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 「おはよーって千花。何ニヤニヤしてんのキモイよ?」

 「っ! な、なつめちゃんっ!」

 今朝のことに思いを馳せているうちに、どうやら顔がにやけていたらしい。そこを指摘され、恥ずかしさと気まずさでカッと顔が熱くなった千花は、話を誤魔化そうとした。

 「お、おはよう! 今日は早いねっ」

 「うんや。いつも通りだけど?」

 ―――うっ。失敗した!

 真っ当な返事が返ってきて最早何もかける言葉が見つからず黙り込んだ千花を、なつめはじぃっと見つめる。

 が、不意ににやぁと笑った。

 「なっ……なんでそんな目で私を見るのっ!」

 「いやぁ……奥さん、ホレ、何があったか言ってみな? ホレホレ」

 ずずいと顔を寄せ、違いの鼻が擦れそうな勢いで言い募って来るなつめの目つきは、どこぞの下世話好きなおばちゃんのそれだ。

 このままだと洗いざらい話さざるを得なくなると危機感を覚えた千花は、咄嗟に立ち上がる。

 「私ちょっとおトイレに……! ……あれ?」

 「ん? 何、どした?」

 昨日まで何もなかった右隣りの列の最後尾、つまりは千花の席の隣りに、座り手の居ない机がポツンと置かれてあったことに気付いた。その視線の先を目で追ったなつめは、口を開いた。

 「さっきからずっと置いてあったけど? ……ま・さ・か・千花ちゃ~ん。ずっと座っておきながら、今気が付いたって言うんじゃないでしょうねぇ?」

 ぎく。と千花の肩が揺れ、なつめにゆっくり視線をやると、ニヤニヤしている顔が映る。

 これは、絶対にからかっている顔だ。

 「…………へへ」

 言葉に詰まった挙句、千花が後頭部に手を当てながらへらっと笑うと、なつめは吹き出した。

 音量を抑えながら、くくっと笑うなつめの姿を苦笑しながら見ていると、ガラっと扉が開くと同時に「はーい皆席についてー」という女性の声が教室内に響いた。

 「おっと。じゃ、あとでね」

 そう言い残したなつめは千花の右斜め前の席へ向かって歩いて行く。周囲で固まっていた生徒達も散り散りになり教室内はあっというまに整然となった。

 それに満足した女性教師―――……担任は、教壇の前に立つと生徒達の顔を一つ一つ見るように教室内を見渡してから、声を張り上げる。

 「おはようー。今日はねー皆に紹介したい人がいます! さあ入って来て」

 先生の言葉で生徒達が動揺と期待でざわめいた。「何だろう?」「何かあったっけ」と囁き声が飛び交い、その中にガラっと扉が開く音が混じる。

 次の瞬間、生徒達のざわめきが一層強まり、生徒達の上擦った声があちらこちらでから上がり始めた。その中で、千花だけは他の生徒達と異なる反応を示していた。

 心臓は焦燥と緊張から強く跳ね、僅かな汗が滲んだ両手は胸元で握りしめられており、驚愕で瞠られた双眸はよそ見一つせず堂々たる態度で教壇へ向かい歩いている人物へ釘づけだった。

 驚愕の声が口から飛び出す寸前、咄嗟に両手で口元を覆い隠し、固唾を吞んで男の動きを追う。

 見たくはないのに―――……目が、離せない。

 彼が歩く度に揺れる、赤にも橙のようにも見える短い髪が終わった筈の記憶を呼び起こし、千花の心に不安を植え付ける。

 ―――ど……うしてっ……あの男がここにいるの!? どうしよう……先輩には謝ったし許してもらったからいいけど……。

 昨日、鬼気迫る勢いで追い駆けられそうになったことが脳裏を掠め、無意識に体を小さく丸める。

 ―――ううん、大丈夫よ、ばれるはずない。だって昨日、顔は見られてない筈だもの! そうよ、後姿しか……。……気づかない、わよね? 大丈夫よね??

 机に伏せる勢いで体を縮込めた千花は、心の中で叫び声を上げた。

 ―――助けて、先輩……!

 「……み。……久住。 ……久住千花!!」

 「はいいいぃぃぃ!!」

 突然聞こえて来た怒鳴り声に吃驚し椅子を倒しそうな勢いで席を立ったその瞬間、生徒達の好奇の的にされていることに気が付いた。素早く面を俯けたあと名を呼ばれたことを思い出し、気まずさを誤魔化すように正面へ目を向ける。途端、千花の瞳はまるで吸い寄せられるかの如く、教壇の横に立ったままの男の、色鮮やかな髪色に捕らわれた。

 「久住」

 担任の声ではっと我に返った千花は、声の主を視界に入れる。

 「人の話はちゃんと聞きなさい。 ……じゃあラス君の席は今立ってる女性徒の右隣りね」

 ―――なっ、なんですと!?

 千花の目が驚愕に見開かれ、瞬時に右隣りにポツンと置かれていた机に向いたと同時に、男の声が教室内に響いた。

 「はい」

 すぐにトントントン、と近付いてくる足音が聞こえ始め、千花は僅かな戦慄を覚えながら湧いた唾を飲み下した。無意識に握っていた拳に力が入る。

 主がいない机から目を離せないでいると、ふんわりとした風が吹いて千花の髪を僅かに揺らした。

 瞬きさえ出来ないまま薄茶色の机を一心に見つめているその双眸に、ぬっと誰かの手が飛び込んでくる。

 机に広がっている、自分より少し大きめの手。

 もう一度唾を飲んでからゆっくり顔を上げると、息が詰まった。

 灰色のような、しかし僅かに緑がかった色彩が、自分を見下ろしていたのだ。

 どくん、と一瞬心臓が力強く跳ね、早鐘のように打ち出す。背筋に、妙な汗が走った。

 目が、離せない。

 しかしそれも、少年が千花から目を逸らすまでのことだった。

 灰色と薄緑色が見事に混成されている彼の視界から外れた瞬間、まるで金縛りから解けたかのように体が自由になり、止まっていた呼吸が再開する。素早く椅子に座ってからゆっくりと顔を上げ、視線を走らせて周囲の様子を窺うと、今や生徒達の好奇の目は、全て転校生の少年へと向けられていた。

 彼は恥ずかしがる素振りを一切見せず、昂然と顔を上げ前を向いている。まるで、誰も目に入らないかのようだ。

 千花に気が付いた様子もない。

 ―――どうやら……大丈夫そう……。あぁ、良かった……!

 不安は杞憂に終わったと思い、千花はほっと胸を撫で下ろした。

 

 そのまま授業に入り、いつもとは違う雰囲気の中で一限目開始の鐘が鳴り響いた。一人の生徒の「起立、礼」の一声で全員が一斉に立ち上がり、お辞儀をしてから着席する。

 隣りにやって来た転校生のたどたどしい所作を目の端に捉えながら、心の中で首を傾げる。

 ―――前の学校ではこういうの、無かったのかしら。

 しかし、一度座れば背筋を伸ばし、胸を張って正面を見つめている。その堂々たる態度には賞賛の念さえ感じる程だ。

 ―――に、しても……。

 千花は目を細め、転校生を見つめた。

 ―――なによ、一言くらい教科書見せてって言えないのかしら。

 そう、転校生は授業は受けているものの教材はまだ貰っていないらしく、机の上には何もなかったのだ。

 筆箱でさえも。

 もしかしたら最初からまともに授業を受ける気など、これっぽっちもないのかもしれない。そう考えれば、千花に声を掛ける必要もないため、彼の態度にも頷けるものがある。

 というか、他には考えられなかった。

 内心深い溜め息をつきながら、それでも千花は転校生に小声で囁くように言った。

 「ねぇ……教科書、見ないの?」

 必然的に少年の瞳が千花に向けられ、ドキッと心臓が強く跳ね上がった。どっどっどっどっ、と打つ鼓動になんでなのよ、と不満を覚えながら、それを見破られないように努める。

 「見る必要があるのか?」

 「はぁ?」

 「何だ久住!」

 「ななな何でもありません!」

 あまりの言い草に授業中ということも忘却の彼方へ吹っ飛び、つい地で返した言葉は、黒板に文字を連ねるチョークの音しか聞こえない教室にやけに大きく響き、教師の耳にも入ってしまったようだ。

 先刻とは違う意味で心臓が早鐘のように打つ胸を抑えながら慌てて言った千花に「集中しなさい」と一言告げた教師の目は、既に黒板に向かっている。

 嫌な汗をかいてしまった。

 貴方のせいよ! と口にせずとも分かる目つきで隣りの転校生を見遣れば、彼の目線は既に正面へ向いており、千花などまるで空気のような扱いだ。

 ふつふつと湧いてくる怒りに任せ罵声を浴びせたい気持ちを、理性で抑え込む。

 ―――今は授業中でしょ、抑えるのよ、私。我慢するの、我慢我慢我慢我慢我慢…………。

 眉間には皴が寄り無意識に握った拳は僅かに震え奥歯を噛み締めながら、念仏を唱えるように心の中で言い聞かせ続けたのだった。

 そうして一限目終了を告げた教師が教壇から降りた途端、生徒達はここぞとばかりに転校生の周囲を囲み、口々に質問を投げかけ始める。

 人混みを避けるように席を立った千花は、ぎりぎりの所で生徒達の輪から回避しているなつめの席へ駆け寄ると、溜め息を漏らした。

 これではうるさくて、ゆっくり息もつけない。

 「凄いね~。人気もだけどあの髪の色。ありゃ目立つね。千花も大変ねぇ~……」

 なつめの言葉に相槌を打ちながら聞いていた千花は、次の瞬間、思考が停止した。

 「彼の学校案内任されて」

 「………………はい?」

 幻聴かと思い、訊き返す。

 今、非常に聞きたくなかった言葉を耳にした気がする。

 「だから、学校案内。さっき担任に任されてたじゃん。隣りの席だから。やっぱ聞いてなかったか」

 「はあああああぁぁぁぁぁ!?」

 意図せずして大きい声が千花の口から漏れ、やば、と咄嗟に口元を覆うが後の祭りだった。教室内が一斉に静まり返っただけでなく、転校生に群がっていたクラスメイトはもちろんのこと教室内に残っていた全員の注目を浴び、千花は恥ずかしさのあまり火照った顔を両手の平でうずめながら、穴があったら入りたいと切に思った。

 助けを求めて泣きそうな顔をなつめに向ければ、彼女は小さく「ばか……」と囁き、肩をすくめる。

 天にも見放された気持ちになるとはこのことであると、千花は身を以て知ったのだった。

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