第30話 神の力~2~
フェルアント本部のとある部隊に所属している桐生セイヤは、部隊ごとに割り当てられているフロアの談話室に設置されているソファーに横たわっていた。
部隊ごとに割り当てられている、といっても大抵の部隊は大部屋一つだけ、しかもその用途はほぼ会議などにしか使われない。そのため、フロアまるまる一つ分がある部隊に割り当てられているというのは、おかしな物である。
さらに、優遇措置はそれだけに留まらず、談話室の奥にはいくつかのドアがあり、そこには部隊一人一人に個室が置かれてある。この光景を他の隊の者が見れば、苦情が相次いでくるのほどの過剰な優遇ーーもとい差別と言っても良いかもしれないが、それだけの措置が取られるのにも無論理由がある。
その一つが、この部隊員は全てランク第一位から第二位の実力を持つ、まさしく最強の二つ名を支えている者達であると言うこと。そして、過去に学園で生徒会に入っていた者達だけで構成されている。
部隊名は”マスターリット”、フェルアント本部お抱えの暗部であり、同時に神器の回収を主な任務とする危険と隣り合わせな部隊であった。
「………」
ソファーに身を沈め、天井を意味もなく見続けている彼は、一見何かを考えているように見えるのだが、実はただボーとしているということを知っている者は少ない。何も考えていない状態のため、談話室のドアが開かれた事にも気付かずにいた。
「おい、セイヤ」
「………」
「……おいっ」
「……なんすか?」
コツコツとブーツの音を響かせながら近づいてきた人物は、ソファーまるまる一つ分占領している先客に声をかける。だが、何の反応が返ってこないことが分かると、小さくため息ついて彼の所まで歩いて行き、その額を優しく叩いた。
そのほんの小さな衝撃で、ようやく反応を返したセイヤに、乱入者は再びため息。
「お前よぉ、もうちっとしゃきっと出来ないのか? 気を抜いているときは、ホント抜きすぎだぜ」
「そのかわり、気を張り詰めるときにはしっかり張ってるじゃないっすか。逆よりはマシですよ」
ははは、と軽く笑いながらセイヤは上体を起こし、床に足を付けた。スペースが空いたことを確認すると、乱入者は一つ頷いて彼のとなりに腰を下ろす。
彼は視線を横に向け、己の上司でもある乱入者ーーアンネルの顔を見やる。初めて会ったときと比べると、この人も老けたな、と時の流れを感じつつ、セイヤは口を開いた。
「で、なんのようっすか? リーダー代理が直々に」
「……何度も思うが、その代理って言う響きがなぁ……」
ぼやきつつ青い短髪をかきむしる彼に、何を今更、とため息一つ。メンバーは二人を覗けば、後数名いるだけで、その中で1番の年長者ーーそれでもまだ30にはなっていないのだから驚きであるーーの彼が暫定的にリーダーに成ってもらったのだが。そのまま、なし崩し的にリーダーを引きずっている訳なのである。
もうリーダーでも良いんじゃないか、と仲間内では言われているが、あえてそれを口には出さず、こうして”弄り”のネタとしている訳なのだ。……そうだとばれたときの、報復がなにげに怖いが。ともあれ、アンネルは息を長く吐き出すと、セイヤをじろりと見やり、
「お前、ここの通信方法を誰かに教えたのか?」
「……はい?」
藪から棒に、そんなことを言い出した。訳が分からず、呆然とする彼に、アンネルは無言で法陣を展開させると、呪文を唱えた。その呪文を聞いて、セイヤは眉をひそめる。確かこれは、通信系統の……。
そんなことを考えていると、通信魔法が発動し、アンネルの法陣に人型のシルエットが浮かび上がった。そのシルエットは次第に形と色を帯び始め、一人の女性の姿を作り出す。その女性の姿を見て、セイヤは思わず飛び上がりかけた。
「えぇっ、な、何でっ!? 何で、シュリアが!?」
『あ、繋がったか。すみませんアンネルさん、お手数をおかけしてしまって』
ほっとしたように通信相手は息を漏らしたが、すぐにアンネルに視線を向けて頭を下げる。次いで、シュリアと名を呼ばれた女性はセイヤの方を向いて、
『何でと言われてもな……。この間、私に連絡先をよこしただろうに』
「……忘れてた」
呆然とした表情のまま、彼は口を開いた。その返答にシュリアはため息を一つ吐き出し、側にいるアンネルは彼の事をすごい形相で睨み始める。自然と声音を低くさせ、
「……お前、ここの秘密を明かすなとあれほど……。まぁ相手が学園の教職に就いている者だから良かったものの……」
と、苦言を漏らす。その様子に、乾いた笑い声を漏らして彼は頷き、通信越しのシュリアを眺めた。魔力によって形作られたそれは、時折像がぶれることと三十センチ程度に縮小されたことを覗けば、本人そっくりである。その像に向かい、セイヤは口を開いた。
「で、何のようだ? お前から連絡をよこすなんて珍しいじゃないか」
『…まぁ、色々あって。……実は』
珍しくシュリアは口ごもりながらも、やがて深いため息を一つついてあることを彼に伝え始めた。ーーマスターリットである彼にしか、頼めぬ事を。
『学園の近くにある森……しかも、神器が封印されて放置してある場所の近くで、生徒が襲撃された』
「………何?」
『そして、襲撃してきたヤツは……報告によれば………あまり、信じたくはないし、嘘だと思いたいんだが……』
「……どうした? 何があった?」
彼女は再びそこで口ごもる。その様子を端から見ていたアンネルは、言いようのない不安に襲われた。謎の不安を、首を振って追い払い、アンネルはシュリアの言葉を待つ。先ほどよりも長い間躊躇っていた彼女は、表情に沈鬱な物を浮かべていたが、それでもやむを得ずといった感じで続けた。
『……報告によれば、数ヶ月前フェルアントを襲撃した、アニュラスを所持していた黒騎士と……現フェルアント本部長、グラッサ・マネリア……いや、グラッサ・マネリア・フォールド、だ』
「……なんだと?」
その報告に、アンネルとセイヤは顔を見合わせ、驚愕の意を示した。
シュリアの詳しい報告を聞く間、セイヤは黙ってその言葉に耳を傾けている。てっきり、セイヤとシュリアとの間で何かあったのだろうか、とささやかな邪推を巡らしていたアンネルだが、流石にそんな事は考えずに、彼の側で聞き耳を立てていた。
今日、日が暮れてからいきなり学園の寮が襲撃ーーといっても、離れた所から壁の一部分を遠隔で切り裂いたため、襲撃というのも大げさかも知れないがーーされたため、生徒が混乱、教職に就く者達はそれを収めようとしていたこと。
その混乱に乗じて、一部の生徒達が異変を感じ、森へと向かっていった。ちなみに、その森へ向かっていったメンバーの名前を聞き終わったときには、セイヤは凄まじく表情を引きつらせている。
同じく異変を感じた生徒会も動き、森の奥へ進入、そこで黒騎士とグラッサと交戦。戦闘に敗れ、あろう事か生徒一人を攫われた上に、二人を取り逃がしたこと。その行き先が、もしかしたら同じ場所にある神器が保管されている場所かもしれないということ。
話を聞き終えたセイヤは、ひとまず先に彼女に謝罪した。
「……なんか、すまない。俺の身内が……」
「気にするな。桐生の性を持つ者には、皆寛大な目で見ている……。特に、お前のおかげでな」
「うっ!?」
「やっぱこいつは、元から破天荒だったのか。そういう血筋かもな……」
アンネルはため息をつきながら、二人のやりとりに参加する。身に覚えがありすぎるのか、後ろから見ても分かるほどに汗をだらだらと流すセイヤを一目見て、話を切り替えるように彼は口を開いた。
「……で、あんたら凄腕である学園の教師が、俺たちにそんなことを報告してきたって言うことは……救援要請、かい?」
『そうです』
凄腕、というところを強調した、少々皮肉めいたことを混ぜた物言いをしたのだが、相手は気を悪くした様子も見せずに頷いた。シュリアは軽く頭を下げると、
『腕が立つかどうかは分からないが、ともかく、一刻を争う事態だ。そんな状態の中、我々は生徒の身に危険が迫るかも知れないため、身動きが取れないのでな……。そこで、あなた方マスターリットに救援を頼むことにしだ』
「……そう言うなら、何で生徒達を行かした?」
顔をしかめ、アンネルはそう指摘する。もしここで、痛いところを突かれた、とでも言うような反応を見せたら、まず学園の方にヤキを入れなければならない。そう思いながら彼女の返答を待っていると、驚いたことに、シュリアを象った魔力の像は、即答で応えた。
『彼等は神器についての知識があり、さらに中には幾度か神器を扱った事もある。生徒会のメンバーも行かせたから、時間を稼ぐぐらいのことは大丈夫だろう、と、彼等に行かせる許可をした教師は言っています』
「……生徒会の連中も一緒か。確かにそれは、時間稼ぎは出来そうだな。だがーー」
ーーそれは、許可する理由にはならない。そう言おうとしたのだが、シュリアに先を越されてしまった。彼女は、像として出現して、おそらく初めてだが、軽く笑みを見せながら口を開いた。
『それに、それが、夜間に寮を抜け出した彼等の”罰則”だ』
その一言に、アンネルは珍しく口を開けてポカンと硬直する。二人のやりとりを黙って聞いていた部下のセイヤは、小さな像と同様軽く笑いながら聞き入っていた。やがて、アンネルはくっくっくっと喉の奥で笑い声を漏らし、ついには腰を折って声を高々にあげて笑い始めた。
目に浮かんだ涙の粒を指で払いのけ、アンネルは頷いた。
「それは厳しい罰則だな。ーー面白い」
にやり、と彼は笑みを浮かべる。お役目柄、神器が関わっているとなると断るわけにもいかなかったのだが、その心情は”めんどくさい”の一言であった。だが、今は心の底から”やってやるか”という前向きな物になっていた。故に、彼は快くシュリアのーー学園の頼みを承諾する。
「良いぜ。学園からの救援要請、我らマスターリットが引き受けたッ!!」
~~~~~
「こっちの方角?」
「ああ、こっちだ」
タクトの問いかけに、ギリは頷いて指さした方角へ走り出す。その後を、彼やマモル、レナ、アイギットの四名が続く。ちなみに、セシリアやフォーマはアニュレイトが言うとおりあそこで待機してもらっている。
暗い森の中は歩きづらい物なのだが、ギリはまるでどこに木の根があるのかを知っているかのような軽い身のこなしですいすい進んでいくため、タクト達はまるで自分たちが遅くなったような錯覚に陥ってしまう。
その様子を見たレナは、前をいく彼に問いかける。
「何度かこの森に来たことあるんですか?」
「いや、一、二回程度だ」
あっさり否定する彼に、一同は絶句。ほんの一瞬足を止めてしまうが、すぐさま立て直して走り出す。苦笑いを浮かべ、彼女は再度問いかけた。
「なら、何でそんなにすいすいと……」
「進めるのか、て?」
ギリは肩越しに振り返り、彼女を見やる。言おうとしたことを奪われてしまったレナは、戸惑いながらも頷いた。すると、彼は謎めいた笑みを浮かべて顔を戻してしまった。そのまま、正面を見つめたままぽつりと呟く。
「……説明は出来ない。ただ、何となく感じるんだ。……まぁ、一言で言うと気配に敏感すぎる、って所かな?」
その声音には、どこか途方に暮れてしまっている子供のように聞こえ。自分の力に、恐れを抱いているようにも思えた。そのやりとりを見聞きしていたタクトは、何故か頭の中に自らの叔父であるアキラの顔が浮かんだ。
彼も、その絶対的な実力を疎んでいるような素振りを、何度か見せたことがある。今のギリも、そのときの様子と何故か重なってしまった。不思議に思うのだが、すぐにギリ立ち止まり、呟いた言葉に注意が向いてしまった。
「ま、だからこういうときは役に立つんだよな……。お前ら、構えろよ。来る」
何が、と問いかける間もなく。ギリが戦闘態勢を取ったとたん、周囲から複数の異形ーー外魔が現れた。
「何ッ!?」
すぐ後ろにいたマモルも驚き、証である銃を引き抜いてすぐさまあたりを見渡して、絶句した。突如出現した外魔は、軽く見渡しただけでも二、三十はいる。数だけで見れば、あの時とは違うが、問題はその群れが自分たちを囲むようになしていることだ。
そのことを理解した瞬間、彼等はやや表情を歪ませる。だが、そんな状態であっても、ギリの表情からは余裕がうかがえた。彼は、軽く笑みを見せながらーー内心では彼等と同じく、苦しい心情だったのだがーー、ぽつりと呟いた。
「……そんなに近づけたくない、か。これはあたりだな」
それだけ言うと、彼は持っていたレイピアを猛然と突きかかっていった。