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あの日全てを失った   作者: 涙山 原点
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家族を思う小さな想い

私の名前は北沢 優希

私は今、父と二人暮しをしている34歳のバツイチの男だ。小さい頃から大人になるまで生きてきて、幸せに感じる事はないと諦めていた。今まで何をしても中途半端でだった。それでも人に迷惑かけないようにと、人目を気にして生きてきた。だがある日、ある人と出会い、家族を持つ事が出来た。失われた家族の愛情をある人との出会いによってたくさん教えてもらい、生きていてよかった、幸せとはこんなに素晴らしいのだと知る事になる。

…しかし、私の間違った考えと生き方が段々と家族に不安を与えるようになる。お金で困った時に迷惑や不安を家族に与えたくないという気持ちから、自分だけで決断した行動が後々、その大切な人を傷つけて、家族の絆もバラバラにしてしまう。何度も何度も、やり直そうとしたんだけど…





私の家庭事情は小学2年生の時、父と母は離婚しており、姉の由理と兄の毅がいました。父は外食関係の支配人を勤めており、当時は単身赴任で全国を2年から3年ごとに異動しながら仕事をしていました。私が産まれる前は各県を家族で引っ越しをしていたらしいが、子供達の転校は想像以上に負担がかかるという事で私が産まれてからは千葉に家を購入し、父だけが単身赴任だった。母は昼間パートしながら家事をしていました。姉は高校二年生で、兄が高校一年生。私とは歳が離れた兄弟だった。

私は保育園から今現在小学2年生まで母に甘えてばかりの子供だったのを記憶している。いつも保育園も学校も母から離れて行くのが嫌で泣いてばかり。その度母を困らせていた。小学生2年生の1学期が終わった頃、私が学校で習い始めたかけ算が出来ず、たまたま母がかけ算について問題を出された時に全く答えられなかった事が原因で、毎日かけ算を2の段から9の段まで言えるまで、遊びもご飯もお風呂も入れないという日々があった。当時は嫌で嫌で、泣きながらかけ算を必死にやっていたのをよく覚えている。子供ながら地獄と感じていた毎日だったせいか、母からかけ算をやるよって言われるまで知らないふりをしてたけど、結局夜かけ算の予習があって毎日辛かった。

そんなある日、母が金曜のよるから土曜の2日間、友達の仕事を手伝うという事で夜働きに出るようになった。私はかけ算がなくなるって内心喜んだが、母はいつも着る服とはまた違った少し派手な服を着て夕方6時から出掛けて行った。母が夜仕事に行く日は母が用意した夜ご飯を食べて自分で風呂に入り寝る。上の兄弟2人は当時、よくわからなかったが、ほとんど家に帰ってきてなく、多分帰ってきてたのかも知れないけど、しばらく会っていなかった。小学生2年生の私にとって歳が離れている兄弟だったからか、遊んだり話したりする記憶もないので、いない事が特別な感じではなかった。

母は夜の仕事について私には何も言わなかった。私も何をしているか聞こうともしなかった。でも母は金曜と土曜は楽しそうに仕事行っていたし、最近はよく家の電話で誰かと話していたりするのをよく見るようになった。いつしかかけ算はどこかにいってしまって、私も家でゲームをするようになり、いつもの日々が戻った。それから半年が過ぎ、母は金曜と土曜だった仕事を平日も行くようになった。昼間のパートをやりながらだったのかわからないが、今まで以上に夜、母がいる時間が少なくなっていった。夜何時に母が家に帰って来てるのかわからず、朝起きて学校行く時にはいつも母が朝ごはんを用意してくれている。だから特に深くも考えてなかった。でも正直、最近は学校から帰ってきても、母は私と入れ替えですぐ家を出るようになっていた為、一緒買い物行ったり、学校の話などはほとんどしなかったので、少し寂しかった。細かいかも知れないけど、友達の家に行くとおやつはお皿にポテトチップスやサイコロの形のチョコ、それとオレンジジュースとか見た目だけでも、私が憧れるおやつの形だった。友達のいつもおやつはこんな感じらしい。それを見たせいか、母がいつも買ってくるおやつはポテトチップス一つでお皿に盛ってくれた事はほとんどない。お皿に入れて欲しいって頼んでも、めんどくさいとやってくれなかった。むしろ食べ過ぎて怒られてばかり。食べれば虫歯になる虫歯になるの一言。でも最近は母が入れ替えで、出掛ける為、おやつは置いてあるものを適当に食べて夜ご飯になったら電子レンジであっためて食べる日々だった。

姉や兄はほとんど会わなかった。たまたま帰ってきた時に会っても姉兄からは

「お母さんは?」の会話だけで私は

「知らない」で終わる。

そうすると姉兄も部屋で何かを準備してすぐ出掛けてまたしばらく帰ってこなくなる。


そんな生活がしばらく続いた。私が小学生3年生になってから、私が想像もしなかった事が起きたのだった。

父が単身赴任から一時的に半年だけ地元に帰ってきて、家から通える所に通勤になったそうだ。うまく行けばこのまま単身赴任ではなくなるかもという話だった。私は当時父とは遊んでもらった時間が少なかった為、一番に喜んだ。そして父が帰ってくる日に私はノートを破りお父さんが帰ってくると書いて家中に貼っていた。母は笑っていた。私の家は団地で部屋の広さは決して広くはないが、至る所に紙を貼って、父の帰りを待った。その日はみんなで家でご飯を食べた。姉も兄もその時は帰ってきて、私は一番にはしゃいだ。

何日か経ったある日の事、母はいつものように友達の仕事を手伝うから夜仕事に行くと私に言った。そういえば、ここ最近行っていなかったし、今は父もいるから私は

「うん、お母さんお仕事頑張ってね」

笑顔で見送った。

父の仕事は外食関係という事もあり、メインはサラリーマンの方が夜来るお店だった為、帰りはいつも夜12時前ぐらいだった。その分朝はゆっくりだった。私はちょうど夏休みに入った頃で、夜更かしをして、父と母の帰りを待った。父が先に家路に着き、私を見て

「まだ起きてたのか。お母さんは?」と聞いてきたので、

私は「お母さんはお仕事だよ」と答えた。

父は一瞬止まったが何も言わなかった。私は父に寝るよう言われ、部屋に戻り寝た。けどお母さんにも会いたいという気持ちがあり、布団に包まって待っていた。どのぐらい経つだろうか、しばらくして母が帰ってきた。

すると父が少し声を荒げて「この時間まで仕事って何の仕事だ?優希が起きてたぞ。」と話していました。

私は母が帰ってきたと同時にお母さんに「おかえり」言いたかったのだが、子供ながらそんな雰囲気で話している様子ではないと気づき、暗い部屋の中からドアノブをギュッと握りしめて、二人の会話に耳を傾けた。

母は私が寝てるのかを確認する為に父と話し、私の部屋に歩いてくる音がわかった。私はとっさに布団に戻り寝たフリをした。母は私が寝てると確認してから、部屋のドアを閉め父と何かを話している様だった。

次の瞬間、すごい物音がして母の「痛い、何で殴るの!」という悲痛な声が聞こえた。

それと同時に父が「お前今までこんな風に生活してたのか!」という声でまた母が「痛い!蹴らないで、顔を殴るのはやめてよ!」という泣きながら声を上げていた。

私は胸が苦しくなり、とっさに部屋を飛び出した。そこには父が母前に立ち、母はベランダに出る窓の所に寄りかかる状態で、口と鼻からから血が流れていた。


私を見た二人は無言のままだった。母が少し引きつった顔で「優希寝なさい」と言ってきた。二人が今どういう状況なのか、何でこんな風になったのか当時の小学生3年生の私にはわからなかった。でも母が父に殴られたのは事実であった為、私は父を睨みつけていた。

少し無言のまま、重い空気の中、

母は「今日は友達の家に泊まります。またこの話は由理と毅がいる時にちゃんと話したい」と言って母はそのまま出で行ってしまった。

父は「勝手にしろ!」と言い放って止めようともしなかった。父と二人になった私は、ただ、ただボー然立ち尽くしていた。父から「お前はもう寝ろ」と言われて黙って部屋に戻った。何も言えなかった。お母さんをいじめないでって頭の中で自分が父に言っている姿だけが浮かんでいた。その日は寝れなかった。母も帰って来なかった。


次の日、父は仕事に行った。お昼前に母は帰ってきた。

母は「昨日はごめんね。ちょっとお父さんもお母さんもお酒で酔ってたんだ。大丈夫だから」と話してくれた。

ただ顔には左半分あざになっており、左目も晴れている様だった。

私は母に「お母さん、、今日はお母さん家にいるよね?」って声を詰まらせて聞いた。

母は少し間があったが「うん」と言った。その言葉に私は昨日の出来事を思い返し、心の中でもしお父さんがまたお母さんを泣かせたら僕がお母さんを守ると強い気持ちで胸がいっぱいになった。


その日は夕方から姉と兄が家に帰ってきた。父と母が昨日話していた時に姉と兄がいる時に話したいって言っていたのを思い出した。私はきっと仲直りするんだと思い父を待った。

その日の夜ご飯は父以外4人で久しぶりに食べた。けど、姉も兄もあまり口を開こうとしない。

私は母に「お母さんご飯おいしい」と言った。母は「ありがとう」と言ってくれた。私の中では母の顔が少し悲しく見えた。どうしていいかわからなくなってしまった。

その時姉が「お父さんには私達からも話すから安心して」と一言言った。

母は「ごめん、あなた達にこんな事で迷惑かけて」と謝っていた。

私は母と姉兄3人の会話がよくわからなかった。その日の夜は久しぶりに母とお風呂入った。お母さんの背中を一生懸命洗った。

母は「そんなに強く洗ったら痛いよ」って笑って言ってくれた。私も笑ったが痛いの言葉がまた胸が苦しくなった。私はとっさ「お母さん痛かった?ごめんね」と言った。

母は少し考えた顔で私に「優希、優希は一人で何でも出来るよね。偉いと思うよ。でもごめんね、いつも一人で頑張らせちゃって。」その言葉に本当は、本当は寂しいよ、お母さんと一緒にお風呂も入ってご飯も食べたいよって言いたかった。でも私の出た言葉は「お母さん、僕頑張るから大丈夫だよ」って言ってしまった。間違っていたのか当時はわからない。でもつきたくない嘘を言ったのがあの時が初めてかもしれない。

お風呂出でから時間があっという間に過ぎた。父が帰ってくるのを全員で待っていた。本当であれば帰ってくるのが嬉しいはずの時間なのにこんなにも不安でドキドキ様な日はなかった。元々、父が母に怒り、暴力振るった理由が当時の私には理解出来なかった。その日父は予想以上に遅く帰ってきた。お酒の匂いが帰ってきた時、玄関に充満していた。

父は帰ってくるなり、声を荒げて大きな声で私達に向かって

「何だよ!何見てんだよ!」と言った。私が予想していた以上に空気が悪くなった。父はふらふらしながら、ソファーに座り、もう一度「何だよ」と小さい声で聞いてきた。

母は父に「私は生活の為、夜スナックでバイトしてました。昼間はパートして、優希のご飯の支度をして。でも、やましい事はない。手伝いで特別あなたに後ろめたい事はない。」と言った。

父は「そんな事はどうでもいい。そんなに俺が嫌か。」と母に言った。

母は「そうじゃなくて、子供達はこれから高校卒業がある。大学とかに行くのに少しでもお金貯めない。」と母は父に少し強く言った。すると父は立ち上がり、いきなり母の胸ぐらを掴み投げとばし、そのまま背中を踏み蹴っ飛ばしたのだった。とっさに姉と兄は止め、

姉が「お父さんやめてよ!お母さんの話を聞いてよ!何で暴力振るうの!?」父は息を荒げて立ち尽くしていた。

兄は震えていた私を見て自分達の部屋に連れて行き、「お前はこの部屋から出るな。テレビを見ていろ」と言った。私はテレビなど見る状況ではなかったが、私は震えて涙目になっていた。唇が恐怖で震えていた。兄の目をじっと見つめていた私は黙ってうなづいて、閉められたドアにしがみついて外の声を必死に息を殺して聞いた。

私はドアの音が鳴らない様に少し開けて隙間から覗いた。

母は今まで聞いた事のない様な大声で

父に「あなた、子供の事考えてる?あなたは単身赴任中、毎週お金がないってお金要求して。給料明細もわからないし、あなたから給料出たから生活費のお金入れた。確認しろって言われて、入金された通帳見たけど家賃と光熱費だけ払ったら何も残らない。それなのにあなたはまた金がないから入金してくれって。出来ないって言ったら電話で怒鳴ってばかり。だからパートして夜の時給のいいアルバイトを友達から紹介してもらってやってるの!それも私の事情を知ったうえで助けてくれてる。時間や時給、色々と考慮してくれてる。あなた、由理や毅の大学の事、考えてる?優希の将来考えてる?あなたが銀行から借金してる事もこの前知った。銀行から引き押しされてないのが家に電話がきた。私は何の話かわからなかったけど、あなたが私達の知らないところで、お金を使ってる。このままじゃ子供達の将来が見えない。」

母は話しながら泣き崩れた。

しばらく沈黙が続いたが父は

「それでも、俺は夜の仕事は認めない。金は俺が今後節約する」と父は話した。


しかし母は「あなたはいつもそう言って終わり。子供達の事も何もしない。任せたって言って終わり。正直夜のバイトは私も抵抗がないわけじゃない。優希が一人になる時間が多いし、寂しい思いをさせてばかりで。でも私もずっとあなたと結婚して友達という人は一人もいなかった。悩んでも一人で考えてやってきたの。今回、夜のアルバイトで同年代の女性のお友達が出来たりして、少し気持ち楽になったの。」母は必死だったんだろう。夫から金が足りないと言われ、断る度に怒鳴られてはたまらない。でも、その事よりも母の中では子供の将来が全く見えない事に大きなストレスと不安を感じていたんだろう。理由がどうあれ、その不安から、夜の仕事に付きストレス発散をしていた母の事が、父はとにかく許せなく裏切りだと思ったんだろう。



大人になった自分があの時の事を思い出すと、どっちの気持ちもわからなくないが、普通に考えれば、母の言っている事は正論だった。でも男は、自分以外に化粧してオシャレな服を着て出かけるのが嫉妬なる。ましてや、仕事であっても他の男とお酒を飲むのだから。

いくら長い夫婦生活だろうと、やはり気持ちを正直に伝えないと、いつかその夫婦の絆という壁の様なものは簡単に崩れ落ちてしまうんだなって感じた。



母は自分のぶつけようのない心の不安、ストレスを夜の仕事でコントロールしていた。だから余計父は、俺を裏切った。と思ったんだろう。

父は「俺だってお前達の為に仕事してるんだ!そんな事ぐらいで弱音なんて吐くな!」と母に言った。

その後、父は部屋に戻りその日は出で来なかった。結局話はどうなったのかわからなかったが、姉も兄もしばらくは家にいた。

そして一週間あまりこの話は続いた。その度母は何度も殴られ、罵声を浴びせられていた。その度姉、兄は声を上げて止めいた。母は毎日そんな状況でも誰よりも早く起きて、自分達のご飯を用意してパートに行き、夜のアルバイトもこなしていた。母と話せる時間は朝だけで、母は日に日に顔にあざが増えていった事は今でも鮮明に覚えている。当時の私は母に話せる事はもう少なくなっており、母もまた段々と疲労感が溜まっていったのか、目が死んでいる様だった。大人になって思う事はあの時、母は毎日あまり寝ずに働き、夜は父に振り回され自分に余裕がなかったんだと思う。

そんなある日母は私に「どこか遠くにお母さんと行こうか?そこで住む?」と言ってきた。私は母に「お母さん何でそんな事言うの?」と聞くと母は少し笑って「冗談よ。ちょっとそんな風に思っただけ。優希、今度お母さんとどこかお昼食べに行こうか?」と言ってきた。私は明るく「うん!」と答えた。

私にとって母と話す最後の会話になるとは知らなかった。



その日、母は私に「今日はお友達の家に泊まるから帰ってこないからご飯一人でお願い」と玄関前で靴を履きながら言って仕事に行こうとした。いつもより多めの荷物だった。

いつも母は準備を済ますとすぐに仕事に行くのだが、振り返り私にこう言った。「優希、ここ最近お父さんとお母さんが喧嘩ばかりで、毎日辛い所ばかり見せてごめんね。お母さん、優希の事愛してるからね」

私は「うん。大丈夫。お母さん、お仕事がんばってね。僕待ってるね」

玄関前で手を振って母を見送った。



次の日になり、母が帰ってくるのを楽しみに家で待っていた。普段絵など書かないのだが、お母さんの絵を描いた。お母さんと手をつないで公園で遊んでる絵を描いた。お母さんありがとうと書いた。夕方、気づいたら寝てしまった。起きた時、夜の8時半になっていた。夜ごはんを温めて、一人でご飯を食べる。

私が描いた絵を早く見せてあげたかった。早く帰ってこないかなって時計ばかりを気にしていた。母は夜12時を過ぎても帰って来る様子はなかった。部屋で布団を敷き布団に入る。夏場は暑いからタオルケットだけ。タオルケットには懐かしい匂いがいつもした。この匂いが落ち着く。匂いを嗅ぎなら暗い部屋の天井を眺める。

私は「お母さん、お仕事頑張ってるんだよね。頑張ってね。」と呟きそのまま目を閉じた。


夏休みももうすく終わりを迎えようとしていた。


今日は朝から友達と市民プールに行った。14時ぐらいまで泳いだ。お昼ご飯は食べなかった。帰りに友達とコンビニで

アイスを食べた。夏に食べるアイスはおいしかった。毎日食べたいぐらいだった。


その日、プールから帰り、漢字の宿題を30分ほどやり、集中が切れた所でゴロゴロしていた。お母さんまだかななんて思った。テレビをつけた。

日曜日で昔からやっている夕方からの家族一家の有名なアニメを一人で見ていた。その日の内容は家族で海に旅行行った話だったが、子供達がお父さん、お母さんと海で砂遊びをしているシーンだった。私にも兄弟がいるので、何か少し重なる思いで見ていた。とっさに私は「お母さん」と言っていた。その日はご飯も食べず、お風呂も入らず、むしろ何も考えずに寝た。



次の日、コンビニで買ったパンが食卓に置いてあった。手紙には父からで朝食べる様にと書いてあった。私はそれを食べ昼間は遊びに出掛けた。夕方のどが渇いたので、家に麦茶を飲みに戻ると仕事に行った父がソファーに座っていた。一瞬何でいるのかわからなかったが、父が静かに「おかえり」と言った。私は「ただいま」と返した。明らかにいつもの父の様子ではなかった為、一回部屋に戻る振りをしてしばらく父を見ていた。

外は蝉の鳴き声が響いている。

それを黙って聞いている内に、父が私を呼んだ。私は父の正面に立ったまま「何?」と聞いた。すでに母の一件以来、父に対して複雑な気持ちになっていた。黙って下を向いていた父が顔を上げた瞬間、父は大粒の涙を流しながら、

「ゆ、優希ごめん。ごめんな。こんな風なって。」震えた声で私に言った。

私はその言葉で、心が痛み、背中からで電気が走る様な感覚になり、気づいたら足から手までギュッと力いっぱい握りしめていた。父が泣いている理由はお母さんの事だとわかった。だから余計にお母さんの事で父言いたい事がたくさんあった。

今まで背が大きくたくましい体格で大きな父の姿がその時は小さく別人に見えていた。

父は唇を噛み締め、鼻をすすったあと、「優希、もうお母さん帰ってこないんだ。出て行って、お父さんとお母さん別々でくらすんだ」と。

私は何となく子供ながらわかる部分とわからない部分が一度に交差し、何も答えなかった。

しばらくして、私は父に「お母さん帰って来るよ。だって、だってお母さん、お、おか、お母さん…」と言っている途中で泣いてしまい言葉が出ず、ただ、ただ泣いた。心の中で母が今度外でご飯食べに行こうって言ってくれた事がずっと心で響いていた。

外では夏休みの終わりを伝えるようにいつもより蝉の鳴き声がたくさん鳴り響いていた。



しばらく、どのぐらいだろうか。外は暗くなり始めた頃、部屋を出ると父はいなかった。何も考えられず、ぼーとしていた。一人という時間がこんなにも辛くて寂しくて、不安な日はなかった。もっと僕が頑張ればよかったんだって思ったり、もっといい子になるから、勉強も頑張るからって心で念じた。

お母さんに会いたい。お母さん会いたいよ。



またしばらくして部屋の電気を付けて何も考えられなかった。すると家の電話がなった。私はお母さんだって思ってすぐに電話前に行き、お母さんだったら帰ってきてって言おうと準備した。電話に出ると父だった。内容はカップラーメンがあるからポットからお湯を出して食べなさいだった。嬉しい気持ちが一気に見えない暗闇に落ちたようだった。父にお母さんはどこにいるか聞いたが父はわからないと言われ、仕事に戻ると言って電話を切った。

私は言われた通りカップラーメンを見つけてお湯を入れて食べた。初めてカップラーメンを自分で作ったせいかお湯が多く、時間もよくわからなかったので、のびたまま口に運んだ。おいしいとかなかった。食べてそのまま片付けもせず、部屋に行き、布団を敷いた。いつもならまだ夜更かしできる唯一の楽しみだった時間が何も感じられない時間だった。シャワーに入った後、夏休みがあと3日しかない事に気付いたが、何もやっていない。部屋から外を見ていた。空を見てお母さんと言っていた。また泣いてしまったが、しばらくすると向かいの棟に住んでいる友達が家族と車から降りてみんなで家まで階段を上っていた。その姿は父親に腕でシーソーのような形でぶら下がり母親が後ろから頑張れーって声を出している姿だった。家に入るまで私は部屋のまどからじっと眺めていた。

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