第36話 災いの使徒~4~
(……まさかこんな所でもう一度“コレ”と戦うことになろうとはな……)
左腰に証――鞘に収まったままの日本刀――を展開し、その柄に手を掛けながらアキラは正面にいる敵を見据えた。
姿形は多少変わってしまっているが、十七年前に戦ったことがある相手である。最も、“新しく生まれた”存在なのだろうから、向こうはこちらのことなど全く知らないだろうが。
人型をした鎧、その中身は空洞で中に誰かが入っていると言うことはない。魔術的要因で動く操り人形だが、そう単純な話でもない。あの鎧に掛けられた“魔術と呪術の掛け合わせ”は、とある存在の肉片を核としている。
その”とある存在”が精霊王にとって因縁のある相手であると同時に、トラウマの対象でもある。そのため、かの王の血を引く者達にも、”恐怖”という形でそれが受け継がれてしまっている。
(……恐怖を失っている、か。確かに皮肉なことだな)
後ろにいるタクトが鎧を見た瞬間恐慌状態に陥ってしまったのもそれが原因であるし、遙か後方にいるカルアもあの鎧に積極的に攻撃したいとは思わないだろう。トレイドに関して言えば、彼は例外とも言える事情を有している。
その例外故に、指摘されるまで気づかなかったのだろう。今も平然としてこちらに視線を送ってくる。
「っ! 桐生のおっさん!」
ちらりとトレイドに視線を送ると、彼が驚きと危険を伝えるように叫んできた。アキラが視線を逸らした瞬間に鎧が襲いかかってきたのだ。
「――――」
しかし、それはすでに見抜かれていた。流れるような動作ですっと身を翻し、鎧が上段から振り下ろす刃を寸前で躱した。
『―――』
返す一刀が地面から跳ね上がり、アキラを追撃する。だが、これすらもアキラは躱して見せた。
「――最初の一撃はやや危なかったが。しかし、私に傷を負わせるほどではない」
さらに苛烈に剣を振るう鎧に対し、アキラは刀を鞘に収めたまま刃を寸前で躱していた。最初を覗けば、彼の視線は鎧から離れることはない。ふむ、と一つ頷いて、
「人とは違うから少々戸惑ったが。だがもう”慣れた”」
その言葉を耳にしたトレイドは、首をかしげて思ったことだろう。一体何に慣れたというのだろうか。――その答えは、すぐに表れた。
『―――』
「遅い」
次々と剣を振るう鎧の攻勢を避けていたアキラであるが、鎧が剣を振るった直後、やっと自らの刀を抜いて攻勢に出た。
「はやっ……」
トレイドでさえ――否、アキラを除いて、その場にいた全員がその一刀を見ることは敵わなかった。気がつけば刀を真横に一文字に振り抜いていて、一拍遅れて鎧に深い傷が走った。それに気づかず鎧は再び剣を振るい――そこで自らが斬られていたことに気づいたのだろうか。アキラから一歩遠ざかる。
だがその時点でさらに三つの斬痕が走っている。鎧が二度剣を振るい距離をとる間に、四度も斬りつけたというのだろうか。
「………」
鎧が距離をとるなりアキラは刀を鞘に収めて居合の構えをとった。いつでも抜けるように柄に手を添えたまま、彼は鎧の一挙一足を見逃さないとばかりにじっと見つめ続けている。
アキラの戦い方は、基本的には”後の先”である。相手の僅かな動きから次の動作を見極めて予測し、躱すと同時に超高速の居合斬りで切り捨てる。
相手の動きを先読みする、という点で言えば自然の加護がもたらすそれと似ているが、あちらが感覚で分かるものだとすれば、アキラのそれは経験から来る先読みである。
彼が今まで積み重ねてきた鍛錬、戦闘――それらと相手の僅かな動きや視線、得物の位置などから推測しているのだ。かつての戦友や妹のように、”才能”に恵まれなかった自分がどうやって彼らと肩を並べて戦ったのか。
それはただひたすらに鍛錬を積み重ねただけのこと。その結果たどり着いた極地。――それは何も、武の話だけではない。アキラは”精霊使い”だ。
「――アイギット。見ておくと良い」
「……?」
戦いの中に生まれた膠着状態。鎧はアキラを警戒し、アキラは相手の出方をうかがうためににらみ合う最中、彼は背後にいるであろう甥の親友に声をかける。――同じ”水の属性変化術”を得意とするもの同士として。
「これが”水”の真髄だ」
居合の構えをとるアキラの刀から、青い光が溢れ出す。それは魔力の光――水の属性変化術を使ったときの光に、よく似ていた。
『―――――』
その光を見て何かを察したのか、鎧は剣を上段に振り上げ、アキラに向かって突撃する。突進して間合いに入った途端剣を振り下ろす、大ぶりな一撃。そんなものを放つ間に、アキラの居合ならば三度斬りつけられるだろう。
しかし、それを見たトレイドは目を見開いて声高に叫んだ。
「っ! ダメだ、おっさん!!」
――彼の叫びがアキラの耳に入るか否かの間に、鎧の姿が忽然と消え、そしてアキラの背後に表れる。
瞬間転移――いや、転移にしては異質だ。”消えると同時に表れた”のだから。どれほど転移術に長けた術者であっても、転移時間を零にすることは出来ないのだ。
――鎧が行ったのは転移ではない。それよりも遙か上位に位置し、禁術として数えられている魔術の一つ、“時間停止”。それを広範囲に展開し、止まった時間の中で鎧だけが動き、アキラの背後に回ったのだ。
「―――だから遅い」
しかしアキラは慌てなかった。背後から自らに向かって振り下ろされる剣は、確実にアキラを捕らえた。彼の体へ吸い込まれていく――しかしアキラの体が突如消え、横に一歩ずれ紙一重で交わしていた。
(――何だ、今の……)
今の光景にアイギットは目を見開いた。さらには、鎧が剣を引き戻すまでの間に剣閃が閃き、鎧を二度斬りつけた。大きくたたらを踏んで後退する鎧に向かって、彼は首をコキコキとならしながら、
「相変わらず時間停止は厄介だ。……だがお前は知らないだろうが、私の方はお前の同類と一度戦ったことがある。故に、お前が出来ることは一通り知っているのだ」
『――――』
「時間停止を行っている間、貴様はそれの維持に力の大半を持って行かれている。僅かでも意思を乱せば……それこそ攻撃態勢に入ろうとすれば、それだけで時間停止は効果を失う」
アキラと鎧の間に、再び距離が生まれた。その隙に、アキラは刀を鞘に収め、居合の構えをとる。
「そして私はご覧の通り、時間停止をした貴様がどこに表れ、攻撃態勢をとってから剣を振り下ろすまでの間に、数度斬りつけられる」
『――――』
刀の柄を握りしめる手に力を込め、アキラはやや重心を落として鎧を見据える。いつでも居合斬りを放てるその体勢に、これまで何度も斬りつけられてきた鎧も近づけないのか、剣を構えたまま近づいてこない。
「――霊印流”残月”、二之太刀」
一向にこちらに近づいてこないことを確かめたアキラは、ならばとばかりにその場で居合斬りを放つ。両者の距離は空いており、彼の刀では完全に間合いの外にいるにもかかわらず。だが問題ない。霊印流の二之太刀は、魔力斬撃を飛ばす技。
「――飛刃」
抜刀――研ぎ澄まされた刃に速度を乗せて放たれたその斬撃は、誰の目にもとまらなかったことだろう。当然、構えていたはずの鎧ですら身動きが取れないまま飛刃をもろにくらい鎧に再び深い切れ込みが刻まれた。もはや至る所に切れ込みが入り、防具としての役割を失いつつある。
『――――』
「――逃がすのを許すとでも?」
『――――』
アキラから距離をとった鎧に向けて、彼は冷たく言い放つ。――その一言には、一同は首を傾げざるを得なかった。鎧が驚いたように顔――この場合フェイスガードか――をあげてアキラを見たことから、おそらく内心を言い当てられたのだろう。
だが、それまで感情らしい感情を見せなかった鎧だ。どうやって内心を言い当てたというのだろうか。こちらを見もせずに、ふふっとどこか苦笑するアキラは、
「”水属性を極めた”結果、周囲の温度を感じ取りやすくなってな。おかげで、相手が何を思っているのか……本心に察しが付きやすくなってしまった」
「――――まさかっ!」
水属性を極めた、本心に察しが付きやすくなってしまった――その言葉に、トレイドはハッとする。精霊王の血筋故に引き継いだ先人達の記憶と、ほんの一週間近く前に出会ったマスターリットの前リーダーのことを思い出す。あの男は、“風属性を極めた”人物である。その結果、周囲の気配を感じ取りやすくなっており、場合によっては自然の加護を持つトレイドを上回る気配読みを行ってもいた。
――各属性を極め、特化させた者は“到達者”と呼ばれる。その極めた属性由来ではあるが、“自然の加護”と同様に自然物との交信が行えるようになった者達。――正確には交信とは異なり、自然物が得た情報を”読めるようになる”というのが正しいが、場合によっては自然の加護を上回る効果を発揮する。
風の到達者であれば風から、水の到達者であれば水から、それぞれ情報を得る。特に水の場合、自然物の中でも”命”との関わりが強いため、相手の内心に察しが付きやすくなるなどの変化がそれだ。
タクトやトレイド、カルアの三人は、アキラのように相手の心情を察知することは出来ない。水の到達者の場合はそれが出来るものの、かわりにアキラは三人のように相手の動きを事前に知ることは出来ず、また危機察知能力は高くない。
「貴様は危険だからな。この世界で確実に滅する」
体に、鎧に深い切れ込みが入っている相手は、アキラを前に動けずにいた。先程の飛刃により、体が真っ二つになりかねないほどの切れ込みが入っており、下手に動けば下半身と上半身が二つに割れるのだろう。
刀を鞘に収め、幾度目かの居合の構えをとるアキラは、ぐっと重心を低くする。鎧はその動作に反応し、数歩引き下がるなり、忽然と姿を消した。例の時間停止による戦域離脱だろうか。
「スサノオ」
『結界内からの反応はない。――というか結界から強引に出て行ったなこれは。11時の方角』
地面に突き刺さったままのスサノオに呼びかけると、即座に反応が返ってきた。11時の方角から結界を出て行った――そちらに視線を向け、アキラはすぐにポータルに刻まれた通信魔術を発動させた。
「カルア、お前から鎧は見えるか?」
『……見えてる』
どこか元気のなさそうな――どこか疲弊した感じのある声音。それも仕方のないことだろう。彼も精霊王の血筋である以上、あの鎧に対してどうしても恐怖感を抱いてしまう。
だが恐怖感を抱いていたとしても、彼は鎧と相当な距離が空いているため、タクトのように即座に戦闘不能になる、ということはないのだろう。
『時間停止は使っていないな……―――』
戦域からの離脱に時間停止を使用したが、流石にずっと使っているわけではなかった。負担のある魔術である以上、無闇に使うことは流石にしないだろう。だがその時、カルアが何かに気づいたように声を上げる。
『――初めて見た扉から外の区画に出て行った』
「……初めて見た扉、か……」
――閃く物があった。だが、この状況でその考えに従うべきか。迷いを見せるアキラは、他のメンバーに目を向ける。やっとタクトも復活したのだが、頬を青白くさせてやや苦しそうにしている仕草からは、あまり無理は出来そうにない。
だがこれは紛れもなくチャンスである。逡巡を見せたものの、タクト以外のメンバーに目を向けると、全員がアキラを見つめて頷いた。――カルアの言葉を聞いて、皆も同じことを思ったのだろう。
――鎧を追うべきだ、と。幸いにもスサノオが展開した結界によって、ここでの騒ぎは隠蔽することが出来る。具体的には、巻きこまれた市民の記憶をある程度操作してなかったことに出来る。
ならば――ならばここは――
「追いましょう、桐生さん」
アキラが自身の答えを口に出す前に、タクトの側で彼を心配そうに見やっていたラルドがそう口を開く。アキラが彼の方を向くと、力強い瞳で見返してコクンと頷いている。
「ここは追うべきです。……僕たちの残り時間もあまり多くはないですし……それに……」
言いかけ、ラルドは瞳を伏せる。彼が何かを言いたいのは伝わってくるが、それを口にして良いのか迷っている様子に、ウルファは何かに気づき部下の肩をぽんと優しく叩く。ラルドは彼女の方を見て、真剣な眼差しで頷かれ、意を決したように口を開いた。
「……うまく説明は出来ないですけど、ここは行くべきだって感じたんです」
――感じた、と言う彼をじっと見つめるアキラ。ラルドはアキラの視線から目をそらさず、真っ正面から見返している。彼の隣に立つウルファが彼の味方をするように口を開いて、
「……アキラさん、ここはラルドの言葉を信じてみませんか? ……我々は、何度も彼の言葉に助けられてきた。彼のけい……いや、直感は――」
「疑っているわけではない。むしろ私もそう言おうと思っていたところだ」
アキラを見ていた一同は、その言葉に頷き、しかし心配そうにタクトへ視線を向ける。まだ苦しそうにしているタクトは、ふぅっと深く息を吐き出して、
「……大丈夫。でも正直、また”アレ”が出て来たらと思うと……」
と、気は進まなさそうではあるが、鎧を追うことには賛成のようである。今にも震えそうな彼を見て、ゼルファははぁっとため息をついた。
「……オメェ、アレよりよっぽど怖ぇものとやり合ってきたんだろうが……それでもダメなのか?」
「う~ん、どうもそういう問題じゃないと思うんだよね。多分もっと深いところが関係していると思うの」
――例えば、”血縁”とかで、と付け加えたのはコルダである。紫の髪を揺らしながらタクトをフォローする彼女に、ゼルファもそうかいと頬をポリポリとかく。
「いや、どうも信じられなくてよ……。俺が言うのもなんだか、学園襲撃の時、俺等をボコッてたアイツが、あぁも震えていたと思うとよ……」
どこか納得がいかない、とでも言うように眉根を寄せる彼に、タクトは苦笑する。ゼルファはタクトのことを根性なしと思っているわけではないのだ。彼は大柄な男をぽんと叩いて、
「次は変なところを見せないようにがんばるよ」
「いやそういうわけじゃなくてだな……。桐生、なんとかなんねぇのか?」
「無理だ。……あの鎧に使われている術式の核は、王の血筋にとって天敵と言えるからな」
ふるふると首を振って断言するアキラ。あの鎧の元となる存在が精霊王の天敵とも言えるが故に、その血縁に与える影響は強い。今まで数多くの戦いを経てきたタクトでさえ、問答無用で戦闘不能になっていたのだ。例外はトレイドのような恐怖を感じないものだけだろう。
「これから鎧を追うわけだが……奴が出て来た場合、タクトは下がれ。アイギットとラルド君、その場合のフォローを頼む」
「わかりました」
アキラの頼みに首を縦に振ったアイギットを見て頷き、未だ使用していたポータルに向かって声をかける。
「――というわけだ、カルア。奴が向かったという扉で合流しよう」
『了解』
返答が帰ってきたと同時に、アキラが持つポータルの魔力光が消え去った。それを確認してポータルを懐にしまったアキラは、タクト達の顔を見渡して拳を握りしめる。
「こちらの予定を大きく狂わされたわけだが、図らずも進展があった。このチャンスを逃すわけにはいかない」
ふぅ、と一息ついてアキラはメンバーを見渡す。――様々な思いがあるだろう、だが今は、一つの目的を全員が共通していると言える。それで十分だ。
「あの鎧が逃げた先は、おそらくあの鎧を使役する術者の元だ。――おそらく術者は、スプリンティアの中枢に入り込んでいることだろう。間髪入れずに後を付け、開発区画に侵入する」