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憎悪の行方


 ぼくにとっては、妹がすべてだった。


 妹は生まれつき体が弱い。

 両親はすでに亡く、しかしぼくたちは村からは少し離れた森の中、二人でひっそりと暮らしていた。

 ここは中央の森東側。自然が多く、気候も温暖で過ごしやすい。

 ぼくと妹、雪華(せっか)の二人が慎ましく暮らすには、十分なところだった。

 それでも森の中での入手が困難な生活必需品を手に入れるためには、森のはずれにある化猫(ケットシー)族の村まで出かけ、薪や木の実、薬草などと引き替えたり、自分を労働力として提供したりしていたから、村の人たちとの交流はそれなりにあった。

 それに雪華は病弱だ。いざという時のため、医者の存在は必要だった。

 村の人たちはみんな親切だった。なにかと雪華のことを気にかけてくれていたし、村に移り住むようにとも勧められていた。

 けれどぼくは、雪華と二人の静かな生活を手放すつもりはなかった。

 村に住めば、確かに生活は楽になるだろう。しかし雪華は働くことができない。

 雪華は心根の優しい、繊細な娘だ。周りから一方的に面倒を見られることは、心痛にしかならないだろう。

 それならいっそ、ぼくが全部やった方がいい。ぼくなら雪華が物心ついた頃からずっと面倒を見ているから、雪華にとっての日常になっている。

 ぼくは雪華を負担に思ったことなど一度もないし、雪華に頼られるのはうれしかった。

 ぼくは、雪華のために生きていた。

 いや、雪華がいたから生きていたのだ。


 雪華だって別に、ずっと寝たきりというわけじゃない。

 特にどこかが悪いわけじゃなく、全体的に弱いのだ。だから体力もない。

 けれど、だからこそ、気分のいい時は少しでも動いて、体力の低下を防がなくてはならない。

 ぼくはなるべく、雪華の好きなようにさせていた。

 つきっきりではなかった。

 ぼくはただ、雪華が無理をしないように見守っていただけだ。

 だが順番からすれば、兄であるぼくの方が雪華より先に死ぬのだろう。

 しかし雪華を置いて逝くのは、あまりに心残りが大きかった。

 それならいっそ、ぼくがうんと長生きをして、雪華の最期を看取ってやりたい。

 ぼくは、ほんの少しでも雪華より長く生きなければならない。

 そう、思っていた。

 それは、覚悟、でもあった。


 雪華は村には行かない。

 医者が必要な時は、ぼくが村まで呼びに行って、うちまで来てもらっていた。

 最近、雪華は気分がいいようだった。

 だからぼくはいくらか安心して、いつものように村に物々交換に行っていた。

 異変にはすぐに気がついた。

 うちの周りに人だかりができていたのだ。

 村の人じゃない。種族も服装も装備もバラバラな、ガラの悪そうな集団だった。

 ガラが悪い、と思ったのは、彼らが武器を手にしていたからだ。

 その様子は遠くからも見えた。

 ぼくは走った。

 何人かがぼくに気づいたけれど、特に動きは見られなかった。

「雪華!」

 ぼくが呼ぶと人垣が割れた。

 戸の前、つまり外に、雪華は立っていた。

「兄さま……」

 不安そうな顔がこちらを向く。

 ぼくは荷物を持ったまま走る。ぱっと見た目、雪華に危害が加えられている様子はない。

 それでもぼくは走った。雪華だけを見つめて。

 そして雪華のもとまで走り寄ったところで、ふいに声をかけられた。

「おまえが白姜(しきょう)か」

 背の高い影が、雪華の後ろから現れた。


 あんた誰、とは訊けなかった。

 訊くまでもなかった。

 長い銀糸の髪。

 鋭い透明の瞳。

 そして、紫水晶の縦開眼。

 それはこの世に一人――、(キング)の証。

 いや、現(キング)は女王だ。つまりこの男は次期(キング)――。

 現(キング)の弟。名前ももちろん知っている。

 麗王(れいおう)だ。


 何の用、と訊く間もなかった。

「おまえが余の占者(フォーチュン・テラー)だ」

「は……」

 ぼくが呆然とにらみあげると、麗王は眉を寄せた。

「おまえは白姜だろう」

「……ああ」

 顎を少し引き、ぼくは肯定の意を示した。声を出した後で、敬語を使わなければということに思い当たった。

 けれど(キング)を目の当たりにしてなお、ぼくには敬意よりも警戒がまさった。

 なによりも雪華が、おびえていた。

 ぼくは麗王から目を離さないまま、雪華を抱き寄せる。

「大丈夫か?」

「はい……」

 雪華の声は震えていた。ぼくが帰るまでに、麗王に何を言われたのだろう。ぼくは肩を抱く手に力をこめる。

「……意味が、わかりませんが。ぼくが白姜だったらどうだというんです?」

 すると麗王は、いかにも心外だ、というふうに目を見開いた。

占者(フォーチュン・テラー)が予言した。次の占者(フォーチュン・テラー)はおまえだとな。だから余が直々に迎えにきてやったのだ」

 ならばこの武器を持った連中は、王宮軍か。

 たかが次期王位継承者のために、親衛隊が出張ってくるとは思えない。

「……いやです」

「なんだと?」

「その話はお断りします。ぼくは占者(フォーチュン・テラー)になんか、なりたくない」

 (キング)にはむかうのは、ばかのすることなのだろう。だけどぼくは、雪華のそばを離れたくはなかった。

 麗王は無表情にぼくを見下ろしていた。ふいに、その視線が雪華をとらえる。

 びくりと、雪華の肩が震える。ぼくは雪華を背にかばった。

「その女のせいか」

「ちがう!」

「何が違う。その女がいるから、おまえは余のものにならぬと言うのだろう」

「兄さま……」

 ささやく雪華に、大丈夫だとうなずいてみせる。

 いまやぼくは、麗王個人に反発をおぼえていた。

 確かに、雪華を置いて中央神殿には行けない。

 けれど今はそれ以上に、麗王に仕えることが、いやだった。

 麗王は目を細め、いやな笑みをその顔に浮かべる。

「心配するな。その女は殺してやる」

「やめろ!」

 反射的に叫んでいた。その後、あまりに理不尽な言い様に愕然とする。

 普通ならそこは、「安心しろ。妹の命は保障する」ではないのか

 この男は、初めから雪華を殺すつもりだったのか。

「妹には手を出すな」

 ぼくは、自分の帰りが間に合ったことにほっとし、雪華を守る決意も新たに言い切った。

 すると麗王は不思議そうに首をかしげ、やがて短く笑った。

「なるほど、そうか」

 そして口元をおおっていた右手の指を、こちらに向けた。

「――――――!!」

「兄さま!!」

 あまりの痛みに、ぼくは膝を落とした。


 麗王のひとさし指がぼくを指したとたん、ぼくの右目に激痛がはしった。

 しかし痛みはすぐに引き、言い様のない不快感だけが残る。

 おそるおそる、右目をおおっていた手を見るが、意に反して血はまったく流れていなかった。

「……?」

 折っていた上体をゆっくりと起こす。雪華がぼくの背中を支えてくれていた。

「兄さま?」

 不安げな声に、ぼくは大丈夫だというかわりにその手をやさしくたたき、笑みを浮かべて雪華を見上げた。

「兄さま、その目……!!」

 とたんに、雪華が両手で口元をおおう。

 ぼくは首をかしげて立ち上がり、もう一度右目をてのひらでおおった。

 すると雪華はぼくの手をはずし、かわりに自分の手でぼくの左目をおおった。

「――――!!」

 暗闇。何も見えない。

 ぼくの動揺を悟って、雪華は手を下ろした。

「なに、が……、どうなって……」

「兄さまの、右の瞳が、まるで石のように……」

 雪華は涙声だった。

 ぼくはやっと事態を悟り、正面で笑う麗王の顔をにらみつけた。


「そうか、妹が死ねばおまえは来ないな」

 麗王の声は楽しそうだった。

「ならば言い直そう。おまえが来なければ(・・・・・)妹は死ぬ」

 ぼくにはもう、どうすることもできなかった。

 ぼくは膝を折り、(こうべ)を垂れる。

 そうするほかに、雪華を守る道は残されていなかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 雪華はずっと謝り続け、泣き続けた。

 ぼくは雪華を抱きしめ、そっとささやく。

「大丈夫。心配しなくていい。ぼくは絶対に大丈夫だから、ぼくを待っていて。必ず迎えに来るから」

「荷物はいらんぞ。その身ひとつで来れば良い」

 麗王は高らかにそう告げると、背を向けた。

 王宮軍は動かない。

 ぼくが黙って麗王についていくと、やっと彼らも動き出した。

 雪華の泣き声が、いつまでもぼくの耳から離れなかった。


 (キング)の石化魔法。

 知っている。

 しかしあんなにも速く、たわいなく、瞳だけという狭い範囲で使えるものだとは思わなかった。

 指先ひとつで、麗王は(キング)たる力を示してみせた。

 妹を殺すことなど、本当に造作もないのだと。

 それだけの力がありながら、麗王はわざわざ王宮軍を連れてきた。

 ぼくは恐怖よりも、嫌悪した。

 こうしてぼくは、不本意ながらも中央神殿へ連れられた。

 そうすることでしか、雪華を守れなかった。

 ぼくにとっては、雪華がすべてだったから。


「姉上様」

 うってかわったうやうやしい態度で、麗王は跪く。

 王宮軍は、神殿の中までは入ってこなかった。

 麗王は一人ずんずんと歩いていき、ぼくに何の説明もないままに、大きな扉を開けはなった。

 そこには玉座があった。

 しかし誰もいない。

 麗王は空の玉座の前で膝を折り、特に声をはり上げるでもなく呼びかけた。

「なんじゃ」

 返事は、玉座の後ろのカーテンの、そのまた奥から聞こえた。

「王宮軍をお返しします。占者(フォーチュン・テラー)をお貸し下さい」

 お互いの姿はまったく見えていないだろうに、まるですぐ近くにいるかのような話しぶり。

 (キング)が奥にいる、というのはわかる。しかしどの程度奥なのかまではわからない。それでも、普通の会話を成り立たせるには不可能な距離だった。

 おそらく、二人の間でなんらかの力がはたらいている。

 そのくらいは、ぼくにも感じとれた。

「白姜とかいう男を連れてきたのか」

「はい」

 それからかなりの時間がたった。

 麗王はぴくりともせず、跪いている。

 ぼくはその後ろで、ぼうっと立っていた。

 そして――。

「ほう――白いな」

 自らカーテンを開け、女王は姿を現した。

 白い、というのはおそらくぼくのことだろう。女王はぼくを見たまま玉座に腰を下ろすと、片膝を上げた。

 そこでぼくは、あわてて跪く。

 麗王のことはともかくとしても、その姉、今ぼくの目の前でぼくを見下ろしているのは、まちがいなく現(キング)

 朱妃(しゅひ)だ。

 礼を失するわけにはいかない相手だった。


 いつのまにか、玉座の横に男が立っていた。

 その男こそ、現占者(フォーチュン・テラー)飛炎(ひえん)

 彼を見て、ぼくは朱妃がぼくを見て「白い」と言った理由がわかった。

 彼もまた、白かったのである。

 彼――。占者(フォーチュン・テラー)に性別はないと聞いていたが、腰布以外何も身につけていないその姿は、反射的にぼくに男性だと思わせた。

 裸の上半身を見てとっさに女性ではないと思ったのだが、考えてみれば、それだけで男性だと断じることもできなかったはずだ。

「その男か、飛炎?」

 朱妃の声に、ぼくはぞくりとした。

 その声は、威厳というよりも、むしろ色香。

「はい」

 飛炎の声は静かだった。

「麗王」

「はい」

 まるで従順な犬のように、がばりと麗王は身を起こす。

 ぼくの位置から麗王の顔は見えないけれど、その声を聞いただけでも充分、ないはずのしっぽが懸命に振られている様が、幻覚よりもはっきりと見えた。

 ――そんなにうれしいのか。

「時が来れば飛炎は貸してやる。今は駄目じゃ。それまでその男は王宮に飼っておけ」

「はい、姉上様」

 飼う? ペットか、ぼくは。

 ぼくは自嘲する。

 ふと、視線を感じて顔を上げると、朱妃がぼくを見ていた。

 何もかもわかっている、という顔で。

 いっそ毒々しいほどに紅いくちびるが、嘲笑っている。

 反対にまったく色のない瞳もまた、嗤っていた。

 腹が立つよりもぞっとして、ぼくは目を伏せた。

「飛炎、おぬしが適当な部屋に連れておゆき。そのついでに話をすればよかろう」

「はい」

 飛炎は一礼すると玉座を離れ、段を降りて近づいてきた。

 そしてぼくの腕をとって立たせる。

「ついておいで」

 ぼくは黙って朱妃に一礼し、飛炎について部屋を出た。


 艶のない白い髪と肌。瞳にはかろうじて薄い緑金の色がついているが、着ているものも白い飛炎は、まさに「白」かった。

 瞳の色が薄く見えるのは、生気を感じないせいだろうか。

 紋だけが赤く浮かびあがるその存在も現実味が薄く、まさに「雲の上」という感じに浮き世離れしていた。

 ぼくもまあ似たようなものだ。

 瞳は金色だが、先程片方石化された。髪も肌も白く、着ている服も白かった。

 陛下に「白い」と言われるのも仕方がない。

 ぼくは飛炎の後ろについて、とぼとぼと長い廊下を歩いていた。

 ――これからどうなるのだろう。

 自然と視線が下がった。

 そこでぼくは初めて、飛炎の足を見た。

 裸足……だよな……?

 ぼくは人面鳥(ハーピー)族に会ったことはない。しかし飛炎の脚は鳥のそれと酷似していて、ぼくは視線を上げる。

 翼はないものな……。

「――!!」

 飛炎の背中に目をやり、ぼくは思わず足を止めた。


 足を止めたぼくに気づき、飛炎が振り返る。

 飛炎の髪は、かろうじて肩がかくれるくらいの長さだ。

 肩甲骨は、見える。

 その、両脇。

 無惨としか言い様のない傷跡。

 もしぼくが飛炎の脚に気づかなかったら、その背を見ても何の傷かわからなかっただろう。

 だが、鳥の脚をした人の背に、この傷は――。

「ああ」

 飛炎はぼくの視線に気づき、その意味を理解してうなずく。

「ぼく――、わたしはもともとは人面鳥(ハーピー)族だったけれど、占者(フォーチュン・テラー)に種族はないはずだと陛下がおっしゃってね。翼と尾、それから耳も、ちぎられた」

 ぼくは絶句する。

 飛炎は淡々と続けた。

「本来なら脚も切られるところだったのだけれど、足がないのは不便だとおっしゃってね。ああ、もちろん、陛下が不便に感じられる、ということだけれどね」

 黙ったままのぼくに飛炎は首をかしげ、それから思いついたかのようにさらに続けた。

「きみは、大丈夫じゃないかな。わたしが身体の一部を失ったのは、あくまで朱妃さま個人の美意識によるものだ。殿下はきみの耳やしっぽをちぎったりはしないと思うけれど……」

 ぼくが黙っていたのは、そんなことが知りたかったわけじゃないけれど、そこで目をそらされると不安になる。

「……。占者(フォーチュン・テラー)とは男でも女でもなく、また、どの種でもないのではないですか?」

 気になっていたのはそのことだ。

 ぼくは化猫(ケットシー)族の、れっきとした男だ。

「ああ、うん。だからね……。

 ……継承式を終えれば、きみは全てを知るだろう。わたしの説明よりも、そっちの方が手っ取り早いよ」

 そして飛炎はまた背を向けて、歩き出した。

「何も、教えてはもらえないのですか?」

 それはいやだ。とても不安だ。

「きっとわたしの説明には、説得力がまったくないと思うのだよ」

 振り向かずに、飛炎は答える。

「けれど……、そうだね。わたしはもともと、人面鳥(ハーピー)族の男だったけれど、占者(フォーチュン・テラー)となってそうではなくなった。ただそれだけでは陛下の好みに合わなかったから、わたしは翼をもがれた」

 その背に、もう痛みはないのだろうか。

「さあ、ここがきみの部屋だ。心配しなくても誰かが世話をしてくれる。それにそんなに長い間ではない」

 飛炎は瞳をさまよわせた。

「そう……、たぶん、あと三日くらいのことだよ」


 ぼくの部屋は二階に与えられた。

 あまりにも広い廊下を長く歩いていたからだろうか、ぼくには階段を登った記憶がない。しかし一階の天井の高さを考えると、あまりに穏やかな段差では、それこそ大変な距離になるのではないだろうか。

 部屋はずいぶんと立派だった。

 ぼーっと立ちつくしているとノックの音とともに、王家(ロイヤルファミリー)の男の人が食事を持って現れた。

 まさか王家(ロイヤルファミリー)の人が世話をしにくるとは思わず、ぼくはおそれおおい気持ちになる。

 しかし思い切って手紙を出したいと言うと、意外にも彼は快く、紙とペンを貸してくれた。

 雪華に手紙を書かなければならない。

 ぼくは大丈夫だから、雪華はとにかく体を労ること。

 王宮にさらわれた時、ぼくはちょうど物々交換からの帰りだった。食料には困らないはずだ。

 おそらく三日後くらいには、何らかの決着がついていること。

 そうしたらぼくは雪華を神殿に呼ぶつもりでいること。

 占者(フォーチュン・テラー)になるとどうなるのか、おそろしいことにぼくは何も知らない。

 しかし神殿から出られなくなることは確実だ。

 ぼくがあの家に帰れないのなら、雪華を神殿に呼ぶしかない。

 それくらいは、してもらってもいいはずだと思った。


 先程と同じ人が食事を下げにきた時に手紙を渡すと、こちらもあっさりと承諾された。

 麗王の介入はないようで、ぼくはほっとする。

 しかしどうやらその人は、麗王よりも朱妃の方を気にかけているようだった。

 気にかけているとはいっても、尊敬、の類いではないようだ。

 占者(フォーチュン・テラー)から何か聞いていないか、と問われたけれど、ぼくとしては「さあ」としか言い様がない。

「あ、でもぼくがここにお世話になるのは、三日ぐらいのことらしいですよ」

 彼――、朱水(しゅすい)と名乗った彼は料理人だと言った、は、目に見えてほっとしていた。

 食器を持って部屋から出ていくその人の背を見送りながら、ぼくは暗澹とした気分になった。

 ――あの麗王の方がマシだと思っているのなら、いったい朱妃という人はどんな王なんだ。

 だがぼくは不運にも、その疑問の答えを目の当たりにする……。


 三日も部屋にじっとしていなければならないのだろうか。

 飛炎は、自分では参考にならないと言っていたが、ぼくの質問に答えてもらう、という形なら、ある程度は占者(フォーチュン・テラー)についてわかることもあるんじゃないだろうか。

 ぼくは朝食をすませると、昨日連れていかれた部屋へと向かった。

 ぼくの世話は朱水さんが一手に引き受けてくれていた。彼の話によるとあそこは謁見の間であるらしく、中央神殿に住んでいる者ならば特に許可を取らなくとも入れるらしい。

 ただ、そこに陛下がいらっしゃるかどうかは保証の限りではない、とも言われた。

 どうやら朱妃は、あまり仕事熱心な王ではないようだ。

 しかし謁見の間の奥には占者(フォーチュン・テラー)(キング)の私室があるので、謁見の間まで行けば(キング)には人が来たことが伝わるようだ。

 そうして廊下を歩いてすれちがう人たちを見ているうちに、ぼくは陛下がわざわざ「白い」という感想を選んだことに納得がいった。

 神殿の人たちは皆、黒いのだ。

 王家(ロイヤルファミリー)自体、その体は色素がほとんどないのに、着ている服は見事に黒ばかりである。

 (キング)は黒い服を着るものだ。だから麗王も朱妃も黒ずくめで、その上長い黒マントもつけている。

 大神官はもちろん、神官の服も黒だ。そうなると自然、王家(ロイヤルファミリー)の服は黒、ということになってしまう。

 さらに近衛兵も普段から黒い制服着用でうろついているから、神殿内は見事に黒い。

 黒服しかいないわけではないのだが、それでもやっぱりぼくみたいな白ずくめは目立つのだろう。

 そんなことを考えながら、ぼくは謁見の間の扉を開けた。

 麗王が一人、立っていた。


 ぼくはおそらくいやな顔をしたと思う。

 しかし麗王もまた、こちらを見て顔をしかめた。

「何の用だ」

「飛炎、どのに質問が」

「何だ」

占者(フォーチュン・テラー)に関することですけど?」

 ほんの少し、嫌味を混ぜると、麗王は顔をそらした。

「陛下はいらっしゃらないのですか?」

 すると麗王はすさまじい形相でにらんできた。

 なんなんだ、まったくもう。

 どうも麗王はイライラしているように感じる。

「姉上様」

 しかしその声は静かだった。

「なんじゃ」

「白姜が、来ております。占者(フォーチュン・テラー)に用があるそうで」

「こちらは手があかぬ。出直せ」

「しかし姉上様、そろそろ親衛隊長の報告時間ですが」

「おお、そうか」

 けだるげだった陛下の声が、一転した。

「白姜、こちらに来よ」

 しばらくして名を呼ばれる。

「は?」

 どこへ? まさか玉座の後ろのカーテンを開けて中に入れと言うんじゃあるまい。

「行け」

 立ちつくしていると、麗王に手を振られた。その様子からすると、そのまさかなのだろうか。

 ぼくはおずおずと玉座に近づく。

 とたん、カーテンが開かれ、中から陛下が出てこられた。

 反射的に膝を折りかけたぼくをとどめ、陛下はカーテンの中を示す。

「飛炎は中におる。構わぬ。奥まで入れ。わらわはこちらで親衛隊長の相手じゃ。その間は好きにするがよい」

 そして玉座へと向かう陛下に、あわてて一礼すると、ぼくはカーテンをつかむ。

「麗王、邪魔じゃ」

「隊長が来るまではよろしいでしょう」

「ふん」

 そんな二人の会話を背に、ぼくはおそるおそる、奥の方へと歩を進めた。


 そこは床一面、シーツの海だった。

 一見したところ飛炎の姿は見えないが、どこを歩いていいのかもわからない。

 気は引けるがしかたなく、ぼくはしわだらけのシーツの上をそろそろと歩いていく。

 奥――そこは神殿の一番西側。だから朝でも薄暗いのかと思ったら、窓のカーテンは閉まったままだった。

 床に、暗い人影が伏していた。

 おっくうそうに体を持ち上げ、生気のない瞳がぼくを見た。

「――――」

 唐突にぼくは悟った。

 ここで、何をしていたか。

 背筋が、冷える。

「何?」

 ぼんやりと、飛炎が訊いた。

 ぼくは、口の中がカラカラだった。

「あ、あなたは、参考にはならないと、言ったけれど。ぼく、ぼくが尋ねれば、訊けるんじゃないかと」

 唾をのみこむ。

「うん。それで?」

占者(フォーチュン・テラー)のことを、それで、ぼくは……」

 頭が混乱している。

「あなたは、何を。これ、これも、占者(フォーチュン・テラー)だから、なのだと……?」

 自分で何を言っているのか、わからなかった。

「朱妃さまのお考えはね」

 ゆらりと、“男”が立ち上がる。

占者(フォーチュン・テラー)とは(キング)のもの。だからわたしは陛下の玩具(おもちゃ)占者(フォーチュン・テラー)に種族はない。だからわたしに人面鳥(ハーピー)族を示すものはいらない。占者(フォーチュン・テラー)に性別はない。けれど男の体をしているのなら、せっかくだから遊んでやろう」

 緑金の瞳には、生気も感情もない。

「……すべて朱妃さまのお考えだよ。きみには当てはまらない。……だから参考にはならないと言ったのに」

 ぼくはあとずさった。

 本当は、一目散に逃げ出したかった。だけどぼくの中の冷静な部分が、それをさせなかった。

 ――ここを出れば、朱妃と顔を合わせてしまう。

 けれどここにいても、いずれ朱妃はやって来る。

「きみはただおとなしくしていればよかった。どうせ後で、全てを知ることになるのだから」

 飛炎は目を伏せた。

占者(フォーチュン・テラー)の継承はね、怖いよ。すべてを知ることは、怖い。動けないほどに」

 ぼくは形だけ頭を下げると、そのおぞましい部屋を後にした。


 そしてぼくは、カーテンの裏でうずくまり、必死に耳をおさえている。

「親衛隊長の相手」つまりは本当に「相手」なのだ。

 謁見の間から聞こえてくるあからさまな声に、ぼくははずかしくなるよりもおそろしくなった。

 朱妃という――“女”が。

 ぼくには目を閉じ、耳をふさぐことしかできなかった。

 だから気づかなかった。

 カーテンを開けた朱妃が、上気した顔でぼくの目の前に立っていたことに。

 陛下の気配――それはまさに“女”の気配だった――に気づいてぼくが顔を上げると、そこには膝をついてこちらをのぞきこむ女の顔があった。

「――!!」

 ぼくは声を立てることもできず、座りこんだ姿勢のままあとずさる。

 朱妃の指が伸びてくる。

 ヘビににらまれたカエル――ぼくは動けなかった。

 朱妃のひとさし指が、ぼくの頬をなであげる。

 ――!!

 ぞっとした。

 朱妃の目が、細められた。

「ふふ。そなたも味見してみようか」

 身の危険を感じる。

 普通は逆じゃないのか、と思う余裕すらなかった。

 朱妃の顔が近づく。

 ぼくは思い切り頭を引き、壁にぶつけた。

 痛みがぼくを正気づかせた。

「すみません。これで、失礼させていただきたく……」

「そなた、わらわの声を聞いておったのだろう?」

「すみません」

 ぼくは土下座した。それが一番、身を守れる体勢だった。

「なんじゃ、興奮しておらぬのか」

 一気に、朱妃の声が冷めた。

 女王の手で、ぼくは顔を上げさせられる。

 それでもぼくは、必死で目をそらし続けた。

「ふふ。まあよいわ。そなたは麗王のものであるしな」

 ぞろりと、右目をなめられた……!

 朱妃はぼくから手を離し、立ち上がる。

「誰のものかなど、わらわには本来関係ないが、今回は見逃してやろうぞ」

 そして謁見の間を一瞥すると、奥の部屋へと向かってゆく。

 ぼくはなんとか立ち上がり、ふらふらと謁見の間を出ていった。


 現(キング)、朱妃は男狂いである。

 それは即位前から王宮では公然というやつで、朱妃が手を出していない男は弟の麗王だけだと言われている。つまりは朱水さんが陛下を厭うのも、そういうことなのだ。 

 麗王の方は、手を出されればよろこんでとびつきかねないほどに、姉を崇拝している。

 そんな麗王が、姉の真似をしないはずはないだろうと、ぼくは思っていた。

 麗王が女狂いでないのは、麗王にとっての女は朱妃が唯一だからだ。

 その朱妃が己の占者(フォーチュン・テラー)を物扱いし、気に入らないという理由で翼や尾をもいだのだから、ぼくが麗王の占者(フォーチュン・テラー)になった時にどんな扱いを受けるか、想像に難くない。

 ぼくが女だったら、まちがいなく朱妃と飛炎と、同じような関係になっていただろう。

 それはない。ぼくは確信している。

 なぜなら朱妃が同性に興味を示さないからだ。現在の大神官と近衛隊長が食われていないのは、女性だからに他ならない。

 だから麗王も、同性である男をそういう目では見ない。もっとも、ぼくの耳としっぽをちぎるだろうことは、覚悟している。

 そうして三日が過ぎ、朱妃は死んだ。


 飛炎が「三日」と言ったのは、つまり彼には朱妃の死が見えていたのだろう。

 ぼくはうかつにも気がつかなかった。

 麗王は意外と静かだった。

 朱妃はもともと短命を予言されていた。そして彼女自身、自分の死を受け入れていた。

 麗王がとり乱さなかったのは、だからだろう。

 ただ、不満な顔はしていた。

 朱妃の死を看取ったのは、飛炎だけだったから。


 そして葬儀が執り行われ、即位式の準備が行われた。

 ぼくは飛炎に、謁見の間に呼ばれた。

 そこから飛炎によって、麗王とともに地下に導かれる。

「ここで、占者(フォーチュン・テラー)の継承式を行います。新王陛下は見届け人です」

 そして飛炎はぼくに向き直る。

「これからわたしの、いや、占者(フォーチュン・テラー)の全てをきみに継承する。きみは全てを知るだろう。しかしそれを語ることはできない。占者(フォーチュン・テラー)の心得はただ一つ。口にする言葉に気をつけること」

 それだけだった。

 そして飛炎は目を閉じると、水晶球を手に予言を紡いだ。


「破滅の種

 狂気の継承

 悲しみ 怒り 憎しみの下僕(しもべ)

 世はこともなし――」


 それは麗王のための予言だった。

 そして水晶とともに手をぼくへと伸ばす。

 目が合ったかと思うと、ぼくは気を失った。


 すべてが視える。

 すべてを理解する。

 遠くで声がする――。


 覚醒したぼくの目の前には、赤い紋の消えたただ白い飛炎と、こちらを見つめる黒い麗王が立っていた。

 ああ。

 鏡を見なくてもわかる。今ぼくの額には、それまで飛炎の額にあったものが、ある。

 ああ。眩暈がする。

 ぼくはすべてを知った。

 飛炎は「怖い」と言っていた。「動けなくなるほどに怖い」と。

 そう、確かに。

 ぼくは、自分が動けないことを知った。


 この世界は“(キング)”が支えている。

 そして“占者(フォーチュン・テラー)”が“(キング)”を支えている。

 ――それは真実。


 占者(フォーチュン・テラー)は全てを識るが、口にできることは限られている。

 占者(フォーチュン・テラー)の語る“未来”は“現実”

 ――それも真実。


 本神殿での王位継承式を終え、バルコニーで民衆に顔を見せた後、ぼくはもう一度地下に行った。

 飛炎は自殺していた。


 ぼくは知っている。

 朱妃が命じたのだ。飛炎に。己の後を追えと。

 ――そなたはわらわのものなのだから。

 飛炎にはその命令を無視することもできた。

 それでも彼は従った。愛してもいない女のために。

 今のぼくには、嫌悪感しかない。

「見上げたものだ」

 麗王が背後に立っていた。

「おまえも余の後を追え」

「いやだね」

 ぼくは即答した。

 ぼくは知っている。

 雪華が、もうこの世にいないことを。


 この男は、王位を継ぐと同時に、王宮軍を動かした。

 そして雪華を殺した。

 自分の手を汚しもしないで。

 ぼくの妹を。

 ぼくの、ただ一つの生きる意味を。

 この男は、ぼくを、自分だけのものにしたかった。

 だから殺した。人質としての価値がなくなった、雪華を。


 ぼくは麗王を憎む。

 できることなら殺してやりたい。

 でもそれはできない。

 なぜならぼくが、“占者(フォーチュン・テラー)”だから。

 ――全てを識るものは動けない。

 まったくもってそのとおり。

 この世界に、(キング)は必要不可欠で、しかし(キング)のいない世界を視ることもぼくにはできる。が――、それはとてもおそろしい光景だ。

 未来は無数に存在し、ぼくは全てを視ることができる。

 ――占者(フォーチュン・テラー)は言葉に気をつけねばならない。

 まったくもって、そのとおり。

 無数にある未来の中で、占者(フォーチュン・テラー)の口にしたものが現実となるのだ。

 それはとても怖い。

 ぼくは全てを識ったことで、全てを喪った。

 雪華を看取る覚悟はしていた。

 雪華より長く生きる覚悟もしていた。

 それなのに雪華は、ぼくの知らないところで、逝ってしまった。

 泣くことすらできない空っぽのぼくの心には憎しみしかなく、しかし占者(フォーチュン・テラー)たるぼくにはそれを晴らすことができない。

 いっそなにも知らないままだったら。

 このまま行き場のない憎しみを抱えて、ぼくの心は死んでしまわないだろうか。

 ぼくは麗王を憎む。

 できることはそれしかなかった。

 占者(フォーチュン・テラー)に職務放棄は許されない。

 そしてぼくは、「史上最も優秀」という称号を得た。


 雪華はぼくと同じ、白い肌と金色の瞳をしていた。

 ただ髪の色だけは違って、それだけは健康的な、艶やかな長い黒髪だった。

 あの綺麗な黒は、ぼくの自慢でもあった。

 雪華を見送ったら、ぼくはあの髪を形見にしようと思っていた。

 今のぼくには、それすらもない。

 ぼくが覚えている雪華の最後は、泣き顔と泣き声。

 それでも雪華は全てを覚悟し、受け入れていたのだろう。

 残されたのは、ぼくの覚悟だけ。

 ぼくは生きる。

 雪華を独りで逝かせてしまったから。

 飛炎の最期を認めないから。

 ――麗王を、憎むから。

 ぼくは、麗王よりも生きる。


 そしてぼくは光を視た。

 占者(フォーチュン・テラー)は、未来を重ねて言葉にすることができない。

 それは矛盾を生むから。

 だからこそぼくは、あえて予言した。

 広い範囲を、抽象的な言葉で。

 次代占者(フォーチュン・テラー)の言葉をふさぐために。

 それくらいのいやがらせは、いいだろう。


 赤い三日月かかる時

 破滅の王 倒れる

 王を倒しし七人は

 これ運命の輪を回す者なり

 すなわちその二つ名は

 修師(マスター) 狩人(ハンター) 剣士(フェンサー) 魔法使い(ウィザード) 女王(クイーン) 神官(プリースト) 戦士(ソルジャー)


 希望の光を、ぼくは待つ。



                                    ―end―


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