たない様に体操着袋を片手に走って誰もいない教室に走った。ここなら誰もいない。ここなら誰も来ないし、見られなくて済むと思った。私は体操着袋から朝早くにコンビニで買ったおにぎり2個を出した。体操着袋の中身を見られない様に、自分の競走以外の時は私の座っている赤組の椅子の下に見えない様に隠す様に置いていた為、中のおにぎりが若干潰れてしまっていた。

おにぎりの袋を開けたが、うまく海苔を出す事が出来ずにいた。無理矢理引っ張った瞬間海苔は、半分ちぎれてしまった。半分しか海苔がないしゃけのおにぎりとおかかを黙って食べた。おかかは特に大好きだった。おかかのおにぎりは、母がよく私がお腹が空いた時に作ってくれた。母のおにぎりは少しは塩が多くてしょっぱくて、おかかも少ししょっぱい。今食べているおかかは、母が作ってくれた味と全然違ったけど、おかかを食べている事に気持ちが落ち着いていた。おにぎりを食べながら、廊下の水道に行き水を飲もうと思った時だった。

「優希くん?」


声がしたので振り向くと担任の先生がいた。僕は慌てて走って教室に逃げた。何で逃げたかわからなかったけど、見られた事が嫌だったんだと思う。僕はすぐ体操着袋を持って違う場所に行こうと思った。廊下に出た瞬間担任の先生がいた。


先生が「優希くん、お母さんやお父さんは来てるの?」と聞いてきた。

僕は何て答えていいかわからなくてドキドキしてしまっていた。


しばらくそのまま立っていると先生がちょっと待っててと言ってその場を離れた。一瞬、家とかに電話するのか、何だろうって余計に不安になり足が少し震えていた。そんな事を考えている内に先生が戻ってきた。

「優希くん、先生と一緒ご飯食べよう」と言ってきた。

担任の先生の名前は山崎先生だった。女の人でお母さんより少し若い先生だった。いつも何も気にしない先生だったが、今日だけはすごく先生が暖かく感じた。先生は私が教室いた事、お母さんやお父さんが来ているかは何も聞こうとしなかった。

先生は自分で作ってきたお弁当を開けて、私に半分分けてくれた。私は「先生のお弁当だよ。僕はいらないから、先生食べて」と言った。

すると先生は「先生ね、こんなに作ったんだけど、食べきれないから優希くんが食べてくれると助かるなー。優希くんはお腹いっぱい?」と聞いてきた。

私は少し迷ったが首を横に振った。すると先生は「よかった。一緒に食べよう!」と言ってくれた。

私は無我夢中で先生の分けてくれたお弁当を食べた。先生のお弁当はエビフライにコロッケ、トマトに玉子焼き、人参の甘い煮たもの。色がカラフルでキレイだった。

食べ終わり先生が「優希くん、優希くんが話したい事があったらいつでも先生に話してね。午後も運動会頑張ろうね!」


そう言って先生は階段を降りて外に行った。私がこの時ほど、お弁当がおいしいって思った事はなかった。

余計にお母さんの作ったお弁当が食べたくなった。お母さんならどんなお弁当にしてくれたのかな?

教室からは外を見た。外ではお母さんが作ったお弁当を広げて家族みんなで食べている姿が目に入ってきた。私はお腹がいっぱいなのに心は空っぽのままだった。



もうすぐ午後の運動会が再開される

みんなシートの上で自分の頑張りをお母さんやお父さんに嬉しそうに話してお菓子を食べている。

僕はそれを下駄箱のある入り口から眺めていた。


運動会が再開され、自分の出番まで椅子に座り赤組を応援していた。隣の席の子が「お母さん来たー」と言った。

振り向くと隣に座っていた子のお母さんがニコニコしながらその子の頭をポンって軽く叩いた。

隣に座ってた子は私に「お母さんいつも仕事なんだけど、今日は仕事途中で来てくれたんだ!」そう言うと、その子は嬉しそうで、より一層元気になっていた。私も、もしかしたら遠くでお母さんが来てるのかもと思ってしまい、保護者のいる周りをきょろきょろし、トイレ行くふりして何度もグランドの周りを歩いた。


途中、何してるんだろうって思いはじめ、席に戻った。

私の出場種目が近づいてきた。借り物競走が次の順番になった時、準備の為、入場門に集められた。

借り物競走は基本親子で出場だった。私は今日誰も親が来ていない。どうしようかと思っている時に、友達が後ろから「優希、お母さんは?」と聞かれた。

私はとっさに「今日具合良くなくてお母さん来れなかったんだ」と言った。

すると友達のお母さんが「そうなんだ、じゃあ優希くんと一緒走る人、先生に聞いてきてあげる。もしいなかったら、私が一緒に走ってあげるね」と優しく言ってくれた。

私は黙ってうなづき、入場門に並んだ。すると山崎先生が私を見つけて走って来た。

担任の先生が「優希くん、先生と走ろう」と言って私の手を強く握りしめた。先生の手は思ったより、硬かった。今思えば、先生達はみんな運動会の先頭に立ち色々やっていたから、手は荒れたり、汚れたりするんだろう。

小学生の私には先生の大変さはその時わからなかった。でも何より先生が来てくれた事が嬉しかった。借り物競走は何位とかよりも、親子レクリエーションに近く、みんながお題に沿って走り回る姿に、運動会はとても盛り上がっていた。

みんなお母さんやお父さんと手をつないで一生懸命走っていた。なんか上手く言えないけど、羨ましかった。この時だけは、みんな笑ってる。私もお母さんとお父さんに手をつないでもらってその真ん中に僕がいて笑って歩きたかった。

ぼーっと眺めていた。

私の近くでは競技に参加せず応援しているお父さん、お母さん達は自分の子供たちを必死に探して写真を撮っていた。

学校の記念写真を撮るカメラマンもその中で動き回っていた。

私はなるべく写真に写るのを避ける為に下を向いていた。


下も向いていたら、先生が

「優希くん、もうすぐ出番だよ!頑張ろうね!」

先生は私を見て笑顔で言った。

私も「うん!」と答えた。

私も麦わら帽子とタオルだった為、先生と二人で走り回った。楽しかった。順位は覚えていない。多分最後だったかもしれない。正直、先生がとても張り切っていて、私はただ先生と手をつないで必死に付いて回ってたから。

運動会は高学年の組体操が終わり、赤白対抗リレーが始まり、白優勢でリレーは幕を閉じた。閉会式が終わり、結果白組の勝ちだった。得点は僅差だった。

運動会の片付けをして教室に戻り、帰りの会をしてプリントと紅白まんじゅうがみんなに配られた。みんなでさようならをしてみんな、お母さんお父さんの元に走って行った。

何だかとても疲れた。運動会の疲れなのか、気を使いすぎたせいなのか、正直わからなかった。とても疲れた。


友達みんなはお父さんやお母さんに手を引いてもらいながら帰っている。その集団が少し見えなくなってから、私はゆっくり距離を保ちながら目立たないよう帰った。


その日の夜は、紅白まんじゅうを夜ご飯にして食べて、二位の銀色のバッチをパジャマに付けて寝た。


お母さん、僕生まれて初めて運動会で二位なったよ。褒めてくれるかな?

お母さん、会いたいよ…

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