番外編 桐生家の日常~3~
鈴野レナは、今の状況にほとほと困り果て、そして羞恥に顔を赤く染めていた。
やたらとフリルのついた、白と黒のミニスカート。同じ色彩で彩られた上着に、白いエプロン。そして頭にはカチューシャを付けている。そんな今の現状を、目の前の鏡がありありと映し出し、げんなりとした表情で背後にいる友人達を振り返った。
「あ、あの……こ、これ何のコスプレ?」
「もち、メイド……じゃないや、ウェイターだよ、ウェイター」
見てわかんない? と言わんばかりの顔つきで、一人の女子生徒ーー未来が答える。しかし、聞き逃せない事を口走っていたため、レナは頬を引きつらせる。あはは、と愛想笑いを浮かべてゆっくりと逃げるような仕草で後ずさると、今着ている服に手をかけ脱ごうとする。
だが、その前に友人である未来がそれを阻もうと彼女に抱きついだ。
「い、いや~~!? な、何するの!」
「脱いじゃダ~メッ! レナ、手伝ってって言ったら、素直にやるって言ったじゃないっ!」
「手伝うって言ったけど、裏方の仕事だと思ってたの~! 大体、なんでこのクラスの出し物がホスト&メイドカフェなのっ!!」
ーーそれが、レナがひどく困っている理由であった。
数日前に、友人である未来から「時間があったら学祭手伝って」というメールが届いたのだ。それに彼女は持ち前の人の良さからか、即座に了承してしまい、結果、メイド服着て接客するという、彼女にとってハードルの高い事をやるはめになったのだ。
その際に、クラス企画が一体何なのか、とか、どういったことをするのかとは聞かなかったレナもレナなのだが、一言も言っていなかった未来も未来である。そんな彼女に、今思いついたのか、反撃の言葉を口にする。
「未来はどうするのっ! 未来もこれ着て接客するんでしょっ!」
と、今着ているメイド服を指さしながら声を荒げるが、彼女はしてやったり、というような笑みを浮かべて、
「あたし、それ着たくなかったからね。だからレナに任せるよ。それに、マモルからも誘い受けてるし」
などとあっさり言い放つ。それを聞いて、唖然として目を見開いたまま押し黙った彼女に、未来はバイバイと手を振った。
「それじゃあね。あ、クラスのみんなにはもう話は付けてあるから~」
にこやかな笑みを浮かべて去るこの友人との、友情とやらについてみっちりと語り合わなければならないな、と思いつつ、彼女の背中に向かって思いっきり叫んだ。それは普段のレナからは想像も出来ないほど大きな声であった。
「う、裏切り者~~~~!!!」
ーーそれが、数十分ほど前に起こった出来事であった。
(うぅ、なんでこんな目に)
(ま、何事も経験よ。それにレナ、あなたその格好も似合っているわよ)
内心でべそをかきつつそう愚痴ると、彼女の精霊であるキャベラが落ちついた声音で賞賛する。だが、その声音の微かな震えに、レナは感づいていた。
(……それで、本心は?)
(…………)
(何かしゃべってお願い)
何も言わないキャベラに、心の中で大量の涙を流しつつ、教室に飾られた鏡に目を通す。服装は乱れていないが、緊張と羞恥と気恥ずかしさからか、顔が赤い。めちゃくちゃ赤い。耳まで真っ赤である。
「うぅぅ……」
思わず涙目となってスカートの端をぎゅっと握ってしまうが、レナの中にいるキャベラとしてはその仕草が愛らしい。精霊にも一応の性別があり、キャベラはメスな訳だが、それでも今の彼女を一目見ると、思わず惚れてしまいそうなものがあった。
保護欲がかき立てられる、というのが正しいか。今の彼女からは、そんな物が漂っていた。
周りに気を配れば、そんな彼女を愛おしそうに見ている者や、反対に敵対心丸出しで睨み付けている者もいる。特に男子達は、そんな彼女に目が釘付けで、中には口をぽかーんと開けている者もいた。隣にいる者がそれに気付き、からかうような仕草で脇をつかれ、慌てて閉ざしたが。
が、レナからしてみれば、そんなことに気付く余裕がないようだ。せわしなく、落ちつかない様子でうろうろしている。そんな彼女に、一人の女子生徒が肩を突っついた。
「ほら、鈴野さん落ちついて。……これ、お願いしますね」
そう言って手渡されたのは、飲み物の乗ったお盆であった。それを差し出した彼女は、笑顔で教室に置かれたテーブルの一角を指さした。どうやら、これをあそこまで運んでくれ、ということだろうか。レナは緊張した面持ちで頷くと、そのお盆を持ってテーブルに近寄っていく。
「い、いらっしゃいませ……」
何とか愛想笑いを浮かべてーー絶対引きつっていると半ば確信しているがーー、お盆にのっていた飲み物をテーブルに置いておく。お客である男性二人は、レナのことを熱っぽい視線で見ていたが、彼女はそのことに気がつかないまま撤退していく。
その動きの早さから、話しかけるタイミングを失った男共は、ふうっとため息をついて出された飲み物を飲む。
ホスト&メイドカフェ、という非常識じみた出し物をやっている割には、お客の流れはそれなりに良いようだ。実際、男女問わず何人ものお客に飲み物や軽食を出していた。
「いらっしゃいませ-」
いくつかの仕事をこなすうちに、ようやく慣れてきたのか、クラスのみんなともそれなにも打ち解けたーーといってもそのほとんどが女子だがーー頃、もう言い飽きた、そして聞き飽きた挨拶を耳にし、レナはお盆を持ったまま何となくそちらを向いた。
そして彼女は、ぴきり、とその場で硬直する。それは新しくやってきた黒髪と金髪の二人の男子達も、同じであった。
「……何やっているの?」
「い、いやこれはっ……!」
半ば呆然とし、頬を引きつらせつつ、幼なじみであるタクトが呟いた。その言葉で、ようやく硬直が解かれたのか、顔を真っ赤にして慌て始める。
「なるほど、使用人の格好か。だけど、若干露出が多いか……?」
「……アイギット。ごめん少し黙ってて」
しかし、彼女が口を開く前に、顎に手をやったアイギットが、今のレナの服装を見てのんきな声でそう評価した。やや頬を引きつらせつつ、レナはそう言ってのけた。
だが、アイギットの発言のおかげで、幾分か心が落ちついてきた。そしてタクトの方へ向き直り、これまでの経緯を説明しようとして、彼が顔を背けていることに気がつく。
「どうしたの?」
首をかしげて問いかけると、タクトはあー、やらうー、やら唸り、気恥ずかしそうにしていた。そんな彼に、隣のアイギットは大きくため息をついて彼の頭に拳骨を落とした。
「いたっ!!?」
「気にしすぎだお前は」
よほど痛かったのか、脳天を押さえつつ、涙目で殴った彼の方を睨み付ける。しかし、相も変わらず迫力という物が全くない。それよりも、レナとしてはアイギットの言葉の方が気になり、口を開きかけたのだが、それより先に彼女の背後から声が上がる。
「ねぇ、そこのお二人、もしかして鈴野さんの友達?」
声をかけたのは、クラス委員の一人であった。レナは彼の問いに首を縦に振って答え、それに満足したのかタクトとアイギットをじろじろと無遠慮に眺める。その瞳の奥には、狡猾そうに絶え間なく動いていた。
「ふむふむ……」
顎に手をやって二人を眺め、その視線にどこか居心地の悪さを感じ取ったのか、不安そうに視線を交わしていた。やがて納得がいったのか、クラス委員である彼はずり下がった眼鏡を押し上げて声高に叫んだ。
「ん~……よし、君はメイド、君はホストを頼むよ。ーーみんな、お手伝いさんが来てくれたよぉぉ!」
「って、待て待て待て待てっ!!」
待てを連呼したのは、タクトとアイギットである。ちなみに役割は、タクトがメイドでアイギットがホストである。彼の叫びから、嫌な予感をひしひしと感じ取ったのか、二人の表情は必死である。特にタクト。彼は、クラス委員が叫んだのと同時に、裏方の方から感じる気配に気付き、身の危険を感じ取ったのかアイギット以上に必死である。
だが、レナはそれに納得できてしまう。彼の容姿は、相変わらず女性じみた物があり、格好さえ整えればたちまち可愛い女の子になってしまうだろう。本人はひどくつまらなさそうだし、何か、妙な敗北感を感じてしまうが。
アイギットの方も、容姿がかなり整っており、女性陣からの人気が高くなりそうな予感がする。実際、何人かの女子生徒からはうっとりとした視線を彼に向けている。
だが、確かなのは、二人はもうこのクラスの出し物を手伝わされることは確定であり、そしてタクトはメイドとして、アイギットはホストとして手伝わされる事。一人、違うことをやらされている気がするが、見た目が見た目なので大丈夫だろう。一人うんうん頷くレナに、タクトがきっとした目を向ける。
「レナ、何か変なこと考えたでしょ」
「…別に。気のせいじゃない?」
一瞬心を読まれたのかと思ったが、そんなことはおくびにも出さずにすました顔で否定する。だが、騙し切れたかは怪しいところだ。じっと疑うような視線を向けていたが、突然、クラス委員が彼等を引きずるようにして裏方へと引っ込んでいく。
「って、ちょっ!!? 待って、まだ誰もやるとは……」
「あ、すまない。俺が良いぞと了承した」
「アイギットォォォォ!!」
この世の終わりか、というような表情で叫ぶタクト。その隣で彼と同じように引きずられているアイギットの手には、割引チケットが握られていた。どうやら、物で釣ったらしい。
それはともかく、引きずられていく彼等を見送って、レナはある一つのことを思っていた。このクラス、他力本願過ぎない? と。
やがて着替え終わったのか、再度教室に入ってきた二人は、色々な意味で注目度が高かった。
女子達が来ている物と同じメイド服を着込み、さらさらとした長い黒髪にやや大きめの瞳。今はその瞳が大きく見開かれて、レナと同様羞恥に頬を赤く染めている。身長はさほどでもないーー大体、女子達とさほど変わらない程度だーーが、体つきが全体的に細く、肌も白い。胸が出ていない事を除けば、まごう事なき美少女、であった。
そしてこのメイド服を着た美少女こそが、桐生タクトであった。彼は頭から湯気が出そうなほど表情を赤らめ、俯き加減の様子を見ていると、感嘆と同時に、やはりすさまじい敗北感が生まれ出る。元が男性であるが故に、なおさらである。
余談だが、コウやマモル、クサナギなどは、女装した彼のことを(無論タクト自身にそんな趣味があるわけではない)タクミと呼んでいたりする。
彼(彼女?)の後ろから現れた金髪の男子も、やはり頬を引きつらせていた。どこから借りてきたのか、黒いスーツにネクタイをびしりと着込み、金髪を後ろでまとめた姿のアイギットは、落ちつかない様子でスーツをいじり回している。
そんな彼も、女子達からの注目が高い。困ったような笑いを浮かべている彼を見て、キャーキャー黄色い悲鳴を上げている彼女たちを見て、呆れた笑いを浮かべる。しかし、そんな彼女たちの気持ちも分からないではない。
事実、スーツをぴしりと着こなしているためか、色気という物がないのだが、もし着崩したらそれだけでやばいことになるだろう。おもに女子達が。今の彼はそれこそ、本場のホストに勝るとも劣らない雰囲気を漂わせているのだった。
「くっくっくっ……これで売り上げはうちらが一番だな……」
二人を見ていたクラス委員が、眼鏡を光らせて呟いたその一言を、レナは聞こえなかったふりをした。ーーうん、耳の錯覚だよ。そう結論ずけたのだった。