第30話 神の力~1~
「アイギットッ!! おい、アイギット!!」
「うっ……」
体を揺さぶられている感覚、次いで耳元で誰かに大声で名前を呼ばれ、自らの意識が急速に覚醒していくのを感じる。瞼をうっすらと開けると、視界がぼやけ、前がよく見えない。瞬きを何度かし、復調しつつある視界であたりを見渡すと、こちらのことを心配そうな顔つきでじっと見つめてくる女性の顔があった。
「……?」
「よかった、気がついた?」
回復しきっていない瞳で彼女を見つめ、誰? と思いつつ首を傾げると、その女性は心底ほっとしたような表情を浮かべ、軽く微笑みかけてきた。
「…………」
「……? アイギット?」
笑いかけてくる黒髪の女性ーーというか女の子をじっと見つめていると、その子は怪訝そうな表情を浮かべて眉をひそめる。自分の知り合いに、こんな子はいない、そう強く思った彼は視界と同様、今だ回復しきっていない頭を働かせて口を開いた。
「……君、誰?」
「えっ? いや、僕だよ」
ますます怪訝な表情を浮かべてーーいや、あれは疑うような、というのだろうか? ぼやけた視界ではうまく相手の表情を読み取ることは出来ない。
だからこそ彼は、致命的なミスを犯してしまうことになるのだが。
「……自分のことを僕呼ばわりする”女の子”は、記憶にないんだが……」
何とか開いた口から出た言葉を聞いた相手は、ピシリ、と硬直した。笑顔を顔に張り付かせたまま、不自然な形で固まった彼女の後ろから、聞き慣れた声が聞こえた。
「あ、アイギット、お前……」
「…………っ!!!」
ああ、マモルの声だ、でも何か変だな、と理解した瞬間。不意にある予感が頭の中を駆け抜け、雷にでも打たれたかのような衝撃が走り、完全に覚醒する。当然、それに伴ってぼやけていた視界も復調し、いつも通りの視界になり、そのまま首を動かすと自らのことを見下ろしている”彼”と目が合った。
つい先ほどまで、心配そうな顔つきで自分のことを眺めていた”彼女”がいたまさにその場所に。黒髪の少年ーー桐生タクトがいた。
ある種の予感が走った原因は、聞こえたマモルの声にどこか止めるような、そしてまたか、という感情をはっきりと感じてしまったからである。それに、ぼやけた視界で見ていた彼女に、タクトの面影が見えたせいもあろう。
「………よ、タクト」
「………」
ぷるぷると小刻みに拳を振るわしている彼を見、とりあえず謝った方が良さそうだ、と覚醒しきった頭でアイギットは思った。その判断は、まさしく正しい。自画自賛しつつ、そう告げようとした瞬間。
「ごふっ!!」
タクトが小刻みに振るわしていた拳が、アイギットの顔面を抉った。
数分後、ようやく機嫌を直した(といってもまだプンスカしているが)タクトの話を、彼は殴られた顔を押さえつつ黙って聞いていた。
グラッサに吹っ飛ばされたレナは、木々がうまい具合にクッションになったようで、かすり傷に打撲という、この面子では比較的軽傷で気を失っていた。それを見つけ出し、今セシリアの治療を受けているところである。後数分もすれば気を取り戻すだろう。
それに比べ、自分たちの方がやや傷がひどいようだ。全身打撲を負い、そのせいでたびたび体に痛みが走り、動くのがおっくうである。
「……コルダが連れ去られた、か」
タクトから聞かされたその一言を聞いて、アイギットは軽く目を伏せた。何で彼女がーー。そう思ったのもつかの間、タクトの気遣わしそうな、それでいてどこか言いづらそうに口を開いた。
「それで、彼女を連れ去ったのは黒騎士と……グラッサ・マネリア・フォールドっていう人なんだけど……もしかして、その人は……」
「……」
その言葉を聞き、アイギットはやはりかと顔を伏せた。そして、彼がためらいがちに口を開いたわけも見当がつき、アイギットは無言のまま頷いた後、ぶっきらぼうに口を開いた。
「あぁ。その男は俺の父親だ」
「……マジか」
傍らで聞いていたマモルが、軽く目を見開いてそう呟いた。彼も、ファミリーネームを聞いたときからアイギットの身内か何かだと思っていたのだが、まさか父親とは思っていなかったのか。それはタクトも同様のようで、中性的な顔いっぱいで驚きを表現していた。
しかし彼は、何かに気付いたように視線を変え、眉を寄せる。それを見逃さなかったアイギットも釣られてそちらに視線を向けと、すぐさま納得したように頷き、不機嫌そうにため息をついた。
彼等が視線を向けたその先には、どう見ても好意的とは言えない表情をしているギリとフォーマがいた。そんな二人を、背後で困ったように見比べているセシリアも、時折同じような目をこちらに向けてくる。やがてフォーマが立ち上がり、眼鏡の奥の瞳を光らせて、
「……君、アイギットとか言ったな。グラッサ本部長……いや、グラッサと言うべきか。彼の息子なら、奴らがどこいったかわかるか?」
「おい、フォーマ」
その直球な問いかけに、流石にまずいと感じたのか、ギリは非難めいた視線を彼に送る。しかし、その目配せをあえて見ない振りして彼は続ける。
「いや、わかるか、じゃないな。知っているんだろう? もし教えなければーー」
フォーマはそう言って、展開させた法陣から一本の大ぶりな杖を取り出した。己の証であるそれの矛先をアイギットに向け、
「君をエンプリッターの一員として、”外魔者”と認定ーー処罰する」
「おいっ!!」
その一言には、ギリも大声を上げて彼を止めようとする。フォーマがしていることは、端から見ればいちゃもんを付けて勝手に話を進めているような物だが、その相手がエンプリッターの一員の息子ならば、それも致し方ない。しかしそれでも、彼の行いは行き過ぎであった。当然、反発が来る。
「はぁ!? あんた何言っているんだよっ!!」
「ちょっと待って下さいッ!! それはあんまりでしょうっ!?」
マモルとタクトは、大慌てで、そして今にも殴り込まんばかりの勢いで、フォーマに詰め寄ろうとする。それを、疑われている本人であるアイギットが二人の肩を掴み、踏みとどまらせた。
「疑うのなら疑えばいいでしょう。だが、悪いが俺は知らない。……それに、もし知っているのなら、こんな所でグズグズせず、さっさと追いかけている」
顔を持ち上げ、彼はフォーマの目をまっすぐ見つめる。声音は物静かだが、瞳の奥底に、激しい怒りと憎しみが渦巻いている。フォーマは、それが自分に向けられているわけではないと理解し、しばし逡巡する。
やがて、一触即発の状態を抜け出すきっかけになったのは、フォーマの謝罪であった。
「ーーそうか。悪かったな」
もし彼が、まだいちゃもんを付けてくるのなら、証を取り出してやろうと二人は思っていたのだが、拍子抜けするほどあっさりとした謝罪に、二人は呆然として、行き場をなくしたそれを吐息と共に吐き出した。
ギリはそんな二人を見て苦笑し、フォーマの前へ進み出る。憮然とした態度で突っ立っているアイギットに顔を向けると、重ね重ね頭を下げた。
「気を悪くしてすまなかったな」
「いや……別に良い。それより、ヤツは一体いつの間にエンプリッターになったんだ?」
気にしていない、という割には、不機嫌そうな顔つきをしているのがやや気になったが、それを気にせず脇に置いて、彼は少々興味深い質問をしてきた。その表情には、それが演技であるとは到底思えず、本当に知らないのか、と内心首を傾げる。
「……さぁね。むしろこちらが聞きたいよ」
とっさに、鎌をかけてみることも検討したが、その鎌の材料になる物がまるでない。意地悪いな、と自分でも思いつつ、何か戸惑うような仕草でもしてくれるのを祈って逆に質問を返したのだが、相手はそうか、と頷いただけだった。すぐに、瞳を伏せてやや聞取りづらい音量で独りごちる。
「……外魔者なら、やっても問題ないか……」
「………」
空恐ろしいことを口走る彼を見て、どうやら何も知らないと理解し、そしてそれは、彼は無関係だということも証明して見せた。少なくとも当面は、心配しなくて良さそうだ。いや、むしろ心配なのはーー。
そこまで考えたとき、ギリは無理矢理思考を止めた。考えてもどうにもならないと捨て置いたからだ。
とりあえず、この後どうするのか思案しようとして、ふとあることを思いついた。先ほど、グラッサ達が転移する際に足下に放り投げた杭のような物体。
こちらに移動する際にちゃっかり拾ってきたそれを、ギリは懐から取り出し眉根を寄せた。その杭からは、感じ取りにくいほどの微量な魔力の残滓が感じ取れたのだ。まるで、火を消した際に生じた残り火のような。さらには、その杭の表面にびっしりと何らかの文字が書かれている。
「……ポータル? ……あ。あぁ、いや、ダメか……」
人知れず呟いたギリは、一瞬顔を輝かせたが、すぐに暗く沈んでしまった。ため息をついて俯く彼の様子を見たタクトは、首を傾げて口を開く。
「先輩、何ですか、ポータルって?」
「知らないの?」
と、横から口を挟むのはセシリアである。彼女は、心底驚いた表情を浮かべていた。いや、そんな意外そうな顔されても、というような苦笑いを浮かべ、彼は頷く。
「はい……」
「ポータルって言うのはね、魔法石っていう石に、あらかじめ使いたい魔法の呪文ーーまぁ、大抵は詠唱系かな、それを刻んでおくの。そうすれば、一瞬で魔法を使えるのよ」
「へぇ……」
感心したように頷くのはタクトだけではなく、側から聞き耳を立てていたマモルも同様だった。やや考えるように俯いたマモルは、顔を上げるとセシリアに尋ねる。
「ってことは、術式の媒体みたいな……?」
「そんな感じね」
まるで物わかりの言い生徒をほめるように頷いた彼女は、視線を二人からずらし、ギリへと向ける。
「それには、何の呪文が書かれていたの? もしかして、転移の?」
「ああ。だけど、使えないよな……」
セシリアの疑問に答え、頭をかきながらギリは深くため息をつく。近場でその成り行きを見守っていたアイギットは、焦れたように口を挟んだ。
「なぁ、何でそれを使わないんだ? それを使って転移すれば、行き先は奴らと同じ所だろうに」
「ああ、それはもっともで、そうしたいのは山々なんだがなぁ……」
手のひらで杭状のポータルをころころ転がしながら、ギリは思い悩むようにそれに視線を下ろしていた。やがて、きっぱりと首を振って否定する。
「危険なんだよ。わざわざ置き土産を残していくなんて、不用心すぎる。きっと、転移先に罠が仕掛けられているはずだ」
「……それは納得だな。あのクソ野郎なら、それぐらい平気でやりかねない」
顔を思いっきりしかめながらも、アイギットも彼の主張に賛同した。他の皆もそう思ったのか、各々違った反応を見せながらも肯定する。
「確かにそうね。……私はグラッサ本部長と一度だけあったけど、結構用意周到に構えるような人って感じだったわね」
「そうなのか。なら、ポータルを使って転移するのは危険すぎるな」
「うっ………」
セシリア、フォーマが議論を交わしている時に、彼女の横で横たわっている人影が呻き声を上げた。その声に気付き、タクトは慌てて彼女の側に駆け寄る。
「レナ……っ、レナっ」
「…………タクト?」
瞼を二度、三度振るわせた後、彼女はゆっくりと瞳を開けた。焦点の結ばない黒い瞳は、次第にしっかりとし始め、横たわる彼女の側で跪いたタクトに向けられるなり、そう口を開けた。ほっとしたような、安堵の表情を彼はレナに向けた。
「……ん、ん。さて、これで振り出しに戻ったわけだが……何か、案はあるか?」
そんな二人を微笑ましく見つめた後、すぐさま気を取り直すように咳払いをする。タクトの方はやや慌て、すぐにレナに現状の説明をし出したようなので放置し、ギリは他のみんなに意見を求めた。
すると、セシリアが手を口に当てて迷うようなそぶりを見せていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「これは、一度学園に戻って応援を頼んだ方が良いんじゃないのかな? 私たちも怪我を負っているし、教師陣にも連絡して……最悪、先輩にも……」
「待った。こっちは、友達が連れ去られているんだ。今すぐ助けに行くべきだ」
撤退案を出したセシリアに、マモルが前へ出て否定する。その反論を聞いた彼女も、沈痛な表情を浮かべた後、きっぱりと首を振る。
「……あなたたちの気持ちは分かるけど……でも考えて? 彼女……コルダちゃんを助けるためには、グラッサ達がどこに転移したのか、それが分からなければ助けに行けないのよ。それに、あの黒騎士の力は未知数だし。……ここは、一度戻った方が」
「その必要はないぜ、セシリア嬢」
全く意識しなかった森の方角から響いた声音に、一同は固まる。ーー主に、マモル達が。その表情は、やばい物を見たとでも言うように強ばり、ぎこちなく声がした方へ視線を向けた。
「ま、俺の考えを言う前に己の職務を全うしなければならないんだがな。………なぁ、どっかへ言ってしまったお馬鹿さん達?」
「…………」
ぎらり、と薄闇の中でも輝いて見えそうなほど目つきを鋭くさせ、体つきの良い一人の男ーーアニュレイト教授が、のしりのしりと現れた所であった。彼の鋭すぎる眼光に当てられたのか、そのお馬鹿さん達であるタクト達は、例外なく硬直した。
「えっと………こ、これはそのぉ………そうっ! このあたりで何か珍しい物はないかなと思ったしだいでッ!!」
「………」
「すいませんでした」
マモルが愛想笑いを浮かべながら、何とかしようと取り繕うとしているが、アニュレイトの睨み一つであっさりと頭を下げた。その変わり身の早さに、生徒会メンバーは呆れたように苦笑いを浮かべている。
アニュレイトは、そんなマモルも含め、その場にいる全員をゆっくりと見渡した後、顔を伏せ、瞳を閉じてため息一つ。
「……俺の指示を無視して勝手に外に出て、あげく怪我して……。充分懲罰対象になり得るんだけどな」
そこまで呟き、アニュレイトは顔を上げるとにやりと笑みを浮かべ、セシリアに視線を向ける。
「お嬢、申し訳ないが、あんたの言い分は却下だ。半分は残して、もう半分は今すぐ、俺が示す地点目指して突っ込んで行け」
「は、はい……! いや、ちょっと待ってください、何で先生がここに?」
彼の登場といきなりの指示に、頭が混乱しかけていたため思わず頷きかけたセシリアだが、すぐに思考を回復させて誰もが疑問に思っていたことを問いかけた。すると、アニュレイトはおう、と頷いて、
「へ、この森は学園の敷地内だぜ? 自分たちの庭で起こってることが分からなくてどうする」
ということは、庭でなく敷地内にいるであろう自分たち生徒は、一人一人の行動が全て学園に筒抜けなのだろうかと一瞬悪寒にも似た何かを感じたが、どうやらそういうことではないことが、ギリの口から知らされた。
「っていっても、実のところこの森に”神器”があってね。本部の方でも回収できない大型の物なんで、仕方なく厳重に封印して森の監視を学園にやらせているんだよね」
「……それは会長殿にだけ教えた極秘だろうが」
ぺらぺらとしゃべってしまったギリの頭に拳を落とし、彼を沈黙させる。タクトは、そのことに驚きつつも視線を巡らせると、同じように驚愕している様子のセシリアとフォーマが目に映った。その様子から察するに、ホントに会長だけに教えられていた秘密事項なのだろう。
……本人があっさりと口を開けてしまったが。
こほんと空咳して場を取り繕うと、アニュレイトはそういうことだから、と口を開いた。
「連中は多分、その神器がある場所に転移したのだろう。それに、今朝方にも………」
彼はそこまで言いかけ、ふと口をつぐんだ。彼の脳裏には、今朝ジムが必死になって解読していた手紙のことが浮かんだからである。
ーーあれは、無関係だろうな。確証はないが、そんな感じがして成らない。首を傾げてこちらを見てくる生徒達に気付き、アニュレイトは首を振った。
「……何でもない。とにかく、今はスピード勝負だ、こっちからも応援を呼んでおくが、お前らが行った方が早い。奴らが何かをしでかす前に、とっとと行ってとっとと取っ捕まえてこい」
「はい!」
元気よく返事した一同に頷き、彼はタクト達の方へ視線を向けた。彼等は、こちらの指示を無視したという後ろめたさによってか、顔を背けるのが数名ほどいる。若干苦笑し、しかしすぐに表情を引き締める。
「先ほども言ったが、お前達には充分懲罰対象とする権利があるんだが……」
その言葉に、びくりとする一同。そんな彼等を厳しく一瞥し。
「ーー懲罰対象は”五人”。お前ら合わせても、まだ四人しかいない」
「……?」
何を言っているんだろうか、と問いかけたくなったのか、アイギットは顔を傾げた。だが、それに問い合わせずに彼は続ける。
「さっさと最後の一人を連れてこい。そうすれば、懲罰免除だ、お前ら」
その一言を聞いた瞬間。彼等の表情に明るさが出て来た。その顔つきを見てアニュレイトは満足したように頷いた。
ーー全く、不器用なヤツだな。あんな回りくどいやり方で、激励しようなんてな。ギリは腹の底で思いつつも、顔が綻んでいくのを止められなかった。