第37話 語られる真実~2~
「そんなはず……そんなはずはない! だって俺に――」
「『俺に兄弟なんていない』――だろ?」
「――っ!?」
全てが灰色に染まった世界の中、今の自分と同じ”色”を保った少年――テルトがにっこりと笑みを浮かべながら、タクトが口にしようとした言葉を先取りする。ちょうど同じことを口に出そうとしていたタクトはハッとして口をつぐむ。
何度か話には聞いていたが、これが少年が持つ”未来視”の力か。未来の出来事を知ることが出来る特異能力。――脳裏に僅かな痛みが走る。ほんの一瞬だが、ここではないどこか別の風景が頭に浮かび上がった。
押し黙ったタクトを見やり、テルトは微笑みを絶やさずに口を開く。
「残念ながら、兄さんには兄弟がいるんだよ。母である風菜と、叔父のアキラさんは知っていたんだ。知っていながら、兄さんには黙っていた。ちなみに未花さんは知らないよ。僕が……”僕ら”が生まれたことは知っているけど、片方は死んでしまったって聞いているはず」
「…………」
――馬鹿なことを、と思う反面、いやもしかしたら、という疑念が浮かび上がってしまうタクトである。風菜はともかく、アキラは自分に対して様々なことを隠していた上に、今もなお隠している節があるのだ。
例えば自分に流れる王の血筋のこと、スサノオの正体、レナの体、そして精霊憑依。それらのことを、叔父であるアキラが知らないはずがない。なのに教えてくれるのは、いつも自分がある程度知った、悟った後だ。
そしてこの部屋にやってくる前に、何かを隠している様子だったアキラに対して問い詰めたところ、後で話してやると言ってその場をやり過ごしていた。――知らず知らずのうちに、拳に力が入ってしまう。
「……さっき、”僕らは”って言ったよね? アレは、どういう……」
「あぁ、僕らは同じ日に生まれた……”双子”なんだよ」
言われ、タクトは目を見開いてテルトへ向ける視線を強めた。彼の顔、輪郭をまじまじと見つめると、僅かながら彼から”母”の面影を感じ取った。強いて言うならば目元が似ており、そしてそれは、自分にも当てはまる。
彼が、自分の双子の弟だということに、少しずつ体が震えだしていく。
「僕らが生まれたときは、レジスタンスとフェルアントで革命と称した戦争が行われていた時期だった。当然、僕たちの母さんも、それに参加していた」
――知っている。母である風菜の武勇伝は、学園に入学した後、少し調べれば山のように出て来た。五つの属性変化術を用いて、「空気中に含まれる分子を操作する」という凄まじい精度で操る精霊使い。一般的に一つ、多くて三つの属性変化術に長けることが多いというのに、母は五つ全ての属性変化術に長けていたという。
そして、それらを同時に複合させた魔術により、単独で凄まじい戦果を上げていた。『五元素の魔女』という渾名も、その時初めて知ったのだ。厳しくも優しい母を知っているだけに、その時の衝撃は凄まじかった。
――しかし十七年前に起こった革命の途中、母は戦線を離脱したのだ。理由は明白であり、当時お腹に新しい命を宿していた。それが――
「でも母さんは、ある日を境に戦線から離脱した。そして”双子の赤子”を生んだんだ。だけど敵は――当時のフェルアント、つまり現エンプリッターは、レジスタンスの動きを止めるために、“双子の赤子”を狙い始めた」
「――――――」
テルトが語る事実に、タクトはただただ目を見開くのみである。最初彼から話を聞かされたときは、信じられない気持ちが八割を占めていたが、今は彼が語ることが事実ではないかという思いの方が強い。
――いや、心の奥底では、それが”真実”だと声高に叫んでいる。心――心象世界の風景が――心の中にもある“桜の木”が、真実だと語る。
誰かの記憶が流れ込んでくる。幼すぎて覚えていない自分の代わりに、誰かが残してくれた当時の記憶。
「……そうだあのとき……誰か……誰かが、俺を”桜の木に預けて隠した……!”」
――なぜ自身の心象風景に、実家にあるはずの桜の木があるのか――自分でも覚えていないほどの昔に、すでにあの木に助けられていたのだ。満開に咲き誇る桜の花に隠された自分は、赤子を探す精霊使いの魔の手から逃れることが出来た。だが――もう一人の方は。
「双子の弟は、そのまま奴らに連れ去られてしまった。――幸いなことに、僕を連れ去った人物も、その時深手を負ってしまってね。逃亡中に息絶えた後、僕は見ず知らずの老婆に拾われた」
もし僕たちのどちらかが、あのままエンプリッターに捕らえられてしまっていたら、今のフェルアントはなかったかも知れないね、と笑いながら告げるテルト。――幼い頃の自分が、運命の分岐点になっていたとは信じられず、ただただあいまいな表情を浮かべるしか出来ない。
「でも兄さんはともかく、僕の方は死んでしまったと思われたようだ。それ以来アキラ叔父さんは、兄さんに僕のことを隠すことにしたんだ。――あぁ、でも全く僕のことを忘れてしまったってわけじゃないみたいなんだ。君もまだ子供の頃、叔父さんから修行と称して神器の捜索に付き合わされたことがあるだろ? アレは全部、僕のことを探していたみたいなんだ。それを知ったときは、ちょっと嬉しかったな」
相変わらず微笑みを浮かべながら経緯と、自分が知らなかった事実を話してくるテルトの声には、明らかな喜色が宿っている。どうやら本当に嬉しかったらしい――忘れられてはいなかったのだ、と。
それに彼の言うとおり、アキラから何度も神器捜索に付き合わされた記憶がある。何度も危ない目にあったものの、あの経験のおかげで見聞は確かに広まった。――それに、言われてから思い返せば、確かにあのときのアキラは、必死に何かを探そうとしていた。
何を探しているのか――当初は神器だと思っていたが、もしかしたらアレは、目の前のテルトを探していたのではなかったのだろうか。
「だけど、叔父は僕を見つけられなかった。見つからないようにしていたんだ。――その頃の僕はもう、自分の願いを知っていたから」
「……自分の願いを、知っていた……?」
テルトの言葉に、タクトは首を傾げた。意味は分かる。だが、どこか別の観点から見たような言い回しが、ひどく気になってしまった。
――なぜかは分からないが、先程から体の震えが止まらない。これから自分は、今までの認識が一気にひっくり返されることを聞かされるだろう。そして今の状況が、それを拒むことを許してはくれない。
「うん。僕の願い……”前世から続く”僕の願いは……『世界を造り替える』」
「――何を、言って――」
唐突に語る『世界を造り替える』という言葉に、タクトは眉根を寄せて困惑する。――もしテルトが口にした言葉を、アキラやカルア、トレイドの三人のうち一人でも耳にすれば、気づいたことだろう。それは奇しくも、”彼”と同じ目的を抱いていることに。
だが時間が止まったこの空間では、それを誰かが耳にすることはない。灰色の世界の中、タクトは言ったことを理解できない、と言わんばかりの反応を見せ。
『――お前、何を言っているんだ……?』
――脳裏に、再び映像が浮かび上がる。これは――一体誰の記憶だろうか。
『世界を造り替える……お前、何を言って……!?』
『――兄さん。未来が見えるっていうのは、不幸なことでもあるんだ』
『――――』
すり切れ、疲れ切ったような表情で振り向いた男の顔は驚くほど青白かった。やや装飾が多めのゆったりとした服装に身を包み、手には杖を持った、まるで賢者のような男の言葉に、耳を傾ける。
『僕の目に映る未来は、必ずしも幸福が待っているとは限らないんだ。――不運な、悲惨な、悔いしかない結末も多く見てきた』
『……一体、何を見た……?』
『――僕が見るのは、いつだって”確定した結末”。どれだけ結末を変えようとしても、結局変えられなかった……ならもっと深い所から……根底の所から一度造りなおさなきゃ、変えられない』
『――お前まさか……!!』
『だから世界を……”この世の理”を変える必要がある……そのために、まず”今の世界を滅ぼさなければならない”』
「――ぁ……」
走馬燈のようにフラッシュバックした記憶を見て、タクトは冷や汗をかき始めた。間違いない、今の記憶は大昔の、それこそ”精霊王が実在していた頃の記憶”。そして、今の記憶の持ち主は、精霊王の二人の息子にして、王を守り続けた二人の精霊使いのもの。
彼は言っていた。『前世から続く僕の願いは』と。ならば彼の前世とは、世界を一度滅ぼし、造り替えようと願った”賢者にして愚者、そして外魔”なる人物。
その名は――
「――僕はかつて、精霊王に仕えた”王の杖”の生まれ変わり。そして兄さんは、”王の剣”の生まれ変わりなんだよ」
「……あ……あぁ……っ!!」
あり得ない、そんなはずはない。――そう口に出すことは簡単だろう。しかしこれまでの経験が、それが事実だと物語っている。
これまで幾度となく体験してきた記憶感応。時を経るにつれ、王の血が薄まり、失われてしまった古代の記憶を何度も体験してきた。王と共に戦った『六賢者』の記憶や、かつて聖地にて起こった『大戦』の記憶――今となっては、それらは決して引き継ぐことの出来ない記憶。
以前から不思議ではあったのだ。なぜ自分が、絶対に引き継ぐはずのない記憶を引き継いでしまっていたのか。だがフェルアント学園襲撃から端を発する精霊憑依、レナの一件、スサノオとの契約の儀式、そして明かされる秘密――それらが重なり合ったため、疑問は埋もれていったのだ。
それに心当たりがあった、というのもある。以前のダークネス事件のおりに自身と一体化した、心象世界にいたあの人物こそが、先代王の剣――その残滓なのだということは、うすうす悟っていた。
何らかの拍子に、その残滓が自分と混ざり合ったため、先代王の剣の記憶を追体験したのだと思っていた。だが違うのだ。そもそも前提として間違っている。
“先代の残滓を宿したから、大昔の記憶を追体験した”のではなく。“生まれ変わりだからこそ、先代の残滓を宿した”のだ。
「……なんで………なんで、なんだ?」
「? 何がだい、兄さん?」
手にしていた証が手から滑り落ちる。ドサリと跪き、色のない世界のなかで彼の両目は震えている。信じられない、そんなことないと叫びたくなる反面、それが受け入れがたい事実だとしても、認めざるを得ないと半ば納得しかけている自分がいる。
自分でもよくわからない二つの感情を抱えたまま、タクトはぽつりと呟いた。
「何で、母さん達は……黙っていたんだ……? 俺が、王の剣の生まれ変わりなら……”父親”は……?」
「―――――」
タクトの言葉に、テルトは目を見開いた。ここに来て初めて驚きという、笑顔以外の表情を浮かべるものの、それもすぐに消え去り、元の笑みを浮かべるのだった。
――やっぱり、”それ”も話していないんだ……とテルトはやや他人事のように思いながら、
「僕たちの父さんについては、アキラさんや母さんよりも、トレイドさんに聞いた方が良いかもしれないよ? 彼が僕らの父親を察してくれれば、二人よりは素直に話してくれると思うし」
「……トレイドさんも、知っているの?」
「彼は僕らの父さんに会ったことがあるだけ。その人と僕らの関係性までは知らないよ」
俯きながら、震える声音で問いかけてきたタクトにテルトは苦笑する。彼の気持ちが少しだけ分かったような気がしたのだ。それを払拭するために、
「だから彼は、知っているけど教えない、じゃなくて知っていたけどわからなかっただけ。アキラ叔父さんや母さんのように、わざと教えなかったわけじゃないよ。……トレイドさんにまで内緒にされていたわけじゃなくて良かったね」
「っ……」
クスクスと笑いながら指摘すると、図星だったのか息を呑む音と共に体をびくりと振るわれるタクト。ここでトレイドまで「知っていたのに教えなかった」側だとすれば、もう何を信じれば良いのだろうと思ったことだろう。
「――僕としては、もう少しだけ話したいんだけれども……あまり時間はないからね。だから最後に一つだけ伝えようと思うんだ」
「……何を」
衝撃的な事実を連続して伝えられたためか、タクトの反応はやや鈍い。だが、思っていたほど鈍くはなく、手から滑り落ちた証を握りしめ、よろよろと立ち上がるところであった。
――思えば今までも何度か、連続して信じられないこと、衝撃的な事実を聞かされてきた。今回テルトから告げられた真実は、それまで受けた衝撃を上回っていたが、それでもなお、戦おうという意思は完全に消え去ったわけではなかった。
そんな彼に笑みを見せながら、テルトは口を開く。
「先代の王の剣と杖の最後……二人は”相打ち”という形でこの世を去ったんだ。つまり、王の杖の目的を、王の剣はその身を挺して止めたんだ」
「―――――」
――知っている。その話は、お伽噺にも伝わっている有名な話だ。道を踏み外した王の杖を止めるため、王の剣は実弟と戦い、そして相打ちとなった。二人の息子を同時に失った精霊王は悲しみに暮れ、次世代に全てを託し役目を終えた後、人知れずひっそりと旅に出た――お伽噺の最後は、概ねその形で幕を閉められている。
それに――一年前、学園にほど近いところで、それに似た光景を見た覚えがある。あのときは確か――いや、それよりも、テルトは一体何を言いたいのか。
「僕の未来視も、同じ結末だった。僕が再び”破滅者”になるのも、兄さんが刃を手にするのも。……お互いの武器が、お互いの体を同時に貫くのも」
「――っ……まって、それって」
「残り僅かな時間……お互い、有効に使うとしよう」
テルトはそう言うと、何かが割れる音が響き渡る。それと同時に、世界に”色”が戻っていった。
「――なっ!?」
廊下で立っていたはずの少年が消えたと思ったら、次の瞬間には横に立っていた。そして真横にいたはずのタクトの姿消えている――と思ったら、彼はその場で顔を真っ青にして跪いている。
瞬間移動の類いか、と思ったのもつかの間、つい先程体験したことを思い出した。――今のまさか、”時止め”? 真横にいる金髪の少年に向けて驚きの目を向けながらも、脳裏では冷静に分析していた。
「――っ!!」
「っ!? アキラさん!?」
ラルドの視界の端で何かが閃いた――と思ったら、神速の剣閃が走り、少年の体を部屋の中へと吹き飛ばしていた。剣閃の主へと目を向けると、黒髪のアキラが苦々しい表情を浮かべ、少年を睨み付けている。
「――お前、今の間で、一体なにをタクトに伝えた!!」
珍しい彼の怒声に、一同は何事かとアキラに目線を向ける。――視界の端にいるタクトが、びくりと反応し、叔父へと目を向けた。――その目に、驚愕に混じりながら、疑惑と不信があることにラルドは気づいた。
(――タクト君?)
――今の間、とアキラは問いかけた。おそらくだが彼も時止めの影響を受けた、ということをアキラは悟ったのだろう。そして、その間に、金髪の少年が何かをタクトに伝えたと言うことも。
それを裏付けるかのように、少年はにっこりと笑みを浮かべて、多数の少女を閉じ込めた培養器に背を向けながら口を開いた。
「――僕とタクトの関係性と前世……それに予言のこと、全部話したよ」
「―――――」
思えば、初めてだったかも知れない。桐生アキラという“英雄”の、本気の驚きと焦りを目の当たりにしたのは。一瞬呆然とした彼は、しばし固まり――しかし右手の刀を鞘に収め、抜刀術の構えを取るなり少年に向かって突貫する。
「きさ――」
「――名前で呼んでよ。ねぇ、”おじさん”」
「っ!!?」
――貴様、と言いかけたアキラに対し、少年は年相応の表情で口を開いた。その『おじさん』という言葉には、一体どういう意味が込められているのか。少なくともアキラにはその意味が分かってしまったのか、彼を間合いに収めたというのに刀を抜かず、そのまま横を素通りしていった。
「桐生さん!?」
「っ!」
ウルファが驚き、彼の名を呼ぶ後ろで、カルアが弓につがえた剣矢を少年に向かって放つ。しかしその矢は少年の体を貫く直前で、彼の周囲を浮遊する杖によってはたき落とされた。
「――くそ、なら――」
「カルアさんでも無理だよ」
「なっ――」
剣矢を生成し、もう一度弓につがえようとしたカルアの視界から少年が消え、次の瞬間には背後から自身の名前を呼ぶ声が聞こえる。後ろを振り返ると、そこには前方にいたはずの彼がいた。
「もしも、の話ではあるんだけれども……カルアさんのことを兄のように感じる日が来るかも知れなかったのに」
「――――」
少年が言ったその一言に、カルアの動きは止まってしまった。――そうだ、彼は桐生家の事情について、知らないはずがないのだ。何せカルアからすれば、彼も――
「――おっと」
僅か数秒にも満たない時間、二人の視線が重なり合う――と、少年は何かに気づいたかのように周りに浮かんでいた杖をぱしっと掴むと、目の前で何かを防ぐように構えた。一拍遅れて、そこに長剣が叩き付けられる。
「――トレイド!」
「――っ!!」
カルアが彼の名前を呼ぶものの、体中に痛々しい穴が空いたその姿を見て、思わず息を呑む。――フェル・ア・ガイである故に、あの状態でも動けると言うことは知ってはいるものの、やはり驚きは強い。
それにあれだけの致命傷を負っていれば、普通は痛みで動けずにいるはずだ。なのになぜ、彼は動くというのか。流石の少年も、その様子には驚いたのか、目を瞬かせながら、
「へぇ、そんな状態でも動けるんだ。――”罰”によって失ったのは恐怖だけじゃなく、痛覚も失ってしまったのかい?」
「……っ………っっ……!!」
苦しそうに呻く様子から、どうやらまだしゃべることは出来ないらしい。見れば喉にも貫かれた跡があるため、一時的に話せなくなっているようだ。体中に空いた穴に魔力が集まり、傷を修復しているが、まだ動ける状態ではないのは明白である。――なのに、なぜ動くのか。
「――あは。本当に、君は面白いよ。……僕の”未来視”も、理を宿している人の未来は見えなくなってしまう。君が関わると”楽しい”よ」
「――――ごっぢは、だの……く……っ!!」
「楽しくない――君にとってはそうだろうね。でも僕は楽しい。……だから」
徐々に傷を修復していくトレイドの剣を受け止めた状態で、少年はそっと口を開いた。――何かを呟いたようにトレイドには見え、
「――もっと楽しんで貰えるようにするよ」
――突如少年の足下に魔法陣が展開された。コベラ式ものもではない、別の魔術体系による法陣。一体何の魔法を使うというのか――答えはすぐに出た。
「っ!? きゃっ」
「っ!!?」
目の前で鍔迫り合いを行っていた少年はそこにはなく、かわりにルキィがそこにいた。彼の杖を押しやろうと力を入れていたトレイドの剣は、そのまま仲間のルキィ目掛けて振り下ろされようとしている。
ルキィの方も、突然足下から光が立ち上った次の瞬間、トレイドに斬られかかっているという状況に驚き、短く悲鳴を上げるだけであった。
慌てて剣を引き戻し、辛うじて剣先がルキィの肌に触れるか触れないかの所で止めることが出来た。
「す、すまん、大丈夫か!?」
「え、えぇ……!」
良く止めることが出来たものだ、と我ながら感心する。しかしその隙にあの少年を完全に見逃してしまった。気配を頼りに振り返ると、そこではルキィがいたはずの場所にあの少年が立っており、おそらく転移術の応用として、彼女との立ち位置を入れ替えたのだろう。
少年はアイギットの細剣の一突きを受け止めているところであった。それを見て、トレイドはまずいとばかりに顔を青ざめさせ、慌てて彼の元へ突貫する。視界の端でアキラも彼と少年の元へ駆け出していた。
「――君も、僕に何かうらみごとがあるような感じだね?」
向かっていく中、アイギットのレイピアを杖で受け止めている少年が何かを問いかけている。うらみごと――その言葉に、アイギットは複雑そうな顔を浮かべながら、
「……恨み節はある。貴様は、俺の母が死んだ要因の一つなんだから」
「――アイギット・スチム・ファールド。ファールドと言えば、グラッサ……君の父親だね。彼には感謝しているんだ。彼のおかげで、”前世の遺体”がどこにあるのかがわかったしね」
「――――な、なに?」
名乗ってもいないというのに、自身の名を言い、さらに父の名前さえ口に出して見せた。どうやら自身の家に関する一連の出来事に関して知っているらしい。父からも、目の前の少年が裏で糸を引いていたとも言っていた。
だが何より意味深なのは、『前世の遺体』ということ。意味が分からず眉根を寄せるアイギットであったが、アキラとタクトの二人は、その言葉にびくりと反応する。
アキラは駆け寄っていた足を止め、特にタクトは思い当たる節があるのか(先程の“時間停止”のさいに何かを吹き込まれたのだと思うが)、青白い顔のまま少年を見やり、
「――それはまさか、学園の近くにある森に隠された、あの場所のこと……!?」
その言葉に、アイギットもハッとする。一年前、自身の父である当時のフェルアント本部長、グラッサ・マネリア・ファールドが起こした事件。エンプリッターと結託していたという事実が露呈し、失脚したあの一件で、彼は学園近くの森――特殊な結界に隠されたあの場所で、何かの封印を解こうとしていた。
――もしや少年の目的は、その封印を解くことなのか。目を瞬かせたアイギットは、視線をコルダへと向ける。詳しくは知らないが、おそらくその封印を解く鍵は、彼女が握っているのだから。
タクトの問いかけに対し、少年は微笑みを浮かべ――今気づいたが、笑顔でありながら感情を感じさせない少年が、タクトを見るときに限っては親愛にも似た感情が見え隠れする――、首を振りながらも否定した。
「――”まだ時期じゃない”。さてと」
こちらのレイピアを余裕の表情で受け止めていた彼が、アイギットを蹴っ飛ばした。自身の周囲に誰もいないのを確かめた後、こちらに駆け寄ってくるトレイドを見やりながら、
「用事があるから僕はここで退散させて貰うよ。――今回来たのは、”兄さん”にそろそろ真実を伝えなきゃいけない頃合いだったから。それももう終えたし、それに”義理も果たした”」
「―――――っ!」
「上だ!!」
突如頭上から物音がなったかと思えば、何かに弾かれるようにしてタクト、カルア、トレイドの三人が揃ってそちらを見上げていた。
彼らにつられて上を見上げると、そこにはこの部屋にたどり着く前に行方を追っていた”鎧”がそこにいたのだった。剣の切っ先をトレイドに向けながら、頭上から落下してくる。
――下の階に行ったはずの鎧がなぜ――と思いつつも、鎧が持つ力を思い出し歯がみする。そうだ、あの鎧は“時間停止”の能力も持っている。それを活用すれば、一気にこちらに来ることも難しくないはずだ。
「くそ……っ!」
突如として現れた鎧がトレイドを襲い、彼は迎撃のために足を止めて剣を振るう。鎧の剣とトレイドの剣、二つがぶつかり合い火花を散らす。鍔迫り合いとなった瞬間、鎧の足が持ち上がりトレイドを蹴飛ばし距離を開ける。
そのせいで少年との距離が空いてしまった。こちらに対する完全な足止め目的であると一目で看破するものの、トレイドには彼の方へ視線を向ける余裕はない。
「やろっ……!!」
蹴飛ばされた状態から体勢を立て直したところに、間髪入れずに鎧の剣が自らに向かって振り下ろされていく。辛うじて剣を持ち上げて防ぐのが精一杯であった。
鎧がトレイドを足止めしている様を見ながらクスリと笑みを浮かべ、少年は口を開いた。
「かつての記憶から作った“新しい外魔神”。そう簡単には倒せないよ」
「――テルト、お前どこまで力を取り戻している!?」
――新しい外魔神――アキラは少年の名前を叫び、問いただした。名前を呼んだことに一部を除いた皆が驚きの目をアキラに向ける中、少年――テルトはアキラを見やり、にっこりと笑みを浮かべた。
「――”前世と同程度”には、力を付けたよ。二代目の”破滅者”を名乗っても良いくらいだけれど」
――破滅者。それはかつて精霊王が存在していた頃に顕れた、世界を滅ぼす存在である。その記述はお伽噺でもある精霊王伝説にも書かれており、そこには『”王の杖”を殺害し、大地に滅びをもたらしかけたところ、”王の剣”によって打ち倒される。しかし”王の剣”もまた、破滅者によって打ち倒された』とある。
この記述から現代となっては別の存在とされているが、本当は精霊王の元から離反した”王の杖”のなれの果てである。
「――――私は……私は……っ!!」
それを名乗っても良いぐらい、前世と同程度――もう、かつてと同じ力を持っている。――何もしてあげられなかった、彼の“運命”を変えることは出来なかったと、アキラは体を震わせ、息を吐き出しながら後悔を口にする。
――攫われたと知ったとき、何が何でも助けに行っておけば。彼を探し出すことを何においても優先しておけば。もう一人の甥に対して、なにかしてやれることはなかったのかと、そんな後悔が吹き出してきた。
「――ありがとう、おじさん。僕のためにそう思ってくれて。……でも大丈夫。僕はもう止まらないから」
刀を持つ手を震わせているアキラに向かって、彼は親愛の表情を浮かべながらも右手をかざして大きな魔法陣を展開させた。自身と、自身の背後にある“レナのクローン体がいる培養器”がちょうど収まるように。
コベラ式の魔法陣ではないため、どんな魔術を使うのかはわからない。だが鎧――外魔神と戦闘中のトレイドは、それまでのテルトのやり方を見てきたため、何となく彼の行動は読めていた。
「お前、逃げるのかよ!!」
トレイドの叫びに、テルトは何も答えずに微笑みを浮かべ、やがて法陣から光が立ち上る。それを見て、ルキィやウルファも転移魔術の一種であることに気づいたのだろう、彼を止めようとするも、すでに遅すぎた。
さらにラルドは、彼がしようとしていることを悟り、目を瞬かせて悲鳴に近い叫びを上げた。
「――二人とも止まって下さい!! ただの転移術じゃない、さっきと同じ”座標の入れ替え”です!! 別の奴らが来る!!」
「――なっ」
――やっぱり厄介だね、あぁいう”イレギュラー”は、とテルトは内心思いつつも、同時にイレギュラーに対しおもしろさも感じていた。
本音を言えば、”この方法”をグレム達革新派にも使い、手駒にしたかった。しかしラルドという”天啓”を持つイレギュラーがいたことにより、彼らをエンプリッターから追い出す道を選んだのだ。
彼の叫びを聞いた姉妹も悟ったのだろう。このまま転移術に近づけば、”入れ替え”によって新しく来るであろう”正体不明の敵”に自ら突っ込んでいくと言うことに。故に彼女らは大人しく引き下がっていき、テルトは微笑みを浮かべながら転移――座標転換を行った。
「レナのクローンを使った実験だけれど……老人達に対して義理は果たした。願いも叶えた。――その結果を、ここに示そう」
最後の言葉を言い残し、テルトと培養器は一瞬にして消滅し、代わりに複数人の人影が現れるのだった。