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精霊の担い手  作者: 天剣
1年時
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第29話 おぼろげな運命~5~

自らに向かって振り下ろされる剣をじっと見つめ、タクトはそのほとんどを勘だけで避けた。瞬間、つい先ほどまでいた空間にズレが生じ、そこにあった木々が半ばから切り倒される。


「くっ……!」


呻き声を上げ、タクトは倒れていく木々から目をそらし、それをやった人物に目を向けた。


「ほう、避けたか。……だが、そう易々と避けられるかな?」


挑発するような物言いと共に、男は剣を振るい始めた。距離を考えれば当たらないはずが、しかし空間にズレが生じるたびにそこにあった木々が次々とへし折れていく。


(どうなっているんだ……!? あの剣は全てを切り裂く事が出来る剣のはず……! こうやって、”斬撃を飛ばす”ことは出来ないんじゃ……!?)


相手の剣撃からーー正確に言えば、相手の剣撃の延長線上にいることからーー避け続けるタクトは、顔をしかめながらそう考えていた。アニュラスについては、それ以外のことは知らないのである。


次々と襲ってくる剣撃を、危なっかしい動きで避けている。だが。


「……ち、避けんじゃねぇ!!」


「……っ!」


彼が次々と避けているせいか、男は怒りを露わにさせて怒鳴った。しかし、タクトはそれに何も答えない。その余裕がないのである。


相手は素人同然で、剣筋がでたらめであった。しかし、なまじ剣術の心得があるばかりに、そのでたらめさがかえって読みにくい。しかも、飛ばしてくる(と思っている)剣撃は、タクトの目からは見えず、相手の剣筋の延長から避けるしかない、という状況が、徐々に彼を追い詰めていく。彼が避けられているのは、そのほとんどが勘が当たったからである。しかしそのことも、彼の焦りに拍車をかけていた。


もしこの勘が外れたらーーそのときは、自分の死という事実が。そしてついに、アニュラスがタクトの体を捕らえる瞬間がやってきた。


「そらっ!」


「……っ!? くあぁっ……」


気合いと共に繰り出した相手の剣筋から逃れるのが遅れたため、左の二の腕あたりを深く斬りつけられた。そこから勢いよく鮮血が吹き出し、思わず呻き声を漏らして地面に倒れ込んだ。ーー大きな隙が出来てしまった。


その隙を、男は見逃さなかった。


「はっはっはっ! これで終わりだぁぁぁ!!」


そう叫び、振り切った剣を引き戻して、両腕で上段に構えた。その構えを見て、タクトは起きあがって逃げなければ、という思いが沸いてきたが、もう遅い。左腕の傷は、どうやら相当深かったらしく、血が止まらない上に、だんだんと腕に入る力が落ちてきている。右腕には証を握っているため、すぐに地面に手を付けることが出来ない。


まさに万事休す。男が振り上げた剣が、やけにゆっくりと落ちてくる。男の背後で誰かが叫ぶ声も、相棒であるコウの声も、もう聞こえない。加速された意識の全てが、振り下ろそうとするあの剣にのみ向けられて、そのときをただひたすら待つことしか出来なかった。この世界には、自分とあの剣しかない、そんな感覚に陥った。


その瞬間を見たくない、とばかりにタクトは目をギュッと瞑った。


だが、不意にーー自分と剣しかない世界に、不意に何かの音が聞こえた。何かが小さく爆発したかのような、そんな音が。人はそれを、”銃声”と呼ぶ。


同時に、何かが空気を切り裂き、貫く音ーー風切り音も。そして、タクトの視界に”それ”が入ってきた。


鉄砲玉。もしくは、弾丸と称されるそれが。


弾丸はまっすぐに進み、男が持つ剣にぶつかり、小規模な爆発を起こした。その衝撃で剣筋が乱れ、しかし止まることなく振り下ろされた。


スバン、という音と共に、倒れ込んだタクトのすぐ側に”ズレ”が生じた。自らの体には、ズレは生じていない。


呆然としつつ、すぐ側で走ったズレを見やっていたタクトだが、ようやく加速感を抜け出したのか、音が聞こえてきた。


「誰だっ!!?」


「おぉ~、ナイス射撃。ここからは任せろ」


驚愕に目を見開いていた男は、タクトの背後を見て声を荒げた。だが、背後にいるであろう人物は何かを叩くような音を二度ほど響かせた後、のんきな声と共に男に突っ込んでいく。飛び出してきた謎の乱入者の後ろ姿を見た瞬間、タクトは目を見開いた。


「ぎ……ギリ先輩?」


乱入者ーーギリ・マークは、自らの証であるレイピアを勢いよく突きだした。だが、敵対する男は数秒の自失の後、何かに気付いたように剣を横薙ぎに振り切ろうとする。それを見て、タクトは彼を止めようと声を上げかけた。


「だ、だめですギリ先輩っ!? そいつの、その剣は……!!」


「させるかよっ!」


だが、彼は聞く気がないのかそれには取り合わずに左手をブンと振るった。その手の甲には、緑色に輝く法陣が展開されている。緑ーーつまり風属性の属性変換。


彼の腕の動きに合わせるかのように、突如現れた突風が、男が握る剣に”集中的に”吹き付けられる。


「なっ……!? くおぉっ……!」


呻き声を上げながら振り切ろうとするが、風に阻まれそれが出来ない。必死の形相にゆがむ男の表情とは対照的に、ギリの表情は小馬鹿にしたように、にやついた笑みが広がっていく。彼の口が早口で動き、呪文を紡ぐ。


「そら、行くぜぇ!」


彼が持つレイピアの鍔に黄色い法陣が現れ、刀身に雷を纏い始めた。ぱちぱちと音を立てながら刀身を走る雷をそのままに、ギリは容赦なく連続で突きを見舞う。


「そらそらそらぁ!!」


「くっ……うごぉぉっ!!?」


かけ声と共に、タクトの目から見ても凄まじい早さを誇った連撃が、次々と男の体を抉る。体を貫かれるたびに、痛みと共に電撃が走るのか、呻き声を上げて男は後ずさる。貫かれた箇所から血が流れ出すのを見て、タクトは顔をしかめた。


「………っ」


分かっている。相手は神器を持つ精霊使いで、危険な相手だと言うことは。しかし、それでも。他人が流す血を見るのは、嫌で仕方がなかった。


「……ホント、甘ちゃんだねぇ、お前は」


「えっ……! マモル……」


そう思いながら二人の戦いを見ていると、不意に肩を叩かれた。そちらを仰ぎ見ると、見慣れた茶髪が目に入った。彼は、軽く手を上げると、タクトの左腕の傷を見て、少々顔を曇らせた。


「……出血、大丈夫か?」


「う、うん、多分……」


地面にへたり込みながら、彼は傷口をギュッと締め付けた。だが、その程度では出血は止まらず、返って痛みが増した気がする。表情を痛みにゆがめていると、頭の中でふうっと言うため息が聞こえた。


(私が治してやる)


(あ……うん、お願い)


コウの申し出をありがたく受け入れ、法陣を展開。そこから現れた赤い鳥は、迷うことなくタクトの左腕に飛びついた。そしてそのまま、コウの全身が青い炎に包まれた。


(……暖かい)


その炎を傷口に当てながら、タクトはそう一息ついた。やがて、数秒ほど暖かな炎に包まれていると、コウの体からその炎が消え、いつも通りの姿に戻った。彼の左腕にあったはずの深い傷は、うっすらとした跡を残しただけで、綺麗に消えていた。


幻獣型の精霊には、特殊能力を持つ個体が多く、コウの能力がこれであった。癒やしの青い炎、傷などを綺麗に修復してしまう能力である。だが、あくまで傷をふさぐだけであり、それによってなくしてしまった血液などは元には戻らない。


めまいにも似た症状を感じながらも、タクトはかろうじて立ち上がった。しかし、左腕の握力はほぼなくなっており、かなりの血液を失ってしまったことが分かった。ふらふらとするタクトを支えながら、マモルは後ろを振り返る。


「お二人さん、どうやら大丈夫そうっすよ」


「そう? 良かった……」


彼の呼びかけに、女性の声で応答があった。聞き覚えがあるその声を聞き、タクトは驚きに軽く目を見開く。


「……セシリア先輩?」


「そうよ。タクト君、大丈夫?」


振り向いた先にいたのは、生徒会副会長であるセシリア・フレイヤ。さらにその背後には、見覚えのある少年が立っていた。確か彼は、休業前に現れた襲撃事件の際にも協力してくれた人である。そのときも会話はあまりしなかったし、学園でもギリやセシリアとは違い、あったことがないため、埋もれかけていた記憶を掘り起こして、何とか名前を思い出した。


「フォーマ……先輩?」


戸惑いつつも名前を呼ぶと、フォーマはぴくりと眉を動かした。しかし、すぐにそれも消え、無表情のままにぼそりと呟く。


「どうも、桐生君」


それだけ言い、彼はぷいっと視線をそらしてしまった。その横で、セシリアがすまなさそうな表情を浮かべ、小声で囁く。


「ご、ごめんね。彼、いつもこんな調子なの」


「あぁ、いえ……大丈夫です」


タクトも小声で返し苦笑いを浮かべる。別に謝ることでもないと思ったが、その気持ちはマモルが代弁してくれた。


「大丈夫ッすよ。俺もこいつも、その程度で傷つくようなやわな玉じゃないんで」


「……」


……訂正したいところもあったが、おおむね同意。しかも今は、彼の支えで何とか立っている状態である。タクトは何も言わずに口をつぐんだ。


「あっ……」


と、そこでフォーマが軽く目を見張った。驚きの声を上げて、ある一方を指さした。その方向は、ギリと謎の男が戦っていた所である。タクトやマモル、セシリアは互いに顔を見合わせ、そろってそちらの方向へ視線を動かす。


「っ!? ギリッ!!」


「な……先輩ッ!?」


「おいおいおい、どうなっているんだよ!!?」


ヒッと息をのみ、口元を手で覆ったセシリアは悲痛な叫びを上げ、その横ではタクトとマモルがそろって驚愕の声を出していた。


「……くそっ……っ……かはっ」


舌打ちと共に、ギリは地面に膝を突いている。口元からは一筋の血が流れ、声を出したのがきっかけになったのか、一気に血を吐き出した。


その彼の体は、黒い泡で出来た触手によって両腕もろともしっかりと拘束されており、じっと前方ーー彼を拘束した相手を睨み付けている。しかし、その眼力にもあまり力がない。


そして、彼が睨み付ける相手はーー剣を持った謎の男ではなく、黒く刺々しいシルエットを持った鎧に身を包まれた人物であった。それを見て、彼等は戦慄した。


その姿は、あの時の襲撃事件のさい、異形を引き連れてフェルアントを襲撃した、通称”黒騎士”と呼ばれていた者だったのだ。


近くには、あの男はいない。まさかーー。そう思う彼等の予想を肯定するかのように、その状況になるのを最初っから見ていたであろうフォーマが、ぽつりと呟いた。


「……剣を持っていた男。アイツが、黒騎士だったか……」


無表情にーーしかし、どこか悲痛な面持ちで呟いた彼を、驚きに見開いたまま見つめることしか、彼等には出来なかった。


 ~~~~~


その少し前。雷を纏ったレイピアを男に見舞ったギリは、そのまま大きく後ろに飛び退いた。体を次々と貫かれ、その上雷による感電によって片膝を突いた男は、恨みをはらんだ視線で彼を睨み付ける。だが、その眼力をどこ吹く風とばかりに受け流し、レイピアを肩に担いだ。


「悪いねぇ。でも、ま、学園の生徒会長としては、寮に被害を加えたあんたらを、そのまま野放しにする訳にはいかないんでね」


「っ! ち、気付いていやがったか……」


舌打ちを一つかまし、男は剣を支えにして立ち上がった。苛立たしげにフン、と鼻を鳴らし、


「ああしとけば、厄介な先公共は出てこれねぇとふんだんだがな……。そうか、生徒会どもがいたな」


その言葉に、ギリは思わず苦笑した。


「学園の生徒会を忘れてもらっては困るよ。それでも元フェルアントの役人かい? ”エンプリッター”様」


「………」


男は何も答えない。かわりに、刺殺できそうなほど殺気がこもった視線を投げかけてきた。だが、やはりギリはそれさえもさして堪えていないとばかりに、笑みを貼り付けながら受け流した。よほどの胆力である。


「……どこで気付いた?」


その視線を保ったまま、男は剣を強く握り直し、問いを投げかけた。それは、何故自分がエンプリッターだとーーということを省略した物である。ギリもそれに気付いているのか、笑みをより深くしながら、


「いや~、種明かしにはまだまだ早い。でもまぁ、言ってしまうとねーー」


ポリポリと髪の毛をかきながら、のんきに口を開いた彼めがけて、突如男が剣を振るった。空間にズレが生じ、それにギリが巻きこまれんと襲いかかる。だが、ギリはその動きを前もって予測していたのか、あっさりと躱してしまった。不意打ち気味に放ったはずの一撃をあっさりと躱されーーギリに取ってみればバレバレの不意打ちだったのだがーー、男は目を見開いた。


「ーー”勘”だよ。かまはかけてみる物だね」


何でもない風に言ったその言葉に、男はさらに驚愕し、致命的な隙を生んでしまった。それもそうだろう。不意打ちをあっさりと躱しただけではなく、勿体ぶったあげくに、問いの答えが”勘”であったら、おそらく誰もが驚くだろう。


こんな状況下、ギリは何故かウインクしながら男の懐に飛び込むと、唱えていた呪文を解放。彼が手に持つレイピアの細い刀身が、炎に包まれた。炎剣と化したそれを、彼が出せる最速の早さで次々と打ち込んだ。


懐に飛び込まれた時点でようやく我に返った男に出来たのは、足を動かして体を左右に反らすことだけであった。だが、彼の反射速度では、ギリの連続突きを全て躱すのは不可能である。よって、一息に放った五突きのうち、彼が避けたのは一突きだけ。そのほかは全て、体に突き刺さる。


「ぐっ……はっ……!?」


たまらず血を吐き出した。体を貫かれる痛みと、炎によって負う火傷の痛み。その両方が、男の体をむしばみーーしかし彼は、右手に握ったアニュラスの柄を、がっちりと握りしめる。


二人の体は数十センチしか離れていない。この距離なら、空間斬りは避けられない。そう確信した彼は、表情にニヤリとした笑みを浮かばせ、思いっきり叫んだ。


「へ、バカが……調子に乗って近づきすぎだぁぁ!!」


叫ぶなり、右手に握られていたアニュラスを無造作に振り切ろうとする。アニュラスを持ち上げ、今までの恨みを晴らすべく、相手に死を与えようとして。


そのとき、彼と目が合った。彼は、笑っていた。その笑顔を見て、男の肝は一瞬で冷え切った。


「悪いね、俺は調子になんて乗ってないさ。あくまで通常運転だ」


叫んだ彼とは真逆に、彼は静かに囁いた。そして、その囁きが合図だったかのように、男の右腕が動かせなくなってしまう。


「なっ……!?」


思わずそちらに目を向けると、男は絶句した。空中に茶色い法陣が展開され、そこから石で構成された手錠が伸び、右手首を拘束している。目を見開く彼とは対照的に、ギリは和やかに目を細め、


「その剣の事は、あらかじめレクチャーを受けておいたからね」


男は、ゆっくりと首を動かしてギリを見やった。それにはかまわず、彼は続けた。


「神器が持つ特殊能力は、発動条件を満たしていなければ何の効力も発揮しない。例外はあるけどね。あなたが持つアニュラス・ブレードは、その例外には含まれない。つまり、発動条件を満たさなければならないタイプだ。そして、その発動条件はーー」


饒舌に滑り出した彼の言葉を聞く気はないのか、男は密かに石の拘束具に注ぎ込んだ。すると、拘束具からピシ、という音と共に亀裂が走る。ギリも、それには気付いているのだが、構わなかった。むしろ、抵抗をしている男を、冷ややかな目で見つめながら口を開く。


「ーー単純なことさ。”斬る”のなら、当然”振らなければ”ならない。アニュラスの能力の発動条件は、”振るう”こと。そうだろ?」


「ーーうあぁぁぁぁぁあああ!!!」


彼が肩をすくめたと同時、男の右腕を拘束していた石が、砕け散った。そして、握ったままのアニュラスをギリに向かって叩きつけんとばかりに勢いよく振り下ろす。だが、それより早く、ギリは自らの左手の甲に展開させたままの緑の法陣を解放。


吹き荒れた風が、男の右腕に集中的に吹き荒れ、勢いが完全になくなった。そして、勢いが完全に死に、ただ”落ちてくる”アニュラスを、ギリはレイピアで受け止める。


レイピアはーーいや、ギリも、”斬られていない”。


その状況に、ギリは口元にふてぶてしい笑みを浮かべた。


「ほら、な? 言ったとおりだろ?」


「こっの……糞ガキがぁぁぁぁぁ!!!」


彼のその笑みにぶちぎれたのか、男は組み合わさったアニュラスにさらに力を込め始めた。怒り狂っているためか、膂力はあちらの方が勝っているらしく、じりじりとギリのレイピアが押されていく。それを達観しながら眺め、眉根を寄せた。


「……めんどくせぇ。いい大人が怒るなよ」


「がっ……!!?」


そうぼやき、がら空きになっている男の腹部ーー鳩尾に強烈なけりをお見舞いしてやった。あまりの衝撃に、息を吐き出し、体を折り曲げて数歩後ずさる男に対し、ギリのレイピアが追撃のなぎ払い。


頬を斬られ、男は地面に倒れ込んだ。彼を踏みつけ、ギリは息を吐き出した。


「……あんた達エンプリッターは、”外魔者”だ。一応学園に籍を置いている俺たちでさえも、あんたらを裁く権利はある」


外魔者ーー裁判なしの即十三階段行きに値する罪を犯した者達。犯した罪が重すぎて、人ではない、人の皮を被った化け物共。そんな意味を持つ言葉を言い、しかし彼はため息を漏らす。


「でも、いくら外魔者とは言え、俺としては、今は裁きたくない。……後ろに後輩がいるんでね。あいつらに、そんな俺を見せたくねぇ」


それだけ言うと、彼は拘束用の呪文を唱え始めた。詠唱が終わると同時、魔力で構成された鎖が、何十にも男を縛り上げる。


「ということで、役人が来るまでこうして縛っておくさ。感謝しな、俺の広い心によ」


それだけ言うと、彼はレイピアを収め、拘束した男を放置して学園に連絡を入れようとする。だが。


ーードクンーー


そんな、心音を数倍にまで大きくした音が、聞こえた気がした。それも、”背後から”。


「………」


不審に思い、彼は後ろを振り向いてーー目の前の光景に、驚愕した。


男の体からーーいや、正確に言えば、男の持つアニュラスから、黒い泡が吹き出していた。その黒い泡が、男の体に巻き付いていく。その光景は、あたかも男が泡を生み出しているようにも見える。


「……おいおい、どうなってんだこりゃ……」


さらに、不審な点はあった。つい先ほど、彼に施した拘束用の鎖が、いつの間にか消滅していた。舌打ちを一つ放ち、法陣から証を取り出そうとした。


しかし、取り出せなかった。


「えっ……?」


思わず、法陣を展開させた場所に目をやった。するとそこに、思いもよらない光景が目に入ってくる。


法陣が、止まっていた。


普通、術を使う使わないに限らず、法陣を展開させれば必ずゆっくりな速度で回転している物なのだ。だが、今はそれが完全に止まっている。


(術を凍結ホールドさせた? いや、そんなことはしていない……)


無論、術を凍結させれば回転も止まるのだが、そんなことはした覚えがない。ますます困惑した表情になるギリの視界の隅に、さらに不可解な物が映り込んだ。


「? ……なっ!!?」


そちらに視線を向けると、彼は素っ頓狂な声を上げた。


黒い鎧ーーそれも、全身が刺々しい突起が突きだした、特徴的なフォルム。数ヶ月前に見た、あの時の黒騎士であった。それを身に纏うのは、例の男。


「……嘘だろおい」


思わず頬を引きつらせるギリ。しかし、そんな彼に構わず、黒騎士となった男は、何も持っていない左腕を彼に向かって無造作に伸ばした。


すると、伸ばした腕から、無数の触手が襲いかかり、驚きに身を固めたギリに襲いかかる。


「っ!?」


本能的な動きで致命傷は避けたが、それでも避けきれないほどの触手によって全身をくまなく切り裂かれた。そして、切り裂いた触手が、彼の体を包み込み、両腕もろとも拘束した。


「っ!? ギリッ!!」


「……くそっ……っ……かはっ」


背後から、セシリアの悲鳴が聞こえた。しかし、それに堪える余裕などない。


舌打ちと共に、ギリは地面に膝を突いている。口元からは一筋の血が流れ、声を出したのがきっかけになったのか、一気に血を吐き出した。

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