第40話 それぞれが、前へ進むために~2~
桐生邸の縁側に腰掛け、ここ最近で見慣れるようになった茶髪の少女がいた。彼女はぼうっと青空を見上げており、何かを考えているように見えた。――だがひょんな事から彼女との付き合いが長い白髪の男性はため息をつく。あれは多分、何も考えていないと勘づいたためだ。
「シズク、こんな所で何をやっているんだ」
「あ、カルア。ん~……考え事かなぁ」
「嘘をつくな。何も考えていなかっただろ」
白髪の男性――カルアが声をかけると、シズクはきょとんとした表情で彼を見やり、次いで青空へと視線を戻すと、しばしの間を置いてそう答えたのだ。
しかしカルアは即座に否定し、彼女の隣へ腰を下ろした。その鋭い指摘にえへへっ、と恥ずかしそうに笑みを浮かべる少女は素直に頷く。やはり何も考えていなかったのだろう。
「ごめん、本当は何も考えていなかったです。……いや、飛んでいる鳥さんを見ておいしそうだなぁ、ぐらいしか思っていないよ?」
「……周りに人がいないかどうかを確かめてから口に出せよ、そんな考えは……」
彼女の発言に、呆れたと言わんばかりにため息をつくカルアである。元々地球出身ではない彼女にとって、小動物はもっぱらの“獲物”であったりするのだ。最も、彼女の中に流れる血も、全くの無関係ではないだろうが。
カルアが縁側に腰を下ろすと、シズクはさり気なく彼との距離を詰め、彼に寄り掛かる。それに対し、若干体を反対方向に傾けるカルアはため息混じりに問いかける。
「……決心は変わらないんだな?」
「――うん。まだ付き合いは短いけれど……もう”友達”だもの」
にっこりと笑みを浮かべて頷いた彼女に、カルアはしばし黙り込んで彼女を見やったが、やがて口元に笑みを浮かべ、こくりと頷いた。ポンポン、とシズクの頭を撫でてやり、カルアも青空を見上げるのだった。
「――なら、お前の力を借りるぞ」
「……うん!」
頭を撫でられたのが嬉しいのか、顔一杯に笑顔を浮かべてますますカルアにくっついていく。それに比例するように彼の体の傾きも大きくなるのだが、決して嫌そうな表情はしていないことから、満更でもないようだ。
端から見れば、仲の良い歳の離れた兄妹のように見えなくもない。そんな和やかな空気が流れる中、先程からタイミングを伺っている一人の少年に向かってカルアは声をかけてやった。
「それでアイギット、お前はさっきから何をしているんだ?」
物陰から感じていた視線の主であるアイギットが、すっと姿を見せた。それに伴い、引っ付いていたシズクはハッとしてカルアから距離を取る。その姿を微笑ましく思いながらも、アイギットは言いづらそうに首を振る。
「い、いや、その……声をかけたかったのだが、どうやって声をかければ良いのかわからなかった……」
「普通に声をかければ良かったものの……」
何でもないことのようにカルアは言うものの、引っ付いた二人の様子(特にシズクの方)を見れば、声をかけることに躊躇するのは当然だろう。
カルアの方はともかく、シズクの方は彼に対する好意を隠そうともしていないため、周囲の人間はだいたい事情を把握できている。問題はカルア自身なのだが、気づいていて、敢えて気づいていないふりをしているように見える。
「まぁいい。声をかける機をうかがっていたと言うことは、俺に用があるのか?」
「――はい。それで……」
ちらり、とアイギットは彼の隣にいるシズクを見やり、表情を曇らせる。その仕草から、彼女には聞かせたくない話だろうかと思いながら、しかし彼が尋ねてきた理由を何となく察したカルアは、こちらから口火を開いた。
「――”憑依”について、か?」
「っ!」
目を見開き、驚きを露わにするアイギットを見て、やはりかとばかりにため息をついた。おそらくシズクがいるため、憑依――精霊憑依のことを口に出すのは憚れたのだろう。
「一つ勘違いしていそうだから言っておくが、シズクは精霊使いではない。……生まれつきで”魔力炉”を持っていただけだ」
「生まれつきで魔力炉を……」
魔力炉は、精霊使いが体内に宿している、本人の生命力を使って魔力を精製する機関である。その魔力炉は、普通は精霊と契約を交わした際に体内に生じる機関であり、生まれつき魔力炉を持っているという事例は少ない。
――だが無論、フェル・ア・チルドレンであるレナやフォーマがそうであるように、何事にも例外はある。彼女もその例外であるようだ。
「……まぁ、私も色々とね……」
視線が下がり気味になりながら、凄まじく複雑そうな表情をするシズクを見て、何やら深い事情があることを悟ったアイギットは、それ以上この件について問いかけることは止めようと思った。代わりにカルアを見やり、先程の話の続きを口にする。
「……俺に、精霊憑依を教えて欲しい」
「なんで俺に頼むんだ? もうタクトも使えるようになっているし、奴に頼めば……」
ふるふると首を振り、それは出来ないと告げるアイギット。
「これ以上、アイツに負担をかけるわけにはいかない。タクトはタクトで、自分の……色々な問題で手一杯だ」
彼には彼で、そちらの問題に集中して欲しい、とアイギットは口にする。彼の思いを黙って聞いていたカルアは、やがてため息をついて首の後ろをポリポリとかく。
どうやらタクトは、”あの人”と同じく、周囲の人間を引きつける才覚があるらしい。その辺りは流石だなと思いながら、つい口に出してしまう。
「……恵まれているな、アイツは」
「アイツのあの状況を、恵まれているなんて思えないが」
若干こちらを非難するような視線を向けて来たアイギットに対し、カルアは誤解していると首を振って否定した。
「違う、そうじゃない。……自分から進んで手を差し出してくれる友人達がいて、恵まれているという意味だ。しかも”二人”もだ」
苦笑しながら付け加え、カルアは縁側から立ち上がると、きょとんと見返してくるアイギットを見下ろした。
「……”二人”?」
「あぁ」
どういうことだ、と眉根を寄せるアイギットに対して頷き、彼は”先程の彼”と同じように、桐生邸の一角へ向かって顎をしゃくり、
「道場に行くとしようか。もう奴も始めているはずだ」
カルアとシズクと共に桐生邸に併設された道場へ足を踏み入れると、その中央で胡座をかきつつ、顔をしかめながら首を傾げるマモルと、ここ最近桐生邸に住み込むようになったラルドがいた。彼らの姿を認めると、アイギットはハッとした表情を浮かべてカルアに問いかける。
「……もしかして、あの二人も?」
「あぁ、君が来る少し前に、憑依について教えろとやってきた。最も、二人ではなく、マモルだけで、ラルドの方は付き添いのようなものだ」
似たもの同士だな、と微笑を浮かべるものの、当のアイギットはそれが気に入らないのか、不満げな表情を浮かべて黙り込んだ。
縁側に来る少し前に、カルアはマモルから憑依を教えて欲しいと相談を受けていたのだ。アイギットと同じようにその理由を問いかけたのだが、彼と似たような解答をしていたのが印象に残っている。
タクトの複雑すぎる状況を何とか打開するための手助けは出来ないのかと、彼は彼なりに考え抜いた末に、精霊憑依を修得するという答えにたどり着いたのだ。――親友を助けたい、親友の力になりたいという思いを否定することなど、カルアには出来なかった。
道場のど真ん中で何かを考え込んでいる様子のマモルからアイギットへ視線を移し、精霊憑依について教え始めた。
「……精霊憑依についてだが、そのやり方を教えることは出来る。だが、その本質についてはアイギット自身に見つけて貰う必要があるのだ」
「……憑依の本質?」
「あぁ。でなければ、憑依のやり方を知っても、使うことは出来ないだろうからな」
首を傾げて問いかけてきた彼に頷いて、カルアは一言呪文を呟き、掌に茶色の法陣を展開させた。己の魔力を用いて、彼の証である矢に似せたものを生成し、
「精霊憑依は、自身と契約を交わした精霊を器に宿す術だ。元々精霊は霊体に近い……その性質を利用して、文字通り物体に精霊を“憑依”させるという訳だ」
「………」
カルアの説明を聞きながら、アイギットはこくりと頷く。確かに彼が憑依を行う際の呪文も、『我が宿す器に宿れ』と言っていた。その呪文から、概ねのことは察することが出来る。
だがそれでは、タクトやトレイド、そしてカルアの肉体が変化したことについての説明が付かない。証に憑依させれば、なぜ肉体の方も変化するのか。
「それで体が変化するんですか? タクトやトレイドさん、それにカルアさんの三人は、それぞれ契約精霊が”混じった”ような変化を起こしていましたが……」
「肉体が変化するのは、証に憑依させたときだけだ。間違っても自分の体に精霊を憑依させようとするなよ。拒絶反応を起こして失敗し、死亡するからな」
少々脅すような言葉で告げる彼に、アイギットは思わず頷いた。しかし、確かにそうだろう。精霊は霊体に近いが、それでも”生命体”である。一つの体に種族の異なる二つの命を宿すと言うことは、当然拒絶反応が起きてしまうだろう。
「……証に精霊を憑依させるのは、そういった拒絶反応を防ぎつつ、精霊の持つ力を最大限使うことが出来るためだ。……証と肉体には、密接な繋がりがある。それを利用して、肉体を変化させ、精霊が持つ特殊能力の使用を可能にしている」
「肉体と証の繋がり……そういうことか」
彼の説明を聞き、アイギットはハッとしたように頷いた。今更ながら、肉体の変化が証に影響を及ぼすと言うことを思いだしたのだ。ならば、その逆もあってしかりだ。
そして精霊が持つ特殊能力――主に幻獣型の精霊が持つ能力だ。タクトと契約したコウであれば、不死鳥の能力である再生の青い炎がそれにあたる。確かにタクトは、あのとき青い炎の持つ治癒能力を活用していた。
「……自然型の精霊はどういう能力に……?」
「自然型は少し特殊で、証に憑依させるのは向かない……だが、憑依を行う”場所”によっては凄まじい能力を発揮する」
と、そこでアイギットは顔をしかめて呟いた。特殊能力は主に幻獣型の精霊が宿しており、動物型、および自然型の精霊に関してはそういった能力は持ち合わせていないことが多い。そのため憑依の恩恵は少ないように見えたが、カルアは首を振って否定した。
「……場所?」
「何も、憑依させる器は”証”だけではない」
ニヤリ、と笑みを浮かべてカルアはようやく道場の中心にいるマモルの元へ歩き始めた。その後を追いかける中、彼はマモルに声をかけた。
「どうだマモル。憑依の本質、見つけられたか?」
「――――――全くですわ」
問いかけると、少しの間を置いてマモルは肩をすくめた。口調こそ普段とさほど変わらない物の、付き合いの長い彼らからすれば、少し違和感を感じたことだろう。何となくではあるが、焦っているように聞こえた。
「そろそろヒントぐらい教えてくれませんかね? 憑依の本質、ってだけじゃ良くわからねぇよ――って……」
ぼやくように呟き、胡座をかいていたマモルは立ち上がってカルアのほうへ向き直り、そこでアイギットも一緒にいることに気がついた。彼は訝しむような視線でアイギットを見ていたが、やがて見られていた本人は肩をすくめて、
「――ま、そういうことだ」
「――って、どういうことだよ」
何がそういうことだ、と言わんばかりにアイギットを睨み付けると、その様子を眺めていたカルアはクックックと笑いつつ、
「彼も憑依を教えて欲しいと頼んできた。何でも、馬鹿一人にだけ負担を背負わせるわけにはいかない、と……似たもの同士だな、お前達は」
『誰がだ』
「……そういう所だと思うなぁ……」
二人のことをそう評したものの、それが気に入らなかったのか二人は口をそろえて否定した。最も、それが似たもの同士という評価に拍車をかける結果となったことを、二人は知らない。ラルドは呆れたような口調でそう呟いた。
納得したように頷いているシズクの傍らで、若干ふて腐れたかのような二人を見てますます笑みを浮かべるものの、カルアは肩をすくめて、
「マモルにはすでに伝えてあるが。精霊憑依の本質を自分で見つけてみろ。それが出来れば、精霊憑依は自然と行えるはずだ」
「……憑依の本質……」
眉根を寄せて考え始めたアイギットに対して、マモルは肩をすくめて、
「だからいい加減ヒントを出してくれよ。こっちはもう散々考えて――」
「教えてくれ、と頼んできてからさほど時間は経っていないが?」
カルアの指摘に、彼は口ごもる。どうやら憑依の本質とやらを得るために、彼は少々先走りそうになっているようだ。ぐっと拳を握りしめ、マモルは震える声音で告げた。
「――早くしないと行けないんだ……! 間に合わなかったら意味がない……!」
「マモル……?」
「………」
――先程彼の口調から感じた焦りは、間違いではなかったようだ。間に合わなかったら意味がない、というその言葉に、カルアは思い当たる節があった。
彼の妹の死――不幸な事故が起きたその瞬間、彼はその場に居合わせることが出来なかった。間に合わなかったつらさ、痛みを彼は味わっているのだ。そんなものを、もう一度味わいたくはないのだろう。
彼が――タクトがいつテルトと戦うのかはわからない。だが最近のフェルアントの情勢やテルト本人の動きを鑑みるに、そう時間があるわけではない。憑依修得は、彼らの戦いが始まる前になしておかなければならない。
その焦りがはっきりと表れていた。カルアはまじまじとマモルを見やった後、ふぅっとため息をついた。
「……焦るその気持ちは分かる。だがそれでも焦るなと言ってやろう」
「っ!」
「言ったはずだ、憑依の本質を口で語って聞かせた所で、それでどうにかなるものではないと」
あくまで自分で本質を理解しなければ、憑依を修得することは出来ない。何せ精霊憑依は、”自分一人”でどうにかなるものではないのだから。
「中途半端な力では、逆にタクトに負担をかけるだけだ。アイツの力になりたいのなら、今は大人しく鍛錬に精を出すのだな」
カルアはそう言い残し、道場を後にする。そんな彼に対し、不満からか睨むマモルと、彼の言うとおりだなと納得しつつもどこか悔しげなアイギット。それぞれ異なる反応をする二人をどこか心配するように見やるシズクであったが、彼女はやがて二人に向き直ると、
「……多分だけれど、あれはカルアなりの激励というか……認めているからこその言葉だと――」
「……わかっているさ」
彼女の言葉を遮り、マモルは肩をすくめる。――以前のカルアであれば、憑依を教えて欲しいと頼んだとしても、断固として否定したはずである。だがこうして精霊憑依修得に手を貸してくれているのだ。
一体どのような心変わりがあったのか――おそらくタクトの一件だろう。彼もまた、タクトとの関わりがある人物でもあるのだから。
「……いや、それだけじゃないよな……多分」
「………?」
マモルは直感で、自分達に手を貸す理由はそれだけではないと推測した。タクトが抱えている問題の他にもう一つある。それはタクト達がスプリンティアから戻ってきた後に、アキラが語ってくれたもう一つのこと。
――水面下で進んでいた”かつての英雄”の暴挙。それが全くの無関係であるとは言えないだろう。話を聞いたとは言え、正直まだ信じられずにいるが、例え本当だとすれば何としてでも止めねばならないだろう。
(――“過去のやり直し”……それが本当に起こるのなら)
「きっとこれからが正念場なんだ」
それまで黙って彼らのやりとりを眺めていたラルドが突然ポツリと呟いた。その呟きに、他の三人は彼を見やりその続きを待っていた。まるでこの先に起きるであろう出来事の大きさ、困難さを感じ取ったかのような彼は、遠くを見るような視線で口を開く。
「これから先の困難さは、これまで味わったそれの遙か上を行く……だから今、がんばらないと」
――それはまるで、口に出したラルド本人が、自分に言い聞かせるかのようにも聞こえた。