第1話 秘めたる思い~3~
中段に自らの証である刀を構えたまま、桐生タクトはじっと相手を見やっていた。この模擬戦の対戦相手であるミューナ・アスベルとは、やはり何度思い返してもこれが初対面である。
憎しみやら恨みやら怒りやらをぶつけられる覚えはもちろんないし、そもそも何故彼女がそんな感情を抱いているのかさえ見当が付かないのだ。あるとすれば、(理不尽なことだと思うが)自分のことが気にくわない、というところか。
しかし、学年も違う上にこれまでなんら接点がない自分のことを嫌う理由にしては、やや弱い気がする。去年一度やり合ったアイギットも、元は同じクラスという接点があったからこそなのだ。
「それではーー始めッ!」
内心首を傾げるタクトをよそに、審査役であるシュリアが鋭い声音で開始の合図を告げる。
対戦相手であるミューナを除いたそのほかの一年生達は、やや離れた所から座ったり立ったりしつつ、思い思いの様子で観戦している。しかしタクトには、彼等の方へ注意を向ける事をせず、ただひたすらミューナを見やっていた。
考えようによっては、シュリアの強引な授業体勢故に、こうして彼女と一戦交あわせる機会が出来たのだ。そう、語り合うことが出来ないのなら、せめて模擬戦を通じて語り合おう。
証は、その人物が最も扱いやすい、もしくは扱う才能がある形状を取る。彼女の証は両の手に装着された籠手。少女ながらもボーイッシュな見かけ通りの獲物である。
「……行きます」
全体的にやや左半身になり、右の手を腰だめに構え、左手を前に出した特徴ある構えを取った彼女は、こちらに届くぎりぎりの音量でそう呟き、ぐっと右の拳を握りしめた。
「………っ!?」
タクトはそれに対し無言で頷きーー突撃してきた彼女のスピードに思わず目を見張った。
流石にタクトが扱う剣術、霊印流の歩法である瞬歩ほどの早さではなかったが、それに近しいスピードで突っ込んでくる。そして、その突撃の勢いを余さずのせた右ストレート。
「くっ……!」
その一撃に対し、彼は体を左側ーーミューナから見れば右側ーーへと踏み込むことで躱す。その際、動きやすさを重視した学園の運動用の制服がチリッと音を立て、右脇をかすめた。はためいた衣服が彼女の必殺の拳に巻きこまれたことからも、その一撃の速さと重さが窺える。
ミューナの左拳による追撃を逃れるために、彼女の右側へと逃れたのが効をそし、驚きに瞳を見開く彼女をよそにすれ違いざま刀を振り切った。その一撃は彼女の腹部へと迷うことなく吸い込まれていき。
「ふっ!?」
「………っ!!?」
ミューナが鋭く息を吐いたと思ったら、目を疑うような光景が目に入ってきた。拳を突き出した勢いをそのままに、ちょうど、高飛びの要領で彼女はそのまま前方へと身を投げ出した。
振るわれる刃の上を、体をひねりながら大きくそらし、背を地面に向けながら通り過ぎていった。何という反射神経と動体視力、そして体の柔らかさだろうか。いや、何よりもすごいのは、拳を突き出した体勢からの、不可能ではないかと思えるほどの見事な姿勢の変更。
まるで曲芸師のようなそれに思わず呆然とし、タクトは刀を振りきった姿勢で固まり、対するミューナは地面に手から着地するとそのまま見事なバク転を決め、タクトと距離を取る。
胸中、あり得ないと叫ぶタクトの目の前でミューナはビシッと再び先ほどの構えを取った。タクトもそれに気付き、背後を振り向いて片手で刀を構えーーようとしたところで、瞬歩を用いて大きく後退。
振り向きかけたそのときに、ぎりぎり視界に入ったのが、背を向けたままの自分に何のためらいもなく拳を打ち込もうとする彼女の姿。その勢いやためらいのなさからも、彼女がタクトに良い感情を抱いていない証拠であった。
距離を取ってその一撃をかわし、再び二人は対峙する。彼女の曲芸師じみた行動によってか、見物していた生徒達は一瞬ポカンと固まり、次いでおぉぉっという称賛の声が響き渡った。それだけ、彼女の動きは凄まじかったのだ。
「っ……」
対するタクトは、やや表情を険しくさせて刀を握る手に力を込める。先輩だから、という意地もなくはないのだが、もうそのことを気にしている余裕はなさそうだった。
「君、中々やるね」
「……ありがとうございます」
やや表情筋が堅くなっていたが、何とか称賛の声を出すことは出来た。するとミューナは、例の構えをとながら軽く頭を下げ、しかし視線は向けたまま。相変わらずの瞳の色である。
(……?)
しかし、それにタクトは少々違和感を感じ取った。彼女の今の声は、どこか虚ろで、何かが抜けたような質感。虚構、と言っても良い。なのに、彼女の瞳に宿るのは、明確な憎しみ、妬みという負の感情。
ーー何か、矛盾してはいないか?
何もないのに、何かがある。そんな怪しげな違和感をタクトは感じ取り、背筋に一筋嫌な汗が流れていくのがありありとわかった。自ずと、刀を握る手に力が入る。
「………?」
そんなタクトの変化を、シュリアは見逃さなかった。僅かに目を細めるが、それは続く彼の言葉が遮った。彼は、まるで身のうちに潜む恐れに立ち向かうかのように、静かな口調で言う。
「まだ余裕がありそうだね……なら、こっちも”本気”で行かせてもらうよ」
「っ!? 桐生、待て!」
彼の言う本気。それが何を指すのかを察したシュリアは、慌てて制止するかのように声を上げる。だが、対するミューナは首を振って彼女に抗議した。
「先生、私なら大丈夫です。……先輩、どうぞ」
「だが……」
「シュリア先生。ほら、彼女も言ってるんだし」
彼女の抗議に乗っかる形で、タクトも便乗する。あからさまな非難をのせた視線がタクトを襲うが、それを気にせず、小さく確かに頷いて見せた。シュリアは微かに眉根を寄せたが、最終的にはぁっと息を吐き出しながら頷く。
「わかった……良かろう」
「ありがとうございます。……霊印流壱之太刀ーー爪魔」
許可を出してくれた彼女に礼を言ってから、タクトは正眼に構えた刀に意識を集中させる。すると、刀を覆うようにして半透明の光が集い始めた。
「……純粋魔力……」
その半透明の光ーー魔力の輝きを見て、ミューナは断言する。正確な分析ににやりと微笑みを浮かべ、タクトはさらに口を開く。
「精霊使いなのに何で、と思うかも知れないね……。でも、僕にはこれしか出来ないんだ」
「……”これしか”?」
「そう。普通なら属性変化術を使うんだけど……僕には使えないからさ」
疑問を口にするミューナに、タクトはさらに続け。その言葉でようやく真意を悟ったのか、彼女は瞳をやや見開いた。
「……不反応症……っ!」
「そのとおりだよ。僕は純粋魔力しか使えない、いわば落ちこぼれの精霊使いさ……。でもね、純粋魔力は扱いづらいけれど、それを補うある特徴があるんだよ。それは……」
少々自虐的に言い、口元に皮肉的な笑みを浮かべるタクト。しかし、それとは裏腹に正眼に構えた刀を覆う光は次第に強まっていき、それが頂点に達したその瞬間。
「”物理破壊力が高い”ってこと、っさ!」
言葉の尾びれを宙に残し、彼は瞬歩を発動させて一気に前方へと躍り出た。魔力を纏った爪魔の威力は並みではない。法陣を使った程度の防御では、それを破壊させてしまうことからも、彼の言葉が正しいことを証明していた。
「……」
だが、そのことを知らないーーもしくは、自分なら防げると思っているのか、ミューナはじっと彼の太刀筋を見やり、掌を伸ばし、そこに法陣を展開、タクトが振るう爪魔を真っ向から受け止めた。
「っ!? くっ……」
受け止め、そこでようやく爪魔の重さを理解したのか、彼女はここで初めて呻き声を上げる。表情を歪め、必死の様子で受け止めることからも、彼女に余裕がないことを明確に表していた。
法陣は、タクトの爪魔に押し負けるかのようにギシギシと軋む音を立てている。いや、実際に押し負けそうなのだ。数秒にも満たない間、受け止めていた法陣はやがて音を立てて儚く砕け散った。
そのときにはもう、タクトも流れるような動作で前方へと踏み込み、ミューナの懐へ潜り込む。至近距離で視線を交合わせた彼女は、憎々しげに表情を苛立たせた。
その様子を、どこか悲しそうな目で見やりながら、タクトは上段から袈裟に振り下ろした刀を、そのまま返す。すると彼女は反射的に迎撃しようとし、そこで体が急制動をかけた。
タクトの刀にはまだ魔力が纏っている。つまり、爪魔は継続中なのだ。それを、何の強化もなされていない籠手などで迎撃できるわけがないことを、先ほどの一撃を受け止めたが故に自ずと悟ったのだ。
急制動をかけ、体がぎこちなく固まるーーそれこそが、彼女の一番の”悪手”であった。ここはあえてタクトの爪魔を受け止め、持ち前の身の軽さを使い自分から後方へと吹き飛べば良かったのだ。片腕に痺れが走るだろうが、ここで彼の重い一撃を食らうよりはマシだろう。それに気付かなかったのは、彼女の経験不足故だろうか。
どちらにしろ、ここで止まってしまってはもう勝負は付いたも同然だった。下段から襲いかかる爪魔は、ミューナの体へと吸い込まれていく。
勝利を確信したのか、タクトの表情が僅かに緩んだ。ーーだから、なのだろうか。次の瞬間起こった出来事に、即座に対応できなかったのは。
タクトの放った爪魔が、ミューナの体に触れた瞬間。パキィンッと儚い音を立てて、先ほどの法陣のように爪魔が、”彼の魔力が”砕け散る。
ーーえっ?
突如起こったその事に、彼は目を見開いてただ驚きを露わにすることしか出来なかった。覆っていた魔力が消えた刀は、そのまま彼女の体にたたき込まれる。
「っ……!」
安全対策として刃引きがされていたとはいえ、刀を叩き付けられるのは、いわば鉄棒でぶん殴られるほどの痛みが走ったはずである。なのに彼女は、微かに表情を歪めただけでその痛みに耐えて見せ、お返しとばかりの右ストレートをタクトの顔にたたき込んだ。
「がっ……!」
痛みと驚きに、今度はタクトの体が硬直する。呻き声を上げて蹈鞴を踏み、動きを止めた彼の鳩尾を、一歩踏み込んだミューナの右肘が強打した。急所を強くやられた痛みによって息が詰まり、全身の力が抜け握っていた刀を取り落とす。
状態がぐらりと傾き、背中から倒れ始めるーーその瞬間。
ぐっと左手を握りしめ、拳に魔力を纏わせた。光に包まれたそれを見て、今度はミューナがハッとしたように一歩後退する。しかし、タクトの拳が一歩早かった。
まるで見えざる手に押されたかのように、彼の拳が猛スピードで突き出され、その勢いで倒れかけていた体勢を元に戻した。それだけに留まらず、今度は体の前方に置いたミューナの左手にぶち当たり、彼女を大きく後退させる。
距離を取った彼女は、じんじんと痛む左手首を押さえ、あり得ないと叫びたいのをこらえている面持ちで、タクトのことを眺めていた。大きく目を見開いた彼女に向かって、鳩を押さえつつ口元に笑みを浮かべる。
普通ならあり得ないことである。先ほどタクトが放った、猛スピードの左ストレート。体勢が後ろに崩れた状態で、早さのあるーー早すぎるだけでなく、小柄な女の子とは言え人一人吹き飛ばすほどの威力のある拳を放ったのだ。ミューナの反応も、周囲で騒然としているギャラリーの反応も当然と言えよう。
「霊印流参之太刀、瞬牙ーー便利だね、やっぱり」
体勢を元に戻し、左拳をギュッと握りしめるタクトは、一人そう呟いた。そう、先ほどの猛スピードによる打撃は、瞬牙の恩恵なのだ。
瞬牙の特徴は、やはり早さだろう。ならば、その早さを生み出す原因は何なのだろうか。
答えは単純であり、しかし実行に移すにはとてつもなく困難であった。
刃の反対側ーー刀で言えば峰の部分ーーから、魔力を”噴出”させ、それを利用して爆発的な加速を生み出しているのである。あたかも、火を噴いたロケットのように。
口で言うのは簡単である。だが、先ほど言った通り実行に移すのは難しいのだ。単発ならまだしも、タクトが行うような数十連にも及ぶ斬撃となるとなおさらだ。剣撃の軌道を変える際、噴出する魔力の軌道を変えなければならず、それがままならないと技の勢いに体を持って行かれる、もしくは手から武器が抜けるということさえ起こるのだ。
しかも精霊使いには、純粋魔力の扱いが不得手である、という欠点がある。魔力を纏わせる、魔力を吹き飛ばすといった、多少豪快でもまねすることが出来る爪魔や飛刃と比べると、瞬牙は純粋魔力の繊細なコントロールが要求され、その困難さは劇的に上昇する。
それを、彼は使い慣れた刀ではなく拳で行って見せたのだ。この場合は、肘のあたりから魔力を吹き出させる感じだろうか。技の余勢で姿勢を正した彼は、キッと対戦相手に目をやった。
「……今、何をしたんです?」
すると彼女の方も瞳を大きく見開き、左手を押さえながら厳しい目つきでこちらを睨んでいる。ミューナは、擦れた声音でそう聞いてき、しかしタクトはそれに応えることなく、肩をすくめるにとどめた。
「僕としては、さっきの現象について聞きたいね。……どうやって、魔力を消滅させたの?」
「? ……何を言っているんですか?」
彼女の問いかけに問いで返すと、ミューナは眉根を寄せてそう返してきた。タクトは帰ってきたその応えに、思わず言葉を詰まらせる。
「えっ……? だって君、さっき……。ううん、何でもない……」
なおも不思議そうな表情を浮かべる彼女に、タクトは問いかけそうになり、しかし首を振って中断した。それは、彼女のその表情を見て悟ったのである。
ミューナの表情には、こちらを騙そうとする意思はなく、また本心からタクトの問いかけに意味がわからない、といったものなのだ。だから彼は、それ以上問いかけるのをやめたのだ。
しかし、偶然の一言で片付けるには無理がある現象だったのもまた事実なのだ。さきほどの、ミューナの体に吸い込まれるようにして振るわれた爪魔が、彼女の体に触れる直前に”砕けた”ということは。
さらにタクトには、その現象に類似したことを半年以上も前に、実際に体験していたりするのだ。魔力が砕けるーーいわゆる、魔力の”硬化現象”を。
頭の中に全身を黒い甲冑で固め、右手に名剣を持った一人の男の姿が浮かび上がったが、それをすぐに振り払った。
地面に落ちたままだった刀を拾い上げ、両手でしっかりと握り、構える。そんなタクトに、ミューナもハッとしたように構え直した。そしてその唇がほんの僅かに動き、次の瞬間彼女の両拳に風が纏い始める。
属性変化術、風。魔力を風に変化させ、変化させた風を回転させながら拳に纏わせたという、それだけの単純な物だが、彼女のような格闘型ならば、少々話は違ってくる。両拳で吹き荒れる風は、その遠心力によって彼女の打撃の威力を高め、さらに法陣などで受け止めよう物なら、回転する風によってガリガリと防御が削られていく。
自身の特性などを良く考えた良い戦術である。戦い方がこれしかなかった、という自分と比べると正直羨ましい限りである。
「……行きましょう」
彼女のほうはこれで決着を付けるつもりなのか、すっと細めた瞳でタクトをひたすら見つめ続けてくる。対するタクトも、彼女の意思をくみ取り、神経を集中させて刀に魔力を纏わせた。
もう周囲の喧噪などは耳に入っては来ない。そんな中、彼の頭の中に浮かんだ思考はたった一つのことだけだった。
ーー君は、何をそんなに憎んでいるんだい?
口に出さない問いかけは、もちろん彼女に届くはずがない。彼はこの模擬戦を通して、何一つわからなかった。それだけではない。さらにもう一つ、大きな謎が浮かび上がりさえしたのだ。
なのだが、その問いかけは自然と頭に浮かび上がってきた。それは、彼が心の奥底でミューナの心に潜むそれを僅かながら感じたからなのだろうか。
ーー何をそんなに怒っているんだい?
問いかけが通じることはなくーー彼女が一気に飛び出した。自分に向かって来るミューナを、どこか人ごとのように眺めつつも、タクトも間合いにいる直前で動いた。
「ーー爪魔・瞬ーー」
中段に構えた刀をほんの僅か持ち上げ、爪魔と瞬牙、二つを合わせた重ね太刀は、凄まじいスピードで振り下ろされた。刀の峰から魔力が噴出され、爆発的な加速を得たそれは、ミューナへと吸い込まれーーしかしその一撃は、彼女の風を纏った一撃と真っ向からぶつかり合った。
「っ!」
「くっ!」
二人は僅かに息を漏らしながら、技の均衡を確認する。彼女が打ち出した拳も早く、しかも威力のあるそれと均衡し、やがて二つは互いの軌道を変えながら通り過ぎた。
爪魔・瞬はミューナの右側へとそれ。
風を纏った一撃は、同じくタクトの右へとそれた。
「ーー残ッ!」
「っ!?」
しかし、タクトはそこで終わらなかった。返す刀でもう一太刀ミューナへと向けて振るい上げる。二段構えの攻撃、と彼女は思い、迎撃しようと向きを変える。しかしそれは出来なかった。
残、胆略せずにいるのならば、霊印流伍之太刀、残刃。太刀を五つに”分裂”させる太刀である。それを重ねたと言うことはすなわち。
「なっ!!?」
今度こそ、ミューナは驚愕の声を上げた。振り上げられる刀の軌跡が、魔力によって四つに分裂、刀本体の斬撃も合わせると五つに変化した、その光景にどもぎを抜かれたが故である。
反射的に拳を前に持っていき耐えようとしたが、間に合わなかった。何せ、五つの斬撃は皆、”瞬牙と同速”で向かってきたのだから。
自身を襲う、高い破壊力を持った五つの斬撃を当時に浴び、ミューナは吹き飛ばされた。地面にしたたかに打ち付けられたときにはもう、視界が暗くなり始めていた。
「……これで、終わりだよ」
タクトの涼やかで、どこか悲しそうな声が聞こえたと思ったときには、彼女はそのまま目を閉ざしていた。