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彩季時代  作者: 霜土井
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009.枯草色 / 変人の説教

 それで、お前はどうしたいんだ? 間違っても、昔のまま、幼馴染三人組でいたいなんて言うなよ。

 日生、いい加減腹をくくれ。椿ちゃんも榎ちゃんもどっちも大事、どっちも一人にさせることは出来ないって曖昧な態度は、もう終わりにしろ。

 昔みたいに、日生が真ん中で両隣に椿ちゃんと榎ちゃんがいる、左手で椿ちゃんの手を握り右手で榎ちゃんの手を握り、仲良くお出かけする歳じゃない。お前たちはもう十七歳だ。お前は男であの二人は女。年を取って、幼馴染ではなく恋愛対象になったんだよ。

 お前が、十七にもなってちゅうぶらりんなままの理由が、分からないわけでもない。千歳には楸ちゃんという紛れもない天才がいるからだろう。

 才能を発揮する天才、それを目の前にして榎ちゃんは焦ったんだ。椿ちゃんと日生は昔から頭が良くて近所の人にも褒められていたし、本家親族もうるさいようだし、自分だけ取り残されたような気でも起こしたんでしょう。

 小さかった榎ちゃんは、楸ちゃん、椿ちゃん、そして日生と肩を並べるため、隣にいても恥ずかしくないような人になるため、それなりの地位を得るために、自分の能力を最大限発揮出来るテニスの道を選んだ。

 汗水垂らして必死にテニスしている榎ちゃんを見て、どんどん先に行ってしまう榎ちゃんに追いつこうと、日生は自分の能力に合った野球を頑張った。それを見て二人に追いつこうと、運動音痴な椿ちゃんは勉強を頑張った。そんな椿ちゃんを一人にしないよう、日生も猛勉強した。

 その結果、お前は特進科生徒でありながら高校野球のスターになり、千歳姉妹は一見華やかな姉妹になった。けど、本当は違う。

 天才天才と言われているけど、本当の天才は楸ちゃんだけだ。椿ちゃんも榎ちゃんも、人の何倍も努力して今の地位を得た、凡人にすぎない。

 それは、彼女たち自身気づいている。凄まじい努力を継続しているからこそ、本当の天才との距離が浮彫になって見えて、自分は天才ではないと思い知った。

 彼女たちの思いも知らずに、周りは天才天才とはやし立てる。それがプレッシャーになり、一点でも点数が下がること、試合でも練習でも一敗すること、それが彼女たちの恐怖になった。

 日生は、そんな二人が痛々しく見えて仕方がないんだろう。こうなってしまったことに、自分が妙に絡んでいたら尚更気にするよな。

 けど、それももう終わりの時期だ。榎ちゃんが三人組から自立しようとするのも、椿ちゃんが不機嫌になったのも、お前が汲み取らないでどうする。

 招待状が来なくて落ち込んでいたなか、自分のなかの気力を振り絞ってとぼけてみせたこと。十七年ちゅうぶらりんでも、答えを急かさずずっと待っていること。二人の行動言動を、全部よく考えてみろ。

 お前は二人に愛されてる。その愛情にいい加減答えてやれ。

 お前が二人と恋愛する選択はない。どちらと恋愛するか選べ。それが出来ないなら、お前は幼馴染という関係を死ぬまで貫き、二人が別の男と付き合い結婚していく姿を見届ける覚悟を決めろ。それか、二人じゃない別の女を選べ。

 選択肢は三つだ。

 どうした日生、塞ぎ込んだ顔して。これはずっと前からあった問題だぞ。答えを先延ばし続けて、避けられなくなっただけだ。

 帰るのか、日生。雨が降りそうだから傘持って行くか。穴開いてるやつしかないけど。そうか、いらないか。

 最後の予選が近い。気をつけて帰れよ。

 日生。答えを間違えるなよ。



     ◇



 夢路高校前の商店街。その商店街にひとつだけ寂しく建つ店があった。それは隣に位置しているだけで立派な呉服屋のたたずまいを台無しにしているような寂れ具合だった。

 西通りの最奥にある店。いや、店かも疑わしいため西の最奥は呉服屋と言っていい。そんなぼろ屋の前に一人、幸風天明ゆきかぜたかあきは立っていた。

 湿気の多い空気を頬で感じ、天明は大きく背伸びをした。分厚い着物が寒気から体温を守り、ほつれた糸とぼさぼさの天然パーマが冷たい夜風に乗った。暗色の空を見上げると、かすかに見える雨雲が瓶底レンズに映った。古い着物の上に、一滴の跡がついた。

 それに構わず、天明は傘をささないまま斜め向かいのスポーツ用品店まで走った。閉店の札を無視し、ガラス戸を開け堂々と中に入った。


「すいません、もう閉店なんで……なんだ、天明か」

「そんな鬱陶しい顔しないでよ。折角遊びに来たのに」

「遊びに来たわりに、うちの冷蔵庫に直行すんだな、お前は」


 店に並ぶ数々のスポーツ用品を無視し、この店の主人である勇麻ゆうまも無視して、天明は奥にある寺中てらなか家の食卓に上がった。下駄を乱雑に脱ぎ捨て冷蔵庫に直行する。勇麻の妻がいないことを幸いに思いながら、天明は冷蔵庫を開け缶ビールを取り出した。喉越しを誘う清涼な音をたて、それをごくごく飲む。爽やかで涼しい音だが、勇麻にとって当然不愉快でしかない。苛立ちを募らせる勇麻に構わず、天明は缶ビール片手に近寄った。


「お前なあ、いい加減にしろよ。週一うちに来て当たり前のように一本飲み干しやがって。ビール代くらい自分で稼げ。そんなんだから三十三にもなって嫁さんの一人も貰えな……」

「あ、ここ間違ってる。何で割賦売掛二十五万現金五万で、貸方が二十五万になってんの。頭金現金で貰ったんでしょ、それなら借方割賦売掛金二十万現金五万で、貸方割賦売上二十五万だよ。それと、夢高女子陸上部の顧問の下の名前は、寿ことぶきに梨で寿梨じゅり。この人俺たちより若いけどかなりおっかないから、宛名間違えたまま出さなくて良かったね」


 人の悪い笑みを作ると、勇麻は小憎らしいように天明を睨んだ。目を怒らせていても、彼の手は赤ペンと新しい封筒を用意していた。言いたいことをぐっと抑え黙々と事務作業する年上の友人を、天明は可愛らしく思った。

 天明は二口目を含み、勇麻のしゃくにさわらない程度で、ああ~、と息を吐いた。


「お前の頭は博識でも、親しき中にも礼儀ありという言葉はないんだよな」


 勇麻の溜息に答えるかわり、三口目をつけた。


「何故かいつも着物、何年もといてない天パ、瓶底眼鏡、下駄。どう見ても現代人じゃないだろ。お前は確かに頭が良くて器用で、商店街の人たちも困ったことがあればお前を頼ってくる。けど、その生活力のなさはいい加減改善しろよ。まったく、こんな男が難攻不落千歳家の鍵を預けられてるんだから不思議だ。千歳の旦那と歳の離れた友人だからって、千歳グループ時期跡取りから絶大な信頼を得ている理由が分からん。高校生になった子どもたちも、いまだにテンちゃんテンさんなんて言って懐いてる。日本の未来は大丈夫なのか、小さい店開いてるちんけな俺が心配す……あれ、コトブキってどう書くんだっけ?」


 天明は勇麻の止まった筆を取り、勇麻より数段綺麗な字で、寿、と横のメモ帳に書いた。勇麻はそれ以上何も言わなくなった。

 筆を置くと、天明は無意味に店内を歩いた。Tシャツが並べられている隣に鏡があった。それに映る自分を見て、思わず笑った。

 衣服はすべて隣の呉服屋主人から無償で貰ったもの、商店街の人たちから慈しみと憐みで売れない食べ物傷んだ食べ物を貰い、店をひっくり返しても小銭も出てこないような中古本屋を経営し寝泊りしている変わり者がいた。

 常人からしたら信じられない衣食住、それだけでなく、こんな極貧男が千歳グループと深い関わりを持っているのだから、不思議がられて当然だ。天明自身、こんな自分を信頼している千歳姉妹の父は正気ではないと思っている。

 こんな極貧男、こんな自分と謙遜するが、先程まで長ったらしく高校野球のスターを説教していた。

 思いつめた顔で店を訪れた日生を天明は思い出す。日生がああいう顔をするのは、椿や榎のことで悩んでいるに違いなかった。

 今日こんなことがあった、と話す日生を皮切りに、天明は父のような、兄のような、友人のような顔つきになった。スターに説教する極貧男の姿は、他人に見せられたものではなかった。

 今映っているだらしない男は自分だと確認するように、天明は鏡に近づいた。吸汗性のシャツ、スパイク、バッシュ、ラケット、ボール。それらの最新モデルが並んでいる背景は、自分の古めかしさを助長しているようだった。

 お金がないから財布を持つ意味がない、盗まれるようなものがないから鍵を持つ意味もない。財布も自宅の鍵も持っていないが千歳家の鍵は持っている、現代に似つかわしくない風貌の男。この世の者とは思えない異質さが、そのまま鏡に映っているようだった。


「あれ、ナシってどう書くんだっけ?」


 自分は、梨の字も書けない経営者の次に、この店で異質だ。天明はそう謙遜しながら、勇麻の筆を取った。

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