第29話 おぼろげな運命~6~
その頃。寮の六階にある一つの廊下で、少年一人、少女二人の三人で構成されている彼等は、一つに固まってあたりを見渡している。
いや、あたりを見渡しているのは、三人のうち一人だけいる少年ーーアイギットだけだ。何かにおびえて震えている少女を賢明に励ましているレナは、そちらの方にかかりっきりのようである。
(タクト……タクトッ!! くそ、マモル、聞こえるかっ!!)
周囲の者達に聞かれないよう声を収め、隠した通信用の法陣に向かってアイギットは何かわめき立てるが、向こう側からの応答は何一つない。周囲の喧噪に紛れ、低めた声が届かないのか、それともーー。嫌な予感を必死に押しやりつつ、しかし二人の状況がまるで分からないそれが、その予感を増幅させていた。
「………っ」
顔をゆがめ、歯を食いしばって法陣を消滅させる。その様子の彼を認めたのか、レナはさっと振り向いて口を動かした。小声で話しかけているのだろう、周りの喧噪に紛れて全然聞こえない。眉をひそめて、アイギットは腰をかがめた。
「どうした?」
「連絡、つかなかったの?」
その問いに、アイギットは無言で頷く。心配性なところがあるレナは、やはり心痛な面持ちで俯いた。
「大丈夫……だよね?」
「あの二人だから、たぶん大丈夫だろう。……それよりも……?」
不安げに呟いたレナに、気休めとしか言えない励ましを送る。そして、話題をそらすかのようにアイギットは何か口を開きかけーーしかしそこで、顔を背後へと向ける。そこに現れた光景を見て、彼は思いっきり表情をしかめた。
「あ、アニュレイト先生!! い、一体どうしたんですか!?」
「何ですか、さっきの揺れは!?」
「はいはいはいはい、良いからさっさと戻るッ!! 揺れについては今調査中だ!! これ以上の事は俺も知らんっ!!」
「うわ、言い切ったし……」
「給料泥棒だ……」
「ああぁぁあっ!!?」
ようやく現れた教師であるアニュレイトは、一斉に群がってきた生徒達を適当にあしらいつつ、手を叩いて張りのある音をこだまさせた。しかし、そんな中でも疑問には最低限ーー本当に最低限だがーー応えているぶん、まだマシなのかも知れない。
だが、最後に付け足した一言は明らかに放任しており、一部の冷静な生徒達がため息をつきながらそう突っ込んだ。意外にも、その声を聞き取ったのか、アニュレイトは奇怪な迫力ある声音でそちらを睨み付けたあと、再度声を上げた。
「ほれ、これ以上グズグズすると、部屋にたたき込むぞッ! そうされたくなけりゃ、とっとと部屋に戻りやがれ!!」
まるで、雷が落ちたかのような迫力があった。意外と面倒見が良い男ではあるが、しかしそのぶん彼は気が長い方ではないのだ。その迫力に恐れをなしたのか、一部の生徒達ーー特に、先ほど奇声と共に睨み付けられた者達ーーは、風のごとく去って行く。
しかし、アイギット達は戻れなかった。戻ろうとした矢先に、震えていたコルダが奇行を起こしたからである。
風のごとく去って行く生徒達を、レナは苦笑いと共に見送りつつ、どうやって機嫌の悪そうなアニュレイトに窓から飛び降りた彼等のことを誤魔化そうかな、などと思い思考にふけりながら、若干の心残りと共にコルダにも戻るよう促そうとしたが、その前に一人震えていた彼女が突然立ち上がった。
「えっ……コルダ?」
「? どうしたんだ、コルダ」
「………」
レナとアイギットが次々に疑問の声を上げるが、彼女はそれに取り合わない。下ろした髪の毛が影になって表情はよく見えないが、大きく目を見開いていることだけは分かった。その目に浮かんでいるのはーー驚愕と、恐怖と……何?
微かに見えた瞳からは、熱に浮かされたように焦点の定まらないが、様々な感情が渦巻いているように見える。胸のあたりがざわめくのを感じた。それは、アイギットも同じようで、彼も目を細めながらコルダのことをじっと見つめている。
「コルダ……お前、一体どうした…」
「あ……あぁ……」
そのときだった。突如彼女は、体を大きく仰け反らせると、その唇から小さな声が漏れだした。普段の元気いっぱいな彼女からは全く想像も出来ないほど、その声は官能的で、そして妖艶でーー。男であるアイギットは、思わず視線を泳がしてしまった。
「こ、コルダ……?」
レナの方もそう感じたのか、やや頬を染めながら声をかけたが、その声が聞こえたかどうか怪しい。何せ、隣りにいるアイギットでさえも、その声をほとんど聞き取れなかったのだから。
「あ……あぁ……。………フゥ……」
彼女の謎の行動は、さほど時間はかからなかった。ほんの数秒、それこそ、1秒2秒ほどの時間、そうしていたのだが、すぐに体を元に戻すと、小さく吐息を吐き出した。そして、コルダは振り返って呆然としている二人の方を向くと、妖艶な流し目でウインクしてきた。
「………えっ?」
その、あまりにも様になったーーしかし、いつもの彼女とは明らかに様子が違うコルダに、二人はほぼ同時に間抜けな声をあげる。口をあんぐりと開けて、アイギットは掠れた声で尋ねる。
「コ、コル……っ!!?」
「ふふ、少し、待っててね?」
口を開きかけたそのとき、コルダは目を細めながらアイギットの唇を細い人差し指で軽く触れさせて閉ざした。あまりにも突然すぎ、かつ意表を突いたその行動に、彼は全身を硬直させて何も言えずに彼女のことをじっと見やる。コルダは、彼を口止めすると、再びウインクをかましてひらりと身を回した。
背後にある、未だ開いたままの窓の枠に足をかけると、先ほどのタクト達と同様一人空に身を乗り出す。二人とも、意表をつかれまくっていたため、彼女のその行動を止めることが出来なかった。レナがハッと我に返ったのは、彼女が飛び降りてからである。
「って、ちょっと!? コルダ、どうしたの!?」
未だに口を開けたまま、呆然としているアイギットを放置し、彼女は上体を窓枠から乗り出す。そして、そこで見た光景を見て再び硬直する。
「う、うそぉっ!?」
彼女が見たのは、地上六階から飛び降りて地面に難なく着地したコルダの姿だった。コルダは、タクト達とは違って、法陣を足場にはせずーーつまり、一切の足場なしで地面に降り立ったのだ。いくら精霊使いとは言え、そんな芸当、出来るはずがなかった。
「……えぇ?」
あり得ない光景を見たためか、レナは掠れた声音でそう呟き。その直後、ここからでは聞こえるはずがないのに、まるでその呟きが聞こえたかのような自然な動作ではるか眼下にいるコルダはこちらを振り向いた。ニコッと、これだけはいつもの彼女そのものの笑顔を浮かべて手を振ってくる。
レナが応答よりも早く、コルダはすぐさま視線を森に向けると、そのまま素晴らしい早さで駆け抜けていった。彼女はその間、何も出来なかった。
「……一体、どういうこと?」
レナは一人呆然と呟くが、やがて唇をかみしめるとそのまま何の躊躇もなく窓枠に足をかける。ようやく硬直上体から抜け出したのか、アイギットはそれを見てやや慌てた様子を見せた。
「って、ちょ、おいっ!? レナ、お前何をーー!!?」
「こらそこぉっ!! 何をやっているぅっ!!」
「げっ……!?」
止めに入ってきた彼だが、その瞬間タイミングが悪く、アニュレイトが鼻息を荒くしてのしのしと近づいてくる。それに引きつった表情を浮かべる彼に構わず、レナはいくつかの法陣を展開させて飛び降りていった。
「………っ!」
「あ、おい! ……ったく!!」
片手を伸ばして彼女をひっつかもうとするが、むなしいことにその手はあっさりとすり抜けてしまう。ええい、こうなればヤケだ、とそんな自棄にも似た考えが浮かび、彼もレナの後を続いて窓から飛び降りた。
「って、待て待て待てぇ!!?」
窓から身を乗り出した二人を止めようと、アニュレイトが小走りに近寄ってくるが、明らかに間に合いそうになかった。結果、彼に出来たのは、窓から身を乗り出して思いっきり叫ぶことだけである。
「お前ら待てぇぇえ!!」
その叫びは、あたりにむなしく響き渡った。
~~~~~
どういうことだっ!? ローブ姿の男は驚愕に目を見開いたまま、目の前で起こった現象に見入っていた。学園の生徒ーー確かあれは、生徒会長のギリ・マークだったかーーと戦闘を行い、劣勢に入っていた剣の男が、急に黒い鎧を纏い、ギリに襲いかかったのだ。
その驚愕は、彼に襲いかかったことではない。剣の男が、情報を通じて入ってきた”黒騎士”だとはまるっきり知らなかったのである。本人も、それを仄めかす発言をしたことは、おそらく一度もない。今の彼の性格だと、言いふらしてもおかしくはないのだが。
「……っ!?」
しかしそこで唇をかみしめ、そのことについての言及は後のことにしておく。ともかく、黒騎士となった男は、絶大な力を持ってあっさりとギリを拘束してしまった。彼が術を用いて作り上げた鎖は、いつの間にか消滅している。
「ギリっ!」
拘束している彼の背後から、白髪の少女ーー学園の副会長であるセシリアと思われるーーが、悲痛な叫びと共に飛び出してきた。彼女は、法陣から取り出した証ーー連結刃を振るうと、見た目以上の長さに伸び、彼女の周りを縦横無尽に駆け抜ける。
「バカっ! 下がれっ!」
駆けつけてきたセシリアを見やって、ギリがそう警告を飛ばすが、彼女はそれを聞かずに証を振るう。すると、彼女の周りを駆け抜けていた連結刃の刃が、ギリを拘束する触手を切り裂こうとする。
「っ! かたっ………!!」
しかし、その黒き触手は、見た目以上の硬度があるのか。連結刃の刃は、あっさりと弾かれた。彼女の証では、破壊力が足りないーーなら、触手を操っている黒騎士を倒せばーー。
冷静さにかけた思考によって浮かび上がったその案を、彼女は何のためらいもなく実行する。しかし、結果は同じ。振るわれた刃は、黒騎士の鎧によって弾かれる。その表面には、傷一つついていない。
「くっ!」
表情を悔しげにゆがめ、無駄だと知りつつも彼女は何度も証を振るい続けていた。何度も何度も刃が触手を、鎧を切り刻もうとするが、傷一つ残せないでいる。
「先輩っ!」
「……ち、タクト、フォローに回るぞ」
その光景を見ていられなくなったのか、やや長めの黒髪を振り乱して彼女の後を追う、先ほど男と戦っていた桐生タクト。そしてもう一人は、手にごつい銃を携えた長身の男子生徒。こちらの名は、ローブの男は知らなかった。
銃を携えた少年ーーマモルは、素早くその銃口を黒騎士に向けると、何の躊躇もなく引き金を引く。しかし、放たれた弾丸は黒騎士の堅い鎧を貫くことが出来ず、カンカンと甲高い音を立ててはじき返された。
「くそっ!」
毒づきながらも、マモルは立て続けに引き金を引く。そのたびに銃口から吐き出される弾丸は音速を軽く超えて、黒騎士の見た目よりも堅い鎧に弾かれる。だが、効果がないと言っても、何度も弾丸をぶつけられれば、多少は不愉快な気持ちになるらしい。黒騎士の兜によって表情は見えないが、その首がこちらに向かれたのをマモルは確かに見た。
「っ! 今だっ!!」
その瞬間、マモルは吠えた。元々、彼は注意を引く事を狙っていたのである。黒騎士の鎧や触手の硬度は、セシリアの連結刃が弾かれたことから重々承知していて、壊せるとはみじんも思っていなかった。
それはタクトも同じだろう。だが、おそらくタクトには”多少のダメージ”は与えられるだろう、と彼は思っている。多少のーー”体勢を崩す”ぐらいのダメージは。
「重ね太刀ーー爪魔・破!」
マモルの叫びに応えるため、タクトは全力での瞬歩で一気に間合いを縮める。注意が散漫になっていた黒騎士の眼前に躍り出たタクトは、上段に振り上げた刀を一気に振り下ろそうとする。その刀身には、魔力が纏っておりーーそれが黒騎士の鎧に触れた瞬間。
ドンッ!! と刀身全体から、ほぼ零距離で衝撃波が放たれた。
爪魔の斬撃による攻撃力と、爪破の衝撃波が合わさったその一撃は、黒騎士の頑強な鎧を貫いたのだろうーーマモルの思惑通り、体全体がぐらりと揺れた。
その瞬間。ギリを拘束していた触手の締め付けが緩んだ。それに気付いたギリも、一気に跳躍して触手から抜け出す。
「ギリッ!!」
「っつぅ……」
何とか締め付けから抜け出した彼は、地面に着地すると同時に大きく後ろへ飛び退くと、そのまま地面に膝をつく。表情を苦しげにゆがめ、右腕は腹のあたりを押さえている。飛び退いたギリに声をかけながら、セシリアはすぐさま駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫!?」
「……微妙なところだ」
へ、と何とか口の端だけを持ち上げて笑みを作ったが、それが強がりであることは彼女にはバレバレだったようである。すぐさま彼女の拳がギリの頭部へと落ちてくる。
そんな光景を目の端で捕らえながら、フォーマは一人ため息をついて前方へと視線を向けていた。そこでは、何とか黒騎士から距離を取ろうとするタクトを援護するマモルの姿がある。彼は、手に持った二丁銃を立て続けに放ちながら黒騎士を牽制、その隙にタクトはうまく後退する。
「……桐生、宮藤。少しそいつを押さえておいてくれ」
二人が後退をし始めたのを見て、すかさずフォーマはそう指示を飛ばす。二人は目だけを彼に向けて、すぐさま黒騎士へと向けた。一瞬、聞いてくれないのかと目を細めたが、それは鬱気だったようである。
「マモルッ!」
「おう、くらえ!」
後退していた彼等は、すぐさま黒騎士へと反撃を始めた。タクトの合図に合わせ、マモルが銃口を相手に向けて引き金を引く。しかし、その銃口には小さな黄色い法陣が展開されており、そこからぱちぱちと雷が帯電している。銃口から飛び出した弾丸は、帯電する雷を通るなり、それを纏って直進する。
雷を纏った弾丸は、黒騎士の鎧に命中すると、一気に電気が流れ込む。バチバチバチ、と目もくらむような光と音を伴い解き放たれ、黒騎士の全身を駆け抜け、動きを止める。
その動きが止まった瞬間に、瞬歩によって飛び出したタクトが、腰だめに構えた刀を居合いの要領で解き放つ。
「爪魔ーー瞬!!」
ーー音は、遅れてやってきた。音速超過で振り抜かれた刀は、黒騎士の鎧にぶち当たり、数メートルほど押し戻す。だが、タクトはそれだけに飽き足らず、自身の右上に振り上げた刀を返し、一気に振り下ろした。
「爪魔ーー飛!!」
振り下ろした軌跡にそって、やや大きめの魔力斬撃が飛び出してきた。その一撃に対して、黒騎士は避けるそぶりも見せずに、その身に受け、追撃を受けた黒騎士は、さらに押し戻された。その姿を見て、タクトはくっと表情をゆがめる。
ーー堅い……っ!!
ヤツの鎧は、予想以上の堅さを誇っているようである。爪魔を重ねた二撃を受けたにも関わらず、その鎧には傷一つついていない。どうやら、あの防御力を”抜く”には、爪破を使わなければ成らないようだ。しかし、もうその必要はないだろう。それは、背後から響き渡る朗々とした呪文が教えてくれた。
「ーーレイフェン・オフスタフ」
フォーマがそっと囁かれた呟きが、その魔術の名であり、詠唱の語尾であった。目の前に展開させた法陣から、いくつかの鎖が一気に飛び出して黒騎士の体に巻き付いている。
レイフェンは理を、オフスタフは封印を表す。そして、コベラ式の観念から言えば理は神の力である。つまりこの呪文は、『神器を封印する』ということであった。
ギリが先ほど使った束縛用とはまるっきり本質が違い、封印系統には相手を拘束する能力はない。その代わり、理の力を封じ込めるため、神器の能力を無効化することが出来る。
さしたる抵抗も見せずに、おとなしくその封印を受けたのにはやや眉をひそめたが、それについては放っておく。それに、封印の鎖が巻き付いたとたん、がくっと力なく首をもたげたのも要因の一つだろう。
こうして、謎の力を持った黒騎士はあっさりと捕まってしまった。
ーー誰もが、そう思ったとき。
首をもたげていた黒騎士が、不意にその兜を持ち上げた。そして、そこから見える赤い両目が怪しく光輝いた瞬間。
『っ!!!?』
その場にいた全員に例外なく、冷や汗が走り抜けていった。全員が本能的に悟ったのである。ーーここにいるのは、危険だ、ということに。
しかし、彼等が回避行動に移るよりも先に、黒騎士が手に持っている、その姿になってからは一度も振るったことがないアニュラスの柄を握りしめた。
巻き付いた封印用の鎖には、封印の対象にされた能力は使えなくさせるが、そのかわり相手を束縛するような能力はない。だから、現時点ではその剣を振るっても、全てを切り裂くことは出来ないはずである。しかし、相手はそんなことを気にかける様子もなく剣を構えーー。
次の瞬間、黒騎士の体に巻き付いていた、白くぼんやりとしていた鎖が一瞬で”固まり”、粉々に砕け散った。
「なっ……」
フォーマは、白い結晶となって砕けた鎖を、思わず漏れた呟きと共に呆然と見続け。
その次に彼の視界に入ったのは、構えた剣を振るう黒騎士の姿だった。