第36話 災いの使徒~5~
あの鎧を見た瞬間、自分の奥底から堪えようもない恐怖を覚え、その場に跪いてしまった。これまでにも恐怖を覚えたことは何度もある。死を感じたことも何度かある。だがアレを知った後となれば、それまで感じたそれらは児戯に等しい。
それほどまでに強烈な恐怖。自分の意思ではどうしようもないそれに、タクトは胸を押さえながら皆の後を追いかけていく。
コルダは先程、もっと深いところで関係している、と言っていた。叔父もかつての祖先が関係している、と言ってもいた。先祖と言えば、精霊王ぐらいしか思い浮かばない上に、アキラもそれが関係しているとあっさり教えてくれた。
「…………」
――あの鎧の正体は、魔術と呪術を組み合わせた自動人形らしい。それに、その”核”となっているのは、かつてフェルアントに顕れた――
「――――――」
「――タクト、どうした?」
――走っていたタクトは、何かに気づいたのか目を丸くして立ち止まってしまう。前を行くアイギットが、彼が止まったことに気づき、振り返り立ち止まって声をかける。だがその時には、まるで何事もなかったかのようにアイギットを通り抜け、すれ違いざまに、
「……何でもない」
一言だけ告げる。――もしその時浮かべていた表情を、アイギットが目撃していたら絶対に彼の言葉を信じなかっただろう。タクトは今にも嘔吐しそうなほど顔を青ざめさせ、表情を歪ませていた。
(……そうか、記憶感応で……じゃあ、この世界にいるのって、もしかして――……!)
遙か昔、精霊王が存在していた時代に顕れたモノ。”王を支えた剣が、命をかけて食い止めた大災害”、その経緯と顛末を、朧気ながら思い出していた。なぜ知っているのか、どこで知ったのか、それはおそらく記憶感応だろう。
それとも、以前トレイドとともに解決したダークネス事件、その最後で自分の心の中にいた”誰か”が、自分に全てを託して消えていった。その時に、目覚めかけていた自然の加護が完全に覚醒した。そのときの”託されたモノ”の中に、それに関する記憶があったのではないか。
情報の出所に関しては憶測の域を出ないが、重要なのはあの鎧の核となる存在を、自分は知っていると言うこと。そして遙か昔、あの鎧の核となる存在が、どのようにしてフェルアントに顕現したか、それを思い出していた。
「………叔父さん……」
――アキラは、あの鎧が”新しく作られたもの”と言っていた。その言葉の意味合いによりけりだが、もしも”かつての残滓を使って造った”のならばまだ良いが、もしも文字通り”核となるモノから新しく造った”のならば――
今すぐに問いかけたい。しかし今は、あの鎧の後を追うことの方が先決な上に、その方が直接答えにたどり着く。拳を握りしめ、前を行く仲間達の後ろをずっと追い続けるタクト。もしも後者としてあの鎧が造られた、生まれたのであれば――
「……”王の杖”……」
――”かつての元凶”が、大いに関わっている。そのことを朧気ながら感じ取っていたのだった。
――あのとき、鎧の後を追うべきだと言ったラルドだが、個人的には迷いがあった。ちらりと後ろを走っているタクトに視線を向け、彼の様子を確かめる。表情は青く、先程の恐怖心が抜けきっていない様子であった。
それは無理の内話しであった。彼自身、一応王の血筋については知っているが、詳しい方ではない。精々、精霊王の血筋に当たり、精霊王が有していた特殊な力を一部継承しているといった程度だ。
だがそれだけだとしても、アキラの簡単な説明を聞いて何となく察することは出来る。あの鎧が当時の精霊王の天敵に当たり、その血を引く彼にも影響が生じているのだろうと。
――彼が持つ”啓示”の力は、目的を達成するための最適な選択がわかる、という少々変わった力である。一種の異能にも当てはまるこの力は、彼が幼い頃から持っていた力であり、老師やグレムとの出会いを経て、この力をある程度コントロールすることが出来るようになった。
この力を使ってこれまでもいくつかの苦難を乗り越えてきた。それは今も言えることであり、『この集団にとって最適な行動は、あの鎧を追うこと』だと啓示が降りたのだ。だからあのとき、ラルドはアキラに追うべきだと言ったのである。
――ラルドの迷いはそのことである。あくまで“この集団にとっての最適な行動”であり、“個人単位で見れば最適ではない”という可能性がある。この微妙なニュアンスの違いが、どうも引っかかっていた。
個人単位で見れば最適ではないのか、それとも総合的に見て最適になるのか――グレム曰く、「最初は最適ではないと思ったが、後になると確かに最適だった、と思える場面がいくつかあった」とのことであり、鎧を追った後すぐに状況が好転する、とはならないかもしれない。
「……いつも用心はしているけど……っ」
時間を止める、という非常識な能力を有する鎧を見た後だからか、彼の警戒心は凄まじく高まっていた。だから余計に気になってしまうのだろう。啓示がもたらした情報と、そしてタクトのことが。
――この一件、鍵を握るのは彼なのだという確信があるのだ。
「――ここだ」
建物が多く並ぶ居住区画を走り抜け、古ぼけた建物の目の前で立ち止まったアキラにならい、一同はその建物の前で停止する。カルアからもたらされた情報に寄れば、この扉をから居住区画の外へと出て行ったらしい。
「……木を隠すには森の中、とは言うが……」
ふぅ、とアキラはため息をつく。ラルドも、その言葉の意味を完全に理解したわけではないが、確かに例えとしては正しいと感じた。木を隠すには森の中、ならば扉を隠すには――少々無理矢理かも知れないが、住宅街、だろうか。
建物には必ず扉がある。ならば、建物が多く並べば扉を隠すことも容易だろう。そうこうしているうちに、頭上から何かが落ちてくる気配を感じて見上げると、カルアが落下してくるところだった。
それまでは数キロ離れた一番高い建物の屋上で、鷹役に徹していたはずの彼が、一体どのような手段を使ってここまでやってきたというのだろうか。しかも頭上から落ちてくるなんてこと、誰が想像できよう。
「……カルアさん、どうやって上から」
「飛んできた」
アイギットが呆れたような引きつった表情を浮かべながら問いかけるも、当の本人は白髪をかき上げて答えた。――どうやって飛んできたのかを知りたいのだが、それを教えてくれる雰囲気ではない。
「さっきまでいたところだが、スサノオの結界が解かれたと同時に人が集まってきていた。それに役人らしき連中も何人か。……おそらく俺達の存在に気づかれるのも時間の問題だと思う」
「……そうか。だが仕方ない、見つかることに関しては、覚悟はしてきてはいた」
カルアの報告に、アキラは一瞬黙り込んだが、やがてふっと微笑みながら頷いて見せた。地球支部長がスプリンティアにやってきているという報告は、すでに行っている。問題はそこでの活動内容だ。秘密裏にスプリンティアの内部調査――支部長としての完全な越権行為を行っていることがバレれば、ただでは済まない。
だがアキラもその件に関しては覚悟していたため、今更ではある。カルアの報告により、もう後戻りは出来ないことは理解出来た。――ここで退けば、あとは時間切れまで居住区画をうろうろするだけだろう。ラルドも、そして仲間達もそのことはわかっていただろう。
「行こう」
言葉少なめにそれだけを告げるアキラに、皆も頷いた。この奥に何があるのか、それはまだわからない。目の前にあるこの扉は、あの鎧が逃げ込んだ先であり、深部へ進み真実を知る入口か、それともこちらを罠に掛ける地獄の入口か。
どちらにしろ、この奥へ進めばもう戻れない。そんな予感を覚えながら、扉を開けて奥へと進んでいく皆の後を追うラルドであった。
「………」
ちらりと後ろを歩くタクトを見やる。彼はラルドの視線に気づいたのか、こちらを見やり首を傾げてきた。言葉にせずとも、何か用かと問いかけてくるのがわかった。
「タクトは大丈夫?」
「……正直、あまり大丈夫じゃない」
「珍しいな、お前が弱音を吐くなんて」
未だに表情を青ざめさせた――多少顔色は戻ってきたが――タクトは吐息とともに呟き、その呟きを耳に入れたアイギットが目を瞬かせた。
「また鎧が出て来たら、申し訳ないけど俺は戦力にならないと思う……。でも叔父さんとトレイドさんがいるから――」
「そうじゃないよ、タクト。……心の準備は大丈夫かって聞いているんだ」
「え……?」
どこか困ったように、そして申し訳なさそうに頭を下げながら言ってくる彼に対し、ラルドは首を振って否定する。タクトの実力に関しては、実際に彼が戦っているところを見たわけではないのでわからないが、トレイドは彼の力量を認めていることは耳にした。
そのトレイドの実力が”アレ”だったため、タクトも相当強いのだろうと言うことは想像できる。そのため彼が戦力にならないと言うことは少々心細くはあるが、ラルドはそのことを心配しているわけではなかった。
「……”殲滅者”」
「っ!?」
ラルドがぽつりと呟くと、タクトは目を見開いて驚愕を露わにする。さらに戻りかけていた顔色が、再び青白くなっていく。――扉をくぐり抜けた先が薄暗かったため、幸いアイギットにはその変化は気づかれなかったが、それでもその場の雰囲気が変わったことには気がついた。
「ラルド、君なんでそれを……っ?」
「……以前、恩人のさらに恩人から、話を聞いたことがあるんだ。……今から十七年前に起こった改革と、その時に顕れた”封印から解かれた殲滅者”のことも」
「っ!?」
タクトは目を瞬かせてラルドを凝視する。恩人のさらに恩人――というのは、グレムが言う老師だろうか。改革の時からアキラと何らかの因縁があるらしい。言葉を選ぶように口ごもる彼は、
「……あれが出てくることはないと思います。でも……タクトは、別の意味で覚悟して置いた方が良いと、僕は思う」
「それ、どういう意味で……っ!!」
「なぁ二人とも、殲滅者って何を……」
こちらを心配そうに見やるラルドの真意が測れず、タクトは思わず彼に詰め寄るが、その前にアイギットが眉根を寄せて問いかけてくる。その質問にタクトは彼を見やって、
「殲滅者って言うのは、世界の天敵……”世界を破壊する存在”のことを言っているんだ」
「世界を、破壊する……?」
さらに眉根を寄せたアイギットは、何か心当たりがあるのか呟きを漏らして視線を俯かせる。何かを考えている様子を見せる彼を見ていたタクトだったが、唐突に先頭にいるはずのアキラから声をかけられる。
「――タクト、お前なぜそれを知っている?」
「――え?」
声をかけられた方向を見やると、いつの間にやってきたのかアキラが目の前におり、仲間達はアキラの後ろで止まり、こちらに向かって首を傾げながら見やっている。どうやらタクト達の会話が耳に入ったのか、アキラは一時的に足を止めてこちらに近づいてきたようだ。
だが重要なのはそれではなく、アキラの視線と威圧感――鋭く細めた視線はタクトを真っ直ぐに射貫いた。その視線に込められた威圧感は凄まじく、思わず彼はたじろいでしまう。
「なぜ、お前が殲滅者のことを知っている」
「それは……―――――」
叔父問いかけに答えるべきか迷い、しばしの逡巡の末、やがて決心が付いたかのようにアキラを見返した。怒っているのかいまいちわからない叔父に向かって、タクトは真っ直ぐに見返して、
「記憶感応だよ。……精霊王の記憶から」
「………」
タクトが告げた答えに納得していない様子の叔父は、重ねて問いかけてきた。
「その記憶の中に、知り合いはいるのか?」
「知り合い? 何を言って……」
大昔の人の記憶だ、いるわけがない――と言おうとして、そこで思い出した。違う記憶からではあるが、目の前の人物の“若かりし頃の”姿を、記憶感応を通して見たことを。あの記憶感応は一体何を示しているのだろうか。
口ごもったタクトだったが、アキラの方も疑問を口にした後、取りやめるようにすぐに首を振って、
「……まぁいい。済まない、時間を取らせた」
首を振って告げるなり、アキラはそそくさと踵を返してその場から離れていく。だからこそ深く追求されなかった上に、タクトもそのことを言おうかどうか迷い、状況を鑑みた上で今は止めておこうと思ったのである。
――例えこの時、タクトがアキラの問いかけに答えていたとしても、結末は変えられなかったであろう。だが、もしこの時答えていたら、この後に待ち受ける衝撃に対して、心の準備が出来ていたかも知れなかった。
タクトにとっても――そして、アキラにとっても。
~~~~~
「―――ここって……」
「えぇ、確か兵器開発区画ね」
通路を通り抜けた先で、ようやく見つけた下層へ下りる階段。それを降った先にあったのは一本のガラス張りの通路と、そこから見下ろせる広い空間だった。ガラス張りの通路は床も壁もガラス張りであり、そこから下の空間でなにかをつくっているようすが見渡せた。
ルキィとウルファの姉妹がガラス張りの通路を渡りながら眼下に視線を向けて呟く。女性からすれば下から見られるというのは、あまり気分の良いものではないのだろうか、どことなく嫌そうな表情を浮かべていた。それはコルダも同様で、見るからにうへぇという顔をしている。
「ここ、あんまり渡りたくないなぁ……」
「ん? ……あぁ、そういう……」
何かを察したらしいアイギットは言葉少なめに彼女に同情を表し、カルアも肩をすくめて反応する。一方、トレイドは首を傾げて、
「でもコルダ、君スカートじゃないから見える心配ないだろ」
「トレイドさんは黙ってて下さい。これは女の子として当然のことなんです」
(怒られた……)
ぴしゃりと言い放ったコルダから僅かに怒気を感じた。トレイドからすれば事実を指摘しただけなのに怒られ、解せぬと言いたげに口を閉ざさざるをえなかった。――ちなみに彼はこの場では年長(上から二番目)である。
『……なんとかしてガラス張り通路の外に出る方法は……下側に行けば完璧――』
「スサノオ、やったらへし折るよ」
邪なことを考えている剣にしっかり釘を刺したタクトはふぅっとため息を溢す。どことなく緊張感に欠けた雰囲気に、しかし悪い気はしない。あまり根を詰めすぎてもいけないと言うことを知っているのだ。
「………」
眼下の広い空間に目を向けて観察すると、そこは工場のようであった。見たこともない機械があちらこちらで見受けられ、ベルトコンベアに乗って何かの部品が流れていく。
「あれって、もしかして例の魔導ライフル……?」
遠くからなのでよく見えないが、ベルトコンベアが流れていく先を辿っていくと、そこには以前見た形のモノが造られつつあることに気がついた。学園や地球支部襲撃のさいにも使われたあの魔導ライフル――それに近い形になっていることに。
タクトの呟きを耳にしたゼルファも、ガラス越しに広間を見下ろしておおっと呻いた。
「確かにあれはライフルだな。……しっかし、これはある意味確定だなぁ……スプリンティアはおたくらを裏切っているって訳だ」
「ちょっとゼルファ……!」
以前使ったことがある彼も認め、一人うんうん頷きながらアキラに意味深な視線を向けるも、ルキィに窘められてしまう。アキラも彼の言葉に対して、
「まだそうと決まったわけではなさそうだな。……どうも彼ら、軟禁状態に近いようだ」
彼ら、というのはライフルの製造を行っている方達であろうか。アキラは眼下の空間――もはや工場と言っても良いだろう――を見渡し、鋭い瞳で観察している。
「……なんて言うか、皆さん覇気がありませんね……」
工場で作業を行う職人達を見ながら、ウルファが眉根を寄せながら口を開いた。確かに職人達の顔には疲労の色が見え、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いている人達もいる。その様子は、さながら徹夜何日目とででも言うような雰囲気であった。
「すっごく疲れているように見えるけど……そういえば、居住区画でも、職人達がここ数日間帰ってこないっていうような話をしていたよね」
「……ここに軟禁させて強制的にライフルを造らせているのか……」
コルダも眼下に広がる工場を見渡しながら、上の層で何度か耳にした情報を思い出して呟き、カルアも同意するように頷いた。まだ確定ではないが、その可能性は高いだろう。スプリンティアが完全にエンプリッター側に付いたわけではない。
「……心苦しいが、ここはこのまま素通りしよう。幸い、誰にも気づかれてはいないみたいだからな」
どこか不機嫌そうな表情で告げるトレイドの言葉に皆頷いて、ガラス張りの通路を歩き始めた。この手の光景に、どこか思うところがありそうなトレイドであったが、生憎とそれに触れる余裕はない。
『わかってはいたが、あの男も苦労人だな。もう少し旨く立ち回れば、あのような人生は送ってはおるまい』
どこか呆れたように呟くスサノオの一言が、嫌に耳に残った。
ガラス張りの通路を通り抜け、再び階段を下っていく一同。――徐々にだが周囲の気温が下がっているように感じ、タクトは当たりに目を向ける。
「……気のせいか……」
周囲の自然を読み取っても、気温は下がってはいないようだ。ならば階段を一歩一歩下りるごとに、底冷えするように寒気を感じてくるのはなぜなのか。この寒気は、自身の中からするものなのか――だとすれば。
「……みんな気をつけろ。まだ距離はあるが、“奴”がいる」
タクトの前を歩いていたカルアが声に出し、警戒するように告げる。彼もこの寒気を感じていたのだろうか。――寒気という名の恐怖を。
「……? なんだ……?」
「トレイドさん?」
一方、トレイドは何か気になることがあるのか周囲に目を向けつつやや早足となって階段を下っていく。先頭を歩いていたアキラを追い越し、一人だけ階段を下りきったときには駆け出していた。
「おい……まぁ、アイツだから何とかなりそうだが……」
ゼルファが彼の行動にため息をつき、しかしアイツだからまだましか、と言わんばかりに首を振っている。
「……カルア、タクト。本当にあの鎧の気配か?」
「いや、まだ距離はある。……アイツ、一体何に気づいた?」
彼の行動に違和感を抱いたアキラの問いかけに、二人も首を振って否定する。確かに恐怖心を感じつつあるが、しかし先程のような動けなくなるほどのものではない。だから距離が空いていると思われる。
表情をしかめながらも、一同も階段を下りきり、トレイドが入っていったであろう扉をくぐり抜けた。