第43話 神の試練、再び~1~
アメリア――その名はタクトにとって聞き覚えのない、しかし懐かしさを感じさせる名前であった。先代の記憶を全て追体験した訳ではないため、先代と彼女との間にどのような絆があるのかはわからないものの、溢れ出すこの感情からはかなりお世話になったことが窺える。
しかし垣間見た記憶の姿と、今タクトが目にしている姿は大きく異なっていた。以前は妙齢の女性といった風貌だったが、今は年老いた老婆の姿となっており、時の流れを嫌でも感じさせられる。
「――さて」
『っ!!?』
――もっとも、タクトが抱いていたしんみりとした感情はすぐに消えてしまったが。一同がアメリアと自己紹介を終えると、彼女はふっと微笑みを浮かべ――次の瞬間には、妙齢の美女に変わっていた。
あまりにも唐突な変化に、ログサを除く全員が目を丸くする。目を見開くタクトは呆然とした様子で口を開き、
「あの、その姿は……」
「気分を入れ替えるために、姿を変えてみた。かつてはこの姿だったのじゃ……どうじゃ桐生タクト、懐かしいか? それとも怖いか?」
「……怖い?」
「何じゃ、そこまでは思い出しておらぬのか……まぁ奴も忘れていたかった記憶かも知れんしのぅ」
流れるような金髪に大きな目、体のラインを強調するようなドレスに身を纏った美女に変わったアメリアは、くるりと回ってタクトに問いかける。しかし彼は顔をしかめ、首を傾げるのみ。
その反応から、やはり全ては思い出していないようだと確信し、どこか落胆したような表情を浮かべていた。
「………」
先程から二人のやりとりを聞いていたレナは、どこかアメリアを警戒するような眼差しで見やりながら、一同が抱いていた疑問を口にする。
「えっと……アメリアさんとタクトは、知り合い……というわけではないんですよね? タクトの”前世”の方のお知り合い……ということですよね?」
「うむ、そうじゃのう。最も、お主達が思い出せぬだけで、我とお主達は一度会っておるぞ」
「……へ?」
「ん……?」
二人を指さして告げるアメリアの言葉に、レナとタクトは互いに顔を見合わせ、首を傾げた。会ったことがある、と言われても思い出せず、それはレナも同様なのか顎に手を当てて考え込んでいた。一体いつ出会ったというのか。
『――――あ、思い出した。あの日私の結界をぶち破った予言者』
「予言者? ――まさか」
二人の間に沈黙が流れたものの、スサノオが何かを思い出したようで急に会話に参加しだした。前半部分も微妙に気になるが、タクトは後半の予言者という言葉に耳を傾ける。最近も予言者という言葉を聞いたばかりである。
はやる気持ちを何とか抑えつつ、タクトはアメリアに向かって口を開く。
「もしかして、昔俺のことを占ったって言う……!」
「うむ、そうじゃぞ。その時に出会っている……もっとも、二人は幼すぎて覚えておらぬようじゃが」
「……それは出会ったって言えるのか……?」
からからと笑う彼女の言葉に、マモルは半眼となって突っ込みを入れる。確かに出会ってはいるものの、正直出会ったとカウントして良いのか厳しいところがあるように思える。
「…………」
母親である風菜から聞いた予言者。『王の剣と王の杖は死闘を繰り広げ、互いに互いを殺し合う』という予言を口にしたのがアメリアだったとは。千年も続く奇妙な縁に、タクトは半ば呆れつつも、
「アメリア……師匠。その、俺とテルトに授けた予言は――」
「本当の事じゃぞ」
“混ざり始めている”のか、自然とアメリアのことを師匠と呼ぶタクトの問いかけを遮り、彼女はこくりと頷いて彼をじっと凝視する。
「――”あの世界の理”が、お主達剣と杖の魂に刻み込んだ絶対のルール。……先代王の杖が残した呪い」
「――それは、どういう……」
驚いているのか、目を見開いて素っ頓狂な声を漏らすタクト。しかしそんな彼にアメリアは笑みを浮かべながらも首を振り、
「説明しても良いが、お主が今日来たのは別件であろう? そちらがすんで余裕があれば教えてやろう」
「え、いや、それもそうなんですが――」
そういってアメリアはパチンと指を鳴らし――気がつけば彼女とタクトの姿が綺麗に消えていた。
「……え!?」
唐突に現れ、そして唐突に消える――そんなアメリアの行動に、我に返ったレナは目を見開き、ログサはため息をついた。
「……出たなあの人の”人嫌い”。結局俺には一言だけか」
「まだ良いでしょう。あの人自己紹介を除けば、俺達に対して会話すらしてくれませんでしたから……」
何度か会話に突っ込みを入れたのだが、悉くスルーされたことを思い出しつつマモルはため息をつく。そういえば確かにアメリアはマモル達に声をかけず、また視線を向けることさえなかった。例外はレナとログサのみ――いや、ラルドにもちらりと一瞥したのは覚えている。
「………」
そのラルドは神妙な顔つきで何かを考え込んでいた。そんな彼にレナは首を傾げ、どうしたのかと問いかける。
「ラルド君、どうしたの? 何か気になることでもあった?」
「……あ、いえ……大丈夫です、多分」
レナが問いかけると、ラルドははにかみながら答えた。――何かをはぐらかしたような、そんな気がしたものの、彼女はそれ以上問い詰めることはなかった。問い詰める前に、ログサが肩をすくめて、
「まぁ、これでもまだ充分マシな扱いなんだよなぁ。俺が初めて会ったときは、『自分の家を荒らすな、立ち去れ』って言われて追い出されたぜ……」
遠い目をして、まだマシな扱いだと言う最年長のログサ。そんな彼に一同は苦笑する。一体どのような手段によって追い出されたのか気になるが、きっと聞かない方が良いのだろう。
「……っていうか、ここあの人の家なの?」
「玄関だそうだ。……俺にはよく分からんが」
「ここ洞窟ですよね……?」
この場所がすでに彼女の家だと教えてくれたログサに、フォーマは首を傾げて意味が分からないとばかりに顔をしかめている。辺りを見渡しても岩肌が辺りを覆う一本道の洞窟でしかない。
「………」
最も、彼の表情がよろしくないのはそれだけが理由ではない。自身の首にかけたペンダント――フェル・ア・チルドレンとしての本当の姿を封印してくれている拘束具をそっと掴み取る。
(……あのときの人に似ているような……)
自身でもうる覚えであるが、このペンダントを渡してくれ、”人”にしてくれた人物に似ているような気がしたのだ。あの頃の自分は、魔力の暴走状態に陥っていたレナ以上に危険な状態であり、自我を失いかけていた時期でもあるため、記憶があいまいなのだ。
勘違いかも知れない。だがもしも恩人なのだとしたら――洞窟の奥をじっと見つめるフォーマは、一人拳を握りしめる。
「………何だ?」
人知れずフォーマが決意を固めている傍ら、何となく後ろを振り返ったログサは奇妙なことに気づく。これまで進んできた道のりは一本道だったはずなのに、後ろにあるはずの入口が綺麗になくなっていた。
~~~~~
「――――……」
思わず目を瞑ってしまうほどの光に包まれた後、そっと瞳を開いていくタクト。その視界に写る光景を見て目を見開き、呆然とその景色を見やっていた。
青い空に太陽が浮かび、一面緑で覆われた平原。遠くに木々が立ち並ぶ森も見え、また別方向には鋭い円錐状の屋根を持つ高い建造物――中世の城というイメージが沸いてくる建物もある。
またある場所では、建造物群の中心にある塔のように高い建物からケーブルが伸び、それが下方にある建物に繋がっているというよく分からないものもあった。そのほかにも、見覚えのない“逆三角形の山”という不思議に思う建物や光景が目に映り込んでくる。
これらの光景に見覚えはない――だがタクトは景色ではなく、この場所の雰囲気と空気感に懐かしさを覚えていた。
(……やっぱり俺……)
「どうやら記憶感応によって中途半端に混じっているみたいじゃのう。ま、”アイツ”も今更生き返りたいなんて思っていなかっただろうし」
懐かしさを覚えることに何とも言えない気持ちを抱き、それをアメリアに見抜かれるタクトは、驚きを浮かべて彼女を見やる。中途半端に混じる、というのはタクトの中に初代王の剣の記憶が入り込むことを指しているのだろう。
記憶感応は、記憶の追体験――その中で相手の感情も自身の中に流れ込むため、階数を重ねれば重ねるほど、それが記憶の感情なのか、自身から生まれ出た感情なのか分からなくなってしまうことがある。最悪、記憶の感情に、自我が飲み込まれる可能性もある。
「生き返るって……やっぱり、記憶感応を続けていくと……」
「ま、可能性の一つという奴さ」
生き返るという言葉の意味――つまり記憶感応の果て、記憶の感情に自我が飲み込まれ、別の人格にすり替わると言うこと。タクトの場合は、初代王の剣の人格になってしまうことだろう。死者蘇生――と呼んで良いのか不明だが、実質的にそれに近いことが起きるだろう。
その可能性を指摘したアメリアに、タクトはふぅっとため息を漏らす。――その危険性については今更だが、しかしこうして初めて見るものを”懐かしい”と感じる辺り、そうとう混じってきているのを自覚する。
――この空間はアメリアが造り上げた場所。かつてスサノオと対峙した際、スサノオが展開した洪水世界と原理は同じ。“神”としての権能を用いて造り上げた自身だけの異世界――それがこの場所である。
『……これは驚いた。まさか姉上と同格の神とは……』
「む? ……あぁ、妙な気配がすると思ったら、神剣であったのか」
タクトに背負われたスサノオが呆然とした声を出す。タクト一人をこちら側に招いたと思っていたアメリアは、その声に眉を寄せ、正体に気づいたのか一人納得したように何度も頷いている。
「申し遅れたな、私はアメリア――この異界の主である。どうやら海神の一柱と見受けられるが。昔はすまなかったな、主の結界を壊したりして」
『スサノオノミコト……スサノオである。故あって剣に宿る神霊となっているが、よろしくお願いする。……もう蒸し返さんでくれ』
流石の彼女も神霊にはきちんと反応している。礼には同等の礼で返すのが”武神”、とでも言いたいのか彼女にあわせ尊大な口調で応答している。――その間に挟まれたタクトは少々居たたまれなさそうに視線を彷徨わせていたが。
「ふむ、しかし今代の”剣”は神を従えているのか……ふむ」
興味深そうにタクトに背負われたスサノオを眺める彼女はやがてその柄に手を伸ばし、触れようとしたものの、その直前で剣から人型へと姿を変えてひらりとその手から逃れる。銀色の子人へと姿を変えたスサノオを見てアメリアはふむと頷き、
『気安く触れないで貰いたい』
「……そうか、残念だ……高位の神格を持つ神霊か……お主がいれば、あるいは……」
何かいやな思い出でもあるのか、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべたスサノオに対し、アメリアは一人で勝手に納得しふむふむと頷いている。正直彼女が何を考えているのかよく分からなかったが、
「――所で、主の世界の精霊と、そこにいる神霊はどう違うのだ?」
「え? 精霊と神霊の違い……?」
『…………』
何の脈拍もなく、唐突に質問を問いかけられ、タクトは首を傾げてスサノオを見やった。スサノオは無表情を浮かべており――何か考え事か、気になる点があったらしい。仕方なくタクトは頬をポリポリとかきながら、
「精霊は、炎や水のような自然物に意思が宿ったもの……基本的には霊的存在だけれど魔力と結びつき、魔力があればその姿を実体化出来るようになった存在で、神霊は……」
精霊について簡単に説明するタクトの後を継ぐように、彼の肩に降り立ったスサノオが無表情でアメリアを見つめながら、
『神霊も精霊もそう大差はない。ただ神霊は、文字通り”神の意志”……自然物に宿った意思が規格外(神)なだけだ』
それがどうかしたのか、と相変わらず無表情で告げるスサノオ。だがその”仮面”の奥に隠された”意思”を感じ取ったアメリアは、探るような目つきで銀の子人を見据えて。
「聞きたいのじゃが、お主は剣に宿ったのじゃろう? 主は”神”として敬まわれたいのか?それとも”剣”として使われたいか?」
『――”人”として接して貰いたいな』
「―――――」
その言葉はアメリアにとって予想外だったのか、目を丸くしてスサノオを見つめる。対するスサノオは、相変わらずの無表情――しかしその目に映る決意は、揺るぐことはなかった。
「スサノオ……」
相方の過去をある程度知っているタクトも驚きを隠せず、しかしどこかで納得している自分がいた。――遙か昔、“彼”が一人の人間の女性を娶ると決めた時に決めた思い。それが今の言葉に表れていた。
「……人に堕ちた神か……面白いな、主は」
予想外の言葉によって固まっていたアメリアだが、やがてクツクツと笑みを溢し、先程よりは多少柔らかさが増した笑みを浮かべて、
「主がいるのなら、此度は違う末路を向かえるかも知れんな」
『そうできるように、私も力を尽くすのみだ』
「…………」
アメリアの言う末路とは、誰のことをさして言っているのか。心当たりのあるタクトは、彼ら神々の会話に少しだけホッとする。――例え思い違いだとしても、気休めにはなるのだから。
「――――さて、お主が来た目的じゃが……昔と同じで良いのじゃな?」
笑みを浮かべていたアメリアは、先程よりも遙かに上機嫌になった様子でタクトに問いかけた。昔と同じ――心象術の手ほどきを受けるために――千年も昔のことだというのに、あのときと同じ理由であることに因縁めいた何かを感じてしまう。タクトも苦笑しつつ、こくりと頷いた。
「うん。心象術のことを教えて欲しくて……」
「クックック、やはりログサの小僧っ子には荷が重すぎたか」
少し前に心象術のことを教えてやった弟子のことを思い出し、アメリアは笑みを溢す。奴にもきちんと術の基礎を叩き込んでやったのだが、やはり他者に教えられるほど熟達してはいなかったか。
どのみちあの男は何事も感覚で行ってしまうような野生児だ。他者に教えるなどと言う細かいことは不得手であったと今更ながら思い出す。それに彼に関しては、時間がなかったと言うこともある。”王”が行おうとしている企みを奴に教えた途端、すぐにここを飛び出して行ったのだから。
「―――――まぁよいか」
「………?」
そこでふと、目の前の”剣”は王の企みを知っているのかどうか気になったものの、そこまで尋ねる気にはならなかった。
「さて………心象術を教えると言うことならばまず――」
「棒を使った訓練はなしで。……一度は使えていたんだ、思い出すだけで言いんだよ」
「…………」
――やはりあのやり方は気に入らんか。先を制されたアメリアは苦笑しながら頬をポリポリとかく。確かにあのやり方では時間がかかりすぎる上に、彼の言うとおり一度は使えるようになった術だ。それを思い出すような事をしてやればこちらも労少なくてすむ。
しかし一体どれほど記憶感応の副作用が出て来ているのか、そちらの方が気になった。棒を使った鍛錬も、”使えていた”という発言も、どちらも初代王の剣でなければ出てこない言葉だ。それが自然と出て来たと言うことは――そういうことなのだろう。
「それもそうか。それにお主は、触りだけとはいえ”鍵の呪文”を思い出したのだ。すぐに思い出すじゃろう」
「すぐってどれくらい?」
「ふむ……さしずめ数ヶ月、というところか」
「数ヶ月か……」
タクト基準で言えばすぐではない。それまで悠長に待つことは出来ない――そんな感情を素直に表したのか、眉根を寄せてタクトは何かを考え込む。じっとアメリアを見据えていると、肩に腰掛けたスサノオがため息をつく。
『全く、これだから神位に達したものは……私もそうだが』
「え?」
何かに気づいた様子のスサノオに、タクトは自身の肩を見やる。そこに腰掛ける相方は、真剣な眼差しと口調で告げる。
『今頃気づく私も私だ……いや、何らかの干渉を受けていたのか。ともかく、アメリアの”試練”はもう始まっている』
「……試練?」
タクトは眉根を寄せて問い返した。試練――一体何を指しているのか分からなかったが、他でもないスサノオが言ったことに意味がある。一拍おいてそのことに気がついた。瞳を見開くタクトは、視線をスサノオからアメリアへと移し、唸るように囁いた。
「――神々の試練……!」
以前スサノオと戦った――受けた試練を思い出した。あのときはスサノオが造り上げた“異界”の中で、スサノオに自身の主として認めて貰うために戦った、あの試練を。
思えばあのときと状況は似通っている。今タクト達がいるのは、アメリアが造り上げた“異界”の中――アメリアは口角をつり上げ、愉快そうに告げる。そしてふわり、と宙に浮かび上がった。
「貴殿は海神だが、同時に武神でもあるのだろう? そんな貴殿を下した”二代目”ならば、大いに楽しませてくれるだろう」
「い、一体どういうつもりで――」
膨れあがる戦意と、移り変わる周囲の風景。異なる文化を組み合わせながらも、どことなくのどかな雰囲気だった異界が、瞬く間に荒廃した雰囲気へと変わっている。あったはずの建築物は崩れ去り、散らばるのは瓦礫の山々、そして燃えさかる劫火。
明らかな戦闘態勢を見せるアメリアを前に、意表を突かれたタクトの叫びに、普段とあまり変わらぬ口調で二神は告げた。
『戯れだろうな』
「戯れじゃ。それに妾も、一度教えたものを、丁寧にもう一度教える気にはならん。思い出させてやろう」
そういうアメリアの手には、いつのまにか光り輝く弓が握りしめられていた。そしてその姿も、妙齢の美女然とした外見から一点、”男”の狩人を思わせる衣装と姿になっていく。先程までと比べると一気に低くなった声音で彼女――彼は告げる。
「――自身の意思を示し、心象を取り戻して見せよ。敵わぬならば――お主の友は皆、永久の暗闇に囚われ続けるだろう」