第2話 神霊祭~2~
『ーーというわけで、クサナギを引き取りに来てくれないかな、桐生君?』
「う、うん行くよ。……それから、ほんとにごめん」
魔法による立体通信越しにかかってきた連絡に、桐生タクトはひたすら頭を下げながら謝罪する。何せ、通信相手であるコルダは、途轍もないほど良い笑顔を浮かべていたが、目が笑っていたなかった。--つまり、よほどの怒りを感じているのだろう。
いつもは名前を呼ぶときはタクトと呼び捨てなのだが、わざわざ名字に君付けで名を呼んでいることからもそれは明らかである。ゆえに、タクトにできるのはただひたすら頭を下げることだけだった。
「と、とりあえずそっち行くから……そこ、どこなの?」
『玄関前だよ~。とりあえず、急いできてねぇ~~……って、クサナギ、君何をやってーー』
プツン、とそこで通信は途切れ、タクトは表情を青ざめた。彼女が最後に言った言葉がとても気になったためだ。--と言っても、十中八九ろくでもないことなのだろうが。はぁ、と大きくため息をつくタクトだが、その隣から苦笑いをとともに慰めの声がかかるのが唯一の救いか。
「あはは……またクサナギはやらかしたみたいだね?」
「う、うんそうなんだ。……全く、おかげでほとんど僕がとばっちりを受けるじゃないか……」
叔父さんたちは何でクサナギと離れ離れになったんだろうか、と頭を抱える。一応先ほどの連絡で、叔父さんたちが来ていると教えてもらったので、クサナギを引き取った後即連行しようと画策している。
ーー余談だが、ちょうど今頃クサナギがいないことに気が付いた桐生家の者たちは、必死になって探していたり。あのアキラでさえも欺いたことに賞賛するが、彼としてはそうまでしてまで女子更衣室に入りたかった執念を別の方向に生かしてほしいと切に願う。
タクトのぼやきに、見回りで一緒になった鈴野レナが再び苦笑を浮かべて、
「まぁまぁ、後でしっかり怒ってやればいいじゃない」
「……そうだね、そうするよ」
タクトも返しながら、一同は足を生徒玄関へと向ける。
二人並んで歩きながら、ふとタクトはあることを思いついた。それは、何で自分とレナの二人で見回りを組むことになったのか、ということである。
見回りの組み分けは今日の朝一で決めたことなのだが、マモルとコルダがニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見ていたのを見ると、仕組まれたのではないかと疑わざるを得ない。
その証拠に、それを決める際マモルはアイギットを指名し、コルダはフォーマを指名したため、残ったタクトとレナが自然と組むことになったのだ。--改めて考えると、絶対あの二人は共同で仕組んだとしか思えない。
心の中で不満を漏らしているが、タクトとしてはレナと組むこと自体に抵抗感はほとんどない。それはやはり、幼いころからともにいたからだろう。
しかし、それだからこそ気づけることがある。自分が彼女のことをどう思っているか。それを考えると、あの二人は気を使ってくれたのだろう。なのだろうが、タクトとしてはそれは少々勘弁してほしいと思っている。
自然と、タクトの片手は右耳のところへ持ち上がり、しかしそこには何もなかった。当然である。右耳はもう十年近く前にある男によって切り落とされたのだから。
そしてレナは、自分のせいではないのにそのことに責任を感じ、罪の意識にさいなまれている。そしてタクトもまた、言葉ではなく態度で、そして行動で彼女を傷つけたと後悔している。
そんな自分が、レナに気持ちを伝えることなど出来るわけがないし、それに多分彼女は、自分の気持ちにこたえてはくれないだろうーーそう、思っている。
思えばあの頃からだろうか。レナとの接し方が、変わっていったのは。
彼は自分の隣を楽しそうに歩くレナに視線をやり、そっと俯かせた。
心に生じた後悔という名の解けない氷は、いまだに自分の気持ちを固め続け、そこに居続けさせていた。
軽く沈んだ気持ちのまま玄関まで行き、クサナギを引き取った後は(結局、彼が何をやったのかは聞かなかったが、二人とも憮然としていたところを見ると聞かないほうがよかったのかもしれない)、まるで雲隠れにでもあったかのようにその思いはどこかへと去って行った。いや、どちらかというと、それどころではない状態になったから、というのが正しいか。
「タクトよ、すまんがあのリンゴ飴を買ってはくれんか? でかい方な」
「はいはい……」
(それよりクサナギ、そこは私の席なのだが……)
タクトの頭上で胡坐をかいて完全にリラックスモードに入ったクサナギは、リンゴ飴の屋台の前を通り過ぎるなりそうねだってきた。ここで断って機嫌を損ねられても困るだけなので、タクトは渋々といった具合に自腹を切って買いおさめた。
ちなみに、タクトの精霊であるコウは、クサナギに届くわけがないと知りつつもそうぼやかずにはいられなかった。
また、クサナギがいるからか、レナはやや警戒してタクトと距離を置いている。先ほどの思考とはまた真逆になってしまうが、それがやや物悲しい。
「はい、どうぞ」
屋台のお姉さんは、タクトの頭上に座るクサナギにやや頬をひきつらせていたが、それでも見事にプロ意識を発揮して笑顔でリンゴ飴を三つ手渡してくれた。その様子にタクトは苦笑いを浮かべるのみ。
「ああ、ありがとう。……ほら、クサナギ。っていうか、食べられるの?」
「食えもしないものをわざわざ頼むか」
受け取ったリンゴ飴の一つを差し出しつつ、つい思ったことを口にしてしまう。何せ、クサナギの全長は大体三十センチ。なのにリンゴ飴の大きさは、串も合わせると彼の身の丈ほどもありそうなものだったのだから。あの腹では半分どころか四分の一も食べられないと思うのだが。
だが、呆れたようにいう彼の言葉を信用するならば大丈夫なのだろう。それに、腹を壊したとしてもそれはクサナギのだし、と思い首を微かに動かした。
「……お前今ひどいことを考えなかったか?」
「気のせいじゃない? それよりレナ、これ」
考えを読み取ったのか、じとっとした視線を向けてくるクサナギを、苦手なポーカーフェイスで無視する。三つのリンゴ飴のうち一つを口に含み、もう一つを先ほどよりもほんの少し距離を開けて隣を歩くレナに差し出した。
「え? あ、ありがとう……」
一瞬目を見張ったが、すぐに微笑みを浮かべてそれを受け取る。その光景を見ながら、クサナギは頭上で和やかな気持ちになった。
(いや、青春だぁ~ねぇ~)
まるでおばさんのようなことを考えつつーーしかし年齢的に言えば十分おばさん(おじいさん)なのだがーー、二人に話を振ってやる。
「そういや、お前さん方は誰かと付き合うってことはしねぇのかい?」
「ぶっ!?」
「っ………!!」
ーークサナギの発言に対する答えは、むせたことによって発生した不明瞭な一文字と、顔を真っ赤にさせて視線をーーそれどころか体全体でそっぽを向くというものだった。
ーーガキがお前らーー
彼が唖然としつつそう思ってしまうのも、無理はない反応だった。実際、二人の恋愛レベルはそこらの中学生よりも劣るかもしれない。
やや頬を染めつつ、そっぽを向いたレナのことを、チラチラと様子を窺うタクトが小声で弁明する。
「つ、付き合うって、その、ま、まず相手がいない状態だし、うん!」
早口でしどろもどろ、つっかえつつ彼の反応に、はぁっと深いため息。だが、それと同時にからかってやろうという気持ちが勝り、すぐににやりと笑みを浮かべると、
「それは、好きな相手がいないっつうことかい?」
ピクリ、とレナの肩がかすかに震えた。だがそのことに気づくことができないほど動揺するタクトは、ますますしどろもどろになり、
「えぇっ!? い、いや、それはその……えぇと………あと………」
嘘をついて、いないと言えばいいのに、その辺は素直で純情なのだろう。真っ赤になってぶんぶん手を左右に振るタクトだが、そんな状態でもこれ以上この話を続けさせるのはまずいと悟ったのだろう。わざとらしく大仰に「あっ!!」と大きな声を上げると、
「そ、そうだっ! この後僕用事があるんだ!」
「…………」
思わずじとっとした視線を向けるクサナギに構わず、すぐに歩き出したタクトにはぁっと再び深いため息。ふと隣を見ると、何も言わずにレナもついてきている。--いまだに頬が赤いが、どこかホッとしたような、それでいて残念なように見えるのは決して気のせいではあるまい。
ーーこのすれ違いバカップルがーー
それこそ付き合ってはいないのだが、これ以上お似合いの奴もそうそういないもんだ、と不思議な思いに囚われたクサナギであった。
「ふ~ん。まぁいいや。で、その用事ってのはなんなのだ?」
「えっ!? あ、う、うん。その、戦闘競技会だよ。あれで対戦してくださいって、この間頼まれてさ!」
「……そうか」
なぜか力説する彼に付き合う気が失せたのか、それだけ言ってクサナギは前を向く。だが、その内容には興味を示したのか、彼は話を聞く矛先をレナに変えて尋ねた。
「で、このアホは誰と対戦するんだ。あれは指名制だろ?」
「後輩とだって。それより、クサナギは競技のこと知ってるの?」
「うむ。昔、戦闘競技に出たことがあってな……」
「へぇ~、そう………」
なんだ、と軽く頷こうとして、硬直した。今、クサナギは何と言った?
話を聞いていたのだろう、タクトも歩みを止めて頭上のクサナギへと、恐る恐る尋ねる。
「そ、それどういう……?」
「…………」
すると彼も、しまったというふうに口元を押さえて押し黙るが、やがて観念したかのようにため息を吐き出すと、銀髪をかきむしりながら、
「少々、訳ありでな……頼む、これ以上のことは聞かないでくれ。というか、出来れば先ほどの話も忘れてくれるとありがたい……」
本当に申し訳なさそうに、そして頼み込むように懇願するクサナギを見て、二人は顔を見合わせる。頼み込む彼など、滅多に見ないのだろう、タクトでさえもやや困惑した様子である。
「う、うん。そこまで言うなら別に追及しないけど……」
珍しいものを見た、という表情でクサナギを眺めた後、あっと声をあげて何か思い出し、そして良いことを思いついたのか、同時に手をポンとたたいた。
「それならさ、クサナギ。その、出来れば協議について少し……特に細かいルールについて教えてくれない?」
「……それは構わんが……どうしたのだ? 確か、内容とかは事前に配られる便りに書かれていたはずだが?」
やや首をかしげ、タクトの頭上からふわりと浮きあがると、そのまま宙に浮いたまま彼と視線を合わせる。すると彼は、苦笑を浮かべてすまなさそうに呟いた。
「その便りなんだけど……実は、まだ見てないというか……」
「……タクト、あれ事前に見ておきなさいって言われてたでしょ……」
「うっ……いや、その、色々と忙しかったから……」
レナもあきれた様子でため息をつき、痛いところを突かれたとばかりに表情をひきつらせるが、それでも一応の弁明を試みる。
「それにほら、習うよりも慣れろってセイヤ兄にもよく言われてたし……」
「セイヤさんは関係ないでしょ!」
「ご、ごもっとも……」
が、ものの見事に断ち切られた。口元をひきつらせるタクトを見やり、レナはとことんあきれた表情で溜息を洩らし、
「タクトのことだから、どうせ見るの面倒くさかったんでしょ? 全く、几帳面なんだけど変なところで大ざっぱなんだよね」
やれやれ、と首を振るレナを見やり、タクトは何でわかるんだと言わんばかりに表情をひきつらせる。二人のやり取りを聞いていたクサナギは、再度青春だねぇ~と内心呟いていたりする。
「まぁまぁ、二人とも。それより、あの競技についてだろう? 答えられる範囲で答えてやるぞ」
「本当?」
「ああ」
これぐらいで嘘はつかんさ、と肩を竦め、クサナギは苦笑を浮かべる。
「ま、先ほど言った通り基本は指名制だ。と言っても、事前に参加者を募っておいて、その中から一人ずつ対戦相手を指名するという形だが」
「……それってつまり、指名するのもされるのも参加者だけ……ってことだよね」
「その通りさ。言ってしまえば、参加者同士の競技だな」
タクトが考えつつ呟くそれは、補足に近いか。タクトは飲み込みの良いため、そんなに長々と説明しなくてもよいか。さっき言った”習うよりも慣れろ”の考えを教えたのは私だし。
内心そう思うクサナギ。ちなみに、彼らの父親であり叔父でもある桐生アキラも、若いころの体験ゆえかそう考えている節があったりする。
「むろん審判はついているし、防御結界も張られるから多少きついのをかましても大丈夫だ。ただ、審判がこれ以上は無理だと判断したら試合は終了。それに逆らった場合、もしくは明らかにやりすぎな攻撃を行った場合のみ、懲罰が下される。まぁ、匙加減が大事だな」
「その懲罰も、度合いによって違ってくるからね。軽いものだったら注意される程度で済むかもだけど、場合によっては即失格になる可能性もあるよ」
クサナギの説明にレナの補足が入ってきて、タクトはふむふむと頷いて了承する。防御結界、おそらくそれは中にいる者の安全を守るためのものだろう。二、三度頷き、
「うん、わかった。ありがとうね、二人とも」
「うむ。その競技、見させてもらうとしよう。……ところで、それはいつからなのだ? 先ほどの会話から考えると、少々嫌な予感がしなくもないのだが……」
「心配性だな、全く……」
ははは、と笑顔を見せるタクトだが、隣にいるレナはそうではない。真顔のまま、近くにある時計を見やりーーついで、タクトの制服の裾を軽く引っ張った。
「タクト、急いだほうがいいよ」
「……何で?」
「時間」
タクトが訝しげに尋ね、レナがたった一言を呟くと同時に。校内放送が大きく鳴り響いた。その校内放送を聞き、頭の片隅に眠っていた記憶が呼び起された。いわく、
(競技が始まる十分前には放送が鳴る。その放送が鳴る”前”に、競技参加者は待機場所にいるように)
『フェルアント学園にお越しの皆様にご案内いたします。本日、午前10時より行われる戦闘競技披露会におきましてーー』
「じゃ、僕はこれで!!!」
放送が鳴り、やや硬直していた彼だが、即座に意識をつなぎ合わせたのか、全力で走り出した。瞬く間に遠のいていくタクトの背中を見送り、レナははぁっとため息をつく。
「……少しは落ち着いたらいいのに」
「あれで十分落ち着いていると思うのだがな」
クサナギは、幼馴染のハードルの高さに思わず苦笑を浮かべていた。
「ま、何とか間に合わせるだろう。それよりレナ、会場に案内してくれ」
「うん。………ていうか、クサナギと一緒……?」
頷いた後、状況の危険さに気づいたのか、嫌そうな顔をして一歩身を引く彼女のことを、微妙に傷ついた表情で見やり、
「安心したまえ、食指は動かん」
「今日快晴だよね? 雨……ううん、雪降ったりしないよね……?」
その言葉に、思わずどれだけ信用がないのだ、とぼやいたクサナギだが。即座にレナの突込みが返ってきたのは言うまでもない。