第29話 おぼろげな運命~2~
お、遅れてしまい申し訳ありません……(汗
くそぅ、用事が何もなければ土、日あたりに更新できたというのに……ッ!
「……ふむ」
机にほおづえを突いている四十がらみの教師であるジムは、もう一方の手でトン、トンと叩いている。大小様々な辞書が散らかっている机の中心には、3枚の紙が乗っかっていた。眉をひそめて悩んでいるその様子を、飲み物が入ったカップを手に持ったアニュレイトが発見し、不思議そうに首をかしげた。
「んん? おいおい、ジムの旦那、一体どうしたって言うんだ、そんな不景気そうな面して」
「……相変わらずですね、アニュレイトさん」
彼の言いように少々呆れ、そして多少気持ちが軽くなったのか、苦笑いを浮かべるジム。そんな彼に、アニュレイトはどんっと胸を張って答える。
「へ、これが俺だからな。不愉快ならお前さんが我慢してもらうしかないさ」
「いや、不愉快ではないよ。……シュリア先生は、嬢ちゃん呼びに辟易としているみたいですけど」
「アイツは元々、俺の生徒だ。なら、呼び方もそのときのままで良いだろう?」
パチン、と不器用にウインクする彼に対して、ジムは笑うしかなかった。だが、彼の親しみの持てる大雑把な態度が、ジムにとっては好ましく思える。事実、彼を慕う生徒も多く、卒業した後も頻繁に挨拶に来るのを見かけたりする。
今は三十代後半だが、それなりに名の知れた精霊使いであり、いくつもの神器を見つけ出したという逸話を持っている。だからこそ、今教師をやっているのだろうが。
「しかしまぁ、アイツも男運の悪いやつだな~。まさか桐生のヤツに惚れちまうとはねぇ」
髪の毛をかきながらぼやくアニュレイトの、背後に立つ人物を見て、ジムはこほん、と咳払いを一つし、そちらの方を指さしながら彼に声をかけた。
「ほう、人がいない時に、その人の噂話ですか」
「は………」
が、遅かった。あちゃー、と額に手を当てて嘆く彼の目の前には、不機嫌そうなオーラを立ち上らしているシュリアと、彼女を見て硬直しているアニュレイトが映った。
目を細めて睨まれるアニュレイトは、ますます顔色を青くさせていき、引きつった笑顔を浮かべて手を上げた。
「よ、よぉ。元気か、シュリアの嬢ちゃん」
「嬢ちゃん呼びはやめてください」
彼女の強さを身をもって知っている彼は、なけなしの勇気を振り絞る。しかし、そうやって口から出た言葉を、彼女はあっさりと両断して見せた。ーーしかも即答で。これには、傍らで聞いていたジムも、口を開閉させるしかない。
「人のいないときに、人が気にしていることをずけずけと……。私も、今となっては後悔していますよ。アイツを好きになったことを」
普段のりんとした雰囲気からでは想像できないほど、乙女な事を口走り、ますます不機嫌オーラをーーいや、怒りのオーラを増していくシュリア。どうやら、本気で怒っているらしい。
剣呑とした威圧感に飲まれ、名うての精霊使いが何も出来ずに、引きつった愛想笑いを浮かべることしか出来ないでいる。思わずジムも、その場から逃げ出したくなるように気持ちにされたが、ゴクリと唾を飲み込み、助け船を出航させた。
「あ、アニュレイト教授っ! これを見てくださいっ!」
「お、おうっ! 何だっ!?」
ジムが先ほど見ていた紙のうち1枚をさっと差し出すと、彼はそれに込められた意味を瞬時に読み取ったのか、表情を輝かせて顔を突き出した。
後ろから、女性の声で「逃げましたね?」と言われた気がしたが、今はこちらの方が優先とばかりに、当然のごとく無視する。
しかし、アニュレイトもその紙に書かれた内容を読み進めていくうちに、眉をひそめ、顔をしかめていく。読み終わったときには、喉に魚の骨が突っかかったような、懐疑的な表情をしていた。
「これは……どういうことだ?」
その問いかけにジムも首を振り、分からないと告げる。それを見ていたシュリアは、興味を引かれた。
「一体、どうしたんです?」
先ほどまでのオーラが完全に消えていることに内心安堵しつつ、その紙を彼女に差し出した。その紙には、こう書かれている。
『この手紙を読んでいるあなたに、頼まれて欲しいことがあります。同封した地図に、マークを付けているところがあります。そのマークを付けたところの奥に、私は用があるのです。……顔も見せず、このような頼み事をする私を許して欲しです。しかし、私もなりふり構っていられないのです。ーーお願いです』
思わずアニュレイトと顔を見合わせるシュリア。最後のTは、署名だろうか。それはともかく、少々、眉をひそめる内容である。
「地図を同封したってことは、それか?」
「ああ、これだよ。……ちなみに、こっちが原文さ」
めざとく彼の机の上に無造作に置かれた地図らしき物を見つけたアニュレイトは、顎をしゃくって示す。それにジムは頷き、疲れた表情を見せながら2枚の紙を手渡した。
アニュレイトは地図を、シュリアは原文と呼ばれた紙を手渡され、思わず眉をひそめた。そこには、何を書いているのかさっぱり分からない、異国の文字がびっしりと書かれていた。ジムの机にいくつかの辞書が置かれていたが、これを訳していたのか、と合点がいく。
「これは、一体何語でしょうか?」
「さぁ……。少なくとも、精霊圏の言葉ではないようだ。……おかけで、訳すのにとても疲れた」
道理で、とシュリアは頷く。彼が訳した文は、まるで異国語を覚えたての学生が、四苦八苦しながら訳したのと同じように、語尾のほとんどがです、ますで終わっている。
首を振り、重々しくため息をつく彼に、いたわりの笑みを浮かべてから、シュリアはざっと目を通し始めた。
手紙の最後には、訳した方には書かれていない謎の文字が一つだけあった。おそらく、署名のつもりなのだろう、しかし生憎、シュリアには訳すことは出来ない。
「先生、最後のこの一文字、一体何と書いてあるのでしょうか?」
彼にも分かるように、その一文字を指でなぞりながら見せると、彼は疲れている目を細めて、数秒その文字を凝視した。首をかしげつつ、恐る恐るといった感じで呟く。
「……たぶん、T、かな?」
う~ん、と唸りながら言う所を見ると、少々、自信がないのだろう。それも当然で、見ず知らずの言葉を訳せと言われても、自信を持って答えることは出来ない。むしろ、予想でも良いから述べた彼のほうが優秀なのだろう。
頷きながら、意味もなくその文字を見ているシュリアの隣で、同封された地図をじっと見ていたアニュレイトがあっと何かに気付いたかのような声を漏らした。
「どうかしたんですか?」
「……いや、この地図、すごく見ずらくてな。読み取るのにすげぇ苦労していたんだが……」
そう言って、差し出した地図を見て、再度眉根を寄せる。原文を見ていたときも感じていたが、どうやら送り主は字や絵が下手なようだ。彼の言うとおり、ものすごく読みづらい。
しかし、だいたいの方角などはあっているようだ。苦労して読み取るうちに、マークを付けられたところが、この学園の裏手にある森、そのある一点を示している。
シュリアとアニュレイトは顔を見合わせ、次にジムと視線を交わせる。彼は、神妙な面持ちで一つ頷くと、
「マークされたところは、本部の要請で立ち入り禁止になっている所さ。……残念だが、その送り主には何もしてあげられないよ。あそこは……」
口ごもり、俯くジムの背を、アニュレイトはバシンッと強く叩いた。一気にエビのように仰け反り、表情を引きつらせる彼に、アニュレイトはため息と共に口を開く。
「何を思い悩んでいるんだ、お前は。顔も見せねぇヘンテコ野郎の頼みなんざ、最初っから聞かなくても良いだろう?」
「それもそうだ。男かどうかは知らないが、そんな者の頼み、別に聞かなくても良いと思いますよ?」
彼に同調するシュリアは、うんうんと何度も頷く。しかしジムは、多少同意するように頷いたが、しかしすぐに顔を俯かせる。
「……私も、そう思ったのだがね。しかし、これを訳したせいかな? ……送り主が、何か必死なのが伝わってきたんだ」
そういう彼の目には、微かな迷いが浮かんでいることに、二人は気付いていた。しかし、彼の真剣な眼差しに気圧され、そろって口をつぐむしか出来なかった。
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「へぇ、せっかくの夏休みにそんなことがあったんだ」
「えぇ。……災難でしたよ、いろんな意味で」
学園の長い廊下を先輩方と並んで歩き、大きくため息をついてタクトは呟く。思い出すのも忌ま忌ましい、という風にブスッとしている様子の彼から、まだ何か起こったんじゃないかとセシリアは苦笑いを浮かべた。
半月前の夏休みに起こったことをそれぞれ語り合っているのだが、話の内容としてはタクトが一番濃いものである。何でも里帰りしていたのに、現地で神器を発見、暴走したのだそうだ。その時、その場に居合わせた協力者ーー彼は身内と言っているがーーと、もう一人の精霊使いと共に無事封印、地球支部に回収された。
タクトの口から概要を聞き、ギリは悪戯っ子のような笑みを浮かべて、
「ホント災難だったな。……しかし、つくづくお前も何かに巻き込まれやすい体質みたいだな!」
「そ、そんなことない……と、思いたい…です…」
「あ、あはは……」
否定しようとするが、思い当たる節があるのだろう、その言葉は尻すぼみになっていく。やがて、諦めたように深いため息をつく彼を見て、セシリアは気の毒そうに苦笑する。
「入学した早々に決闘騒ぎを起こして、あれが引き起こした事件に巻きこまれて、その次にはお前が言ったそれか。もうそういう星の下に生まれてきたとしか思えねぇなっ!」
「……勘弁してください……」
絶対にわざとだろうとセシリアは思うが、一つ一つ思い出すように指を折り曲げながら、ギリは彼が起こした(あるいは巻きこまれた)事をあげていく。次々に暴露され、タクトは嫌そうな顔で口を開いた。
「だいたい、それだとまるで僕が好んでそういうことに巻きこまれているみたいじゃないですか」
「え、違うの?」
「違うわっ!!」
がぁ、と珍しく敬語が外れて彼は叫んだ。ケタケタと笑うギリに向かって、憎々しげに睨むタクトを見て、セシリアはふん、と鼻を鳴らした。
面白くない。何故かはーー分かっているが、とてつもないほど面白くなかった。二人仲良く談笑、といってもほとんどギリが一方的にからかっているだけなのだが、それが面白くなかったのだ。
それは、タクトの見た目がぱっと見、女の子に見えるからなのだろうか。まさか、男の子に妬くなんてーーなどと思いつつ、ギリの耳を引っぱりあげる。
「痛て、いてててっ!!?」
「はぁ、あんたもあまりじゃれ合わないの」
ジトッとした視線を彼に送り、複雑な思いを持ったままタクトに向かってぎこちない笑みを浮かべた。
「それじゃね、タクト君。私たち、この後用があるから」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事を返しつつ目を見開くタクトを放置して、セシリアはギリの耳を引っぱったまま足早に去って行く。痛い痛いと喚きながらも、ギリは減らず口を叩いた。
「何だお前、妬いてんのか、って痛たたたたっ!!」
「そ、そんなことあるわけないでしょっ!! ましてや、お、男の子同士になんてっ!!」
傍目から見ても仲の良い風にしか見えない彼等の後ろ姿を、タクトは引きつった苦笑いと共に見送っていった。