ぬくもり欲しな彼氏
番外編。
本編
【Chapter04 Sweet Dreams,Baby】のホテル一夜後の鈴理と空。
記憶を取り戻した空の甘えたがりと、やや焦る鈴理の話です。
[ほのぼの+ギャグ/鈴空]
父さん母さんのことを思い出した。
前述で述べている父さん母さんは今の父さん母さんのことじゃなく、俺の本当の両親のことを指している。俺の両親は俺が五つの時に交通事故で亡くなっている。
そのため身寄りの無かった俺は叔父叔母に引き取られた。二人とも大好きな人達だったけど、幼かった俺にとって彼等を両親だと受け入れるのに時間が掛かった。
なにより本当の両親が死んでしまった、なんて幼少の俺には理解できなかったことだったんだ。
成長していくに連れて両親の死を受け入れ、彼等を両親だと思うようになったけれど、実親が恋しくなかったといえば嘘になる。血縁がないとは言い切れないけれど両親と顔が似ていなかったから、近所の人から実子じゃないってのは見抜かれていたし、それ相応のことを囁かれていたことも多々あった。
父さん母さんは気にしていないようだったけれど、幼い俺には気にする時期もあったんだなぁこれが。
メンタルが弱かったというより、純粋に親と似ていない常識が俺を落ち込ませたんだ。
似て当たり前ってのが常識にあるからさ、なーんか居た堪れなかったんだよ。
それでも俺は今の父さん母さんが大好きだった。
ただでさえ家計簿が火の車になりかけていたってのに、子供を引き取って大事に育ててくれたんだ。
俺は俺を引き取ってくれた両親に感謝しても感謝し足りない。
いつか両親を幸せに出来るだけの力を持てればいい、切に思う事だってある。わりと両親至上主義だった俺だったからこそ、自分の封されていた記憶を思い出した時はショックでショックで居た堪れなかった。いや居た堪れない。それは現在進行形だ。
重たい瞼を持ち上げた俺は、いつの間にか零していた涙を拭うこともなく、忽然と宙を見つめていた。
飛び込んでくる光景は見慣れた一室じゃない。なんとも豪勢で豪華な造りのホテル部屋だった。昨日、両親の記憶のことで鈴理先輩と喧嘩して(というか一方的に俺がキレて)、彼女の前で記憶が戻っていることを吐き出して、泣いて愚図って懺悔して此処に来た。
鈴理先輩に好きだってことも伝えた。もう少しムードのある告白を狙っていたんだけど見事に玉砕。泣き腫らした顔で告白というなんとも情けない形になった。
でも俺は彼女に好きだと伝えられて良かった。それは本当のこと。
視線を持ち上げる。ひとつのベッドで彼女と眠ったものだから、俺の隣には先輩がいた。
既に起床しているみたいだけど、俺はまだ眠い。横顔を盗み見て瞼を下ろす。ベッドを媒体に彼女とぬくもりを共有できている。それが俺にとって酷く安心できる安定剤みたいなものだった。
襲ってくる眠気に身を任せていると、ぬくもりが消えた。
弾かれたように俺は手を伸ばしてそれを捕まえる。しっかり寝巻きを握り締めると、「おはよう」先輩が顔を覗き込んで挨拶をしてきてくれた。
「……はよっす」
蚊の鳴くような声で挨拶してしまう。情けない。
でもまだ先輩には行って欲しくないから、寝巻きを引いた。
図で表すと、保育園に子供を預けようとしたお母さんに息子が「お母さん行かないで」と駄々捏ねているみたいな光景だと思う。いやマジな話、行って欲しくない。何処にも行って欲しくないんだ。
「空。起きないのか?」
笑声を含む声に、「体が重いっス」だから起きられないと俺。
勿論言い訳だって鈴理先輩は見抜いているんだろう。
「今日も学校だ」
遅れて学校には行くつもりだが、着替えなければいけないだろ?
空はまだ寝てていいから、優しいお言葉を頂戴したけど、そういう問題じゃないんだ。起きたくないし、先輩には此処にいて欲しいんだ。
間を置かず、「しょーがない奴だな」先輩が布団に戻ってくれた。
寝転んで、「空の髪でも堪能するか」本当はエッチしたいんだぞ、と攻め女らしい言葉を吐いて頭を撫でてくる。髪を弄ってくる。
心底安堵した。先輩のぬくもりが欲しくて、自分から体を密着させる。
同時並行にぬくもりが記憶を刺激した。
思い出すのは実親の最期。目前で車に撥ね飛ばされた光景は文字通り悲惨の一言に尽きる。
俺が、両親の、命を奪った。
それは変えようのない事実だ。
どうしようもなくヘタレている俺は、思い出した記憶に涙腺を緩ませてしまう。
小声で謝罪、それは命を奪った両親に対してなのか。それとも世話を焼いてくれている目前の鈴理先輩に対してなのか。
もう出し尽くしたと思ったのに零れてくる涙が自己嫌悪へと誘う。
俺ってどうしょうもないや、ほんと。
「空」
体を震わせていたら、閉じていた瞼にキスされた。
驚いて瞼を持ち上げると、「ダイジョーブ」大丈夫だから、優しい言葉を掛けてくれる先輩がそこにはいた。撫でる手が抱擁する手に変わる。枕に身を預け、目尻を下げる彼女は俺を引き寄せて頭を抱いてくれる。髪を梳いてくれる手がやけに心地良かった。
「先輩、何処にも行かないで下さいっす。ひとりにして欲しくないっす」
気付けば本音が漏れていた。
弱い心を剥き出すのに勇気はいる。
でも彼女ならいいと思ったんだ。鈴理先輩ならきっと、受け入れてくれる。彼女の優しさに甘んじる俺がいた。案の定、先輩は弱い俺を受け入れてくれた。ひとりにしない、とも言ってくれる。
嬉しかったから本当に? と聞き返した。
何度も聞きたかったんだ。傍にいてくれるって言葉をさ。
そしたら先輩、しつこい俺にお誘いか? っておどけてきた。
それはないっス。スチューデントセックスはお断りっス。きっぱり断れば、「それでこそ空だな」笑声を漏らす先輩がいた。きつく腕に閉じ込めてくれる先輩は、「放してやらない」と耳元で囁いてくれる。
いつもなら困る台詞も今日は安堵ばかりが胸を占めた。
俺は俺の意思で先輩に抱擁を返し、また瞼を下ろした。先輩からいい匂いがする。安心する匂いだ。
安心は眠気を誘った。気付けば俺の意識は夢路を漂い、そしてプッツリと切れて沈んでしまう。
所謂二度寝してしまったんだ。
おやすみなさいモードに入った俺を起すこともなかった先輩の気遣いのおかげさまで、次起床したら11時半を回っていた。
一度目の起床は6時半だったから約5時間睡眠を堪能したらしい。学校なんてとっくに始まってる。焦らなきゃいけないんだけど、寝起きの俺は焦るどころか欠伸を零してばっかだった。
先輩は俺が寝ている間もずーっと傍にいてくれたから、寝巻きのまんま。
でも気にすることなく、「午前中はサボるか」とにかく着替えて食事にしようと言って来てくれた。ここでやっと申し訳なさが出てくるわけだけど、先輩は気にしない気にしないと俺に一笑。
「勉強ばかりが人生じゃないぞ。それに空のムービーが沢山撮れた。結果オーライではないか!」
とかなんとか言って携帯を取り出す先輩は、ニコニコっとしながら携帯を操作している。
ぽかーんとしていた俺は先輩がなんのムービーを撮ったのか分からず、呆けるしかない。で、「え?」もしかして寝ているところをムービーしたんっスか? とおずおず尋ねる。
「正しくは二度寝している空のムービーだ」
キリッと顔を引き締める鈴理先輩は当たり前のように答えてくれた。
「空が何度も擦り寄ってきたんだ。しかもなしかもな、空は憶えていないかもしれないが、あんたはあたしの食指を舐めたんだぞ! それこそ猫のように! 唇を人差し指でなぞっていたらっ……、こ、これは携帯におさめなければ勿体無いではないか! 安心しろ、永久保存版として取っておくから!」
「なんの安心宣言っすか?! ちょ、それは消して下さいよ! 小っ恥ずかしい!」
「阿呆言うな」これはあたしの宝物なんだと先輩はいそいそと携帯を鞄に仕舞ってしまう。
いやでも擦り寄っているってだけでも恥ずかしいのに、先輩の指を舐めた俺がムービーとして残っているとかカオスじゃんかよ!赤面している俺が消してくれと頼んだ矢先、「お。そうだ」忘れていたとばかりにベッドから下りた先輩がUターン。
やっと制服に着替えようとしていた俺を押し倒すや否やちゅーっと唇に吸い付いてきた。
ひっくり返って呆ける俺だったけど、すぐに何をされているのか分かって甘んじて受け入れる。今日は先輩のぬくもりが欲しいんだ。全部。
熱を帯びた舌を感じ、そっと後頭部に手を回す。歯列をなぞる舌が下顎の裏に触れてきた。ひぐっ、喉を鳴らす行為。ぴくんと無意識に足がはねた。構わない。先輩が欲しい。
無抵抗の俺を見た先輩は、何を思ったのか、キスを終えると「そうか。そうなのか」納得したような面持ちで俺を見下ろしてきた。
「あたしとしたことが、空気を読めないとは一生の不覚。これが空の覚悟だというなら、時間も場所も関係ない。ヤるなら今しか「先輩。なんか勘違いしてますよね?」
幾らぬくもりを欲しているとはいえ、べっつにお誘いをしているわけじゃない。
何度も言うけどスチューデントセックスはお断りしてるんだって。俺。そこは断固として譲りませんよ、先輩。
このままだと先輩にあっらやだぁなことをされかねないから、俺は先輩を抱き締めてベッドにごろんした。
「あ。コラ空!」
攻撃力はあっても守備力はさほどない先輩が珍しく焦っている。
笑声を漏らして俺は、先輩の額に唇を落とした。さっきのお礼だ。
むむっと眉根を寄せる先輩は、「何故あたしが攻められている」おかしいではないか、そう、おかしい! と抗議の声を上げていた。若干頬が赤いような。
いいじゃないっすか。たまには攻められたって。
俺は先輩と戯れているだけっす。甘えたいだけなんっす。今日は特別甘えたいんっす。どうしてでしょうね。
攻められていることに不服を漏らしているから、俺は攻められることにした。所詮は攻め女と受け男カップルなんだし、先輩の機嫌をあまり損ねても追々俺が困るだけ。
「先輩。キスちょだい」
普段だったら強制的に言われるまで絶対求めない台詞を吐いてみせる。
下さいじゃなく、ちょうだいが萌えポイントらしいからちょうだいって強請った。腕の中にいる先輩が目を見開いたけど、「むーっ」やっぱりあたしが攻められている感がするぞ。
それは頂けない、非常に頂けない、と唸っている。
「先輩、くれないんっすか?」
強請ると、「今日の空は甘えたがり屋だな」まったくもって萌え死にそうだと先輩が頬を崩した。で、反撃の攻めを思いついたのか、
「バードとディープ。どっちがいい?」
と選択肢を出す。
うーん、普段の俺なら困り果てるところだけど、なんか今日の俺は最強な気がしてきた。
「どっちもちょうだいっす」
即答して一笑する俺に、先輩の方が面食らった。あ、固まってる。
「な、な、なっ……、なんだか空に言い負かされているあたしがいる。なんてことだっ、空ごときにタジタジになっているあたしがいるなんて!」
ギャー! あたしは攻めたいオンナなのだよ!
半狂乱になっている先輩だったけど、「まあ。空が甘えてくることも珍しいか」こんなこと滅多にないしな、自己完結してゆっくり唇を重ねてきた。最初は触れるだけ、後から後から深くなるキスに俺は瞼を下ろす。
「ふっ、ぁ」
合間合間の息継ぎが妙に興奮した。
もっとの意味を込めて、視線をかち合わせる。目で笑う彼女が脇腹を艶かしく触ってきた。「んっ」鼻を通り抜ける甘ったるい吐息が漏れる。先輩の体温を感じられるだけで、なんだか幸せに思えた。
ねちっこいキスを堪能した俺は満足だと先輩に擦り寄る。
「まったく」
今日は学校をサボる勢いだな、微苦笑する先輩はどちらにしろ腹は減ったと空腹を訴えてくる。
べったりな俺の頬にキスをしてベッドから下りた彼女は着替えをしようと言い放つ。「空は着替えるなよ」とかなんとか意味深なことを言われたから、俺は首を傾げた。
「いいか、あたしが良いと言うまで着替えるなよ」
しっかり釘を刺して洗面所の方に向かってしまう先輩。
一体何なんだろう。右に左に首を傾げた俺は、まあスラックスだけでも履いておくかとズボンを履く。ベルトを締めた俺は、ここでハタッと気付いた。もしや先輩、なにやらいかがわしいことを目論んでいるんじゃ。
それに気付いたら着替えをするしかない。禁止令が出されても知ったこっちゃないと、俺はさっさと制服に着替える。
だからこそ戻って来た制服姿の先輩に怒鳴られてしまった。
「何故着替えているんだ!」
あたしが着替えさせようと思ったのにっ、今の空ならなんでもできそうなのに! と、下心たらたらな台詞を吐いてくれた。
やっぱりそんなことだろうと思いましたよ。
「しかもあたしの目論見に気付いて慌てて着替えたな? ボタンが掛け違っている」
不満気に鼻を鳴らす先輩が俺のカッターシャツに手を掛けて、ボタンを外し始める。
これくらいなら大丈夫だと踏んだ俺は黙って彼女のやることを見守っていた。ぐーっと腹の虫が鳴ったから、「お腹減りましたね」俺は彼女に話題を振る。
「もう正午前だしな」
腹くらい減るだろ。
上から下にボタンを留めた先輩はこれでよしと頷いた。
立っている襟を直してくれるんだけど、その際、首筋に痕を残していく。必要な行為だったんだろうか。思えど成すがままなのは俺が彼女に甘えているからだろう。
「うむ。見栄えが悪いな」
此処にもつけておこうと先輩は二度痕をつけてくれた。
「よしよし。これでいい。空はあたしの所有物なのだから、見えるところにキスマークをつけておかなければな」
「じゃあ先輩。もっかいキスしましょ。マークよりキスのが俺、好きです」
あ、先輩がまた固まった。
「あれ」いけないこと言いました? おずおず相手に声を掛けると、「な。何故だ!」何故あたしが攻められているような気分を味わっている! 先輩が発狂していた。
「おかしい!」
空のおねだりは可愛らしく此方としても欲情するものだが、今のは何かが違う! と、珍しく先輩が焦っている。
「空、まさかあんた。ポジション逆転を狙っているのではないだろうな!」
「そんなことないですよ。俺と先輩は普通のカップルじゃ無理だって分かりきってますし」
「では何故、あたしが攻められている!」
「俺は攻めているんじゃなくて、強請っているんですけど……」
「………」「………」「………」「………」「ゆ…」「ゆ?」「ゆる…」「ゆる?」「許せるかー!」「えぇええ?!」「あたしが空を食うんだ!」「ちょっ、ぎゃー!」
先輩が形振り構わず押し倒してきた。
んでもって折角留めたボタンを外そうとしてきた。な、何するんですか先輩!
「食事はどうしたんっすか! 此処でおっぱじめるのは駄目っすよ!」
「それでこそ空だ!」
「な、なにっ、ぎゃぁあああ! 先輩、服に手を突っ込まなっ……、エッチィイイ! 先輩のエッチィイ! どっこ触ってるんっすか!」
「そう、それが空だ! あたしを攻めるとはいい度胸だ! 覚悟して食われろよ! 見ろ、攻められたおかげであたしの肌が粟立っている! ちなみにこれは空に触られたからではなく、あたしの受け身を想像してしまった結果だと付け足しておくぞ!」
「そんなことを言われましてもっ。だ、だからそこは触らないっ、逆セクハラ禁止っす―――!」
うひっ、変なところ触ったから声が出そうになったじゃないっすか!
身を捩って先輩の魔の手から抜け出そうとすると、「あたしは攻めたい女なんだ!」そのあたしを攻めようなどとはいい度胸だっ、先輩はゴォオっと感情を滾らせて俺の両手首をベッドに縫い付けた。
「攻められた分は」
攻め返すのみだ! とかなんとか言って、濃厚なちゅーを送ってくれた。
俺がもう充分だって悲鳴を上げても、「まだまだっ」こんなもので終わらせるかぁああ! と、某肉食お嬢様。
「やっ、ヤですってっ。そんなところ触らないで下さいっ。も、キスで死にます俺!」
おイタが過ぎる手が何処を触ってるかって? んなの、ご想像にお任せするっす。
「死なせるわけないだろ。セックスもまだなのだから! ほらほら、空。あんたが強請ったのだから、責任持って受け取るがいい!」
「うぎゃぁああ! 先輩っ、さっきの優しさは何処にいっちゃったんですか?! もうキスはお腹いっぱいっす!」
顔を背けて逃げようとする俺は、どうにか先輩から離れようとする。
が、しかーし。
先輩は何処まででも追って来る。
こうなったらベッドから下りてしまおうかと実力行使に出るんだけど、これがマズッた。確かにベッドから下りることは出来たんだけど、下りる際、ベッドから転落。背中を打ちつけたわけですよ、俺。
「アイテテ」どうにか助かった、と身を起こそうとしたら、先輩が乗っかってきた。
「ふふっ。自分の首を絞めたな」
これでもう逃げるスペースはなくなったぞ、と先輩。
寧ろベッドが壁になって道を遮っているとまで仰ってくれた。まったくもってそのとおり!
……えーとつまり俺って大ピンチ? 分かってる分かってる、いつものことだしな。
ぜーんぜん驚かない。
慣れた展開なんだぜっ……、なわけないでしょ!
でもこうなったのも俺が我が儘を言ったせいだよな。だったら責任を取るしかない。俺だって男だ。言う時は言いますよ!
「じゃあ責任取るんで、もっとちょうだいっす。先輩のキス全部ちょうだいっす」
あ、先輩が再フリーズした。
「なっ」
息を吹き返した先輩が、また空に攻められた。これは攻め女としてあるまじきことだと微動。
「おぉおお望みどおり」
全部くれてやるど阿呆がぁあ!
そういう台詞はあたしから言わせてこそ価値があるだろう! 空から進んで言えば効力が半減するんだぞっ!
いいか、羞恥心を引き出すことが攻めのポイントであるからして以下省略。
……何故か盛大に叱られた俺は、つらつら攻め講義を受けた後、先輩と大変濃厚なキスを堪能することに。
俺の腹の虫が鳴るまで行われた行為のおかげで、俺はもうふっらふら。
実に情けない話。足に力が入らなくて起き上がる際、一度尻餅をついたほどだ。がくがく笑っている膝に力を込めて、起き上がった俺の隣では、「満足だ」やはりあたしは攻めてこその攻め女。これぞ理想の攻め図なのだと自己完結してらっしゃる。
つくづく変わった先輩だよな。男をあーしてこーしてやーんして攻めたいとか。
いや、分かっていて付き合っているわけだし、攻め女を前提として俺も好きになったわけだけど。……決して攻められたいわけじゃないんだけど、先輩が喜んでくれるならいいかって思うわけで。
なんとなく複雑な気持ちになりながら俺は彼女を横目で見やる。活き活きした面持ちに苦笑。
でも内心では感謝していた。
だって彼女がいなかったら、俺、今頃は。
「昨日。思ったのだが」
ふっと真顔になる彼女、凛々しい表情で俺を見上げてきた。
昨日は喧嘩して酷いこと言ったもんだから、ちょっち気まずい気持ちになったけど、彼女は破顔してこう言った。
「空の泣き顔はとってもエロイんだな。泣く姿が素晴らしくエロかったぞ」
………。
あっれー、なんか予想していた台詞と大幅に違う。
向かうベクトルが逆方向に行ってしまったといいますか。
え、もっと別の言葉を期待していた俺っておかしい? てか、え、それ、笑顔で言われても困るレベル。俺がエロイ? いやいや先輩のフィルターがエロくしているだけっすよ。
なによりも人のマジ泣きをそんな風に見ていたんですか?!
ががーんっとショックを受ける俺に、「何故ショックを受ける」あたしは褒めているんだと鈴理先輩が腰に手を当てた。
ショックを受けないとでも思ってるんっすか?! 俺がその言葉に嬉しいと笑みを浮かべるとでもお思いで?! そんなデキた受け身男じゃないっすよ、俺! ギリ受け身男を受け入れている彼氏なんっすからね!
絶句している俺に鈴理先輩は更なる言葉を投げつけてくれた。
「いつか絶対あたしの手で、空を泣かしてやる。攻め女の腕の見せ所だな。勿論泣かせる手は快感という名の(放送禁止用語)や(放送禁止用語)をしたり、時には飴と鞭で(放送禁止用語)とかしたり……、むっ、他に何をするんだったかな。ケータイ小説で参考資料を集めなければ」
俺、二度と先輩の前では泣かない。泣くものか。……現在進行形、心の中で泣いてるけど。
グズッと涙を呑んでいると、「まあ泣き顔は欲情するが」笑っている空の顔が一番好きだ、先輩が腕を引いてきた。前かがみになる俺の頬を包んで瞼にキスしてくれる。
「どんな空もあたしのもの」
無理している空も元気の無い空も甘えたな空大好きだぞ。
一番は笑っている空が大好きだと告白して、額を擦り合わせてくる先輩。俺は間を置いて彼女に自ずから擦り寄った。
俺も好きっす。
貴方が攻め女でも、困った行動ばっかりする変人さんでも、あたし様全快のお嬢様でも好きっす。
「先輩、」
「ん?」
「好きっす」
「あたしもだ。空」
大好きっす。鈴理先輩
洗顔して、じゃれ付いて、モタモタして、ようやく部屋を退室した俺は先輩と一緒にホテル内のレストランに向かった。
先輩の奢りだそうな。申し訳なかったけど、「あたしの我が儘を聞け」とか命令されたらもはや従うしかない。一緒にそこで食事をした。Aランチとかいうヤツを先輩が頼んでくれたんだけど、どれも美味しそうで美味しそうで。コンスープが真っ白いプレートで運ばれた時には、このスープお幾らなんだろ? とか考えたよ。マジで。だって皿から豪華なんだもん。
「今日は一日中あたしといようか。空」
ゆっくり昼食を食べていると、先輩がロールパンを千切りながら提案してきた。
「どうせ学校に行ける気分ではないだろ?」
あたしとデートしよう。
これは命令だと言われてしまい、つい微笑してしまう。
先輩の優しさが伝わってきた。うんっと頷き、俺は我が儘を言う。何処でもいいから先輩と二人きりになりたい、と。
今日は人目のある場所に行きたくない。ただただ二人きりになりたい。
「とても嬉しい誘いだが、気晴らしに外に出た方が気持ちも楽になるんじゃないか?」
気遣いにも、「ヤです」俺は即答する。
「邪魔されたくないんです」
お願いだから、もう少しだけ甘えさせてください。
泣き笑いする俺に意表を突かれた面持ちを作る先輩はすぐに頬を崩した。
「また部屋をチェックインしなければならないな」
さっきの一室を借りよう、大丈夫。
ばあやが手配してくれるさ。
俺の我が儘を素直に受け入れてくれる先輩はまずは食事だと注意を促した。
だったら俺はあの一室でやりたいことがある。
想いを秘めて、食事を再開する。俺のやりたいこと、それは―――…。
結局食事をして豪華なスイートルームっぽい部屋に戻って来た俺達は、通学鞄をベッドに投げ放った。
部屋を離れたのは小一時間程度なのに、もうベッドメイキングが終わっていた。ホテルの従業員さんって仕事が速いなぁっと感心してしまう。荷物を置いた俺は、これから何をすると声を掛けてくれる先輩の声を背に受けて一歩また一歩、壮大な景色が見える窓に近付いた。
途中で足を止めてしまうのは恐怖してしまうからだろう。やっぱり怖い。高いホテルの一室から窓の向こうを見るのは。
昨日見た景色をもう一度だけ見たかった。
夜の景色を窓辺から見た景色は素晴らしかった。
だったら昼間の景色はどうなんだろう?
好奇心が湧いた。
でも怖かった。高い外の景色を見ることが、父さん母さんの交通事故現場を思い出してしまうから。
ふと右の手を取られた。
「怖いなら、あたしがこうして手を握っておく。行こうか、空」
俺のやりたいことを察した先輩が目尻を和らげた。
知らず知らずに汗ばむ手を優しく握ってくれる手に、俺はぎこちなく笑みを零す。縫い付けられたように立ちすくむ足を動かしては止める。その度に先輩が手を引っ張ってくれた。
まるでエスコートされているようで、自分のヘタレ具合に苦笑してしまう。
だからこそ自分を奮い立たせて窓辺に向かった。
もう一度景色を見るために。先輩と外の景色を見るために。
大丈夫、先輩が一緒なんだ。
高所恐怖症が俺を恐怖で支配してもきっと大丈夫、ダイジョーブ。
あ、そうだ。
窓の景色を見られたら、先輩に何かしてもらおう。自分から望んでやっていることとは言え、何かご褒美がないと気も持たない。思ったことを先輩に提案すると、「今日の空は我が儘だな」あたしに我が儘を言うとはいい度胸だ。食ってしまうぞ。と、スンバラシイ脅し文句を下さった。怖っ!
いいじゃないですか。俺、我が儘言う人って限られているんですから。
脹れ面で言えば、「何をして欲しい?」セックスなら即受け入れてやるぞ、と彼女。
うーん、そうだな。
まずセックスは丁重にお断りさせて頂くことにして……、やっぱ、ぬくもり欲しているから、あれかな。
「キスちょうだいっす」
俺も懲りない男みたいだ。
自分自身にあきれ返りながらも我が儘を告げる。
そしたら足を止めた先輩が振り返って、意地悪く聞いてくるんだ。
「バードとディープ、どちらがいい?」
さっきみたいな動揺はない。答えを分かりきっているんだろう。
勿論俺も分かりきっていると承知の上で答える。
だって先輩に甘えたいんだ。自分の首を絞めることになっても、はっきり伝えたい。
「どっちもちょうだいっす」
―――…きっとこれから数分も経たない内に先輩は俺の我が儘を聞いてくれる。
俺はそれをバネにして恐ろしい窓辺に近付くんだ。
高所恐怖症は簡単には治らないし、記憶が戻ったために自分の過ちや両親の思い出に涙が込み上げることもあると思う。でも先輩がこうして俺のバネになってくれる。だから俺は前を歩こうと思い始めている。
これから先、足踏みしたって先輩は笑わないだろう。
ある程度のところまでは俺に声援を送って見守ってくれるだろう。
どーしょーもなくなったら強引に手を引いてくれるだろう。それが俺のバネになる。
先輩は俺に忘れていた高所の気持ちを思い出させてくれた。この気持ちは大事にしたい。
ほら。
そう思っている間にも先輩は早速窓辺で立ち止まり、甘えたな俺に背伸びをしてキスをくれる。
fin.