パラレルワールド 第2章
西遊記のような上界を戦いの旅をする主人公の物語です。
何気に生ける人形シリーズの外伝で接する世界観があります。
第2章 真遊演戯
1
東京のある自然公園で新堂真美香が高校の同級生でいつも一緒に遊んでいる赤山凱、木積周、相良祥子と待ち合わせをしていた。時は12時半。すでに約束の時間を30分も過ぎていた。苛々しながら貧乏揺すりをしてベンチで足を組んで待っていると、奇抜な服装で現れた凱が現れた。彼お気に入りのマイナーブランドで全身を包んでいるが、けして似合っているとは言えなかった。黄色のサングラスは無理をしているとしか言いようがない。
「何それ?」
「いきなりそれかよ。このジャケット、高かったんだぜ。中のシャツとパンツを合わせてなぁ」
「ファッションは値段じゃないの。その柄、恥かしくない?」
「五月蝿い。お前だってなんだよ、そのセレブなファッション」
「いいでしょ、可愛いし雑誌に大人気って載ってたんだよ。それより、貴方カジュアルショップ、変えた方がいいんじゃない?」
その時、祥子が駆けてやってきたが、高底のブーツなので走りにくそうであった。
「ごっめーん」
息を切らせてやってくると、膝に手を付いて息を整えて言葉を吐いた。
「彼氏が車で迎えに来るのが遅くて」
「祥子に彼氏はいないでしょ」
彼女は舌を出してはにかんだ。そのやりとりを冷めた目で少し離れて腕を組んで見ていた凱は煙草を咥えて自慢のジッポを取り出した。2人は周が来ないかと辺りを首を長くして見回していると、遠くから、
『シャン、シャン…』
と、独特の神聖な音がなり響いてきた。しかし、その音の主の姿は見ることができない。
「この音、錫杖の音じゃない?」
「シャクジョウ?」
「仏具、つまり仏教の道具で杖の上に金属の輪が幾つか付いているものだよ、ほら、托鉢の人の鳴らしているもの」
すると、かなり年代物――というよりは、悪くいって発掘物良くて骨董品――の錫杖を鳴らしながら、ある男性が姿を現した。
「あれって、世界で初めて作られた錫杖じゃない?かなりアンティーク」
真美香が言うと凱は首を振って笑った。
「世界で初めてっていうのは言い過ぎ。でも、インドのものかもしれないぜ。仏教ってインドが発端だろう」
すると、近くの建物の窓から少年の声が聞えた。
「違うよ。古代エジプトのシストムルと呼ばれる錫杖とそっくりなものがあったんだよ。宗教的儀式の時の楽器として使われていたもので、それがインドに伝わったんだ」
凱が振り向くとその建物は公園の塀からほとんど離れていない鉄筋コンクリートビルの1階の窓で、鉄格子から少年の顔が覗いていた。しかし、背伸びのしているのか少々表情が上向きである。
「何をしてるの?」
優しい真美香が木々の間を縫って塀に手を付いて少年に話し掛けた。
「待っているの。太歳たいさいの力で封印された結界を解いてくれる人をね」
彼は14歳だが、かなり幼く見える。その愛らしさに真美香は興味が完全に彼に向いてしまった。やっと周が来ても無視をするほどであった。次に凱が三白眼の瞳を少年に突き刺す。
「さっきから訳分からないこと言っているんじゃねぇ」
「そんなに強く言ったら可哀想でしょ?」
真美香は優しく話し掛ける。その間、祥子は周に現状の説明をいていたが、下らない世間話を続けている。機嫌悪そうに金髪の凱は公園の塀を蹴った。
「歳星と関係深い中国の凶神が太歳。中国ではね、古くから周天を北・東・南・西の順に12に分けて十二支を配置したんだ。十二支や天文学は中国の学問の重要なもので、道教や風水学で多く用いられているんだ。でも、天文学が発展して歳星の動きが十二支とは丁度正反対と分かり、歳星とは反対に動く太歳という架空の星が作られたんだ。その位置する場所が年の名とされ、その方角が凶とされたんだ。でね、太歳は太歳星を地中から追う肉塊の怪物なんだ」
「うーん、君って頭良いのね。よく分からないけど、その中国の化物の力で結界に封印したのは誰?自分では出られないの?」
満面の笑みで真美香が尋ねると少年は少しその作り笑顔に引いた。少し、間を空けてから口を開いた。
「天尊じいさん、つまり、仙人の一番偉い神だね。正確には元始天尊っていうんだけど自分では出れないって。この結界を解くほどの能力は持ってないもん」
「元始天尊って、教義的道教の純粋に哲学的な最高神だろう。封神演義で有名な」
祥子と会話していた周が突如、少年の話に割って入る。
「そうだよ、よく知っているね」
「君は何者なんだ?」
「玉帝は僕を『天孫上聖』という上界の役職に就けたけど、名前はないよ。玉帝は勿論、玉皇上帝のことね。僕は世界の中心、須弥山中腹のすぐ上の4層の1つ、四天王を始めとする神々のいる世界で生まれたんだ。どうやって生まれたか、どうして生まれたか、存在意義は分からないけどね。僕自身不思議。僕って存在は自他全ての物、事象に負にも関わらず存在しているんだもん。神がいるのに何故僕が存在しているのかな?存在してはいけない存在。あ、そうそう、須弥山っていうのは、別名は聖地カイラス山のこと。ヒマラヤ山系の西半を構成する、標高7千弱メートルの大雪山。 チベット仏教の大聖地としても名高いんだけど…」
そこで、勘を働かせた祥子は彼の話に割って入った。
「何か、西遊記の孫悟空ね」
「ああ、実在の神として崇める人達もいるけど、小説なんだ。孫悟空は東勝神州敖来国花果山山頂の大岩から生まれた石猿で、どうしようもない暴れ者で困った天帝は『斉天せいてん大聖たいせい』という天界の役職に就けて称号でも与えれば静かになると思ったというもの。結局、静かにならないし、天の役職を放棄したし。
でも、僕のことは真実だよ。話はそっくりだけど、違うのは僕は暴れたりしない」
「じゃあ、何で神様に捕まっているのよ?」
祥子は全く信用していないようで少し強めに訊いた。それでも彼は少しも気分を害した様子を見せないで、淡々と一生懸命語り続ける。
「僕が悪魔だからさ。阿修羅あすらの眷属だって言う人もいるんだけどね。正式には僕自身、僕が何なのか分からないし」
「アスラ神族はインドの神で後に邪神、そして悪魔とされたディーヴァ神族に対するあの?」
「あくまでも上界の噂。実際に僕が何なのか知っているのは千里眼を持つ崑崙山の太上老君くらいかな?老子の神格化とか史記によって色々説があるけど。あのじいさんも封神演義で有名でしょ。あれも道教が元だからね。道教の仙人は中国の神様に相当するんだ」
「詳しいことは分からないけど全部伝説だろう。史記によるフィクションの物語だし。信仰の対象にはなっているけど」
溜まりかねて周が口を挟むと真美香は怪訝そうに3人を見た。
―――その時、シャリン。という音が彼らの背後で大きくなった。4人は振り向くと錫杖を持った青年が立っていた。その端麗な面持ちは2人の女性を魅了するのに時間はかからなかった。しかし、その服装は今時の若者のカジュアルなジャケットを着ている。少し茶色がかった髪を靡かせて、4人がまるでいないかのように鉄格子の向こうの少年に錫杖を向けた。そして、それを地に刺して左の人差し指を右手で握る手印、――忍者が術を使う時のような手つき、――智拳印の印を組んで、口の中で真言(古代インドの聖語、サンスクリット語。原語は『マントラ』。聖典ヴェーダ時代のバラモン(高僧、司祭)が唱える聖句に始まる。仏教、密教の呪文のようなもの。神とコンタクトをとる為の言葉。真言しんごん陀羅尼だらに。陀羅尼は真言と同意だが長いものを特に意味する)を唱え始める。
「オン バサラ ダバドン」
この印も真言も『金剛界の大日如来』のものである。その最高の神の力を借りたということであろう。真言の後に錫杖を取り上げて建物の壁をこつんと叩くと物凄い『パチン』という爆発音とともに軽い火花が散った。
そして、青年は冷たい目を細めて少年に言った。
「ほら、結界を解いたぞ。後は自分で出ることが出来るだろう」
「貴方は?」
恐る恐る真美香が尋ねると彼はバサバサな髪を振りかざして彼は一瞥した。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバアハラバリタヤ ウン」
彼の唱えたのは『光明真言』と呼ばれる陀羅尼(神呪)で真言宗でも最も重要視される唱句である。すると、彼の錫杖は光を放ち満ちていった。余りの眩しさに全員は腕で目を庇い、気付くと彼の姿はそこにはなかった。
刹那、真美香は少年のいた窓の中を覗き込んだ。しかし、そこは殺風景な机と椅子だけの空間で打ちっ放しのコンクリートが冷たさを漂わせているだけであった。
「いなくなっちゃった」
「いいじゃない。もう、行こう。悪ふざけか悪戯だよ。仕掛けがあるの、ああいうのは。大道芸の端くれって奴?」
祥子の言葉に真美香は項垂れて頷いた。彼女はかなりがっかりしていた。これから平凡な毎日から何か楽しいことが始まる、心踊る何かが動き始めたんだと思っていたのに。彼女は宗教は信じていなかったが、超自然的なものや見えない物を信じるロマンティストであった。
「私、あの人達を追ってみる。だって、気にならない?」
「あの子、可愛かったからな」
横目で周が意味ありげにそう呟いた。
「少年が趣味ねぇ、真美香らしい」
祥子までからかってそう言い始めた。子供っぽい性格の真美香は頬を膨らませた。
「どうでもいいじゃん、下らない。俺は行くぜ」
凱は1人でさっさとその場を去ってしまった。彼は誰からも情を受けることも情を持つこともないし、余り深く人と関わることもなかった。3人を置いて公園を去ってしまった。
呆れた周は溜息をついて彼女達の顔を見合わせた。
「あーあ、まただよ。短気だよな、凱って」
彼は虚無主義で何かに執着することはほとんどなかった。頭の中は次に何をしようかということだけであった。それは祥子も同じである。彼よりは情もユーモアもあるのだが、非現実的なことを信じることを極端に嫌った。
「もう、いいよ。分かったわ、行きましょ」
少年達が気になっても見失ってはどうしようもないので、流石に真美香は諦めて周達と次にどこに行くか相談を始めた。
2
入り口のドアの鍵に向かった少年は両手を軽く合わせて少し力を込める。暖かさが生まれ、そして光り出しそれが棒状に変化してその光は具現化して三鈷杵(金剛杵という仏具で真鍮で作られた先が槍のようになっていて3つに分かれている。ちなみに金剛とはインドの神インドラが持つ雷?を打つ聖武器)が現れた。その三鈷杵を軽く握って見詰めて息を深く吐くと、それを握り締めて理力を込めると三鈷杵から剣の刃が勢いよく飛び出した。
「降魔の剣」
それは不動明王の持つ降魔(悪魔を降参させるの意)の剣である。それをドアノブに突き刺して壊して部屋から1年ぶりに脱出した。ドアの前には先ほどの結界を破った青年がいた。20歳前後だろうか。その長い漆黒のジャケットとスラックス、その中に赤いシャツを着た青年は残虐な視線を少年に向けた。
「お前は業カルマのせいだな、今の状況は」
「貴方は?この強力な結界を金剛界の大日如来の力を借りて何なく打破してしまうなんて…。僧侶や托鉢のようには見えないけど」
そう言ってから、彼の整ってはいるが畏怖を感じさせる表情をしている面持ちに圧倒されて言葉を出すことができなくなった。
「とりあえず、そうだなぁ、…虚空維真とでも呼べ。お前は?」
「名前はないよ。父親や母親っていう存在は物心付いた頃からすでにいなかったんで」
すると、維真は目を軽く瞑り業とらしくそれらしい仕草、口振りでまるで少年相手ではないように命じた。
「うーん…、お前はたった今から小龍子だ。よく覚えておけ。それから…」
彼は小龍子の右手に黒い珠の数珠を付けた。そして、紅紐を絞めて腕の太さに合わせると何かを口走った。
「吽…薩婆訶」
小龍子が聞えたのはそれだけであった。すると、黒い数珠は3回スパークした。それを見て満足げに維真は錫杖を数回振って後ろを向いた。
「それは能力抑制、緊箍戒、つまり、孫悟空の緊箍冠の能力、そして、隠されたあと3つの能力を持つ伍戒法珠という数珠だ。黒い数珠は右腕にするものだから右手にはめた。以上、それについて質問するな」
「あのう、何故助けてくれて、何故これを僕に付けたの?」
すると、維真は面倒臭そうに頭を乱暴に掻き回し睨み付けるように小龍子に視線を刺した。その後、錫杖を小龍子の額に軽く叩いた。
「1度しか言わない。聞き直すな、忘れるな、深く追求するな。…いいか?」
小龍子はあどけない綺麗な大きな瞳で素直に頷いた。
「俺は呪術師で、鬼道、陰陽五行、呪術とかで金を稼いでいた。まぁ、元から理力、法力、チャクラは自慢じゃないが溢れるほどあったからな。勿論、全て独学だがうまくいっていた。役小角えんのおずぬが開祖の修験道、呪禁道が俺の術の元になっているが、幅広く術を頭の中に叩き込んだ。だから、鬼神を使役したり、いわゆるこの世のものじゃないものの力を借りるのは得意なもんさ。
だが、高野山の行者の槐創士っつうおっさんに捕まってな。色々あってな、ある経典を取りに行くはめになったんだ。そして、山篭りさせられて無理矢理厳しい修行をさせられて、密教の三密加持を叩き込まされたんだ。だから、解呪の法には長けている。まぁ、俺くらいの能力を持っているとすぐに会得して何でも簡単に発揮できるがな。そして、神の力を借りることもな」
三密。空海いわく、
「万物は限りなく生成流転しながら常に結び付いている。仏も神々も人も離れてはいない。三密加持すればただちにその真実が現前する。仏と衆生(生けとし生ける者)は、あたかも無数の珠が結び付けられているという帝釈天の網のように重なり合っている。仏は衆生。それを即身成仏という」(『即身成仏義』の一節より)
この三密加持は、真言密教の行法の核心である。三密とは、仏教一般の「三業さんごう」にあたる。業の原語『カルマン』は『行い』の意。仏教では行いが未来を決定すると説く。それに加えて口にする言葉、心の動きを身・口・意の三業という。そして、迷いに捕らわれ煩悩に汚れた三業を浄化して行くことが真言密教の修行の目的とされる。
密教での三密とは、全ての根源、大日如来の身口意の働きである。それは宇宙の森羅万象として現象し、諸仏・諸尊も大日如来の三密の現れとされている。
さらに煩悩で覆われた人の三業も三密と呼ぶ。
具体的には手に印を結び(身密)、真言を唱え(口密)、心を仏に向ける(意密)という3つの行により、加(仏の慈悲)、持(人の信心)が働き、仏と人は相照らす。それを三密加持という。
「全く仏の道の精神がない。それでいいのか?」
背後に先ほどの凱が建物の壁に寄り掛かり、腕を組んで立っていた。その気配のなさに維真は凱に警戒の念を抱いた。
「さっきの餓鬼じゃないか。何をしに来た?」
その疑心暗記な瞳に凱は無愛想に答える。
「厭な感じがしたんでな、そいつが悪魔ってのもまんざらじゃないなと思って。さしずめ、夜叉か鬼の類だろう。邪気滅殺が俺の趣味なんだよ」
すると、彼はさも面白いものを聞いたかのように高笑いをした。
「お前も霊能力を持っているのか。帰れ。こいつは今、俺の下僕にしたところだ。どちらにしてもこいつの力なら、お前じゃ相手にならない。この俺だから抑え込んでいるんだ」
すると、小龍子はぼそっと呟いた。
「伍戒法珠という道具で無理矢理じゃないか」
すると、維真は彼を一瞥して不機嫌な顔になり、やっと聞える声で陀羅尼を呟き始める。小龍子は右手首を抑えて悶え始めた。
「さっきの話じゃ、小僧の力を抑える能力もあるんだろう?その数珠。そいつのフルパワーはお前でも手に負えないんだろう?」
その凱の言葉に維真は冷や汗を流して陀羅尼を止めて凱の鼻先に憤怒の形相を突き付けた。
「上等じゃないか。じゃあ、やってみるか」
すると、小龍子は2人の間に割って入った。彼の身体からは異様なオーラが放たれてその瞳は幼さが鋭さに変化していた。流石に2人は危機を感じ少し距離を取る。少年にはそれだけの潜在能力を持っているのだ。彼はすでに子供のような精神は無意識のもう1人の彼と入れ替わっていた。多重人格?本当の小龍子?維真でさえ分からなかった。
ただ、2人とも彼に対して畏怖でさえ感じていた。
「これは、まさか法珠の力?残された3つの内1つは感情を高ぶると意識、人格が変化する。でも、それだけじゃない何かがある…」
すると、小龍子は独りごちた。
「ヴィヴァスヴァットの子・ヤマの元に、遠く去りたる汝のマナス、そを我等はこなたに回り帰らしむ、ここに住みし、生存せんが為に」
その声はヴァリトンで少年のそれではなかった。凱は視線だけでその言葉の意味を維真に問いた。
「『リグ・ヴェーダ』の一節だよ。輪廻転生みたいなものだ。人は存在する為に魂はヤマという神の元に帰る。仏教に取り込まれた時に焔摩天、いわゆる閻魔大王とされた死者の支配者、ヤマ。死の国の王。ヴェーダでは人類最初の人間で最初の死者でもあり、死の国を統治、判事的存在になった。マナスは精神。魂と考えてくれていいだろう」
すると、凱は小さく呟き人差し指、中指を出した、手刀を構えると縦、横に切り始めた。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・裂・在・前」
「九字を切ったところで効かんぞ。それは弱い類に使役する術だ。過去の遺物とでも言おうか」
そして、手刀を左手の鞘に収める凱を蔑むように維真は睨むように横目で見た。
「少し力があるだけで、自分にはそれを高みに掲げ誇る。愚の骨頂だが、人の心にある傾向だ」
次に小龍子の方に鋭利な視線を突き刺した。彼はすでに何かに変化しようとしていた。
「全てはまだ始まらん。お前も、さぁ、もう戻れ」
小龍子は落ち付きを取り戻し、元の無邪気な子供の表情で彼に微笑んだ。
「これから妖怪どもののさばる西への地へ行く。その為にはまだ戦力不足だ。例え、阿修羅の眷属であり多大な力を持つお前でさえ」
すると、凱は自分に向けて親指を向けた。
「お前の力など借りん。こっちが不利になる」
「その結論はこれからのパフォーマンスを見てからでも遅くないぜ」
そう言って、建物から通りに出ると近くの児童公園に目をやった。そこには小さな社があり、そこから夜叉の類が現れ始めた。
「最近、この手の小説や漫画が多いからなぁ。あいつも勘違いの線だな。…助ける訳じゃないが行くぞ、小龍」
維真は素早く凱の背後に移動すると紙の人形をばら撒いた。それは戦国時代の中国の兵士と化した。これは剪紙せんし成せい兵術へいじゅつ(中国道教の秘術の1つで紙の人形を兵士に変化させて使う術。陰陽道の式神もこの術の影響を受けて生まれたものという説もある)である。
「でも、どうしてこんなところに鬼が」
小龍子は戦慄の表情とともに2人の前に出る。凱は構わず陰陽道の式神を召喚する。式ちょく占せん(陰陽師の占術)の十二神将(天一・騰蛇・朱雀・六合・勾陣・青龍・天后・太陰・玄武・太常・白獣・天空)の六合と朱雀を放ち、そして自分の前に玄武と太陰を配置した。(注意:薬師如来の眷属の夜叉の一群の十二神将とは違う。こちらは『十二夜叉大将』、『十二薬師大将』と呼ばれ、悪鬼、恐ろしい形相である。各々7000の眷属を従え薬師如来の教え、それを志す人を守護する。十二尊ということから昼夜十二時の護法神とされ、やがて、十二支と関係付けられるようになる。そのため、十二支の動物を冠に頂いているものもある。
名前は宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・摩仁羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅である)
彼らの使役した鬼神達は連携をとることなく、散りながら攻撃を開始する。それを高く飛翔して避けると、夜叉は炎の弾を口から放った。維真の前の玄武は蛇を首の方にやり、甲羅を夜叉に向けて全員を防御した。
その爆風の中を駆け抜けて小龍子は三鈷杵を目の前に構えた。それは2mほどに伸びてそれを振り回して棒術のごとく構えた。
式神達を押し退けて彼はかなりの速さで身軽に夜叉に近づく。
「我は強ごう羅ら。全ての物を組み敷きもの」
そう聞きづらい濁声で叫ぶと腕を小龍子に向かって振り下ろした。それを三鈷杵で受け止めた。そのまま押し返して高く跳び上がるとそれを振り回して背後に回り軽く飛んで後頭部に強烈な一打をお見舞いした。
強羅は凄まじい断末魔を上げてアスファルトに伏した。2人の遣いが形無しだったので、互いに顔を合わせて冷や汗を流した。
「…とっとと行くぞ」
維真はぶっきらぼうにそう言うと凱も2人についてきた。すると、維真は立ち止まり錫杖を彼に向けた。
「付いてくるな、雑魚」
「面白そうじゃないか。俺の力も役に立つぜ」
「殺されても知らんぞ。ついてくるなら勝手に来い。その代わり、俺達はお前に関与せんからな」
3人は通りを公園を横目にとりあえず西に向かって歩き始めた。
3
時は何千年も前。まだ、インド神話のアスラ親族が悪魔と成り下がる頃のことである。須弥山の中腹には4天王の1尊、毘沙門天の仏教に取り込まれる前の神、クベーラがある岩場で見たこともない光る水晶が顔を見せているのを見つけた。元はアスラ親族であったこともあり、その青い光に邪気に近いものが含まれていることを感じた。
「この神の場所で夜叉の類が何故?」
近づくと光を強めて水晶はひび割れを起こし、中から白い衣に包まる赤子が安らかに眠っていた。背中には白く小さな羽根が生えている。
「この存在は一体何なんだ?」
彼はパールヴァーティーの息子ガネーシャの元に連れて行くことにした。シヴァとヴィシュヌにより首を落とされ、息子の死に嘆く妻、パールヴァティーを哀れに思い(ガネーシャはパールヴァティーの体の垢より生れたため、シヴァは知らなく見知らぬ者が自分の家にいたことで戦いになったのだ)、シヴァは部下に北に向かい最初に出会った動物の頭を持ってこさせた。
生き物の頭を挿げ替える力を持つシヴァはガネーシャにその動物、象の頭を付けて復活させたのだった。
その知恵と幸運の神、ガネーシャはインドの民の間では大人気になるが、仏教に取り込まれるとヴィナーヤカという魔物の王とされていた。後に仏教に教化されて仏法の護法神『聖天しょうてん』となるのだが、このときはまだ魔物の王であった。
「こいつは巨大な潜在能力を持っている。しかも、混沌カオスと法ローの相反する双方の属性をも持っている。いわば、存在する訳のない存在だ」
すると、そこにインドの維持の神、ヴィシュヌが鳥神ガルーダに乗って降りてきた。ガルーダはヴィシュヌに負けてからは乗り物とされていた。そして、優しい、何とも言えぬ温和な響きの声を放った。
「ブラフマーの言う通りね。止めなさい、貴方の企みは失敗します」
「創造の神、ブラフマーが生み出した訳ではないだろう。どうして、そこまで、3大神の貴方がこやつのために来られる?」
「彼は異世界の存在。夜叉の眷属のようだけど、上界には重要な存在に感じられます。貴方達の手に負える存在じゃありません」
「ブラフマーは何と?」
「彼は救世を主です。異世界から追い出された運命フェイトの属性の偉大なる鬼神より世界を助けると言われました」
「まぁ、いい。では、こいつを貴方に授けるとしよう」
少々悔しそうに、しかし、含み笑いをしながらヴィナーヤカは赤子を手荒に抱いてヴィシュヌに差し渡した。それを慈愛の眼差しを注いで彼らの元から飛び立った。
シヴァの宮殿ではインドラとブラフマーが玉座に呼ばれていた。老人の姿の宇宙の真理の擬人化、ブラフマー(ブラフマン=宇宙の真理=梵)は厳かに残虐的な三白眼の足を組み頬杖をするシヴァを睨むように言葉を紡いだ。
「この世界は2つに分けられてしまった。ある上界の大きな存在が人間を滅ぼそうとしたのだ。己を自意識過剰で運命と迷った鬼神の成れの果てだよ。それを防ごうとした更に上の存在が世界、次元を2つに割ってしまった。その2つに彼が滅ぼそうとした人間達、もう一方に彼を各々隔離して均衡を保ったのだ」
「そんなもんがこっちの世界に追いやられても困るわなぁ」
シヴァが後頭部を掻きながらそう言うと、視線をインドラの方に向けて言葉を待った。彼は厳つい表情を曇らせて握る拳に電撃を帯びさせていた。更にブラフマーは話を続ける。
「彼の名は迷毘めび朱すとも西洋名でメイフィスともいうらしいが定かではない。ただ、多くの使者を持ちそれぞれがかなりの理力を携えているらしい」
「めひすだかメダカだか知らないが気に入らないな。この上界には来ているのか?」
すると、今度は沈黙を保っていたインドラが口を開いた。
「須弥山に向かう巨大な鬼神を見たという部下の報告を受けた」
「そこには生まれたばかりの救世主がいる。しかし、すでにヴィシュヌが確保しているだろう」
インドラの話を割って入ったブラフマーの言葉にシヴァはさっと立ち上がった。
「どっちにしても、赤ん坊の救世主を今、殺される訳にもいかんだろう。ヴィシュヌに加戦しようじゃないか」
「相変わらずの性質のようだな、シヴァ」
「じいさん、俺の好戦的な性質がどれだけ役に立っているか分かっているだろう」
「それについては何も言わんことにしよう。さぁ、それでは行くとするか」
3尊の大神達は須弥山に向かって出発することにした。
迷毘朱は須弥山近くに来ると、火の神アグニに大好物のソーマを振舞って油断させて、その隙にアグニの息子、スカンダに取り付くことにした。スカンダは、昴の6つの星に育てられ6つの顔を持ち、無数の腕を有する。乗り物は警戒心旺盛な孔雀か時を告げる早起きの雄鶏。彼は敵を打ち負かす軍神であり、子供に病気を生み出す疫神でもある。そこから、武人、盗賊にも信仰されるようになる。ヴェーダ文献には登場しなく、アーリア起源ではない土俗神とされ、タミルの土俗の神、ムルガンと関連付ける説もある。
後に仏教に取り入れられて韋駄天になるだけあって、足の速さは上界随一である。
そこで、スカンダに乗り移った迷毘朱はインドラ達を知覚して迎え撃つ準備を始めた。須弥山に辿り着くと邪魔者の救世主がいないことに残念に思いながら、数多くの神より武具を盗み取り、それを無数の手に構えて態勢を整えた。
しばらくすると、乗り物の孔雀が警戒心旺盛なために喚き始めた。空から登場するシヴァを筆頭の大神軍が現れる。スカンダは無数の武器を振り翳し迎え撃った。その壮絶な戦いの中で気付かれぬようにヴィシュヌは赤子の小龍子を抱きながらガルーダの豪速により、東方に逃れることができた。そして、玉帝に出会い彼を預けた。彼は悪魔の存在の小龍子を天界に存在させるのに、みんなに認めさせるために、天孫てんそん上聖じょうせいという役職を就かせた。長い間、天の仕事を携わって、崑崙山に向かう。そこで原始天尊の下で修行を始める。と、同時に多くの仙人達に仙術と戦いなどを修行させてもらい、絶大な力を手に入れた。と同時に、彼の潜在能力の強大さに危惧した仙人達は原始天尊に相談を持ちかける。彼は仏教の釈迦如来に審判を委ねることにしたのだった。
そこから、彼が孫悟空の如く封印される原因が生まれるのだった。釈迦如来は転生の前の自らの骨、仏舎利を盗まれたのに気付いたことがあった。そして、その邪鬼を追う役目をすでに仏教に取り込まれたスカンダこと韋駄天に任せた。彼はすでにシヴァ達との戦いに精神誘導により操作し、勝利を収めていた。そして、仏教に取り込まれ韋駄天として天で信頼とカリスマを得続けていた。ある企みのために…。
仏舎利を見事取り戻した韋駄天は小龍子を犯人と断定した。厚い信頼と尊敬を集めていた彼の言葉を誰もが信じて、釈迦如来は小さな悪魔を下界に堕として、ある建物の空間に幽閉したのだった。
4
不思議な鍵を取り出した小龍子はその翡翠の飾りを眺めながら言った。
「鍵は今は扉のノブの開閉に使用されるけど、昔は錠前が鍵の原点だったんだ。錠は扉を封印するもの、鍵はそれを開けるもの。南京錠や昔の蔵や牢屋の鍵を想像してくれるとわかるよ」
「つまり、鍵は開ける道具って言いたいんだろう?で、それをどうするんだよ」
隣のレトロな喫茶店から漏れるベートーベンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」を聞きながら、その鍵を凱に見せるように力を加えた。すると、ナイフの大きさに変化した。次に彼は小さな手を口にしてピーっと吹いた。その指笛の音に誘われて天より小さな龍のような霊獣が現れた。それに虚空の臭いを嗅がせて何かを呟いた。霊獣は小龍子に何かを呟いて彼はうんと頷いた。それから、鍵を空中に差込み鍵を捻った。すると、かちっと軽く鈍い音がして空中に次元のひずみが生まれた。そこから小さな緋色の石を手を突っ込み取り出した。
「次元錠か。仙術も会得しているとは、崑崙にもいたのか」
維真の呟きのような問いも頷いて彼はその龍を肩に乗せた。そして、心配そうな凱の瞳を見て微笑んで言った。
「大丈夫、こいつはかなりの霊力がないと見ることができないから」
「しかし、それがあれば次元を超えられるだろう?どうして、あの牢から逃げ出さなかったんだ?」
その鍵を見た凱が不思議そうにそう呟いた。それを聞いてその質問が愚問のように首を傾げて小龍子は次元錠を小さく戻してネックレスに戻した。
「これは鍵だって言ったよね。錠がなければ開けることができないんだよ。あの部屋にはなかったんだ。あの道にはたまたまその次元の歪みがあったんだ。しかも、大陸のこいつの住む上界の炎えん晶しょう河がに繋がる空間のトンネルがね。この霊獣、不可ふか空くうは探知能力があるんだ。だから、こういう次元の歪みがどこにつながっているのか、どこにどこへ繋がる時空錠があるのか探知することができるんだ」
「上界って、天界、つまり、神様のいる世界だろう?お前は悪魔だから行けないよな?」
しかし、首を横に振った。
「夜叉でも、鬼神でも悪鬼でも行くことはできるよ。その後の処置は保障しないけどね。それに、僕は正確には夜叉に属しているけど、混沌カオスと法ローに属しているから判別は困難。まぁ、謎の存在だからね」
「崑崙にも行っていて仙術を身に付けているということは、神や仙人に習ったのだろうし護衛されていたんだろう?師匠は言っていたが、旅路に出る際に、
『この先、釈迦の結界に囚われし夜叉の眷属の子供に出会うだろう。彼は号こう雪せつという街にありがたい経典を取りに行く際に力になるだろう。その際にこの伍戒法珠を与えよ。それは1つの戒めと3つの特殊能力の潜在能力を引き出す力を持っている。その効力は直に分かるだろう。ただし、気をつけよ。その童子は天界の反逆者であるからな。それで、封印されたのだが。ヴィシュヌ様からの言伝だ。彼は濡れ衣だ。この旅でその誤解も晴らすのだ』
ってな」
そして、彼に何かを探知させ始めた。霊獣、不可空は愛らしく小さい羽を妙にバタつかせて先を急いだ。渋谷の駅までの長距離を歩いた一行は改札口で先ほど別れたはずの真美香に出食わした。凱はばつが悪そうに俯いた。
彼女は何も言わずに彼らについてきた。そして、東海道線を下っているところで初めて声を掛けた。
「貴方達、どこへ行くの?」
「西。大陸に行くんだ」
すると、小龍子のあどけない瞳をあきれた眼差しで真美香は見定めた。
「大陸って中国でしょ?ここは日本。いくら西に向かっても大陸なんかには行けないわよ。全くなんで外国に行くのにこんなところにいるのよ」
列車は止まり、ホームの看板に視線を移すとそこには戸塚と書かれていた。そんな真美香を一瞥して維真は無視をした。
ある駅を後にした一行は田舎道を山に向かって進み山奥の森の中の異様な空間、雰囲気に紛れていった。
昔は墓場なんてなかった。神道でさえ死者の弔いなどなく、仏教が伝来するまで、山に死体を捨てていた。土葬が主流で、仏教が火葬を持ち込んだんだ。あっても、天皇の古墳くらいだ。室町時代にやっと墓地らしきものができたが、一般の人間の墓地ができたのは江戸時代からだ。
彼らが不可空に従って入ったこの山も、そのかつて死体が邪悪な汚らわしいものと思われていた昔、屍破棄場になっていた山の1つでもあった。
そんな山道に入る手前の村のバス停で凱は真美香をそこに留まらせた。
「この先には日本で最も厄介な最強の魔物がいる。お前はここから帰れ。幸い1日2回のバスの最終の時刻はあと1時間25分だしな」
「な、何でよ」
「お前、死にたいのか?」
「凱はどうなのよ?あの2人みたいに化け物じゃないんだから、倒す力もないでしょ。そんな魔物だっているって信じられる?それに女の子1人こんな暗闇に残そうというの?」
維真は構わず先を急いで先を急いで歩いていった。気になった小龍子は真美香の前に来て言った。
「このにいちゃんの言っていることは乱暴だけど、本当のことだよ。お願いだからここから帰って」
その愛らしく必死なつぶらな瞳での懇願に彼女は俯いたが、諦めたように空を仰いで呟いた。
「負けたわ。分かったからそんな顔しないでよ。さぁ、さっさと西でも大陸でも地獄でも行っちゃえ」
小龍子は心配そうに彼女を見つめたが、凱はそれを背中を押して彼女から遠ざかった。そして、彼らはこの先の強大な眠る邪気に集中させた。
頂上の展望台に着くとそこの中央には祠が立っていた。維真が近付こうとした刹那、ある邪気が彼に素早く飛び掛ってきた。彼は錫杖を念を込めて水平に背後に向けて振った。それはあっさりかわすと祠の屋根の頂点に乗ると馬鹿にするようににっと歯を見せて嘲笑した。
よく見ると、1匹の浅黒いこうもりのような翼、2本の歪な頭部の角、長い爪と牙の持つ尻尾を振る鋭い瞳の小さな悪鬼であった。彼はぽかんとしている小龍子を見つけるとさっと地に下りて駆け寄った。
「よう、小龍子じゃないか」
「あ、鬼炎!久しぶり。…何で下界にいるんだい?」
すると、展望台の不安定の気の柵に飛び乗ると脚と腕を組んで不服そうに頬を膨らませた。
「それがよう、混世魔王がさるお方の命によって、ここに眠る巨大な鬼を起こして、大日如来の使者の僧侶を倒せって言われたんでね。わざわざ、降りてきた訳よ」
大日如来の袈裟を荷物から取り出して纏うと錫杖を構えた。そのオーラに流石に鬼炎は怯んだ。
「鬼炎、僕達の仲間になってよ。混世魔王は操られているんだよ」
すると、維真がそこに口を挟んだ。
「今、上界にな、化けもんが入り込んでこの世界全てを破壊しようとしている。千里眼の原始天尊の読心では、奴はもともと1つの世界だったのを、人間を殲滅しようとしたために上界のさらに上の存在に世界を2つに割ってパラレルワールドに追いやられ、殲滅しようとしていた人間と引き離されてしまったんだ。こっちの世界では奴は世界を操ることはできない。そう、もともと1つだった世界では、奴は運命と自負し世界を自由に操っていた。それが人間の中に操作できぬ者が現れた。だから、人間を殲滅して世界を全て操れるようにしようとしたんだ。
で、こっちの世界では何1つ操ることができない。元の世界に戻ることもできない。次元を超えることができないからな。そこで、奴は考えた。こっちの世界そのものを消去してしまえばいい。すると、世界はもう1つのパラレルワールド1つになる。つまり、元の自由に操れる運命になれるという訳さ」
「でも、この世界、上界、下界全てを壊したら自分がそのもう1つのパラレルワールドに移行する保証はないじゃない、一緒に消滅しちゃうんじゃない?」
「そこで、俺だ」
維真は袈裟を掴んで見せた。
「こいつは次元操作装置の役目がある。異次元の狭間や行き先がランダムの場合の次元移動が可能の場合、この袈裟が纏った者の意思を感じ取ってその主の行きたい次元に出口を開くという仕掛けだ。そして、」
その維真の視線で小龍子は自分の首飾りの次元錠を摘み上げた。そう、小龍子の鍵で次元の穴を開けて大日如来の袈裟でパラレルワールド、もしくは別次元に出るように頭に浮かべれば住むのだ。ただし、次元移行制御に多大な力を使用するので、維真と言えどもそう簡単には扱えない。何しろ、神の力に値するのだから。
「…だから、さっきから悪鬼が復活して俺達を襲ってたんだ」
凱は2人の責任だといった視線を向けた。
「すると、これからも狙われるんだよね」
と小龍子。
「お前も上界の反逆者だしな」
と鬼炎。
そのとき、突如、雷撃が発生して祠を打ち砕いた。すると、その瓦礫から巨大な大鬼が這い上がってきた。そして、3メートルの巨体を4人と1匹の前に進ませた。
「ここは俺に任せてお前は行け!」
凱が叫んだ。
「ここに大陸への次元の扉の錠があるから来たんだろう。さぁ」
維真は真剣に頷くと小龍子に急かした。
「でも…」
「あいつの力なら大丈夫だ。あいつは阿弥陀如来(初めて庶民を極楽浄土に導く、女性は極楽浄土に行けないという仏教において、女性を含め、罪人でもだれでも極楽浄土にお経を唱えると導いてくれるという庶民派の如来)、阿宿如来、宝生如来の守護を受けている」
不安そうに凱と大鬼の戦いを見返りながら次元の鍵で扉を開けると維真達はその中に飛び込んだ。全員が中に入ると次元の扉は閉じて山頂には凱と大鬼だけが取り残された。それを見届けると、凱は3尊の如来を召喚した。そして、真言を唱えながら、神通力を最高に高めてその如来達に大鬼と立ち向かうように祈願した。彼の力を受けて3尊は眩い光を彼の両手に与えた。しかし、大鬼は笑みを溢すように口を開いた。涎が垂れて異臭が放たれ濁声が聞き取りにくかった。
「あの加茂役君小角ですら我を倒すことができなかったのだ」
「あの、修験者の役行者、呪術師、呪禁師の役小角でさえ…」
怯んで3尊の力を帯びた手を構えながら凱は1歩足を引いた。しかも、大鬼は後ろ手から真美香を掴んで掲げた。苦しみながら彼女はもがいているが、畏怖と喉の詰まりのために声を出せないでいる。
「何故、付いてきたんだ…、愚かな」
これでは攻撃ができない。彼は悔しそうに化け物を睨みつけるしかなかった。
まさか、小龍子達に助けを求める訳にもいかない。
「我はかつて京を恐怖のどん底に陥れた伊吹いぶき童子どうじの息子、酒呑しゅてん童子どうじだ。と、言っても現世では我が偉業は伝わっていないか」
すると、凱は冷や汗を流しながら間合いを見てやっとの思いで口を開いた。
「大江山を根城に京の都を荒らし回った鬼どもの首魁だろう。源頼光みなもとのよりみつとその四天王の活躍により討ち取られたはず。頼光に首を切られる際にそれまでの悪事の罪を悔い、死したら脳を病む人を助けたいと言い残したという説があり、首塚大明神が脳の病やノイローゼ関係に効果があるという由縁になったというはず」
すると、彼は空が張り裂けんばかりに大笑いをして恐ろしい瞳を凱に向けた。
「人間の1武将が我を倒しただと?本気で言っているのか?我は京を暴れ回った後に人間に化けて花山天皇の侍医として政治の面から人間を混乱に陥れようとしたのだが、政府の陰陽師である安部あべの晴せい明めいにより正体を暴かれてしまい職を追われてこの社に封印されてしまったのだ」
「彼の陰陽道では今のお前は封印すら困難なはず…」
「そうさ、封印されし間、力を高めていたのだ。それに今の世に奴ほどの能力を持つものはいないだろう」
そう、酒呑童子が空いている方の左手の拳を凱に向けて放たれた。と同時に大鬼の右手首に激しい衝撃が弾けて右手がもぎ取られた。パンチを放ち地に埋まった左手を上げるとそこには破れた紙の人形があり、振り返ると凱が3尊の力を固めた光弾が放った後であった。
その後、落ちてくる右手を蹴り飛ばして真美香を抱き受けるとさっと5mの距離を取った。
「俺の渾身の術で右手だけかよ…」
真美香は気付き立ち上がると畏怖に駆られて凱に抱き付いた。それを振り解き庇うように立ちはだかった。
「よくも、我の右手を…、人間ごときが!」
怒りに駆られた大鬼は左手に真っ赤な光の玉を作り始めた。
「まずは見せしめにその女の人間を灰に変えてやる」
その玉は勢いよく飛び放たれ真美香に一直線に向かった。しかし、凱は彼女の盾になって直撃をくらい空中4mは吹き飛ばされただろうか、そのまま地に叩き付けられて炎に包まれた。
真美香の悲鳴が当たりに響いた。涙を流して腰を抜かし混乱している彼女に酒呑童子は右手首から血を垂らしながら、恨みの瞳でゆっくり歩み寄ってきた。
そこで、再び雷が空を切り裂き大鬼の両角を直撃した。そのまま感電して彼は巨体を倒すと社の瓦礫の中に流砂に吸い込まれるように沈んでいき姿を消した。そして、瓦礫と化した社は元の姿に戻り、複数のお札が自然に貼られていった。真美香は目を丸くしてその光景を見ていると、暗黒の天より1筋の光が差し、そこから1尊の神が降りてきたのだった。
「我は雷帝インドラ。済まなかった、お主を巻き込むつもりはなかったのだ。酒呑童子を復活させて罪人をある場所に行かせるのを妨げるつもりがこんなことになってしまった」
「凱は?この人は?」
インドラは火をさっと消し意識を失わせた凱を抱き抱えた。すでに息絶えているのか、彼自身の力のおかげで命は首の皮一枚繋がっている状態なのか分からないが、衰弱し危ない状態、いわゆる危篤状態なのは確かである。雷の神は彼を抱きながら天へと帰っていった。
「案ずるな、1時、彼は私が預かる」
そのまま消えて、天は再び暗闇を取り戻した。彼女は呆然と山頂で空を眺めていたが、ふと振り返り地に転がった大鬼の右手が転がっていた。
彼女は泣きながら山道を下り先ほどのバス停に向かってとぼとぼと歩き出した。
5
維真が次元のトンネルを抜けてある草原に出ると、ある町が西の方に確認することができた。
「行くぞ」
維真は不可空の尻尾を掴んだ小龍子に横目で睨んでそう言った。そして、後ろに振り向き鬼炎に言葉を吐いた。
「お前はいつまで付いてくるんだ?」
鬼炎はぷいっと横を向いた。
「おいらは小龍子についていくんだ。おいら達は兄弟みたいなものだからな。それに、混世魔王は何とかっつう奴に操られているんだろう。奴の命令は無効だ。おいら以外に大鬼を復活させた奴がいるんだから、他にもお前を狙っているやつらがいるらしいし、守護になってやるさ。昔の借りもあるしな」
鬼炎は不可空と戯れる小龍子にそう言うと、維真は小さく呟いた。
「あの雷はインドラの矢だ。雷帝インドラ、インドの偉大なる神の1尊だ」
「へぇ、大したもんだなぁ。神々全部を敵に回したか」
「いいや、それもさっき言った化けもんのせいだ。ヴィシュヌ様は奴の悪巧みを暴いたんだ。何しろ俺様にこいつを育てて西に向かわせて、ある経典を手に入れてその化けもんを倒させることを御自ら依頼されたんだからな。小龍子、お前を守り育てたのは、インドの維持の神、ヴィシュヌ様なんだ。確か、その化け物は迷毘朱といったっけなぁ。って、全て師匠の受け売りだがな。で、その経典さえあればこいつの無実も晴れるし皆がこいつを救世主と認めて味方してくれる。すると、悪の根源を抹殺できるってな。ついでに俺にもその恩恵として何でも1つ願いを叶えてくれるらしいがな」
「それが1番の動機だろが、強欲人間」
すると、維真は鬼炎を鬼の形相で睨み付けた。
「馬鹿な言葉は相手を見て吐け、くそ悪魔」
「なんだと、やろうってのか?」
鬼炎が構えるとその2人の喧嘩に無頓着な小龍子はある感覚を感じた。
すると、維真は具合が悪くなって膝を突いた。
「どうしたの?」
小龍子は彼の目線に屈んで、さも心配そうにつぶらな瞳をいっぱいに開いて声を掛けた。彼は苦しそうにやっと声を絞り出した。
「あの先の街には聖なる結界が張られている。妖魔除けだろうな」
「で、なんで、坊主のお前が苦しんでいるんだよ?」
平然としてそう言う鬼炎を睨んで維真は怒鳴った。
「俺は色んな術は学んだが、坊主になったつもりはない。それにお前らこそおかしいだろう。悪魔・夜叉の眷属の類のお前らが何で何ともないんだよ」
小龍子と鬼炎は顔を見合わせて笑った。不可空は小龍子の頭の上でだるそうに息を荒げてばてている。
「ま、いいんじゃないの?それより、小龍子、お前がさっき取り出した石は何だったんだ?」
ポケットから不器用に取り出した石を鬼炎に見せる。それはごつごつしているがルビーよりも鮮やかに輝いていた。小龍子はさも楽しそうにこう言った。
「秘密。後でわかるさ。それより、これは魔物の仕業だよ。結界に似ているけど、自分より強い力を持つ者を寄せ付かせないものみたい」
確かにそうであった。その街はある妖怪を恐れて外出している人間は1人もいなく、中央には町長のものと思われる宮殿があった。そこに維真一向は重い足取りで向かっていくと、そこには1人の痩躯の女の子に出会った。
エントランスにただならぬ気配を感じるその女の子は人間の気配を感じない。しかし、強力な力を感じることはできなかった。ボスは奥の玉座にいて、彼女は小間使いなのだろうと維真は辛そうに錫杖を杖にしてそう思った。
「君はここの人間達を困らせている妖怪でしょ?」
突如、おもむろに小龍子はそう彼女に言葉を放った。彼女の瞳は孤独と憎悪を示し赤く光った。彼女の妖力は徐々に増えていく。
「どうして、魔除けの結界が張られているのにここに何故、化け物が存在するんだ?」
維真は構えながらそう独り言のように呟いた。そうすると、不可空は小龍子に耳打ちした。そして、彼は頷いて翼を広げて息を思い切り吸い込んだ。
すると、小龍子は次元錠を取り出して大きくして彼女の背後に刹那に回ると背中にナイフのように突き刺して回した。彼女は大きく呻き巨大なトカゲのような化け物に変化した。
「へぇ、その鍵ってそういう使い方もあるんだ」
鬼炎は小龍子はナイフ状の次元錠を刺したことを攻撃と思ったのだ。
「違うよ、鬼炎。攻撃したんじゃなくて、彼女の中に関する次元に行ってくるんだ。彼女は本当は悪い子じゃないんだ。ただ、悲しいことがあって妖怪になってしまったんだ。だから、時空と越えて過去に行って彼女を助けに行ってくる」
そう言うと、トカゲの妖怪の背中に次元の穴が開いて小龍子は中に飛び込んだ。そう、彼女が結界にいるのは、『本当の邪悪の心』を持っていないからなのだ。だが、人間を殺すこともあるが。そして、不可空は彼女の心の次元の歪が背中にあることを彼に伝えたのだった。
気付くと中国のどこかの都会の町の上空である。彼は五戒法珠の力を放った。これは4つの能力があり、1つは呪縛、維真に真言を唱えられると手首を締め付けられる孫悟空の緊箍冠のような『緊箍戒』、前世の姿、性質に変化する『逆行ぎゃっこう転生てんしょう』、命と引き換えに3回だけ大きな力を使用する『参さん魂発こんはつ照しょう』、その他、あと1つは後に出てくるのでここでは割愛する。その内の『逆行転生』の能力を開放したのだ。
小龍子の姿は青年の姿になり、鮮やかな金の髪は肩を超えるほど伸び角が2倍に伸びた。サンダルが編んだブーツになり、羽がキリスト教の天使のイメージくらいの大きさの翼に変化した。
そして、オーラが格段に増して理力が爆発的に増えた。精神も紳士的になり大人びた性格になった。その角のある天使の姿の小龍子はゆっくり町の中に降りて、感覚を研ぎ澄ました。ここはあのトカゲ妖怪になった彼女の過去の世界である。彼女の感覚はよく分かる空気であった。公園に下りると子供が楽しそうに遊んでいる。しかし、彼の姿に気付く者も見える者もいない。
子供達の中にあの少女もいた。愛らしい彼女は友達が昼食のために帰っていくと1人ため息をついてぽつんと立ち尽くした。そして、拳を握り意を決したように走り出して今にも倒れそうな汚いアパートの中に駆け込んでいく。そして、3階の奥の部屋までいくとポケットから一生懸命鍵を取り出すと鍵穴に差し込んだ。
…おかしい。今日はお母さんは6時までお仕事だもの。お父さんも会社だし。泥棒さんがいるのかもしれない。
すでに鍵が開けられていることに訝しげに鍵をしまうと、彼女はゆっくり忍び足で玄関を通る。男性のかなり履き崩した汚れた靴がある。
…ん?お父さんのだ。どうして?
「おとうーさん」
彼女はリビングのソファに座ってリモコンでテレビをつけて父親を呼んだ。しかし、彼が出てくることはなかった。ダイニングテーブルには彼女のための食事が用意されている。ラップがかかっているのは母親の得意な魚料理である。キッチンの方にも彼の姿はなかった。
そこで小龍子は真顔になる。畏怖とともに悲哀、嫌な感覚が全身を襲う。彼女の後ろにくっついてその顛末を見届けることにした。
彼女は恐る恐る廊下を駆けて父親の部屋のドアノブを触る。嫌な感覚がぴりっと走った気がした。ゆっくり握って回して、少し隙間を開けて覗いてみた。
「きゃー!」
彼女の声にならない悲鳴が小龍子の心の奥まで響き突き刺さった。部屋の中には、照明に縛ったロープに首を掛けて、開け放たれた窓から吹き込む風に揺れる彼女の父親の姿であった。風は悪戯をして彼を回転させた。窓側に向いていた彼はこっちに苦痛で歪んだ醜い表情を見せた。眼窩は飛び出し舌はだらりと垂れ下がりチアノーゼで紫の顔色をしている。首は体重のため少々伸びていて、とてもまともな人間が耐えられる姿ではなかった。彼女は小さい締め付けられる胸をぎゅっと掴んで嘔吐をすると、号泣をしながらリビングに逃げ込んでソファにうつ伏せになって必死に壊れていく心に耐えていた。その横でどうしようもない小龍子は彼女の頭を撫でて涙を流した。
次に時間と場面が突然変化する。
葬式も済ませた彼女は母親と無言でリビングにいる。彼女は父親の死から、もしかしたらそれ以前から虐待を繰り返されていたらしく、体中痣や傷だらけである。そんな彼女に愛する夫の死の鬱憤をぶつけた。小さな少女の顔は腫上がっている。
「どうして、私を苛めるの?」
「あんたがうっとうしいのよ、あんたは何もかも悪いからよ。世の中の悪いことはあんたのせいなのよ」
そして、足蹴りした後に優しい、可愛そうな幼女を妖怪にする留めの言葉を母親は放った。
「あんたのせいでお父さんは死んだのよ」
彼女の脳裏にあのぶら下がったこの世のものと思えぬ父の姿がフラッシュバックする。しかし、彼女は最大の心の破滅、絶望の状態であっても泣くことはなかった。それがなお小龍子の心を辛く貫いた。
…母親の虐待は全て自分が悪いから。お父さんが死んだのも私のせい。全て全て私のせい。私がいたら全世界の悪いことが起こっちゃう。私はいてはいけないのよ。『存在』してはいけないんだ。
場面は黄河の畔。大河は濁っていてとても綺麗とは言えない。こんな小さな少女が自殺を考えるなんて…。
小龍子は小高い岩場から川に飛び込もうとする少女を抱きかかえた。すると、彼女は小龍子を感じることも見ることもできるようになった。『参魂発照』の能力で彼女の過去の世界で実体化したのだ。彼のこの能力が使用できるのは後2回。彼女を抱いて空高く飛んでこの不幸な状況から幸せにさせるために上界に向かって翼を羽ばたかせた。
この世界にも上界がある。神々のいる世界に着くとヴィシュヌに彼女の身の上を話して預けた。これで神々により幸せになるだろう。ここでは彼はまだお尋ね者ではない。しかも、前世の天使の姿である。ここで自分の力が尽きるまで、少し探検してみることにした。
しばらく、飛んでいると優男が現れて杖を小龍子に向けて行動を制した。
「私はかつて歴史に葬られし八や鬼き亡者もうじゃとの大魔合戦で悪鬼を葬った呪術師等の英雄達の1人、李及りごうと言う」
「そいつらの中で何をやっていた?」
「うーん、優雅に作家をね。彼らの情報を収集し、史記を記述していたのさ」
「結局、何もやってなかったんだろう。どう見ても強そうじゃないしな」
「ははは、手厳しい」
「それより、ここら辺に八仙(中国の代表的な8人の仙人)の筆頭、呂りょ洞どう賓ひんこと孚ふ有ゆう帝てい君くんがいるだろう?」
彼は仙術の師匠である呂祖を探しに来たのだ。彼が会う前にどういう仙人(神)であったのか気になったのだ。
「この修南山で鍾離権しょうりけんの弟子として人生のはかなさを教わった民衆道教の祖とまでいわれる中心的神格で、心で願えば必ず答える万能力を持つ呂祖様のことだろう。あのお方なら未だ修行中だ。崑崙の封印の間にいるので会うことができない。その代わり、君のことを話してあげよう。君は今、前世の姿だろう?私は感知能力は誰にも負けないんで。どう?」
彼は顎に手をやりしばらく考えていたが、今の自分の姿が何なのか、今の業がどうしてあるのか気になった。
「君は昔、神だったんだ。それが自ら有り過ぎる力、理力を自他共に危険に感じてある大剣に封印して天使に堕ちたんだ。それが前世の君。その姿、力がそうだ。それでもかなりの力を持っているようだけどね。僕の感知能力によると『神レベル』の力を持っているだろう。神格も相当上だね。でも、君は悪魔、夜叉の風変わりの『鬼炎』と仲良くしたために現在の転生の状況になったんだよ。天使から夜叉の眷属に堕とされてしまったのさ」
「そっか。まぁ、いい。前世、過去がどうであれ今は今だ。ありがとう、それでは用事も済んだし仲間が待っているのでこれでお暇をするよ」
「また、会うこともあるだろう。またな」
「おう、またな」
彼は上界の空高く飛び上がると次元の穴を探して飛び込んだ。異次元のトンネルを通り抜けて再び宮殿の中に飛び出した。
そこで彼は元の子供っぽい姿に戻って唖然と回りを見渡した。過去を変えた彼は現在の状況に驚嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
トカゲの妖怪は白蛇の眷属と化して、維真達は彼女と話をしていた。
「どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ」
維真は小龍子を軽く頭を叩いた。彼らは過去が変わったことで小龍子が異次元旅行したことを把握していないのだ。
彼女はヴィシュヌのおかげで壊れた心により妖怪と化すことはなかったのだろうが、ヴィシュヌの乗り物であるガルーダの嫌いな蛇の眷属になったのだろう?神族には代わらないようだが。
「何でも溶かす薬を持っている化け物がこの先の峠にいるんです。だから、気をつけてください。この町は私が守りますから」
「それじゃあ、頼むぜ」
維真達は彼女にここを任せて、水、食料をもらうとその峠に向かって町を後にした。そして、すぐに維真は具合を回復させていつもの元気な性格になった。
「ほんとに邪気を持てるんだな、だんな」
「うるさいと言っているだろう、チビ悪魔」
維真と鬼炎の口喧嘩にも慣れて小龍子は不可空に耳打ちすると、小さな龍は馬に変化した。それに乗って峠に向かうと維真は飛び蹴りをして小龍子を落として真言を唱えて伍戒法珠を締め付けた。
「全く、子分の分際で俺より楽しようなんてすんな。しかも、こいつがこんないいものに変化できることを隠してやがって」
「やっぱり、聖なる結界の中じゃ苦しむ訳だ」
後頭部を擦りながら起き上がる小龍子を見ながらそう鬼炎は呟いた。白馬の不可空に乗ると維真は眠ってしまった。彼に悪戯しようとする鬼炎を止めながら小龍子は突如飛び上がり、空中で止まり気を張り詰めた。
「どうした?」
鬼炎も彼と背中を合わせるように飛んで構える。その真下で不可空は止まって2人を見上げている。すると、奇妙な仏の1尊が現れる。小龍子は例の能力で前世の強大な理力を持つ天使に変化した。手には光の槍を発して構えた。
「どうした?韋駄天じゃないか」
鬼炎は不思議そうにそう言うと彼は首を横に振った。
「韋駄天の中に何かいる」
すると、韋駄天は高笑いをして邪悪な表情に変わった。
「流石、救世主。感知能力は素晴らしいものだな。そうだ、俺様はメビウス。運命の化身であり、次元に幽閉された悲哀の存在」
「やはり」
「人間に錬金術で生きた人形を作らせ、人間を殲滅させようとしたためにこのパラレルワールドにな。あの人間は実によかった。排他的な性質で魂の破壊者という名を付けて何体か完成させた。それが覚醒したのはだいぶ時期がたってからだが」
「そんなことはどうでもいい。上界で濡れ衣を着せて天を味方に付けたようだが、無駄だ。天の神仏達の力を侮り過ぎにも程がある。まぁ、別の次元からこの世界に幽閉されたのだから、智がなくてもしょうがないが。ちなみに元始天尊も千里眼ですでにこのことを天やアーリア親族にも広めているところだろう。濡れ衣は無意味だ」
「そうか、それではこの体でいることは無意味ということだな」
韋駄天は急に倒れて中からまるで幽体離脱するようにある存在が現れた。それは西洋の悪魔の姿をしている。
「とうとう本性を現せたな」
飛び掛る鬼炎はそう言いながら三股の槍を突いた。しかし、メビウスはそれを軽く避けると波動を放った。
「何だ?!この能力。異世界の別質のものだ」
身軽に宙返りをして避けながら鬼炎が叫んだ。小龍子は光の矢を振り回し光の円盤にしてフリスビーのように飛ばした。すると、それはまるでメビウスを吸い込むように体の中に取り込んでしまった。
「私は実態がないのだ。物理攻撃は無意味だ。それに俺の能力は『CODE』というものだ。概念の外にある事象の摂理を理解し操る手法だ。精神操作と空気波動の2つ。サブリミナルコードという無意識を操作する能力もあるがな」
すると、下から気でできた不動明王が現れて降魔の剣でメビウスを振り降ろした。メビウスは流石にそれを避けて憎しみを込めて下の維真を睨み付けた。
「維真の法力か。あいつもやるなぁ、不動明王の力を借りる能力を持っているとは」
すると、横目で鬼炎が囁いた。
「お前、本当に前世の姿に変化すると性格変わるな。今の台詞、あの馬鹿が聞いてたら殴られてるぜ、しかも浄化の法力付きでな」
「そいつぁ、言えてる」
鬼炎との付き合いで現在の姿の小龍子に堕とされたので、鬼炎は前世の姿の小龍子を知っているのだ。
「とにかく、CODESNOWのアストラルコードだけは防がせてもらう」
そう言い残して、具現化したもの以外のものを切ることのできる降魔の剣に畏怖を感じて姿を消した。小龍子は元の姿に戻り鬼炎とともに維真のところに降りると維真は錫杖で小龍子を殴った。
「さっきは生意気な言葉をよくも言ってたな。いくら変化すると性格が変わるからって、俺は仏ほど慈悲の心なんぞ持ち合わせておらんわ」
「地獄耳」
頭を抑えて屈んでいる小龍子に耳打ちした鬼炎に維真は踵落としをお見舞いした。鬼炎はそれから維真から2mほど離れて先を進むことにした。
6
何でも溶かしてしまう壷を持つ妖怪がいるという街は山に挟まれたところにあり、炎の谷の街と呼ばれていた。
ここで、中国語が彼らが扱えるのは、小龍子達は理力によってであり、維真は中国にかつて住んでいたこともあったからである。
その町は閑散としていて誰も道に出ていない。妖怪のせいだろうと彼らは察しを付けて、その妖怪が姿を現すのを待った。街の中央の広場では綺麗な草原があり、その中央に井戸があった。そこにしばらく腰を下ろして少し休むことにした。
「なぁ、1つ気になることがあるんだけど、あいつ、あの鬼を倒せたかな?」
鬼炎がふと、凱と酒呑童子との戦いを思い出したのだ。すると、維真は冷めた眼を前方に向けながら井戸の縁に座る鬼炎に言った。
「無理だろ。いくらあいつが多少陰陽の力が使えるからってあの強力な鬼を倒すことはまず不可能」
驚いた小龍子は維真に駆け寄り声を大きくして言った。
「それを知って置いてきたの?」
「ああ、あいつが行けって言ったからな」
「どうして、助けようって思わないの?」
「大丈夫だよ。あの鬼はインドラの矢で復活したんだ。おそらくお前を倒すためにな。…お前、天で何をしたんだ?反逆ってお前の柄じゃないことだしな。まぁ、いい。で、お前があの場にいなくなったとしたら、鬼はインドラの意思に反することしかしない。それも想像を超えるほどのな。勿論、あの小僧を殺すこともインドラの意思じゃない。あいつを救ってあの鬼を封印しただろうな」
「そこまで考えていたのかねぇ、本当に」
鬼炎がまた毒を吐く。維真は人差し指で鬼炎に指を弾く仕草をした。すると、眼に見えぬ何かが鬼炎にぶつかり危うく鬼炎は井戸に落ちそうになるが、背中の翼を羽ばたかせて空に回避して維真に舌を出して見せた。
すると、井戸の中より爬虫類のような人間のような化け物が現れて維真に向かって刃のような歯を見せて唸った。彼はまるで何もないように後頭部を掻いて呆れた表情を見せた。
「まさか、こいつ…じゃないよな、壷の化け物」
「誰かさんのように頭悪そうだしな」
鬼炎が維真を見下ろして言った。維真は視線を化け物に向けながら鬼炎に言った。
「そいつはお前のことか?全くだ。でも、こいつはお前ほど知能は低くねぇんじゃないか」
「煩いうるさ 」
鬼炎は炎の弾を維真に放った。しかし、錫杖で弾いて爬虫類人間に放った。それは化け物を焼いてしまった。小龍子は慌てて2人の間に入った。
「もう、喧嘩は止めてよ。2人とも」
「俺は別に喧嘩なんてしてないぞ」
そう言って維真は立ち上がると背後に振り返って向こうを見つめた。
「俺だってそうさ。…とうとう来たな」
鬼炎も地に下りてそう言って維真と同じ方を見た。そちらからはゆっくり何者かが近付いてくるのが見えた。やがて、その者の姿に3人は唖然とすることになった。巨大な蛙が2本足でゆっくりジャンプするように歩いてくる。その膨れた腹部には小さな壷のペンダントが揺れている。
「あいつだ」
「うん、…あいつだね」
「ああ、あの壷、間違いなくあいつだ」
3人は意表をついたその姿に冷や汗を流す。しかし、その強力な妖気にしっかり警戒をしていた。
「まさか、あの壷って西遊記の金角の奴みたいに名前を呼ばれて答えると吸い込まれるって奴か?」
「いいや、馬鹿悪魔。あれは物質じゃねぇ、奴の妖力の具現化だ。自由に操ることができるんだろうな」
すると、小龍子が全員を庇うように立ちはだかった。しかし、それと同時に大蝦蟇は壷を摘み上げて小龍子に向けた。その壷は吸引を始めて周りの空気を吸い込み始めた。足を踏ん張る小龍子の体は少しずつ壷に吸い込まれていく。彼の翼は虚しく空を切った。
「確か、何でも溶かすんだよな?」
維真は蝦蟇に話しかけた。両生類の妖怪は大きく頷き壷を軽く振った。小龍子の体は宙に浮いてそのまま壷に吸い込まれていった。鬼炎は唖然として維真と蝦蟇に視線を注いだ。
「その通りさ。あの子供もゆっくり溶けて跡形もなくなるよ。別に仲間の死を悲しむことはないんだ。君達も彼の後を追ってあの世に行くんだから。溶けたエキスはおいらの力になるんだ。ありがたく思ってほしいな」
その言葉に維真は唾を地に吐いた。
「けっ、ふざけた野郎だぜ」
壷に入った小龍子は底の液体にダイビングした。そこで吸い込みが途絶えた。辺りの空気は静寂に留まり彼も心を落ち着かせた。しかし、それも束の間であった。自分の衣服が液体によって白い煙が昇らせている。
「と、溶けている!」
小龍子は翼を広げて飛び上がった。その途端にまた空気が逆流を始めて再び小龍子は溶解液に沈んでしまった。
「痛い!」
翼から血が迸った。その時彼に変化が起こった。彼の体に力が湧き上がり背が伸びて青年の天使の姿になった。それは紛れもなく前世の彼の姿である。その姿に戻れたということは元の強大な力を取り戻した、つまり、戒め、封印が解けたことを意味していた。伍戒法珠の力で前世の姿に戻ることと違い、神よりも偉大な力を取り戻したのだ。
右腕を見ると伍戒法珠が溶けてなくなっていた。封印、法力さえ解かしてしまう恐ろしい液体である。しかし、それが彼に好機を与えた。
蛙の化け物が維真に近付く。しかし、維真は余裕で微笑みながら腕組を解いて言った。
「お前、もう終わったぞ」
鬼炎は何のことが分からなかったが、維真の余裕を見てすでに勝負がついたのだと何故か確信が持てた。大蝦蟇が手のひらを維真達に向けた刹那壷が割れて中から青年の姿の天使が現れた。
「お、昔の小龍子じゃないか」
鬼炎がつい大声を上げる。小龍子は無表情のまま蝦蟇に冷たい視線を送り片手を挙げて光の槍を発生させてそれを回して高く投げた。円盤と化した槍は彼の振り下ろした腕に従い勢いよく飛んでいき蝦蟇の妖怪の体を真っ二つにした。妖怪は潰れた声を上げて煙と化して消えていった。小龍子は大して力を使っていない様子で肩慣らしにもならないようだった。そのまま舞い降りて維真を一瞥する。維真は彼らしくなく怯んだ表情を一瞬見せたがすぐに懐に手を差し入れた。
「はい、ご苦労さん」
そう言って近寄って維真は前世の姿の小龍子の腕に新たな伍戒法珠を付けた。すると、小龍子は徐々に体が小さくなっていき元の少年の姿に戻ってしまった。
「そうか、その数珠が小龍子の力の封印になっているんだな」
まじまじと小龍子の腕の数珠を見て鬼炎がそう呟いた。
「しっかし、この町は本当に住人はいないのかぁ?」
咥えたタバコに火をつけながら維真が周りを見回しながら呟いた。町は静寂に包まれていて人影1人見当たらない。小龍子は眼を見開きながら震える唇を開いた。
「まさか、さっきの化け物の壷に皆…」
「かもな」
維真は井戸の水を汲んで一気に飲み干すと腕で拭いながらそう言った。鬼炎は元の姿の不可空と戯れている。腕を後頭部を枕にして寝転び始める維真を横目に小龍子は各家々を確認して回る。すると、村の裏山から大勢の人影が迫ってくるのに気付きほっと胸を撫で下ろし笑顔でそちらに向かって駆け出した。
―――何かがおかしい。土の香り。
村人の青年の1人が小龍子に寄ってきて口を開いた。彼はどことなく顔色が悪い。
「あの化け物はどうしたんですか?」
「僕が倒したけど」
「そうですか!長老」
青年は90歳は超えてるであろう老人を連れてきた。彼は深々と頭を垂れて手厚く礼をした。
「我々はあの蝦蟇から逃れるために1時山に避難しておりました。本当にありがたい」
「ちょっと聞きたいんだけど、皆様子がおかしい気が…」
すると、長老は体を支えていた杖を急に小龍子に向けた。それは彼の顔のすぐ横で空を切った。小龍子はポケットから赤い石を取り出す。それは日本で空間の隙間から取り出したあの石である。それを天に翳すと真紅の光が当たりに満ちて祝福の空気が漂い始めた。途端に村人達は辛苦に打ち震えて呻き悶え始めた。皮膚は溶け始めてゾンビと化していく。
「誰が村人をゾンビにしたんだ?」
おそらく山に墓場があるのだろう。生き残った者達が妖怪に命を奪われた村人を葬りこの場を離れていったのだろう。その屍に忌まわしい術で操り人形にしたのだろう。
鋭利な視線を村人の背後に向けて小龍子は空を飛んで彼女に近寄った。その女性だけは姿を変えずに悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべている。
「流石の貴方も彼らに手を出せないと思ってね。私の兵隊にした訳。死者に鞭打つ真似はできないでしょ?」
小龍子から凄まじい力が発し始める。伍戒法珠の最後の力、『浄化』が発動を始めてゾンビ達は躯を残して昇天していった。流石に彼女は怯み始めて後ずさりをした。
「お前は何なんだ?」
「私は羅刹の力を持つ者。盤古ばんこの話を知っている?勿論、少数民族のヤオ族の犬の始祖神の盤孤ばんこじゃないわよ。天地を開闢した原初神で、インドのプルシャ、バビロニア神話のティアマトに通じる死者化生型の神話も残っているの。大昔、宇宙は混沌とした卵のようで盤古はその中で生まれて1万8千年の時を眠った。目覚めた盤古は混沌を切り裂き天地になった。その地の上に立って両腕で天を支えてさらに1万8千年を過ごし、その間に成長を続けたために天地はさらに離れ続けた。ついに完全な天地になって盤古は疲れ切って死に、その時の吐息が風雲になり、声は雷鳴、左目は太陽、右目は月、血液が河、そして肉は田畑になったと言われているの」
「その盤古がどうした?」
「私は生まれ変わり」
「天地創造の話は各神話によって違う。だから、その盤古の話もどうだか」
「でも、転生の話は本当よ。貴方が神の生まれ変わりのようにね」
そして、彼女は自らを李如りぎんと名乗った。羅刹女の類の魂が乗り移ったものだと小龍子は感じることができたが、ここでは言及を避けた。ちなみに羅刹は羅刹天と言い、インド神話の悪鬼ラークシャサが仏教に取り込まれた神である。元々は1柱の神、または悪魔ではなく、神や人間に敵対する一群の種族を表す言葉だった。叙事詩『ラーマーヤナ』では、ラークシャサの王ラーヴァナが英雄ラーマの妻シータを奪い、大猿ハマヌーンと戦う話もある。
羅刹は仏教でも悪鬼の類として扱われることが多いが、結局は仏教の教えに従い仏教の守護神の一角を占めるようになった。密教においては十二天の1尊として西南を守り、仏法と仏教の道場の守護神とされている。
一般に甲冑を着た出で立ちで獅子に跨り、右手に剣、左手に剣印という印を結ぶ姿で現される。
その羅刹の女性を羅刹女と呼び、悪鬼ではなく天女の姿で現されることもある。普賢菩薩の眷属、十羅刹女が有名である。
「私は原初神の繋がりで原始天尊様に頼まれた訳。どんな方法を使っても貴方を倒すことをね」
「そんな?!じいちゃんが?」
「本当よ。1説によれば盤古が原始天尊と同一と考える場合もあるくらいだもの」
「メビウスに騙されているんだ。皆、あいつが…」
彼は拳を握り締めて俯いてしまった。
「とにかく、私は私のすべきことをするまでさ」
彼女は死者操作の術を使った。すると、先ほどの蝦蟇の妖怪が土くれの中より現れて小龍子の前に立ちはだかった。彼は右腕の数珠を天に翳して力を発した。見る見る彼の姿は前世のそれに変化して右手に光の槍を取り出した。
「私の術は生きている時より数倍の能力に死者を変えるのよ。無駄な足掻きは止めて観念しなさい」
小龍子は空高く舞い上がると蝦蟇が巨大な口を開いて吐く溶解液をかわして槍を光の円盤にして投げた。円盤は勢いよく飛んでいくが蝦蟇の皮膚に触れた途端に光の粉となって消え去った。
「だから言ったでしょ」
李如は誇らしげにそう言い放った。悔しそうに小龍子は地に下りてもう1度光の槍を手に出した。そして、今度は眼を瞑って集中すると軽く浮いて地にゆっくりを付いた瞬間に姿を消した。否、凄まじいスピードで移動を始めたのだ。
蝦蟇も李如も唖然として最大級に警戒を始めた。一体、小龍子は何を狙っているのだろうか。ふと、李如が振り向き表情を強張らせた。小龍子が光の弓を出して光の槍を矢のように引いて構えていた。それは光の筋となって2人に向かって放たれた。凄まじい光が広がり浄化の空気が辺りに広がった。
李如は目を開けると蝦蟇妖怪のゾンビは消滅し、目の前に真剣な顔で槍を鼻先に向ける小龍子の姿があった。
「…私の負けよ。死者への冒涜も謝るわ」
小龍子は相手に戦う意思を失ったことを悟ると元の少年の姿に戻り槍を収めた。そして、無視して踵を返して維真達の元に戻ろうとしたら、李如が彼を呼び止めた。
「待って。私も連れて行って。どうやら、天上界の話は嘘のようね。これだけ浄化の力が使える貴方に悪事を考えることも行うことも考えられない」
「そして、僕の仲間となって旅をするの?」
「ええ」
「それを分かっていてじいちゃんは君を僕の刺客として送ったんだよ」
そう、原始天尊は千里眼を持っているのだ。そうそう、事実を曲げた事象を考えたり誤解するものではないのだ。
結局、李如を仲間にして維真のところに戻ることにした。そして、今までのことを1通り手短に話すと維真はまるで汚いものを見るように李如を見た。
「お前、死者操作の他に何ができる?」
「基本は羅刹女と同様の能力を持っているわ。羅刹の呪いによってね」
かつて、彼女は羅刹女を倒したことがあり、それからその呪いがかかってしまったのだ。そのせいで不老長寿の体と羅刹の能力を背負うはめになってしまった。最初は嘆いていたが、長い年月を経て運命を受け入れることができた。崑崙山で修行の後、原始天尊の弟子として遣えていたのだ。
「まぁ、いいんじゃねぇの?」
鬼炎がそう言って話の方向を変えた。
「でも、小龍子が何で浄化の力を使えるんだよ?しかも、とびっきり強烈な奴を」
確かに小龍子は現在は夜叉の類である。悪魔に近い存在の彼が浄化の力を使うことは自殺行為に他ならない。しかし、何の支障もなく使うことができているのだ。
「そいつは数珠のせいだ」
そう、伍戒法珠の浄化の能力、転生前の姿になる能力、そして、封印の能力がそれを可能にさせた。
不可空が姿を変えた馬に李如を乗せて一向は更に西に向かって進むことにした。日はゆっくり沈みひんやりとした夜が彼らに訪れた。しばらく進んでいくと砂漠に出た。すると、維真はまるで砂漠に落としたダイヤモンドを探すように下を向いて彷徨い、ある地点に立ち止まった。そして、錫杖を刺して陀羅尼を唱えた。すると、砂が突然流れ始めて砂の中から石の宮殿が姿を現した。
「これって何?」
眼を皿のようにして小龍子は指を指して維真に尋ねた。維真は面倒そうに溜め息をついてそれに答えた。
「これはテムジンの墓だ」
「テムジン?」
「ああ、フビライ・ハーン、またはチンギス・ハーンとも言われている歴史的に偉大な蒙古の長のことだよ」
「ああ、それなら知っている」
「で、彼の墓は未だに発見されていないが、実はここが彼の墓なんだ」
急に馬の姿の不可空が騒ぎ始めた。そう、この宮殿に次元の扉があるのだ。
「訳分かんねぇ。その墓をどうしてお前が知ってて出現させたんだよ?」
鬼炎がそう煮え切らない維真に苛立ちながらそう強めに訊くと維真はまるで独り言を言うように言葉を紡ぎ始めた。
「かつて中国全土を占領して日本にまで手を伸ばしたテムジンは最終的にこの砂漠に墓を作り葬られたんだ。尤も当時はここにはまだ砂漠が広がってなかったんだがな。しかし、砂漠が広がりこの遺跡は砂に沈んだんだ」
「もしかして、テムジンの霊に聞いたの?ここのこと」
「さぁな。それより、ここは以来ある者達の修行場として地に封印されたのだ。そして、ある陀羅尼で出現させることができる」
すると、小龍子がぽんと手を叩いて大声を上げた。
「分かった。神々の修行場だ」
彼はさらに続ける。
「陀羅尼は本来、手印と一緒で人が神と意思の疎通をするための手段で用いられるんだもん。その陀羅尼で出現するこのお城は神に関係しているんじゃない?」
空に舞い上がって鬼炎は小龍子の頭上に留まった。
「お前、意外に頭いいんだなぁ」
ずっと沈黙を続けていた李如はやっと口を開いた。
「…来る」
それに便乗して維真は錫杖を握り締めて構えながら言った。
「お客さんがこぞって登場だ。3匹ってところだな」
そして、謎の刺客の登場を待たずに維真は宮殿の中に入っていった。それに他の者達も後に続く。宮殿は薄暗く窓からの月明かりだけが視界をかろうじて保っていた。しばらく、広いエントランスから細い廊下を警戒しながら進んでいくと、前方より3人の兵士が現れた。いずれも三国時代の兵士の姿であったが、死人のような感覚は感じることはできなかった。
「彼らは死人ではないけど、三国時代の兵士よ。どうやら、何者かに永遠の命を与えられたらしいわね」
狭い通路を窮屈そうに飛ぶ鬼炎は舌打ちをして兵士達を睨み付けた。李如の死人を操る術でも彼らに影響を及ぼすことはできなかった。
「まさか、フビライが過去の戦士をここの門番にしたんじゃ」
「おい、小僧。どうやって未来の人間が過去の人間に影響を与えるんだ?永遠の命を与えたのは天上の者。そして、ここにいるのはその神がここに隠したあるものを守らせるため」
「それは時の扉ね」
李如の言葉に維真は深刻そうに頷いた。
すると、李如は左手を剣印という人差し指と中指を出して付けた形の手印をして力を加えた。剣印は羅刹天の特徴の1つである。羅刹天は右手に剣を持ち左手に剣印を結ぶ姿とされている。すると、2本の指から光の剣が発生した。
「まさか、お前も仙術が使えるのか?」
「いいえ、これは羅刹の力の1つ。仙術は道教、羅刹は仏教だよ。印は密教、仏教の特徴なんだし」
彼女が戦士の前に出るとそれを援護するように小龍子も懐から三鈷杵を取り出して降魔の剣を出した。2人が過去の戦士とつば競り合いを始める中、維真達は不可空に跨り先を急いだ。
「後は任せた。早く片付けてお前らも来いよ」
李如は呆れ顔で背中合わせになった小龍子に言った。
「何故、あんなのについているの?伍戒法珠があっても貴方なら大丈夫でしょ」
「ああ見えていい人だよ。それに維真についていくのが僕の運命だしね」
そして、彼はあっという間に1人の兵士を倒してしまった。李如も負けじとさっと姿を消すと兵士の1人の後ろに現れて理力の剣で2つに分断した。
「永遠の命という最悪の呪いから開放してあげるのだもの。感謝してほしいわね」
残りの1人はまるで命が惜しくないかのように勇敢にも剣を振り上げて走り寄ってきた。小龍子は降魔の剣を思い切り振り下ろす。光の刃が剣から放たれて兵士を寸断した。
「さぁ、行くわよ」
2人は剣を収めると先を行った維真達を追って狭い廊下を走っていった。
一方、維真達は俊足の不可空に乗って短時間で最下階の部屋に辿り着いていた。そこには奇妙な鏡が奥に飾ってあった。馬の姿の不可空から飛び降りた維真は鏡の側に寄るとある感覚を感じて警戒心を強めた。巨大な2体の兵士の石像が鏡の両脇に立っていたが、それが目を光らせて動き始めた。
「ゴーレムとは面白い」
維真は錫杖を構えて石像に向かって走り始めた。そして、陀羅尼を唱えると彼の錫杖は光り輝いた。
「不動明王の力を借りる。鬼炎は退いていろ」
その錫杖が振り下ろされて石像は光弾をまともに受けて砕け散った。しかし、もう1体が知らぬ内に維真の後ろで重量級の腕を振り下ろすところであった。
「危ない!」
鬼炎は闇の玉を放った。その石像は後ろによろけて膝を突いた。そこにもう1度維真が光弾を放った。それは勢い良く石像に辺りやはり砕け散っていった。
そこに小龍子達が辿り着いた。
「何かあったの?」
小龍子の素朴な質問に砕けた岩を踏みながら維真はいつもの冷たい表情を見せて答えた。
「別に、大したことはねぇよ」
そして、鏡に手を当てて真言を唱えると一瞬、鏡の表面が2,3度スパークして液体状になった。
「行くぞ」
維真は躊躇うことなくその中に入っていった。小龍子達もその後に続いて鏡の中に入る。そこは次元錠の次元の狭間とは違い奇妙な通路が続いていた。光が7色に混ざり合っている。その中を歩いていくとやがて草原の中に何故か立っている自分達に気付いて唖然とした。
後ろを振り返っても何もない。草原の他には周りには何1つ見て取ることはできなかった。その仲間達の戸惑いの様子を見て維真はうんざりするように髪を掻き回して口を開いた。彼は説明が嫌いなのだが、諦観的にそれを進める。
「あれは『時の扉』だ。時空を超えることができる。そして、出た側には戻ることはできない」
「まぁ、いいや」
鬼炎がそう言って高く飛び上がると辺りに集落がないか見回した。しかし、何も見えないほど大きな草原であった。
さらに西に向かって歩いていくとやがて山脈地帯が目の前に立ち塞がった。そこには山の麓の村、林好に辿り着いた。そこには巨大な黒龍が巣食う洞窟が側にあり、その黒龍が町の人々に生贄を求めて1ヶ月に1人が捧げられていた。維真達が訪れた時に村人が寄ってきて救いを求めてきた。
「しかしなぁ。龍は水の神だからなぁ。でも、竜王とは違うだろう。とにかく、そいつを見に行こう。いざとなれば小龍子がついているしな」
維真は1人でさっさと山の方へ歩いていってしまった。小龍子は辺りを見回し、ふと首を傾げた。それを不思議そうに見て鬼炎は声を掛けた。
「どうした?」
羽を広げて高く舞い上がった小龍子はしきりに何かを探しているようであった。鬼炎も翼を広げると彼の目の前にいった。
「だから、どうしたんだ?」
「ないんだよ」
「何が?」
しかし、何も発しないで再び地面に戻ると今度は地面を眺め始める。そして、小さい石を拾うと鼻の先に持ってきてじっとそれを見つめた。李如はその近くに不可空に乗ってやってきて声を掛けた。
「探し物は見つかった?」
しかし、彼はしかめっ面をして首を横に振った。彼女は優しく微笑んでそっと囁いた。
「貴方が探しているのは『メビウスの欠片』でしょ?それなら黒龍の洞窟の方よ。私の里では言い伝えがあるの。混沌と定めを司るもの、黒き竜王の牙に眠る。ってね」
「どうして?こんなにはっきり感じるのにあんな遠くにあるの?それにメビウスがこの時空に転移したのは最近なのに欠片のことがすでに言い伝えとしてあるのはおかしいよ」
「そうとも言えないわよ。だって、メビウスは実体のない存在。時間を越えることは容易なはず。その代わり、自分の時間以外の場所では物事に影響を及ぼすことはできないけど」
「タイムパラドックス」
「あら、良く知っているわね。そして、あれは私が子供の頃に1度会っているもの。ただ、見掛けただけだけど」
とにかく、小龍子は彼を上界で陥れたメビウスの手掛かりを探るべく維真の向かった龍の洞窟に向かうことにした。洞窟に近付くほど徐々にメビウスの力が大きく感じられるようになってきた。そして、目の前に来るとまるでメビウスが実際にそこにいるかのようにはっきりと大きな力を感じることができた。以前、対面したときのように。
洞窟は薄暗くやけに涼しかった。鬼炎が指先に炎を出して視界を確保する。李如は元の姿に戻った不可空を抱えてその後に続く。突然、小龍子が止まり鬼炎は危うく彼にぶつかりそうになり、炎を出している指をかわした。
「どうしたんだよ?」
「来る」
「何が?」
小龍子は降魔の剣を取り出して構えると、李如もそれに習って剣印から光の剣を発生させた。
「真光剣」
李如が呟きその剣を振り下ろす。光の刃が放たれ前方の暗闇に消えていった。次の瞬間、何者かの叫び声がしてある気配が近付いてくるのを全員は感じた。その時、不可空が叫び声を上げた。前方から黒竜が凄まじい勢いで迫ってきていた。
「この狭い場所では不利よ。一旦外に出ましょう」
李如の言葉に両者は頷き逃げるように踵を返した。外に出ると黒竜はその巨大な姿を顕わにした。小龍子は数珠を鳴らして力を発揮した。凄まじい気が放たれて彼の姿は前世の天使の姿になった。
次に右手に力を込めていく。
「ソウルブレイカー!」
彼は巨大な剣を取り出した。それは物理的なものには大した力は発揮しないが、見えないものに対してはかなりの威力を発揮した。
それを振り翳して小龍子は走り出すと黒竜の火炎を高く飛び上がって避けて剣を振り下ろした。その大剣はそれの魂を打ち砕いた。黒竜はそのまま地に伏してしまった。
「あっけないなぁ」
鬼炎がそう呟くと李如が首を横に振った。
「あの子が強すぎるのよ。しかも、あの剣はかなりの力を持っているわ」
それを聞いて彼は意味ありげに頷いた。
「じゃあ、行こうか」
いつの間にか剣を収めて子供の姿に戻った小龍子が洞窟の前に立ってそう言ったのだ。一向は洞窟の奥に向かい維真の姿を探った。
洞窟は意外に長く鬼炎の炎だけが視界を保っていた。もはや、誰も話をするものはいなかった。その内に広い空間に出ると、天井にぽっかり大きな穴が開いていた。その空間は龍の巣であることはすぐに分かった。しかし、維真の姿は見えない。その内、李如が警戒を始めた。
小龍子は天に飛び上がって精神を集中させた。すると、周りの岩肌がまるで生き物の内臓のように蠢き始める。鬼炎もすぐに空中に非難し、李如も天馬に変化した不可空に飛び乗った。
「兄ちゃん、食われちまったんじゃねぇか?」
鬼炎は下を見ながらそう言った。しかし、誰1人言葉を発する者はいなかった。上空の穴から外部に出ると下方に全員は注目した。緊張の糸が当たりに張り巡らされている中で、洞窟の天の穴から強大な禍々しい混沌が噴出し出した。それは彼らの目の前までくると、暗黒の渦になり徐々に大きな1つの瞳を開いた。
「お前は何の妖魔だ?」
李如が叫ぶがそれは答えようとせずにじっと3人を見据えた。小龍子は冷や汗を流しながらゆっくり乾く口を開いた。
「こいつは妖魔じゃないよ。異世界の運命を司るもの、メビウス。上界で僕を陥れた混沌に属するものさ」
「久しいな、小僧。まだ、生きていたとはな」
流石に身の危険を感じた鬼炎はさっと少し離れた地に舞い降りた。不可空も李如を乗せたまま鬼炎の跡に続いて非難する。鋭い視線の小龍子だけは因縁の戦いに挑もうとしていた。
メビウスは巨大な波動を放った。小龍子は腕で防ぐがそれでも衝撃を受けて地面に叩き付けられた。メビウスはそんな小龍子の背後に一瞬で移動した。
「今のお前では荷が重いな」
気付くと洞窟の山の中腹に維真が立っていた。体中傷だらけだが、命に別状はないようだ。メビウス相手に人間が無事であるということは奇跡に近かった。
「維真、生きてたんだ」
「こら、勝手に殺すな」
維真は小さく印を結び陀羅尼を唱えると小龍子の右手の伍戒法珠が抜け落ちた。彼の小さな体から強大な力が溢れ出す。
「あの人間、まだ生きていたのか。全くしぶとい奴だ」
メビウスが後ろを向いて洞窟の入り口の少し上の維真に波動を放とうとしたその刹那、小龍子は神であった頃の姿に戻り巨大な剣を取り出した。
「金剛剣」
それは彼が転生前に神として巨大過ぎる力を封印した剣であった。そのために彼は天使に成り下がったのだが。そのかつての力を剣から取り出した。以前の上界最大の力が小龍子の体に戻る。
「何という力だ。私が邪魔になると目を付けて早めに始末しようとしたのは正解だったようだ」
メビウスは視線を維真から小龍子に移動させる。彼は竜王の翼を持つ巨大な体に変化していた。神は足まで伸びて金色になり白亜の衣は飾りが多く付けられている。頭部の角は長く3本になっている。その表情は凛々しく、でも冷たさを含めていた。
小龍子は剣の先に巨大な光弾を溜めて振り下ろすと同時に放った。それは凄まじい勢いでメビウスに向かい爆発を起こした。地面にはクレーターが出来て土煙が辺りの視界を奪った。
それでも小龍子はメビウスの存在を感知して一瞬で近寄り波動を放った。メビウスは山肌に激突する。維真はとっくに鬼炎の方に逃げて眺めている。
目を引っ込めたメビウスは混沌の姿のままで土を落としながら上空にゆっくり上昇して今度は光線を放った。それを剣で受けた小龍子は爆発して再び地面に叩き付けられた。
――これは一気に片を付けないとまずいな。
立ち上がると小龍子は羽ばたいて剣を高く掲げて力を剣に溜め始めた。それを阻もうとメビウスは畳み掛けるように波動を連発した。小龍子は血を吐きながら膝を突いて息を切らせた。それでも力を溜め続けている。
メビウスは最大限の力を充填し始めてそれを放った。光弾は激突して小龍子は大爆発に巻き込まれてしまった。
「小龍子!」
鬼炎が叫ぶ。しかし、維真が手で制して大丈夫という風にじっと視線を小龍子に向けていた。
爆風が収まり彼の姿が顕わになると、メビウスは驚愕した。小龍子は傷だらけでかなり衰弱してはいたが、剣に最大の力を充填完了していた。それを振り下ろした。光の刃が勢い良く放たれてメビウスに目掛けて飛んでいった。しかし、何とかメビウスは紙一重で避けた。それでメビウスは安心したが、刃はブーメランのように戻ってきて、その混沌の体を切り裂いた。混沌の体に当たった瞬間にそれは幾つもの刃に分裂して一気に散々にしてしまった。そして、巨大な大爆発を起こした。
「全てが終わったな」
強烈な爆風に耐えながら維真は冷めた目で呟いた。メビウスは消滅して辺りに静寂が戻った。小龍子が元の姿に戻ると衰弱のためにそのまま意識を失ってしまった。李如はすぐに抱きかかえてヒーリングを行なった。彼はそれで一命を取り留めることになったのだ。
黒竜を倒した維真達を住民は歓迎して長老の家に厄介になることになった。そこで深い眠りに付く包帯だらけの小龍子の傍で鬼炎が維真に問い掛けた。
「あいつを倒しても西に向かうんだろう?でも、何故、皆、西に向かうんだ?西遊記にしても」
その質問に維真は仕入れたばかりのタバコを咥えながら虚無的に答えた。その声は憂いを含んでいる。
「西遊記はインドに仏教の経典を取りに行く話しだ。仏教は元々インドから始まったんだ。正確にはインドに文明が起こってからすぐに宗教も始まった。それはインダス川が由来しているものも多く、各地の民族宗教が発生した。全て、詳細は違うが各神話、宗教に出てくる神の中には共通のものや同じ、またはそれに通じる神も多く存在する。古代インド宗教の代表のインドラもインダスの古い神が取り入れられ発展したものとも言われている。
それから各土地の宗教の他にバラモン教が生まれる。そして、ヒンズー教に発展し、それは仏教に発展する。なにしろ、仏教の祖の釈迦族の王シュッドーダナ(浄じょう飯ぼん王おう)とコーリヤ族王の娘マーヤー(摩耶)と息子、ゴーダマ・シッタールダ(釈迦牟しゃかむ仁に)はゴーダマの前世の話の載っている本生ほんじょう譚などにも伝わっている話がある。釈迦の前世でバラモン(インドの神職階級で最上のカースト)の童子だったとき、彼は正しい教えを聞きたいと熱望したが、そのことを知った帝釈天――つまり、インドラが仏教に伝わったものだ――が、彼の真理追及の気持ちに強さを把握するために羅刹(鬼)に変化して童子の前に現れたんだ。そして、「諸行しょぎょう無常むじょう、是生ぜしょう滅法めっぽう(つまり、世の中のあらゆるものは移りゆくのが定めで、常に生じたり滅したりするのが真理(法)であるという意味だ)」という詩句を唱えたんだ。つまり、これは仏教の根本の教えで、即座にこれを理解して歓喜した」
そこで彼は1息ついてさらに続けた。
「ところが羅刹の姿の帝釈天は、実は今唱えたのは真理を説いた詩句の半分であると言った。それを聞いた彼はその先を聞きたいと懇願すると、今は腹減ってこれ以上教えられない、童子が自分に食べられると約束すれば堪えて教えられると言った。彼は迷うことなく血肉を提供するから教えて欲しいと懇願した。羅刹は「生滅滅已しょうめつめつい、寂滅じゃくめつ為い楽らく(生じてまた滅し、滅し終われば永遠の安楽を得ることができる)」という後半の2句を教えた。彼は喜び、周囲の石や木にこの4句を素早く書き留めて近くの高い木に登り、約束通り羅刹の餌食になろうとした。羅刹は帝釈天に戻り彼の姿を空中で受け止めた。彼の真理を求める心が本物だと褒め称えたという話がある。
まぁ、仏教は死後を恐れる人々の心を救うという真理があるから分かるよな」
「早い話が仏教の祖が前世、インドの宗教のバラモンだったと言いたいんでしょ?」
李如が維真の話を割って入った。彼は頷き短くなったタバコを庭に投げ捨てて言った。
「まぁな。そして、仏教は密教と分化、仏教の大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教、モンゴル仏教と細分化した。さらに、日本に伝わり日本仏教に変化したんだ。密教の神、インドラやヴィシュヌ、その他の神はインド宗教、ヒンズー教に通じるものがあるだろう。同じ神を信仰していることと言い。で、密教は空海、つまり弘法大師によって日本に伝えられて真言宗となり、高野山を元に広まるがかなり細分化してごちゃごちゃしていったんだ。真言・陀羅尼がそのまま宗教の名前になっているから一目瞭然だよな」
「でも、各宗教が繋がっているというのも変な話だよな」
珍しく鬼炎がまともな言葉を吐いた。それに今度は李如が話を始める。
「そんなことはないわよ。典型は七福神ね。初期は恵比寿・大黒天の2神だったけど、弁財天、毘沙門天、布袋が加わって五福神になって、さらに福禄寿、寿老人が加わって現在の七福神とされているの。その中の布袋は唐末の僧、福禄寿と寿老人は南極星の化身とされているの。恵比寿は夷社の祀る大国主命と三郎社の祀る事代ことしろ主ぬしの神かみ(八や重言代えことしろ主ぬしの神かみ)が混同されて天あま照てらす大御神おおみかみの祀る夷えびす三郎さぶろうという1柱の神が恵比寿の始まりと言われているの」
「へぇ、日本のことなのにやけに詳しいな」
維真の言葉を無視して李如はさらに続ける。
「大黒天はインド神話の三大神の1柱シヴァの戦いと破壊を司る部分が仏教に取り込まれたものなの。古くは豊穣の神であったが、大自在天――シヴァ神が仏教に取り込まれた神のこと――と同じと見なされるようになってからは、生産の神、戦闘の神としての役割を持ったの。密教では大日如来の化身という重要な尊格であり、その信仰は特にチベットで発展したんだ。七福神の大黒天はこの神と日本の神の大国主神が合わさった神なんだ。この1柱の神だけでも、複数の宗教が密接に関係していることが分かるわね」
李如に続いて維真は再び主導権を奪い、説明口調を始めた。
「弁財天はインド神話の河の神、サラスヴァティーと知恵の神のバーチが結合した神だ。まぁ、主にサラスヴァティーの仏教に取り込まれた神と思えばいい。毘沙門天はインド神話の財宝神クベーラが仏教に取り込まれた神。四天王の1尊で多聞天の別名でも有名だな。持国天、増長天、広目天が四天王の3尊だ」
「ねぇ、何で、今まで神の数え方が『柱』だったのに、突然、『尊』なんだ?」
鬼炎が割って入ると維真が鋭利な視線を差した。
「主に神は『柱』と数えるが、仏教の神は『尊』と数えるんだ」
そして、維真は話の腰を折った鬼炎を一瞥して溜息をつき、静かに寝息を立てる小龍子を見た。
7
次の日、小龍子を馬に変化した不可空に乗せて出発することにした。山脈を抜けてさらに西へ向かい、目的地の最西の隠れ里、『号雪』の目の前に辿り着いていた。全員、肩の重荷を下ろして溜息をついた。そして、急いで山々に囲まれた村に入ろうと足を速めた。
その時、鬼炎の目の前の空間に亀裂が走り巨大な大鬼が出現した。それは酒呑童子である。しかも以前より巨大に、そして強力な力を持っていた。維真も流石に冷や汗を流した。放出する力はあのメビウスには劣るが神格は近いものがある。
「小龍子の戦力がない今、やばいことになったな」
身構えて錫杖を持ち直しながら維真がそう口走った。しかし、鬼炎は目を輝かせて悪戯っ子のようににっと微笑んだ。それを見て彼に何か策があることを察すると、維真は時間稼ぎをすることにした。李如は小龍子の援護に回っている。それを気にしながら狭い山々の谷の道を駆け出した。そして、酒呑童子の豪腕を避けながら背後に回った。
大鬼が体勢を低くして構えると右手を引いて力を充填し始めた。それは最大の技の前触れだということは、維真でなくとも想像することはできた。
その拳は放たれてオーラをまといながら維真にぶつかりそうになったその時、大鬼の拳を維真は錫杖で軽く受け止めた。酒呑童子は唖然として振り返ると、気付かれずに鬼炎が小龍子の伍戒法珠を大鬼の豪腕にこっそり嵌めたのであった。メビウスと闘う時に維真が外したものを鬼炎が拾っていたのだ。
酒呑童子の強力な力は封印されて、しかも、それが何故か異常に封印能力が発揮されてしまったのだ。
維真は簡単に羽交い絞めにして地面に倒してしまった。そして、最初はもがき、数珠をもぎ取ろうとしたが取れずにしばらく維真に逆らおうとしたが、数分後に諦めて観念した。
胡坐をかいて座り込み瞳を閉じた。維真はこれ幸いと命令口調に酒呑童子に言った。
「お前、これから俺の奴隷になれ」
彼が維真に拒みの視線を向けると真言を唱え始めた。すると、数珠が締まり極限の苦痛が大鬼の体に響いた。彼は悶え苦しみながらやっとの声を漏らす。
「分かった、分かったから止めろ」
そこで維真は口を閉じて勝ち誇ったように嘲笑すると、鬼炎に視線をやった。鬼炎は親指を立てて笑って見せた。
新たな仲間を増やして彼らは目的の村、号雪に着くと奥の山頂にある寺院に向かって進んでいった。村人は人間以外の者を連れている維真に遠い目で蔑んでいた。
住宅を抜けて長い石階段を上っていった。寺院の鮮やかな建物の前には僧侶が1人立っていた。老人は一向を見て微笑み建物の中に招いた。
仏像の前でお茶を出された維真はそれを啜りながら仏像を見上げた。そこに老僧侶が経典を持ってやってきた。
「これをお求めなのでしょう。わざわざ遠いところから良く来られた。そこの夜叉や羅刹、大鬼もお茶を召し上がってくだされ」
「それにしても」
維真は経典を荷物の中に収めて老人に話し掛けた。
「これから俺はどうすればいい?」
「ここで修行しなさい。3年で貴方は素晴らしい力を得ることが出来るでしょう。いい心身の鍛錬になるでしょう」
「それも師匠の望みだったんだな。ちっ、しかたねぇな」
「そこの夜叉は彼が修行している間、上界に行ってきなさい。やりたいことがあそこであるのじゃろう」
すると、いつの間にか目を覚ましていた小龍子は無理をして起き上がって頷いた。それを見て老人は何度も頷き西を指差した。
「隣に時の間と呼ばれる聖域の部屋があります。そこで上界へ次元錠でいけるはず。不可空も連れて行かれるといいでしょう」
「じいちゃん、ありがとう」
ふらふらになりながらも立ち上がった小龍子はチビの姿に戻った不可空を肩に乗せて隣の部屋に消えていった。しばらく維真が隣の部屋の方を見ていると一瞬引き戸の隙間から光のスパークが見えて静寂が訪れた。
「あいつは行っちまったようだな」
維真は静かにそう呟いた。振り返ると鬼炎の姿もすでになかった。李如と酒呑童子は疲れ果ててうとうととしている。それを見て彼は鼻で笑い飛ばした。
上界に戻ったのは何年ぶりだろうか。小龍子はメビウスの策略による濡れ衣を晴らすために須弥山に向かった。そこに見覚えのある人間の青年が行く手を阻んだ。それは酒呑童子にやられ、インドラに連れて行かれた凱であった。上界で修行を積んでいたらしく、かなりの力を感じることが出来た。
「よう、久しぶりだな。どうやらあいつはうまくいったようだな」
「僕は自分の濡れ衣を晴らしに…」
「そのことなら大丈夫だ。すでにメビウスとお前のやり取りは上界の者達によって確認されている」
「じゃあ」
「まぁ、戻ってきてもいいぜ。自分が何者なのかを調べたいんだろう?」
小龍子は深く頷いた。その瞳は安堵で輝いていた。
「俺も修行がてら付き合うぜ」
凱がそう言うと小龍子は手を取って喜んだ。不可空は高らかに1声甲高く叫び声を上げた。これから小龍子は凱と不可空と上界の旅が始まろうとしているのだった。
それから数十ヶ月が経過した。維真は李如と酒呑童子とともに南のインドを目指して旅立った。修行を終えて密教の呪術の秘法を教わって、それを身に付けようという維真の我がままが原因であった。
砂漠の中を通る1本の歩きにくい道を歩いていた。すると、目の前に大きな流砂が現れた。
「これは妖魔の仕業よ」
李如の言葉より早く大鬼は数珠を天に掲げた。そして、波動を放つと砂の中から巨大な蟻地獄が現れた。それにもう1度波動を放つ。しかし、あっさり6本の足で跳ね返されてしまう。
「やはり、お前には伍戒法珠の力は荷が重いか」
首を振り諦めたように地面に錫杖を突き立てた。昆虫の化け物は砂の弾を放った。その時、光の槍が飛んできてそれを光の粉と消滅させた。彼らは天を見上げると、見慣れた表情がそこにはあった。あの少年の姿の小龍子と雲に乗る凱であった。彼らは地に下りると小龍子は光の槍を、凱は呪符を放ちそれをあっさり倒してしまった。
大きな蟻地獄は爆発に巻き込まれ砂の中に消えていった。それを見届けてから振り返り笑顔で挨拶をした。
その再会は運命によって決められたものであった。小龍子達の本当の旅はこれから始まるのであった。
続く
今まで書いていないテイストのものを執筆しました。
どちらかというとファンタジーの雰囲気が多いです。
宗教の知識が満載なので、勉強になると思います。