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4 大結論

4 大結論


 ……後日。

 しばらく、晴季は邸に謹慎となり、晴栄の結界で封印された屋敷内に閉じ込められた。晴季が門の外へ出ようとすると、小さな雷が落ちる仕組みらしい。他の者には無害だが、効果絶大らしい。

 時期が悪かったと晴季本人も反省しているらしく、おとなしく自宅学習に励んでいる。

 千歳は普通の生活に戻り、女学校に通い、家計をやりくりし、畑を耕す……だったのに、千歳の心は戸惑っている。

 このままでは近い将来、晴栄と結婚させられてしまうだろう。そうなれば、土御門家に絡め取られた一生を過ごすことになる。己の異能をもっと鍛え、せめて晴栄と対等に戦えるようにならなければ、働きたいとか自立したいとか、堂々と言える立場にはならない。中途半端な力のままでは、土御門家にとっても利益がない。

 まずは、絵をどうにか上達しよう。

 イメージ絵がなければ、強くて使える式神を具現化できない千歳は、せっせと十二支を模写した。ほんとうの能力者は画像がなくても、思い浮かべただけで式神を自由に飛ばせるし、近くのものや生きものを使役することもできる。晴栄が鴉を使ったように。

 絵のお手本を描いて送ってくれたのは、佐藤書生だった。厚かましいお願いだとは思ったが、他の人には頼めないし、佐藤の絵は素晴らしい。今回のお礼を述べた文に、ちゃっかり十二支絵の件を依頼した。

 できれば直接会いたかったが、若い男女がふたりっきりになるのは、さすがにもう、まずい。この絵も、兄の晴季宛てで土御門家に届いたものだ。たとえ小細工しても、晴栄はお見通しだろうが、使用人たちの目はごまかせるし、表面上の言い訳にはなる。

「しかしまあ、憎たらしいほど上手ね。帝大よりも、芸術を志したほうがいいんでないの」

 佐藤の絵は、どれもすばらしい。目が生きている。心躍る絵に出逢ったのは、はじめてだった。

 ああでもない、こうでもない。絵筆と千歳が格闘していると、使用人が来客を告げた。

「お嬢さま、お届けものにございます。千歳さま?」

 珍しく、机に向かっていたおとなしい千歳を見た女中は、驚いたようだった。そんなに、始末に終えないか、自分は。

「……お届けもの? なに? 私に? 晴栄兄さまに、じゃないの?」

「あいにくと、晴栄さまは外出中でございます。先方さまから、中身をすぐに確認してほしいとの、伝言がございましたので」

「確認?」

 聞けば、荷を配達に来た上品な老紳士は名前も告げずに帰ってしまったのだという。土御門家は幽霊屋敷、の異名を怖れてだろうか。

「いかにも身分がありそそうなお屋敷の使用人、といった風でしたが」

「こんな雨の中、どうして使者どのをお引き止めしないの。土御門家の名折れよ」

 千歳はなかば八つ当たり的に女中を叱りながら、大きな包みを受け取って箱を開いてゆく。

 まず目についたのは、文だ。とても美しい流暢な字体で『土御門家御中』と記されている。自分宛ての荷物ではないが、晴栄宛て、というわけでもなさそうなので、興味本位でつい、封を切ってしまった。

 薄い桜色の封筒と、便箋。

 一行目の書き出しで、千歳は荷の差出人が誰なのかすぐに分かった。


『野菜の君。豊穣の女神よ』


 ……『黒のひと』からだ。絶対に、間違いない。

千歳は自分の体温が、とくんと上がったのを感じた。や、やさいのきみなんて。にんじんとかだいこんとか、土くさい乙女に、め、女神なんて。


『先日いただいた、美味なる野菜のお礼です。いくつか選びましたので、花の種をお送りいたします。器用なあなたならば、きっと上手に大輪の花を咲かせるでしょう。たくさんの花に囲まれたあなたのお姿を、拝見したいものです』


 は、花に囲まれたって、どうってことないふつーの容貌だけど。お決まりの誇張表現とは知りながら、ついつい頬が緩む。


『それと、お近づきのしるしに。次に開かれる、鹿鳴館夜会の招待状を同封しました。お待ちしています』


 愕然。

 鹿鳴館? 夜会? しょうたいじょう……。

 夢でも見ているのだろうか。没落公家の成れの果てが、鹿鳴館?

 慌てて封筒をひっくり返すと、確かに招待状が入っていた。

「ええっ。衣裳もないのに、招待! って、ちょっと待った。まだ、行くとはひとことも言ってないよ。参加するしないは、私の自由でしょ……って、え。私のこと、土御門の人間だって分かっちゃったの?」

 名乗った覚えはない。けれど、『黒のひと』はすべてお見通しだったらしい。千歳のことを了解しているならば、兄たちのことも当然察知していただろう。

 困惑しながら、千歳は箱の中をかき回した。

 用意が、あった。

文の下からは『黒のひと』からの贈り物の男女それぞれの衣裳、ひと揃えが入っている。

 ドレス、燕尾服、小物のアクセサリー類、靴、バッグなど。これだけ準備されていれば、初めての舞踏会でも困らないだろう。

「誰かにエスコートしてもらって、鹿鳴館に来いってことだな。まったく気障なやつ、ふん」

「晴季兄さま!」

 いつの間にか、晴季が千歳の隣に立っていた。荷を開くのに夢中で、存在に気がつかなかった。

「兄さま、お部屋から出ていいの? 謹慎は終わったのですか」

「まあな。それより、あいつめ。こっちの正体、お見通しだったんだな。くっそ」

 晴季は唇を噛んだ。

「あいつ……って、兄さまはどなたを狙ったんですか。こんな上等な衣裳、いただけませんわ」

「薩摩出身の父を持つ次代の首相、ってところだ。あの容貌を利用して、すでに根回し工作を政界だけでなく財界、海外でも行っている。田舎侍の成り上がり者のくせに」

 うーん。

現状を冷静に分析したかもしれないけれど、これは嫉妬が相当入っているのでは。千歳は首を傾げたが、口には出さなかった。

「衣裳を突き返すのも、無粋。出るしかねえのか。妥当に晴栄と、だろうな」

「晴栄兄さまと」

「そりゃそうだ。土御門家当主にして、千歳の婚約者なんだから」

「ちょっと。私、婚約なんかしてないってば」

「お前にはなくても、土御門の家はとっくにそのつもりさ。千歳が養女になる以前……京にいるときから、な」

「そうなの?」

 千歳は兄を問い詰めた。

「ちっとも気がついていなかったというのは、幸せなことなのか……それとも、ただの脳天気なのか。おい、ダンスだ、ダンス。できるのか? どうせ行くなら『壁の花』になんかなるなよ」

『壁の花』というのは、ダンスには参加せず、大広間の壁に寄りかかったり、壁際の椅子にただ座って見物を決め込んでいる淑女のことだ。 

「失礼ね、少しはできますわ。女学校で習っていますもの」

「そ、そうか。しかし、誰と踊るんだ……」

 贈られたドレスは、若い千歳が似合いそうな薄桜色。文に使われた紙と一緒の色だ。肩や腕の露出は少なく、上品なつくり。襟や袖口に、何重ものひらひらレースをふんだんにあしらってある。

 口先では、ドレスなんて要らないと言い続けてきた千歳だったが、いざドレスと対面しただけで不覚にもうきうきと心が動く。どうやら、忍耐が足りないようだ。

「晴栄はどうだろう、できるかな? ダンス。まあ、あいつなら、自分の力でどうにでもするか」

「晴栄兄さまなら、心配いりませんわ。力のあるお方ですもの。すっかり騙されていましたし。てっきり晴栄兄さまは、万事おっとりした人柄だと」

「とんだ、したたか野郎だったな。千歳の、狐族の血を本気で狙っているようだ」

「狐族……」

「そうだ、千歳」

 晴季は千歳の肩をおさえた。 

「お前、家出しろよ。狐族が本家との繋がりを捨て、孤独だったのには理由がある。強大で、あやうい力を生む可能性があるからだ。かつて、狐族の女性と交わった保名(やすな)という男は、大陰陽師・安倍晴明の父となったが、子どもに持っている力をすべて吸われたという。晴明にとっては有益だっただろうが、保名には不幸なできごとでしかない。力を失ったばかりか、晴明のあまりの異能さを恐れた妻も、保名の前からふっつり消えてしまったのだから。お前が、晴栄と結婚してみろ。あまり楽しくない未来図になる、と思わないか」

 千歳は息を飲んだ。我が子を疎ましく思うような異能とは、いったい。かの安倍晴明は、想像以上の使い手だったようだ。今の自分とは、比較できないだろう。

「おお、佐藤なんてどうだ。あいつに、気はないか。このまま、晴栄兄さんと結婚して本家に血筋を利用されるだけなんて、つまらねえ一生だろ」

 しみじみと、千歳が過去に思いを馳せているのに、晴季は無頓着に話かけてくる。風流を解さない無粋な輩は、これだから困る。

「あのね。手っ取り早く、身近でくっつけようたって、そう簡単にはいかないわ。利用とか、つまらないとか、勝手に判断しないでくださる? 私の生き方よ。兄さまはもう、出て行って!」

「おい、俺はお前のことを思って! この、女狐めっ」

 暴言を吐く晴季に向かって、千歳は何個もクッションを投げつけた。

荒々しい千歳に向かって晴季は盛大に舌打ちをし、自分の部屋に戻っていった。これ以上、千歳が逆上したらなにが飛んできて命中するのか予想もつかない。なにせ、千歳の制球力は見事なのだから。

「晴季兄さま。悔しかったら、能力開眼させてみてくださいまし。兄さまにも、私と同じ狐族の血が流れているんですもの」


 ……佐藤書生、か。


 千歳、と名前を呼ばれたときのことが、忘れられない。

 テーブルの上の、干支のスケッチ。筆の濃淡のひとつひとつに、佐藤のやさしさがにじんでいる。

 もし、燕尾服が晴栄ではなく佐藤で、ドレスが自分だったら? そして『黒のひと』との再会。あのお方と知り合いになれれば、天気の予報士としての将来が開けるかもしれないのだ。


 ないない、ありえない!


 こんなの、自分に都合のいい妄想でしかない。御曹司である『黒のひと』は、自分と別世界で生きている。

 それに、晴季が『黒のひと』を目の仇にしている。今後も、暗殺のチャンスを探すことだろう。あんな猪みたいなあきれた兄でも、たったひとりの実の兄なのだ。

 千歳は荷の箱にゆっくり蓋をして、絵に戻った。

 鹿鳴館だのダンスだの、浮かれている場合じゃない。今は、ひとつでも多くの動物絵を体得して、確実に使役できるようになりたい。絵はキライじゃない。そんなにヘタではないとも自負している。

なんとか具現化できるようになったのが、へびと鳩と野菜だけなんて、情けない術者だ。まずは、晴栄を説得できるだけの力を得たい。

 千歳は、どきどきと叫ぶように震えている胸をそっとおさえた。


 ……そういえば。


 また、どきどきが、跳ね上がる。

 佐藤書生からも、ドレスを作ってあげたいと言われていたんだった。なのに、ほかの男性から先にいただいてしまうなんて、なんだか後ろめたい。

 すごく着てみたいけれど、『黒のひと』からの贈り物は着られないかもしれない。花の種はともかく、晴栄兄さまとも相談して、やっぱり衣裳は返そう。受け取れない。それが正しい。

 少し、心にちくんとした痛みを覚えた千歳だった。

これにて完結です。

読了ありがとうございました。

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