第31話 日常、気づいた思い~1~
――数時間後。レナは部屋の中で着替えを終え、扉の前で立っていた。二、三度深く深呼吸をし、そっとドアノブに手を伸ばす。もしスサノオから話を聞いていただけだったら、このノブに手をかけることは難しかっただろう。
しかし、今はもう大丈夫。晴れやかな気持ちでドアノブに力を入れて回し、部屋の外に出る。廊下の窓から外を見やり、本当に地球に帰ってきたことを実感して苦笑する。
――分かってはいるが、未だに信じられないのだ。十日以上も眠りについていた、なんてことは。僅か十日だが、その十日のうちに大きく変わったこともあると聞いている。だけど今は。
「……みんなに、謝らないとだね」
これまで友人達を信じ切れなかったことを、謝りに。
目を瞑り、決意を固めていると先に部屋の外に出ていたタクトが廊下の一角に寄り掛かりうつらうつらしていた。そんな彼を見て、レナはクスリと笑みを溢した。
「タクト、そんなところで寝ていると危ないよ」
結局あの後、声を出さずに泣き出した自分を慰めてくれ、一通り落ち着きを取り戻すなり彼はすぐにレナから離れ、部屋を後にしたのだった。その行動の速さに首を傾げたが、泣き顔をじろじろ見ないで行ってくれたのはありがたかった。
その後どうしていたのかはわからなかったが、もしかしてずっとここにいたのだろうか。私が落ち着きを取り戻したのも、完全に朝日が昇った時間帯なのだが。
「……あ、うん。おはよう……って言うのも、なんか変な感じだけど」
声をかけると意識を取り戻したのか、瞬きを繰り返しながら手を挙げてくる。確かに、すでにおはようと言っているのだ、二回目の挨拶にタクトは苦笑をしていた。
「二度目でも良いじゃない。おはよう、タクト。……そういえばこの服、どうしてあの部屋にあったの?」
レナが今着ている服を差しながら尋ねてくる。普段着なためか、ラフな衣装である。彼女の記憶では、これは自分の物だが、実家の方に置いていったもののはずだ。彼女の疑問に、タクトは頷きながら、
「アヤカさんが持ってきてくれたんだよ。そのうち必要になるからって」
アヤカ――鈴野アヤカ。血のつながりはないが、レナの姉にあたる人だ。地球生まれの一般人ではあるが、精霊や魔法について知っており、タクトや従兄のセイヤは昔からお世話になっていたりする。
姉が気を利かせてくれたことが嬉しいのか、レナは笑みを浮かべて、
「そっか……姉さんはこっちに来てるの?」
「帰ってきてからは、一日に一回は顔出してたよ。……元気な所を見せてあげて」
心配そうな表情でレナが眠っている部屋に通っていたアヤカを見ていたため、タクトはレナにそう告げる。彼女も、心配をかけたことを自覚しているのか、神妙な表情で頷いて、
「そうするよ。……でも、まずはみんなに言わないとね」
朝の会話を交わしながら、二人は一階に下りていく。――美味しそうな匂いが立ちこめていた。
目を覚ました彼女が一階に下りてくると、ちょうど居合わせたアイギットとコルダは驚き顔になり、次に金髪をかきながら心底安心した様子でため息をついていた。
「……目を覚ましたか。よかった」
「レナー! よかった、本当に良かったよ~!」
抱きついてきたコルダの小さめな体を抱き留め、ますます申し訳なくなってくるレナ。力を込めてしっかりとコルダを抱きながら、彼女はアイギットへ視線を向けながら頷いた。
「おはよう、アイギット。……コルダも、ごめんね、色々と心配をかけて」
「いや、気にするな。……正直、俺達もお前に言わないと――」
「――私の、体のことについてだよね?」
髪の毛をかきむしりながら、アイギットは言いづらそうに口を開くも、先にレナが遮った。目を瞬かせて押し黙るアイギットに向かって微笑み、彼女はしっかりと目を見据えて、
「後になるけど、ちゃんと説明するよ」
「……そ、そうか、わかった」
彼女の瞳から何かを感じ取ったのか、アイギットはどこか意表を突かれたような感じで頷いた。だが、決して不快な表情ではなかった。それはレナの胸の中にいるコルダも同じだったようで、
「あたしも、レナから直接聞きたい! レナ自身がどう思ってるのか知りたい!」
ニッと天真爛漫な様子で彼女を見上げるコルダに、思わず彼女は苦笑いを浮かべてわかったと頷く。コルダの紫色の髪の毛を触りながら、
「……私の気持ちかぁ……あ、でも、今と昔で変わってないのかな」
どこか遠い目をして考え込んでいたが、やがて首を振ってそう結論づける。過去の記憶を振り返ってみたが、自分自身の体に関しての思いは変わってはいないかも知れない。――あくまで他人――友人達にどう思われるかが気になっただけであって。
「うん、わかった。そのことも含めて、後で――」
その時、がらりと居間の扉が開き、寝間着姿の女性が姿を現した。普段はきちんとしてある茶色い髪はボサボサで、瞳は眠たそうにしょぼしょぼしている二十歳頃の女性――鈴野アヤカは居間にいた全員を見渡して欠伸混じりに口を開く。
「皆さん、おはようぅ……ござい……」
一度見渡して発した声は、徐々に尻すぼみしていく。しばし固まった後、首をふいっと曲げてレナを見て、眠たそうだった瞳が一気に開眼する。
「……レナ?」
「……おはよう、姉さん。……その、この家、タクトの家なんだけど……」
レナは姉の、鈴野家にいた頃と全く変わらない姿にため息をついた。そのラフすぎる格好を自宅以外でするのは如何なものか。とはいえレナ自身、時々桐生家を自分の家のように言うときがあるため人のことは言えなかったりする。ちなみにマモルも同様である。
だが妹の忠告など耳に入っていないのか、アヤカは目を瞬かせた後、恐る恐る彼女の頬に触れ、存在を確かめるかのようにぺたぺた触り出す。目の前で困ったような表情をしている妹が幻覚や気のせいではないとわかったのか、震える声音で絞り出す。
「お、おはよう、レナ」
「うん、おはよう」
「………えい」
「あっ!?」
困惑するアヤカと困った様子のレナ。二人はしばし見つめ合っていたが、アヤカはかけ声とともにレナの胸に手を当てた。驚きの声を上げる彼女は飛び退き、姉から距離をとった。顔を真っ赤にさせて姉に食って掛かる。
「な、何するの姉さん!?」
「この反応……この感触……やっぱりレナだ! レナぁぁぁっ!」
ぽつりと呟いた後、距離をとった妹を抱きしめるために飛びかかるアヤカ。その動きに困惑し避けるのが遅れた彼女は次の瞬間、姉の腕に抱かれていた。
「ちょ、ちょっと姉さん!?」
「目が覚めたんだね!? よかった、本当によかったぁ~!」
妹に抱きつき、嬉しさと安心から涙を流しよかったと繰り返すアヤカに、レナは困った顔をしていたが、やがて申し訳なさそうな表情を浮かべてその肩を叩く。
「……ごめんね、姉さん。心配、かけちゃったね」
「ホントだよ! 私が、私がどれだけ……っ、どれだけ心配したと……!」
――地球に戻ってきてから、一日も欠かすことなくレナの元に顔を出していたとタクトから聞いていた彼女は、申し訳なさと、少しの嬉しさを含ませながら頷いた。――次第に目元が緩んでくる。
こんなにも心配してくれる友人や家族がいるのに、彼らを信じ切れなかった自分がとてつもなく申し訳なく思えてきて。レナは無言で、姉の肩を叩くのだった。
「心配かけてごめんなさい。……それとありがとう、姉さん」
レナの言葉に何度も何度も頷きながら涙を流すアヤカ。血のつながりはなくとも、姉妹の仲にある確かな絆を感じ取るのだった。
その後も騒ぎを聞きつけたのか、台所からひょこりと顔を出した未花は喜びを露わにさせ、大量の朝食をお盆にのせた風菜が車いすを押しながら姿を見せる。風菜はレナを見て、安心したように微笑みを見せた後手招きして彼女を呼んだ。
何のことか察しつつ風菜に近づくと、案の定風菜は申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「おはようレナ。それと、ごめんなさいね。クサナギ……いえ、スサノオがもう少し遅く動き始めていたら、あなたももっと早く目覚めていたのに」
「え?」
――思っていたこととは別のことを謝罪され、レナは困惑する。スサノオが遅く動いていたら? 一体何のことだろうか。しかも話題がクサナギ――スサノオ関連であり、スサノオに苦手意識を持つ彼女は体を強ばらせた。
そんなレナに、風菜は首を傾げる。
「聞いていないの? スサノオが、どうしてタクトの元を離れたのか」
「……えっと、聞いた……はい、聞きました」
一瞬どういうことだと思ったが、記憶を辿ると確かに学園でタクトがそんなことを言っていた気がする。不意に学園での思い出が遠くに感じて一抹の寂しさを覚えるレナであった。
「確か、タクトを本当の主として認めるための試練を行うとか……あれ? ってことは……」
昨日――いや、正しくは今朝か。スサノオのざっくりとした説明には、自分が一週間以上も眠っていたことと、以前スサノオがかけてくれた“誤魔化し”が途切れ、レナが持つ二つの魔力炉が互いに干渉し合い過剰な魔力を生成し、レナの体を危険な状況に追い込んでいたことを言っていたが。
――どのようにしてレナを目覚めさせたかは言っていない。そのことに気づいたのか、顔色が変わるレナを見て風菜も察し、はぁっとため息をつく。
「……相変わらず説明不足なんだから……」
「私、変なことされてませんよね?」
『失敬な』
二人の会話に突然割り込んできたのは銀色の子人。話題になっているスサノオは二人の間にすっと入り込み、苦虫を潰した表情で口を開く。
『変なことなどしていないぞ? したかったがな』
「……雉も鳴かずば打たれまいってことわざ、知っているわよね?」
真面目な口調で言うスサノオからすっと距離をとったレナは避難するような鋭い目つきで子人を睨むも、とうのスサノオは肩をすくめて避難を受け流し、
『私はあくまで剣だ。自我を、力を持っていようとも、担い手がいなければ意味をなさん』
スサノオは要領を掴めないことを言い放ち、ふいっと浮かび上がるなり朝食を運んでいるタクトの元へ向かう。その落ちついた雰囲気が意外だったのか、レナは目を瞬かせてスサノオを見やっている。
やがて風菜が口を開いた。
「……タクトに感謝しなさい、ってことかもね」
「え?」
「言っていたでしょう? あくまで剣で、担い手がいなければ意味はない……あの子が、レナを助けたいって思って行動したから、スサノオはそれに答えただけ。……多分、そう言いたいのよ」
「…………」
――うすうす感じてはいた。もしかしたらと。その思いは、現実の物となった。自分を目覚めさせてくれたのは、やっぱりタクトだったのか、と。思わず彼を目で追ってしまうレナは、嬉しさと恥ずかしさを同居させた複雑そうな表情で頬を赤らめた。
そんな乙女に、風菜は微笑みを浮かべたのだった。
~~~~~
『そういえばタクト、貴様昨日は急に寝たな?』
「え? ……急に寝たって?」
叔父であるアキラを除いた九人分の朝食を運ぶタクトは、ふらりと近寄ってきたスサノオにそう言われ、首を傾げる。はぁっとため息をつくスサノオは、タクトの頭上に乗っかり、
『心象世界に引き込んだというのに、突如弾かれたぞ。気になって見に行けばレナの部屋で寝ているし、彼女は起きてるし』
「あ、あぁ、あのこと」
――言われて思い出す。昨日、母親の話を聞いて解散した後、レナのことが気になり彼女の部屋を訪れたのだった。そしてそこで不意に意識が途切れて、心象世界でスサノオと話して。
そこで記憶は途切れている。どうやらあそこで眠ってしまったらしい、と自覚して苦笑する。しかし、同時に顔をしかめた。
「……最近自分の精神状態が大丈夫なのかが気になってくるな……」
『精神状態はいつも通り健康だ。問題は疲労だな。――試しの儀の時の無茶の反動、まだ残っているのだろう?』
頭上のスサノオはそう言ってくる。タクトもまた、それを否定できない。
――未だ体に残る倦怠感と疲労感。奥底で燻る眠気と、万全な状態とはとてもではないが言えなかった。
精霊憑依に加えて、憑依中に得た魔力を肉体の強化に使う、肉体への負担を無視した無茶の連続。どうやら相当根深い問題のようだった。
『お前はしばらくポンコツだ。だが、エンプリッターの方もしばらく動きはないだろう。今のうちに、体を元に戻しておけ』
「わかって……って、何でしばらく何もないってわかるんだ?」
さも当然のように断言したスサノオに頷きかけ、しかしまるで知っているかのような物言いに首を傾げ、タクトは問いかけた。すると子人は、察しろよと言わんばかりにため息をつき、
『なに、単純な予測だ。作戦に失敗したら、間を置かずにもう一度同じ場所を攻めるか?』
「……攻めないよね、普通は。でもそういうことか……」
スサノオに態度に若干腹が立つが、受け流しておく。この程度で怒っていたら切りがないのだ。得意げな表情を浮かべているスサノオを無視して、最後の一皿をテーブルの上に置いた。これで朝食は全て運び終えたタクトはトレーを片付け、みんなに声をかける。
――しばしの間ではあるが、ゆっくりと体を休める期間が生まれたのであった。
~~~~~
「――おはようございます」
「おはようございます、風菜さん、未花さん。……そうか、レナもやっと起きたか」
タクトが桐生家にいる全員に朝食の準備が出来たことを伝えるため、席を外して数分後。居間にやってきた茶髪の少女と白髪の青年の二人組に、レナは首を傾げた。
「お、おはようございます、カルアさん。それと……」
シャワーでも浴びてきたのか、湿った白髪をしているカルアに挨拶をする。以前からお世話になっている地球支部所属の精霊使いなのだが、少しだけ苦手な人なのだ。若干堅くなるレナだが、その側にいる寝ぼけ眼の少女を見やる。彼女の視線に気づいたのか、ひらひらと手を振って、
「あ、初めまして~。シズクって言います」
と、緩い感じで挨拶をしてきた。その様子から、まだ眠いのかなと思ったレナは苦笑いを浮かべながらも律儀に挨拶する。
「えっと、私はレナって言います。よろしくね、シズクさん」
「ん~、よろしく」
こしこしと目元をこすりながら朝食が置かれたテーブルに向かっていく彼女を見て、どことなく姉のアヤカのような人だなと感じる。――曰く、朝に弱いタイプ。
「……アイツ、緊張してるのか?」
「え?」
「いや、何でもない。それより、体は大丈夫か?」
一瞬気になることを言ったカルアだが、聞き返してもすぐに首を振り、レナに目を向けて体調について聞いてきた。
「……正直、微妙に体がだるいと言いますか……ずっと寝ていたからでしょうか?」
「だるいだけ、か?」
あははは、と苦笑いを浮かべながら言うレナに対し、カルアは真剣な眼差しで問いかけてくる。その問いかけに戸惑うも、コクンと首を傾げる。
「……なら良いが……もし不調があれば言え」
「……はい。ありがとうございます」
本気で心配してくれていることが伝わって来て、レナは頭を下げる。それと同時に、本当に様々な人に心配をかけたんだなと申し訳なく思えてしまう。
――そして、心配してくれたという事実に、徐々に嬉しさがこみ上げてしまう。そう思うのは少しずれているなのだが、そう思うことを押さえられなかった。――バケモノの私を心配してくれたのだという嬉しさが。
「……それとだ。後で……いや、アイツの気が向いたらで言い。シズクと少し話してやってくれ」
珍しく言いづらそうに、言葉を選んでいる様子のカルアを不思議に思い、レナは顔を上げる。カルアは困った表情を浮かべて、視線をレナの向こう側――先程テーブルに向かっていき、今は座っているシズクに目を向けて。
「アイツも、少々込み入った事情を持っている。……話をしてやってくれると嬉しい」
彼はレナにそう頼み、朝食が上がっているテーブルへと歩いて行った。そんな彼の後ろ姿を見た後、隣にいるシズクを見た。ちらりとこちらを一目見て、すぐに視線を逸らされてしまったが。
――その様子からは、確かに色々と事情がありそうだと察せられ、レナは困ったような表情を浮かべるしか出来なかった。