白
見上げれば、青。
空は偽りの色に染まり、地は混沌の闇を隠す。
誰もが気付かぬ虚構。
「……嗚呼、混沌に呼ばれている…」
自称、隻眼の紅焔、皇高麗。
本名、斎藤 浩太は、何かに呼ばれたかのように虚空に目をやった。
「だから痛いって」
「いたっ!」
隣で缶コーヒーを飲んでいた綺堂峰沙羅が、浩太の頭を容赦なく叩いた。
「な、何をするのだ!おかげで混沌の呼び声が聞こえなくなったではないか!」
うっすらと涙を浮かべ、浩太は沙羅を振り返る。
「もともと何にも聞こえないわよ。カオスは浩太の頭でしょ!」
鼻を鳴らし、馬鹿にしたような目で浩太を見る。
「あんた、そう言うの何て言うか知ってる?厨二病って言うのよ。高校生にもなって中二って…」
沙羅はわざとらしく肩をすくめ、溜息を吐いて見せた。
日本人かと言いたくなるような仕草だが、万人が万人、美人だと評すであろう沙羅にはよく似合っていた。
「なっ…!」
「大体カオスに呼ばれるってどういうこと!?カオスって人語話すわけ!?ぐっちゃぐちゃ状態で?」
「わ…私にはわかるのだ!それと、俺を仮の名で呼ぶな!紅焔、皇、高麗、どれかで呼べ!」
沙羅の追求に、言葉を詰まらせる浩太。
それでも主張はちゃっかりする。
「本名でしょうが!何、クリムゾンて。どこら辺があんた紅いの!?そのリンゴみたいなほっぺ?!」
常に赤みを持った浩太の頬をつねる。
「人が密かに気にしていることをさらっと突くな!血だ、血!返り血!」
浩太は沙羅の手を無理やりはがし、頬を抑える。
「採血で真っ青になる奴が何言ってるんだか」
ちゃんちゃらおかしい、と沙羅は首を左右に振る。
「う……何だよ。自分こそ厨二っぽい名前してさ。家だって…」
呆れた顔のままの沙羅を胡乱な目で見る。
そう。
本名斎藤浩太。
家はサラリーマンの父、パートの母、口うるさい妹。
本人に至っても厨二病といった以外特筆すべき事柄のない浩太と違い、沙羅は名前からして凝っている。
さらに言えば、家は由緒ある寺。
父は住職、母は遠方で仕事をしているらしいが、元巫女。宗教の違う二人が沿うまでにもドラマチックな事があったりなかったり…。
二人いる沙羅の兄も、将来を有望視される逸材と言う。
本人自身も、文武両道の才色兼備。部活の薙刀では、何度も全国大会に出場している。
まさに、絵にかいたような完璧ぶりなのである。
「は…っ!お前まさか、悪の組織的なところのまわし者か!あ、いや、俺も正義側というわけではないからな。えぇっと…」
「あ、そこはあんまり考えてないのね。っていうか、小学校からの付き合いの私に、よくも悪の組織のまわし者だとか言えるわね…」
何度目かも分からない溜息を吐く。
「敵は用意周到なんだよ」
「それで済ますんか。あぁ、当初の目的を忘れるところだった」
もう付き合ってられない、とばかりに隣同士で座っていたベンチを立った。
空になったコーヒーの缶をゴミ箱に捨てる。
カラン、と乾いた音がした。
「何だ、行くのか?俺はここでもう少し、混沌の残滓を…」
完全に見送る体制の浩太の耳を容赦なく引っ張る。
「あんた、今なんの時間だと思ってるの!?厨二も良いけど、『カオスが…!』とか言って授業中に飛びだすの辞めて!そろそろ留年の危機よ!」
「ふ…学業何て小事、この俺に課せられた大いなる使命の前ではなんの意味も…ってか痛い!」
「口じゃなくて足を動かす!」
耳を引っ張ったまま歩き出す沙羅に、仕方なしに足を動かす。
「っていうか、のんびりコーヒー飲んでたお前に言われたくねーよ!同罪じゃねーか!」
「私はあんたを連れ戻せと言われてきたの。さぼりじゃないし」
「いや、見つけてから連れ戻すまでの間が、…もういい」
確か15分はあったはずだ。それはさぼりと言わないのだろうか。
空は曇天。
いつの間にか現れた雲は、太陽を隠すようにさらに厚みを増す。
長い夜が、近付く。
「……ほんと、妄想なら良かったのにね」
一粒の涙は地に流れ、誰に知られることもなく、溶けた。