第30話 神の力~4~
森の奥に隠されていた巨大な岩石の下。そこを根城にしていたエンプリッターの生き残りの男と、フェルアント本部本部長である男は、地下トンネルの奥深く、巨大な門があるその場所にいた。
法陣を展開させ、そこに映させた外の景色を見ていた本部長であるグラッサは、しばしそれを眺めーーやがて、ため息混じりに法陣を消した。その様子を見た生き残りである男は、にやりと笑いながら口を開く。
「その様子じゃ、あんたの息子がここに入ってきたみたいだな?」
「……なぜ分かった」
「勘だよ、勘」
軽く驚きを露わにさせてグラッサが問いかけるが、それにも口の端をつり上げたふてぶてしい笑みを浮かべつつ男は言う。しばし問いかける言葉を探すように視線を右往左往していたが、やがてグラッサは再びため息をついて、そうかとだけ応えた。
「で、あんたはその息子とは仲が良くなさそうだな?」
視線の奥に、こちらの方を探るような色合いが見えるのは、決して見間違いなのではあるまい。ここ最近では、もはや痛みがなくなったことなどないほど、頭痛が続いて来たが、その痛みが若干増したような気がしてきた。無意識のうちに頭を押さえ、絞り出すようにして言う。
「何が聞きたいんだ、ルージル」
「いや? ただ、面白そうだなぁと」
興味本位で聞いてきたのか。ルージルと呼ばれた、エンプリッターの生き残りの男は、クックックと喉の奥で笑いながら口を開いた。
「それに言うだろう、他人の不幸は蜜の味、ってな?」
「……貴様」
ふてぶてしい笑みを、下卑た笑みを変えながら言ったルージルの言葉に、少しばかり怒気を見せるグラッサ。その細められた瞳の奥には、明らかな怒りと殺意がにじみ出ていた。その視線を受け、つかの間気圧されたようにきょとんとしたルージルだが、すぐさま怒りの形相を見せてグラッサを睨む。
「……おい、何だよその目は。やるならやるぞ。今の俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「………」
己の力を誇示した、傲慢な発言を受け、グラッサは怒りを忘れ、目の前の男を哀れむような目で見ていた。
ーーこれが、力を得た弊害か。かつて思ったことを、もう一度思い出す。その言葉は、今まさにこの男にピッタリの言葉ではないだろうか。
神器などという強すぎる力を得て、それを過信し慢心した結果が、今の彼の状態なのだろう。傲慢となり、その心が醜くなってもそれに気付かず、己が1番なのだと永遠に信じ続ける哀れな男。そしてそうなったのは、アニュラスを手にしたのが明らかな原因だった。
『ーー神器は……いや、理は、本来人の手に渡ってはいけない物なのだ。あれは、個人が持つには大きすぎる力。心弱き者が持てば……いや、心強き者でも、強すぎる力を持てば、いつか必ず破綻する。……それが、人の性なのだ』
昔、もう15年前になるのか、フェルアントの改革時に、非道な行いをする当時の本部に反旗を翻した二人の精霊使いーーのちに、英雄と呼ばれる彼等の片方が、賛同する同士達に呼びかけた言葉だ。
彼には、圧倒的なカリスマ性があった。年の割にひどく老成した彼の言葉は、自然と人の耳を傾ける謎の力が宿っていたのだ。そして当時、改革派に加わった自分は、周囲の者と同様、彼を崇拝していた。だから、彼の力に対する価値観を知っている。
圧倒的な力を持っていても、いや、持っているからこそ、無闇に使うべきではない。それが、彼の自論であった。
いずれにせよ、まさにあの時彼が言った言葉が、目の前で証明されるとは思ってもいなかったため、不思議な感慨を抱きつつ、グラッサは無表情な瞳でルージルを眺めていた。
アニュラスがこの男の手に渡ったのは、グラッサの指示ではなく、全くの偶然であった。それどころか、彼の存在を知ったのは、数ヶ月前のフェルアントが襲撃されたときなのである。ルージルが暴走し、転移したと言うことをアンネルからの報告で知った際、この計画を思いついたのだ。
計画と言っても、それはこの男を利用することに他ならない。何せ、彼が目指す物はこの男とはーーいや、エンプリッターとは決して交じ合わないのだから。
旧フェルアント体勢の復活、つまり、精霊使いこそが全世界の支配者であるというくだらない理想を叶えさせる気はさらさらない。それだと、何故改革派に身を投じたのか、あの時の思いはどこへ行ったのか。
今はただ、利害の一致に他ならない。今の自分も、あの門の向こう側にある”アレ”を欲しているのだ。それを得るためならば、私は……。
「ねぇねぇ、そこのお二人さんッ! 睨み合ってないで、いい加減この縄をほどいてよぉ!」
と、険悪になっていたグラッサとルージルの空気を吹き飛ばすがごとく、門の近くからかん高い少女の声が響き渡った。ルージルはそれにめんどくさそうな表情を浮かべてその少女の方へ向き直り、思いっきり怒鳴った。
「うるせぇ、この糞ガキッ! てめぇ静かにしてないとぶっ殺すぞ!」
「うわ、それ女の子に向かって言う言葉じゃないよね?」
「てめぇ……!」
「………」
二人の会話(?)を聞き、グラッサは頭に走る頭痛が強まった気がして思わずこめかみに手をやった。一体この少女は、どこまで脳天気なのだろう。ここに捕まってからと言うもの、数分ごとに何かを言い、それに反応したら、こちらをおちょくるような返事を返してくるのだ。
正直言って、とても疲れる。精神的な成長をほとんどしていないのではないか、と軽く疑うぐらい、彼女は精神面に幼さを残しているのだ。しかし、今彼女の体には半透明の鎖状の物が厳重に巻き付き、さらにその上には封印の刻印を施した鉄塊を括り付けて縛っている。
そこまで厳重にするには、無論訳がある。彼女が金色の刻印をーー”理”をその身に宿しているからに他ならない。
昔の文献を整理していくと、こんな事をグラッサは発見した。とある地方では、母親の体内から生まれ出る際に、金色の光を放ちながらこの世に生まれ出る子がいるという。神々しさまで醸し出すその誕生を見た大人達は、その子を幸をもたらす幸運の子として、もしくは神々が送りし神の使いとして奉り、”巫女”として育てさせるのだそうだ。
その巫女としての教育方法は残念ながら伝わっていないが、次第に巫女達は忌み嫌われる存在となっていった。
曰く、日に日に衰弱していき、息を引き取っていった。
曰く、いきなり発狂して自らの喉を切り裂いた。
曰く、村一つを一夜で廃村にした、などの人の死に関わる血なまぐさい話が後を絶えない。
それもそうだろう、とグラッサは思っていた。後々になって判明したことなのだが、巫女は全員、その身に理を持っていたために、理の強さに体が持たず、体力を取られ続け衰弱死、または理に自我を崩壊させられ、そのまま自殺。そして、理の力を暴走させ、周りの物を全て破壊する。
そのような現象が起こるのは、ある意味当然とも言えた。何せ、理というのは神の力ーー人の身に、扱える物ではない。これまでは、そう思っていたのだが。
まさか、この眼で生きている巫女を見ることが出来るとは。不思議な感慨に浸りつつコルダと名乗る少女に目を向ける。
「まぁいいや、とにかくこの鎖外してよ。身動きできなくてつらいんだけど」
「外すわけねぇだろうが! そんなことはどうだって良いんだよ! だいたいお前、自分の立場分かっているのか?」
「それこそどうでも良いことだよ! 良いからこの鎖外して! じゃないと訴えてやる!」
「どこに訴える気だよ!? それに、自分の立場わかりやがれ! 今お前は捕まっているんだよ! 大人しくしてねぇとマジでぶっ殺すぞっ!!」
「殺せる物なら殺してみなよー」
「おう分かった、今すぐぶっ殺してやるっ!!」
「……って、待て!」
売り言葉に買い言葉、どこまでもマイペースなコルダにおちょくられ、ルージルはその短い気を爆発させ、腰に吊っていたアニュラスを引き抜いた。流石にそこまでやるとは思わず、呆然と二人のやりとりを聞いていたグラッサは慌てて止めに入る。だが、それより早く、グラッサとルージルの耳にある声が響いた。
「ずいぶん気が短いのね? それにしても、あたしを殺せばこの門は開かなくなるわよ? それでも良いのなら、あたしを殺しなさい」
「……何?」
二人は思わず、眉根を寄せてそう発言した声の主であるコルダの方へ視線を向けた。声からして彼女なのは間違いないのだが、声のトーンはまるで別人のような響きに満ちている。
視界に入ったコルダは、相変わらず鎖に身を拘束され、身動き一つしない。先ほどまで必死に解こうとしてもがいていたのに、どういった心境の変化だろうか。それに、表情も微妙に変化しているように思える。
天真爛漫とした、活発な印象が強かった彼女は、今や怪しげな妖女とでも言うべき妖艶さを漂わせている。表情一つで、人はここまでかわれるのか。グラッサとルージルは、呆然としつつ彼女の言葉の続きを待った。
「この門を開けるには、特定の理、いわば鍵が必要。そして、その鍵はあたしが持っている。……あなたたちがどうしてこの門に執着するのかは分からないけど、それでも鍵は渡せないわね。悪いことは言わない。今すぐ、この門から手を引きなさい」
「……おいおい、何だよこれは……」
ルージルは、彼女の言葉を聞いてそう呟いた。コルダの言葉にではなく、彼女の様子におかしさを感じたのだろう。隣りにいるグラッサに目配せを送るが、彼も分からないとばかりに首を横に振る。
「……まるで、人格が変わったような……」
「ふふ、それが1番正しい表現ね」
微かに微笑みを浮かべながら、妖艶な流し目をくれてコルダは口を開いた。
「あたしが持つ理は、幾人もの巫女に引き継がれていた物。だから、記憶が流れ込んでこんな感じになるのかもね?」
肩をすくめて、あっけからんとして言うが、それが尋常ではないと言うことに遅まきながらグラッサは気付く。やや青ざめた顔色のまま、彼は問いかけた。
「では、君は……これまでの巫女全員の記憶を持ち合わせているのか?」
「ええ、そうよ」
頷いた後、コルダはやや唇を尖らせて、不満そうに目を細めた。
「でも、大抵は幼い頃に死んでしまったのが大半ね、特に最近は。この子も、本当なら巫女としての重圧に耐えきれずに死んでしまうところだったんだけど……」
この子、という言葉がコルダ自身を指している事にはすぐさま気付いた。しかし、それを確認することはせず、男二人は顔を見合わせて彼女の言葉の続きを待つ。コルダは、目を閉じ愛おしむような微笑みを浮かべた。
「あたしは生きるために、”仮の人格”を作ったのよ」
その言葉を聞いて、ふと、グラッサは彼女が何故幼さを残した性格をしているのか、そのわけが分かった気がした。
強すぎる力を持てば、どんな者でも必ず慢心し、破綻する。だが、子供のような純粋な心を持った者ならばどうなるのだろうか。むやみやたらと力を振るうだろうか。それともーー。
聞き分けの良い子供なら、それがいけないことだと分かれば、きっとしない。やらない。
それと同じなのではないだろうか。力の暴走を防ぐために、コルダは幼さを残したーーつまり、純粋な幼い子供の心を持ったままなのだろう。
しかし、それは自分で考えてやろうとしても、出来ることではない。おそらく、生まれながらにして持っていたために、理の強さを幼い段階で理解し、己を守るためにそうしたのだろう。
一種の防衛本能とも言えるそれを、グラッサは軽く笑みを浮かべながら思った。
ーー君は強い、と。
「この子……ううん、”あたし”が作ったあの子のおかげで、あたしは理や巫女の記憶について、じっくり整理することが出来た……だから、あの子には感謝しているわ」
にっこりと、笑みを浮かべて言う彼女のことを、いい年をした二人は不覚にも綺麗だと思ってしまい、すぐさま自分の事を殴りたくなってしまうが、自己嫌悪を唾と共に飲み込みんだ。
「では、君は……いや、貴方と言った方が良いのかな? ともかく、そちらの方が本当の?」
「ええ、あたしが本当のコルダ・モランよ。でも、歴代の巫女全員の記憶もあるから、あたしのアイデンティティーはないような物ね。そういう意味では、あの子が本当のあたしなのかも」
そして、彼女は視線を側にある巨大な門へと移した。大の男でさえも、見上げるほどの大きさがあるそれに一瞬だけ目をやった後、
「……だから、あたしはこの門の向こう側にある物を知っている」
小さく呟き、コルダはその瞳をグラッサ達に向けた。たったそれだけの動作なのに、瞳の奥で瞬く謎の力に圧迫されたのか、二人は僅かに後ずさる。
「やめときなさい。アレは、人が手にするには大きすぎる力。手にしたとたん、かつてのあたし達のような結果になるだけだわ」
「……忠告は受け取ってやるよ」
今まで黙っていたルージルが前進し、手にしていたアニュラスの切っ先を、コルダの首筋にあてがう。いつもより低い声音から絞り出された言葉は、案の定拒否の物であった。
「俺やこいつは、あの向こうに用があるんだよ。てめぇが鍵を持っているならちょうど良い、今すぐ、この扉を開けな」
「落ち着け」
今すぐにでも彼女を斬りかねないルージルの様子を見て、グラッサも止めに入る。彼の右腕を掴み、剣先を彼女の喉から何とか引きはがす。
「ここで彼女を殺したら、今までの苦労が水の泡だ。鍵は、彼女が持っているんじゃない。彼女自身が、鍵なんだ。それを忘れるな」
「……っち。だからか。だから、今までべらべら喋っていたのか。まさしく魔女だな、てめぇ」
悪態をつき、忌々しそうに彼女を睨み付けた後、剣を収めて一歩後ずさる。しかし、ルージルはすぐさま口を開いた。
「だが忘れるなよ。俺たちは、何が何でもこの門を開けなきゃならねぇんだ。……否が応でも協力してもらうぞ」
「………」
コルダは何も応えず俯いた。一体どうしたのか、疑問に思ったグラッサだが、それを問いかけようとするよりも早く、当の彼女が顔を持ち上げて口を開いた。
「いやなこったー!」
『…………』
先ほどまでの、落ちついた声音とは真逆の、”元気いっぱい、活発とした口調”で彼女は応えた。それを聞いた二人は絶句し、その場で固まってしまう。それもそうだろう、何故このタイミングで変わるのだろうか。
今のコルダは、巫女としてではなく一人の少女になっていた。あまりにも急激な変化に、流石のルージルもあきれ果てたのか、もう、いい……とだけ呟いて項垂れてしまう。気持ち的には、グラッサも同様であった。
「? どうしたの、お二人さん?」
「……何でもない」
気付いているのかいないのかーーおそらく後者だろうがーー、首を傾げてきょとんとする彼女に向かって首を振り、はぁっと大きくため息をついた。と、そのとき、背後から小さな物音が彼の耳に入ってきた。
「………」
瞬間的に表情を真剣な物に変え、そちらに視線を向ける。その様子を見たルージルも、顔を傾け問いかける。
「どうした?」
「……どうやら、我が愚息が入り込んできたようだ」
口を開き、応えたとほぼ同時。この大広間にはたった一つしかない出入り口から、複数の”氷塊”が突如飛来する。
「へ? へ?」
訳が分からない様子で、視線を右往左往させるコルダをほおっておいて、グラッサはこちらに向かってくる氷塊を、一瞬で取り出した証で全てはじき返し、氷のつぶてがあたりを舞った。
彼の証は、一見レイピアのように見えるが、刀身は円柱状で刃はない。貫通に特化した刺突武器、エストックである。本来、突くことでしか真価を発揮しないそれを縦横無尽に振るい、氷塊の全てをはじき返した。彼のあたりを舞ったつぶては、その際砕けた氷塊のかけらである。
「……奇襲をかけるとは、そんなことを教えた覚えはないのだが?」
「奇遇だな、俺も教わった記憶はない」
全てを弾いたグラッサは、視線を出入り口へと向けると、影から現れた一人の少年に目を向けた。自分と同じ金髪の、やや癖っ毛のある髪、表情はまるでそり落としたかのように無表情で、凍てつきながらも瞳の奥で激しい憎しみが渦巻いているのが分かる。
内心で複雑な気持ちを抱きつつも、グラッサは己の一人息子と対面する。アイギットはただ真っ直ぐに自分に視線を送っていた。
「……アイギット?」
後ろで、コルダが小首を傾げるのが何となく分かった。彼女も、様子の違うアイギットに違和感を覚えたのだろう。しかし、残念ながら付き合っている暇はない。
「……あいつ、やっても良いのか?」
「構わん。少々、痛い目に遭ってもらう」
隣りにいたルージルは、全身から黒い魔力にも似たオーラを放ちながら、一歩前へと出る。その全身には傷一つなく、つまりアイギットの不意打ちを全てしのいだと言うことであった。向こうにいる彼が、小さく舌打ちをするのが手に取るように分かる。
グラッサの了承を得たルージルは、にやりと猛禽類じみた笑みを浮かべ、腰の鞘からアニュラスを引き抜いた。その切っ先を、びしりとアイギットに向け、その全身から黒いオーラを吹き出させる。
煙のようにたゆるそれは、ルージルの体を包み込み、ひときわ黒いオーラを強め、彼の体を完全に隠してしまう。
やがて、目に当たる部分が赤く光輝いたとたん、振り払ったようにしてオーラが霧散し、そこから一人の鎧を着込んだ男が現れる。手に持ったアニュラスの刀身にも、こびり付いたようにオーラがたゆっている。間違いなく、黒騎士の姿そのものであった。
「………」
黒騎士の姿を見て、レイピアを構えるアイギット。闘争心は折れていないようだが、その表情には苦しい物が浮かんでいた。
時間の問題か。目を閉じたグラッサは、己の証を法陣に収め、静観を決め込んだ。再び目を開けると、ちょうど黒騎士が彼に向かって飛び出していったところだった。