第29話 剣の章 脱出への道筋~3~
向こうも会敵したことを気配で感じ取ったトレイドは、ほんの一瞬だけそちらに気を向けた後、即座に目の前の女性剣士へと向き直る。
――その実体は呪い人形――骸に呪術をかけて動かす、命を冒涜するような最悪な呪いだ。思わず剣を握る手に力が込められた。
「――我と契約を交わせし精霊よ――」
だからこそ、死してなお弄ばれる目の前の女性を不憫に思い。救うために、切り札を切ることもいとわない。それは、ザイも同じ気持ちのようだ。契約という繋がりを通して、相棒の気持ちが伝わってくる。
「我が示す器に宿れ!」
(精霊憑依――!)
傍らを駆けていたザイが、狼の姿から小さな球体の姿へと変貌し、トレイドの持つ証へと吸い込まれる。すると、トレイドの姿が狼が入り交じった姿へと変化し、さらに周囲を白い炎が包み込んだ。
精霊憑依――さらには契約精霊であるザイの特殊能力である浄化の炎を纏い、呪い人形へと肉薄する。
「――せっかちねぇ、あなたは」
「お前が不憫だからな。とっと救ってやるよ!」
白い炎を見て、実に嫌そうな表情を浮かべて腰に吊った剣を引き抜き、飛びかかってきたトレイドの剣と真っ正面から打ち合った。その瞬間、彼は表情を歪める。
互いに譲らない鍔迫り合い――精霊と憑依し、筋力も大幅に上がった自分と、同じ筋力を有する。その事実に、彼は顔を歪めたのだ。
(――今の俺と同じ筋力……!? 想像以上にやばい奴だな、こいつは……!)
浮遊能力を発揮し、鍔迫り合いの状態からふわりと浮き上がると彼女の頭上を一回転して飛び越える。彼女の背後に着地するなり白い炎を纏った剣で一回転。遠心力を乗せた一撃を、彼女目掛けて遠慮なく打ち込んだ。しかしその一撃は、やはりというべきか彼女の剣が受け止める。
(……その剣も化け物だな)
今の自分の、全力の剣を何度も受け止める彼女の得物に対し、トレイドはそう思う。よく折れない――どころか、証を通して伝わってくる感触で言えば刃こぼれさえしていないのだ。どんな名剣だというのか。
「――あなたも大したものね。だけど、なんでわざわざ私と切り結ぶの? 力を使えば、相性差ですぐに消えるのに」
「なに、”切り札”を隠している奴相手に、さっさと使うわけにはいかないだろ」
「あら、気づいていたの?」
両者ともに笑みを浮かべ、そして同時に距離を取る。しかし、初動の動きで言えば、宙に浮いているトレイドの方が有利であった。まるで滑るように滑らかな動きで後退した彼を見て、人形はふぅっとため息をついた。
「熱いわね、あなた。その炎、消してくれない?」
「俺は熱くないぜ。これを熱く思うのは……」
「……っ!」
見ると汗を流している彼女を見て、トレイドはさり気ない動作で証を石床に触れさせる。――魔力が床に流れ込んだ。僅かに漏れた魔力から彼女も気づいたらしい――しかし、遅い。
「お前等みたいな奴だけだ!」
彼女の足下から、鎖が飛び出した。証に宿る知識を用いて、足下の石床を錬成させた鎖。それは容易く彼女を拘束し、その動きを止めた。しかしその鎖も、女性の筋力を考えれば長い間拘束させることは難しい。――だが、ほんの一瞬で良いのだ。
鎖によって拘束された女性目掛けて飛びかかるトレイドは、躊躇いなく炎を纏った剣を振り下ろす。呆然とした表情でこちらを見やる女性――その口元に笑みが浮かび。
「っ!?」
浮遊能力を用いて真上へと飛び上がる。――先程までいた場所を、何かが通り過ぎた。おまけに、通り過ぎたそれは彼女を捉えた鎖をも破壊してしまう。
――なんだっ!?――
宙に浮かび、彼女の頭上を陣取りながら真下を向いたトレイドは、そこにいた異形を見て目を見開く。その異形は、現在ログサ達が戦っている異形と同じ姿をしていたのだ。球体に人の手が何本も生えた、怖気が走るような姿。
どうもこの異形には、自然の加護を欺く何か特別な力が働いているようだ。一体どういうことなのか――。
「――“自然の加護”を得ているのが、自分だけだとでも思っているのですか?」
「―――」
真下にいる彼女の呟きを耳にする。その一言に、寒気が走った。そうだ、いくら王の血筋に当たる精霊使いと言えども、道を踏み外さないという保障はない。
――いや、むしろ”だからこそ”と言えるかも知れない。自然の加護は、王の血筋にあたり、かつその血に宿る先祖の記憶を追体験したものに与えられる加護だ。その加護を得たということや、周りの影響により自我を肥大化させ、選民思想に走ることはあり得るのだ。
「周囲の自然が、動きを、気配を教える……それが自然の加護。かつて自然を司った大王が得た加護。ですが、それがどういったものか、原理を”証明”できれば対策することも出来る」
「……勉強熱心なことだ」
「フフ、証明しようとしていた方達も、頭を悩ませていたくらいですからね。ともあれ、あなた達のその力も、もう”対策できない特別なもの”ではないのですよ」
そう言って、彼女は宙に浮かぶトレイドを見上げた。その瞳には、こちらの裏をかいたからか喜色の色が映っている。さらには、気配を感じない例の異形の腕が伸び、トレイドを掴もうと襲いかかる。
伸びてくる手も、無数の牙が生えた口へと形を変えた。なるほど、これで鎖を破壊したのか、と納得する間もなく、いくつもの牙が襲いかかり――炎の軌跡が走る。異形の叫びが響き渡った。
「だとしても、舐められたもんだな」
「――っ!」
ドサドサドサと長剣によって切断された顎が地面に落下する。切り口から白い炎を上げて、やがて炎は顎を包み込み、塵へと変えていく。驚きを浮かべた女性をトレイドは上空から見下ろして、
「俺が自然の加護に依存しっぱなしだったとでも? どちらかと言えば、”使わない”戦いの方が多いんでな。あまり意味はないぜ?」
「何ですって……?」
驚愕を浮かべる女性に、トレイドはニヤリと笑ってやる。確かに、自然の加護は便利且つ強力な能力だ。自然が気配を教えてくれると言うことは、わざわざ気配を読もうと集中せずとも感じ取れる上に、相手の動きをも知らせてくれるのだ。
だが、それに頼ってばかりでは確実に自力が落ちる――そう思っていた彼は、加護に目覚めたときから使用を控えていたのだ。
いざというときの”とっておき”のために――故に。
切られた傷口から顎を再生させた異形は、再びトレイドに食らいつこうと腕を伸ばし、彼は再び切り払う。――故に、この程度の”目で見切れる攻撃”、わざわざ動きを読まなくとも対処できる。
「俺からすれば、お前等は良いカモでしかねぇ!」
「――――っ!!?」
浮遊能力を解除し、真下に向かって落下する。さらに落下の衝撃を余すことなく剣に乗せた一撃を女性に見舞った。呆然としていた彼女は、すんでの所で我に返り長剣を頭上に持ち上げて防御する。またしても鍔迫り合いになり――
「せいっ!」
「っ!? しまっ――」
鍔迫り合いになった状態からトレイドは浮遊能力を使用、宙に浮かんだ状態から彼女の側頭部目掛けて回し蹴りを叩き込む。”宙に浮かんでいる”からこそ行える回し蹴りに、彼女は驚きに目を見開いて反応が遅れる。
白い炎を纏ったそれは彼女を蹴り飛ばす。一拍おいて、トレイドに向かって例の異形の腕が襲いかかる。だが、今度のそれには力がない。浄化の炎が効いているのだろう――それに。
「……………っ」
歯をギリッと噛みしめ、浄化の炎を解放する。少々魔力不足に悩まされるだろうが、それは今おいておくことにする。
『―――ぁ――』
もう見たくなかった。見ていられなかった。異形を初めて見たときから、その正体に気づいていた。だからせめて――これ以上、苦しまぬように。その願いを込めた炎は、証を包み込み――
「迷わずに逝け……っ!」
業炎剣――剣から放たれた炎は止まることなく異形を丸ごと飲み込んだ。
『っ――っ―――っ!!』
思わず耳を塞ぎたくなるような叫びが木霊する。だが、その叫びは一瞬――叫びは次第におさまり、やがて白い炎に包まれた異形はたくさんの瞳をこちらに向けてきた。大きな口が、僅かに持ち上がり、小さく動いた。
『―――――――』
――ありがとう――
「……っ」
小さくて聞き取りづらいその言葉を、トレイドははっきりと耳にした。異形の、最初にして最後の言葉を受け取り、彼は歯を噛みしめる。やがて白い炎は消え、炎に包まれていた異形も塵となって消えていた。
「さぁ――後はお前だ」
自身でも驚くほど低い声が漏れだした。それほど怒りを覚えているのだろう。当然とも言える。何せ、あの異形は――
「……これはとんだ計算違いだったわね……」
異形が消滅した後に、トレイドに蹴り飛ばされた女性が起き上がってきた。蹴られた顔の左側を押さえている。そこは白い炎が吹き上がり、ぽろぽろと彼女の肉体を焼き始めていた。当然とも言える。白い炎を纏った状態のトレイドの蹴りを受けた彼女は、呪術によって動いている人形である。浄化の作用により焼かれているのだ。
「その炎は消えない。お前を焼き尽くす(浄化)するまではな」
「……そうみたいね……」
観念したのか、彼女はふぅっとため息をつきながら押さえていた左手を下ろす。どうあっても消えない――そのことは、浄化されている彼女がよく知っているのだろう。次第に炎は拡大していく。このままでは、彼女は燃え尽きてしまうだろう。
「まさか触れただけで燃え移るなんて……卑怯だわ」
「………」
もう戦闘する意思もないのか、携えていた長剣を手放した。カランと地面に落ちた長剣を見て、トレイドは逆に剣先を突きつける。白い炎を纏わせ、金の瞳に怒りの色を浮かばせた彼を真っ直ぐに見据えて、逆に女性は笑みを浮かべた。
「――やりなさい。ひと思いに」
「………」
とどめを刺せ――そう言われたトレイドは、彼女に視線を向けたまま、証に纏う炎を増大させていく。浄化の炎が大きくなるにつれて、彼女が感じる熱量も増えていく。
「やる前に一つだけ聞かせろ。お前の主はどこにいる?」
あのときの少年――精霊使いにして、呪術の使い手にして、印を結ぶ術の使い手など、様々な術に精通しているように見受けられる少年のことを聞き出そうとする。
あの少年は危険すぎる――そう感じているトレイドの問いかけに、彼女はふふっと笑みを溢す。若干戦闘中の雰囲気と違ってきているが、それはおそらく浄化作用によるものだろう。どこか吹っ切れた様子の彼女は、ふるふると首を振った。
「残念だけどわからないわ。主から指示は送られてくるけど、私たちから主に報告することは出来ないの。――だって主には、全て分かっているのだから――」
「……」
――全てが分かっている――あの少年が持つ“未来視”、予知能力のことだろう。なるほど、だからこそ一方通行にしか指示が出来ないようになっているのか。人形の動向など、わかっているのだから。
「……おい」
――そこに気づいて、ふと嫌な予感を覚えた。いつの間にかしゃがみ込み、しかし笑みを浮かべたままの女性を睨み付けて、トレイドは低い声で訪ねる。
「俺たちの行動も、奴に筒抜けと言うことか……?」
「…………」
俯いていた彼女が顔を持ち上げる。先程まで浮かべていた笑みを貼り付けたまま、彼女は口を開いた。
『――そうだよ、トレイド――』
全身に寒気が走る。その声に覚えがある。先程女性と話していた件の少年の声――トレイドは固唾を呑んで目の前に座り込んだ人形へと目を向ける。その瞳に強い警戒心が浮かんでいた。
『そんなに怖い顔をしないで欲しいな。僕は何もしないよ』
「…………」
笑みを含みながらの言葉に、しかしトレイドは突きつけた剣を下ろさない。刀身に渦巻く白い炎を維持したまま、炎越しに女性を睨み付ける。――目の前の人形は、あの少年が造ったものだ。意識を乗っ取るなど造作もないのだろう。
『ふふ、信じていないね? まぁ気持ちは分かるよ、君の大切な人達を傷つけたのは僕だし、怒るのは当然だ』
「………っ」
ギリッと歯を噛みしめた。知ったような口を開き、しかもそれがあっているのだから質が悪い。目の前の人形――少年の意思が宿ったこの人形を警戒しているのはそういうことだ。
『でも、今回君に用はない。用があるのは、多分この後に来る人だ』
「この後に……?」
『そう。だから君は……少し大人しくしていてよ』
――ハッとした。こんな感じのやりとりを、以前もかわした――と思うのもつかの間、突如意識が宿った人形――話している間に浄化も進んでいたのか、もう体の右側しか残っていない――の右腕が、突如肥大化した。
その場に転がっていた、彼女が使っていた剣を取り込むような形で巨大化。巨大化した皮膚が金属的な光沢を放ち、巨大化した腕がトレイドを取り押さえ、背後の壁まで勢いよく叩き付けた。
「っつぅ………っ!!」
しかし、取り押さえられた瞬間、突きつけていた剣を縦に持ち直したことが功を奏したのか、完全に取り押さえられたわけではない。しかし、身動きは取れそうになかった。
おまけにこの両腕、特にトレイドを押さえている付近には例の金属光沢があり、それが浄化の炎を遮炎しているのだろう。浄化の炎には、本来の炎のような”燃やす力”はない。さらにこの金属、どうやら魔力が混ざっているようで、証に宿る知識による魔力への変換も出来ない。
「………っ!」
ちらりと視線を向こうにやった。そこには、全身に風を纏ったログサが中心となり、例の異形と戦う彼らがいた。――こちらは浄化能力で片を付けたが、異形が持つ再生能力に手をこまねいているようだった。
『君とマスターリットの足止め用にしているからね。……っと、この体ももうダメだね』
トレイドを拘束した巨腕の異形が言う。と、徐々に腕を燃やし尽くそうと迫ってきた浄化の炎に気づいたのか、巨腕はふぅっとため息をつくと、躊躇いなく燃えてきた箇所を切り落とした。
「……」
『これで一安心。さて……“彼”が来るまで待っていてもらうよ?』
浄化されていた箇所を切り落としたためか、巨腕は浄化されずに残ってしまう形となった。トレイドの動きを封じ込めたまま、巨腕は語る。
「彼、だと……? ……まさか……!?」
彼が誰のことを指すのか分からなかったが――しかしすぐに察しが付く。そうだ、この世界には後一人、精霊使いがいるではないか。
――同時に、トレイドの持つ自然の加護が突然発動した。血がざわめくような感覚と共に、巨大な力を持つ何かが、こちらに接近してくるのを。
この気配を、この感覚を、トレイドは知っている。ここを襲撃する直前に感じ取った気配と同じ――そして、以前出会ったときの気配とも同じであった。その気配は、壁一枚を隔てた向こう側にいる。
『そう、そのまさかさ』
巨腕が呟いた、次の瞬間。
「紅蓮拳」
ぽつりと響く言葉と共に、膨大な炎が壁を粉砕――いや爆砕する。突如壁に空いた大穴から、金髪の男が姿を現した。ボサボサの長髪に、片眼を隠すように流した前髪。――数年前、最後に見たときと変わらない姿の男が、そこにいたのだった。