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1 土御門(つちみかど)

1 土御門(つちみかど)    


晴栄(はれえ)兄さまは、いつもいつも、やさしすぎるのよ!」

 髪に結いつけた大きな赤いリボンを揺らしながら、千歳(ちとせ)は盛大にまくし立てた。

けれど。

これでもまだ、言い足りない。きりっと鋭く兄を睨む。

「第一、晴季(はれき)兄さまが勝手にお屋敷を出ていったのに、お小遣いを与えてしまうなんて。しかも、十円なんていう大金を」

 千歳はおおげさに頭をかかえて、悩むふりをした。ようやく、仕方ないなあといったふうに晴栄が口を開く。

「でもね、晴季はほんとうに困った様子だったんだ。所々布が破れたままの、つぎはぎだらけのくたびれた着物で。袴も泥はねなどで、ひどく汚れていたよ」

「ふん、そんなの下手なお芝居ですわ。我が家だって苦しいことぐらい、晴季兄さまだって、じゅーぶんご存知のはずよ。こんな時代だもの、かの安倍晴明公を先祖に持つ、由緒ある陰陽師の血筋・土御門家を守るのは、ほんっとに大変なのに」

 自分は女学校に行っていて、屋敷を留守にしていたことがとても悔やまれる。晴季もわざと、口うるさい千歳のいない時間を狙ったのだろう。したたかなやつめ。謀られた。

 土御門家。

 ほんの十五年ほど前までは、京都でのんびりと……いや、つつがなく朝廷にお仕えしてきた小さな公家だった。戦国の乱世などもなんとか耐え抜いたが、二百五十年以上続いた徳川の幕府がなくなり、御一新後は帝が新しい都・東京に行ったきり、帰って来ない。渋々、土御門家も京都の屋敷を人に預け、東京に居を構えた。

 古くから、土御門家は陰陽道を家業として守ってきた。ものごとの吉凶占いもしたが、特に、天体の動きを読み、天変地異を予測し、帝に奏上することは重要な任務だったため、暦の作成は欠かせなかった。

しかし現在では、西洋風の新しい暦が導入され、土御門の暦は廃止となる。おまけに陰陽道は非科学的だとの理由で陰陽寮は消滅し、在野の陰陽師すら名乗ることも許されず、慣れない東京での暮らしも重なり、没落してゆく一方。

 なのに先日、『旧公家』という歴史の古さだけで、土御門家も突然『公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵』の中の、『子爵』という第四番目の位に叙せられ、ありがたくも迷惑なことに、華族入りしてしまったから、さあ大変。それなりの使用人、意外と広い屋敷の管理、華族どうしのお付き合い。

 やさしくて押しが弱い、長兄で当主・土御門晴栄は二十六歳とまだ若いのに、出世にはまったく興味なし。外で働きもせずに、日夜ひたすら家業だった陰陽道研究に励んでいるけれど、陽の目を浴びることはこの先もないはずだ。

 その妹の、千歳が家政は取り仕切るものの、土御門家は常に赤字で頭を悩ませていた。雨漏りぐらいなら、職人には頼まないで自分で直す。裏庭の一部を畑にして、自給自足を目指している。陰で、使用人には『金勘定ばかりで卑しいお嬢さま』と叩かれていることも、承知の上で。世間さまには絶対内緒にしたいが、崩壊寸前の緊急財政なのだ。

「よし。私が土御門家を代表して、晴季兄さまからお金を返してもらいに行く」

「おーい、千歳? あいつがどこにいるのか、知っているのかい」

 晴栄の返事も聞かずに、千歳はブーツの踵をかつかつと鳴らし、バタンと勢いよく戸を開けて屋敷を飛び出した。

「知るわけ、ないじゃない。これから、探すのよ」

気持ちが折れないように、大きく一歩を踏み出す。もう一歩足を進める。護衛と女中の追跡を振りきって往来に出る。流しの人力車を拾おうと手を挙げたようとしたが、少しでも節約を心がけようと手を引っ込め、歩いてゆくことに決めた。目的地には、一時間もあれば着くだろう。

 陽射しが強いが、空気が乾いている。風も弱い。このぶんだと、雨は降らないだろう。早めに畑に水を撒いたほうがよさそうだ。

 日傘を開いた千歳は、屋敷を振り返った。

 斜陽華族とはいえ、屋敷の構えだけは立派だ。御一新直後、外国人が建てたものらしいが、持ち主が祖国に帰ったあとは打ち棄てられて荒廃しかけていたのを、安く買い上げたのだ。

 なんでも、鬼が住んでいるとか、あやしい魔術が施されているとか、ご近所のいやーな噂になっていたらしい。けれどそこは陰陽師の家柄、魑魅魍魎は得意分野。放っておく手はない。

 気弱だけれども、陰陽師としてはなかなか優秀な晴栄が調べたところ、ひとつも異常はなかった。日本は開国してまだ日が浅いため、おそらく外国人に対する負の先入観が、噂に結びついたのだろう。土御門家は廉価でしっかりした家を得ることができた。

 煉瓦づくりの二階建て。父祖の晴明さまが見たら、さぞかし驚くのか、それとも高笑いをするのだろうか。自分でも、ずいぶん不似合いな場所にいる、と思う。

 千歳は、晴栄の実の妹ではない。

 もともと、晴季と千歳の兄妹は、土御門家の嫡流とは遠い遠い縁戚。本家の流れを濃く汲んでいるのは、晴栄ただひとり。兄妹に、陰陽道を伝えるに相応しい能力と血筋を期待いたらしい。存続を危惧した土御門本家の家司が、京から東京に移動するときに、兄妹を養子に迎えるよう手配したのだ。

都の外れで細々と暮らしていた兄妹は、わずかな金と引き換えに親元を離れ、なかば強引に連れて来られたが、幸い晴栄のやさしさに包まれ、贅沢はできないけれどまずまずのつつましくも楽しい暮らしに恵まれた。

 小遣いをせびる晴季の、拗ねる気持ちも分かる。陰陽師の資質をまったく持っていない晴季には『血』しか、ない。

 千歳は、というと。

 晴栄ほどではないが、わずかに力を帯びているらしく、天気の急変が事前に読めたり、気まぐれにもののけが見えたりする。


「ここね」

 千歳は、きれいに折り畳まれた手巾(はんかち)で額に浮いた汗を拭き、戸を叩いた。

 壁には、こうある。


『自由党本部』。


「よ、よーし。乗り込んじゃうからね」

 晴季が達成したいことは、ひとつ。

『陰陽道の復活』。

 明治の時代を樹立した新しい政府によって、暦も占いも取り上げられた土御門家。一応華族だが、財政は苦しい。陰陽師の仕事を復活できたら、少しはラクになるのに。かくいう千歳も、女学校に通っていることが家の大きな負担になっているから、心苦しい。

 兄が熱心に参加している自由党という団体は、ひらかれた政治と国民の権利を主張する、けっこう危険な結社だ。旧時代の色合いを強く残している社会なだけに、出るくいは打たれる状態で牢に入れられたり、獄死者も出た。不満を噴出させた党員が先頭に立って、警察と衝突する事件もいくつか起きた。物騒な集団でもある。

 正しい政治の下、晴季は家の再隆を望んでいた。晴栄が陰陽師を続けられれば、土御門家の活路も開ける。取り上げられた仕事を奪回できる世の中にしたい、その一心で晴季は自由党に飛び込んだ。

「失礼します!」

 場違いなのは分かっている。政治運動など、男のすること。女は口出し無用の時代。当然、自由党の本部は男だらけ、しかも若い男しかいない。

千歳の甲高い声を耳にした党員が、いっせいに出入り扉のほうを注視した。部屋の中に、十人ぐらいはいそうだ。

「人を、探して……います!」

 無遠慮にじろじろと見られることには、慣れていない。千歳の発言内容よりも、奇妙な闖入者に皆興味があるらしかった。

突き刺さる白い目が身につらい。でも、ひるんでなんかいられない。

「あのう、人を……」

 どうにか千歳は繰り返したが、反応はない。暇そうな人間が複数いるのに、誰も返事をしないとはどういうことか。むくむくと怒りが込み上げてくるものの、自分も名乗りを挙げていないことに気がついた。

 自由党は、身分制の再来だとして、華族嫌いが多いと聞いている。由緒あるがゆえに逃げも隠れもできない土御門の名前は、あまり大っぴらに出したくないけれど、仕方ない。千歳は次のことばを発するためにすう、と息を吸い込んだ。

「お嬢さん、はいこっちこっち」

 ぶぶっ! 急に背中を叩かれ、千歳は息を吐き出してしまった。

「な、なにするの。失礼ね! 私は、つちみか……ぶわっ」

 殺気立った勢いで背後を振り向けば、眼鏡をかけた書生風の若い男子が立っていた。

「ここは、お嬢さんのようなお方が出入りする場所ではありませんよ。ああなるほど、隣の洋品店とうちを間違えましたか」

 書生は満面の笑顔で千歳を引っ張り、追い出した。

「はいどうぞ、こちらは舶来物も扱っているお店ですよ」

 店先には女性物のドレスや装飾品、洋傘などが飾ってある。

「うわー。ステキ」

「お気に召したものがあれば、買って差し上げましょう」

「ほんとに?」

 思わず、食い入るようにネックレスを覗き込んでしまう千歳だったが、すぐに本来の目的を思い出す。

「……違う! 勝手なことしないでよ。っていうか、清らかな乙女に、触らないで」

「あ、これは失礼をした」

 指摘して、ようやく書生は千歳の袖を放した。

 自分より、やや年上だろうか。少しくたびれた着物と袴。背はそう高くない。短い髪。けれど、涼しげな目に整った鼻、引き締まった唇。眼鏡のせいで全体像がつかみきれないが、たぶん、世に言う美男子。

「俺は、佐藤(さとう)(みのる)。公の身分は一応帝大生ですが、自由党員ね」

「千歳よ。土御門千歳、十五歳。ここに、晴季がいるでしょう?」

「なに、土御門の?」

 佐藤は目の色を変えた。

「兄を知っているの!」

 飛びつかんばかりの勢いで、千歳は佐藤にしがみついた。

「知っているもなにも、三日前まで一緒でしたよ。うちの実家に居候していましたから」

「い、いそうろう……」

 眩暈がした。

仮にも、名門公家の子息が書生の家に居候だなんて。千歳は耳を疑った。けれど怯むわけにはいかない。使用人にお給金が払えなくなったら、大変だ。土御門家の恥である。空腹を我慢してでも、外聞を大切にしたい。

「今すぐ、家まで案内しなさい」

 千歳の強い態度に、佐藤は苦笑した。

「参ったな。私はこれから、学校に行こうと思っていたところなんですよ。あなたは私に、勉学を休めと」

「お昼もまわったこんな時間から学校、だなんて。あなたは、どんな帝大に通ってらっしゃるのかしら。とにかく、絶対について行くわ。私には、あなたしか兄の手がかりがないんだもの」

 腰に手を当てて、千歳は直立不動の姿勢を取った。

「すぐに信じてしまってよろしいのですか、お嬢さん。私がかどかわし、という可能性もありますよ。うまいことを言ってのせて、外国に売り飛ばす、とか。ふむふむ、かわいらしいお嬢さんなら、高く売れそうだ。おや、顔色が優れませんね。はっはは、こいつは冗談冗談」

 こいつ。

千歳は力を使って懲らしめてやろうとかと思ったが、こらえた。陰陽師の力は、つまらないことに使っていいものではない。

「さあ、行くわよ」

 日傘の先端で佐藤の脚をつつき、千歳は歩き出した。

 じゅうえん。

十円。

十円あれば、一般家庭ならひと月はゆうに暮らせるらしい。我が屋敷では、とうてい足りないけれど。花の乙女が、借金取りの真似を強いられるなんて、屈辱よ。晴季のやつ、次に会ったらただじゃおかないんだから。


「こちらです」

 佐藤の実家までは、一時間ほどで到着した。俥でも拾ってくれるのかと期待したけれど、ぶっ通しで徒歩だった。しかも、佐藤書生の陽気な歌つきで。  

今日は歩きっぱなし。帰り道のことを考えると、うんざりする。京都と違って、東京の街は広いし、坂が多い。今夜から、筋肉痛に襲われること間違いなしだった。

 案内された家に入る。つくりは地味だが、まずまず広い。中はこざっぱりとしていて明るく、庭の手入れもよく施されている。子どもを帝大に通わせられるぐらいだから、佐藤家は普通に良家なのだろう。難関試験を突破できたこの書生も、莫迦ではない。

「こう見えても、徳川の時代は旗本でね。お雇い先の幕府がなくなったあとは、ほかの侍同様、あっという間に没落するかと思ったけれど、幸い父に意外にたくましい商魂があって、横浜の生糸を扱う会社を建ててからは順調に事業が軌道に乗って、前よりも暮らしやすいんですよ」

「その割には、くたびれた着物をお召しなのね」

「この家には、私しか住んでいないから。今、言ったように、両親は商売で横浜にいることがほとんど。それに、小綺麗な着物で自由党の本部や学校に通うのは、ちょっとね。存在が浮くだろう?」

 なるほど、成金なりの演技というわけか。しかし、書生の話身の上を聞いている場合ではない。

「晴季兄さまはどこ?」

 性急な千歳に、佐藤書生は取りあわない。

「私は、学校や本部に出入りしていて帰宅しなかったから、三日前のことまでしか知らないんだ。いるかな、おーい、土御門?」

 ひと部屋ずつ、ふたりはよく確かめながら練り歩いた。押入れや、台所浴室に至るまで。

 それでも、晴季の姿を探し当てることはできなかった。

「いないねえ。もっとも、彼も我が家に住んでいるわけじゃないからね。ほかに、快適なねぐらを見つけたのかもしれないし」

「心当たりは?」

 書生はまた笑った。

「お嬢さん、せっかちですね。顔ばかりか、性格も態度も土御門そっくりだ。まあ、落ち着いてお茶でも飲みませんか」

「あんなろくでなしの兄と私とを、一緒になさらないで」

 しかもお茶だなんて悠長な、と畳みかけようとしたが、先に返事をしたのは千歳のおなかだった。


 ぐるる~。


「ほらほら、おなか空いているんでしょ。羊羹、あるんですよ」

「よ、よく知らない人の家で、食べ物なんていただけな……」

 再び、千歳の空腹音が部屋に響く。ぐうう。我ながら、なんという恥辱。悔しさのあまり、千歳は唇を噛んだ。

「まあ、座ってください。ラクにして。どうしてそんなに土御門を探しているのか、聞きたいし。少しは、力になれるかもしれません」

「力、に」

「ええ。お嬢さんに助力いたします」

 あたたかい目でやさしく見つめられて、頭に血が上っていた千歳の心もようやく折れた。

 おいしいお茶。お菓子。

 ひとり暮らしに慣れているのか、千歳は佐藤の手際よさに感心した。使用人も置いていないらしい。

 落ち着いてみれば、自分はとんでもないことをしているのではと千歳は思いはじめた。男性とふたりっきりで、お茶を飲んでいる。女学校に知られたら、不純だとされて停学ぐらいでは済まないだろう。だが、現状では兄の手がかりはこの人しかいない。なにも聞きださないですごすごと帰ったら、晴栄兄さまの力になれない。

「ああ、目が疲れた。肩が凝る」

 ふと、佐藤がかけていた眼鏡を外してレンズのお手入れをはじめた。千歳はどきっとした。きっと、そうだろうと思っていたけれど、想像以上。佐藤は、息が止まるほどの美形だった。

「あれ、お嬢さんどうかしましたか」

「なななななんでもあああああありません」

「おもしろいお方ですね、お嬢さんって。なにもかも、土御門が言っていた以上だ」

「……言っていた、以上?」

 いったい、兄はなにを話して聞かせたのか。

「うん。土御門は、かわいい妹の将来のために本家入りを決めたと。土御門は、安倍晴明の血をひく陰陽師の一家なのでしょ」

「ええ、はい。まあ」

「だったら見える? この家、昔いくさで死んだお武家の持ち物を買い取ったんだけど。床の間の壺の中とかさ、井戸の中でもいいや。いない?」

「霊魂関係のご相談には乗りませんっ」

「まっすぐだなあ、お嬢さんは。で、兄を探している理由は、なに。若い男にのこのこついてきて、それ相応のお礼は弾んでくれるんだろうね。見たところ、まだねんねのようですが」

 眼鏡を外した書生は身を乗り出し、にやにやと千歳の体を舐め回すように見やった。

「あ、ありません! そんなつもりはありません! し、失礼しますっ」

 危険を感じた千歳は、立ち上がって玄関に向かって走った。書生が追いかけてくるかと思うと、ブーツを履くのももどかしい。戸を閉めるのも忘れ、千歳は逃げた。

 持っていた巾着袋と日傘を置いてきてしまったのを思い出したのは、土御門邸の門をくぐってからだった。

「しまった。お気に入りの手巾が入っていたのに」

 奪い返しに行く勇気も気合もない。力を使って、ものを動かすことなんてできやしない。とぼとぼと、わびしい帰宅の途につくしかない千歳だった。

 日没後に帰宅した千歳を待っていたのは、晴栄の説教だった。『嫁入り前の娘が遅くに帰るとは』とやさしい声で、くどくどと繰り返される悲嘆節を、千歳はおとなしく静聴するしかなかった。晴季を探して東京を歩いたなんて、言えない。ましてや、ひとり暮らしの男性の家に上がってしまったことなんて。

2に続きます。全4話の予定です。

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