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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「人間失格。あるいは現代のオルフェウス」

人の想いは、人のこころは、きっと永遠にわかり合えないのだろうとおれは思う。


心は明確に表すことはできないし、表情やしぐさもいくらでも作れる。唯一想いを伝える手段である言葉さえ、「嘘」と言うノイズに塗れてそれを覆い隠す。


ゆえに、「わかり合えている」「通じ合っている」なんて虚しい幻想だ。悲しいエゴで、酷い高慢だ。


そんなことすらわかっていなかったオレだからこそ、彼女は――ユキは、なにも言わずにいってしまったのだろう。


「あなたは太宰? それともオルフェウス?」


彼女の残したその言葉だけが、今でも残されたオレのこころをざわつかせる。



■□■


「兄さん、失礼しますね」


私はそういって、ゆっくりと病室のドアをあけた。眼に飛び込むのは、冷たい雨の降る空から差し込む淀んだ光によって暗い灰色に染め上げられた病室と、どこか虚ろで遠くを見つめているような眼差しを窓の外へ向けた彼の姿だった。


「今日は少し体調がいいみたいですね」


お見舞いに持ってきた果物の入ったかごをサイドテーブルに置きながら、私は問いかける。だけど、やはり彼は、何の反応も返さなかった。


あの日から一ヶ月。ほとんど毎日のように彼のお見舞いにこの病院まで足を運び、いろいろなことを話しかけたのだけれど、人間らしい表情を浮かべたことは一度も無かった。彼はもう壊れてしまったのだろうか。そう思うとひどく胸が締め付けられる。


私はその不安を払うように首を振り、ベッドのそばにある備え付けの折りたたみ式のパイプ椅子に座る。


「兄さん。今日は兄さんの好きだった林檎を持ってきましたよ」


そういってかごの中から林檎を取り出してみる。


「食べますか?」


彼は、ただ黙って窓の外を眺めるだけ。返事は、ない。


私は、ほうと息を吐く。このままではいけないと強く思う。この一月の冷たい停滞から抜け出すためには、彼を引きずりだすには、触れなくてはならない。


「兄さん。突然ではありますが、すこし聞いてもいいですか」


いままで触れることを躊躇っていた、暗黙のうちに禁忌となっていた一ヶ月前のあの事件について。


「兄さんはどうして」


そう、一ヶ月前の――


「自殺しようとしたのですか」


――彼の自殺未遂事件についてだ。


その日、彼はいつものように起床し、当たり前のように朝食をとり、何事も無かったかのように出かけた。その自然な不自然さに私は気づけなかった。その数時間後、彼が海で入水自殺をおこなったという連絡を受けた時のことは今でも忘れてない。目の前が真っ暗になったような衝撃受け、自分の迂闊さを呪った。結局、幸運にも近隣住民の早期発見と通報によって病院へ運ばれ一命をとりとめるがその一件以降、医師や家族の呼びかけにも答えず、言語障害や記憶障害などが疑われて入院が長引いている。


ほとんどの人は彼が言葉を話さないのは、それらが原因だと考えているようだが、私はなぜかそうは思えなかった。彼は、ただ単純に話したくないから間なさないのでは無いだろうか。ゆえに今回はあえて禁忌に――おそらく無視せざるおえない話題に触れることにした。


それに私自身、自殺の動機が何なのか気になることもあった。いや、より正確に言うのなら動機には心当たりはある。


「それはもしかして」


それでも私は問う。


「ユキさんが原因ですか」


それが勘違いだと信じつつ問いかけた。


彼は死んだようだった瞳をいっぱいに開き、次いで苦しげな表情をした後ーー


「あぁ、そうだよ」


ーー陰鬱そうに答えた。



■□■


『ユキさん』というのは、少し前まで彼の恋人であった人の名前だ。私とはあまり接点のない人ではあったが、彼からよく話を聞いていた。彼曰く、彼女はとても聡明ですこし気難しいきれいな人だったと。ただ、日常会話の中にも哲学や心理学 神話学などを引用するから、とても絡みづらいとも。そのようなことを誇らしげに、うれしそうに、そしてどこか照れたような笑顔で語る彼は本当に幸せそうで、彼女のことが本当に好きなのだな、愛しているのだなと思った。


そのユキさんが亡くなったのが、それからだいたい一週間後のことである。


死因は高所からの転落死。彼女が飛び降りたと思われる建物の屋上から、綺麗にそろえられた彼女の靴と、遺書が見つかった。自殺である。


「やっぱり、兄さんは後追い自殺をしようとしたということですね」


「あぁ、そのとおりだ」


そういって彼は自嘲気味に笑う。


「女々しいと思うか」


「いいえ、まったく」


「そうか」


「ただ、常軌を逸しているとは、狂っているとは思います」


私の容赦のない言葉を、しかし彼は肯定する。


「『恋は盲目』、『愛する者に正気なし』とは実に的を射た言葉だと思うよ」


「そこまで解っているなら何故――」


「それでも耐えられなかった」


そこではっと気づく。彼はこの一ヶ月間の無表情がうそのようにその顔をグシャリと苦しげに歪めていた。


「おれは、アイツのことを何一つ理解していなかったんだ。彼氏面しておきながら、ユキが何を思っていたのかも、自殺なんてするほど何に追い詰められていたのかも何もかもわかっていなかったんだッ」


静かに語り始めた彼の独白は、途中から様々な感情を搾り出すような叫び声となっていった。


「それなのに、オレだけがのうのうと生きていていいのか。ユキを見殺しにしておいた分際で」


「それが――」


それが、彼の後追い自殺の原因。それは悲嘆などのただの突発的な動機ではなく、自責の念からくる罪悪感だった。それは一生さいなまれ続けるであろう感情だ。


私は、その姿を見て彼はもうだめだと思った。もとから他人に対して優しすぎる彼は、もうこの罪からは逃れられない。その罪は時がたつほどに重量をまして、彼を押しつぶすだろう。彼の心を蝕むだろう。どうしたって彼は、今まで通りの彼でいられなくなってしまう。


あぁ、これもあの女の思惑どおりなのか。これで彼はいつまでもあの女を想い続ける。彼の心を、魂を永遠に拘束できるのだから。永遠に自分のものにできるのだから。


「そういえば」


ならば、私がすることはひとつだ。


「ユキさんは、以前あなたにこう言ってましたね。『あなたは太宰? それともオルフェウス?』と」


「あ、あぁ」


「あなたは、どちらだと思いますか」


その台詞に、彼は困惑したような表情を浮かべた。もしかしたら、彼はこの言葉の意味に気がついていないみたいだ。

ならば、そのほうが私にとって都合がいい。


「私は、あなたはオルフェウスだと思います」


そこで私は精一杯の、いままで誰にも見せたことのないような笑顔を浮かべる。その理由はというと――


「死んだ妻をいつまでも思い続けたオルフェウスは最期、狂った女にその体をバラバラにされて殺されてしまうからです」


――彼が最期に見るのが、私の笑顔であってほしいと思ったからだ。


そして私は、果物と一緒に籠に入れて持ち込んだナイフを、彼の首へ深く、深く、柄まで通れと思いながら突き刺した。


噴出した彼の赤が、ベッドを、部屋を、私を綺麗な彼色に染めていく。ほとばしる彼のぬくもりを肌で感じ、私は幸せに打ち震えた。


「ごめんなさい。でもこうするしかなかったの」


声を出すこともできずに息絶えた彼。その彼に優しく、優しく語り掛ける。


「あなたを私の物にするには、こうするしかなかったの」


やさしくて鈍いあなたは知らなかったでしょう。あなたに恋人ができたということを知ったときの絶望を。うれしそうにあの女のこと語るあなたの笑顔にどれだけ傷つけられたかを。あなたの隣を平然と歩くあの女の姿に感じた狂おしいほどの嫉妬を。


「けど、彼女が死んで全て元通りになると思ったんですけどね」


そこが問題だった。彼女の死をきっかけしたように彼は自殺未遂を起こし、精神的に弱っている。そして私は思った。彼の心は、死んだあの女に汚染されてしまっているのではないのかと。あの女のことしか考えられないようになってしまったのではないのか。


「それで今日、確かめてみたんですよ」


確かめるのは恐かった。現にただそれだけのことに一ヶ月もかかってしまったのだから。


「でも、その結果がこれですか」


その結果は、最悪のものだった。彼の心は穢れきってしまった。もうもとに戻らない。


だから、私はこう思ったんです。


「じゃあ、あの女の手垢に塗れたこんな心はいらない」


こんな汚い魂はいらない。だから、貴女にあげます。せいぜい、あの世で愉しんでください。


でも、その変わり――


「――この身体は私のものだ」


突き立てたままにしていたナイフをゆっくりと横に少しずつ動かしていく。ぐちゅり、ぐちゅりと彼の血肉が奏でる音を聴く。


「もうこの身体をどうにかすることは、貴女にはできませんよね」


あぁ、それはとてもとてもすばらしいこと。

彼の血の気の失せた唇も、瞳孔の開ききった瞳も、ぐちゃぐちゃになった首筋も、血まみれのたくましい胸板も、白く美しいその指先も、全部、全部、全部、全部、全部私のモノ。


「あはははははあははっはっはははは」


私は笑いながらナイフを動かし続けた。


もう、全部私のモノなんだ。誰にもわたさない。コレはわたしのモノなんだ。


「わたしのモノだ。わたしはやっとこの人を手にいれたんだ」


しばらくナイフを動かし続けると、ひととおり首の肉は切ることはできたが、刃はぼろぼろになってしまった。やっぱりくだものナイフではこのていどが限界のようだ。


私は彼の首を両手で抱くようにかかえて――


「よっと」


残った骨をへし折ろうとした。はじめてのことだからかあまり上手にできず、しばらく四苦八苦していたけれど、すこしして意外ととあっけない音とともに折れた。


胴体と切り離された彼の首を、私と同じ目線の高さまでかかげる。


「ふふ、これじゃあまるでオルフェウスとマイナンじゃなくて、ヨカナーンとサロメですね」


たぶん、私は狂っているんだろう。でもそれでいいと私は思う。だって、私の未来はこれから永遠に彼と――彼の身体と一緒なのだから。間違いなく、私は今、幸せの絶頂にいる。


「あぁ、愛しています。愛しています。これからはずっと一緒です」


そして私はゆっくりと彼と唇を重ね――





――口の中に残る血と唾液を啜った。






end


ども、お久しぶりorはじめまして。

烏妣 揺です。


今作は、大学の文芸誌用に書いた作品です。


何故、こんな話を書いたのかというと、

「お前恋愛モノとか苦手そうだなw」と挑発してきた友人Aと、

「今度ホラーモノやってみろよw」とバカにしてきた友人Bの要望が、

締め切りまじかの午前三時の深夜テンションによってしったかめっちゃかになった挙句にできてしまったのです。


こ、こんなんですが、楽しんでくれたら幸いです。


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