第5章 失敗
リートはミルクにお説教していた。
「お前はそんな魔法の腕でチリ退治に赴こうなどと思っていたのか!」
「万が一、害のない人間に当たったらどうなると思っているんだ!」
「鍛錬が足りん!当分離れで毎日練習するんだ!いいな!」
先日の魔法訓練は「ミルクの魔法暴発」、つまりただの「失敗」だという結論だ。
―実は随分前にも、ミルクは花弁魔法のコントロールを失って部屋のランプに直撃し、ボヤを起こしたことがあった。
リートは割れたガラスを見ながら「またか」と、そのことを思い出し失敗だと即決したのだった。
「ごめんなさい…」
しゅんとしてしまったミルク。
だが、泣いてはいない。
だって、自分は失敗じゃなく強くなったと信じていたから。
「朝食を取ったら朝7時開始、昼食と休憩を取ったら午後の練習、夕方6時まで行うこと!分かったか!」
「はい、姉様」
言うことを一通り言ったところで、リートは扉をバタン!と騒がしく閉めて去った。
「はぁーあ………なんで怒られるの…もうっ」
つまんない。つまんないつまんない。
その気持ちで胸がいっぱいだった。
「シルキーが折角、お守りくれたのに…」
彼が以前来た、そのベランダに立つ。
綺麗な満月がやわらかい光を放っている。
ベランダには、小さな光の粒子が浮いて見える。
霧を、月明かりが照らしているように。
しかしそれは徐々に増えていく。
「あれ…」
霧でもない。
気のせいでもない。
漂う粒子はぎゅっと寄って、人の形になる。
そして静かにパン!と弾けた。
「シルキー…!!」
「こんばんは、ミルク」
思いがけない突然の訪問に、ミルクは微笑んだ。
「どうしたの?こんな時間に、しかも、前より静かに出てきた!」
「しぃーっ」
シルキーはミルクの唇に人差し指を当てた。
ミルクは気付いたようにはっとし、また同時に頬を赤らめた。
―あっダメ。もうミルクちゃんの魔力がっ…ゾクゾクするっ…!!
その人差し指から流れたミルクの魔力は、シルキーを一瞬で骨抜きにした。
『名門の魔力は至極の味わい』。
このまま膝から崩れて今すぐゆっくり堪能したい。
が、そのために来たのではない事を言い聞かせ、ミルクに微笑みを返す。
「ごめんね、女の子のお部屋を夜にお邪魔するなんて」
両手を合わせて謝る。
「今日、すごく大きな魔力を感じたから、もしかしてって思って」
「分かるんだ!シルキーは凄いね!」
「だって、言ったでしょ。お守りが見守ってくれるって」
ニカッ、と歯を見せて満面の笑みでミルクを安心させる。
「ふふっ。素敵」
ちょっと笑ったミルクは、すぐに落ち込んだ顔をする。
「シルキー、実はね、その魔法怒られちゃったの」
「ん?どうして」
「失敗だって、怒られちゃった。明日からずぅーーーーっと魔法練習なの」
伏し目がちに答えるミルクは、さっきまでの自分への自信が消えてしまったようだ。
「そっか……でも今日は泣いてないみたいだね」
ミルクはぐいっとシルキーを見上げる。
「もちろんだよ!!だってシルキーがお守りくれたから、わたし強くなったんだよ!!」
やや大声気味だが、シルキーは制止しない。
「実は俺も」
さっきミルクの唇を触れた人差し指を、シルキーは自分の下唇に当てた。
ちょっとミルクの頬が紅潮したのは、月明かりでよく分かる。
「静かに来れるように練習したんだ。どうしても光るからあんまり夜は使いにくいけどね」
シルキーは手を下ろす。
「ミルクのおかげ。ありがとうのお礼をしに来たんだ」
そっと左手でミルクの前髪を除けて、その額に唇をそっと当てた。
「ありがとう」
「シルキー…」
耳まで真っ赤になるミルクに、微笑んだ。
「伝えられてよかった、今夜はいい夢をね」
ミルクのブロンドヘアにそっと触れると、シルキーは足から分解されるように光になって消えた。
「シルキー…また来て、また話そ、また、また会いたいよ」
リートは離れの鍛錬場から出てきた所だった。
『自分も失敗していられない』と、寝る前に鍛錬をしていたのだ。
ふと、月明かりが照らすベランダに佇むミルクを見つけ、その「ふ抜けた」顔に呆れる。
「全く、落ち込む暇があれば体力のために寝るなり鍛錬するなり……」
どうも、リートはまだまだ何か言い足りないようだ。
―自分も魔法は巧くないのだから、寝る間を惜しんで鍛錬しろ。
言いたくても、リートの意地やら長女の威厳ってものが邪魔しているらしい。
シルキーは自室に移動魔法で戻ってきた。
今までで一番、精度がいい。
だって、至極の魔力に直接触れてきたのだから。
どんな難しいことも、今なら出来そうだった。
この人差し指が唇に。
この唇があの額に。
この掌があの髪に。
何度となく、この高揚感を我慢したことか。
今はただ、キングサイズのベッドに寝転んで呼吸をする。
この体の中に熱く残る、ミルクの強大で至極の魔力をただただ堪能したかった。
そして、頬を赤らめたミルクを思い出しながら、シルキーは穏やかな顔で静かに眠った。
今夜はいい夢が見られそうだ。
悪魔らしくないか、と思ったけれど、彼とって今夜はとにかく満足しかなかった。