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彩季時代  作者: 霜土井
11/17

011.citron gray / 野心家栄人の漸進

「春季県大会前の貴重な日曜に一年と試合……」

「望月、面倒臭がんな。去年のその試合で監督の眼鏡にかなったお前がそんな態度でどうすんだ。レギュラーになったからには、最強夢高野球部結成に協力しろ」

「ていうかさ、その知らせを監督から聞いた時、おじさん誰ですかって訊いた馬鹿がいるらしいぞ」

「ぶわっはっはっは!! タケ、それマジかよ!」

「ナラジ、笑いすぎ」

「監督ってユニホーム着てる時や練習中の時とかは威圧感の塊だけど、そうじゃない時は別人に見えるからね。監督もそのギャップを利用して、一年にバレないよう裏山に様子見に行ったりするくらいだし。わざわざステテコと草履に履き替えてさ。そのへんも奇将と呼ばれる所以ゆえんかな」

「あの裏山ルックで一年の前に出たの? あれ、余計普通のおじさんに見えちゃうんだよね。見慣れてない一年にしたら監督って分からなくても不思議じゃないけど……」

「だからってウチの監督を知らねえオッサン呼ばわりしたのは馬鹿としか言いようがないだろ。その一年、名前は?」

「確か、ミツトシ」

「ミツトシじゃなくてヒカリだよ」

「安、知ってるの?」

「去年の甲子園の帰り、日生と全中の試合見に行ってね。その時覚えたんだ」

「ふーん、お前らが覚えてるってことは、さぞかし優秀な選手なんだろうな」

「いや、二十失点のぼろ負け投手だよ」

「ええええ!?」

「でも、日生もあいつの名前覚えてるよ」

「……たかが中学生だった、ぼろ負け投手の名前を? マジで? 日生に名前覚えられるのって名誉だからなー。佐澤一さざわいち竹俣たけまただって、日生が名前覚えるのに一年半かかったんだぞ」

「竹俣は大した奴じゃねーよ」

「そりゃあ、ガンちゃんからしたらな」

「その光利って一年さ、他にも監督に訊いてんだよ。その試合に勝てたらレギュラーになれるんですかって」

「あああ!? 一年の癖になめやがって!!」

「そいつ投手なんでしょ? てことは、藤瀬のポジション狙ってるってことだよね」

「そうなりますね」

「余裕だなあ。袖達のほうが怒ってるくらいだ。流石天才ピッチャー」

「そりゃそうっすよミチさん。二十失点なんて、したくても出来ませんよ、藤瀬には。にしても、晴れ舞台で大量失点、まだメンバーにも選ばれてないくせに、そいつ馬鹿がつくくらいの自信家みたいですね」

「望月、そういうのは自信家って言うんじゃないよ」

「え? 安さん?」

「野心家って言うんだよ」


 綺麗な顔で笑ったまま、安は答えた。


「自信とは自分の能力や価値を確信すること。野心とは、身分不相応の大きな望みのこと」



     ◇



 選抜メンバーのテストを受けられる新入部員は、決まってオーバーワークを続けてきた部員だった。酷使し続ける彼らの体を休ませるため、そして、テストを全力でやってほしいため、深津監督は彼らに夜の自主練、朝練の一日禁止を言い渡した。それを破って練習した者がいたなら、この試合を止めるとまで言い切った。

 深津の禁止令を破る者はいなかった。だから、テスト受験者の部員たちは無事に、初めて自分の野球を監督に見てもらえた。

 太陽が沈みきる時間になり、深津は部員たちを集めた。


「一年生選抜チームのメンバーを発表する」


 深津の引き締まった声は部員たちに緊張を与えた。間延びした顔つきだった昨日と違い、監督としての威圧感を漂わせる深津が慎重に構えているように見えたからだ。発表する立場の深津を覆う空気は重々しく、それに混じる部員たちの期待と希望、緊張は、彼らの鼓動を急速に速めた。


「一番センター、加間」

「はい」


 夢高野球部は一軍から三軍まで出来ている。それぞれの軍を率いるコーチや部長がいて練習試合等のスケジュールもそれぞれ違っている。

 日生をはじめ、一軍が着ているジャージは一軍だけに許されたもので、三年間野球部に所属していてもそのジャージに袖を通せなかった者は珍しくない。二軍三軍よりずっと席の少ない一軍に入るには相当の努力が必要で、かと言って努力だけでは勝ち取れない熾烈な競争が繰り広げられている。


「二番、ファースト……」


 深津の予告通り、今日、テストが行われた。三十人ほどの受験者は全ポジションの守備につき、ノックを受け、三軍のピッチャー相手に二打席のチャンスを貰った。


「三番」


 この中の誰が試合に出られるのか。これはとても重大なことだった。今回名前を呼ばれなかった部員はほぼ三軍決定で、そこから這い上がるしかなくなる。よくて二軍に配属されるだろうが、それは期待しないほうがいい。これから夏の甲子園へ向けて始動するのだから、一年生は力のある先輩部員の補助や応援、雑用係に回されるのが普通だ。

 これは一年生が一軍か二軍か三軍か、これからの野球部の熾烈競争で重要なスタート地点を決める運命の発表でもあった。

 一年生が一軍に配属される例はまれだ。けれど、日生とバッテリーを組みたいと願って夢高に入学した栄人にとって、彼はこのメンバーに選ばれなければならないのは最低条件だった。レギュラーを目指す栄人にとって、三十人の中の九人に選ばれることは第一段階に過ぎない。先輩含む八十人の中のうちの九人に入ろうとしているのだから、それが叶わなければ話にならない。

 三年生の日生と組むには、チャンスは当然今年しかない。


「サード……」


 栄人はテストを全力でやった。もちろん、他のみんなも全力でやった。栄人はバッティングでツーベースヒットを打った。けれどスリーベースヒットを打った者がいた。ピッチングは調子が良かった。早く硬球に慣れるため、毎晩残って練習していた甲斐があった。キャッチャーが相棒の野々松だったから安心して投げられた。自分より速い球を投げる者はいなかった。けれど自分には投げられない変化球を持つピッチャーがいた。

 栄人は周りの部員、仲間でありライバルでもある顔ぶれを見た。中学、リトルシニアで名を上げた顔が並んでいた。

 不安が栄人を襲う。ここで選ばれなければ日生とバッテリーを組めることはまずなくなってしまう。夢が崩れてしまう。


「俺、夢高の野球部に入って、絶対凄いピッチャーになって和城日生とバッテリー組む」


 あの約束が栄人の心を更に震わせる。もし選ばれなかったら夢高に入った意味がない。見学会の日の約束を自ら破ってしまう。


「四番」


 自分はピッチャーに選ばれなければ意味がない。他の部員は選ばれればライトでもレフトでもどのポジションでも構わないと思っているみたいだが、栄人にはマウンドしかなかった。日生とバッテリーを組む場所はそこしかないのだから。

 栄人はその大きな瞳で深津を見る。


「ピッチャー」


 読唇術なんて能力はないが、短い髭を生やした深津の下顎を凝視する。


「光利」

「よおおおっし!!」


 栄人は拳を握り大きくガッツポーズした。その豪快な反応は、深津を少しだけ呆れさせた。


「よおし、じゃなくて、はい、な」

「は、はい……」


 周りにくすくす笑われたが、小馬鹿にする意味は含まれていなかった。

 深津が次に、五番キャッチャー野々松、と言った瞬間、よおおっし!! という声がまたした。それは野々松の音ではなく、注意を受けたばかりの栄人のものだった。

 試合のメンバー発表をしているこの戦場が、どこか和やかな空気になっていった。自分の名前が呼ばれるのを待つ部員たちも、少しだけ緊張が解れているようだった。反対に栄人は、自分と野々松の名前が呼ばれたことで、今日の山場を乗り越えた安心感を味わっていた。

 深津が次々と名前を発表していき、最後の九人目を言い終えた後は、選ばれなかった部員たちから悔恨の息が漏れた。


「以上が日曜の試合に出るメンバーだ」


 深津の言葉にはい、と部員たちは声を張り上げて答えた。続く解散の言葉に反応し、方々散らばっていった。メンバーに選ばれず残念がる部員、悔しがる部員から遠のいたところで、栄人は野々松に近づいた。


「やったなノノ! 俺たちメンバーに選ばれて」

「ああ」


 野々松とこの喜びを分かち合おうとしたが、彼は思ったより冷静だった。あの人数、それも中学やリトルシニアで名をあげた連中を含め九人に選ばれたのだ。それにしては反応が鈍いように見えた。


「嬉しくないの?」

「嬉しいさ。ただ、俺は絶対に選ばれると思っただけ」


 意外な言葉だった。野々松は確かに実力があり、県予選の二打席連続ホームランは印象強く、県下では優れたバッターとして有名だった。だからと言って、何故そんなに自信満々でいられたのか。野々松は自分の力を過大評価するタイプではないことを知っているだけに、栄人はなんとなく腑に落ちなかった。そんな栄人に向かい合い、野々松は少し笑って答えた。


「お前が選ばれる自信があったから、俺も選ばれる自信があった」

「え?」

「だって、お前の速球捕れる一年て俺しかいないじゃん」


 まあ、あれだけお前の投球練習に付き合わされたんだから当然だけど、と野々松は続けた。


「栄人はもっと自分の左腕に自身持て、な」


 野々松の歩幅に合わせていた栄人の速度は落ちた。

 そうだ、野々松は毎日自分の投球練習に付き合ってくれた。その左手を豆だらけにしても、潰れて血だらけになってもまだ、練習馬鹿の自分に付き合ってくれた。朝も、ランニングに疲れた夜も。


「俺は栄人のおまけみたいなもんだ。けど、今回栄人に四番をとられたことは悔しい。次はお前から四番を奪ってやるからな」


 ライバルに対する焦りの感情ばかり先走っていた栄人にとって、野々松は随分と大人に見えた。自分の弱さを認め、ライバルの力を認め、前向きな姿勢の野々松は既に人間が出来ている。もし今回、自分ではない誰かがピッチャーの座を掴んでいたら、野々松のようなことが言えたか、栄人は考えてみた。到底無理だ、と栄人は思った。

 ただ、この素晴らしい親友が栄人の心を奮わせたのは事実だ。次の試合に出られるうえ、この友とバッテリーが組める。これ以上に興奮することはない。

 四番ピッチャー光利。監督の声を頭の中でリピートさせる。心が生き生きと弾むのが分かる。チャンスはまだあり、夢が繋がっていることを栄人は実感する。

 そして、自分の野球が少なからず夢高に認められていることが、栄人にとって何より嬉しかった。


(知らせなきゃ)


 彼女に。でも、どうやって。栄人は浮かれた頭で少し考え、野々松にまた近寄った。


「ねえノノ」

「ん?」

「今日の昼、第四食堂行かない?」

「何で」

「……第四食堂のカレー、美味しいって聞いたから……ノノ、カレー好きだし」


 真っ直ぐこちらを見てくる野々松から、栄人は目をそらす。野々松は呆れたように言った。


「お前って、本当に嘘が下手だよな」

「う、嘘なんかついてないよ」

「じゃあ、お前の本心当ててやろうか。第四食堂は家政科と看護科、通称女子科の区域にある。わざわざそんな遠いところに行く理由は、そこにいる女子が目当てだろ。おそらく、入学式の反応からして千歳柊だ。千歳柊と知り合いなのか、ただ見に行きたいだけなのかは分からねえが、お前の性格からして野次馬のようなことはしないから、多分……」

「もういい! もういいから! 勘弁して下さい」


 栄人は耳まで赤くして野々松を制止した。素直に言やいいのに、と野々松は呆れ顔を崩さず言った。

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