第29話 剣の章 脱出への道筋~5~
「逃げたか。……―――」
完全に消滅した異形を見やって、軽く黙祷するルフィン。目を閉じ、犠牲となった者達を悼み、そして背後を振り返る。床に座り込んでいたトレイドは、大分回復したのかすでに立ち上がっていた。
「……お前にしてはずいぶんとやられたみたいだな」
「やられたというよりも、してやられた、って感じだな。相性的にこっちが有利だったんだが……向こうが上手だった」
ふぅ、と息を吐き出して首を振り、切り替えを行うトレイドはこちらをじっと見つめてくるルフィンに向き直る。そこでようやく、僅かに笑みを見せた。
「変わっていないな。……変わるはずもないのだが……」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
――最後にあったのは九年前――ちょうどトレイドが18歳の時だ。そこから数ヶ月間、彼の元で武術についての手ほどきを受けており、トレイドはルフィンの弟子と言っても良いかもしれない。もっとも、教えた本人は否定するだろうが。
『教えたつもりはない。……勝手にこいつが”盗んでいった”だけだ。……義賊だけに、な』
と以前言っていたのを覚えている。確かにアレをしろこれをしろ、と指導を受けた記憶はなく、ルフィンの動きを目に焼き付けてその通りに動こうとしていただけだ。
かつての知り合いとの再開に、少しばかり過去を思い出していたトレイドは気を取り直してルフィンを見やる。その気配に真剣みを帯びたのを察したのか、ルフィンも浮かべていた微笑みを消して無表情となる。
「……本当なら、再会を祝したい所なんだけどな……あんたは、一体何をやろうとしているんだ?」
「自分の願望を叶えようとしている」
「……そのために、多くの人達から命を奪っているのかっ?」
「誤解を招く言い方をするな阿呆。確かに命を奪ってはいるが、それは殺すという意味ではない。……死なないように加減はしている」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
肩をすくめながら加減しているというルフィンに対し、表情に怒りを浮かべたログサが二人の会話に割って入る。こめかみから汗が一筋流れ落ちる――傷が開きつつあるのか、腹部に押さえながら、
「てめぇ……何をしようとしているのか分かっているのか!」
「――以前言ったはずだ。願望を叶えるためなら、”何がどうなっても構わない”」
「――あんた……」
ログサを見もせずに切って捨てるルフィン。彼が言い切ったその一言が、一同に同じ気持ちを抱かせた。――こいつは危険な男だ、と。そして合流した際ログサがもたらした情報通りならば、この男は――
「聞かせてもらうぞ、いつぞやの約束の件……」
そんな一同に構わず、ルフィンはトレイドに向かって手を差し伸べた。彼を見やりながら、髪に隠れていない右目が真っ直ぐに射貫く。
「俺と共に来い。協力してくれ。……そうすれば、貴様の思い人を蘇らせることが出来るかもしれんぞ」
「……何?」
ログサの言葉に疑問を浮かべたのは、トレイドではなくアンネルだった。思い人を蘇らせる――蘇らせると言うことはつまり、現在は亡くなっていると言うこと――彼の思い人とやらにも興味はないわけではないが、アンネルはそちらの方が気になった。
死者蘇生――そんな事が出来るとでも言いたいのだろうか。
「八年前にも言ったが……お前の後悔はなくなり、思い人である少女も、そしてあるはずだった人生を、今までの人生をやり直すことが出来る。あのときは”やらなければならない事がある”と言って返事を先延ばしにしたが……」
ルフィンが意味ありげにトレイドを見やる。彼もまた、真っ直ぐにルフィンを見返していた。その力強い視線――答えは、分かった気がした。俯き、僅かに笑みを浮かべて、顔を上げたときには、元の無表情が浮かんでいる。
トレイドは真っ直ぐルフィンを見返しながら、首を横に振った。
「――悪い。あんたの提案には乗らない」
――やはりか。内心呟き、しかし声に出したのは別の言葉だった。
「……何故だ? 貴様ならば、乗ると思っていたのだが……」
「あんたの提案に魅力がないわけじゃない。……ただ、ある少年のおかげでな。ユリアのことは、乗り越えることが出来た」
――ずっと一緒だよ――いつか聞いた、彼女の声が聞こえた気がした。だが、彼にはそれで十分だった。彼女の魂の一部は、今も自分の中にいる。だから。
「それに、今の俺はフェルアント本部預かりの精霊使いだ。借りを返すまでの間は、本部の連中の指示に従うさ」
そう言って、彼は右手に握っていた証の切っ先をルフィンに向ける。剣を向けられたルフィンは無表情に、しかしどこか楽しげに、嬉しげにトレイドへ視線を向けて。
「だから――だから、逆にあんたに聞きたい。“夢現書”……神器に命を溜めて、一体何をするつもりなんだ? さっきあのガキが言っていた世界のやり直し……一体どういうことだ?」
「…………」
剣越しの問いかけに、ルフィンは無表情のまま彼を見返すのみ。――かと思いきや、やがて息を吐き出して視線をアンネル達へと向けた。
「……夢現書は、夢を現にする書だ。夢を、願いを叶える書……。ログサ、貴様がどこでこれのことを知ったのかは知らん。だがそれなりに深いところまで知っているな?」
「…………」
ルフィンの視線が、内臓の傷が開きかけ動けずにいるログサに向けられる。しばしのにらみ合いが続き、しかしやがてログサが視線を逸らし、重い口を開き始めた。
「……夢現書のことを知ったのは、心象術のことを教わったときだ。その時の師が――――」
「――あの謎の空間にいた、あのご老人か?」
心象術――再び重要そうな言葉が出てくる。トレイドとアンネル、セイヤの三人が眉を寄せる中、今度はログサとルフィンの話が続く。
あの人、それがどういった人物なのか分からないが、二人にはそれで伝わるらしい。ログサは頷いて、
「お前が夢現書を持っていると言うことと、その本の、神器としての力も聞いたさ」
――神器、夢現書。ルフィンが言ったとおり、願いを叶える力を持った書物型の神器だ。だが願いを叶えるには、それ相応の代償が必要になる。それが命だ。そして必要な命は、願いを叶える規模にもよって違ってくる。
「……その話を聞いたのは、もう八年も前だ」
「………っ!」
八年前――それはちょうど、ルフィンとトレイドが出会い、別れた時期でもあり、そして先程の件について聞かれた時期でもある。そういえば、別れる数日前、ふらりとルフィンは姿を消していた。もしやその時に――。
「答えろ。この八年間、“一体どれほどの命を溜め込んできた”?」
「さぁ、いちいち数など数えてはいないが……千は超えているだろうな……。それでも、俺の願いを叶えるには少し足りん」
「な……っ!?」
八年間ので千を越える命を溜め続けて、なお足りないというルフィン。一体どんな願いを叶えようというのか。驚愕に固まる雰囲気の最中、ルフィンは何でもないことのように自然な形で口を開く。
「”世界を造り直し、やり直す”には、まだ足りない」
「…………」
セイヤの口から言葉が出てこなかった。世界を造りなおす……? 一体何を言っているのだ、こいつは。困惑する一方、頭の片隅ではかちりと歯車が合ったように、次々と考えが浮かんでくる。
神器は神を、もしくは神の力を宿した器。ここでいう神とは、フェルアントの技術では到底解明できない、高度な文明技術によって造られたもの。もしくは、文字通りの超常の存在。
その超常の存在には、”世界”も含まれている。故に、世界=神と同一視しているのだ。つまり世界を造りなおすということは、神を造りなおすということでもある。
そして神とは、例外もあるが一般には”思い”によって産まれる存在である。思い――代表例を上げるとすれば信仰か。例え“作り話”だったとしても、多くの人がそれを信じ、信仰を得て“神格化”されれば、それをベースに新たな神が産まれるのだ。つまり神とは、“人が生み出している”と言っても過言ではない。
――もしも、である。夢現書、願いを叶えるという神器に宿した多数の命が“同じ事を願えば”――それは、絶大な力を生み出すであろう事は容易に見えてくる。それこそ、その願い事をベースにした神が産まれかねないほどに。
「………」
新たに産まれた”神”は、きっとやり直しをしようとするだろう。”時間を遡り、過去を造り替えるために”。
「……予想していた中で、一番当たって欲しくないことだったな」
絶句するアンネルの隣で、険しい表情でルフィンを見据えるログサは口を開いた。ゴホゴホと咳き込みながらも立ち上がり、真っ直ぐに相手を見つめる。
「……そういうことか」
しかしログサが何かを言う前に、相手の隣で剣を突きつけたままのトレイドが俯きながら口を開いた。静かな――それでいて、こちらまではっきり聞こえてくる声音で問いかけた。
「つまりお前は……俺が手を貸せば、ユリアを蘇らせる……いや違うか。ユリアが”死ななかった世界”に造り替える……そう言うんだろ?」
「その通りだ。過去に戻りやり直す、と言っても過言ではないだろう」
トレイドが握る剣がぴくりと揺れる。アンネルは嫌な予感を覚えた。下手をすれば、彼も向こう側に着くのでは、と。ユリアという名が誰を指すのかはわからないが、それでもトレイドと縁の深い人であることは予測できる。――そして、今は故人となっていることも。
その人物が死ななかったように出来る――にわかには信じがたいが、しかし神器としての特性と、夢現書の力を考えれば、あり得ない話ではない。その話しに吊られてしまってもわかる気がする。だが、もしそうだとすれば――アンネルも法陣を展開し両刃、柄の両端に刃のついた剣を取り出し、身構えた。
しばしの沈黙の後、トレイドはさらに問いかける。
「……世界を造りなおす……過去をやり直す……それは、今の世界はなかったことになる、ってことで良いんだよな?」
「そうなってしまうな。だが、それでもかまわない」
「――かまうんだよ、俺が」
「――――――」
トレイドが顔を上げる。その表情は穏やかで、しかし意志の強いはっきりとしたものだった。彼の黒目は、真っ直ぐにルフィンを見つめている。
「悪いな、さっきも言ったが、俺は乗り越えた。……過去のために、今と未来を捨てる気はない」
そのまっすぐな言葉に、ルフィンは無言で俯いた。表情は見えず、しばしの沈黙の後突如彼はトレイドの剣の切っ先を指で挟む。たった二本の指で剣を押さえられ、押しても引いてもぴくりともしなくなった証に目を細める。
「――……そうか。先程断ったお前でも、このことを聞けば手を貸すと思っていたのだがな。……実に残念だ」
「っ!?」
――次の瞬間、トレイドの腹部に掌が当てられていた。剣を押さえられているとはいえ、ルフィンの動きから目を離さなかったトレイドは突然のことに体が固まってしまう。
(嘘だろ……見えなか―――)
ドン、と腹部から伝わる衝撃に、彼は後方へ吹き飛ばされる。――ただ掌を押し当てていた、それだけなのに。トレイドを吹き飛ばしたルフィンは残心をゆっくりと解きながらログサ達へ視線を向ける。
「さて。フェルアントに戻り、今の話をされると、俺も”外魔者”とされかねないからな。――安心しろ、後で”生き返らせてやる”」
――過去をやり直せば、今“死んだこと”はなかったことになる――そういうことなのだろう。彼の全身から膨れあがる殺気に、セイヤとアンネルはじりじりと後ずさった。その濃密な殺気は、それだけで人を殺せそうなほど圧があった。気の弱いものならば、それだけで気絶しかねないほどの圧に、二人は冷や汗を流す。
(お前等聞こえるか?)
(っ! 師匠……っ)
お互い武器を構え、ルフィンから視線を離さずにいると、頭に声が響いてくる。念話――声ではなく、魔力を通じて意思疎通を図る魔術だ。便利ではあるのだが、これも純粋魔力を用いた魔術のため、精霊使いには扱いづらいものとなっており、使用されることは少ない。
その念話術を使ってきたのはログサ――風属性に特化させた彼は、この手の魔術はほぼ使えないほど適正がなかったはずだが――しかしそこで思い出す。念のために、彼にポータルを預けていたことを。
(状況は不味いが、不幸中の幸いと言うべきか、すでに街を覆っていた結界が消えている。今なら転移が使えるはずだ)
(っ! じゃあ――)
(あぁ、逃げるぞ。正直奴相手じゃあ、今の疲弊している俺たちじゃあ勝てねぇ)
(そんなに……?)
(……桐生の小倅、お前知らねぇのか?)
(……え?)
あまり念話に時間をかけたくはない。だが、奴の力量と力をわからせるには説明がいるだろう。幸いなことに、奴のやばさは一言で言える。淡々と、そして端的に、後輩であるセイヤに伝えた。
(奴は改革の時の”英雄”の一人……俺やお前の親父である桐生の旦那と、真っ正面から渡り合えた男だ)
(なっ……!)
「……どうやらこそこそと念話をしているらしいな」
「っ!」
目の前の男の強さを聞かされたセイヤの動揺を見て取ったのか、ルフィンはゆらりと一歩前に踏み込んだ。濃密な殺気は相変わらず――いや、近づいてきたためか圧が増したようにさえ感じ取れる。
思わずびくりとするセイヤ。しかし反対にアンネルは、念話を通じてセイヤに告げた。
(この中じゃ俺が一番動ける。何せ戦ってないからな……その間にトレイドの回収を)
「馬鹿ッ! お前じゃ―――」
念話で告げると同時に、アンネルはルフィンに向かって駆け出した。止めようと叫んだログサの言葉を無視して、手にした双刃から風を生み出し纏わせ、回転を用いて相手に斬り掛かる。だがその動きは見きられていたのか、逆に斬り掛かった刃をくぐり抜けるようにして躱し、アンネルの片方の手首を掴んだ。
「アンネル、貴様が一番手か。以前再会したときにも言ったはずだ。――私の願いを邪魔するのであれば、例え旧友達でも容赦はしない、と」
「――――っ!!」
――唐突に、以前林の中で再会したときのことを思い出す。確かに別れ際、そんなことを口にしていた。その時聞いたときは、なぜそうしてまで、と思っていた。だが、この男の話を聞き悟ったのだ。ある意味、別の意味で覚悟している。
――例え旧友と戦い殺してしまっても、目的を果たせば“なかったことになる”――その考えが、旧友との戦いに忌避感を覚えなくさせているのではないか。
憧れた背中に、罅が入ったような気がした。
「そうじゃないだろッ!!!」
叫び、双刃の柄、その中心部分を分離。双刃から双剣へと変え、掴まれていない方の腕で剣を振るう。だが、その一刀もあっさりと掴まれてしまった。動きを止められたアンネルだが、構わずに叫び続けた。
「そうじゃないっ!! 全て”なかったことになる”から友人を殺せるって、あんたは言うのかよ!!」
「……気は進まない。……だが願いを叶えるために必要ならば、俺は心を殺し、修羅になろう」
「………っ!!」
「心を通わせた友を殺すことは、自身の心を殺すことに等しい。例えなかったことになるからと言って、心に負った傷が癒えることはない」
「なっ……!」
絶句してしまう。ルフィンの口調に感情的なものは見受けられない。――だからこそ、その言葉は本心から出た言葉だとわかってしまう。本当の意味で、友を殺すことを覚悟しているのだ。しかし、そこまでわかっていて何故――何が、この人を駆り立てるのか。
「……そうまでして、そこまで分かっていて! なんで戦えるんだよ! あんたの願いは何なんだ!!」
アンネルの叫びは、ルフィンの耳に届く。腕と刃を掴む腕が、微かに震えた。
「……些細な願いだ。だが、それを叶えるために世界を、全てを敵に回すと決めた」
「……っ!!」
「俺を恨め。俺を憎め。トレイド風に言うならば……今を生き、未来を望む貴様達には、その資格がある」
「――がっ……!?」
次の瞬間、彼に握りしめられたアンネルの腕の骨が砕けた。力を込めて握りしめる、たったそれだけで骨を砕いたのだ。一体どれほどの握力があると言うのか。腕に走る痛みに、思わず双剣の片方を取り落とし、風が弱まった。
「ではさよならだ。そして……また会おう」
腕を砕いたルフィンは、証を纏ったその拳に力と魔力を流し込み、赤い光を帯び始める。コベラ式の魔法で、赤は火を表す色。吹き荒れる風さえも消し飛ばしてしまう熱量――おそらく、壁を爆砕したあの技。
(っ……我と契約を交わせし精霊よ――)
それを見て、アンネルは脳裏で呪文を紡ぐ。言葉に出しては間に合わないと判断したのか、脳裏で唱える。一秒が一分に感じられるほど間延びした感覚の中で唱えていくその呪文は、人生の中で一番早かった。
(我が示す器に――)
――唐突に、ルフィンの腕が切り落とされた。アンネルの双剣を掴む腕がずり落ち、それに従って彼の体も解放される。今のはアンネルではない、別の誰かだ。
「――貴様まだっ!」
ギッとルフィンの表情が歪み、視線が腕を切り落とした男へと向けられる。――全身に白い炎を纏い、狼が入り交じったかのように耳と尻尾、そして毛を生やした彼が。
「ガアァァァァッ!!」
どのような手段で壁に叩き付けられたかは不明だが、かなりのダメージを受けたらしく、その叫びは擦れていた。それでも一閃した細剣はルフィンの腕を切り落とし、続く横凪の一撃へと軌跡を変える。
「――器に宿れ!!」
それを見ながら、アンネルも呪文を唱えきる。彼と契約を交わした幻獣型の精霊、怪鳥グリモスが双刃――今は双剣の片割れだが――に宿り、アンネルの姿を変化させていく。
全身から緑色の羽毛が現れ、巨大な尾羽が背中から現れ、腕から翼が生えてくる。より正確にいうならば、腕そのものが翼に変化した、というべきか。むろん、ちゃんと両手に五指もあるため、双刃を掴むのに苦労することはない。
「っ………」
憑依を発動させた精霊使い二人を、片腕では止めきれないと判断したのだろう。舌打ちをつきながらルフィンは後退するも、その隙を逃すまいと二人はなおも襲いかかる。
「アアァァァアアアッ……っ!」
「――戻れ!」
雄叫びを上げつつ距離を詰めるトレイドと、床に落ちた双刃の片割れを回収し、元の証に戻した後、アンネルは浮遊能力を用いて頭上を取る。
「――――ッ!!」
――あまり時間はない。トレイドによって右腕を切られた今、どうやっても右側からの攻撃は対処が難しくなる。そこを突くべきだ。意を決っしたアンネルは頭上から、トレイドと打ち合っているルフィンの右側へ回り込む。
細剣が閃くたびに手甲が打ち、あるいは捌き、トレイドは有効な一撃を取れない。それはルフィンも同様なようで、時折放つ鋭い拳は、全てかわされ空を切る。両者ともに自然の加護を発揮した状態であり、読み合いは続く。
――クソ、手が出せない……! 頭上を取り、トレイドの相手をしているはずなのに、攻撃を放つ隙を見せない。下手に撃てばトレイドも巻きこんでしまう。
「――爆砕脚」
「アアアッ!」
ルフィンの目からは、半ば不意打ちのように放たれた足技さえも、トレイドは剣で防御し、炎属性の魔術による爆発を全て魔力に逆変換、無効化する。――証に宿る知識の力だ。それどころか憑依状態であるため、爆発を魔力へ変換した途端、その魔力を吸収し己の力とする。
「……何を馬鹿な真似をやっているのだ私は」
相手に魔力をあげるような真似をした自分を忌々しげに罵りながらルフィンは表情を歪めた。――しかし、
「――まぁ、”時間は稼いだ”」
「っ!?」
言うが早いかトレイドの剣を“右腕”で殴打し、彼を強引に後退させる。そう、彼に切られたはずの右腕で、だ。ルフィンの腕は、いつの間にか再生していたのだ。
(――腕が、再生する……? あんた一体……! いやそれよりも……!)
――先程まで、片腕だったルフィン相手に五分五分の勝負だったのだ。それが、両腕に戻ってしまったら――
(いや、今なら――)
その時、ルフィンは気づいた。――傷の痛みを無視してきたツケなのか、トレイドの剣が下がり、ほんの一瞬さり気なく床に触れたのを。そして微かに走る魔力――それを彼からの”合図”と受け取り、アンネルは空から双刃を投擲した。
ブーメランのように回転しながら飛翔する双刃に気づいていたのか、ルフィンはちらりと肩越しにそれを見て防ごうと左腕ではじき返そうとして。その直前で、双刃は二つに分かれた。
「っ!」
驚きに目を見開くルフィンだが、実はアンネルの方も驚いていた。何せ、彼が分離しようと考えていたわけではないのだ。双刃が分離したのは、双刃に宿っている精霊の判断。おかげで弾こうと振るわれた腕は空を切り、逆に彼の左足と左腕を斬り裂いた。
「くっ……」
「――ナイスだ」
「っ……ぬうぅっ!」
連動し、ルフィンの足下の石床がせり上がり、右足に小さな障害物を作り出した。ほんの小さな、それこそ小石程度のもの。――だが、時にはその小さなものに足を取られてしまうこともある。
僅かにバランスを崩したルフィン目掛けて、トレイドは剣を振るい、赤い炎――つまり本来の炎で象った刃を飛ばす。炎の刃は直進しルフィンに迫り、そのエネルギーを放出、彼を中心に炎が燃えさかる。
「風よ!」
燃えさかる炎を前に、アンネルはさらに風を炎の元へ集中。より正確に言うのならば”酸素”を集中させ、さらに火力を押し上げる。精霊憑依を行っている精霊使い二人による、火と風の多重属性攻撃は建物の天井を容赦なく燃やし尽くし、突き抜けた。
足止めどころか、本気で相手を殺しかねない攻撃。しかし二人は――いや、その場にいる四人は確信していた。これぐらいではルフィンは死なない、と。
「――おいお前等、戻れ! 転移するぞ!」
後方からログサの叫びが木霊する。それにアンネルはすぐさま反応し後退。トレイドは一瞬迷う素振りを見せたものの、やはり発動し掛かっている転移術の元へ飛翔した。
二人が転移用の法陣に入ると、ログサとセイヤは即座に転移を発動。異世界から脱出した。
――フェルアント本部所属、マスターリット。前リーダー、ログサ・マイスワールと合流、さらに新米精霊使いエイリを保護し、フェルアントへ帰還。
負傷者はログサ、アンネル、トレイド。前者二名は重傷、トレイドについてはフェルアントに戻った頃にはほぼ全快であった。
さらにかつての英雄ルフィンの情報を取得、その行動から指名手配されることとなる。
「……あいつの動機は何なんだ……」
転移の最中、誰かがぽつりと呟いたその一言が、やけに胸に残った。
――エンプリッターの拠点から立ち上がった火柱は、突如として消え去った。炎が消え、その中心点から金髪の男が現れる。見れば傷も塞がっており、着ていた衣服がやや焦げたくらいで、外傷らしい外傷は見当たらない。
――先程まで戦っていた彼らがいなくなっているのを確かめ、ふぅっと息を吐き出した。