第2話 神霊祭~1~
よく晴れたその日、黒衣を身にまとった青年はフードを目深にかぶり、大観衆に交じって空を見上げていた。ドーン、ドーンと音が鳴り、空に上がった何かが空中で弾け、きれいな光を宙に描き出すーーつまり、花火である。
一つ二つ上がるたびに、周りに集まった人々は歓声を上げて腕を突き出すその様子から、青年は小さく頷くと、思念で精霊と会話をする。
(どうやら、何かの祭りに引っかかっちまったみたいだぜ……)
(お前はそういう面での運は全くないからな……。大丈夫なのか、トレイド? こうも人が多ければ、支障が出ると思うのだが……)
思念で呼びかけてくる相棒ーー神狼の精霊であるザイにはぁっと溜息をつき、その通りだよなとげんなりしつつ頷く。トレイドと呼ばれた青年は、さっとこれから行く予定だった学び舎に目を向け、再度の溜息。
なぜなら、この祭りの主役というか主催は、街のあちらこちらや通行路のはじに建てられた屋台に貼ってあるポスターを見れば、一目瞭然であった。
フェルアント学園ーートレイドがこれから向かおうとしていた学び舎の名前である。そして周りにいる通行人の足取りはすべて、その学び舎に向けられているのだ。どうも、この祭りのメインイベントはそこで行われるのかーーどちらにしろ、トレイドにとってはいい迷惑である。
(こりゃ、手紙送っといて正解だったかな?)
(んなわけあるかっ。逆に警戒されるだろう!!)
頭をポリポリかきつつ、そんなすっとぼけたことを平然と言ってのけるトレイドに吠える。実際、手紙のせいで学園のほうでもとある会員や教師たちが、警戒態勢マックスで見回りしていたりするなど、”忍び込む”にはやや困難な状態になっている。
だいたい、忍び込むというのに、あらかじめ手紙を送るというのはいったいどのような心境ゆえなのか。ザイとしてはそのへんを詳しく聞きたいところである。
だが、トレイドとしては以前の癖なのか、それともポリシーなのか。おそらくその両方だろうな、と呆れていたりするが、時たまに彼が言う言葉に言葉を失う時がある。ーー今回のように。
(こんなに人が大勢いたら、逆に気づかれにくいだろう。忍び込む際に一番重要なのは気づかれないようにすることだし。気配を消すのには慣れているよ)
(………)
思わず言葉を失うザイ。確かに彼の言う通り、過密状態だと中々気づかれなかったりするのだがーーそれは少々楽観的すぎないか、と思う反面、確かにと納得してしまいそうになる自分がいる。
(……もう好きにしろ)
もはやトレイドと言葉を交わす気が失せたのか、ザイはげんなりとした声音で言い放ち、思念を中断した。
(おう、好きにさせてもらうぜ)
口元に笑みを浮かべ、気安くそう言ってのけた彼は、ひとまず用を済ますために近場の屋台へと足を伸ばす。軽食を買い、屋台からあるものを買った後、トレイドは食べ歩きながら学び舎へと歩き出した。何度かこのフェルアントには来たことがあったし、なにより八か月前にはこの近くの森に一晩泊まっていたりする。だから、学園へと向かうその足取りに迷いはなかった。
ーー八か月前、かーー
そんなはずはないのに、なぜか懐かしさがこみあげてきて、トレイドは苦笑した。
~~~~~
一方そのころ、学園内ではお祭り騒ぎーーを通り越し、一種の戦場と化していた。それもそのはず、三年に一度のお祭りゆえ、生徒たちはもちろん、市街地からやってくるお客さんたちもこの祭りを楽しみにしているのだ。
「……なんで文化祭の時に、野郎と一緒に見回りしなきゃいけないんだよ……」
「悪かったな、野郎で」
はぁっとげんなりし、露骨にため息を漏らすマモルを、アイギットは一睨みして牽制する。ちなみに彼の言う見回りというのは、生徒会役員という立場上きちんとクラス内での出し物が出されているかという確認もあるが、今回に限ってはそれに加えて厄介なことが付け加えられていたりする。
それはともあれ、アイギットの睨みを余裕の表情で無視。肩をすくめる彼は、ふっと視線を遠くに向けて、
「あいつ呼びたいけど……ここは異世界だからな~。……呼べないよな……」
と、一人うわ言のようなことを口にする。一見何を言っているのか見当がつかないが、そのやや上ずった声音と遠くとみるような視線で察しがついた。
今の彼は、遠くを見るような眼ではなく、別の意味で遠くを見ていたのだ。――異世界という、遠い場所を。
マモルが彼女持ちだということを知り、そして彼が言っているのはその女性のことだと感づいたアイギットは、目を細めて一言ぽつりと呟いた。
「……ばくはつ、しろ」
どこの世界でも、彼女持ちの男子は阻害され、軽蔑されるべき存在なのだ、異論は認めないーーとは、アイギットのこの一瞬で思ったことである。やや過激だが、彼がそう思ってしまうのも無理はない。
何故にこんなところで、惚気話など聞かされなきゃいけないのかーーそう考えると、彼の心情にも察しが付く。目を細めて苛立ちを素直に表す彼に、気づいているのかいないのか、彼の惚気話はヒートアップしていく。
「……そうだ、何か土産でも買って……」
「行くぞ、リア充」
どこで覚えたその言葉、とマモルが突っ込むことはなく。アイギットは半ばマモルを引きずるようにして見回りに専念することにしたのだ。――そのさい、わざとらしく壁にぶつけさせたのはご愛嬌としたい。
「……ん?」
三度ほど壁に衝突させてようやく正気に戻したマモルと神霊祭を見回っていると、ふとアイギットはかすかな違和感を覚えてその場で立ち止まる。すると、マモルは不思議そうな表情を浮かべて立ち止まったアイギットを振り返る。
「おい、どうした?」
「………いや、今一瞬なんか変な感じがした」
しばらく周囲をきょろきょろと見回していたが、やがて何もないことを確認したかのように肩をすくめてマモルと立ち並ぶ。
「きっと気のせいだ。わるい、時間とらせたな」
「いや、気にすんな。……まぁ、あんな手紙が来たから少し神経質になっているだけだろ?」
あんな手紙、というのは昨日届いた脅迫状――ぽい奴のことである。内容を読ませてもらったが、何度読んでも脅迫状“ぽい”奴なのだ。いったい送り主は何を考えているのだろうか。
マモルの言葉に、アイギットは力なく頷いて答えた。
「そうだな……全く、めんどくさいことをしてくれたもんだよ」
呆れたような口調で言いつつも、時折視線が周囲の喧騒に向けられるところを見ると、はやりまだどこかが気になる様子である。しばしキョロキョロと視線をさまよわせる彼を見やり、マモルは大きくため息をついて踵を返した。
「お、おい?」
「気になるんだろ? それだったら、行ってみようぜ。なるべく、厄介ごとの種は大きくなる前に潰しておいたほうが良いからな」
目を丸くするアイギットをよそに、マモルは肩をすくめながらずんずんともと来た道ーーつまりアイギットが視線を向けていた方向へと戻っていく。そんな彼を呆気にとられながら見やり、しばらく呆然としていたが、やがて苦笑いを浮かべると彼と肩を合わせ、歩き始めた。
「悪いな」
「気にすることのほどでもねぇだろ」
肩を竦め、周りの喧騒をものともせずに、彼は歩いて行った。
ーーだが幸か不幸か、このときアイギットが感じた嫌なものは、確かにその場にいたのである。しかもちょうど、まるで二人に対する挑戦のように、”すぐそばを通り過ぎていったのだ”。
ーー黒髪の青年が。
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「………」
眼鏡をかけた少年ーーいや、実年齢はもう18歳なので、その言葉には当てはまらないかもしれないが、少なくとも見た目はそう見える。何せ平均よりもやや低い身長の上、童顔なのだ。ともかく、少年風の青年は、あたりの喧騒を耳に聞きながら、一人頭を抱えていた。
「うわぁ、おいしいぃッ!! ねぇねぇ、フォーマ先輩ッ! これ美味しいですよ! いけますよ、絶対っ!!」
「いや、遠慮しておくよ……」
どこか疲れた風に、同行者が差し出す、串焼きっぽいものを片手で拒否してから彼はため息をついた。フォーマと呼ばれた青年は、この学園の生徒会長に任命されていた。
前会長であるギリ・マークの後をついで会長に任命されたフォーマは、ある場所で見回りをしている男二人と同様、見回りをしている最中なのである。
というのも、「この準備期間によく働いたご褒美として、神霊祭を好きなように見回っておいで」という、教師たちからのありがたい申し出(楽しんでおいで、ではないのが少々泣けるが)に、素直に受け取ろうとした矢先に、それにもう一つと、あることを付け加えられたのだ。
いわく、「神霊祭の間に侵入者が入ってくる可能性がある。それに少し警戒しておいてくれ」とのことだった。
それは別に構いやしない。そう、構いやしない、のだが。
「ねぇねぇ、フォーマ先輩! あっち面白そうだよ!」
肩をつつきながらあるクラスを指さす同行者ーーやや浅黒い肌に紫の長髪を二か所でまとめた少女が、目をキラキラさせているのを見て、ガクッと肩がずり落ちる。すかさず、首を振りながら彼女の行いをいさめようと口を開いた。
「あのな、コルダ。僕たちは今、学園の見回りをしているんだぞ。なのに何で遊んでいるんだ」
「もぉー、頭固いなぁ、先輩は! せっかくの神霊祭、こういうところで楽しまなきゃ、いつ楽しめるんですか」
ぷー、と頬を膨らませてそう反論するのは、コルダ・モラン。こちらもフォーマと同様背が低く、やや童顔の気があるが、それをさしい引いてもさらに幼く見える。というのも、この天真爛漫な性格ゆえだ。
とはいえ、それはとある理由により、彼女本来の性格は半ば封印されているからなのだそうだ。あの洞窟で起こった事件以来、彼女も詳しくは語らないのでよくはわからなかったが。
今の生徒会のメンバーで、その事情について多少は知っていそうなのは、レナとアイギットの二人だろう、彼らはコルダの説明を聞き、やや表情を曇らせていたのは気になったが。二人に聞いても、よくわからないと首を振るだけだった。
「そ・れ・に! 先生方も言ってたじゃないですか! 楽しんで来いって!」
「いや、言ってない言ってない。見回ってこいとは言ってたけど」
力説するコルダに、ぶんぶんぶんと首を振って否定。流石にこの二、三か月で彼女の扱いに慣れてきたと見える。ともかく、彼女のことはいったん放っておいて、フォーマは視線を喧騒の中へと向けた。
学園の外からもたくさんの人が集まってきて、廊下は人であふれている。本来この学園はかなり広いはずなのだが、今やその人口密度は極端に跳ね上がっていることだろう。
今二人がいるこの場所は、比較的大丈夫だが、人気のある出し物をやっている所などは、人がぎゅうぎゅう詰めの状態になっていることもあるだろう。ちなみに人気の出し物というのは、この学園の名物ともいえる、古来に起こったとされる戦いをお芝居に直した劇。それから第二アリーナで行われる生徒同士による戦闘競技である。
二つ目は、いかにもあの人好みの出し物であり、これを楽しみにしている人も多いそうだが、劇のほうもそれに負けず劣らずな人気があるのだ。
何せ大昔の大戦。かの”精霊王”と外魔(化け物)共との戦いを演目にしたのである。元々、神霊祭はその大戦に見事勝利した精霊王を奉る祭り、という側面がある。ちなみに神霊祭が三年周期なのは、その大戦の年数がちょうど三年間だったことに由来するという。
ちなみに演劇とともに行われる戦闘競技も、大昔は次代の精霊王を決める制定の場だったそうな。ただ、今となってはもう遊戯と化してしまっているのは時の流れなのだから物悲しい。
ともあれ、こうやって普通に神霊祭を開き、その内容は同じとしても意味合いが大きく異なったのは、平和が長続きしたからだろう、とどこか遠い目でフォーマは考える。
「ねぇねぇ、先輩! あっち何か面白そうですよ!」
ーーその考えは、もしかしたら現実逃避かもしれなかったが。
「………おや?」
ふと、そんな呟きが耳に入ってきた。だが、ここは喧騒が渦巻く神霊祭、その会場のど真ん中だ。そんな呟きが耳に入ってきたのは、間違いなく奇跡といえる。
これも神様のお導きか、と思いそちらを振り返りーーフォーマは言葉を失った。振り返った時に、視界に入ってきた人物の顔を、よく知っていたからである。
「……あなたは……」
呆然とするフォーマは、じっとその人物を見続ける。やがて、その人物も彼の様子に気が付いたのだろう、首をかしげながら近寄ってきた。
「……君……もしかして……」
黒髪に、やや白いものが入り混じってきた壮年の男。フェルアントでは知らぬ者はいないというほどの有名人であり、地球支部の支部長でもあり、そして後輩の叔父でもあるその男の名を。
「……アキラ、さん?」
桐生アキラの名を、フォーマはそっと口にした。すると、アキラもしばし思案顔だったが、やがてフォーマの顔を思い出したのか、ぱっと瞳を見開いて一つ頷いた。
「そうか、君か、フォーマ君。ずいぶん久しぶりだね」
そういって、表情をほころばせるなりすっと右手を差し出してきた。名を呼ばれたフォーマは、軽く目を見張るなりその右手をがっしりと掴んだ。
「……お久しぶりです、アキラさん。……覚えていてくれたんですね」
「いや、恥ずかしいことだが、君の顔をまじまじと見てようやく思い出したよ」
やや感情の薄いところがあるフォーマだが、この時ばかりは喜びをあらわにさせてそう口を開く。対するアキラは、頭をかきながら苦笑いを一つ浮かべて、
「あの時の”フェル・ア・チルドレン”が、こんなに大きくなったとはね……。正直、私は嬉しいよ」
「……ありがとうございます」
”フェル・ア・チルドレン”。固有名詞であるその言葉が出た途端、ピクリとフォーマの頬がかすかに動く。だが、本人は持ち前の感情の薄さを利用してうまく隠したようだが、伊達に年は取っていない。アキラは彼の様子から、まだ完全に乗り切れてはいないのを理解し、後悔した。
(……やはり、名を出すのは軽率だったか……)
つい懐かしさが勝り、その名を口にしてしまったが、己の至らなさに憤りを感じて押し黙る。それもそうだろう、何せすぐ近くにいるーー甥の幼馴染の一人が、まさにそれであり。さらに言えば彼女でさえも乗り切れてはいないのだ。
もっとも、彼女の場合はそのことで起こった事件についてを未だに悔んでいるようだが……。
両者の間に流れる僅かな沈黙。それを拭い去ってくれたのは、アキラの同行者たちからの声だった。
「あ、いたいた。何してるのよ、こんなところで」
「あら、あなたは確か……」
「む~、アキラ、私は暇だ…………おろ? そこの少年、君は確か……」
額に小皺が刻まれ始めているが、どこか溌剌とした印象を与える女性が、車いすを押しながらアキラに近づいてきた。その女性には見覚えはなかったが、彼女が押す車いすに乗った黒髪の、見た目まだ二十歳になったばかりの女性、そしてその女性の肩に乗って頬杖をつく全長三十センチ程度の、全身白一色の男には見覚えがあった。
そして、その二人には見覚えがあった通り、あちらも自分のことを覚えていてくれたらしい。不意を突かれた、懐かしい者たちとの再会に、思わず涙ぐみそうになってしまう。それを何とかこらえて、彼は唇を動かした。
「お久しぶりです。風菜さん、クサナギさん。……そして、そちらの人は……?」
名を呼ぶと、車いすに乗った優しげな顔立ちをした風菜はにこりと笑って会釈をし、クサナギはにやりと笑みを浮かべただけにとどめた。そしてフォーマは、見ず知らずの女性ーーおそらく、桐生家の身内だろうと思うその人に問いかけると、
「あぁ、私、桐生未花といいます。この人の、一応妻です」
「……家内、ですか!?」
目を見開いて驚くフォーマをよそに、美花と名乗る妻ははいとにこやかに頷き、一方アキラはどこか照れたように咳払いを二つほどした。
「おほん。……ともあれ、久しぶりの再会を喜びたいところだ。フォーマ君、少し時間を取らせてもいいかな?」
「あ、はい……って言いたいのは山々なんですけど……。すみません、今生徒会の仕事がありまして」
「そうか、それは残念だ。では、終わったら後で会いに行ってもいいかな?」
「ありがとうございます。じゃあ……神霊祭が終わったら、生徒会室にまででも……」
「了解した」
にこやかに言い切ると、アキラは踵を返してどこかへと立ち去っていく。それに伴い、妻である未花はフォーマに向かって笑いかけ、風菜も手を振って笑いかけてくれ、彼女に押されてアキラの後を追い始める。
「……嵐のような人だったな」
三人が去って行った方向を眺め、思わずそう呟いた。一応顔が割れているはずなのに、英雄であるアキラのことを誰も呼び止めないのだから驚きだ。いったい、どんな手品を使っているのやら。
「……そういえば、コルダは?」
と、そういえばいつの間にか消えている相方を思い出し、フォーマは周囲をきょろきょろと見渡してみる。あれ、どこに行ったんだろう、と思った矢先に。
『ふむふむ、このクラスの女子たちは少々貧相だなぁ~。もう少し成長した姿が………ぐふッ!!?』
『きゃーーーーーーー!!!』
「失礼しました~~~~」
黄色い悲鳴が女子更衣室の一角から飛び出し、そこから三十センチほどの小さな人影が、気絶させられ、引きずりながら飛び出すコルダが目に入った。
その姿を見て、思わずお疲れ様と口に出しそうになった。